バーボン、ストレート、ノーチェイサー

◆◆FOR BOURBON LOVERS ONLY◆◆ バーボンの紹介やレビュー、レーティングなど。

タグ:86プルーフ

76d60a2e-a04e-4a5d-9432-aeb3046b8482
2019-09-22-20-53-57-473x789

ウィレット蒸留所(KBD)がリリースするジョニードラムのブラックラベルです。その名前の由来について日本でよく語られるのは、ジョニー・ドラムは1870年にバーズタウンで酒類販売をしていた人物で、樽買いした原酒をブレンドし自分の名前をつけ売り歩いたのが始まり云々。海外では、ジョニー・ドラムという名前のティーンは家を出て南北戦争の南軍に参加、しかし彼は若すぎて武器を取ることは出来ず、1861年にドラマー・ボーイ(*)を務め、故郷のケンタッキー州に戻ってからトウモロコシを使い蒸留を始めた云々、と言われます。このジョニー・ドラムなる(愛称の?)男が実在の人物なのか分かりませんが、海外で語られている話が彼の前半生、日本で語られている話が後半生として辻褄は合っています。けれども、どうも取って付けたバックストーリーな感は否めません。ラベルのデザインからしても、ジャックダニエルズやエヴァンウィリアムス流のクラシックな人名ラベルを想起させます。ウィレットの公式ホームページによれば、60年代にカリフォルニアの卸売業者のために開発されたとの記述がありました。
ジョニードラムには現在、80プルーフのグリーンラベル、86プルーフのブラックラベル、101プルーフのプライベート・ストックの三つがあります。と言っても全てがいつでも利用可能な状態ではないようで、ウィレットのホームページの製品紹介欄にグリーンラベルは載ってませんし、日本でもネット酒販店では売り切ればかりです。おそらくグリーンは廃番もしくは出荷調整、または輸出国により供給に差があるのでしょう。

さて、ここらで古いジョニードラムについてでも語りたいところなのですが、実はその類いの情報はネットで調べてもイマイチ分かりません。80年代後半以前のオールドボトルの画像も皆無と言えます。先に述べた60年代のオリジナルと目されるジョニードラムが、特定の卸売業者のために作成されたということは、流通範囲はかなり限られていたと推察されるので、画像が見当たらないのも仕方ないでしょう。しかし、いくらウィレット蒸留所がジムビームやワイルドターキー蒸留所と較べて生産規模の小さい蒸留所とは言え、これほど過去のボトルの写真がネット上にないのは、60年代のリリース後に継続して製造されていなかったからではないでしょうか。おそらく、時を経た80年代になって主に輸出用のブランド(特に日本)として再開され、アメリカ国内では例えばケンタッキー州限定での販売だったのではないかと想像します。そして、その後全国配給になった…と。これはあくまで私の想像なので話半分で聞き流して下さい。と言うか、詳細ご存知の方はコメントよりご教示頂けると助かります。

先日オークションで丸瓶のジョニードラム12年グリーンラベルが出品されているのを見かけました(年式は不明)。それは「12年」表記の楕円形シール(**)が本体ラベルと別個で付けられていて、私としては初めて見たパターンの物でした。比較的、日本人に馴染み深い(よく見かける)オールドボトルのジョニードラムというと、80年代後半あたりから90年代にかけて流通していたと思われる日本の都光商事のアドレスがラベル正面下部に記載されたボトルかと思います。
2019-09-19-08-01-32
この頃の物はグリーンが8年熟成、ブラックが12年熟成、そして共に86プルーフでした。現行にせよこの時代の物にせよ、色で言うとブラックは常にグリーンより格上のようです。それだけに、上に述べたグリーンラベルの12年があったのに驚いたのです。その後、グリーンはいつの間にか4年熟成になり、プルーフも80に下がりました。ブラックはおそらく90年代後半か2000年代前半頃にNASとなったと思われます。NASのブラックラベルの中身に関しては、一説には4~12年の原酒を使用しているとされます。ただ、この中身の熟成年数は発売年式および生産ロットにより変動している可能性はあるでしょう。ではテイスティングの時間です。

DSC_0092
Johnny Drum Black Label 86 Proof
推定2008年ボトリング。杉、ナツメグ、弱いカラメル、グレープ、僅かなアーモンド、インク。あまり甘くないウッド・スパイス系のアロマ。やや酸味のある味わい。ソフトな酒質。余韻は軽めのスパイスと穀物感が主で、ビタネスを伴いすっきり切れ上がる。
Rating:81/100

Thought:ウィレット蒸留所が蒸留を再開したのは2012年からなので、推定ボトリング年からすると、原酒は100%ソーシング・ウィスキーとなります。概ねヘヴンヒルからの調達であるとされるので、エヴァンウィリアムス等と較べてどのくらいの違いがあるのかが気になるところでした。海外のバーボンマニアで、エヴァンウィリアムスに選ばれなかったバレルが樽売りされているのではないか、という趣旨のことを言っている方がいましたが、正直、私には調達方法の詳細は判りません。仮にそうであれ、蒸留したての原酒を購入しているのであれ、マッシュビルを共有するとしても、ウィレットの熟成倉庫でエイジングすれば風味は多少変化する筈です。更にブレンディング(バッチング)の違いも考慮すれば、どのみち異なるバーボンとは言えるでしょう。
で、私の飲んだ感想としては、通常のエヴァンウィリアムスとはかなり違うバーボンであると思いました。強いて言えば、スパイス感の方向性がエヴァンウィリアムスと言うかヘヴンヒルのフレイヴァーぽいような気もしますが、独特の木香とビター感はこのボトル特有かと。また、海外の或るバーボン飲みの方は、いつのボトリングか分かりませんが、ジョニードラム黒ラベルNASをワイルドターキーのレアブリードに似ていた、と言っていました。少なくとも私の飲んだ物や私の舌にはそうは感じられなかったです。それと、日本の酒販店の多くには、ジョニードラム黒ラベルの商品紹介に「12年原酒をメインにブレンド」と書かれています。どこまで信じてよいか判らない情報ですが、確かにタニックなビター感とソフトな酒質はそうであってもおかしくはないかなとは思わせます。飲んだことのある皆さんはどう思われるでしょうか? どしどしコメントお待ちしております。

