バーボン、ストレート、ノーチェイサー

◆◆FOR BOURBON LOVERS ONLY◆◆ バーボンの製品情報、テイスティング・コメント、レーティング、思考、ブランドの歴史や背景などを紹介するバーボン好きによるアンフィルタード・レヴュー。バーボンをより好きになるため、より楽しむための初心者から中級者向けのブログ。

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オールド・コモンウェルスの情報は海外でも少なく、そのルーツについてあまり明確なことは言えません。ですが、ネットの画像検索や少ない情報を頼りに書いてみます。

先ず始めにスティッツェル=ウェラーのアイリッシュ・デカンターに触れます。長年スティッツェル=ウェラー社を率いた伝説的人物パピー・ヴァン・ウィンクル(シニア)が亡くなった後、息子のヴァン・ウィンクル・ジュニアは1968年にオールド・フィッツジェラルド名義でセント・パトリックス・デイを記念するアポセカリー・スタイルのポーセリン・デカンターのシリーズを始めました。1972年にスティッツェル=ウェラー蒸留所が売却された後も、新しい所有者はヴァン・ウィンクル家が1978年にオールド・コモンウェルスのラベルの下で再び引き継ぐまでシリーズを続けます。1981年にジュニアが亡くなった後も息子のジュリアン・ヴァン・ウィンクル三世が事業を受け継ぎ、毎年異なるデザインを制作していましたが、このシリーズはデカンター市場が衰退した1996年に中止されました。オールド・コモンウェルスのアイリッシュ・デカンターの殆どには80プルーフで7年または4年熟成のバーボンが入っていた、とヴァン・ウィンクル三世自ら述べています。
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60年代は、50年代のファンシーでアーティスティックなグラス・デカンターに代わりセラミック・デカンターが人気を博しました。各社ともデカンターの販売には力を入れ、ビームを筆頭にエズラ・ブルックスやライオンストーンが多くの種類を造り、他にもオールド・テイラーの城を模した物からエルヴィス・プレスリーに至るまで様々なリリースがありました。おそらく、70年代にバーボンの需要が落ち込む中にあっても、記念デカンターは比較的売れる商材だったのでしょう。ジュリアン・ジュニアはスティッツェル=ウェラー蒸留所を売却した後、「J. P. Van Winkle & Son」を結成し、様々な記念デカンターを通して自分のバーボンを販売しました。 既に1970年代半ば頃からコモンウェルス・ディスティラリー名義は見られ、ノース・キャロライナ・バイセンテニアル・デカンター、コール・マイナーやハンターのデカンター等がありました。もう少し後には消防士やヴォランティアーを象った物もあります。

そして今回紹介するオールド・コモンウェルスは上に述べたデカンターとは別物で、ジュリアン・ヴァン・ウィンクル三世がシカゴのサムズ・リカーという小売業者向けにボトリングした特別なプライヴェート・ラベルが始まりでした(当時20ドル)。おそらく90年代半ば辺りに発売され出したと推測しますが、どうでしょう? 後には同じくシカゴを中心としたビニーズにサムズは買収され、ビニーズがオールド・コモンウェルスを販売していましたが、ヴァン・ウィンクルがバッファロー・トレース蒸留所と提携した2002年に終売となりました。中身に関しては、同時代のオールド・リップ・ヴァン・ウィンクル10年107プルーフと同じウィスキーだとジュリアン本人が断言しています。ORVWのスクワット・ボトルと違いパピーのようなコニャック・スタイルのボトルとケンタッキー州(*)の州章をパロった?ラベルがカッコいいですよね。では、最後に飲んだ感想を少しばかり。

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Old Commonwealth 10 Years Old 107 Proof
推定2000年前後ボトリング。前ポストのオールド・リップと比較するため注文しました。大した量を飲んでないので細かいことは言えませんが、こちらの方が度数が僅かに高いのにややあっさりした質感のような? でも、どちらも焦樽感はガッチリあってダークなフルーツが奥から漂うバーボンで点数としては同じでした。
Rating:87.5/100


*ケンタッキー州は日本語では「州」と訳されますが、英語ではステイトではなくコモンウェルス・オブ・ケンタッキーです。アメリカ合衆国のうちケンタッキー、マサチューセッツ、ペンシルヴェニア、ヴァージニアの四つの州は、自らの公称(州号)を「コモンウェルス」と定めています。これらは州の発足時に勅許植民地であった時代との決別を強調する狙いがあったものと解されているそう。オールド・コモンウェルスは如何にもケンタッキー・バーボンに相応しい命名なのかも知れません。
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「commonwealth」とは、公益を目的として組織された政治的コミュニティーの意。概念の成立は15世紀頃とされ、当初は「common-wealth」と綴られたそうで、「公衆の」を意味する「common」と「財産」を意味する「wealth」を繋げたもの。後の17世紀に英国の政治思想家トマス・ホッブズやジョン・ロック等によって一種の理想的な共和政体を指し示す概念として整理され、歴史的に「republic(共和国)」の同義語として扱われるようになったが、原義は「共通善」や「公共の福祉」といった意味合いだったとか。

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オールド・リップ・ヴァン・ウィンクルというブランドは、元は禁酒法時代(または以前?)に遡りますが、長年の沈黙からジュリアン・ヴァン・ウィンクル二世が1970年代半ばに復活させ、それを受け継いだ息子のジュリアン三世が伝説のレヴェルまで育て上げたブランドと言ってよいでしょう。

長年スティッツェル=ウェラー社を率いてきたジュリアン・"パピー"・ヴァン・ウィンクルが1965年に亡くなった後、息子のジュリアン・ジュニア(二世のこと)は他の相続人との意見の相違から、1972年にスティッツェル=ウェラー所有の蒸留所とブランドをノートン・サイモン社へ売却することを余儀なくされました。しかし、彼は名前や物語を余程気に入っていたのか、アメリカの小説家ワシントン・アーヴィングの物語をモチーフにしたブランドだけは売却せず、スティッツェル=ウェラー蒸留所からウィスキーを購入出来る権利とボトリング契約を残したことで、オールド・リップ・ヴァン・ウィンクルを甦らせ販売し始めます。その事業は1981年にヴァン・ウィンクル二世が亡くなると息子のジュリアン・ヴァン・ウィンクル三世に引き継がれますが、スティッツェル=ウェラーとのボトリング契約が切れたことでジュリアン三世は致し方なく(妻も子供四人もおり、多額の借金を背負うことになるから)アンダーソン郡ローレンスバーグにある旧ホフマン蒸留所をベン・リピーから購入しました。ジュリアン三世はスティッツェル=ウェラーからのバルク・ウィスキー、またその他の蒸留所からもウィスキーを購入し、コモンウェルス蒸留所として様々な銘柄でボトリングを続けました。80年代にはおそらく知る人ぞ知る小さな存在だった会社は、90年代に祖父への敬意を直接的に表す「パピー・ヴァン・ウィンクル」を発売、幾つかの賞を得たことでウィスキーの世界から注目を集め出します。しかし、スティッツェル=ウェラー蒸留所はユナイテッド・ディスティラーズの傘下になった90年代初頭に蒸留が停止されてしまいました。そこで、原酒の枯渇を懸念したジュリアン三世は、新しい供給先としてバッファロー・トレース蒸留所を選び、2002年、合弁事業としてオールド・リップ・ヴァン・ウィンクル・ディスティラリーを立ち上げます。同社のブランドは段階的にスティッツェル=ウェラーからバッファロー・トレースの蒸留物へ変わりました。2010年以降は「パピー」がバーボン愛好家以外の一般大衆にも認知され出し、バーボン・ブームの到来もあってカルト的人気を得、それに釣られてその他のブランドも高騰。オールド・リップ・ヴァン・ウィンクルも日本に住む「庶民派ウィスキー飲み」が手を出せる金額ではなくなり、そもそも日本へ輸入されることもほぼなくなりました。バッファロー・トレースのフランクフォート産の物ですらそのような状況の今日、ジュリアン三世がハンドメイドで瓶詰めしていたローレンスバーグ産の物は、特に愛好家に珍重され求められています。

そこで今回ご紹介する「ヴァン・ウィンクル」の付かないヴァン・ウィンクル製品であるスクエア・ボトルの「オールド・リップ」なのですが、これは日本向けの輸出用ラベルでした。4年熟成86プルーフ緑ラベルと12年熟成105プルーフ黒ラベルの二種類があり、日本のバーボン愛好家には知られたブランドです。おそらく発売期間は80年代後半から90年代後半(もしくは2000年代初頭?)までではないかと思われます。少なくともフランクフォート表記のオールド・リップは見たことがないので、2002年以降には製造されていないと推測しました。お詳しい方はコメントよりご教示下さい。
それは措いて、中身の原酒について。ジュリアン三世は「ヴァン・ウィンクル・ファミリー・リザーヴ」や「ヴァン・ウィンクル・セレクション」、初期の「パピー・ヴァン・ウィンクル」、またその他の銘柄ではスティッツェル=ウェラー以外の原酒を使うこともありました。しかし、聞くところによると彼は「オールド・リップ・ヴァン・ウィンクル」のブランドにはスティッツェル=ウェラー原酒を使うことを好んだとされます。それからすると、おそらくこの「オールド・リップ」もスティッツェル=ウェラー原酒で間違いないでしょう。では、最後に飲んだ感想を少しだけ。

OLD RIP 12 Years Old 105 Proof
今回はバー飲みです。先日まで開けてあったオールド・リップ12年が前回のウイスキークラブ(定期イヴェント)で飲み切られたとのことで倉庫からストックの新しいボトル出して来てくれました。なので開封直後の試飲となります。

推定88年ボトリング。キャラメルの他に植物っぽい香りも。ハイプルーフゆえのアルコールのアタックはあってもヒート感はほぼ感じない。現代の小麦バーボンよりもスパイス感がやや複雑で、フレイヴァー全体が濃厚な印象。余韻は少し渋め。
Rating:87.5/100

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先日、久し振りにバーへ遠征して来ました。お邪魔したのはバーボン好きなら誰しも知っている埼玉県大宮のBar FIVE。となると大袈裟に言えばバーボン巡礼の旅という訳ですね。

FIVEのオープンは1998年。元々の店名はファイヴ・ハンドレッドだったと言います。その名の由来は、ウィスキーもカクテルもビールも料理も全て500円だったから。しかも当時は営業時間も夕方5時から翌朝5時だったとか。マスターが「5」を好きなのですかね? そこのところは聴きそびれちゃいました。
あの多くの被災者を生み出した東日本大震災の折り、FIVEも無害だった訳ではなく、200~300本の貴重なオールドボトルが失われたそうです。するとオーナーのマスターはすかさず移転を決め、数ヵ月後には近くの現店舗へ移りました。旧店舗はレッド・ゼッペリンの似合うもっと猥雑な雰囲気だったそうですが、現店舗は黒と白を基調とした小粋なジャズの似合うシックな雰囲気です。

FIVEは基本的にオールドボトル専門で現行品は置いてなく、2000年以前の希少なボトルがずらりと並んだバックバーは壮観であり、それ目当てに県外や果ては海外からもお客さんが訪れるのですが、それだけのバーではありません。寧ろ、強面だが優しくユーモアのあるマスターと気遣いの出来るバーテンダーさんお二人のホスピタリティこそが最大の魅力。バーは「お酒」よりも「人間」に引き寄せられて行く場所だと実感しました。バーテンダーさんの「常連様に支えられています」と云う言葉に深く納得です。ここには酒の自慢話とウンチクだけを語る下品な輩は似合わない。ハイエンド・バーほど畏まりすぎず、居酒屋ほどくだけすぎない、絶妙なバランスはとても居心地が良いのです。

そして「日本一鍋を振るバーテンダー」と異名を取る漢が造るメニューの無い料理もウリの一つ。私は苦手な食材だけを告げてオススメを造ってもらいました。彼の腕前は近隣の会社からデリヴァリーの依頼が来るほどなのです。私が居た時間も注文がけっこう立て込み、来店のお客さんの分もあったので、忙しく料理を造り続け、更には配達まで行っていました。おかげで残念なことに彼とは会話が殆どできず仕舞いでした(笑)。

レアなバーボン目当てで行くのもいいでしょうし、ただ飲んで楽しみたいだけで行くのもいいでしょう。バーボン以外のリカーやカクテルもあり、落ち着いた薄暗い店内と洒落た料理の提供は女性一人でも入りやすいバーでもあります。また不定期で週末にジャズ・ライヴが催されたり、月1でウイスキークラブという厳選されたラインナップを安価に提供するイヴェントもあります。

あと、珍しいのが、これだけの品揃えのバーにしてはランチ営業までやっているところ。なんでもメニューはカレーだけだそうで、サラダとドリンク付きの500円ワンコイン・ランチ。FIVEの由来からして想像通りのお値段。そしてメニューが一種ゆえに吉野家並みのスピードで提供されるのだとか(笑)。気になる方は食べログやRettyで調べてみて下さい。

FIVEは、バーボンの品揃えに関しては少なくとも関東でベスト「5」に入る名店です(ええ、もしかしたら一番か二番かも知れませんが、敢えてこう言いました)。関東圏、もしくは埼玉へお越しの際は是非立ち寄ってみてはいかがでしょうか。あ、メンバー外の方は事前予約が無難かと思われます。訪問される際は一応お店に確認して下さいね。


BAR FIVE
埼玉県さいたま市大宮区桜木町2-223 モナークヴィラ1F
048-644-3550

ランチ営業
平日のみ 11:30~14:00(売り切れ次第終了)

バー営業
平日 17:00〜26:00
祝日 17:00~0:00

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リッテンハウス・ライは現在ヘヴンヒル蒸留所で生産されるお財布に優しいライウィスキーです。安い上にボトルド・イン・ボンド(Bottled-in-Bond)規格なのが人気のポイント。ヘヴンヒル蒸留所は業界で最も多くのBiBのウィスキーをリリースする会社であり、そのライウィスキー版があるのは驚きではありません。同社のBiBの例としては、旗艦ブランドであるエヴァンウィリアムスの白ラベルや10年熟成シングルバレルのヘンリーマッケンナ、おそらく地域限定供給のJWダントやJTSブラウン、社名そのままのヘヴンヒルやコーンウィスキーのメロウコーン等があります。昨今人気爆発中(*)のライウィスキー市場にあっても、実はBiBを名乗るライはそれほど多くはなく、パッと思い付くのは価格がほぼ3倍もするEHテイラー・ライぐらいでしょうか。それゆえ安価かつBiBのリッテンハウスは貴重な存在と言えなくもない。「ボトルド・イン・ボンド」法は1897年に成立した政府による消費者保護法であり、当時としては本物の品質の証しでした。BiBのラベルを付けるには、単一の蒸留所の同じ蒸留器による単一の蒸留シーズンの製品であり、政府監督下の連邦保税倉庫で最低4年間熟成し、最低50%のABVで瓶詰めされ、更に生産施設とボトリング施設が異なる場合は両方のDSPナンバーがラベルに記されている必要があります。

