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ラッキー・ストライク・バーボンはマーシィ・パラテラのインターナショナル・ビヴァレッジ(アライド・ロマー)のブランドで、日本向けに短期間もしくは一回限り(91年?)ボトリングされたと思われます。ヴァリエーションには12年90プルーフ、13年94プルーフ、15年101プルーフ、17年94プルーフ、ドライ86プルーフがありました。おそらくタバコの「ラッキー・ストライク」との直接的な繫がりはないと思いますが、そのタバコ銘柄の名称の由来はアメリカのゴールドラッシュ時代に金を掘り当てた者が言った「Lucky strike」と云うスラングに由来するらしいので、このバーボン・ブランドもケンタッキーのバーボン鉱脈に眠っていた金に等しい優良なバレルを引き当てた幸運というイメージで名付けられたのではないでしょうか。ボトリングはKBDがしています。
では、肝心の中身は何なのでしょうか? 可能性としては幾つか考えられます。一つは何処かしらの、例えばヘヴンヒルとか旧バーンハイムなどのKBDがストックしていた単一の蒸溜所のバレルをマーシィがピックし、使用しているというもの。或いはエヴァン・クルスヴィーンと共同でピックしたのかも知れない。もう一つはKBDの所有する複数の蒸溜所のバレルをエヴァンがブレンドして提供していたというもの。彼はそうして自らの味わいをクリエイトする達人だったと言われています。更なる一つはマーシィがユナイテッド・ディスティラーズから購入したスティッツェル=ウェラーのバレルをエヴァンがそのままボトリングしたというもの。当時は様々な熟成年数のバーボンが安く買えた時代でした。それは今や伝説となっているスティッツェル=ウェラーでさえも例外ではなかったでしょう。マーシィ自身が語るところでは、自分のプロダクトには非常に多くの様々なバレルを使ったが、2005年以前に作成したブランドにはS-Wを多く使ったそうなので、可能性は高いかと。バーボン探求者は中身を正確に知りたい欲求に駆られますが、もしかするとマーシィやエヴァン本人に中身の件を尋ねてみても、当時あまりに多くのブランドを造り過ぎて何に何を使ったか記憶しておらず、大雑把な回答しかしてくれないかも知れません。そんな訳でとにかく飲んでみるしか…。

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LUCKY STRIKE 15 Years 101 Proof
推定91年ボトリング。テクスチャーは柔らかいがパンチがある。仄かなキャラメル、高尚な木材、豊かなベーキングスパイスの香り。味わいは如何にも長熟という味わいで、タンニンが強く、レザーや土っぽさもある。ダークなフルーツは感じるが、これといった明確なフルーツは言えない。余韻は薬草感を伴ったオールドオークが恐ろしく長く続く。
Rating:87/100

別の機会に17年熟成の物を飲めたので、そちらをおまけで。これは大宮のバーFIVEさんの会員制ウィスキー倶楽部で提供されたものでした。17年は最も数量が少なかったと聞きます。

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(画像提供Bar FIVE様)
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LUCKY STRIKE 17 Years 94 Proof
推定91年ボトリング。赤みを帯びたブラウン。微粒子感のある液体。キャラメル、オールドオーク、オールスパイス、焦がし砂糖、オレンジピール、茴香、僅かに爪の垢、シナモンクッキー。甘く、かつスパイシーなノーズ。とても柔らかい口当り。パレートでは渋みが強い。余韻はスパイシーかつハービー。
Rating:88/100

Thought:長期熟成バーボンは木質な風味と木材由来のハーブ&スパイスの風味が勝ち過ぎて、表層的に似たり寄ったりの風味になると個人的には感じます。だから、正直、飲んでも何処の原酒か全く判りませんでした。ヘヴンヒルと言われればヘヴンヒルのようにも思えるし、スティッツェル=ウェラーと言われればスティッツェル=ウェラーのようにも思えてしまいます。飲んだことのある皆さんはどう思ったでしょうか? コメント欄よりどしどしご感想をお寄せ下さい。
15年と17年を比較すると、プルーフの高い15年の方が美味しいのではないかと思っていたのですが、加水量の多い17年の方が却って自分の苦手な風味が薄まったのか飲み易い上に若干フレイヴァーフルに感じました。但し、これは上に述べたように別の機会に飲んでいます。それ故にサイド・バイ・サイドでもなく、ボトルの状態や私自身の体調を考慮すると聊か信頼性に欠ける意見かも知れません。
マーシィはラッキー・ストライクを含む自分の初期のブランドのジュースに就いて、「stunning」ではなかったけれど常に「really good」だった、と語っていました。おそらく、最上級とまでは言えなくとも多くの製品はその少し下くらいの美味しさではあったという解釈でいいでしょう。これを飲んでみると、確かにそれは的確な表現のように感じられます。

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アウトロー・ケンタッキー・バーボンはカリフォルニア州バーリンゲイムにオフィス(と言うか社長の自宅?)を置くアライド・ロマー/インターナショナル・ビヴァレッジのブランドです。同社は特定のブランド名の下に異なる人物の写真を使用するコレクターズ・シリーズを数多く展開しており、このアウトローと同時代の偉人を揃えた「レジェンズ・オブ・ザ・ワイルド・ウェスト」を筆頭に、名前そのままにギャングやマフィアをフィーチャーした「ギャングスター」、黒人ミュージシャンを取り上げた「ジャズ・クラブ」や「ブルース・クラブ」、「R&B」や「YO! HiP HOP」、他にも「ロックンロール」や「U.S.A.ベースボール」等がありました。これら各ブランドの中身の品質は様々でしたが、ボトリングはKBD(一時のウィレット蒸溜所)が担っており、基本的により古いリリースや長期熟成でハイ・プルーフの物はバーボン・マニアから評価が高いです。
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アウトロー・コレクターズ・シリーズでは、西部劇映画に登場するような列車強盗、馬泥棒、牛泥棒、ガンマン、冷酷な殺人鬼、お尋ね者などの西部開拓時代の最も悪名高い無法者たちがラベルを飾っています。実際のところ彼らも「ワイルド・ウェストの伝説」と呼ばれる人達です。多くの場合、彼らの物語は小説やハリウッド映画などで逞しい個人主義や大胆な開拓者精神といったアーリー・アメリカンの理想に合うように形作られ、長い間ロマンチックに描かれて来ました。アメリカ人は暴政に立ち向かうアンダードッグが大好きで、反骨精神を体現する反逆者に対してロマンを投影して見たりします。我々日本人もこういうカリズマティックな無法者には惹かれてしますよね。特にアメリカへの憧れを強く抱いた人にとってはそうでしょう。ラベルに採用された悪のヒーローには以下の12人がいました。