Value:KBDのリリース中、スモールバッチの物と較べると量産型であろうジョニードラム。特にNASは凄くハイクオリティとは言い難いです。日本では概ね2500円前後の販売価格でしょうか。個人的には現行のエヴァンウィリアムス黒ラベルよりかは美味しく感じましたので、もし同じ価格ならジョニドラを選びます。ですが現行のエヴァンウィリアムス赤ラベルが3000~3500円で買えるなら、そちらを選ぶのが私の好みです。


*軍隊の中で非戦闘員として、戦場での使用のためにドラムを担当した少年のこと。
ドラムは戦場で歩調を合わせるために使われるだけでなく、指揮系統の重要な一部であり、ドラムロールを使用して士官から部隊へ様々なコマンドを通知したと言います。ドラマーには公式の年齢制限がありましたが、しばしば無視され、時として最年少の少年は成人兵士によってマスコットとして扱われました。ドラマーの少年の生活はかなり魅力的に見え、そのため、少年は時々家から抜け出して入隊したのだとか。または、同じ部隊に仕える兵士の息子や孤児であったかも知れないそうです。
Wounded_Drummer_Boy_by_Eastman_Johnson,_San_Diego_Museum_of_Art

**ジョニードラム15年の昔の物や、イーグル・クエスト、バーボンスター等と共通するデザインの、KBDのバーボンによく使われている「あの」シールのことです。

IMG_20190319_021023_968


今宵の映画は1961年製作の『ハスラー』。敢えてのモノクロ映像と全編ジャズの流れる渋い映画です。主演のポール・ニューマンがあまりにもカッコいいんですよね。あらすじや映画史的な位置付け等は映画サイトを参照して頂くとして…。個人的にも「生涯ベスト10ムーヴィー」に入るかも知れません。この映画、バーボン飲みには特別な映画なのです。それは劇中にJTSブラウンが登場するから。ポール・ニューマン演じる主人公のファースト・エディが「ノーアイス、ノーグラス」と言って注文する姿に憧れた人も多いのでは? 少なくとも私は思いっきり影響されました(笑)。いまだにバーボンはノーアイス、もちろんノーウォーター、そしてノーグラス、つまりラッパ飲みで飲むのが一番美味しいと思ってます。
相手のジャッキー・グリーソン演じるミネソタ・ファッツは「ホワイト・タヴァーン・ウィスキー」をグラスとアイスで頼んでいますね。当時実際にホワイト・タヴァーンなるブランドがあったかどうか調べても分からなかったのですが、ヘヴンヒルが商標を持っていたとの情報や、画像検索ではブレンデッドの物とオーエンズボロの記載のある安そうなウィスキーが見つかりました。原作の小説では、ファッツはホワイト・ホース・ウィスキーを注文しているそうです。もしかすると映画で使用する許可がおりなかったのかも知れません。
ところで、この40時間にも及ぶ名勝負の場面、ファッツの注文はプラシーボ効果を狙ったのではないかとの解釈があります。ホワイト・タヴァーン・ウィスキーの「ホワイト」は、日本語で言うところの「空白」のような裏の意味で、実際にはノンアルコールだった、という訳です。いずれにせよ勝負に徹し自制心を失わないファッツのその戦略とインテリジェンスは、ある意味それこそ成功者の哲学ではあるでしょう。けれどもJTSブラウンを調子にのってラッパ飲みし、結局は敗れるエディにこそバーボン飲みは敗残者の美しさを見てしまいますよね。バーボンを飲まずに勝つくらいなら、バーボンを飲んで負けるのを選ぶのがバーボン飲みの正しい在り方なんだ、と浪漫を投影して。…私だけですか?(笑)。

さて、肝心の中身について触れておきましょう。映画当時のJTSブラウンはローレンスバーグで蒸留されていました。それに頭に「Old」の付いたオールドJTSブラウンというブランド名だったと思われます。古いボトルをネットで調べてみると、50年代とか60年代とされる物にはローレンスバーグの記載があり、おそらく中身のジュースは現在で言うところのワイルドターキー蒸留所で造られたものと推測されます。アメリカの或るバーボン研究家はそう断言していました。当時ボブ・グールドが所有していたアンダーソン・カウンティ蒸留所(以前のリピー・ブラザーズ蒸留所、後のブールヴァード蒸留所)は、70年代初頭にオースティン・ニコルズに売却されるまでJTSブラウン蒸留所として運営されていたからです。そうでなければ、オールドプレンティス蒸留所(現フォアローゼズ蒸留所)ではないでしょうか? オールドプレンティス蒸留所にブラウン家は少なからず関与してるので。まあ、少なくとも私の飲んだもの、今回のレビュー対象はエディが飲んだものとはまるっきり別物なのは間違いありません。でもラベルデザインはあまり変わっておらず、古めかしくカッコいいので雰囲気は楽しめました。
現在はヘヴンヒルが製造しており、アメリカではゴールドラベルのボトルドインボンドが人気みたいです。これは日本では一般流通していません。と言うかJTSブラウンというブランド自体、最近では輸入されていないようです。そもそもが現在アメリカ国内でも地域限定のブランドだと思います。日本に輸入され始めたのは、おそらく80年代中頃からではないかと思われますが、当時のバーボン本にJTSブラウンが輸出されるのは日本が初めてなんて書いてありました。
ちなみにJTSと言うのはジョン・トンプソン・ストリートの略です。ラベルの写真の真ん中の人物が一般的に「J.T.S. Brown Jr.」と呼ばれ(※ややこしいことに彼の父親と息子の一人も同名のため「Sr.」と表記されることもある)、オールドフォレスターを造っているブラウン=フォーマン社の創業者ジョージ・ガーヴィン・ブラウンの異母兄弟だと思われます。また日本語でJTSブラウンを検索した時に見つかる紹介文に、JTSをジョンとトンプソンとストリートの三人の略とする説明をよく見かけますが、一人の人物の名前なので気を付けたいところ。写真の他の二人は、左の人物がJTSの息子の一人クリール、右がその息子クリールJr.です。
2019-03-17-17-49-04
JTSブラウンの歴史については日本ではあまり語られることがないので、禁酒法時代以前のウィスキーに詳しい方の調査を基に、ここでざっくり紹介しておきましょう。