リッテンハウス・ライは、現在では法定下限である51%のライ麦を使ったケンタッキーに典型的なスタイルのマッシュビル(**)から造られていますが、もともとはペンシルヴェニアにルーツをもったライウィスキーのブランドでした。その歴史は豊かで興味深く、ライウィスキー自体の歴史とも重なります。

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バーボンがアメリカのネイティヴ・スピリットと認定される以前、ライウィスキーは元祖アメリカンウィスキーと言える立場にありました。18世紀アメリカ北東部の初期開拓地では、気候の変動に生き残ることが出来て成長サイクルの短い丈夫な穀物のライ麦が広く栽培されていました。初期のアメリカの農家の多くは小麦やトウモロコシの収穫に失敗した場合に備え、バックアップとしてライ麦を栽培していたと言います。ライ麦が過剰にある場合、自然と蒸留に繋がりました。18世紀後半には、ほぼ全てのアメリカの農場には小さな蒸留器があり、余剰穀物をアルコールに転換することは経済的価値を維持する重要な方法だったのです。そうしないと害虫やカビ、または天候により余剰穀物の価値がすぐに下落してしまうからでした。

禁酒法以前はケンタッキーを含む他の州でもライウィスキーは造られていましたが、歴史的にペンシルヴェニアとメリーランドという二つの州がライウィスキーの産地として名高く、主要なスタイルを持っていました。一方のペンシルヴェニア・ライは、ペンシルヴェニア州西部のモノンガヒーラ渓谷に端を発する80〜100%のライ麦で構成される高いライ麦率のマッシュビルであったと伝えられています。このスタイルはモノンガヒーラ・ライ、或いは単にモノンガヒーラと呼ばれていました。もう一方のメリーランド・ライは、通常トウモロコシが約30〜35%含まれ、ライ麦は65〜70%のマッシュビルであったと推測されています。具体的には、ペンシルヴェニア・ライはスパイシーなプロファイルが強く、メリーランド・ライはより丸みのある甘味と草のようなノートを持つ傾向があったとか。初期の入植者逹はすぐにライ麦がユニークな性格のウィスキーを造ったことに気付き、産地の特産品的な意味でライウィスキーはこの地域に根付いて行ったのでしょう。

1791年に米国議会はアルコールに対する国の最初の物品税を可決します。それはウィスキー税と呼ばれ、ガロンあたり9セントに設定されていました。反骨心のある農民蒸留家は、連邦政府とウィスキー税から逃れるため、自らのスティルとマッシュビルを携え、アパラチア山脈を越えて行きます。逃れた先の中西部ではトウモロコシが豊富でした。そこで造られたライウィスキーはメリーランド州のマッシュビルに倣ったコーンを含むマッシュビルだったと見られます。そして時の経過と共にマッシュビルのトウモロコシは増加し、後にバーボンとなるスタイルのスピリットが生まれた、と。1810年頃までにケンタッキー州だけで2000を超える蒸留所が操業していたと言います。バーボンは通常オハイオ・リヴァーから出荷されミシシッピ・リヴァーを下っている間に自然と熟成し、琥珀に色づいた美しい飲料は南部で最も一般的になって行きました。独自の熟成を施した両方のスタイルのライウィスキーも北東部で生産され続け、19世紀を通じて需要と販売は引き続き堅調であり、1920年まではライがアメリカで最も人気のあるウィスキーであり続けました。しかし、禁酒法の時代がやって来ます。

禁酒法によるアメリカのアルコール禁止はライウィスキーの息の根をほぼ止めました。国内のライウィスキー蒸留所の多くは閉鎖され、決して再開することはありませんでした。有能なビジネスマンが率いたケンタッキー州のバーボン製造業者は何らかの形で禁酒法時代を生き延び、1933年に修正第18条が廃止された時、バーボンはアメリカンウィスキーの王者の座に就きます。ライウィスキーは殆ど忘れ去られてしまったかのようでした。それでも、禁酒法解禁は蒸留業者に水門を開き、幾つかの企業はライウィスキーの製造を再開します。そのうちの一つがペンシルヴェニア州フィラデルフィアのコンチネンタル・ディスティリング・コーポレーションでした。

コンチネンタルはコネチカット州ウェスト・グリニッジにオフィスを構えるパブリカー・インダストリーズの子会社です。当初の目的は近い将来1日あたり最大20000ケースの酒を製造できる一枚岩の蒸留所を建設することでした。蒸留業は常にアルコール飲料を造るとは限りません。パブリカーの主な事業は工業用化学プラントの運営にありました。パブリカー・インダストリーズは、野心的なウクライナ移民のハリー・パブリカーによる発案で始まります。1912年頃、彼はフィラデルフィアのあらゆる小規模蒸留所に行き使用済みのウィスキー樽を手に入れ、そこからウィスキー残渣をスティーミングして「発汗」させて、工業用アルコールとして販売することでアルコール業界に参入。1913年に約8〜16人の従業員でパブリカー・コマーシャル・アルコール・カンパニーを設立すると、デラウェア・ウォーター・フロントのビグラー・ストリートとパッカー・アヴェニューの間に蒸留所を建設し運営しました。詩人の名から付けられた後のウォルト・ウィットマン橋のすぐ近くです。

ハリーの工場は第一次世界大戦(1914年7月28日~1918年11月11日)で米国政府へのアルコール製品の販売を都合しました。そして禁酒法は工業用アルコールの生産を禁止しなかったため、禁酒法期間中、パブリカーは非飲料用アルコールと工業用化学製品の生産に集中することで非常に繁栄しました。20年代前半には、ジャガイモ、糖蜜​​、トウモロコシなど様々な穀物を発酵し、年間600万ガロンの工業用アルコールへと蒸留していたと言います。同社はそこから生産能力を年間6000万ガロンにまで増強しました。禁酒法の終了時には、当時制定された連邦規制により工業用アルコールの総生産量は7050万ガロンに制限され、そのうちパブリカーが17%を生産していたとか。第二次世界大戦でも政府がアルコール製品を購入したため、パブリカーは新たなる高みに達し、期間中に生産はピークを迎えます。1946年にパブリカーの年間収益は3億5500万ドル、従業員は5000人を数えたそう。1950年代半ばまでに40エーカーの工場は、溶剤、洗浄剤、不凍液、変性アルコール酢酸ブチル、酢酸エチル、アセトン、ドライアイス、液体二酸化炭素、専用溶剤、精製されたフーゼル油などの製品に特化した世界最大の蒸留所の一つに発展しました。

プロヒビションが撤廃された時、その規模と近代テクノロジーを応用して飲料用スピリッツの生産を開始するのは自然なことだったのでしょう(***)。パブリカーは1933年8月、コンチネンタル・ディスティリング・コーポレーションを設立し、スナイダー・ストリートとスワンソン・アヴェニューの角の数ブロック北にある小さな蒸留所を改造するために、今日の2700万ドル以上を費やします。南フィラデルフィアの川に面した地区にあるパブリカーの二つの工場の一つでした。日産90000ガロンの生産能力は当時のハイラム・ウォーカーのピオリア工場より僅かに少ない程度だったと言います。同社を立ち上げた1933年半ばから1934年にかけて、ハリー・パブリカーと彼の一人娘ヘレンと結婚していた義理の息子サイモン・ニューマン(通称シー・ニューマン)は、飲料用スピリッツの名前を選んでブランドを作成するセッションを行い、その後ディスティリング・エンジニアと一緒にウィスキー・プロファイルと製品のマッシュビルを造り上げました。
1933年11月22日に最初のブランドであり、コンチネンタルの役員であるマークス博士とその妻ミリアムによって提案された「チャーター・オーク」の商標(****)をバーボン、ライ、ラム、ジン、ブランディ等で使用するために申請し、1934年3月13日に登録が発行されました。その他のブランドには「フィラデルフィア」、「ディプロマット」、「コブス・クリーク」、「エンバシー・クラブ・ウィスキー」等があったようです。
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(Time Magazine May 21 1956)

コンチネンタルの三大バーボンと言えば、先のチャーター・オークと「ハラーズ」と「オールド・ヒッコリー」でしょう。その他にも「リンフィールド」や「キーストーン・ステート・ライウィスキー」、そして「リッテンハウス」がありました。
コンチネンタル工場(PA-1)は、ブレンデッドウィスキーやその他の蒸留酒の製造に特に適していましたが、ストレートウィスキーも製造されていたようです。またコンチネンタルはもう一つ、高級な熟成ウィスキー用?として、フィラデルフィアから北東約35マイルほど離れたリンフィールドのスクールキル・リヴァー沿いにあるキンジー蒸留所(PA-10、PA-12)を所有していました。

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キンジー蒸留所は禁酒法が終了してから1980年代半ばまでコンチネンタルによって運営されていました。コンチネンタルはこの施設をキンジー蒸留所と呼びましたが、禁酒法以前はアンジェロ・マイヤーズ蒸留所、またはリンフィールド蒸留所としても知られています。後に一般的にはリンフィールド・インダストリアル・パークと呼ばれることになるサイトにありました。この蒸留所を語るには、創設者ジェイコブ・G・キンジーの他に、アンジェロ・マイヤーズにも触れておかなくてはなりません。

アンジェロ・マイヤーズには父と息子の二人のアンジェロがおり、彼らは40年間フィラデルフィアと全米でウィスキーを販売してその名声を高めました。当初はレクティファイヤー、その後本当のディスティラーとなり、精力的なマーチャンダイジングを通じて幅広い酒類ブランドを広めたそうです。アンジェロ・マイヤーズは1844年にドイツで産まれ、正確な日付は不明ですが、アメリカへと渡り、兄弟のヘンリーとフィラデルフィアに定住しました。1874年頃、二人はウィスキー配給会社として「A&H Myers」を設立します。彼らの主力ブランドは、街を流れる川にちなんだスクールキル・ウィスキーでした。
1880年代に兄弟のビジネスはかなり繁盛していたようです。しかし、1892年には何かが起こり、兄弟のパートナーシップは終わりを告げ、ヘンリーは別の会社を立ち上げました。残ったアンジェロの会社には、「アードモア」、「ボーモント・ジン」、「インデペンデンス・ホール」、「マイヤーズ・ピュア・モルト」、「ネシャミニー・ライ」、「オーガソープ・クラブ」、「オールド・バレル」、「オールド・スクールキル・チョイス・ライ」、「ペングリン」、「W.W.W. ライ」など数多くのブランドがあったようです。同じ頃、アンジェロは他の著名なフィラデルフィアの卸売業者と協力して、ペンシルヴェニア州バックス郡に蒸留所を建設します。またアンジェロは1890年代後半にはリンフィールドの蒸留所とも関連をもちました。
その蒸留所は酪農家のジェイコブ・G・キンジーによって設立されました。ジェイコブは1858年3月13日にペンシルヴェニア州ロウワー・サルフォードで生まれ、学校の教師として働き出し、まだ若い頃に酪農業界へと参入します。彼は三十代前半までに三つの酪農場を所有していましたが、1891年にそれらを売却し、蒸留所と2000バレル容量の倉庫を建設しました。アンジェロとジェイコブは蒸留所の建設に取り組み始めてから約1年ほどで友人になったと言います。一説にはジェイコブには蒸留の経験が全くなかったとされ、彼と農場の元従業員逹は友人であったアンジェロの特別なウィスキー知識を頼ったのかも知れません。約8年ほど後、ジェイコブは自分の製品を販売できるようにするために名のある人が必要だと考えました。アンジェロ・マイヤーズにはフィラデルフィアやボストンをはじめ高級ウィスキーの大きな市場であるニューヨークにも多くのコネがありました。ジェイコブはとても賢く、当時のアンジェロ・マイヤーズの知名度を知っていたので、彼と組むことが自分のウィスキーを市場に出して知名度を上げる方法だと思ったのです。ジェイコブはアンジェロと話し合い、蒸留所にアンジェロ・マイヤーズの名を付けることを決めます。一方のアンジェロは友人の製品が非常に優れていると考え、ブランドが足場を得るまでの間、プラントの運営とキンジーのマーケティングをすることにしました。彼らは良き友であり、お互いを信頼していました。おそらくジェイコブは、アンジェロに蒸留所の運営の一部を任せながら、自分は製品造りに精を出せる方法を模索したのでしょう。ジェイコブはマスター・ディスティラーとして一つの目標を念頭に置いていました。それは出来る限り最高のウィスキーを造ること。そうして製造された酒はキンジー・ウィスキーと名付けられ、マイヤーズ社の新しい旗艦ブランドとなって行きます。
1905年2月、「Angelo Myers Distillery Inc.」は資本金50000ドルで設立されました。権利関係はよく分かりませんが、アンジェロはキンジー蒸留所の所有権をもっていた可能性もありそうです。アンジェロは息子のアンジェロ・Jをリンフィールドに派遣していました。父からリカー・ビジネスを学んでいたアンジェロ・Jはキンジー蒸留所の日々の運営を行っていたとされます。若きアンジェロの管理下で、キンジー蒸留所は急速に発展し、倉庫の容量は2000バレルから20000バレルに段々と増加、更にキンジー・ウィスキーはニューオリンズとテキサス州サンアントニオでの博覧会で金メダルを獲得したのだとか。1907年、父のアンジェロは亡くなり、アンジェロ・Jが会社の社長になりました。彼のリーダーシップの下、同社は引き続き成功を収め、キンジー・ウィスキーは広くアメリカ中に流通するようになったと言います。彼らが販売した全ての木製ケースには、アンジェロ・マイヤーズ蒸留所とキンジー蒸留所の名前がありました。また、キンジー・ブランドの広告として作成された魅力的な絵画もありました。そうした絵画は19世紀から20世紀初頭に普及したプロモーション・ツールで、その印刷物はサルーンや酒類小売業者が利用できました。
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更に、女性がウィスキー取引にほぼ参与してない時代にあって、1910年の役員をリストした会社のレターヘッドには、珍しいことに二人の女性の名が含まれていたそうです。進歩的な会社だったのでしょうか。アンジェロ・Jは他の事業も手掛けていたようで、酒類会社の社長には叔父(多分)が就任し、彼は副社長に降りたようです。1918年頃、商号は「Angelo Myers Distilling Co., Inc.」に変更されました。それから少し後、禁酒法の訪れによりアンジェロ・マイヤーズとキンジー施設での全ての活動は中止されました。1923年、原因は分かりませんが、アンジェロ・Jは38歳という若さでこの世を去ります。
ジェイコブは勤勉な男だったのか、禁酒法期間中、ビールの醸造を学ぶためにドイツに行っていたそうです。アンジェロ・マイヤーズの助けを借りて順調に推移したキンジー・ライは、禁酒法が施行される数年前には本当に人気を博すようになっていました。1933年に禁酒法が終わると、ジェイコブは殆どの人が引退したいと思う75歳で、その復活を目指してキンジー蒸留所を再開します。彼は先ずキンジー・ストレート・ライを造り、またリンフィールド・ブランドをスタートさせました(「リンフィールド」は初めストレート・ライウィスキー、後にコンチネンタルがバーボンに変更)。伝えられるところでは、ジェイコブはできる限りピュア・ライを入れたかったとされ、初期の殆どのボトリングはライ麦率約81%(残りは多分モルト)であったと見られています。ボトラーやディーラーからの圧力によりジェイコブはブレンデッドも造りましたが、彼はストレート・ライウィスキーこそが数あるウィスキーの中で最もフレイヴァーフルであると信じていました。
順調に復活するかと思われた蒸留所は、悲しいことに1939年の秋に破産し、1940年春のサイレント・オークションでコンチネンタル・ディスティリング・コーポレーションに売却されました。コンチネンタルは蒸留所と共にキンジー・ブランドを購入し、ブレンデッド・ウィスキーとして生産と販売を続けました。キンジー・ウィスキーは1940年代には有名だったようで、マンハッタンのビルで誇らしげに宣伝されていました。余談ですが、長年ほとんど忘れ去られた存在となっていたキンジー・ブランドは、近年ではニュー・リバティ・ディスティラリーによって復活しています。
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フィラデルフィアのプラント(DSP-PA-1)のマスター・ディスティラーが誰であるかは判りませんが、1933年秋にキンジー蒸留所が再開した時ジェイコブ・キンジーはマスター・ディスティラーでした。そしてコンチネンタルが蒸留所を購入した後はホレス・ランディスがマスター・ディスティラーを務めます。ホレスは、ジェイコブの結婚相手エドナ・ロングエーカーの姉妹アニーが結婚したヘンリー・ランディスの息子でした。彼は1951年初頭にパブリカーによってキンジーのDSP-PA-10とDSP-PA-12がシャットダウンされるまで蒸留を実行し続け、その後もコンチネンタルに請われて警備員として留まったそう。ちなみにPA-10はバッチ蒸留のポット・スティル、PA-12はコンティニュアス・スティルでした。
コンチネンタルは蒸留所を購入後の1940年代、キンジーのサイトに14の防爆倉庫の建設を開始しました。その倉庫は非常に近代的で大きく、空気を循環させるファンと加熱装置やサーモスタットに防火装置も備わった時代の最先端であり、なんでも一つの倉庫に10万近いバレルを収容できたようです。また当時最強の鋼鉄で作られた防爆倉庫は、戦時中の公式のボム・シェルターだったとか。そして理由は明確ではありませんが、上述したようにリンフィールドでのウィスキー蒸留は1951年に停止され、以後、熟成とボトリングを行う施設となります。1952年、ジェイコブ・G・キンジーは94歳で天寿を全うしました。