DEAD OR ALIVE! ― KID CURRY
BEWARE OF STARR ― BELLE STARR
$18,000 REWARD ― BUTCH CASSIDY
$5000 REWARD ― WILD BILL
DESPERADO! ― JAQUIN MURIETA
DESPERATE OUTLAW ― HARRY LONGBAUGH
$7,000 REWARD ― FRANK & JESSE JAMES
$2500 REWARD ― BILLY THE KID
COLD BLOODED KILLER ― JOHN WESLEY HARDIN
BE ON THE LOOK OUT ― MYSTERIOUS DAVE
ARMED & DANGEROUS ― HARRY TRACY
$2500 REWARD ― RED RIVER WILSON
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初めの頃のリリースでは全11種類と聞き及びますので、それが確かなら、多分レッド・リヴァー・ウィルソンが後から追加されたのではないかと思います。と言うか、この件に限らずアウトローに関する情報はネット上に殆どなく、私にはその全貌が分かりません。よって、以下は憶測でしかないことを注意して下さい。また、間違いの訂正や何かしらの情報をお持ちの方は是非ともコメントよりお知らせ頂けると助かります。
おそらく初めのアウトローは日本市場向けに80年代末か90年代初頭に発売されました。インポーター・ラベル(河内屋酒販)にはウイスキー特級と記載がありますが、これは俗に言う偽特級と言うのか、ラベルを使い切るまで貼られたものではないかと推測されます。この時の物は12年熟成101プルーフと15年熟成101プルーフで、キャップが後のものよりやや短いものだったようです。その後アウトローは、ラベルの醸す雰囲気が頗るクールで人気があったのか、何度かボトリングされました。アウトローは上で紹介した他のコレクターズ・シリーズよりヴァリエーションが多く、私が実物および画像で見たことのある範囲で言うと、先の2種類の他に後から、8年熟成80プルーフ、11年熟成80プルーフ、12年熟成80プルーフ、15年熟成86プルーフ、20年熟成101プルーフ等が発売されています。初期の物と後から出された物とでは、ラベルに使われる写真にも変化があったりしました。これらの正確なリリース時期は判りませんが、確認できたところでは90年代後半と2000年代前半の物がありました。アライド・ロマー/インターナショナル・ビヴァレッジは小規模な会社であり、現在のプリザヴェーション蒸溜所の製品を見ても分かる通り、ヴェリー・スモールバッチ(同社の言葉ではマイクロ・バッチ?)に拘りをもっており、またボトリングを担当したKBDの生産規模からしても、その流通量の少なさからしても、アウトローの全ての製品は少量生産の筈です。そのせいもあってか、2010年代前半頃には手に入れ難い状況になっていたようです。ところが2017頃、突如としてアウトローは復刻されました。その時の物は1000mlの規格、NASの80プルーフ、ブラック・ワックス・トップで、ラベルは何故か全6種類だったらしい(キッド・カリー、ホアキン・ムリエタ、ジョン・ウェスリー・ハーディン、ハリー・ロングボー、ビリー・ザ・キッド、ミステリアス・デイヴ)。この最も新しいアウトローは、おそらくウィレットがボトリングしてないのではないかと思われます。プリザヴェーション蒸溜所での自家ボトリング? もしそうでないのならストロング・スピリッツあたり? ラベルに所在地表記のヒントがないので全く判りません。判らないと言えば、中身のジュースのソースも全く謎です。現行ヘヴンヒルぽいという推測はありました。私は飲んだことがありませんが、旧来のアウトローとは丸っきり違うものとは聞き及び、どうやら著しくクオリティが下がっているようです。アライド・ロマーは、バーズタウンにプリザヴェーション蒸溜所を開設するまで自前の蒸溜所を所有しないNDP(非蒸溜業者)だったので、何処かから原酒を調達しなければならない訳ですから、その時々で中身に差があるのはまあ仕方のないこと。過剰生産とバーボン人気の低迷期には長期熟成原酒が安く買えましたが、2017年の段階ではそうは行かないでしょう。この最新のアウトローに限らず、歴代のアウトローもファースト・ロットと以降の物、そして8年や11年のようにボトリング・プルーフが低いものは、味も全くの別物と言われたりしています。
KBDがボトリングした旧い物に関しては、日本語でアウトロー・バーボンを検索した時に出てくる情報ではヘヴンヒル原酒と言い切られている場合もありますが、KBDはボトラーとして契約上の守秘義務を守り、中身のジュースについての詳細は一般に明かしていません。一説には複数の蒸溜所の原酒をブレンドする製法で造られているとも聞いたことがあります。つまり、ヘヴンヒルのみのバレルを使っていたのかも知れないし、或いはヘヴンヒルを中心として他のバーンハイムやフォアローゼズのバレルを混ぜていたのかも知れないし、それは永遠に謎だと言うこと。KBDの社長だったエヴァン・クルスヴィーンに訊ねても、覚えていない可能性すらあります。いや、明確に記憶していたとしても、どうだったかな?と空惚けされるだけでしょう。何処の蒸溜所の原酒であれ、KBDのストックから10〜20バレル程度選んでバッチングしているのであれば、エヴァンがブレンドしたのは間違いないと思います。逆に3〜4樽程度のバッチングなのであれば、アライド・ロマーの社長マーシィ・パラテラがシングルバレル・プログラムのような形式で選んでいる可能性もあるのかも。または両者の共同作業なのでしょうか? 或いはマーシィが持ち込んだバレル(UDから購入したS-Wとか)を単にボトリングしただけなのか? まあ、こうして謎めいたところもアウトロー・バーボンの魅力の一つ。分からないことは措いて、実際に飲んでみるしかありません。今回、私が飲んだボトルは90年代終わり頃にボトリングされた、ラベルにホアキン・ムリエタが使われた物です。

