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(画像提供Y.O.氏)

オールド・リップ・ヴァン・ウィンクル・オールド・タイム・ライは、その名の通りオールド・リップ・ヴァン・ウィンクル・ブランドのライ・ウィスキーな訳ですが、現在も販売されているヴァン・ウィンクル・ファミリー・リザーヴ・ライの前身と見做していいかも知れません。オールド・リップ・ヴァン・ウィンクル15年のバーボンが2004年にパピー・ヴァン・ウィンクル・ファミリー・リザーヴ15年に置き換えられたのに似ています。なので、ここではヴァン・ウィンクル・ファミリー・リザーヴ・ライの今日までの足跡を辿ってみましょう。

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(Old Rip Van Winkle Distilleryの公式ウェブサイトより。彼らの全ラインナップ)
オールド・リップ・ヴァン・ウィンクル・ディスティラリー(ORVWD)のラインナップ中、ヴァン・ウィンクル・ファミリー・リザーヴ・ライは唯一のライ・ウィスキーなので「ライのパピー」なんて呼ばれることもあったりします。オールド・リップやらパピー・ヴァン・ウィンクルと言うと、高名なスティッツェル=ウェラーと結び付けられることも多いのですが、スティッツェル=ウェラー蒸溜所ではライ・ウィスキーを蒸溜していませんでした。そしてORVWDは、実際の蒸溜所を表すのではなく単に蒸溜事業会社の名前であり、彼らは所謂NDPなので、そのライはヴァン・ウィンクル家が蒸溜したものでもありません。ヴァン・ウィンクルのライは90年代半ば過ぎから後半頃、オーウェンズボロのメドリー蒸溜所が84年か85年に蒸溜したウィスキーを単一のソースとしてスタートしました。おそらくメドリーは何処かのボトラーの依頼でその時ライを蒸溜したと思われますが、それらは何らかの理由で売れ残り、後にユナイテッド・ディスティラーズがメドリーの資産を獲得すると、彼らは不要と判断した蒸溜所やブランド、そしてバレルを売りに出したので、それをジュリアン・ヴァン・ウィンクル3世が購入したのでしょう。この頃の彼はローレンスバーグのオールド・コモンウェルス蒸溜所でウィスキーをボトリングしています。メドリー・ライのマッシュビルは、一説には51%ライ、38%コーン、11%モルテッド・バーリーとされているのを見かけました。真偽の程は定かではありませんが、真実から遠く離れてはいなそうな気がします。このメドリーのウィスキーは、完全なシングルバレルではなかったようですが、時々は一度に1バレルしかボトリングしないこともあったとジュリアン自身が語っていました。
初めにリリースされたのはネック・ラベルがゴールドのオールド・タイム・ライでした。ボトルの肩に熟成年数を示すシールがなく、ラベルに「12 SUMMERS OLD」と記載され、おそらく96年ボトリングと推定されます(トップ画像の物)。これにはボトル・ナンバーはありますが、ロットを示すレターがありませんでした。続いて翌年からネック・ラベルがブラックのオールド・タイム・ライが発売され、こちらにはロットのレターが付き、Cレターの物も確認出来ることから、多分、数年間は販売されたかと思われます。ゴールド・ネックは実際に12年熟成のようですが、ブラック・ネックは12~15年熟成の可能性があるようです。オールド・タイム・ライはどれも90プルーフでボトリングされました。
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1998年、同じソースからヴァン・ウィンクル・ファミリー・リザーヴ・ライ13年として背の高い「コニャック」ボトルにボトリングされた物が日本に輸出されます。同じ頃、ハーシュ・セレクション名義でプライス・インポーツのためにも同じライがボトリングされました。1999年にはヴァン・ウィンクル・ファミリー・リザーヴ・ライ13年がアメリカの市場でも発売されます。13年熟成のファミリー・リザーヴ・ライは、更に5年間バレルの中で熟成を続けたにも拘わらず、同じ熟成年数表記で毎年リリースされました。聞くところによると、ファミリー・リザーヴ・ライの最初の方のリリースには、全ての物ではないと思われますが、ボトルの首に付いたハングタグ(ブックレット)に実物のライ・グレインが入った小さな包みが付属していたそうです。当時は今と違ってまだライ・ウィスキーの低迷期でしたから、ライに馴染みがない人々へ穀物そのものを紹介するマーケティングだったのでしょう。
一見すると普通のヴァン・ウィンクル・ファミリー・リザーヴ・ライ13年かと思ってしまいそうな、「1985」とヴィンテージがラベルに表示された特別なファミリー・リザーヴ・ライが2000年前後あたり(一説には2001年)にヨーロッパ市場へ向けてボトリングされました。このウィスキーの実際の熟成年数は15年と見られ、唯一の100プルーフでのボトリングであり、唯一「チルフィルタードではない」とラベルに記述のある物でした。アメリカでは一般的ではなかったアンチルフィルタードは、マニア層の多いヨーロッパでは望まれており、ジュリアン自身もウィスキーの冷却濾過は風味の一部を取り除くと確信していたので実験的に試してみようと思った、と語っています。冷やすと曇りが出るが、それは風味の問題ではなく飽くまでも外観上の問題であり、そのことはヨーロッパでは問題にならない、と。このライは彼によると「私のフランスの顧客の要望で提供された」そうですが、イタリアの勘違いではないかと云う指摘もあります。それは兎も角、この希少でコレクター垂涎のボトルをジュリアン自ら「私たちが世に送り出したライの中で最高のものだった」と言ったらしい。
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2001年1月にはハーシュ・セレクションの2回目(最終)のボトリングが行われました。実際の熟成年数は16年か17年でした。2002年にバッファロー・トレース蒸溜所との提携を果たしたジュリアン・ヴァン・ウィンクル3世は、ボトリングをローレンスバーグから同蒸溜所のあるフランクフォートに移します。
前述のように、ヴァン・ウィンクル・ファミリー・リザーヴ・ライは初めてボトリングされた時は13年でしたが、ボトリングされた年によって実際には13~18年熟成していました。このウィスキーが19年熟成となった時、これ以上熟成を進めるべきではないと判断され、2004年にバレルから取り出されてステンレス・スティール・タンクに貯蔵されます。その際に旧バーンハイム蒸溜所(もしくはジョージ・T・スタッグ蒸溜所)のクリーム・オブ・ケンタッキー・ライとブレンドされました。クリーム・オブ・ケンタッキーについては過去に投稿したこちらの記事を参照下さい。一説にはその比率は50/50とされています。このため、2004年から2016年までのファミリー・リザーヴ・ライの実際の熟成年数は19年でした。このブレンド処置はおそらくジュリアン3世の10年以上先を見据えた長期的な計画でした。ライが不人気な時分にライを購入し、もう一生分のライを持っていると思っていた彼でしたが、思いの外ファミリー・リザーヴ・ライは売れたのでしょう。その原酒がいつか枯渇するのは分かり切ったことなので、それを見越してバッファロー・トレースのライが彼のウィスキーに見合う熟成年数になるまでの間、年間290ケースしか製造しないようにキープして、10数年間ライをリリースし続ける計算があったと思われます。ところで、2012年にバッファロー・トレース蒸溜所のライがブレンドに加えられたという噂があり、真実かどうかは不明ですが、広く信じられているようです。兎も角、このブレンドが2016年に遂に底を突くと、2017年の一旦休止を経て、バッファロー・トレースで蒸溜された新しいバッチが2018年に初めてボトリングされました。以降、100%バッファロー・トレースのライとなって現在に至っています。
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(Old Rip Van Winkle Distilleryの公式ウェブサイトより)