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さて、そろそろリッテンハウスについても触れておきましょう。コンチネンタルは1934年に、フィラデルフィアの有名な広場(公園)にちなんで名付けられた「リッテンハウス・スクエア・ライ」を導入しました。そのリッテンハウス・スクエア自体は、フィラデルフィアで最初の製紙会社を設立したドイツ人移民のウィリアム・リッテンハウスの子孫であり、天文学者、時計職人、発明家、および数学者など数々の肩書きをもつデイヴィッド・リッテンハウスから命名されています。元々はサウスウェスト・スクエアと呼ばれていましたが、1825年に名前が変更されました。リッテンハウス・スクエアは、観光客や地元の人々がピクニックや日光浴や散歩をしたり、絵を描いたり本を読んだりとリラックスするのに最適な場所です。
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(19世紀後半のリッテンハウス・スクエアの噴水の眺め)

リッテンハウス・スクエア・ライはデビュー当時、2年熟成だったと言います。はて?禁酒法の廃止は1933年ですから、誰かがこっそり蒸留でもしてたのでしょうか(笑)。それは偖て措き、月日の経過につれリッテンハウスの熟成年数は2年から4年、そして1940年代初期から中期には5年に延びました。
コンチネンタルが製造するウィスキーの初期の成功には、パブリカーの化学者カール・ヘイナー博士が開発した生産技術が少なくとも部分的には関与していたとされます。1934年にフォーチュン誌のライターに説明されたその方法は、オールド・サウスの紳士の皆が知る、ムーンシャインの小樽を川で運んだりストーヴの近くに置いておくとエイジングを促進すると云うあれ、つまり「撹拌、動揺」と「熱」でした。ヘイナー博士は24時間で17年物のウィスキーを製造する方法を考案したと主張したとか…。ちょっと眉唾な方法論のような気はしますが、禁酒法終了直後の数年間は熟成ウィスキーの在庫が殆どなかったため、強力なアドヴァンテージにはなったのでしょう。おそらく既存の在庫が熟成するにつれ段階的に廃止されたと見られ、40年代にはブレンデッド・ウィスキーでのみこれらの技術を使用していた可能性が示唆されています。
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1948年には製品名から「スクエア」は削除され、現在と同じ「リッテンハウス・ライ」となりました。その頃の製品は全てボトルド・イン・ボンド規格を守ったようです。いつの頃からか80プルーフのヴァリエーションもありましたが、いずれにせよリッテンハウスは、コンチネンタルのライの中で比較的高級なラインだったと思われます。1940年代から1951年初頭頃までは、キンジーの古い納屋のようなライ・ビルディング(PA-10)で造られました。その後は多分フィラデルフィアの工場(PA-1)ですかね? それとも他のライ・メイカーから購入していた? ミクターズとか?
ところで初期のリッテンハウスの中身についてなのですが、コンチネンタル時代のオリジナルのマッシュビルは定かではありません。一説には、過去のフィラデルフィア地域のライ・メーカーの多くは、メリーランドの蒸留所と共通点が多かった、との指摘があります。ペンシルヴェニア州の中でも東部に位置するフィラデルフィアは、西部のモノンガヒーラ地域よりも地理的にメリーランドに近いため、なんとなく頷ける説ではあります。また前記のように、かつてジェイコブ・G・キンジーが蒸留所を再開した当時のライウィスキーは80%程度のライ麦率であったようなので、それを考慮するとリッテンハウスのマッシュビルはライ麦60~80%のどこか、或いは時代と共に変遷していることもあるのではないでしょうか。ここら辺の事情に詳しい方はコメントよりご教示下さい。それと旧いリッテンハウスを飲んだことのある方もご感想を頂けると助かります。では、ここからはリッテンハウスがコンチネンタルの手を離れるまでの経緯を見て行きましょう。

パブリカーはアメリカの会社であることを非常に誇りに思っており、当時の戦争を支援した主要な企業グループの一つでした。第二次世界大戦中、DSP-PA-12は毎日少なくとも2シフト、時には3シフトを実行したとされます。蒸留所を政府用に別目的で利用することから、リッテンハウスは在庫不足という大きな障害に直面しましたが、それでも彼らは地歩を固めビジネスを続けました。しかし、残念なことに戦後もリッテンハウスの闘争は終わったとは言えませんでした。その後の数十年はライウィスキーの人気が大幅に低下したからです。1970年代までにアメリカではクリア・スピリット、特にウォッカの人気が高まり、バーボンの販売量も減少し、ライ麦に至ってはほぼ絶滅しました。ペンシルヴェニア州のオリジナルのライウィスキー製造所の殆どはその歴史に幕を降ろしたのです。そしてパブリカー/コンチネンタルにとっては、1951年に創業者ハリー・パブリカーが亡くなってから会社を率いてきたサイモン・"シー"・ニューマンの死が1976年にありました。

キンジー蒸留所の元従業員デイヴ・ズィーグラーによれば、シー・ニューマンは生まれながらのリーダーであり、先見の明とアイディアを持ち、パブリカー/コンチネンタルを成功へ導いた業界の巨人でした。彼のアイディアは常に大きく、かつそれらを迅速に実行に移したと言います。禁酒法の終了時、それまで工業用アルコールを製造していたパブリカーが、飲料用アルコールを製造するための特別部門を設立したのはニューマンのアイディアでした。それがコンチネンタル・ディスティリング・コーポレーションのそもそもの始まりです。
同社はブレンデッド・スコッチウィスキーのブランドである「Inver House Rare」を1956年に発売しましたが、当時は売り上げを満たすのに十分な在庫がありませんでした。そこでニューマンは捲土重来、インヴァー・ハウス・ディスティラーズを1964年にパブリカー・インダストリーズの子会社として設立し、スコットランドに蒸留所を建設してしまいます。そして、スコッチに再利用するために使い古しのバーボン・バレルをスコットランドへ出荷するというニューマンのアイディアは、今日まで続く一般的な慣行であり、パブリカーはこれを行う許可を政府に求めた最初の会社でした。ちなみにインヴァー・ハウス・スコッチは彼の美しい豪邸から名付けられました。それと、先に触れたホレス・ランディスは63年の引退の後で、懇意のニューマンから個人的にマスター・ディスティラーの経験を買われ、1964年スコットランドへと派遣されてスティルのセットアップを助けたりディスティラーをトレーニングしたそうです。
60年代のパブリカー/コンチネンタルは、裏事情は知りませんが、端から見れば最盛期にあったと言ってよいでしょう。ウィスキーや工業用アルコールの品質はニューマンのリーダーシップから来ました。当時、品質管理は最大の課題であり、同社は四つのラボラトリーを、工業用と飲酒用にフィラデルフィアのDSP-PA-1、その他センター・シティ、リンフィールド、エディストーンそれぞれに持っていました。ケミカル・プラントはフィラデルフィアの他にLAにもありました。また彼らは自らの製樽工場も所有していました。デラウェア郡マーカス・フックにあるクーパレッジはとても大きく、そこにはクーパーを育てる学校もあったと言います。そしてリンフィールドのキンジー・サイトに、1966年に新しく開業したボトリング・ハウスは、当時アメリカ最大規模かつ最も近代的な設備を誇りました。そこでは11のラインを週五日、一日16時間稼働し、2交代制で約450〜500人が働いており、産出能力に優れていたため、週末の勤務や残業時間は必要なかったそうです。そのお陰か、ビグラー・ストリートにあったボトリング施設は後に工業用アルコール専用に転換されました。「1966ボトリング・ハウス」は一日あたり40000本のボトルを処理できる能力があり、シーグラムやその他の蒸留業者のためにも瓶詰めを請け負いました。契約ボトリングを利用する業者の中にはニューマンと知り合いだったメドレー家がいて、彼らも時々ボトリングしてもらっていたようです(後述しますが、そうした「縁」が後のブランド購入に繋がったのでは?)。加えてキンジー蒸留所には、ハッピーハウスとして知られる1933年初頭に建てられたジェイコブ・G・キンジー時代のボトリング・ハウスもあり、そこのフィリップ・シンガー製のボトリング・マシーンはパブリカーがスピリッツの保管と製造および瓶詰めを終了するまで小規模ながら継続的に使用されていたとの話もありました。他にも、競争力を維持しつつ運賃を低く抑えるようボトリング活動を分散化するため、1962年にイリノイ州レモントの工場を改造し、リカー用ボトリング工場として機能するようにしています。そのためコンチネンタル製品のラベルのいくつかは「レモント、イリノイ」の記載がありました。ラベルと言えば、同社は可能な限りローカルな物、つまり地元フィラデルフィアの会社からボトルやラベルを仕入れて、常に最高品質のパッケージを目指したそうです。
シー・ニューマンが生きていた間は、常にウィスキーの品質を高め、あらゆる人にとって手頃な価格を保つための新しいアイディアを探していました。詳しくは分かりませんが、メーカーズマークの46の魁となるような、フローターズと呼ばれる焦げた木片を大きな樽に浮かべる実験?(或いはブレンデッド・ウィスキー用の熟成テクニック?)も行っていたようです。これは彼らが時代の先端を行っていた好例かも知れません。
おそらく、コンチネンタルは業界で「ビッグ・フォー」に次ぐ存在でした。1950年代の会社の販促資料では、ウイスキーを作るための最新の技術的アプローチと最先端の施設の効率を雄弁に誇り、その近代的な熟成倉庫は100万バレルのキャパシティを有すると説明されていました。巨大なストレージ・サイトであるキンジー蒸留所は、当時ワン・スポットでは世界最大の熟成ウィスキーを保管する施設だったのです。キンジーで働く人の総数は1960年代後半に600人に達しました。彼らは常に施設の見栄えにも最善を尽くし、プラントは清潔に保たれ、芝生や花壇は手入れが行き届き、会社で働くことに誇りを感じていました。しかし、どんな栄光も永遠ではありません。1976年のシー・ニューマンの死を契機として、会社はその後急速に崩壊への道を歩みました。先に名前を挙げたデイヴ・ズィーグラーは言います。「彼が死んだ時、会社は死んだ」と。