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西部のロビン・フッド、メキシカン・ロビン・フッド、エルドラドのロビン・フッドとも呼ばれるホアキン・ムリエタは、ゾロからバットマンまでインスピレーションを与えたとされる神話的存在。彼については冷徹な殺人者、虐げられた人々のために戦う義賊、民族的英雄など様々に語られていますが、その生涯に関する事実は殆ど判らず、広く知られていることの多くは伝説に由来しています。何なら一人の人物ではなく、1850年代のカリフォルニアのゴールド・ラッシュでアングロ系の人々による差別の犠牲になった多くの人々の合成物であると見る人もいたり…。ホアキン・ムリエタは1829年か1830年頃にメキシコのソノラもしくはチリのキヨタに生まれ、1853年頃にカリフォルニアで死去したとされます。彼の死後、チェロキー族の作家ジョン・ロリン・リッジが書き、1854年に出版された『ホアキン・ムリエタの生涯と冒険』という小説からロマンティックな描写は始まったようです。
おそらくは歴史的事実と民間伝承と神話が複雑に交差する物語によると、ムリエタは10代の時に結婚し、ゴールド・ラッシュでお金を稼ぐという夢をもって、1848〜50年頃、18歳の時に妻と共にメキシコを離れてカリフォルニアに移住しました。所謂フォーティナイナーズ、またはフォーティーエイターズなのでしょう。しかし、この若いメキシコ人は富を得るどころか、入国直後に人種差別的な不当な扱いを受け、早々に社会的不公正を知ることになります。ムリエタの物語の根底には、1850年代のカリフォルニアの人種差別的緊張がありました。
1848年2月2日のグァダルーペ・ヒダルゴ条約によって米墨戦争は終結し、アメリカはカリフォルニアをはじめコロラド、ネヴァダ、ニューメキシコ、テキサス、ユタ、ワイオミングを獲得しました。金が発見された当時(1848年1月24日)のカリフォルニアはまだメキシコの一部でしたが、アメリカが占領していました。正式にカリフォルニアが州となったのは1850年9月9日です。採掘事業が個人主義的で、移民が最も急速だった1849〜1850年初頭に掛けて移民排斥主義が生まれました。ヨーロッパ系アメリカ人はメキシコから奪ったばかりの地域で利益を維持するために、法と経済のシステムを熱心に構築し始め、自警団とマイノリティ・グループに対する法的差別の両方が促進されます。その一つ、1850年のフォーレン・マイナーズ・タックス・アクト(外来鉱山労働者税法)は、全ての非ヨーロッパ人鉱夫が鉱山で働くために月20ドル(現在の数百ドル)の税金を支払うことを求めたものでした。これにより事実上ヒスパニック系の人々はゴールドラッシュから締め出されました。多くの所謂カリフォルニオス(カリフォルニアにいたスペイン語を話す人々)は、経済的に疎外された結果として盗賊になった人もいたと言います。ゴールド・ラッシュは国内外から人々を引き付け、カリフォルニアの人口は爆発的に増加しましたが、それは白人とその他のメキシコ人やインディアンや中国人の間で暴力が頻繁に発生する状況を齎したのです。
或る時、金鉱労働者でありヴァクェロ(スペイン版カウボーイ)であったムリエタは、兄弟と自分がロバを盗んだという濡れ衣を着せられ、兄弟(または義理の兄弟)は絞首刑になり、ムリエタもこっぴどく殴られ鞭で打たれました。更に彼の若い妻は集団強姦されてしまいます(彼女はムリエタの腕の中で死んだという説まであるそう)。彼は今後、復讐のために生き続けることを誓いました。鉱区を強制退去させられたムリエタは、仕事を見つけることが出来ず、怒りに任せて犯罪に手を染め、他の外国人鉱夫たちと共に、自分たちの権利を奪った者たちを食い物にするようになります。軈てムリエタはファイヴ・ホアキンズと呼ばれる荒くれ者集団のリーダーとなり、彼の右腕で「スリー・フィンガード・ジャック(3本指のジャック)」の異名をもつマニュアル・ガルシアも含むバンドは、サン・ホアキンやサクラメント・ヴァリーを荒らし回り、牛や馬を盗み、サルーンを略奪し、19人を殺害したとか。しかし、彼らはメキシコの同胞に対する多くの不正を正すためにのみ犯罪を犯し、不正に得た利益の多くを貧しい人々に与え、その助けられた人々は彼らを法から匿うことさえしたと伝えられます。そうした協力者のお陰か、或いはムリエタは変装の名人だったとの説もあり、ともかく数年間は法から逃れることが出来、その過程で3人の法執行官を殺害したらしい。
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(チャールズ・クリスチャン・ナールによる1868年の絵画)
1850年には早くも「ホアキン」という名前の無法者がカリフォルニアを恐怖に陥れているという新聞報道があったそうです。カリフォルニアで大規模な犯罪が発生する度にホアキンが容疑者になりました。そしてホアキンが本当に存在するのかについての議論まで出ました。謎のホアキンに対する恐怖感がカリフォルニアを席巻し、人々は無法者を裁判にかけるよう要求しました。カリフォルニア州は生死を問わず厶リエタに5000ドルを上限とする懸賞金を提示します。同州の無法状態を漸く理解したジョン・ビグラー州知事は、1853年5月に元テキサス・レンジャーのキャプテン・ハリー・ラブ率いるカリフォルニア・レンジャーズを創設し、ムリエタとその一団を追い詰めるよう命じました。1853年7月25日の早朝、レンジャー達はサン・ベニート郡のパノーチェ・パス付近でメキシコ人の集団と遭遇します。銃撃戦となり、彼らは八人の男性を殺害しました。レンジャー達は、うち二人はムリエタとスリー・フィンガード・ジャックだと主張し、その死の証拠としてガルシアの手とムリエタの頭を切り落とし、ブランディの入った瓶に保存して持ち帰りました。神父を含む17人がその頭部はムリエタのものであるとする宣誓書に署名し、関与したレンジャーズは5000ドルの報奨金を受け取りました。
その後、厶リエタの身の毛もよだつ遺物はカリフォルニア中を旅することになり、サンフランシスコのストックトンやマリポサ郡のマイニング・キャンプ等に展示され、1ドル払えば盗賊の首が見られるというので好奇心旺盛な観客は興味本位で見物しました。しかし、ホアキン・ムリエタの伝説はそう簡単には治まりませんでした。彼が殺されてから間もなく、彼の妹と名乗る若い女性が頭部を見て、兄にあった特徴的な傷跡がないと言ったことから、殺されたのは厶リエタではなかったという憶測が流れ始めます。また、カリフォルニアのあちこちで厶リエタが目撃されたという報告も出始めました。ムリエタの首は最終的にサン・フランシスコのゴールデン・ナゲット・サルーンのバーの後ろに置かれ、1906年の地震で建物が破壊されるまで放置されました。この首はムリエタの亡霊という別の伝説と言うかホラー話となり、今でもムリエタの首なし幽霊が昔の金鉱地帯を走り回り「俺の首を返せ」と啜り泣いているとかいないとか…。
ホアキン・ムリエタの話の大部分はフィクションと思われますが、その物語は苦しみと人種的不公平の中でゴールデン・ステイトが創造されたことの証でした。長い年月を経て伝説はどんどん大きくなり、カリフォルニアのアングロ=サクソン支配に対するメキシコ人の抵抗の象徴のような存在になりました。そしてゴールド・カントリーの至る所で、彼がこのホテルやあのホテルに泊まったとか、様々な酒場で飲んだとか、実際に会ったとか強盗にあったとかいう話が語られるようになったと言います。歴史上のムリエタの実態がどうであれ、彼の人気は高まり続け、文学や映画に影響を与えただけでなく、メキシコのバラードやコリードによって歴史的な社会的アイコンとして確固たるものとなり、彼の自由と闘争の戦士としてのイメージはチカーノの活動家達にとって抵抗の強力なシンボルとなりました。
そう言えば、ホアキン・ムリエタの伝説を下敷きにしたAmazonオリジナルの西部劇ドラマ『ホアキン・ムリエタの首』が2023年2月17日から配信されています。興味のある方は是非とも視聴してみて下さい。では、そろそろこの何とも言えず魅力たっぷりなラベルのバーボンを注ぐとしましょう。