こうしたなかなかに複雑な経緯を辿ったヴァン・ウィンクル・ファミリー・リザーヴ・ライのボトルの中身の原酒を把握するには、ボトリング年を特定することが重要になるのでざっと説明しておきます。ボトリング年はボトル・ナンバーの前に付くレターで主に判断します。各ラベルの上部には手書きのボトル・ナンバーがあり、通常はその前にアルファベットが書かれています。日本市場でのみ販売された最初のボトルにはレターがありませんでした。それに次いでアメリカ市場にてリリースされた1999年のボトリングから「A」が付きました。その後は順次「B…C…D…」と年毎にアルファベットが続いて行きます。2007年の「I」まで来ると、何故かそれは一旦終わり、2008年後半から再びレターは「A」から始まりました。しかし、新しい「A」と「B」は2年連続しています。その後は2015年の「F」まで年毎にアルファベットが進んで行き、2016年のボトリングで急に「Z」が現れます。これはタンクに貯蔵されたメドリーとクリーム・オブ・ケンタッキーのブレンドが終了したことを示すものでした。レターが被っている新旧の「A〜F」に関しては、2002年途中までの旧い物はボトリングされた地がローレンスバーグと記載されているので判り易いですが、所在地表記もフランクフォートで被っている物はボトルに刻まれたレーザー・コードで判断するのが最善とされます。バッファロー・トレースのボトリング・ラインは、2007年からボトルにドット・マトリックス・コードを使用し始めたとされているので、新しいレターの物にしかデイト・コードがない筈です。そして、2018年からまた「A」に戻るのですが、この時の物は数字の前ではなく、何故か数字の後ろにレターが来ます。で、これ以降はボトル・ナンバーを記載する欄すらないラベル・デザインに変更になりました。
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下にネットで確認出来たヴァン・ウィンクルのライ・ウィスキーをリストしておくので参考にして下さい。これは噂に基づいた部分も含むので、確定的な情報でないことを念頭に置いて見て頂けたらと。左からブランド名、発売年、レター・コードやロット番号など、ラベルの熟成年数(実際の熟成期間)、プルーフ、推定ソース、所在地表記、ボトル形状/ガラスの色/フォイルやワックスの色、特記事項となっています。ボトリング年か発売年順に並べたかったのですが、細かくは判らないため多少前後するかも知れません(特に2000年前後の物は)。また、ここにはジュリアンがボトリングしたと思われる初期のVOSNのライは含めていません。


VAN WINKLE'S RYE WHISKEY LIST

OLD RIP VAN WINKLE OLD TIME RYE|1996|No Letter(only number)|12 Summers Old|90 Proof|Medley|Lawrenceburg|Squat Bottle|Gold neck label.

OLD RIP VAN WINKLE OLD TIME RYE|1997|A|Aged 12 Years|90 Proof|Medley|Lawrenceburg|Squat Bottle|Black neck label.

HIRSCH SELECTION RYE|1998|Lot 97-1|13 Years Old|95.6 Proof|Medley|Lawrenceburg|Cognac Bottle, Green Glass, Black Wax|Bottling for Preiss Imports. This first lot would have been the same as a non-lettered VWFRR.

VAN WINKLE FAMILY RESERVE RYE|1998|No Letter(only number)|13|95.6 Proof|Medley|Lawrenceburg|Cognac Bottle, Green Glass, Red Foil|Japan only

LOTTAS HOME Papa's Private Family Reserve|1998|1207|13|95.6 Proof|Medley|Lawrenceburg|Cognac Bottle, Green Glass, Red Foil|A special bottling one for a German importer whose daughter was named Lotta, and sent out as her wedding invitation, aprx 60 bottles made.

VAN WINKLE FAMILY RESERVE RYE|1999|A|13(14)|95.6 Proof|Medley|Lawrenceburg|Cognac Bottle, Green Glass, Red Foil|First US Release

VAN WINKLE FAMILY RESERVE RYE "1985"|Circa 2000|A|--(15)|100 Proof|Medley|Lawrenceburg|Cognac Bottle, Green Glass?, Black Foil|Unchillfiltered

VAN WINKLE FAMILY RESERVE RYE|2000|B|13(15)|95.6 Proof|Medley|Lawrenceburg|Cognac Bottle, Green Glass, Red Foil

RED TOP RYE|2001|----|15 YEARS OLD|95.6 Proof|?|Lawrenceburg|Cognac Bottle, ?, ?|Homage to the Westheimer Family.