パブリカーがウィスキーを大量に造ったとしても、それは彼らの運営のほんの一部に過ぎませんでした。大部分の方のケミカル・プラントの運営が悪かったのか、それとも時代の波の影響で蒸留酒の販売が芳しくなかったのか、サイモン・ニューマンが亡くなった時、パブリカーには3900万ドルの借金があったと言います。ビジネスには成功も失敗も付き物ですから、偉大なるリーダーでも何か判断ミスをしたのかも知れません。しかし、彼の最大の不首尾は、彼が後継者への道を開くのを仕損じたことでした。
ビジネスの経験がなかったサイモンの妻ヘレンが会社のトップになると、大きな家族の権力闘争が起こりました。彼女はロバート・レヴェンサールを社長に任命し(1977-1981年CEO)、20歳以上年下であったにも拘わらず、すぐに恋に落ちたのです。ニューマン夫妻の子供たちは、縮小する会社と家族の財産から取り残されることを恐れ、母親とレヴェンサールを訴えて何年か費やしました。
外部の経営者たちが取締役会に進出すると、会社の方向を変えようとし始めました。それはニューマンの死から3年後のことです。どうやら彼らはパブリカーをP&G(プロクター&ギャンブル)のような強大なホーム・ケミカル会社にしたかったらしい。レヴェンサールはアルコール飲料事業の主要資産の処分を決め、1979年にイリノイ州レモントのボトリング施設などと共に酒類ブランドを負債の支払いとケミカル・ボトリングへの資本投資に使用するために売却します。そうすることで会社を浮上させようとしたのですが、パブリカー・インダストリーズの下降スパイラルを止めることは出来ませんでした。同社は1979年秋まではウィスキーを蒸留もし、1981年後半頃まではまだ他社に販売していたと言います。1982年にフィラデルフィア工場は休止されました。キンジー蒸留所は1982年に売却された後、ボトリング・ハウスや幾つかのタンクと倉庫をリース・バックして、そこでアンモニアをベースにした家庭用洗浄剤と不凍液のボトリングに使用されていました。
70年代後半にパブリカーは、空で不使用の巨大なタンクの幾つかを他の会社が燃料油の貯蔵に利用できるようにし始めます。様々な化学会社や燃料会社との契約をしたそうですが、これらの取引はライセンスを常に取得している訳でもなく、環境への影響についても注意を怠っていたようで…。フィラデルフィアのサイトは長年の不適切な管理が環境災害や火災を引き起こし、PADER(ペンシルヴェニア環境資源局)からは数々の違反通知の発行をされ、EPA(米国環境保護局)からは許可なく危険廃棄物施設を運営したとして苦情を申し立てられました。そして1986年秋、会社は事業を中止し、資産は小さなモーテルの価格300万ドルで解体業者であるオーヴァーランド・コーポレーションに売却されました。1986年11月、発火性物質を含むパイプラインを切断中に爆発が起こり、二人の解体作業員が死亡。その後まもなくオーヴァーランド・コーポレーションとその親会社カイヤホガ・レッキング・コーポレーションは破産を宣言し、サイトを放棄しました。かつてウォルト・ウィットマン橋を渡るとパンのようなウィスキーの匂いがすると言われた巨大な複合施設と75年以上に渡ってモンゴメリー郡で最大の雇用主であったリンフィールドの「公園」は廃墟になって行きます。それは或る大企業のアメリカ産業史に於ける最も悲しい物語の一つでした。その後もパブリカーという会社自体は存続したようで、1998年に名前を「PubliCARD」に変更し、スマートカード・ビジネスに参入したそうですが、もはや別物でしょう。

さて、リッテンハウスは上に述べた1979年のブランド売却の時、その他のブランドと共にチャールズ・メドレーに買われました。チャールズはリッテンハウス及びコンチネンタルのブランドの力を評価していたのでしょう。おそらく80年代のリッテンハウスはメドレー蒸留所で生産されました。マッシュビルは不明。後にリリースされるヴァン・ウィンクル・ファミリー・リザーヴ・ライ等に使用されたメドレー・ライと熟成年数は違えどマッシュビルは共有するとは思います。ケンタッキー・スタイルの51%に近いライ麦率でしょうか? 実はメドレー時代のリッテンハウスについては殆ど情報がなく、あまり書くことがありません。…あ、一つだけ。日本でリッテンハウス・ライをネットで検索すると出てくる紹介記事の殆どには「かつてメドレー社が製造していた銘柄」と紹介されています。確かにそれは事実であり間違ってはいないのですが、その歴史の中でメドレー産だった期間は割りと短く、ここまで読んで分かる通り、寧ろ歴史的にリッテンハウスはコンチネンタルのブランドでした。おそらく輸入元の資料か何かをコピペした結果ではないかと思いますが、誤解を招きかねない表現には注意が必要です。それでは次にヘヴンヒルがブランド権を手にし、現在に至るまでを見て行きましょう。

アメリカン・ウィスキーの製造に携わる会社にとって80年代後半から90年代は激動の期間でした。まるで自然界の食物連鎖のように、大きい会社が小さい会社を飲み込んで、業界の再編が行われたのです。リッテンハウスもその動きに翻弄されて目まぐるしく推移しました。メドレーは1988年にグレンモアに買収され、そのグレンモアも1991年にギネス(ユナイテッド・ディスティラーズ)によって買収されました。そして1993年の春、ヘヴンヒルは約70のブランドをユナイテッドから取得し、その中にリッテンハウスは含まれていました。
次々と所有権は移り変わったリッテンハウスですが、メドレー蒸留所はグレンモア傘下になっても蒸留を続け(実際チャールズ・メドレーがマスター・ディスティラーでした)、グレンモアにウィスキーを供給していたと見られるので、ユナイテッドによって1992年にメドレー蒸留所が閉鎖されるまではリッテンハウスを蒸留していたと思われます。或る方は、1993年のリッテンハウス・ライのボトルは現在の物とは全く異なり、より甘く円やかで、ラベルにはオーエンズボロと書かれている、と述べていました。もし、ブランドの推移と共にストックも購入されていたのなら、最大で1996年頃まではメドレー原酒の可能性もあるのかも。言うまでもなく、これはただの憶測です。

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ヘヴンヒルはブランド取得後、おそらく僅かな期間は旧来と同じダイヤモンド・ラベルを使用していたと思われます。その後ラベルは安っぽいデザインにリニューアルされました。ライトな80プルーフと伝統のボトルド・イン・ボンドがあります。長年、ヘヴンヒルはライウィスキーの蒸留を一年に一日(もしくは三日か四日)しか費やしていませんでした。それは、まだこの頃はライウィスキーの人気はあまりなく、ライの「本場」ペンシルヴェニアでもなければメリーランドでもないケンタッキーで絶滅の危機から救われた「希少品種」に過ぎなかったからです。しかし、年に一度だけでも蒸留されたことで、ライウィスキーは命脈を保ち生き続けました。
ヘヴンヒルがリッテンハウスを製造するようになって数年で思いがけない災難が勃発します。バーボニアンにはよく知られるアメリカン・ウィスキー史上でも最大級の火災が発生したのです。1996年11月9日の落雷が原因と見られるその火事によりバーズタウンのヘヴンヒル蒸留所は焼失し、9万バレル以上ものウィスキーが失われました。そこで暫くの間、ヘヴンヒルは他の蒸留会社(仲間)を頼らざるを得なくなります。おそらく一年ほどはジムビームが蒸留を代行し、その後はブラウン=フォーマンによって契約蒸留がなされました。1999年にヘヴンヒルはルイヴィルのバーンハイム蒸留所をディアジオから購入し、蒸留を再開するのですが、この契約は2008年まで続き、この間ヘブンヒルのライウィスキーは全てブラウン=フォーマンのアーリータイムズ・プラントで製造されています。ボトルド・イン・ボンド法ではラベルに蒸留施設の明示が義務付けられているため、ブラウン=フォーマン産の物には「DSP-KY-354」、バーンハイム産の物には「DSP-KY-1」とあり、おそらくこの切り替えは2013年頃を境としているでしょう。
新しい蒸留所でライウィスキーを蒸留し熟成させ、十分な量を確保したヘヴンヒルは再び自らの蒸留物を販売し始めた訳ですが、この移行期間中にもライウィスキーの人気はジワジワと上がり続け、クラフト・カクテルのムーヴメントも手伝って高い需要がありました。分けてもリッテンハウスは多くのミクスト・ドリンクのレシピに最適であったことから、一時的に店頭で見つけるのが困難だったようです。こうしたブームへの便乗?が主な理由だと思われますが、多分2014年頃、ラベルはオリジナルのリッテンハウス・スクエア・ライに敬意を表して「ダイヤモンド」に戻されました。そう、旧来の物にしろ現行の物にしろあのダイヤ形に見えるデザインは実際には「スクエア」なのです。その後はクラフト蒸留所のブームとも相俟ってライウィスキーは完全なるリヴァイヴァルを遂げました。ヘヴンヒルでは以前に年一度だけの蒸留だったライウィスキーも今では毎月蒸留され、リッテンハウスはその驚くべき価格のお陰でこれまで以上の人気を博しています。

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最後に別枠として特別なリッテンハウスについても触れておきます。ヘヴンヒルは2006年から2009年に掛けて、それぞれ21年、23年、25年という超長期熟成された「Rittenhouse Very Rare Collection」を数量限定で特別リリースしました。背の高いゴールド・プリントのボトルがバルサ材の箱に入った豪華なパッケージで、100プルーフ、シングルバレル、ノンチルフィルタードの仕様。750mlで各々150、170、190ドルの希望小売価格でした。中身のウィスキーは1984年10月に造られたライのバッチからの物で、それらは全てリックハウスOOの最も下の階で熟成されていました。ヘヴンヒルのマスター・ディスティラーだったパーカー・ビームによれば、低層階は高層階よりも温度が低いため長期間の熟成が出来たそうです。
これら上位クラスのリッテンハウスが誕生した背景には、なかなか興味深い偶然の物語がありました。ヘブンヒルが製造するライウィスキーには、リッテンハウスの他にもう一つパイクスヴィルがあります。ここではパイクスヴィルの歴史について詳しくは紹介しませんが、簡単に言うとリッテンハウスと同じような運命を辿った元はメリーランドのライウィスキー・ブランドです。ヘヴンヒルは伝統あるそのブランドを1982年にスタンダード・ディスティラーズから購入し発売していました。それ以前からもヘヴンヒルはライウィスキーを蒸留し、どこかへ供給していたかも知れません。それはともかく、84年に蒸留された95バレルのロットのライは、同社の顧客向けのプライヴェート・ラベルになるか、或いはそれ用のパイクスヴィルになる筈の物でした。リッテンハウスの購入は93年、つまり当初からリッテンハウス20+を造るつもりは一切なかったのです。ヘヴンヒルは顧客のためにウィスキーを熟成させていましたが、それは製品化されることなく眠り続け、意図した熟成年数を遥かに超えてしまいました。そのライが21年という珍しい年数に近づいた時、ヘヴンヒルはウィスキーのオーナーに買い戻しを申し出ると了承され、そこで2006年に偶然の産物はリッテンハウスの非常にレアなコレクションとして世に送り出されたのです。
ちなみに、リッテンハウスの長期熟成ヴァージョンはヘヴンヒルが初めてリリースしたのではありませんでした。実はコンチネンタルから、60年代もしくは70年代と思われますが、20年熟成のリッテンハウスが発売されています。ラベルにはリンフィールドとありますね。詳細はまるっきり分かりません。途轍もなくレアなのは間違いないでしょうが。
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さて、それではようやくテイスティングと参りましょう。基本情報としてリッテンハウス・ライは、125プルーフのバレル・エントリー、#3チャー・バレル、倉庫の上層階(上から4階)にて4年熟成、数百樽でのバッチ・サイズとされます。またボトルド・イン・ボンド規格なので、ボトリングのためにバッチ選択したバレルは、春または秋のいずれかに蒸留した同じシーズンの物でなければなりません。

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RITTENHOUSE RYE BOTTLED IN BOND 100 Proof
推定2014年ボトリング。赤みを帯びたブラウン。麦茶、グレイン、焦がした砂糖、エタノール、ダーク・ドライフルーツ、菜っ葉。サイレントなアロマ。ジュースを飲み込んだ後に来る刺激はスパイシーではあるがアルコールの辛みの方が強いような…。余韻は引き続き辛みを伴いつつ、微かに白桃と穀物が漂う。
Rating:79.5/100

Thought:開封から暫くは妙に味がないように感じました。しかも香りが開いたのが残量半分を下回ってからなのは痛かったです。おまけに香りが開いたと言ってもそれほど芳醇でもなく…。バーボンよりあっさりした質感にライ麦ぽさを感じるものの、スパイシーと言うよりはただ辛いだけ。もっと言うと近年のヘヴンヒル原酒に感じ易い複雑な香辛料やフルーツを欠いた熟成感という印象。海外のレヴューを参照するとそこそこの高評価だったし、フルーツ・フォワードのライかと期待したのですが、ぶっちゃけ舌の上でフレイヴァーが躍るライではなかったです。私はストレートと一滴加水でしか飲みませんでしたけど、ロックやカクテルにしたらもっと引き立ったのですかね? 飲んだことのある皆さんのご感想コメントよりどしどしお寄せ下さい。

Value:ハイ・プルーフにして安価かつライであるのが魅力で、ラベルのデザインは最高にカッコいいと思います。アメリカでの価格は概ね25ドル程度、日本だと3500円くらいが相場でしょうか。個人的にはもっとフルーティなライが好みなので日本の市場価格は高く感じますが、辛口がお好みの方やバーボニー・ライを求める方にはオススメです。なにより歴史のある銘柄ですしね。

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*2009年から2015年にかけてアメリカのライウィスキーの売り上げは662%(!)も増加したと云います。それはまるで一瞬の出来事のようでした。大企業傘下の蒸留所であれ小規模なクラフト蒸留所であれNDP(非蒸留業者)であれ、こぞってライウィスキー市場へ参戦し、その銘柄は次々と増え続けています。

**リッテンハウスと言うかヘヴンヒルのライ・マッシュビルに関しては、「51%ライ / 39%コーン / 10%モルテッドバーリー」と「51%ライ / 37%コーン / 12%モルテッドバーリー」の二説がありました。どちらが正しいか判りませんが、ライ麦率が51%なのは確かなようです。

***一説には第一次世界対戦の頃から飲料用アルコールも製造していたとされます。ですが、事業として乗り出したのは禁酒法解禁後なのでしょう。

****チャーター・オークは、ケンタッキー州のバーンハイム蒸留所や後の親会社シェンリーから、その名前が「オールド・チャーター」に近いものであるとして、長年続く訴訟を提起されました。1959年5月頃には最終的に解決され、コンチネンタルはチャーター・オークのブランドを継続することが出来たようです。
現在オールド・チャーターを所有するのはサゼラック社ですが、近年では傘下のバッファロートレース蒸留所から「オールド・チャーター・オーク」というやや実験的なオーク材を用いたシリーズがリリースされています。チャーター・オークの商標はどうなっているんでしょうね?
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2019年にラベルを一新したアーリータイムズ。そのラベルはアーリータイムズの創業者ジャック・ビームではなく、中興の祖サールズ・ルイス・ガスリーをフィーチャーしたものになっています。そのことも驚きでしたが、これだけ安価なブランドなのにラベルをただの色違いにせず、ほんの少しデザインを変更しているのも注目点。ブラウンの方はガスリーの横顔の絵がラベル正面に来ています。
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ガスリーについては以前投稿した新イエローラベルのレヴューで紹介してますのでご参照下さい。今回はブラウンラベルを試してみます。ブラウンラベルとイエローラベルの違いについてはこちらを。

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EARLY TIMES Brown Label 80 Proof
2019年ボトリング。ローストバナナのキャラメルソース掛け、焦樽、コーンチップス、接着剤、僅かにフローラル、ペッパー、ほんのりシャボン玉。水っぽく柔らかい口当たり。味わいはイエローよりややスパイシー寄りでさっぱりめ。余韻は短く、少しビター。
Rating:77/100

Thought:どうも昔飲んだブラウンラベルより美味しくない気がしました。私がイエローラベルに感じ易いと思っていたアーリータイムズ独特の嫌な風味を今回のボトルには感じます。また、私の記憶よりフルーティさも幾分か欠けるように感じましたし、余韻も苦いように思いました。以前に投稿したイエローとブラウンを比較する記事では、ブラウンの方を高く評価していたのですが、なぜか新しいラベルになってからのアーリータイムズに関してはイエローの方が美味しかったです。ここ数年で私の味覚が変わったのか、単なる気のせいなのか、それともアーリータイムズのバッチングの差なのか、謎。
ちなみに先日まで開封していたアーリータイムズ・プレミアムと比較すると、バカらしいほどにプレミアムの方が旨かったです…。

Value:否定的なことばかり書きましたが、価格の安さが最大の価値であるバーボンなので、 難癖をつけるつもりはありません。千円ちょっとでこれが飲めるのはありがたい話だと思います。ヘヴンヒルやジムビームの1000円代で購入できるバーボンより風味が濃いと評価する人もいますし、飲んだことのない方は迷わずトライしてみて下さい。しかも是非ストレートで。安いバーボンはハイボール専用などと思わずに。実際のところかなり美味しいですよ?