「JTSブラウンの物語」はケンタッキーの初期入植者の一人ウィリアム・ブラウンから始まります。1792年、彼は若き妻ハンナ・ストリートと共にヴァージニアからコモンウェルス・オブ・ケンタッキーの中央部の農村地域、おそらく後にハート郡マンフォードヴィルとなる付近に定住しました。ウィリアムはマーチャント兼プランターだったそうです。彼らには8人の子供がいましたが、そのうちの一人としてジョン・トンプソン・ストリート・ブラウン・Sr.(1793-1875年)は生まれました。JTSシニアはマンフォードヴィルで最初の郵便局長であり同地の長老派教会の憲章会員でした。多分、町の顔役のような立場だったのではと想像されます。彼はエライジャとアーミン・クリールの娘エリザベスと結婚し、クリール家の北にレンガ造りの家を1828年に建てました。ジョン・トンプソン・ストリート・ブラウン・Jr.(これ以降この人物をJTSブラウンとします)は1829年にそこで3人目の子供として生まれます。彼の教育環境についての情報は乏しいですが、父についてビジネスを学んだと思われます。

商取引の経験を積んだ26歳の時、JTSはケンタッキーの田舎から、のちの人生の舞台となるルイヴィルへと移り、ジョセフ・アレンという名の学生時代の親友と酒の卸売ビジネスを始めました。また同じ頃、著名な地元のタバコ・ディーラーの娘であるエミリー・グラハムという16歳の少女と出会い恋に落ち、二人は1856年に結婚、今後の13年間で8人の子供(6人の男の子と2人の女の子)を持つことになります。
1857年には、アレンはパートナーシップから撤退し、JTSは会社の全権を引き継ぎました。時代柄、JTSはコンフィデレート・アーミーの将校でもあったようです。彼の会社は南北戦争の間に「喉の渇いた」軍隊に酒を提供することで大いに成長し、1864年までにはかなりの財産を築いたと言います。その間、1863年にはJTSの17歳下の異母兄弟ジョージ・ガーヴィン・ブラウン(1846-1917)は学校に通うためルイヴィルに来ていて会社に招待されました。同社は金融機関の支援を得て市内の中心地ウィスキー・ロウと呼ばれるメイン・ストリートに移転し、ジョージはパートナーになることを求められ、1970年頃、会社の名前は「J.T.S. Brown and Bro.」となりました。
戦争が終わった後、1865年から1874年にかけて、ブラウン兄弟はJMアサートン・カンパニー(アサートンおよびメイフィールド蒸留所)、ルイヴィルのメルウッド蒸留所、マリオン郡セントメアリーのJBマッティングリー蒸留所などから高品質のストレート・バーボンを購入し、独自にブレンドしてシドロック・バーボン、アサートン・バーボン、メルウッド・バーボン等のブランドで販売していたそうです。1874年頃、いまだに理由は不明確ながら、JTSとジョージのパートナーシップは終わりを告げました。一説には、ジョージは自分の好みであるより高品質でより高価格のウィスキーの販売を目指し、JTSはより安価なウィスキーでより幅広い顧客層を生み出すことに関心を示すという、販売するウイスキーの品質に関して意見の相違があったのではないかと伝えられています。ともかくジョージは会社を離れ、後にブラウン=フォーマン社となる自らの会社を組織し、今に至るバーボン王朝を築くことになるのですが、それはまた別の話。

そうこうするうち、JTSの少年たちが成長するにつれて父と共に会社で働き始めました。初めは年長のグレアム(1857-1946)、続いてデイヴィス(1861-1932)とJTSジュニア(1869-?)が入社。そこで会社名は「J.T.S. Brown & Sons」に変更されました。グレアムは後に会社を去りますが、代わりに弟のクリール(1864-1935)とヒュエット(1870-1952)が加わります。やがて1890年代後半には、彼らは倉庫とボトリング施設を近くの105メイン・ストリートに移しました。ビジネスは活況を呈し、需要に追いつくための安定した供給を図る措置として、1894年(1904年という説も)にアンダーソン郡ローレンスバーグ近くソルト・リヴァーに面したマクブレヤーの大きな古い蒸留所を購入。このプラントではJTSの息子たちが主導して、「JTSブラウン」、「オールド・レバノン・クラブ」、「ヴァイン・スプリング・モルト」、「オールド・プレンティス」等のブランドを生産しました。これらの中で主力ブランドはオールド・プレンティスです。このラベルは施設の以前の所有者によって作成されたと推察され、煽動的な社説で知られた新聞編集者であり詩人でもあったジョージ・デニソン・プレンティス(1802-1870)にちなんで名付けられました。トレードマークとなる絵柄のベルもリバティ船「SS George D. Prentice」のシップス・ベルがモチーフなのではないかと思われます。また「JTSブラウン」や「オールド・プレンティス」に見られる1855の数字は、この蒸留所(RD No.8)の創設された年だと思われ、バーボン業界にありがちな起源のサバ読みでしょう。それはともかく、オールド・プレンティスのその象徴的なトレードマークの鐘は人気を博し、ベルのロゴをプリントしたグラスなど特別な顧客へのプレゼントアイテムがありました。