OLD RIP VAN WINKLE OLD TIME RYE|Circa 2000|C|Aged 12 Years(15〜16)|90 Proof|Medley|Lawrenceburg|Squat Bottle|Black neck label.

HIRSCH SELECTION RYE|2001|Lot 00-1|13(16)|95.6 Proof|Medley|Lawrenceburg|Cognac Bottle, Green Glass, Black Wax|For Preiss Imports. This is considered the same as the C-lettered VWFRR.

VAN WINKLE FAMILY RESERVE RYE|2001|C|13(16)|95.6 Proof|Medley|Lawrenceburg|Cognac Bottle, Clear Glass, Red Foil

VAN WINKLE FAMILY RESERVE RYE|2002|D|13(17)|95.6 Proof|Medley|Lawrenceburg, Frankfort|Cognac Bottle, Clear Glass, Red Foil|Bottling moved from Lawrenceburg to Frankfort this year.

VAN WINKLE FAMILY RESERVE RYE|2003|E|13(18)|95.6 Proof|Medley|Frankfort|Cognac Bottle, Clear Glass, Red Foil

VAN WINKLE FAMILY RESERVE RYE|2004|F|13(Med19/CoK19?)|95.6 Proof|Mix of CoK and Medley|Frankfort|Cognac Bottle, Clear Glass, Red Foil|Moved into stainless steel tanks, Cream of Kentucky blended with Medley.

VAN WINKLE FAMILY RESERVE RYE|2005|G|13(Med19/CoK19?)|95.6 Proof|Mix of CoK and Medley|Frankfort|Cognac Bottle, Clear Glass, Red Foil

VAN WINKLE FAMILY RESERVE RYE|2006|H|13(Med19/CoK19?)|95.6 Proof|Mix of CoK and Medley|Frankfort|Cognac Bottle, Clear Glass, Red Foil

VAN WINKLE FAMILY RESERVE RYE|2007|I|13(Med19/CoK19?)|95.6 Proof|Mix of CoK and Medley|Frankfort|Cognac Bottle, Clear Glass, Red Foil

VAN WINKLE FAMILY RESERVE RYE|2008|A|13(Med19/CoK19?)|95.6 Proof|Mix of CoK and Medley|Frankfort|Cognac Bottle, Clear Glass, Red Foil|Letter code started over with "A"

VAN WINKLE FAMILY RESERVE RYE|2009|A|13(Med19/CoK19?)|95.6 Proof|Mix of CoK and Medley|Frankfort|Cognac Bottle, Clear Glass, Red Foil

VAN WINKLE FAMILY RESERVE RYE|2010|B|13(Med19/CoK19?)|95.6 Proof|Mix of CoK and Medley|Frankfort|Cognac Bottle, Clear Glass, Red Foil

VAN WINKLE FAMILY RESERVE RYE|2011|B|13(Med19/CoK19?)|95.6 Proof|Mix of CoK and Medley|Frankfort|Cognac Bottle, Clear Glass, Red Foil

VAN WINKLE FAMILY RESERVE RYE|2012|C|13(Med19/CoK19?)|95.6 Proof|Mix of CoK and Medley|Frankfort|Cognac Bottle, Clear Glass, Red Foil|Rumored that Buffalo Trace distilled rye was added to the blend.

VAN WINKLE FAMILY RESERVE RYE|2013|D|13(Med19/CoK19?/BT13?)|95.6 Proof|Mix of CoK and Medley + BT?|Frankfort|Cognac Bottle, Clear Glass, Red Foil|Larger font at bottom for "bottled by" and "ORVWD"

VAN WINKLE FAMILY RESERVE RYE|2014|E|13(Med19/CoK19?/BT13?)|95.6 Proof|Mix of CoK and Medley + BT?|Frankfort|Cognac Bottle, Clear Glass, Red Foil

VAN WINKLE FAMILY RESERVE RYE|2015|F|13(Med19/CoK19?/BT13?)|95.6 Proof|Mix of CoK and Medley + BT?|Frankfort|Cognac Bottle, Clear Glass, Red Foil

VAN WINKLE FAMILY RESERVE RYE|2016|Z|13(Med19/CoK19?/BT13?)|95.6 Proof|Mix of CoK and Medley + BT?|Frankfort|Cognac Bottle, Clear Glass, Red Foil|"Z" marking indicates last of the tanked Medely/Cream of Kentucky blend.

No Release in 2017

VAN WINKLE FAMILY RESERVE RYE|2018|****A|13|95.6 Proof|Buffalo Trace|Frankfort|Cognac Bottle, Clear Glass, Red Foil|Letter Comes After the Numbers

VAN WINKLE FAMILY RESERVE RYE|2019|No Bottle Numbers|13|95.6 Proof|Buffalo Trace|Frankfort|Cognac Bottle, Clear Glass, Red Foil

VAN WINKLE FAMILY RESERVE RYE|2020|No Bottle Numbers|13 |95.6 Proof|Buffalo Trace|Frankfort|Cognac Bottle, Clear Glass, Red Foil

VAN WINKLE FAMILY RESERVE RYE|2021|No Bottle Numbers|13|95.6 Proof|Buffalo Trace|Frankfort|Cognac Bottle, Clear Glass, Red Foil

VAN WINKLE FAMILY RESERVE RYE|2022|No Bottle Numbers|13|95.6 Proof|Buffalo Trace| Frankfort|Cognac Bottle, Clear Glass, Red Foil


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ちなみにリストでグリーン・グラスとあるのは上のようなかなり薄い緑色のガラス瓶を指します。また、2013年のフォントが大きくなった件も上の画像のようになります。それと、オールド・リップ・ヴァン・ウィンクル・オールド・タイム・ライのBレターの物は画像検索で見当たらなかったのでリストに入れませんでしたが、もしかしたらあるのかも知れません。その他の物でも発見したり、また何かしらの間違いの指摘などは奮ってコメント頂けると助かります。