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ピュア・ケンタッキーXOはケンタッキー州バーズタウンのウィレット蒸留所(KBD)で製造されているスモールバッチ・ブティック・バーボン・コレクションの四つのうちの一つです。その他の三つはノアーズ・ミル、ローワンズ・クリーク、ケンタッキー・ヴィンテージとなっています。価格から言うと、この中でピュア・ケンタッキーXOは下から二番目の位置付け。コレクションの成立はおそらく90年代後半とみられ、その名称はジムビームのスモールバッチ・コレクションを意識したのでしょうか。しかし、同じスモールバッチでもその生産量には余りにも大きな違いがあります。スモールバッチとは一回のバッチングに使用するバレルの数が少ないことを意味する業界用語ですが、業界最大手のジムビームは300~350樽程度でのバッチング、小さなクラフト蒸留所のウィレットは概ね20樽程度のバッチングのようなので、実際のところウィレット製品はヴェリー・スモールバッチとでも言った方が分かり易い。猫も杓子もスモールバッチを名乗る昨今、スモールバッチという言葉は既に本来の意義を失って形骸化し、ただのマーケティング用語に成り下がったように見えなくもないです。大事なのはスモールバッチかどうかではなく、実際に飲んでみて美味しいと思うかどうか。
まあ、それは偖て措き、ここらでピュア・ケンタッキーXOの中身について触れたいところなのですが、実は日本でも海外でもPKXOに関する情報は少なく明確なことが分かりません。その名称のXOは通常「Xtra(Extra) Old」の略なので、おそらくケンタッキー産の長期熟成を経た格別な原酒をボトリングするイメージがブランドの根底にあると思います。ピュア・ケンタッキーXOは基本的にNASではありますが、ボトルのバックラベルには「少なくとも12年熟成、もしくはもっと」との文言がある時代がありました。
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日本では今でも多くの酒販店の商品紹介欄に「最低12年熟成」と書かれていることが多く、これはそのバックラベルを根拠としての記述でしょう。しかし、このバックラベルは2000年代流通の物には貼ってあったかも知れませんが、2010~2012年あたりに当該の文言は削除されたか、もしくはバックラベル自体が貼られなくなったのではないかと思います。熟成年数の声明(エイジ・ステイトメント)がないということは、蒸留所の都合(所有するバレルの在庫状況や市場の需要と供給のバランス等)で、ブレンドに使うバレル選択が熟成年数に縛られず自由に出来ることを意味します。それまで低迷していたアメリカにおけるバーボンの需要は2000年以降徐々に増え出し、2010年以降には爆発的な伸びを見せました。そのため旧来まであったエイジ・ステイトメントがなくなる銘柄が増えたり、もともとNASだったものは若い原酒をブレンドするようになりました。おそらくピュア・ケンタッキーXOもこうした流れと無関係ではいられなかったのだと思います。例えば、2006年頃の情報では1バッチ8~10樽ボトリングで最低11年~最高14年物の原酒をヴァッティング、2011年頃の情報では5〜12年熟成のバーボン樽のコレクション、と説明されていました。これらの説明の情報源は蒸留所の方からのものなので、当時としては正確だと思われます。また、海外のレヴュワーさんのPKXOの記事のコメント欄で、KBDは同じラベルの下で異なる市場向けに異なるブレンドをリリースしていると聞いた、と述べている方もいました(追記あり)。 その伝聞が正しいのかは判りませんが、そもそもNASであること、ヴェリー・スモールバッチであることを考慮すると、バッチ毎は言い過ぎとしても生産年の違いによる味の変動は少なからずあるのが普通でしょう。
ピュア・ケンタッキーXOは初期の頃から(多分)2000年代後半までは緑色のボトルに入れられていました。その後は透明のボトルに切り替わります。そして何年間かは上記のバックラベルは貼られていて、現在では貼られていません。個人的にはこうした外観の変更時に中身の大幅な変化があったのではと勘繰っているのですがどうでしょう? 飲み比べたことのある皆さんのご意見、コメントよりどしどしお寄せ下さい。
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ウィレット蒸留所は1980年代初頭に訳あって蒸留の停止を余儀なくされ、80年代中頃からはケンタッキー・バーボン・ディスティラーズ(KBD)というインディペンデント・ボトラーとして活動。そのため余所の蒸留所からニューメイクや熟成ウィスキーを仕入れ、同社のエイジング施設で熟成後に自ら販売したり、他のNDPのためにボトリングしたりしていました。そうした活動が実り、2012年1月、ウィレット蒸留所は再び蒸留を開始し、そして時を経た現在では自家蒸留原酒をボトリングし始めました。
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(画像提供K氏)
以前投稿したケンタッキー・ヴィンテージと同じようにウィレット原酒の物は瓶の形状が変わっています。画像をよくご確認下さい。
さて、今回も親愛なるバーボン仲間でありウィレット信者であるK氏にサンプルを提供して頂きました。お陰でバッチ違いの異なる原酒のちょっとした比較が可能となりました。この場を借りて、改めて画像や情報提供の協力にも感謝致します。ありがとうございました。
今回のレヴュー対象はウィレット原酒を使用した推定2018年ボトリングの物。おまけのサンプルはヘヴンヒル原酒と目される推定2014年ボトリングの物です。では、注いでみましょう。

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PURE KENTUCKY XO 107 Proof
Batch QBC No. 18-31
推定2018年ボトリング。熟したプラム、蜂蜜、シリアル、花、塩バター、キャラメル、ローストアーモンド、ダークチョコレート。ややオイリーな口当たり。味わいには煮たリンゴやグレープやアプリコットのようなフルーツぽさ、もしくはフルーツガムのような旨味がある。ジュースを飲み込んだ時のパンチや濃さは感じられるが、余韻は度数の割りにあっさりしていて少しドライ気味、と思いきやその後から濃厚でフルーティな戻り香がやってくる。一滴加水したほうが甘さが立った。
Rating:87/100

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PURE KENTUCKY XO 107 Proof
Batch QBC No. 14-12
推定2014年ボトリング。紅茶、グレイン、溶剤、ミルクチョコレート。口当たりは思うよりさらりとしている。パレートにややハーブっぽい苦味。余韻はオークのドライネスが支配的。あまりフルーツ感のないタイプで、香り以外に甘味が感じにくい。
Rating:82/100

Thought:先日飲んだ新しいケンタッキー・ヴィンテージが凄く美味しかったので、新しいピュア・ケンタッキーXOへの期待値は高まっていました。ところが107というハイ・プルーフから期待するほどのインパクトに欠ける印象でした(特に開封直後)。マッシュビルの違いなのかバレル・セレクトの違いなのか、はたまた加水具合のためなのか判りませんが、KVの方が香りと余韻により華やかさを感じたのです。それでも開封から二週間ほど経ち、残量が3分の2くらいになると徐々に旨味が増し、新ウィレット原酒らしい濃密なフルーツと豊かな穀物が感じ易くなりました。KVとの比較で言うと、PKXOの方が焦がしたオーク由来の風味が強いように感じます。
バッチ14-12は香りからして別の原酒なのは明らかでした。以前投稿したケンタッキー・ヴィンテージの味比べと同じような結果になっているのですが、どうしてもレヴェルが違い過ぎるので点数に差がつきます。通常のヘヴンヒル銘柄とは少し異なる紅茶やハーブのヒントがあるのは評価するとしても、どうも溶剤臭が強いのと甘味を欠く点が私の好みではありませんでした。
ところで、ウィレットの蒸留再開が2012年ということを勘案すると、「ヴィンテージ」や「XO」との名称が付いていても、おそらくKVやPKXOの熟成年数は4~6年程度と推測されます。この先、長期熟成樽が仕上がってくると、バッチングにそうした樽を使用し始めるのか、それとも販売価格とのバランスを考えて今のスペックをキープするのか? 成り行きを見守りつつ、続報を待つとしましょう。マッシュビルに関してもそのうち分かれば追記します(追記あり)。
ちなみに、同じウィレット蒸留所からリリースされているジョニードラム・プライヴェートストックも新原酒に切り替わっていますが、PKXOとJDPSの違いはチャコール・フィルターの有無だけで他は同じだそうです(もちろんPKXOがフィルターなし)。

Value:ピュア・ケンタッキーXOの日本での販売価格は概ね3800~4500円くらいのようです。ケンタッキー・ヴィンテージの相場が3500円程度なことを考えると、107プルーフのPKXOが最安値だとプラス300円足らずで購入出来ることになります。これはハイアー・プルーファー愛好家にとっては嬉しい選択肢でしょう。個人的には、度数が低い割りに満足感のあるケンタッキー・ヴィンテージの方を推しますが、パワーに勝るピュア・ケンタッキーも捨てがたいですね。いずれにせよ他社の同価格帯の競合製品と較べて頭ひとつ抜け出てる印象のウィレット原酒はオススメです。
私はピュア・ケンタッキーXOの青く縁取られたケンタッキー州の地図とブルーワックスのデザインがめちゃくちゃ好きなのですが、同じ感性の方います? これって大きな価値ですよね?


追記1:日本が誇るバーボンマニアの方から情報を頂きました。その方によると、PKXOの欧州向けと日本向けを比較したところ、バッチ違い程度の差異しかなかったとのことです。

追記2:マッシュビルはハイ・ライのレシピ(52% Corn / 38% Rye / 10% Malted barley)との情報が入りました。

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ワイルドターキー・ダイヤモンド・アニヴァーサリーは2014年8月にジミー・ラッセルの勤続60周年を祝うために、当時アソシエイト・ディスティラーだった息子のエディ・ラッセルによって作成されました。業界で最も任期の長いマスターディスティラーであるジミー・ラッセルは正に「生ける伝説」であり、「ブッダ・オブ・バーボン」或いは「マスターディスティラーズ・マスターディスティラー」と尊敬の念を込めて呼ばれたりします。アメリカのワイルドターキー愛好家デイヴィッド・ジェニングス氏は「ロックにはエルヴィスがいる。カントリーにはハンクがいる。ソウルにはマーヴィンがいる。バーボンにはジミーがいる」と述べました。アメリカン音楽好きにはピンとくる喩えでしょう。

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(上1984年、下1967年のジミー)

1954年9月10日、ジミーは後年ワイルドターキー蒸留所と呼ばれることになるアンダーソン・カウンティ蒸留所(以前のリピー・ブラザーズ蒸留所、一年後にJTSブラウン蒸留所と改名)で働き始めました。まだ二十歳になる前のことです。当時ローレンスバーグには幾つかの蒸留所があり、ジミーのお父さんはオールド・ジョー蒸留所、おじさんはホフマン蒸留所で働いていました。そのためジミーが仕事を探していた時、蒸留所で働くことにしたのは自然な流れでした。実際、今だにジミーはアンダーソン郡の生まれた場所から1マイル以内、ワイルドターキー蒸留所から6マイル以内に住んでいると言います。後に時として「バーボンのファーストレディ」と紹介されることにもなる妻ジョレッタもジミーが働き始める前から蒸留所に勤めていました。
彼のキャリアは床掃きや品質管理から始まり、おそらく蒸留所の全ての仕事をこなしたと思われます。蒸留所の二代目マスターディスティラーである伝説のビル・ヒューズや、蒸留所の創業者ジェイムス・リピーの甥の息子で三代目マスターディスティラーのアーネスト・W・リピー・ジュニアから蒸留技術を学んだジミーは次第に頭角を表し、1967年にはJTSブラウン蒸留所のマスターディスティラーへと昇格しました。彼が働き始めた頃の蒸留所は日産80バレル程度でしたが、現在では550バレル以上になっていると言います。その躍進の全てがジミーただ一人の功績ではないでしょうが、彼はキャリアをスタートして以来普通の人間にはあり得ないほど長い年月そこにいて、何十年も精力的に働き、先代から受け継いだ昔ながらのバーボン造りを固守することで現代のバーボン世界を形作り、内外に影響を与えて来ました。