1904年、JTSの妻エミリー・ブラウンが65歳で死去し、ルイヴィルの往年の著名人や富裕層の多くも葬られている歴史的なケイヴ・ヒル・セメタリーに埋葬されました。それから一年足らずのうち、JTSも酒屋での仕事からの帰宅途中ルイヴィルの路面電車にぶつかり、二週間後に76歳で亡くなります。彼はエミリーの隣に埋葬されました。
両親の死後もブラウンの子息たちは非常に成功した会社の名前は変えずに経営を続け、デイヴィスは社長、クリールが副社長、JTSジュニアは秘書、ヒュエットが会計に就任しました。父親の死の年、彼らは旧来の家屋と隣接した107-109ウェスト・メインに新しい本社を開きます。そしてまた1910年には、マクブレヤーに建つ元の蒸留施設からボンズ・ミル・ロードを渡った向こう側に新しい蒸留所を建設しました。この蒸留所こそ後にシーグラムが購入し、現在フォアローゼズ蒸留所となっている施設です。当時全国的に人気があったミッション・リヴァイヴァル様式で建てられ、低い屋根と大きなアーチ型の窓を使用した優美な雰囲気の蒸留所は、今では国家歴史登録財に指定されています。その内部は2つの大きな処理領域を持ち、一方では発酵プロセスを、もう一方では糖化と蒸留プロセスに分けられていました。

禁酒法がやって来ると、他の多くの蒸留所と同じくブラウン一家も事業の中止を余儀なくされます。1932年には社長のデイヴィスが亡くなり、彼の未亡人であるアグネス・フィドラー・サドラー・ブラウンが事業を引き継いだようで、当時ほぼ完全に男性が支配していた業界に於いて、彼女はアメリカの歴史の中で蒸留酒製造所を経営する役割を担った最初の女性であると言われています。彼女は禁酒法解禁後すぐに共同経営者のグラッツ・ホーキンス、ウィルガス・ノーガーらとオールド・プレンティス蒸留所をリノヴェイトし、オールド・ジョー蒸留所(RD No.35とは別)として操業を再開したようです。しかし禁酒法が解禁された時、会社を復活させたのはクリール・ブラウンの息子クリールJr.でした。
クリールJr.は、ジョン・ショーンティ・ファームと倉庫「A」の一部を、ジョンの未亡人とアーリータイムズの創業者ジャック・ビームの相続人から取得し、1934~5年頃、JTSブラウン蒸留所を建設しました。L&N鉄道のバーズタウン・スプリングフィールド支店に面したバーズタウンの北東約4マイルの場所です。そこには36インチのビア・スティルと4つの発酵槽が設置してあり、1935年のクリスマスの日に最初のウイスキーを作りました。この蒸留所は自らケンタッキー州で最も小さい蒸留所と称し、「Old J.T.S. Brown」を生産していたとみられます。第二次世界大戦中は例によって工業用アルコールを産出していたようですが、この蒸留所は精留塔を有していなかったので、それらは約140プルーフで蒸留され、190プルーフに再蒸留するため他の場所に移送されました。理由は分かりませんが、クリールJr.は1955年前後に最終的には事業を完全に売却してしまいます。売却後、蒸留所の購入者は誰も工場をオペレートせず、ウィスキーの生産は1950年が最後だったそうです。ブランドをシェンリーに売却した後に蒸留所は解体され、現在では倉庫もそこには残っていません。

ブランドは幾人かの所有者の変遷を経てアルヴィンとボブ・グールドのもとへ行きました。彼らはブランドをアンダーソン郡へと戻し、タイロンにあるリピーのプラント(RD No.27)をJTSブラウン蒸留所として操業しました。 1972年7月1日に「ワイルドターキー作戦」のためにオースティン・ニコルズにプラントを売るまで、グールドはブランドを使い続けたようです。ブランドは1972年から1991年の間、ヘヴンヒルがユナイテッド・ディスティラーズから他のブランドと一緒に購入するまで休止状態にあった、とサム・K・セシルの本に書いてありますが、日本には80年代後半には確実に輸入されていました。もしかすると上の情報はアメリカ国内のみの話かも知れません。ともかくも、歴史あるケンタッキー・クランのブラウン家のブランドは、こうして今日まで生き残ってきたのでした。
では、そろそろ簡単なレビューへ参りましょう。

2019-03-18-23-34-27-264x540
J.T.S. BROWN 6 Year 80 Proof
推定2004年ボトリング。飛び抜けてはいないがバーボンとして普通に美味しい。ただし、6年熟成にしては熟成感がやや足りず物足りない。いや、足りないのは熟成感というよりプルーフなのかも。
Rating:80/100

2019-03-18-23-34-52-300x480
J.T.S. BROWN 10 Year 86 Proof
1995年ボトリング。今では貴重な火災前のジュースだし、せっかくの10年熟成なのに薄すぎる。いや、もちろん旨いとは言えるのだが、そこまで風味の強い原酒とは思えない。出来たら最低でも90プルーフで飲みたかった。
Rating:82/100