偖て、今回このような古い貴重なライを飲めることになったのは、日本有数のバーボン・マニアの方とサンプル交換したからでした。こちらから送った物に対して大変希少かつ多くのサンプルを送り返して頂きまして、恰も海老で鯛を釣るが如き結果になってしまったのは申し訳ないやら有り難いやらで…。また画像の提供、そして本ブログの記事を書くにあたっていつも情報提供に協力して頂き感謝に堪えません。この場を借りてお礼を言わせてもらいます。N.O.さん、この度は本当にありがとうございました! バーボン繋がりに乾杯! では、最後に飲んだ感想を少々。

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OLD RIP VAN WINKLE OLD TIME RYE 12 Summers Old 90 Proof
No. 1143
推定96年ボトリング。ほんの少しオレンジがかった濃いめのブラウン。スパイシーな香り立ちからお菓子のような甘い香りも広がる。豊かなベーキングスパイス、フローラル、カラメリゼ、マスティオーク、白胡椒、ドライイチジク、メープルクッキー。口当たりはややウォータリー。パレートは豊かな穀物を感じ易い。余韻はライのビタネスでさっぱりと切れ上がるが、鼻腔にオールドオークとドライフルーツが居続ける。草っぽさやハーブなどの緑感はそれほどなく、甘さとスパイスに振れたバーボニーなライ・ウィスキーという印象。
Rating:86.5/100

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オールド・リップ・ヴァン・ウィンクルというブランドは、元は禁酒法時代(または以前?)に遡りますが、長年の沈黙からジュリアン・ヴァン・ウィンクル二世が1970年代半ばに復活させ、それを受け継いだ息子のジュリアン三世が伝説のレヴェルまで育て上げたブランドと言ってよいでしょう。

長年スティッツェル=ウェラー社を率いてきたジュリアン・"パピー"・ヴァン・ウィンクルが1965年に亡くなった後、息子のジュリアン・ジュニア(二世のこと)は他の相続人との意見の相違から、1972年にスティッツェル=ウェラー所有の蒸留所とブランドをノートン・サイモン社へ売却することを余儀なくされました。しかし、彼は名前や物語を余程気に入っていたのか、アメリカの小説家ワシントン・アーヴィングの物語をモチーフにしたブランドだけは売却せず、スティッツェル=ウェラー蒸留所からウィスキーを購入出来る権利とボトリング契約を残したことで、オールド・リップ・ヴァン・ウィンクルを甦らせ販売し始めます。その事業は1981年にヴァン・ウィンクル二世が亡くなると息子のジュリアン・ヴァン・ウィンクル三世に引き継がれますが、スティッツェル=ウェラーとのボトリング契約が切れたことでジュリアン三世は致し方なく(妻も子供四人もおり、多額の借金を背負うことになるから)アンダーソン郡ローレンスバーグにある旧ホフマン蒸留所をベン・リピーから購入しました。ジュリアン三世はスティッツェル=ウェラーからのバルク・ウィスキー、またその他の蒸留所からもウィスキーを購入し、コモンウェルス蒸留所として様々な銘柄でボトリングを続けました。80年代にはおそらく知る人ぞ知る小さな存在だった会社は、90年代に祖父への敬意を直接的に表す「パピー・ヴァン・ウィンクル」を発売、幾つかの賞を得たことでウィスキーの世界から注目を集め出します。しかし、スティッツェル=ウェラー蒸留所はユナイテッド・ディスティラーズの傘下になった90年代初頭に蒸留が停止されてしまいました。そこで、原酒の枯渇を懸念したジュリアン三世は、新しい供給先としてバッファロー・トレース蒸留所を選び、2002年、合弁事業としてオールド・リップ・ヴァン・ウィンクル・ディスティラリーを立ち上げます。同社のブランドは段階的にスティッツェル=ウェラーからバッファロー・トレースの蒸留物へ変わりました。2010年以降は「パピー」がバーボン愛好家以外の一般大衆にも認知され出し、バーボン・ブームの到来もあってカルト的人気を得、それに釣られてその他のブランドも高騰。オールド・リップ・ヴァン・ウィンクルも日本に住む「庶民派ウィスキー飲み」が手を出せる金額ではなくなり、そもそも日本へ輸入されることもほぼなくなりました。バッファロー・トレースのフランクフォート産の物ですらそのような状況の今日、ジュリアン三世がハンドメイドで瓶詰めしていたローレンスバーグ産の物は、特に愛好家に珍重され求められています。

今回ご紹介する「ヴァン・ウィンクル」の付かないヴァン・ウィンクル製品であるスクエア・ボトルの「オールド・リップ」なのですが、これは日本向けの輸出用ラベルでした。4年熟成86プルーフ緑ラベルと12年熟成105プルーフ黒ラベルの二種類があり、日本のバーボン愛好家には知られたブランドです。おそらく発売期間は80年代後半から90年代後半(もしくは2000年代初頭?)までではないかと思われます。少なくともフランクフォート表記のオールド・リップは見たことがないので、2002年以降には製造されていないと推測しました。お詳しい方はコメントよりご教示下さい。
それは措いて、中身の原酒について。ジュリアン三世は「ヴァン・ウィンクル・ファミリー・リザーヴ」や「ヴァン・ウィンクル・セレクション」、初期の「パピー・ヴァン・ウィンクル」、またその他の銘柄ではスティッツェル=ウェラー以外の原酒を使うこともありました。しかし、聞くところによると彼は「オールド・リップ・ヴァン・ウィンクル」のブランドにはスティッツェル=ウェラー原酒を使うことを好んだとされます。それからすると、おそらくこの「オールド・リップ」もスティッツェル=ウェラー原酒で間違いないでしょう。では、最後に飲んだ感想を少しだけ。

OLD RIP 12 Years Old 105 Proof
今回はバー飲みです。先日まで開けてあったオールド・リップ12年が前回のウイスキークラブ(定期イヴェント)で飲み切られたとのことで倉庫からストックの新しいボトルを出して来てくれました。なので開封直後の試飲となります。