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OUTLAW KENTUCKY BOURBON 15 Years 101 Proof
DESPERADO!
JAQUIN MURIETA
推定1999年ボトリング(瓶底)。艷やかな濃いめのブラウン。微粒子感のある液体。メープルシロップ、シトラス、胡桃、蜂蜜のど飴、ネイルポリッシュ、オールスパイス、葡萄の皮、炭、レモンジンジャー、ミルクココア。濃密でスイートかつ円熟を感じさせるアロマ。口当たりはソフト。パレートでも甘く味が濃ゆい。余韻はミディアムながら仄かなプラムと爽やかなスパイシーさが揺蕩う。
Rating:94/100

Thought:はい、激ウマです。長期熟成のコクがありつつ過剰な熟成感のない、とてもバランスの良いバーボンでした。基本スイートでドライさや苦味はなく、しかもハービー過ぎず、スパイスは適度なのです。特筆すべきは、飲むと意外にも暗い色のフルーツよりも明るい色のフルーツを感じさせるところ。何なら新ウィレットの4〜6年熟成原酒的なフルーティさすら感じました。ここら辺が私の好みに適合しています。また時々モルティさを感じる瞬間もあり、香りから余韻まで全て素晴らしい。原酒に関しては、よく分かりませんでした。トップノートにヘヴンヒルぽさを感じた瞬間もありましたが、飲んでみると平均的なヘヴンヒルとは異なるように感じました。液体を飲み込んだ直後のキックや余韻にはライ麦15〜18%はありそうな印象。まさかバートン? それともやはり複数蒸溜所原酒のブレンドなのでしょうか…。個人的には少なくともスティッツェル=ウェラーではないように感じました。飲んだことのある皆さんはどう思われましたか? コメントより感想をどしどしお寄せ下さい。

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(画像提供K氏)

アメリカ国内でのバーボン需要が低かった1980年代から2000年頃まで何年にも渡って海外へ販売されたKBD(プレミアム・ブランズ、ウィレット)の数多いブランドのうちの一つがバーボンタウン・クラブです。多分、80年代後半~90年代前半にかけて日本に輸入され、比較的短期間で使われなくなったラベルかなと思います。名前の「バーボンタウン」というのは、どう考えてもバーズタウンのことを指しているでしょう。だから、バーズタウン・クラブと言ってるに等しいかと。ちょっと紛らわしいですが、実際このバーボンタウン・クラブと同時期くらいに同じくKBDのブランドで「バーズタウン・クラブ」という姉妹品?もありました。ラベルのデザインから言って、プレミアム感を構築する意図は感じられません。そのため壮大なブランド・ストーリーなどは特にないです。このブランドが昔のラベルの復刻なのか、それとも輸出専用ラベルとしてその当時に作成されたのかもよく分かりませんでした。

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(画像提供K氏)
バーボンタウン・クラブにはヴァリエーションとして、6年86プルーフ、10年86プルーフ、12年86プルーフ、スクワット・ボトルの15年101プルーフがありました。初期の丸便のラベルでは「THE WILLETT DISTILLING COMPANY」を、後の角瓶では「OLD BOURBONTOWN DISTILLERY」を、DBAの名義として使っています。どちらにしても、6年物はどうか判りませんが、10〜15年物は発売年と熟成年数を考慮すると旧ウィレット原酒の可能性が高いと思われます。今となってはオークションで高騰の一途を辿る原酒の一つな訳ですが、今回もまたInstagramで活躍中のウィレット信者K氏よりサンプルを頂きました。画像提供の件も含め、こちらで改めてお礼を言わせてもらいます。貴重なバーボンをありがとうございました。バーボン繋がりに乾杯!