Thought:映画(または原作の小説は59年発表)に登場するくらいの銘柄ですから、当時は人気があったバーボンだったのではないかと想像します。と言うより「J.T.S. Brown」と云う名前には、ビームズやサミュエルズ、リピーズやワセンズのような、バーボン業界の欲しがる伝統と歴史の重みがあるでしょう。しかし、ヘヴンヒルにブランド権が移行してからはボトムシェルフ・バーボンの地位に甘んじているように見えます。トゥルー・ブルーカラー・バーボンなんて言ってる人もいました。ネームバリューのあるブランドなのに勿体ないですよね。いや、「JTSブラウン物語」で書いたように、そもそもJTSは安くてそこそこ美味しいウィスキーを売りたい大衆志向だった、というのが本当であれば、正にヘヴンヒルの安価なリリースはJTSの意を汲んだものと言えなくもない。
私の飲んだ6年熟成80プルーフの方は2004年ボトリングと思われ、熟成年数をマイナスすると、旧ヘヴンヒル蒸留所が焼失しバーンハイム蒸留所を購入する前年に当たるので、蒸留はブラウン=フォーマンかジムビームなのかも知れません。どちらにしろエントリーレヴェルのちょい上クラスのバーボンには違いないでしょう。これは悪い意味ではなく、そういう立ち位置の製品だと言うことです。それよりも取り上げたいのは10年熟成86プルーフの方です。こちらは90プルーフを下回るロウ・プルーファーとは言え、最低10年熟成というスペックからしたら期待値は高まります。なのに同時期のエヴァンウィリアムス緑ラベル7年熟成86プルーフに風味の強さで負けているのは驚きでした。これはボトルコンディションの差である可能性(*)も高いですが、バッチングに使われているバレルのクオリティに差がある気もしています。エヴァンウィリアムスはヘヴンヒルの看板製品ですから、エヴァンとJTSの相対的地位を考慮し、更に当時の長熟バレルの在庫状況(**)も考え合わせると、エヴァンには年数表記より高齢の原酒、例えば12年物とかを混ぜていてもおかしくはないのでは?と。まあ、憶測ですが…。

Value:おそらく現在の日本でJTSブラウンを店頭で見かけることは少ないと思われます。けれど近年までは流通していたので、オークション等の二次流通市場ではそれほどレアではありません。問題は価格なのですが、上述したローレンスバーグ産のJTSブラウンなら10万を越えても仕方がないと思います。ですが間違っても近年流通品に1万は出さないほうがいいというのが私の意見です。ヘヴンヒル産の物はあくまでキャッツ&ドッグス・ブランドの一つであってプレミアム製品ではないですからね。ただし、80~90年代の物に関してはそこそこ美味しい可能性があるので、MSRPの2~3倍までなら試す価値もあるでしょう。


*私の飲んだエヴァンウィリアムス緑ラベルの95年ボトリングは、腐る寸前の果実を思わせるような、私の好みからすると少々酸化が進み過ぎたと思われる風味でした。

**おそらく当時は火災前でもあり、まだまだ長期熟成古酒が豊富にストックされていたのではないかと推察されます。

IMG_20181007_012000_349
IMG_20181007_011526_348

Evan Williams Green Label 7 Years 86 Proof
エヴァンウィリアムスの緑ラベルは、現在では4年熟成で80プルーフとなってしまっていますが、80年代から90年代にかけて日本に流通していた物は7年熟成で86プルーフでした(*)。黒ラベルにしてもその当時は8年熟成90プルーフでした。現行の黒ラベルはNASの5〜7年熟成で86プルーフですから、昔の緑ラベルは現行の黒ラベルをスペック的に上回っています。そして、なにより蒸留された施設の違いもあります。バーズタウンにあったヘヴンヒル蒸留所は96年の悪夢のような大火災により消失。その後、I.W.ハーパー等を造っていたルイヴィルのバーンハイム蒸留所を購入して蒸留を再開しましたが、この火災前に蒸留された原酒のことを欧米ではプリ・ファイヤー・ジュースと言い、味わいは現行の物より香味成分が強いとされ、失われた蒸留所への憧憬と共にバーボンマニアには珍重されています。

さて、そこで今回のボトルは95年ボトリング、言うまでもなく火災前のジュースという訳です。では、飲んでみましょう。

2018-10-27-15-54-17

濃厚なキャラメル香、湿った木、チェリーコーク、ローストバナナのキャラメルソースがけ、ベーキングスパイス、あんずジャム→プルーン、ブラックコーヒー。口中は酸味が強め。余韻に胃腸薬と僅かなミント。現行製品とは異なるクラシックなバーボンノート。43度にしては余韻も長く濃密な風味。ただし、クリーミーな口当たりではない。見た目は少し濁りがあるが、味はそれほど劣化しておらず、これは当たりの一本。現在のブラックラベルより遥かに複雑な味わいで、90年代のスタンダードバーボンがハイレヴェルだったことを偲ばせる。ラッパ飲みやテイスティング・グラスで飲むよりもショット・グラスで飲むのが最も美味しかった。個人的にはもう少し酸味とえぐみがない方が好みなので点数は抑えめ。
Rating:84.5/100


*他にも6年や5年熟成の物もあったようです(もしかすると販売地域の違いなのかも。私自身、写真で見ただけなので詳細は分かりません)。

PhotoGrid_1527082332347

今回は似た者同士をいっぺんにレビューしようと思います。過去に投稿した「安酒を敬いたまえ」というシリーズに編入してもよい2本ですので、旨い安バーボンを探してる方は参考になさって下さい。一つはヘヴンヒル蒸留所の看板製品となっているエヴァンウィリアムスのブラックラベル。もう一つはラクスコが販売するエズラブルックスのブラックラベルです。ともに1500〜2000円前後の販売価格であり、ラベルの雰囲気が似ているだけでなく、ジュースのスペックが似ています。ラクスコは2018年4月に自社のラックス・ロウ蒸留所がケンタッキー州バーズタウンに完成し、稼働し始めましたが、それまではヘヴンヒル蒸留所から原酒を調達していたと見られます。ラクスコの自社蒸留原酒が含まれる物がリリースされるまでは数年かかるでしょう。裏事情はよく分かりませんが、原酒の調達方法がバルク買いなのであれば、この二者は同じ蒸留施設で生産された同じマッシュビルのバーボンと考えるのが妥当だと思います。違いは熟成年数と熟成庫内の場所と度数とボトリング施設といったところかと。