推定88年ボトリング(*)。ベリーと合わせたチョコ、接着剤、杏仁豆腐、キャラメル、他に植物っぽい香りも。ハイプルーフゆえのアルコールのアタックはあってもヒート感はほぼ感じない。現代の小麦バーボンよりもスパイス感がやや複雑で、フレイヴァー全体が濃厚な印象。余韻は少し渋め。
Rating:87.5/100

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*この時期のジュリアン・ヴァン・ウィンクル三世は少し古めの瓶を使ってボトリングしていたことを示唆する情報がありますので、瓶底の数字は88なのですが、もしかするとボトリングは90年頃の可能性があります。

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N

NAS
「No(n) Age Statement」の略。ラベル上に熟成年数の提示がないこと。熟成期間による味わいの変化が大きいウィスキーにとって熟成年数はある程度の味わいの指標となるため、誇らしげに熟成年数を掲げるブランドは多いが、逆に初めから熟成年数表記のないブランドも少なくない。これには任意の風味プロファイルになりさえすれば熟成年数に拘らないという意図がある。と同時に、バッチングのためのバレル選択に於いて熟成年数の制約がないことは即ち選択肢が多くなることを意味し、そのブランドの目指す風味プロファイルをクリエイトしやすいというメリットもある。
2010年前後からのバーボン高需要によって、従来まで6年とか12年とか明示されていた熟成年数がなくなる銘柄が増えた。それは善かれ悪しかれ、その年数以下の熟成年数の原酒をブレンドしていることが殆どだと思われる。少なくとも12年以上だったものが8年~12年のブレンドになる等。これには造り手からすると将来の安定した供給を確保する狙いがある。反面、あったものがなくなるという年数表記の欠落は、当該ブランドのファンには否定的な印象を与えかねない。また、単純に熟成年数を引き下げただけの場合もあって、その場合は劇的な風味プロファイルの変化を伴う可能性が高い。悪どいことに「aged ○ years」の数字だけをラベルに残し、あたかも熟成年数の数字であるかの如く見せ、購買者のミスリーディングを誘うブランドもある。「エイジステイトメント」の項も参照。

National Bourbon Day─ナショナルバーボンデイ
6月14日。アメリカの特産品であるバーボンを飲んで祝う日。ケンタッキー州では「毎日がバーボンデイ」とも言う。

National Heritage Bourbon Month─ナショナルヘリテッジバーボンマンス
9月。2007年に米国上院によって作成されたもので、1964年に宣言された「米国特有の製品」としてのバーボンを祝うための歴史遺産月間。この法案はケンタッキー州の上院議員Jim Bunningによって提案され、全会一致で可決された。それは初期入植者やケンタッキー州の農業コミュニティ、ケンタッキー・バーボンを今日のフラッグシップカテゴリーにした多くのファミリーの貢献を認識し、伝統や歴史や文化遺産を讃え、バーボンを責任をもって適度に楽しむためのアイデア。ケンタッキー州バーズタウンで開催される国際バーボンフェスティバルは、毎年9月の3週目に開催されるため、バーボンを祝うには最適な月だった。

NCF
「Non Chill Filtered」の略。「ノンチルフィルタード」を参照のこと。

ND
「National Distillers」の略。ナショナル・ディスティラーズは複合企業体なので、バーボン用語としてはその酒類部門であり創業企業である「National Distillers Products Corporation(NDPC)」を指している。禁酒法解禁後にアメリカンウィスキー業界を支配したビッグ・フォーの一つで、何百とも言われるブランドを所有した。そうした中でもオールド・グランダッド、オールド・テイラー、オールド・クロウ、オールド・オーヴァーホルト、サニー・ブルックス、バーボンデラックス等は傑出した歴史あるブランドだが、1987年にナショナル・ディスティラーズはアメリカン・ブランズ(当時のジムビームの親会社)に売却され、それらのブランドはジムビームが製造を引き継いだ。こうした経緯によりナショナル・ディスティラーズが製造していた時代の物を欧米では「NDジュース」と呼び、バーボンマニアに珍重されている。

NDP
「Non Distilling Producer」の略。非蒸留業者と訳される。自らは蒸留施設を持たず、どこかの蒸留所からウィスキーを購入し、独自のブランドで販売する業者や会社のこと。ボトリングを専門とする所謂ボトラーも蒸留施設を所有していないという意味ではNDPと呼べる。しかし、ボトリング施設を持たず、ボトラーや蒸留所にボトリングを依頼する会社もNDPなので、ボトラーとNDPはイコールではない。供給元の選定やブランド構築の巧みさが成功の鍵。現在、大きくなっている会社でも大元を辿ればこれだったりする。

Neat─ニート
所謂ストレート。氷もいれず、水やミキサーで希釈もしないで飲む方法。語源的にはラテン語の「nitere(ニテーレ)」から由来するとされ、それは煌めく/輝かすといった意味をもち、英語に転じて綺麗(清潔)、清楚、純粋、濁りのない、混じり気のない等の意味に派生していった。ウィスキー用語としては、スコッチウィスキー界で先に使われ出したと思われるが、今ではバーボン飲みも使う。

Nest Egg─ネストエッグ
温水とドライイーストを混ぜたもの。マッシュへの添加前に酵母を活性化する「目覚め」のために使用される。

New Make─ニューメイク
蒸溜を終え、出来たばかりの無色透明の蒸溜液。これを樽で熟成することで琥珀色に色付き、ウィスキーとなる。バーボン業界ではホワイトドッグとも言う。

Non Chillfiltered─ノンチルフィルタード
冷却濾過されていないの意。ウィスキーの原材料や蒸留プロセス及び樽熟成期間に自然発生する香味成分の中には、脂肪酸・タンパク質・エステル等の低温になると析出してウイスキーを白濁させたり澱を発生させる成分が含まれており、それらの成分をボトリング前に予め-4℃~0℃に冷却しながら濾過して除去するのが冷却濾過。これによって失われる成分には、香りや風味の基となるものが含まれているとされ、より豊かな風味を求めるウィスキーマニアはノンチルチィルタードの製品を欲する傾向にある。「チルフィルトレーション」の項も参照。