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BOURBONTOWN CLUB 10 Year 86 Proof
推定1989年ボトリング。オールドボトルファンク、ヴァニラウエハース、キャラメル、クローヴ、ミント、茴香。ノーズはオールド臭の中に僅かな甘い香り。口当たりは水っぽい。味わいは漢方薬のようなハーブのような薬っぽさで苦く、甘み弱め。余韻は、口の中から香りはあっという間に消え、鼻腔と喉奥にオールド臭が長く残る。
Rating:74/100

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BOURBONTOWN CLUB 12 Year 86 Proof
推定1989年ボトリング。キャラメル、湿った地下室、焦がしたオーク、樹液、オレンジ、茴香、ミント、タバコ、土、コーン、ビターチョコ。水っぽい口当たり。アルコールのヒリヒリ感は全くない。味わいはアーシーなハーバルノート強め。余韻は86プルーフにしては長く、ビターな風味が尾を引く。
Rating:82.5/100

Thought:実は10年の方は見た目がけっこう曇っていました。おそらくボトリング時の味や香りも多少は存命しつつも、かなりオールドボトル・エフェクトが効いていて、このバーボン本来の味わいとは程遠いと思います。正直このままではキツイほど…。しょっぱいオツマミ、例えばサラミとかに合わせると幾分か飲み易くなりました。バーボンに限った話ではないかも知れませんが、直前に食べた物によって感じる風味は変化します。自分的に飲みづらいと思うバーボンに出会ったら、何かしら相性の良い食べ物とペアリングするのはオススメの手法ですね。
12年の方も少し曇りはあるのですが、10年と較べるとかなりクリアだったので、軽めのオールド臭くらいで済んでいましたし、グラスに注いで暫くするとそれも消えたので普通に飲めました。薬っぽい風味がやや少なく飲み易かったのです。ノーズでもパレートでも10年と共通する傾向は感じ、おそらく両者はかなり似ている気がします。10年がまともな状態だったら、あまり差が分からなかったのかも知れません。残念だったのは、思ったよりフルーティさを感じれなかったところです。もしかすると6年物の方が自分の好きなフルーティさが取れたのかも…。

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オールド・ケンタッキーのシリーズは1988年に、バーボンのメッカであるネルソン郡バーズタウンのバーボン造り200周年を記念して発売されました。おそらく日本市場限定の製品だと思います。そのラインナップには、「スペシャル・リザーヴ(15年熟成101プルーフ)」を最高峰として、「No.88ブランド(13年熟成94プルーフ)」と「アンバー(10年熟成90プルーフ)」のような上位クラスの物から、「ケンタッキー・ドライ(5年熟成86プルーフのブレンデッド)」や「スピリット・オブ・トゥデイ(4年熟成80プルーフ)」といったエントリー・レヴェルまで、五つありました。90年前後に発行された幾つかのバーボン本によれば、88年2月に「スペシャル・リザーヴ」と「88」が発売され、89年に「アンバー」と「トゥデイ」がラインナップに加わったとされています。
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今となっては、このバーボンの情報をネットで検索しても殆ど出て来ません。そこで、バーボンのマーケティングに於ける常套句ばかりではあるのですが、首に掛かったタグに記載の紹介文を丸ごと訳しておきます。誤字と思われる箇所は勝手に修正して意味を通じ易くし、また概ね直訳ですが部分的に意訳もしました。

オールド・ケンタッキー・スペシャル・リザーヴ
ケンタッキー州は多くのことで有名です。ブルーグラス、サラブレッドの馬、そして何よりもケンタッキー・ストレート・バーボン・ウィスキー。地下の石灰岩層を通った豊富な湧き水に恵まれたネルソン郡は、古くからケンタッキー州の蒸留酒産業の中心地でした。そしてネルソン郡の中心にあるバーズタウンは1788年に設立され、「世界のバーボン首都」として広く知られています。
バーズタウンでのバーボン製造200周年(1788〜1988)の特別な記念として、オールド・ケンタッキー・ディスティラリーはオールド・ケンタッキー・スペシャル・リザーヴを提供することを誇りに思います。 間違いなく世界で最高のバーボン・ウィスキーです。
どのようにしてこのような良いバーボンを造ることが出来たのでしょうか? その答えは四つの要素から成ります。優れた原料、クラフトマンシップ、品質管理、そして時間。
我々は注意深く選び出した穀物とピュアなライムストーン・ウォーターという最高の素材から始めました。そして、同じ家系のマスターディスティラーが何世代にも渡り受け継いできたスキルとクラフツマンシップを駆使します。次に、些細な点まで細心の注意を払い、可能な限り最高の品質を提供できるよう生産量を厳しく制限するのです。そして最後に、この並々ならぬバーボンを焦がしたオークの新樽に貯蔵し、ゆっくりと完全に熟成するまで15年という長い歳月を待ちました。
そういう訳でお分かりでしょう。他に類を見ないブーケとテイストとキャラクターのバーボン、オールド・ケンタッキー・スペシャル・リザーヴの物語。
だからリラックスして、寛ぎながら、ゆっくりとこの本当に格別なウィスキーを飲んでみて下さい。オールド・ケンタッキー・スペシャル・リザーヴの楽しみは、それがケンタッキーの至高のバーボン・ウィスキーの成果、最高級の中の最高級、世界でも比類なき15年物バーボンであるという知識で更に大きくなる筈です。乾杯!
バーズタウンはまた1818年に建てられたローワン・ハウスの所在地としても有名で、ローワン家の従兄弟である著名なアメリカン・ソングライター、スティーヴン・フォスター作曲のよく知られた歌曲『ケンタッキーの我が家(My Old Kentucky Home)』で不朽の名声を与えられています。
オールド・ケンタッキー・スペシャル・リザーヴの出荷時に使用される一時的な木製ストッパーは、ウィスキーを15年間熟成する55ガロンのチャード・オーク・バレルのストッパーとして使用される種類の本物のオーク・バングと同じです。このバングは出荷中の漏れを防ぐようにバーズタウンの蒸留所でシールドされました。
ひとたびオールド・ケンタッキー・スペシャル・リザーヴが貴方の家に到着したら、バングは付属してある永続的なクリスタル・ストッパーと交換することが出来ます。その後は、液漏れを防ぐためデカンターを垂直にしておく必要があります。