DSC_1031_crop_473x509
目視で比べると、エヴァンウィリアムスの方が度数が低い(=濃度が薄い)のに、若干濃い色をしてるように見える。

EVAN WILLIAMS Black Label 86 Proof
エヴァンのブラックラベルは、世界でジムビームに次ぐセールスを記録しているバーボンと言われます。以前は7年熟成、もっと前は8年熟成でしたが、近年の増加する需要に対応するためNASとなりました。現在では5〜7年熟成とされています。

2016年ボトリング。薄いヴァニラ香、穀物臭、麦茶、薄い薄いチェリー、スパイス。余韻にややケミカルなノートと汗っぽさ。甘味と複雑さが足りず、フルーツ感もあまりない。強いて言うならフルーティな麦茶とは言えるし、口の中にとどめておけばスパイシーさと苦味を感じられるが、どうもあっさりして物足りない。昔のエヴァンはもっと芳醇な香りだったのだが…。
Rating:80/100

EZRA BROOKS Black Label 90 Proof
エズラブルックス、及びオールドエズラのシリーズは2016年にリニューアルされ、画像の物は長らく親しまれた旧デザインとなります。熟成年数の表記はありませんが、おそらく4年もしくは長くて5年程度ではないかと思います。

2011年ボトリング。ブラウンシュガー、香ばしい木材、コーンチップス、ブドウ。口当たりがこちらの方がやや滑らか。余韻はうっすらトフィと麦茶。どうも熟成の足りなさが漂う。90プルーフにしては風味が物足りず、すぐ上のクラスのバーボンと比べて香りのボリュームが小さい。端正に整った味わいとも言えるが、個性がなくあっさりした味わいとも言える。
Rating:79.5/100

Thought:正直言って、どちらも期待外れの味わいと思いました。特にテイスティング・グラスで飲むと全然美味しくなく感じます。ラッパ飲みかショットグラスならまあまあです。どうしても上位クラスと比較すると風味の弱さが目立ちますが、あくまで安さが魅力のバーボンですので…。肯定的に言えば、普通に美味しいと言いますか、この程度の値段で現代バーボンのスタンダードな旨さをよく体現しているなとは思います。ちなみにライバルである他のボトムシェルフ・バーボンと比べて言うと、これらが1500円である場合、ジムビームホワイトが1300円前後であればこの二者を買いますが、エンシェントエイジとベンチマークが1000円であればそちらを買うのが私の考え(好み/金銭感覚)です。

IMG_20180709_043627_353

FOUR ROSES SINGLE BARREL 43%alc/vol
BARREL No. 9-26-95A
DATE 12-7-04
現行の物とはボトル形状もラベルデザインも度数も異なる昔のフォアローゼズシングルバレル。おそらく90年代終わり頃から2000年代初頭にヨーロッパに流通していたものではないかと推測します(仔細ご存じの方はコメントからお知らせ下さると嬉しいです)。首に付いている小冊子によると、最低でも7年は熟成され、スパイシーなキャラクターとフローラルなノーズと僅かにドライでデリケートなフィニッシュを有したバレルを、当時のマスター・ディスティラー ジム・ラトリッジが自らセレクトし、一樽一樽の個性や熟成年数の違いを楽しむ機会を我々に提供するのがシングルバレルの意図だという旨が書かれています。
本ボトルはDATEによると9年熟成。10種のレシピのうちの何なのかは記載されてません。せめてEかBどちらのマッシュビルかぐらいは教えて欲しかったですが、それ以前に、フォアローゼズが2マッシュビル×5イーストで作り始めたのって何時のことなんでしょうか? これまたご存じの方はコメントから教えて下さると幸いです。まあそれは措いて、レビューへ。

樽香、穀物臭、ライ由来のスパイス香、蜂蜜、軽いシトラス、僅かにビターチョコ、余韻にややミンティな気配。だいたい同じ時期のブラックラベルと較べて、どうも甘い香りが少なくスパイシーなアロマに感じる。確かに味わいもドライ。大人味のフォアローゼズと言った感じ。味わいから察するにBマッシュビルだと思う。正直、私ごときではフローラルまでは嗅ぎ取れず、個人的にはブラックの甘くフルーティなアロマの方が好み。
Rating:84/100

DSC_1046

2018-08-04-20-14-34

DSC_1019
I.W. HARPER 101 PROOF Gold Label
80年代後期のものかなと予想します。90年代に販売されていたグレーラベルのハーパー101の前身かと。もしかすると90年代初頭までは流通していたかも知れません。昔のバーボンの本を見てみると、スタンダードな86プルーフのゴールドメダルより熟成年数の平均値が少し長そうな記述が見られますが、あまり当てにならない情報に感じます。味は平凡と言えば平凡でした。クセのないスタンダードな旨さと言ったらいいでしょうか。これはグレーラベルを飲んだ時にも思ったことですが、特別な感じがしないのです。勿論ハイプルーフならではの満足感はありますが。
Rating:85/100

DSC_1021
DSC_1022
I.W. HARPER GOLD MEDAL
こちらはラベルの腐食が進みすぎて年代の識別が困難です。60年代ぐらいですかね? もしかしたら50年代? 何プルーフなのかもよく判りません。ボトルド・イン・ボンドとは表記されていないように見えるので86プルーフでしょうか。ですが、液体の色はかなり濃いです。マスターに聴けば良かったものの、この頃には酔っぱらっていたせいか、聴きそびれました。感想は、円やかな酒質にクレームブリュレもしくはプリンの風味。これが86プルーフだったとすると、低プルーフの割りに風味の点で101プルーフに負けない豊かさがあったように思います。
Rating:85.5/100

追記:記事投稿後にバーボン・バーGのマスターより情報提供頂きました。上の腐食の進んだハーパーとほぼ同時期とみられるボトルドインボンド版の綺麗な状態の前後ラベル写真を拝見出来たのです。それは全く同一のラベルデザインに見えました。 そしてそれは53年蒸留、58年ボトリングだそうで、そうなると上に述べた推定年代は概ね間違ってなかったようです。この場を借りて改めてお礼を言わせて頂きます。ここまで劣化したラベルを一目見ただけでそれと判る慧眼、恐れ入ります、ありがとうございました。
また、コメントにも素敵なバーボンマニア様からのアドバイスがありましたのでご参照下さい。ご協力感謝です。