Nose─ノーズ
ウィスキーの香り、匂い、アロマ。テイスティング・ノートなどでノーズとあれば、舌や口蓋を関与させず、鼻のみで感知した記述。


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OC
「Old Charter」の略。現在ではバッファロートレース蒸留所で造られる下層バーボンとなってしまったが、一昔前はI.W.ハーパーと同じくバーンハイム蒸留所で造られていた歴史のあるブランド。「OCPR」は「Old Charter Proprietor’s Reserve」の略。
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OF
①「Old Fitzgerald」の略。小麦レシピで造られるスティッツェル=ウェラーの代表的な銘柄。同蒸留所が閉鎖後はヘヴンヒルがブランドを取得した。
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②「Old Forester」の略。ブラウン=フォーマン社の旗艦ブランド。「OFBB」は限定リリースの「Old Forester Birthday Bourbon」の略。ボンデッド規格のものは「OFBIB」と略す。
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OGD
「Old Grand-Dad」の略。現在ではジムビームで製造されるハイ・ライ・レシピのバーボン。同シリーズには、ロウワー・プルーフの物とボンデッドと114の種類がある。一昔前はナショナル・ディスティラーズを代表的する銘柄であり、その時代の物はバタースコッチ・ボムの味わいをもつとされ、オールドボトル愛好家に人気が高い。
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On the Rocks─オンザロックス
水やその他のミキサーを追加せずに、氷を入れたグラスに酒のみを注ぐ飲み方。日本では単に「ロック」と呼ばれることが多い。氷とグラスの奏でる音を愉しむことが出来る。

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「Old Overholt」の略。ライウィスキーの代名詞とも言えるほど古くから有名なブランド。元々はモノンガヒーラ・スタイルのライを代表したが、現在ではジムビームが製造するケンタッキー・スタイルのライとなっている。
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エイブラハム・オーヴァーホルトの肖像、WIKIMEDIAより

ORVW
「Old Rip Van Winkle」の略。2010年代になってからの急速なバーボン高需要の中、大人気のため入手困難となっている銘柄のひとつ。アメリカでも抽選に当たらないと買えなかったり、希望小売価格を大幅に上回る値段で販売されたりする。そのため現行品は日本での流通は皆無となった。
元々は禁酒法時代前後に販売されていたブランドをジュリアン・ヴァン・ウィンクル三世の父(パピー・ヴァン・ウィンクルの息子)が70年代に復活させ、イエローストーンやスティツェル=ウェラーのストックを用いて主にポーセリン・デカンター(一部はガラス瓶)に容れ販売していた。それをジュリアン三世も引き継いで販売し現在に至る。基本は10年熟成、107プルーフ(90プルーフのヴァリエーションもあった)。昔は15年熟成もあったが、現在ではパピー・ヴァン・ウィンクル・ファミリー・リザーヴ15年に置き換えられている。
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ブランドの名前とラベルは、アメリカの小説家ワシントン・アーヴィングが1820年に発表した短編集『スケッチ・ブック』中の一編「リップ・ヴァン・ウィンクル」に掛けたものとなっている。この話の筋は、アーヴィングがオランダ人移民の伝説を基にして書き上げたとされ、アメリカ版「浦島太郎」と紹介されることが多い。アメリカでは「時代遅れの人」や「眠ってばかりいる人」を意味する慣用句にもなっているのだとか。物語は大略以下のようになっている。