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ワイルドターキー蒸留所で製造される製品の中で最も「ジミー・ラッセルらしい」バーボンはスタンダードなワイルドターキー101(8年にしろNASにしろ)です。それは標準的であり原型であるが故に「生ける伝説」の刻印が深い。周知のようにそのブランドはジミーが蒸留所で働き始める以前の1942年に始まり、ブルックリンかどこかの経営者が産み出したのかも知れません。また、最先端の設備によるコンピューターの自動化が行われる現代にあっては、誰がどうしようと同じものが出来上がるのかも知れません。しかし、それでもジミーの技能とテイスティング能力、長年に渡るブランド定義がなければ、今に至るワイルドターキー101の成立はなかったと言っていいでしょう。
そしてジミーは伝統を頑なに守るだけの男ではありませんでした。バーボン産業は70年代半ばに大きな波を受ます。俗に言う「白物」、ウォッカやジンの隆盛です。消費者の嗜好の変化もありました。昔ながらの「伝統」は「古臭い」と同義になり、バーボンを飲むことはクールでなくなったのです(今は流行っているのでクールと認識されています)。ジミーは多くの女性がバーボンを飲まないことに気づき、彼女たちにとって魅力的な製品を作りたいと思い、1976年にワイルドターキー・リキュールと呼ばれるフレイヴァー・バーボンを実験的に開発しました。それは「レッドスタッグ」や「ファイヤーボール」に先駆けること遥か前、バーボンが流行していなかった時代にジミーが模索した新しい消費者を引き付ける方法でした。今日、その製品は2006年以降ワイルドターキー・アメリカンハニーとしてリニューアルされ、多くの人のお気に入りとなっています。また、2000年代前半には、今や当たり前になりつつあるバーボン樽以外を用いた「後熟」の魁として、ワイルドターキー・シェリー・シグネチャーも造っていました。これはスコッチに親しんだヨーロッパ市場向けに試された変種のワイルドターキーで、10年熟成のターキーをスパニッシュ・シェリー・カスクでセカンド・マチュレーションした後、バーボンにオロロソ・シェリーを加えバランスを整えたものです。当時は斬新過ぎてウケませんでしたが、今こそ再評価すべき時ではないでしょうか。
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70年代後半からバーボン全体の売り上げは目に見えて減少し始めました。80年代から90年代にかけてアメリカのバーボン需要は底辺を迎えます。そこでバーボン業界のエグゼクティブたちが採った主な戦略は二つありました。一つはバーボンのプレミアム化。もう一つは現場監督の職人に過ぎなかったマスターディスティラーを外の世界にスターとして送り出し、バーボンがいかに優れているかを一般消費者へ啓蒙することでした。こうした動きが現在のバーボン人気の礎の一部となったのは疑うことが出来ません。
前者の好例は、エンシェントエイジ蒸留所(現在のバッファロートレース蒸留所)のマスターディスティラー、エルマー・T・リーが1984年にプロデュースした最初の大衆市場向けシングルバレル・バーボンであるブラントンズと、ジムビーム蒸留所のマスターディスティラー、ブッカー・ノーが1988年にプロデュースしたスモールバッチにしてバレルプルーフ・バーボンのブッカーズです。ジミー・ラッセルも負けじと、ブラントンズに対しては1994年にワイルドターキー初のシングルバレル・バーボンとなるケンタッキー・スピリットをリリースし、象徴的な101プルーフで満たしました。それはブラントンズを意識するような非常に華やかなボトル形状で、重厚なピューター製のキャップを備え、バレル情報が手書きで書かれたネックラベルが貼られました。まるでジミーが「私」のためにバレルを特別にハンド・ピックしたかのように。 そしてブッカーズに対しては1991年に6・8・12年熟成の原酒をジミーが独自に組み合わせたバレルプルーフ・バーボンのレアブリードをリリース。何の衒いもなくノー・ギミックのそのバーボンは、かつて盟友エルマー・リーに「ピュア・ジミー・ラッセル」と評されました。これらのプレミアムなワイルドターキーはかなりの成功を収め、蒸留所のポートフォリオの定番としての地位を確立し、現在でも販売され続けています。
後者に於いても、ブッカー、エルマー、ジミーらは国内外を旅してパブリック・テイスティングを行い、彼らの目を通してバーボンのストーリーを語ることによって、今日のバーボン人気の成長を促した最初の世代でした。今、ブッカーの息子フレッドやジミーの息子エディのような次世代、またその次の世代の旗手たちは彼らが切り拓いた道を歩んでいるのです。ちなみにジミーは自分が訪れたことのある国外のお気に入りの都市の一つに、ありがたいことに日本を挙げてくれています。
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ジミーは世界中でバーボンの王者のように扱われますが、本人は至って呑気に「あんたが見たまんまの、ケンタッキー州ローレンスバーグ出身のただのおっさんじゃよ(意訳)」と言います。そうした謙虚さは本物の人間が持つ特質であり、蒸留所への訪問客を迎えるジミーの柔和な笑顔は却って揺るぎない信念の証のように思えます。ジミーなしで現在のバーボンブームはなかったと言っても過言ではありません。彼はSNSのインフルエンサーではないかもしれませんが、もっと重要な羅針盤でした。バーボンの衰退期を乗り越え、アメリカが自らのネイティヴ・スピリットを再発見する過程の全てを見て来たのです。
去る2019年9月10日には、ジミーはワイルドターキー蒸留所での驚異の65周年記念日も既に迎えました。ケンタッキー州アンダーソン郡に長年住む人なら、彼が比類のない蒸留の専門知識だけでなく、驚くべき運動能力についても知っているだろう、と伝えられています。高校でのジミーは「ラッセル・ザ・マッスル」として知られており、彼に不得意とするスポーツはなく、バスケットボールやサッカーから陸上競技に至るまで数々の記録を破り(一部は40年間残っていたそうな)、アンダーソン郡高校を勝利から勝利へと導いたのだとか。こうしたアスリートさながらの基礎体力がジミーの頑固な職人気質や長年の勤務を可能にした源なのかも知れませんね。


さて、そろそろ今回のレヴュー対象に触れましょう。ダイアモンド・アニヴァーサリーはジミーの息子エディが父親へのオマージュとして厳選した13年と16年という長期熟成を経たバレルをブレンドして造られました。
よく知られた話に、ジミーは8年熟成程度のバーボンを好み、エディは12年以上の長期熟成も好む、というのがあります。ジミーは昔ながらの風味豊かなバーボンを愛し、オリジナルのワイルドターキー・プロファイルから遠く離れることを躊躇い、こう言います。「私たちは常に新しいものを試したいと思っていますが、ほとんどの場合は古い基準に戻ります」、と。彼の基準は明瞭でした。「バーボンは6~8年ほど熟成すると有効なマチュリングをしなくなると考えます。12年を過ぎる頃には多くのキャラメルやヴァニラなどのスウィートネスを失い、オーク材の風味が支配的になります。そして、私はウッディな味わいが多いのはあまり好きではありません」。これがジミーの個人的な好みであり、彼と同世代や上の世代のバーボン・ディスティラーの基準です。それにも拘わらず、エディが長期熟成のバーボンを混ぜて父親へのトリビュート・バーボンを作成したのは、そうするに十分な理由があったに違いありません。
ジミー自身が12年以下のバーボンが好きだと公言しているので、一部を除きワイルドターキーの提供する製品はそれより若いバーボンが殆どです。もしジミー好みの6~12年のバレルを選択してダイヤモンド・アニヴァーサリーを作成してしまうと、中核製品の一つであるラッセルズ・リザーヴから遠く離れた製品にするのは難しくなるでしょう。おそらくエディはワイルドターキーの標準ラインナップとは一線を画すバーボンを提供するために、長熟バレルにターゲットを絞ったのだと思われます。その意味で、このダイヤモンド・アニヴァーサリーは他のワイルドターキー製品とは対照的です。そして…。

エディは1981年からワイルドターキー蒸留所でアシスタントとして働き始めました。つまり、既に30年以上ものキャリアを誇る訳ですが、余りにも偉大なジミーと比較してしまうと「僅か」30年であり、自虐的?に「僕はニュー・ガイだよ」と笑います。また、エディは長い間自分の名前は「No」だと思っていたとも言います。なぜなら、ジミーに何か新しい提案をする度にそう言われたからだそう(笑)。エディ流の愛情あるジョークですね。
WMJのインタビューではダイヤモンド・アニヴァーサリーについて、「特別な原酒を探し出して、ジミーに内緒でブレンドしたものです。私自身が最高と思ったのは間違いないですが、ジミーが『よし』と言ってくれなければ製品化はできませんから(笑)、正直なところとてもドキドキしました」、と語っています。
そんなエディも2015年には正式にマスターディスティラーの称号を得ました。その年から限定リリースのマスターズ・キープ・シリーズも始まり、その他の中核製品でも主導的な立場となったことでしょう。こうした流れの前年にリリースされたダイヤモンド・アニヴァーサリーは、謂わばエディ・ラッセルが初めて世に出した自分自身のバーボン。エディによると、ブレンドに使われた13年原酒はまだ12年に十分近く、ジミーがあまり動揺しないよう逃げを打って選ばれたと言います。 そして後に16年のバーボンを加えることでワイルドターキー・スパイスをもっと与え、ユニークでありながら馴染みのあるワイルドターキーの表現に仕上がった自信作だと。これを飲む我々は、ジミーだけでなくエディにも祝杯を挙げない訳にはいきません。では、心して注ぐとします。

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WILD TURKEY DIAMOND ANNIVERSARY 91 Proof
BATCH NO. B14-0035
オレンジがかったブラウン色。黒糖、濃密なヴァニラ、ダークなドライフルーツ、接着剤、ハニーピーナッツ、古い木材、土。さらさらしつつなめらかな口当たり。ミディアム・ボディ。味わいはマジックインキと爽やかなフルーティさ(特にオレンジ)が同居。余韻はチャードオークとベーキングスパイスが支配的でややビター。
Rating:87.5/100

Thought:先日まで開けていたディスティラーズ・リザーヴ13年と較べることで、ダイヤモンド・アニヴァーサリーの個性は明確になった気がします。DAはDR13よりパンチのないテクスチャーですが、余韻のスパイス感は複雑でした。香りはDR13の方が甘いのに、口蓋ではDAの方が甘く感じました。そしてDAはDR13のような薬っぽいノートはなく、全体的に古びた木材のトーンを多く感じます。
101プルーフだったらもっと美味しかっただろうとはよく言われますが、エディ・ラッセルによればダイヤモンド・アニヴァーサリーはバレルプルーフに近いとのこと。ワイルドターキー蒸留所はバレル・エントリー・プルーフを2004年にそれまでの107プルーフから110プルーフへ、続いて2006年にも115プルーフへと変更しています。その理由が、そうしておかないと主力製品であるワイルドターキー101のプルーフと生産量を確保できないからとされるところからすると、ワイルドターキーの長期熟成原酒は案外プルーフ・ダウンする樽がけっこう多いのかも知れません。個人的にも、やはり101プルーフで飲みたかったとは思いますが、91プルーフでも特別なフィーリングは少なからずあるように思えました。

Value:ワイルドターキーの特別限定リリースの物は昔からパッケージングに拘った造りの物が多いです。本品もボトルや木箱などの包装のカッコ良さは画像でも伝わると思います。問題は価格ですよね。アメリカでは約125ドルで売られ始め、日本では発売当初17500円程度する販売店もありました。正直、定価では高過ぎるとは思います。ですが、今ではオークションを利用すれば10000円以下での購入も出来る時はあるでしょう。ただし、安定してその値段ではありませんので、仮にダイヤモンド・アニヴァーサリーが15000円、ディスティラーズ・リザーヴ13年が5000円なら、迷わずディスティラーズ・リザーヴ13を三本買うことをオススメします。私にはダイヤモンド・アニヴァーサリーの方が僅かに美味しいと感じましたが、飽くまで「僅か」だからです。ディスティラーズ・リザーヴ13年は長期熟成でありダイヤモンド・アニヴァーサリーと同じプルーフなので、日本人にとっては良い代替製品となり得るのです。また、疑似分割や単ラベルあたりの12年101がオークションで12000円位で購入出来るなら、そちらを買うほうがいいでしょう。味わいの満足度は上なので。とは言えダイヤモンド・アニヴァーサリーは、8年101やレアブリードとは異なるワイルドターキーの長期熟成の世界への入り口にするなら良いと思いますし、米国では36000本のリリースとされるのでタマ数も十二分にあり、また近年流通品なので限定品としては比較的入手が容易、そして何よりジミー・ラッセルへの愛情として購入するならアリだと思います。

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メーカーズマーク・プライヴェートセレクトは、メーカーズマーク・カスクストレングスのヴァリエーションとも、メーカーズ46のアップグレード・カスタム・ヴァージョンとも言える製品です。現在、アメリカの多くの蒸留所ではプライヴェート・バレル・プログラムが実施され人気を博していますが、それらはストア・ピックやバレル・ピックとも呼ばれ、酒類販売店、バーやレストラン、或いはバーボン・ソサエティ等が蒸留所の公式リリースとは違った独自の味わいのシングルバレルを顧客に販売することを可能にします。様々な味比べが出来るこの種の試みはバーボン人気を後押しするものと言えるでしょう。メーカーズのプライヴェートセレクトもそういった試みの一つ。しかしメーカーズはシングルバレル・プログラムに関しては他の蒸留所に遅れをとっていました。なぜならメーカーズマークでは熟成中に樽のローテーションを行うため、他の蒸留所のようには熟成庫のロケーションによる味の違いが明確ではないので、単純にシングルバレルを提供するだけではちょっと面白味に欠けるから。そこでメーカーズ46で培った技法を採り入れてバイヤーへ提供することになったのがプライヴェートセレクトです(※メーカーズ46についてはこちらの過去投稿をご参照下さい)。2016年に発表されるや瞬く間に人気となり、多くの小売店が独自のボトルを販売しています。

プライヴェートセレクトのプログラムは、ビル・サミュエルズJrの息子であるロブ・サミュエルズとディレクターであるジェイン・ボウイによって実現されました。先ずはテイスティング・チームを組織すると、メーカーズマーク・カスクストレングスのフレイヴァーをマッピングし、どのフレイヴァーを強調したいのかを決め、それからインディペンデント・ステイヴ・カンパニーに行き、46のようにメーカーズマークに存在する異なったキー・フレイヴァーを増幅するステイヴ作成の協力を仰ぎました。メーカーズマーク蒸留所はメーカーズ46の開発に費やした2年間で自社製品をコントロールする方法についてはかなりの量の知識を得ています。おそらく46での経験を活かし比較的短時間で完成に漕ぎ着けたでしょう。ボウイによると、もともとは8種類の風味増強ステイヴを用意していたそうですが、フレイヴァー・プロファイルの冗長性を最小限に抑えるために、最終的にそれらを五つに戻しました。これらのステイヴは既存のフレイヴァーを増幅すると同時に新しい何かを追加することになっています。プライヴェートセレクト・バレルの購入者は、メーカーズ46に使われているものを含む5種類のステイヴを自由に10枚選択して、1,001の可能な組み合わせの中から好みのフレイヴァー・プロファイルを作成、独自に大胆な味へとカスタマイズすることが出来ます。しかし、それでもその味わいは紛れもなくメーカーズマークに他ならないのでした。