オールド・ケンタッキーのシリーズで頂点となるスペシャル・リザーヴ15年は、パッケージも中身のプレミアム感を倍増させるように豪華でした。液体が入ったデキャンターは重厚な造りで凄く重みがあります。上掲のハングタグにストッパーがクリスタルとあるので、本体のほうも流石にクリスタル製でしょう(※追記あり)。更に外装はオルゴール付の木箱の物と、紙箱の物の2パターンありました。
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(紙箱版。写真提供K氏)

私の手持ちの木箱のオルゴールはゼンマイが壊れてるのか錆びてるのか動きませんでした。本来はハングタグでも言及されているスティーヴン・フォスターの『マイ・オールド・ケンタッキー・ホーム』が鳴ります。皆さんにお聴かせしたかったのですが、そういう訳にもいかないので、代わりに同曲のユーチューブ・リンクを貼っておきます。このバーボンを飲むなら、今宵の一曲はこれしかありません。同曲には数多の演奏と歌唱があり、私もユーチューブで数十曲は聴いてみましたが、このヴァージョンが最も好みでした。



My Old Kentucky Home
マイ・オールド・ケンタッキー・ホーム

The sun shines bright in the old Kentucky Home
太陽は燦然と輝く古きケンタッキーの家に
'Tis summer, the darkies are gay
夏が来て、はしゃぐ黒人たち
The corn top's ripe and the meadow's in the bloom
トウモロコシの穂先は熟し、牧草は生い茂り
While the birds make music all the day
鳥たちは音楽を囀る日がな一日

The young folks roll on the little cabin floor
若者たちは小さなキャビンの床を転がる
All merry, all happy, and bright
皆んな陽気に、愉快に、活発に
By'n by hard times comes a-knocking at the door
もうすぐ辛い時がやって来てドアをノックする
Then my old Kentucky Home, good-night
そうしたら我が古きケンタッキーの家に、さよならだ

Chorus
Weep no more, my lady
もう泣かないで、愛しき人よ
Oh weep no more today
おぉ、もう泣かないで今日は
We will sing one song for the old Kentucky Home
我らは一曲歌おう懐かしきケンタッキーの家のために
For the old Kentucky Home, far away
懐かしきケンタッキーの家のために、遥か遠くの

They hunt no more for the 'possum and the coon
彼らはもう狩らないオポッサムもアライグマも
On the meadow, the hill and the shore
草っ原でも、丘でも岸辺でも
They sing no more by the glimmer of the moon
彼らはもう歌わない朧な月明かりのもとでも
On the bench by the old cabin door
古いキャビンのドアそばのベンチでも

The day goes by, like a shadow o'er the heart
一日が過ぎ行く、影が心を覆うように
With sorrow where all was delight
喜びあるところ悲しみもあった
The time has come when the darkies have to part
時は来た黒人たちが別れねばならない時が
Then my old Kentucky Home, good-night
そうしたら我が古きケンタッキーの家に、さよならだ

Chorus

The head must bow and the back will have to bend
頭を下げてお辞儀して背中を曲げなきゃならん
Wherever the darkey may go
黒人はどこへ行くにも
A few more days and the trouble all will end
何日かしたら厄介事は全て終わり
In the field where the sugar canes grow
砂糖黍の実る畑での

A few more days for to tote the weary load
何日かしたらうんざりする重荷を運ばなくては
No matter, 'twill never be light
なんて事ない、決して軽くはないけれど
A few more days till we totter on the road
何日かしたらついに我らは道路でよろよろしてる
Then my old Kentucky Home, good-night
そうしたら我が古きケンタッキーの家に、さよならだ

Chorus


『ケンタッキーの我が家』もしくは『懐かしきケンタッキーの我が家』との邦題で知られるこの曲は、日本でもどこかしらでよく流れているので、殆どの日本人がメロディだけなら確実に知っていると思います。ケンタッキー・フライド・チキンのCMで使われたりしたことで広まったでしょうか。スティーヴン・フォスター作詞作曲によるこの曲はケンタッキー州の州歌として1928年から採用され、曲のファースト・ヴァースとコーラスはアメリカで最も長く継続的に開催されているスポーツ・イベントのケンタッキー・ダービーでルイヴィル大学のマーチング・バンドの演奏に合わせて会場に集まった観客全員で斉唱する伝統があります。ルイヴィル大学マーチング・バンドは1936年以来、数年を除いてこの曲を演奏して来ました。チャーチル・ダウンズで歌っているのは主に裕福な白人の観客であり、ファースト・ヴァースとコーラスのみに限れば、古き良き南部に対するロマンチックな郷愁や家を失った悲しみの個人的な共感を喚起するのかも知れません。我々日本人にしても、カントリーのアレンジや童謡としてこの曲を聴くと、どことなく陽気な印象を受けるか、「懐かしき」のタイトルやメロディに引っ張られて郷愁や懐かしさを感じるのではないでしょうか。しかし、曲を聞き進めると歌詞は南部讃歌どころか、実は家族と強制的に引き離された奴隷の嘆きであることに気付かされます。夫と妻、親と子を遠ざけた奴隷制への非難が根底にある切ない哀歌に聴こえて来るのです。