時はアメリカ独立戦争前後。ニューヨークのハドソン川近く、キャッツキル山地の麓の村で暮らすオランダ系アメリカ人のリップ・ヴァン・ウィンクルは、金儲けが嫌いで、あくせく働くのをよしとせず、のんびり過ごすのがモットーで、家の仕事はしないけれど、人からの頼まれごとは何でも引き受け、皆から好かれる気のいい男。がみがみ口喧しい女房と、まだ小さい息子と娘との貧乏な生活をしている。
ある秋晴れの日、リップはいつものように口煩い妻から逃れるため、鉄砲を肩に担ぎ、ウルフという名の愛犬と一緒に猟へ出て、山々をさ迷いました。猟を楽しんだあと、小高い丘でちょっと休憩しているうちに辺りは暗くなってきます。「いかん、また妻にどやされるぞ」と、彼は急いで帰ろうとしますが、その時「おーい、リップや」と自分の名前が呼ばれたような気がして足を止めます。錯覚かなと思っていると、また声が聴こえて来ました。「リップ・ヴァン・ウィンクル…、リップ・ヴァン・ウィンクル…」。その声は、どうやら谷間から聴こえるようで、谷を見下ろしてみると、なにやら重そうな物を運んでいます。声の主は白いあごひげを蓄えた見ず知らずの老人で奇妙な古めかしい服を着ていました。老人が運んでいたのは酒樽で、見るからに大変そう。リップは老人と一緒に酒樽を運んであげることにしました。しばらくすると、あたりにゴロゴロゴロゴロと雷鳴が響き渡ります。やがて高い崖に囲まれた広場のようなところに辿り着くと、そこでは多くの小人たちがナインピンズ(9本ピンのボウリング)に興じていました。雷鳴と思われた音はボールを転がす音だったのです。小人たちは一様に厳めしい顔つきをし、奇抜で華やかだが古臭い服を着て、腰には小刀をさしていました。そして不思議なことにゲームをしていても楽しそうな様子もなく、黙ったままでした。一緒に来た老人は酒をついで回る様にとリップに合図し、酒盛りが始まりました。リップも彼らが自分に興味がないのをいいことに、こっそり御相伴に預かると、その酒の美味しい事、たちまち杯を重ね酔っぱらい、すぐに眠りに落ちてしまいます。
朝、リップが目覚めると、老人と初めてあったあの丘の上で寝ていました。「しまった、寝てしまったのか、妻になんと言い訳すればいいのだ」。足元には鉄砲が転がっていましたが、手入れの行き届いていた筈の鉄砲は錆びて腐食し、銃床は虫に食われてさえいました。また、愛犬の姿も見えませんでした。「ウルフ!ウルフ!」。犬の名を呼んでも、どこからも出て来ません。
「あのジジイどもにしてやられたか」。リップは彼らを山賊だったのだと勘繰り、もう一度あの広場へ行って犬と鉄砲を返してもらうしかないと考え、立ち上がろうとしますが、関節がこわばっていつもの調子ではありません。「うう…、山で寝るのは性に合わねえな」。難儀しながらもやっとのことで広場へ通じる場所へ辿り着くと、その通路は跡形もなく消えていました。リップは途方にくれますが、仕方がないので村へと帰ることにします。
村が近づくにつれ、行き交う人々の顔を見ると、知り合いは一人もいませんでした。「おかしいな、村人は全員知ってるはずなのに…」。それに見たこともない格好をしているし、リップを見ると皆、自分の顎をさするのでした。訝ったリップは自分の顎を触ってみます。すると髭が1フット(約30㎝)も伸びていたのでした。そして村へ入っても、自分の家がどこにあるのか皆目見当も付きません。たった一晩で町並みはすっかり様変わりしていたからです。ようやく我が家を見つけると、なんと廃屋になっているではありませんか。当然、妻も子供たちもそこにはいませんでした。リップは慌てて家を飛び出し、馴染みの宿屋へ向かいます。見慣れた筈の宿屋の見た目も名前も変わっていました。壁に掛けられたキング・ジョージ三世の肖像画もジョージ・ワシントンに取り換えられています。リップが寝てる間にアメリカは既にイギリスから独立していたからです。
折しもその日は選挙の当日でした。宿屋に集まった村人のうち国士をきどった男が、共和党と民主党どちらに投票したのかと彼にこっそり話しかけます。リップは自分の人生で投票などしたことは一度もなく、「私は国王に忠誠を誓っております、国王陛下万歳!」とキング・ジョージ3世の忠実な臣民であることを宣言したものだから、「こいつイギリスのスパイだ!」と大騒ぎになってしまいました。そこに顔役らしい男が現れて事態を収拾し、リップに「爺さん、お前は銃なんかもって何がしたいんだ? 誰を探してるんだ?」と聞いてくれました。リップは友人たちの名を次々と挙げ、彼らはどこにいるのか尋ねます。ある者はとっくの昔に亡くなり、ある者はアメリカ独立戦争で殺害されていました。「そ、そんな…、誰か、誰かリップ・ヴァン・ウィンクルを知ってる人はいませんか?」。「そいつならあそこにいるやつだよ」。見ると自分にそっくりな男が木に凭れ掛かっていました。リップは混乱していましたが、その時、赤ん坊を抱いた若い女が進み出て来ました。声の調子からして若い頃の妻にそっくりでした。「君の父親は?」。「父はリップ・ヴァン・ウィンクルと言い、二十年前、山へ行ったきり帰って来ませんでした」。「母親は?」。「母も少し前に亡くなりました。牧師相手に癇癪を起こして血管が破裂したのです」。リップは「私が君の父親だよ! 誰か、誰かこの哀れな男を知ってる人はいませんか?!」と叫びます。すると群衆の中から一人の老婦人が出で、彼の顔を覗き込み、しばらくして言いました。「間違いない、この男はリップ・ヴァン・ウィンクルだよ、お帰んなさい、しかし一体あんたはこの20年どこに行ってたんだい?」。リップは人々に昨日の出来事をあっという間に話し終えます。それを聴いた村一番の古株で物識りの長老が言いました。「お前さんが出会ったのは、昔このあたりを探検した偉大なるヘンリー・ハドソン船長(ハドソン川の名の由来)と乗組員たちの亡霊に違いない。二十年ごとに巡回に来るという言い伝えがあるんじゃ」。
その後リップは、妻の死を悲しむこともなく、立派な男と結婚していた娘に引き取られ、のんびりと余生を送る。自分の物語を近所の子供や宿屋に来た見知らぬ旅人に聞かせたりして。それを信じない者もいたが、古くからのオランダの入植者は概ねそれを信用したと云う。もしかすると恐妻家の願望かもしれないが。