プライヴェートセレクト・バレルを購入するバイヤーは、メーカーズ46の話が説明された後、オークについて、そしてフレイヴァーが木材のどこにあるのかについてレクチャーを受けます。ステイヴに施された加熱の時間や温度に基づいて、どのフレイヴァーを放出するかの概要が示され、オークの生理学的な細胞構造と熱が加えられるとどのような化学変化が起こるのか学ぶのだそう。それが終了したらテイスティングの時間です。
参加者の目前には、ベースラインとして味わうためのスタンダードなメーカーズマーク・カスクストレングスと共に、それぞれ異なるステイヴで仕上げられた五つのサンプルが置かれます。最終製品もバレルプルーフになるので、サンプルも全てバレルプルーフです。グラスの横には「Maker's Mark Private Select」というレクチャーを纏めたような小冊子もあり、有益な情報が後からでも確認出来るのでしょう。このバレルプログラムのために特別に開発された五つのステイヴは互いに非常に異なる香りと味がするとされ、その特徴は以下のようになっています。

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P2(Baked American Pure 2の略)
ベイクド・アメリカン・ピュア2は、五つのうち唯一アメリカン・オークで造られたクラシック・カットのステイヴ。ゆっくり時間をかけて低温にてコンヴェクション・オーヴンで焼かれています。このトリートメントは甘いブラウンシュガー、ヴァニラ、キャラメルなどの甘いノートを引き出すとされ、またシナモンやクローヴなどのスパイスの風味も高め、フィニッシュにドライなオークが現れるとも言います。

Cu(Seared French Cuvéeの略)
シアード・フレンチ・キュヴェは46と同じく赤外線オーヴンで焼かれたフレンチ・オークですが、カットが異なり、ステイヴには溝が切り込まれているためクラシック・カットより22%大きい表面積を持っています。それはジュースと木材の相互作用がより多いことを意味するでしょう。また、溝があるということは、上部(表面)と下部(谷間)では同じ量の熱変換を受けないため、焦がし具合の違いから風味のブレンドが期待されています。この特別なトリートメントはバタースコッチやキャラメル、ローストナッツやバター、若干の渋みを引き出すとされます。

46(Maker's 46の略)
メーカーズ46はもはやお馴染みとなった同ブランドの製造に使用されるステイヴです。Cuと同じく赤外線オーヴンで調理されますが、こちらは更に数分間長く加熱され、溝はありません。これらの違いがCuと46の味を全く異なるものにします。Cuはスイートなのに対し46はスパイシーさを追加するよう設計されました。このトリートメントはクリーミーな感触はなく、ヴァニラやスパイス、強いオーク、ドライフルーツ、若干の苦味を引き出すとされます。

Mo(Roasted French Mochaの略)
ローステッド・フレンチ・モカは、クラシック・カットのフレンチ・オークです。P2と同じくコンヴェクション・オーヴンで調理されますが、P2のような低い温度ではなく高い温度にてトーストされます。通常、華氏500度を超える高温に曝され、クーパーの観点からすると、これはオークが燃え始める前に処理できる最高温度なのだとか。
このトリートメントはダーク・チョコレート、焙煎されたコーヒー、メープル・シロップ、重いチャー・フレイヴァーを高めるとされます。また、通常のカスクストレングスと比較してドライになるが、非常に長いフィニッシュを有し、切れ上がりの味は甘いと言います。

Sp(Toasted French Spiceの略)
トーステッド・フレンチ・スパイスは、コンヴェクション・オーブンで高温と低温の両方で調理された(*)フレンチ・オークのクラシック・カット・ステイヴ。このトリートメントは、スモーク、シナモンやナツメグ、クマリンの風味を高め、味わいはフルーティかつスパイシーで少々渋いとされます。

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バイヤーはこれら五つのサンプルを慎重に試飲して、独自のカスタム・ブレンドを作成するよう奨励されます。例えば、チョコレートの風味が目立つメーカーズを欲するならMoを多く使用するとか、焦樽感がもっと欲しくスパイシーにしたいならSpを多くを使うとか、或いはバランスよく全てのステイヴを使うのも自由自在。とは言え、ヘンテコな物が出来上がらないように?脇には担当者の方がいて、味の方向性が決まれば適切なアドヴァイスをくれるようです。
視覚的に分かり易いようにテーブルにはステイヴの記号が描かれたチップも置かれており、それを並べてどのステイヴが何枚と決めて行きます。チップは一枚につき10mlを表し、選び抜いた十枚で100mlのカスタム・ブレンドのサンプルを造ってもらいます。こうすることで最終的なプライヴェートセレクトの仕上がりと想定されるものを試すことが出来るのでした。ロブ・サミュエルズによれば「皆さんは、最終製品が実験環境で行ったのと同じような味がするかどうかを尋ねますが、それはほぼ正確」で「マウスフィールは少し異なることがあっても、風味の特性は全く同じ」だと言います。
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ステイヴの組み合わせが決まったら、次はメーカーズマークの原酒をステイヴの挿入された樽へと満たす工程です。追加される10枚のステイヴは、バーボンと接触する木材の表面積を約33%増加させるとされ、実験を通じて最適な数として決定されました。典型的なバーボン樽は概ね32のステイヴで構成されていますが、プライヴェートセレクトの追加ステイヴはバレル・ステイヴよりは短くとも両面がトーストされているため、ジムビームの「ダブルオーク(トゥワイス・バレルド)」やウッドフォード・リザーヴの「ダブル・オークド」のような新樽で二度熟成させる製品と同じ位の効果があるのかも知れません。約6年ほど熟成した原酒でいっぱいに満たされた樽は、メーカーズ46の需要増への対応とプライヴェートセレクトのバレルを熟成させるために特別に設計されたライムストーン・セラーで、およそ9週間ほど眠りにつきます。そして熟成が終わると、通常のカスクストレングスと同じように、主にバレルのチャー残渣を除去する軽い濾過を経てボトリングされ完成です。言うまでもなく、カスクストレングスでのボトリングなので樽ごとに違いが出ますが、概ね55%前後のABVになります。各バレルは750mlのボトルをおよそ240本ほど産出し、同社は一本あたり約70ドルでの小売価格を提案。プライヴェートセレクト・バレルの費用は約13000ドルだとか。

蒸留所では自らのプライヴェートセレクトのボトリングもしています。代表的なそれは「Bill Samuels Jr.」と呼ばれ、メーカーズ46を産み出した当の本人でありメーカーズマークの前社長にちなんで名付けられました。故にそのシグネチャー・フレイヴァーを増幅するためステイヴのセレクトは46を10枚使用しています。つまりメーカーズ46のカスクストレングス・ヴァージョンという訳です。
また、メーカーズのウッド・フィニッシュ・シリーズはプライヴェートセレクト・プログラムだけに留まりません。2018年には「Maker's Seared Bu 1-3」というより実験的な「第二世代」のステイヴを使った製品が蒸留所限定で販売されました。これは375mlボトルで約40ドル、僅か1400本だけの提供です。そのステイヴは「virgin seared & Sous-Vide French oak」だと言います。「Sous-Vide(スゥヴィド)」はフランス語で「真空」の意。近年、料理の世界で真空調理法というのが注目されているようですが、木材を真空調理?って一体どんなことをしているのか、私には想像も付きません。実験の結果、このステイヴは美味しいバーボンを産み出したものの、プライヴェートセレクト・プログラムの他のステイヴを完全には補完しないため、蒸留所はこれを生産するプランはないけれど、メーカーズのDNAから生まれた愛するウィスキーを共有したいと考えて販売したそうです。
2019年9月からは、メーカーズマーク初となるアメリカ国内で全国配給される限定リリースのウッド・フィニッシング・シリーズが発売され始めました。第一段は「ステイヴ・プロファイル RC6」となっています。RCは「Research Center」の略で、そこの6番目のステイヴという意味です。リサーチ・センターというのは、メーカーズと共同して木材の実験を執り行うインディペンデント・ステイヴ・カンパニーの研究機関?か何かだと思います。RC6は屋外で一年半ほど乾燥させたアメリカン・オークをコンヴェクション・オーヴンでトーストしたステイヴで、主にスタンダードなメーカーズマークに存在するフルーツを引き立て、ベーキングスパイスやクラシックな甘さを向上させ、ブライトなフィニッシュになるそうな。正確なカウントではないらしいですが、だいたい255樽のスモール・クオンティティでの生産だそうです。おそらくこのシリーズは今後も、ワイルドターキーのマスターズキープのように年次リリースされて行くのでしょう。小売価格は約60ドルです。
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では、そろそろ今回レヴューするプライヴェートセレクトの出番です。こちらは「うきうきワインの玉手箱」という酒販店のセレクト。「玉手箱」という響きが気に入って買ってみました。スパイシーさを強調したセレクトになっているようです。

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Maker's Mark Private Select Stave Selection by Tamatebako 111.3 Proof
46 × 2
Mo × 4
Sp × 4
香ばしい焦げ樽、オールスパイス、タバコ、ドライクランベリー、レーズン、焦がし砂糖→プリンのカラメルソースの濃ゆいやつ、コーヒー、タバコ。焦樽の香りに僅かに酸っぱい香りが混じる。ややオイリーなマウスフィール、もしくはミルキー。パレートはメーカーズらしい酸味が感じられる。飲み込んだあとのスパイシーさはかなり強め。余韻には昆布も。テイスティング・グラスよりショット・グラスで飲むほうが美味しかった。
Rating:86.25/100

Thought:通常の46やカスクストレングスと較べて、よりねっとりとした舌触りであり、フレイヴァーが濃密な印象で、取り立ててオーヴァーオークな感じもせず、香ばしさが引き立てられていると思いました。パレートで感じる香味は確実に複雑ですが、反面、全体的にドライな傾向も強いのが個人的にはマイナス。口蓋で感じる強いスパイシーさや、余韻の苦味が退けた後にほんのり甘さが現れるあたりが、「大人な」メーカーズマークを目指したであろう本品の良さと言えます。ただ、もう少し分かりやすい甘味が余韻にあるほうが自分には好みなので、この評価でした。

Value:プライヴェートセレクトと言うか、ウッド・フィニッシュ・シリーズは、メーカーズ原酒の持つフレイヴァーをアンプリファイドした製品なので、例えば通常のカスクストレングスが6500円、プライヴートセレクトが7500円とすると、1000円が増幅代(手間賃)な訳です。ここに価値を見出だすかどうかが評価の分かれ道だと思います。もっと言うと、実際に飲んでみるまで通常のカスクストレングスより美味しいのか美味しくないのかが判らないギャンブル要素があるのに、少しだけ高い値段となるのがポイントなのです。1000円のギャンブルを安いと思うか高いと思うかはその人次第。結局のところ自分で飲むしか購入価値の判断が出来ないことがプライヴェートセレクトの欠点でもあり面白味でもあるでしょう。とは言え、概ね美味しくはなっていると思いますし、また幾つかのプライヴェートセレクトを飲んでみてステイヴ・セレクションが自分の好みに合ったリカー・ストアを見つけてしまえば、1000~1500円程度でのアップグレードは安いと言わざるを得ない「大きな価値」になります。


*一部の情報では、このステイヴのみ二つのトリートメントを組み合わせており、最初に高温の赤外線オーヴンで焼き、そして次にコンヴェクション・オーヴンへ移して低い温度で調理される、と説明されていました。真偽が判らなかったので、ここではメーカーズの公式ホームページでの説明がコンヴェクション・オーヴンの高温と低温とされていたため、そちらの説を採用しています。

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今夜は年末年始に向けてロカビリーやロックンロールな映画を集めてみました。どれも自分がティーンの時に影響を受け、今だに大好きな映画たち。

若きチカーノロッカーを完璧な青春映画として描いた「ラ・バンバ」、デニス・クエイドのキレた演技もさることながらウィノナ・ライダーが可愛すぎる「グレート・ボール・オブ・ファイヤー」、ジョニー・デップ他出演者みなが濃ゆいロカビリー版ミュージカル「クライ・ベイビー」、まだ有名になる前のブラッド・ピッドのリーゼントとファッションだけでノックアウトの「ジョニー・スエード」、お揃いのジャケットに憧れる「ザ・ワンダラーズ」、レザーとモーターサイクルが野郎を魅了する「ラブレス」、どれもカッコよくてクラクラしちゃいます。







これらに合わせるバーボンはもちろんレベルイェール。そもそもは、かの有名なスティッツェル=ウェラー蒸留所が南部限定でリリースしていた小麦バーボンで、現在はラクスコ(旧デイヴィド・シャーマン社)が販売しています。昔の物はラベルに南軍の兵士が刀を片手に馬を疾駆する姿が描かれていましたし、「ディープ・サウス専用」なんて文言も書かれていました。またロカビリアンのアイコンとも言えるレベル・フラッグがフィーチャーされた海外向けのラベルの物まであり、サザーン・カルチャーという共通項からロカビリーや初期ロックンロールとは相性がいいのです。
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そしてレベルイェールというブランド名ですが、日本ではよく「反逆の叫び」と訳されてるのを見かけます。別に間違いではないですし、それがロックなイメージを加速させるの役立っているのですが、実際には上に述べたラベルの件で分かるように、ここでの「レベル(Rebel)」は北軍に「反逆・反抗」した者の意となり、「イェール(Yell)」は日本語で「エールを送る」と言う時のエールと同じ英語の「怒鳴る・喚く・気合いを入れる掛け声」などを意味する言葉で、南北戦争における南軍の兵士が戦闘の時にあげる甲高い遠吠えのようなものを「レベル・イェール」と言います。だから日本語なら「南軍の雄叫び」とでも言うと分りやすいですかね。狼や犬の遠吠えを思わせる奇声で、多人数でやるとけっこう耳障り。

(元南部軍人によるレベル・イェールの再現)