ペンシルヴェニア生まれのスティーヴン・コリンズ・フォスター(1826年―1864年)は、曲を演奏するのではなく作曲することで生計を立てようと試み、そして暫くの間成功したアメリカで最初のプロのソングライターでした。フォスター自身はいわゆる奴隷制廃止論者ではなかったようですが、「同調者」程度には看做されていた可能性はあります。1852年の3月に出版された奴隷制廃止論者ハリエット・ビーチャー・ストウの小説『アンクル・トムの小屋』はケンタッキー州の奴隷の窮状について書かれました。フォスターはこの小説に大いに影響を受け、後の作品のトーンを変えたとされます。さっそく彼はストウの小説に触発された歌詞を書き上げました。その作品は最初「プア・オールド・アンクル・トム、グッド・ナイト!」と名付けられましたが、最終的にはストウの小説への言及を削除し、名前を「マイ・オールド・ケンタッキー・ホーム、グッド・ナイト!」に変更します。おそらくストウの小説と同年の1852年頃に作詞作曲されたと見られ、1853年1月にニューヨークのファース, ポンド&カンパニーから出版されました。「マイ・オールド・ケンタッキー・ホーム、グッド・ナイト!」は急速に人気を博し、あっという間に数千部を売り上げたと言います。曲の意味は当初から争われていたらしいですが、家を失うというノスタルジックなテーマは多くの人々の共感を呼び、奴隷制廃止運動の一部からも支持を受けました。この曲は南北戦争中も人気を保っていたとされ、同曲がアメリカ全土に普及し人気を博したのは、戦争中に兵士たちがこの曲を場所から場所へと伝えたからだと考えられています。19世紀を通して人気があったこの歌のタイトルの縮小、「グッド・ナイト!」の脱落は世紀の変わり目に起こったそうです。
20世紀に入り、フォスターが亡くなって数十年を経て奴隷制度が非合法化されてからも『マイ・オールド・ケンタッキー・ホーム』はミンストレル・ショーの白人観客の間で人気がありました。しかし、歌詞の最も悲痛な部分は省略されることが多かったと言います。或いは歌詞中のアフリカン・アメリカンへの差別用語だった「darkies」は、「everyone」や「children」や「friends」に置き換えられたようです。直にこの曲はケンタッキー州の観光の賛歌となり、1904年のセントルイス万国博覧会で1万部の楽譜が配布されました。曲が本来持っていた反奴隷制の意味合いが薄れて行くと、当然のことながら演奏に対する反対意見が出て来ました。1916年にボストンのNAACPは『マイ・オールド・ケンタッキー・ホーム』を含む「プランテーション・メロディー」を公立学校で禁止することに成功し、1921年にはケンタッキー出身の黒人詩人ジョセフ・コッターが黒人の社会的進歩を強調した新しい歌詞を提案したりもしました。いつしかこの曲はケンタッキー州のシンボルとして扱われ出します。しかし時はまだ、人種差別的なジム・クロウ法の真っ只中。白人至上主義者の力が強化された時期でもありました。この時期、ケンタッキー州の多くの著名な白人の議員やジャーナリストやビジネスマンは、歌に描かれていた動産奴隷の歴史を覆い隠し、フォスターの歌をアンテベラムに於けるケンタッキーのロマンティックなイメージの象徴として採用するようになったとされています。そして1928年、ケンタッキー州議会はこの曲を「文明社会の中でケンタッキーを不滅のものにした」として公式の州歌にするのでした。
その後、1986年に一つの変更が加えられ現在に至ります。同年3月11日、訪米中の仙台キリスト教育児院の生徒達がケンタッキー州議会を訪れ、「darkies」という言葉を使用したオリジナルの歌詞で州歌を唱し、黒人議員を驚かせました。それが原因なのでしょうか、州議会によって州歌としての『マイ・オールド・ケンタッキー・ホーム』の歌詞は「darkies 」の代わりに「people」を使う決議案が採択されました。この曲は過去1世紀を通じて少なくない改訂や更新が行われましたが、だからこそアメリカ文化に影響を与える楽曲であり続け、その文化に深く根付き、アメリカの作詞作曲の進化に於いて重要な役割を果たしたと評されるのでしょう。今日でも『マイ・オールド・ケンタッキー・ホーム』は世界中で演奏されています。そしてケンタッキアンでないバーボン飲みにとっても、この曲が特別な一曲であるのは言を俟ちません。

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ハングタグでも触れられているように、フォスターの遠い親戚でケンタッキーの政治家ジョン・ローワンの邸宅が一般的にはこの「我が家」のモデルとされています。1795年に建設され始め1818年に完成したという歴史的な7501平方フィートの邸宅と周囲1200エーカーの農場は、邸宅が建設された時分、家に名前を付けるというイギリスの習慣を受け、現在では存在しない政党である連邦党に敬意を表して元々は「フェデラル・ヒル」と名付けられました。ローワンが所有していた時代には、この邸宅は地元の政治家たちの集会場となり、何人もの来賓を迎えたと言います。アメリカ全土で楽曲の人気が高まった後、フェデラル・ヒルはケンタッキー州に購入され史跡として指定されると、1923年7月4日に「マイ・オールド・ケンタッキー・ホーム」へと改名されました。スペシャル・リザーヴ15年のラベルに描かれているのがフェデラル・ヒルと言われるジョン・ローワンのマンション、即ち「マイ・オールド・ケンタッキー・ホーム」でしょう。ちなみに同じウィレット蒸留所のリリースしているローワンズクリーク・バーボンの名前の由来の小川も彼にちなんで名付けられています。
フォスターの歌にはジョン・ローワンのプランテーションを訪れた時のケンタッキーのイメージが明確に含まれているという説があります。フォスターの兄弟モリソンは1898年の手紙の中で、スティーヴンがフェデラル・ヒルを「時々訪れていた」と述べたとか。しかし、『マイ・オールド・ケンタッキー・ホーム』が作曲された頃にフォスターがこの農園を訪れていたことを示す現代的な証拠はなく、曲中のどこにもフェデラル・ヒルを特定する目印は含まれていません。有名な曲とフェデラル・ヒルとを繋ぐ伝説にも拘らず、おそらくフォスターはこの場所を訪れたことはなく、ジョン・タスカー・ハワード、ウィリアム・オースティン、ケン・エマーソン、ジョアン・オコンネルなどの伝記作家達は曲との関係について異議を唱えているとされ、なんなら「ケンタッキー」の名称の採用は語呂の良さで選んだのではないかとする説もあるそうです。