_20180914_064238

オールドフォレスターは言わずと知れたブラウン=フォーマン社の看板製品。特にそのボトルド・イン・ボンド規格の物は銘酒の誉れ高くバーボンファンのお気に入りです。1920〜1933年の禁酒法の間も医薬目的のための販売を認められたブランドの1つで、1870年代に発売されてから現在まで継続している正にお手本のようなブランド。なのに日本での知名度はジムビームやファアローゼズ、アーリータイムズやIWハーパーに較べるとやや低いのが残念ですね。

オールドフォレスターは、それまで樽から直接ジャグ等の再利用容器に入れて販売されるのが一般的であったバーボンを、密封ボトルのみで販売した初めてのブランドであったと言われます。当時の多くのウィスキーは中間業者によって色々な混ぜ物が入れられていました。それを防ぐ手段としてガラス瓶(*)に入れ密封されたオールドフォレスターは当初薬局で薬品として販売されていたとか。その時代、ウィスキーは薬として認知されており、だからこそ密封された混じりっ気のないウィスキーは、品質を保証し、医師や薬剤師に好意的に迎えられたのです。これにはブラウン=フォーマン社の創業者ジョージ・ガーヴィン・ブラウンが、ウィスキービジネスを始める前の職業が薬剤販売員だったことと無関係ではないでしょう。おそらく実地に医師の意見でも聴いたのかも知れません。それをブラウンはビジネスチャンスと見、ウィスキー業界へと打って出た訳です。

もともとOld Foresterは「Old Forrester」と綴られ「r」が2つ付いたスペルでした。それはブラウンの友人である医師のウィリアム・フォレスター(William Forrester)から由来していると伝えられています。いつ「r」が1つになったのか定かではありませんが、一応ブラウン=フォーマン社が公にしているオールドフォレスターの語源は、この医師の名前説です。実はその他にオールドフォレスターの語源には二説ほど有名なのがあり、一つは南軍の騎兵隊長ネイサン・ベッドフォード・フォレスト(Nathan Bedford Forrest)に由来するというもの。ネイサンは南北戦争での残虐な戦いぶりで勇名を馳せ、しかもKKK(クー・クラックス・クラン)の設立者の一人と目される人物。このネイサン由来説は、社会史家ジェラルド・カーソンの『バーボンの社会史』に端を発するそうです。どうやらこの説は、1960年代という南北戦争から100年の節目、南部ナショナリズムが一種のブームであった時代に迎合したマーケティングのようで、今で言う黒歴史と言いますか、歴史の汚点のような説かも知れません。もう一つは森林を意味する「Forest」から来ていて、「Forester」で森の番人の意とするもの。こちらは穏やかではあるものの面白味に欠ける説ですね。

初期の頃のブラウン=フォーマン社は俗に言うNDP(非蒸留業者)でした。ジョージ・ガーヴィン・ブラウンが1870年にウィスキー・ロウと呼ばれるルイヴィルのメイン・ストリートでウィスキーの卸売ビジネスを開始した当時は、JMアサートン蒸留所とメルウッド蒸留所とBJマッティングリー蒸留所から購入した原酒を独自にブレンドして販売していたそうです。1902年になると主要な供給元であったマリオン郡セントメアリーのベン・マッティングリー蒸留所を購入。そこにはウェアハウスとボトリング施設がなかったので、蒸留を終えたウィスキーはルイヴィルへと運ばれました。1907年にはセントメアリーの蒸留所にもウェアハウスとボトリング施設が建てられます。禁酒法が訪れるとその蒸留所は閉鎖となり、ウィスキーのストックはルイヴィルのG・リー・レドモン社のウェアハウスに移されました。そこはホワイト・ミルズ・ディスティラリーと知られる薬用ウイスキーのための集中倉庫とボトリング施設です。ブラウン=フォーマンのウイスキー以外にも、テイラー&ウィリアムスのイエローストーンやマックス・セリガーのベルモント等のストックが保管されていました。ブラウン=フォーマン社は1924年にそこの資産と在庫を買い取り、禁酒法期間中、薬用ウィスキーのボトリングを続けます。禁酒法解禁後にその施設は再建され、ブラウン=フォーマン蒸留所として1980年頃までオールドフォレスターを生産しました。この蒸留所のプラント・ナンバーこそがオールドボトル愛好家に名高いDSP-KY-414です。1979年以降オールドフォレスターの生産はルイヴィル郊外のシャイヴリィにあるアーリータイムズ蒸留所(DSP-KY-354)へ移管されますが、バーボンマニアには#354より#414のほうが遥かに質が高いとされています。そして2018年6月には、かつてウィスキー・ロウと呼ばれたルイヴィルのダウンタウンにオールドフォレスター蒸留所がオープンしました。おそらく今後のオールドフォレスターはこちらで造られて行くことになるでしょう。

DSC_1012
DSC_1013

OLD FORESTER BOTTLED IN BOND 86 PROOF?
さて、今回飲んだオールドフォレスターのボトルド・イン・ボンドですが、年代はいつ頃の物かよく判りません。マスターに質問し忘れたのか、答えを聞きそびれたのか、どうにも酔っぱらっていて記憶にないのです。見たところ50年代ぐらいでしょうか? 画像で判断できる方がいましたら教えて下さい。それよりもこのボトルで訳がわからないのは、フロントラベルにはボトルド・イン・ボンドと書かれているのに、バックラベルには86プルーフと書かれていることです。ボトルド・イン・ボンドなら100プルーフなのでは…。これはどういうことなのでしょうか? 「Bottled in Bond for Export」ともバックラベルには記載されていますが、この文言が何か関係してるのですかね? これまたご存じの方はコメントよりご教示いただければ幸いです(追記あり)。
とりあえず蒸留とボトリングは#414。この時代から現行オールドフォレスターの72%コーン/18%ライ/10%モルテッドバーリーと同じマッシュビルかどうかは判りませんが、同じである可能性は大いにあると思います。では、最後に飲んだ感想を少々。
一言、キャラメルラテ祭り。ただのキャラメルではありません、ラテです。非常にミルキーな味わいに感じました。欧米の方ならバタースコッチと表現する風味かも知れませんね。
Rating:87/100