レベルイェールと聞いてこの音声が頭に再生されるようになれば立派な南部愛好家バーボン飲みです。とは言え、現在のラベルは南部色は完全に払拭され、ただ名前にその名残があるのみ。それ故にレベルイェール本来の意味が忘れ去られ、「反逆の叫び」という一般化がなされてしまったのも仕方のないことかも知れません。ある時にレベルイェールを所有していた会社が全国展開を決定したことで、そういう方針になったのです(RYの歴史は別の機会に紹介します)。ロカビリー好きとしては残念ですが、時代の流れもありますし、販売戦略として南部色の撤廃は間違ってはいないでしょう。ただし、ロックに話を限るのではなく過去に戦争の歴史があったことや、オールド・サウスへの郷愁や南部人の心意気を喚起するラベルだったことは忘れたくないところです。ちなみに日本では「レベルイエール」とか、私も「レベルイェール」と綴ってますが、実際の英語発音に合わせるなら「レベルイェル」とした方が近いです。

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また、このバーボンはローリング・ストーンズのキース・リチャーズが愛飲したバーボンとして知られています。確かにキースがレベルイェールを手に持つ写真が残されているものの、どう考えても飲んだ量からしたらジャックダニエルズのほうが多い気がしません? キースはジャックダニエルズとレベルイェールのどちらが好みだったんでしょう? キースに詳しい方がいたら教えて頂きたいです。
そして更にはキース経由らしいですが、レベルイェールはビリー・アイドルのソング・タイトルにもなっています。ビリー本人が語るところによると、彼は或るイベントに出席した時、ミック・ジャガー、キース・リチャーズ、ロン・ウッドらのローリングストーンズの面々が、レベルイェールと云うバーボンウィスキーをボトルからがぶ飲みしてるのを見て、よく知らないブランドだったけれど、その名前が妙に気に入って「Rebel Yell」の曲を書くことにしたのだとか。


そんな訳でとにかくロックな酒として語られるバーボンですが、どちらかというとソフトな傾向とされる小麦バーボンであり、味わい的には荒々しい闘鶏がモチーフのファイティングコックでもラッパ飲みしてくれたほうがよっぽどロックじゃないかなという気がします(笑)。まあ、完全に個人的偏見ですけれど…。

さて、今回レヴューするレベルイェール・スモールバッチ・リザーヴは、2008年から導入されていた「レベル・リザーヴ」の後継として、2015年にパッケージと名前をリニューアルして発売された製品です。
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近年、ラクスコはレベルイェールを大きなブランドへ成長させる努力をしているように見えます。それは大幅なラインナップの拡大や、僅か数年でパッケージをマイナーチェンジする施策に見て取れました。製品の種類が増えるのは構わないのですが、ラベルのデザインをコロコロ変えるのは個人的には好ましいと感じません。何か腰の座ってないブランドとの印象を持ってしまいます。このスモールバッチ・リザーヴにしても、現在終売なのかどうかもよく判らないのです。2019年の4月にも新デザインとなり、それに合わせて100プルーフのヴァージョンが登場しました。もしかすると、そちらがスモールバッチ・リザーヴの後継なのかも知れませんね。
全てではないですが、一応ざっくりここ数年のレベルイェールを紹介しておくと、先ずエントリークラスのスタンダードの他、ハイプルーフ版となるスモールバッチ・リザーヴ、スモールバッチ・ライ(MGPソース)、ハニーとチェリーのフレイヴァーの物、バーボンとライのブレンドであるアメリカンウィスキー、10年熟成のシングルバレル等がありました。下画像の上段が旧ラベル、下段がリニューアル後のラベルです(シングルバレルは別枠)。
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話をスモールバッチ・リザーヴに戻しましょう。長い間NDPだったラクスコは、2018年4月に自社のラックス・ロウ蒸留所を完成させましたが、それまではヘヴンヒルから原酒を調達していた(販売数の確保のため今でも調達してると思われます)ので、この製品の中身はヘヴンヒルのバーンハイム蒸留所で造られた小麦レシピのバーボンです。つまり、元ネタとしてはヘヴンヒルのオールドフィッツジェラルドやラーセニーと同じな訳です。マッシュビルは68%コーン/20%ウィート/12%モルテッドバーリー、樽の焦がし具合は#3チャーとされ、熟成年数はNASですがスタンダードなレベルイェールの4年よりも少し熟成年数が長いのではないかと考えられています。では、そろそろレベルイェール・スモールバッチ・リザーヴを注ぐとしましょう。

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推定2017年前後ボトリング。グレイン、ウッド、少ないキャラメル、チェリー、ペッパー、微かなシナモン。かなりサイレントなアロマ。香りから想像するよりは濃い味。水っぽい口当たり。余韻はあっさり短く、地味なスパイス感と辛み。パレートがハイライト。
Rating:80/100

Thought:典型的なバーボンの香りはしますが、正直言って物足りない味わいでした。スタンダードより2年程度熟成年数が長いのではないかと予想していたのですが、どうかなあ、もっと若そうな…。もしくは、かなり質の低い樽から引き出されたと言うか、適切な熟成がなされていない小麦バーボンのような気がします。これを飲んだ個人的感想としては、若い小麦バーボンを飲むならコーン比率の高い普通のバーボンを飲むほうが甘さを感じられて美味しいと思ってしまいました。

Value:レベルイェール・スモールバッチ・リザーヴは、スモールバッチを名乗るとは言え、アメリカでの小売価格は25ドル前後だったので、所謂「ボトムシェルフ」バーボンです。そう割りきれば味のマイナス点は気にならないでしょう。つまり「スモールバッチ」と言う言葉から過度な期待をしなければ十分美味しいのです。しかし、日本での販売価格は概ね3000円代。それなら個人的には、同じ小麦バーボン縛りで言えばメーカーズマークの方が余韻に宜しくない辛さを感じないのでオススメです。よっぽどレベルイェールの名前やロックなイメージが気に入っているのならば話は別ですが…。

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ケンタッキー・ヴィンテージはウィレット蒸留所(KBD)が現在リリースしているスモールバッチ・ブティック・バーボン・コレクションの四つのうちの一つです。そのうち最も安価なブランドで、その他のラインナップはピュア・ケンタッキーXO、ローワンズ・クリーク、ノアーズ・ミルとなっています。このコレクションの成立は、おそらく90年代後半ではないかと思いますが、ケンタッキー・ヴィンテージだけもう少し前から一部の国へ向けてボトリングされていました。その頃の物は、現在のような茶色系のラベルではなく、白地に青と赤のトリコロールが印象的なカラーリングでした。ケンタッキー・ヴィンテージの起源は明確ではないのですが、私の知っている限り最も古いのは、ラベルに艶のない「15年101プルーフ」です。これは80年代後半あたりに当時のKBD(プレミアム・ブランズLTD)の社長エヴァン・クルスヴィーンが日本向けに発売した一連のプレミアムな長期熟成原酒の一つかと思われます。多分その後に艶のあるラベルの「12年101プルーフ」と「13年94プルーフ」が90年代初頭に発売されたと推測しています。
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レギュラー製品としてケンタッキー・ヴィンテージが発売された後にも、2000年には、上記と同じ艶のある白青赤ラベルで、ネック部分には熟成年数の替わりに蒸留年ヴィンテージが示されつつ蒸留日とボトリングの日付を手書きで記したシールが貼られ、ブルゴーニュ・スタイルのワインボトルにブルーのワックスで封された「1974」が日本限定で発売されました。またその他に発売年代が判別できませんが、おそらくヨーロッパ向けと思われる薄紫色のバッグ付きの「1973」と「1974」というヴィンテージ表記の物もありました。両者ともにワイン・タイプではないボトルですし、デザイン的に90年代初頭ぽい気が…。ここら辺までの初期ケンタッキー・ヴィンテージに精通している方は是非ともコメントより情報提供お願いします。
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ケンタッキー・ヴィンテージのそもそもの製品コンセプトは、その名前からしてケンタッキーに長い間眠っていた長期熟成原酒をボトリングすることだったのだと思います。初期の物や限定リリースの物こそその名に相応しいとは思いますが、どういう訳かスモールバッチ・コレクションに再編されました。ウィレットのスモールバッチのバッチ・サイズはせいぜい12バレル程度とされ、選択を18〜20バレルから始めて絞り込むのだとか。そして初期の物と違いレギュラーのケンタッキー・ヴィンテージはNASです。熟成年数に関しては、2011年頃の情報では5〜10年、もう少し前の情報だと6年~12年とされていました。こうした極端に少ないバレル数のバッチングであること、NASであることを考え合わせると、バッチ毎の味の変動が大きい可能性はあるでしょう。バッチ毎は言い過ぎとしても、需要と供給の変化により選択する樽の構成を調整し易いのがNASの利点ですから、少なくとも生産年度に数年の違いがあれば、味わいの変動は十分考えられます。ちょっと明確な時期が判らないのですが、コレクションに編入された時から2000年代半ば(もしくは後半?)までは、色の付いた首の長い独特な瓶にボトリングされていました。その後の物も首は長めですが、もう少し一般的な形の透明の瓶に切り替わります。こうした外見の変化、パッケージのリニューアルは中身の大幅な違いをも表しているかも知れません。
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元ウィレット蒸留所のKBDことケンタッキー・バーボン・ディスティラーズ社は、80年代初頭に訳あって蒸留を停止してから長きに渡ってボトラーとして活動して来ました。そのため原酒を他所から調達しており、その殆どはヘヴンヒル蒸留所からと目されています。それが変わったのは2012年。長年の自社蒸留復活の夢が遂に叶い、蒸留を再開したのです。そして、それから数年を経て、自社蒸留原酒をボトリングし始めた、と。そこで新しいケンタッキー・ヴィンテージの登場です。
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(写真提供K氏)
画像で判る通り、ボトル形状が少し変わりました。新しい物は首が少し短くなり、肩周辺がより丸みを帯びたシェイプになっています。おそらく2017年もしくは2016年のバッチあたりから新しい物に切り替わっているのではないかと推察していますが、皆さんのお手持ちのバッチ情報があったらコメントよりお知らせ下さい。

さて、今回は私の手持ちの推定2017年ボトリングのケンタッキー・ヴィンテージをレヴューするのですが、親愛なるバーボン仲間でありウィレット信者のK氏から二種のサンプルを頂きまして、そのお陰でサイド・バイ・サイドによるちょっとした比較が可能になりました。男気溢れるK氏には掲載画像の件も含め、改めてこの場でお礼を言わせてもらいます。ありがとうございました。
で、その二種のサンプルは、一つが推定2018年ボトリングのもの。これにより半年~一年差のバッチ違いの比較が出来ると想定しています。もう一つは推定2010年ボトリングのもの。こちらでは原酒の違いを比較できるかと思います。では、飲み比べてみましょう。

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Kentucky Vintage 90 Proof
BATCH QBC No. 17-62
推定2017年ボトリング。蜂蜜、熟したプラム、トーストブレッド、チャードオーク、グレープ、コーン、パイナップル、梅干。さらりとした口当たり。パレートはモルティな風味とフレッシュフルーツ。余韻は豊かな穀物と穏やかなスパイスが割りと長く続く。
Rating:87/100

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Kentucky Vintage 90 Proof
BATCH QBC No. 18-10
推定2018年ボトリング。バッチ17-62とほぼ同様なフレイヴァー・プロファイル。強いて言うならポップコーンぽさが強いのと、オークのバランスがやや違うような気もするが、それは酸化の進行状況の違いかも知れず、概ね同じものと見做していいと思う。
Rating:87/100

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Kentucky Vintage 90 Proof
BATCH QBC No. 10-174
推定2010年ボトリング。上記2つより色は濃いめ。金属、薄いキャラメル、木材、コーンブレッド、ホワイトペッパー、クローヴ。ちょっとメタリックな匂い。味はビター感が強めで甘さが足りない。余韻はスパイシーでさっぱり切れ上がる。
Rating:81.5/100

Thought:現行のケンタッキー・ヴィンテージは、渋いラベルからは想像もつかないデリケートなフルーティさに満ち、なんと言うか原酒本来の穀物感が活きたバーボンだと思いました。現在のウィレット蒸留所には6種類のマッシュビルがあるとされ、その内訳は、

①クラシック・バーボン・レシピ
(72% Corn / 13% Rye / 15% Malted barley)
②ロウ・ライ・バーボン・レシピ
(79% Corn / 7% Rye / 14% Malted barley)
③ハイ・ライ・バーボン・レシピ
(52% Corn / 38% Rye / 10% Malted barley)
④ウィーテッド・バーボン・レシピ
(65% Corn / 20% Wheat / 15% Malted barley)
⑤ハイ・コーン・ライウィスキー・レシピ
(51% Rye / 34% Corn / 15% Malted barley)
⑥ロウ・コーン・ライウィスキー・レシピ
(74% Rye / 11% Corn / 15% Malted barley)

と、なっているようです。一瞥して気付くのはモルテッドバーリーの配合率の高さですよね。これはもしかすると商業用酵素剤を使用していないのかも。それは偖て措き、ケンタッキー・ヴィンテージです。KVのマッシュビルは公表されていませんが、個人的には③一種もしくは少なくとも③を中心としたブレンドではないかと感じました。飲んだことのある皆さんはどう感じたでしょうか? どしどしコメントをお寄せ下さい。
一方のヘヴンヒル原酒と目されるバッチ10-174は、フレイヴァー・プロファイルが全く異なります。異なるだけでなく、ウィレット原酒とは正直言ってレヴェルが違うと思いました。私の好みにウィレットの方が合っていたとは言えますが、そもそもアロマの強さと余韻の広がりが段違いなのです。それとバッチ17と18を飲み比べた結果、ここまで似ているのなら、今後も安定してこの味でリリースされると予想されるでしょう。ウィレット蒸留所に拍手を、 そしてブレンダーの腕に乾杯を。

Value:ケンタッキー・ヴィンテージの現行製品の日本での販売価格はだいたい3500円前後が相場でしょうか。その価格帯の製品としては、ハイエンド感を演出するワックス・スタンプとワックス・シールドが施された外見はとても魅力的です(ただし、スクリュー・キャップとラベルの質感は安っぽい)。そして外見に劣らず中身がこれまた素晴らしいときたらオススメでない訳がありません。個人的な印象としては、焦樽感で押し通すタイプのバーボンではないので、普段スコッチやジャパニーズウィスキーを飲まれる方にも好まれるのではないかと思います。そして何より、現行製品は旧来のヘヴンヒル原酒の物とあまりにも違いがありますので、昔飲んで印象に残らなかったという方には是非とも再チャレンジして頂きたい銘柄です。


追記:ウィレット蒸留所と縁の深いバーGのマスターより情報頂けました。最近の物はマスターブレンダーJ.O.氏による21樽のバッチングだそうです。
またマッシュビルは①との情報が入りました。

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