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「Old Scout」の略。ウェストヴァージニア州のスムーズ・アンブラー社が販売するソースドウィスキーのライン。Smooth Amblerを省略せずに「SAOS」とされることも多い。オールドスカウトの名は樽をスカウト(見出だす)することに由来する。それまでレギュラーラインナップだったオールドスカウト7年と10年は、2015年の急速な予期せぬ販売成長率のため無期限に中断されるとアナウンスされた。シングルバレルとプライベートセレクトは継続して販売されている。主にMGPから調達(60%コーン/36%ライ/4%バーリーモルトや75%コーン/21%ライ/4%バーリーモルトのバーボンなど)。
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Oscar Getz Museum of Whiskey History─オスカーゲッツミュージアムオブウィスキーヒストリー
バーズタウンのノース・フィフス・ストリートに面して建つ歴史的なスポルディング・ホールは、今日オスカー・ゲッツ・ウィスキー歴史博物館とバーズタウン歴史博物館として使われている。ホールはもともと1826年にケンタッキー州で最初のカトリック大学、セント・ジョセフ・カレッジの一部として建てられたが、長年に渡って様々な役割を果たし、南北戦争中は大学は閉鎖され一時的に南北両軍の病院として機能、その後は神学校や孤児院、1911年頃から1968年まではプレパラトリー・スクールとして使われた。名前はマーティン・ジョン・スポルディング司教にちなむらしい。現在の建物は、火事で破壊された以前の建物の代わりとして1839年に建て直されたもので、1973年に国立歴史登録財に指定された。
3階建てホールの1階大部分を占めるオスカー・ゲッツ博物館には、植民地時代から禁酒法解禁後の時代に至るアメリカン・ウイスキー業界の貴重な遺物や文書のコレクションが展示されている。蒸留と熟成に関するディスプレイから、ジョージ・ワシントンのスティル、エイブ・リンカーンの居酒屋のレプリカ、密造酒に関する物、禁酒法時代の資料やキャリー・ネイションの手斧、多くのアンティークボトルとジャグ、中身の入った薬用ウィスキー、古いサインやラベルに広告、斬新さを競ったノベルティ・デカンターまで、バーボンの豊かな歴史を物語る品々は、ジョージアン様式の風格ある建造物と相俟って愛好家必見。学識豊かなキュレーターとの出会いも楽しみの一つで、先代のフラゲット・ナリーとメアリー・ハイト、現在のメアリー・エレン・ハミルトンら博物館の維持運営を務め、バーボンの遺産を公衆に利用可能にする彼女たちは、バーボン産業の影の英雄と言ってよい。
入館見学は無料だが募金箱が設置され、寄付は大歓迎。博物館の運営費はケンタッキー・バーボン・フェスティヴァルの期間中に建物のチャペルで毎年開催されるマスターディスティラーズ・オークションによっても賄われる。オークションはヴァン・ウィンクル氏が後援し、出品されるアイテムにはバーボンのオールドボトル、歴史的なアーティファクト、特別リリースのサイン入りボトル、ギフトバスケットなどがあり、それらは地域の蒸留所からの寄付が殆ど。その他に2階3階のスペースを結婚式やレセプションに貸し出したりもするが、博物館には人件費、公共料金、セキュリティシステム費用、保険料が掛かる他、200年近い古さの建物は当然維持費が嵩むだろう。展示を楽しんだ後は寄付を弾みたいところ。
博物館の名になっているオスカー・ゲッツは1897年11月にイリノイ州シカゴで生まれた。禁酒法施行前はウィスキーの仲介業に携わっており、その多彩な性格は最高のセールスマンと評された。1920年にはエマ・エイブルソンと結婚。1933年に禁酒法が終了した後、ゲッツと義理の兄弟レスター・エイブルソンは自らの名でウィスキービジネスに取り掛かる。数年で彼の会社は成功、100人以上の従業員を雇用し、ケンタッキー州バーズタウンにあるトム・ムーア蒸留所の最大代理店となった。トム・ムーア蒸留所によって供給されるバーボンは「オールドバートン」というオリジナルのブランドで販売され、1940年までにゲッツは業界の大手プレーヤーとなる。ウィスキービジネスに変化が見え始めると、彼らは自らのブランドの安定した供給を保証するため、1944年にトムの息子のコン・ムーアからトム・ムーア蒸留所を購入し、プラントの名称をブランドの名前と同じバートン蒸留所に変更した。その名はいくつかの選択肢のうち「ハットから選んだ」名前だったと云う。オスカーは蒸留業界で大きな評判を確立し、酒類産業の「マン・オブ・ザ・イヤー」と名付けられたこともあったらしい。
またオスカーはウィスキーの蒸留プロセスと業界全体にも興味を持っており、しかも歴史の大好きなコレクターでもあった。趣味として収集し始めたアーティファクトや小さなディスプレイ、文書やラベルに広告、ボトルを含む記念品等は膨大な量で、それこそ強迫観念に憑かれたかのような集めぶりだった。彼の妻エマは「もうこれ以上、私の家に古い物は欲しくないの!」と、オスカーに収集物の片付けを要求。そこで彼は渋々、自らのコレクションを展示するため、1957年から蒸留所のオフィスで小さな博物館「バートン・ミュージアム・オブ・ウィスキー・ヒストリー」を始める。この私的博物館は一般公開され、今で言うところの蒸留所ツアーのビジターセンターの魁だった。そしてオスカー自身が学芸員であり歴史家であり講師だった。実際、1978年には彼の著書「Whiskey:American Pictorial History」が出版され、その後何十年に渡り参考ガイドとなる。
オスカーのコレクションは雪だるま式に増え続け、いつしか小さな「ビジターセンター」の枠を超えた。年代がはっきりしないが、ある時エッジウッドにあるフェデラル・スタイルの大きな家に博物館を移転したらしい。オスカーはビジネスを引退し、70年代後半もしくは80年代前半に蒸留所を売って、このコレクションを引き取る。彼は自らの収集物の適切な家を求め、新しい博物館として機能させるべく、古いカトリック神学校を修繕するためバーズタウン市にお金を支払った。残念ながら、彼のヴィジョンが現実のものとなるのを見ることなく、1983年にオスカーは亡くなる。残された妻と息子は、オスカーが過去数十年に渡って蓄積してきたコレクションをみんなに見て欲しいと思い、それを市に寄贈することにした。しかも博物館を支援するために毎年寄付をするとも言ったようだ。一年後の1984年7月、新たに復元されたスポルディング・ホールにコレクションは設置され、オスカー・ゲッツ・ウィスキー歴史博物館が生まれた。オスカーの博物館はいつもでも無料だった。 彼の情熱とコレクションに対する愛情に、全てのバーボンマニアは歓喜し感動を覚え、感謝の念を抱かずにはいられないだろう。

OT
「Old Taylor」の略。バーボン業界の発展に寄与したエドモンド・ヘインズ・テイラーJr.の名を冠したバーボン。一昔前はジムビームが、その前はナショナル・ディスティラーズが製造していた。現在ではバッファロートレースが製造し、同社のプレミアムラインの製品には「コロネル・EH・テイラー」があるため、歴史あるブランドの「オールド・テイラー」はすっかり影を潜めた。
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OWA
「Old Weller Antique」の略。昔はスティッツェル=ウェラー蒸留所、今はバッファロートレース蒸留所で造られている小麦バーボン。ハイプルーフなのが魅力。
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OWO
「Old Weller Original」の略。現在オールドウェラー・アンティークと知られるブランド名は、90年代初頭にラベルに「Antique」の文字が挿入され、そう呼ばれるようになった。それ故、OWOはそれ以前の物を指している。2018-12-22-06-51-26

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