*1800年代のガラス瓶は手吹きで造られる大変高価な物であり、下手をすると中身よりも貴重な存在でした。1903年にマイケル・ジョセフ・オーウェンズが自動製瓶機を発明したことにより、安価なガラス瓶がようやく市場へ出回り始め、後に主流となって行きます。

追記:「Bottled in Bond for Export」の件に関して、私からしたら神様のような存在のバーボン・バーGのマスターより教えを頂きました。これは本国流通品とは異なる輸出向けの低プルーフ版なのだそうです。ブラウン=フォーマンに限らず当時のボトルにはこういう物がけっこう存在するのだとか。よって、上で「?」を付けておきましたが、本ボトルは86プルーフで正解となります。

IMG_20171028_090844_037

OLD FORESTER 86 Proof
オールドフォレスターのブランド紹介はこちらをご参照下さい。
このラベルは、比較的長年親しまれた側面に窪みのあるボトルからデザインチェンジされた時のものになります。正確な年数が判らないのですが、多分2000年前後ではないかと。このあとに紙ラベルを使わないモダンなデザインに変わり、現在ではまた古典的なデザインに回帰しています。
こちらのボトルは所謂ダスティとして購入しました。つまり酒屋さんで長期間売れずに埃を被った売れ残りのことです。そのせいだと思うのですが、開封直後は妙に甘味のない味わいで、安いブレンデッド・スコッチを飲んだかと思ったほどです。開封後しばらく経ってやっと甘味も出てきましたが、普通のバーボンに比べるとだいぶ甘味が少なかったように感じました。いくらライ麦比率の高いオールドフォレスターでも、いささかドライ過ぎる印象。上に述べた窪みのあるボトル時代の物はもっと甘味もあり香り高かったのですが…。なので、もしかすると経年劣化していた可能性もありますが一応レーティングしておきます。
Rating:77/100

a82faa6f-01ca-413a-9e8e-0e4c3e24a8d7

JIM BEAM BLACK DOUBLE AGED 8years 86 Proof
ジムビームラインナップのホワイトラベルの上位に位置するブラックラベル。現在では「EXTRA-AGED」と書かれ、NAS(No Age Statement)ながら熟成期間は6年程度とされ、日本では80プルーフにてボトリングされています(アメリカでは86proofのようです)。
で、その少し前まで流通していたスタイリッシュなデザインのボトルですが、混乱を招くような表現が使われています。ホワイトの4年熟成に対してブラックは8年熟成だから「DOUBLE AGED」と2倍の意味であるのは話が分かりやすい。ところが同じデザインのボトルで6年熟成のブラックがあるのですが、それには「TRIPLE AGED」と書かれているのです。ダブルの要領でいけば3倍の12年熟成になりそうなのにそうではない。無理矢理解釈すれば、ストレートバーボンと名乗るために必要な最低熟成年数の2年の3倍という意味かな?とは思えますが、どっちかに統一しろよッという突っ込みは免れないでしょう。その声が聞こえたせいなのか、今は上に述べた「EXTRA-AGED」に落ち着いたみたいです。
さて、肝心のお味のほうですが、これは美味しい。ホワイトでは味わえないリッチなフレイバーとスイートネス。甘さに振れた味わいながらスパイシーさとフルーティーさとシリアル感のバランスが良く、これが2000円程度ならお買い得だったと言うしかありません。
Rating:84/100

13f80daf-bd8e-465c-b7c4-e9f03cd19d4d

Four Roses Super Premium 86 Proof
日本限定のフォアローゼズのトップクラス。ケンタッキー州立200年を記念して1992年から発売されました。スーパープレミアムと書かれているものの、なぜだか通称「プラチナ」と呼ばれています。使われるレシピは、おそらくイエローやブラック、スモールバッチとも異なるものと見られますが、公開されていません。しかし、熟成に関しては明確な指標があるようで、前マスターディスティラーのジム・ラトリッジによると、80%は最低8年以上で20%は10年以上の熟成でなければならない、とのこと。

さて、私はフォアローゼズを唯一無二のバーボンとして評価するのに吝かではありません。だから最上級とされるプラチナを飲むのをすごく楽しみにしていました。けれど、いざ飲んでみると少々拍子抜けという印象が拭えません。確かに美味しく、素晴らしい芳香のバーボンです。チェリー、プラム、青リンゴのフルーツ感にクローブ等のスパイシーさ、オークの力強さもあり、かつスムーズである。でもですよ、どうもスムーズ過ぎる。薄いんですよね、43度では。
プラチナは場合によっては7000円近い値札が付きます。正直な感想を言わせてもらうと、3000円あれば買えるブラックの出来が良すぎて、倍近い値段のプラチナが霞んでいると思います。またフォアローゼズ スモールバッチ45度が3000~4500円程度で買えることを考えると、個人的にはオススメ出来ないバーボンと言わざるを得ませんし、コスパをレーティングに考慮すると、得点を低く見積もらざるを得ません。どうせスーパープレミアムと語るぐらいなら100プルーフでボトリングしてもらいたいです。そうすればもっと旨かったに違いない。いや、せめて94プルーフでもいいのですが…。贅沢な注文なんですかね?
Rating:83/100

↑このページのトップヘ