さて、そろそろ肝心の中身について。オールド・ケンタッキー・スペシャル・リザーヴ15年はKBDによりボトリングされました。リリース時期と熟成年数から考えると、おそらくは旧ウィレット原酒で間違いないでしょう。これ以上の情報は語るほどはなく、判明しているのは最低15年熟成されチャコール・フィルターを通過した(紙箱に記載)101プルーフのバーボンということだけ。しかし、SNS上でオールド・ケンタッキーは小麦バーボンと言っている人を見かけました。小麦バーボンだとしたら、おそらくシリーズ中、このスペシャル・リザーヴ15年とNo.88ブランド13年だけではないかと思いますが、どうでしょう? まさかアンバーも? 誰か仔細ご存知の方はコメントよりご教示下さい。
また、よく分からないのがリリースされた期間です。No.88ブランドはボトル形状と色の違う物が3種類あり、ある程度の期間流通していた気がしますが、スペシャル・リザーヴは一回限り、もしくは多くて二回くらいしかリリースされていないのではないかという印象があります。つまり88年だけか、或いは88年と89年だけとか? こちらも正確に把握している方がいましたらコメントを頂けると助かります。
では、この余りにもケンタッキーの刻印が深く余りにもバーズタウンらしさに溢れるバーボンを注ぐとしましょう。

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OLD KENTUCKY SPECIAL RESERVE 15 Year 101 Proof
推定1988年ボトリング。ほぼダークレッドと言っていいようなブラウン。濃密なキャラメル、ヴァニラ→メープルシロップ、古い木箱、メロンぽい接着剤、薬用歯磨き粉、炭、お婆ちゃんのスパイスキャビネット、黒糖、栄養ドリンク、タバコ。少しカビっぽく官能的な甘いアロマ。比較的ゆるい口当たり。パレートはオレンジゼストと渋柿。液体を飲み込んだ直後はハービー。余韻はメロンクリームソーダぽい甘味が感じられるが、それは思うよりあっさりと退いて行き、長熟らしい渋味が口蓋全体に残りつつ、オールドバーボンらしいオーク香が鼻腔に長く残る。
Rating:91.5/100

Thought:長熟バーボンはバレルに入っている期間が長いためウッディさが勝ち過ぎて甘味を感じにくい弱点があります。しかし、このバーボンは強い甘味を保ちながらタンニンの渋味とギリギリのところで調和し、ハーバルな風味もする長熟バーボン好きには堪らない逸品だと思います。個人的にはバーボンに渋みを欲しないので、決して好きな傾向の味わいではないのですが、これはこれで上手く熟成しているとは思いました。特に強烈なキャラメル香はハイライトであり、ほぼ満点です。味わいも渋みはあっても鋭い苦味のない点は良かったです。
で、件の小麦バーボンかどうかですが、これ単体で飲んでいる時点では正直分かりませんでした。口当たりと穏やかなスパイス感にそれっぽさを感じたくらいです。そこで比較のため、同じくKBDがボトリングしている長熟バーボンの一つ「オールド・ディスティラーズ・スペシャル・リザーヴ15年」をサイド・バイ・サイドで試飲してみました。すると全然違いました。まず香りはオールド・ケンタッキーの方が断然スイートなアロマです。そして味わいはかなり異り、オールド・ディスティラーズにはオールド・ケンタッキーにないライ・キックや爽やかなフルーツを感じたのです。あと、オールド・ディスティラーズの方が渋みもなく余韻はスッキリしており、なんとなく熟成が少し若そうな印象を持ちました。勿論、これは飽くまで個人的な感想であって「答え」ではありません。それに、たった二種類での比較に過ぎませんし、オールドボトル故のコンディションの差もあるでしょう。けれど、それらを差し引いても、オールド・ケンタッキー・スペシャル・リザーヴ小麦バーボン説は私には信憑性が高いような気がします。また、もしやオールド・ケンタッキー・スペシャル・リザーヴには15年以上の熟成古酒が含まれてるのではないか、なんて妄想もしてみたり…。飲んだことのある皆さんはどう思われたでしょうか? どしどし感想をコメントよりお寄せ下さい。
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Value:発売当時は20000円の小売価格でしたが、現在のオークション相場は10万円を超えています。15万近くで落札されてるのも見かけました。ウィレット蒸留所の人気が上がるにつれ、旧来のKBDがボトリングして日本へ輸出していたバーボンは、二次流通市場で年々高騰しているのです。もはや一部の奇特な人以外には手が出しにくいバーボンの一つがオールド・ケンタッキー・スペシャル・リザーヴでしょう。バーで見かけたら飲んでみるのをオススメします。


追記:記事を書き上げた後にフランス製のクリスタル・デカンターと判明しました。

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ラン・フォー・ザ・ローゼズ・サラブレッド・バーボンは、その名とラベルの見た目通りケンタッキーに縁の深い競馬や馬をモチーフにしたバーボンです。

ケンタッキー州はバーボンのみならずサラブレッドが育つ土地としても知られ、ルイヴィルにあるチャーチル・ダウンズ競馬場で行われるケンタッキー・ダービーは夙に有名。1875年に始まったケンタッキー・ダービーはアメリカに於いて最も歴史のあるスポーツ・イヴェントの一つであり、世界大恐慌および二度の世界大戦時も中断されませんでした。競馬の最高峰なのは言うまでもなく、その競走時間から「スポーツの中で最も偉大な2分間」と形容されます。生粋の競馬ファン以外への知名度も非常に高く、華やかな帽子を被り、ミント・ジュレップを飲みながら、観客同士が一緒に「マイ・オールド・ケンタッキー・ホーム」を歌うという伝統は、単なるスポーツ・イヴェントの枠を超え、サザン・カルチャーの祝典として、またアメリカ文化の象徴として発展して来た歴史があります。そして優勝馬には400本以上の赤い薔薇を縫い合わせて作ったレイ(ブランケット)が掛けられることから「Run for the Roses(薔薇のために走れ)」の別称が与えられているのです。この伝統は1932年に勝利馬バーグー・キングに赤い薔薇のレイが贈られたことから始まりしたが、バラがケンタッキー・ダービーと関連付けられたのは1896年にベン・ブラッシュに白とピンクのバラのアレンジメントが贈呈されたことがきっかけだったとか。その後、1904年に赤いバラがケンタッキー・ダービーの公式の生花となります。「ラン・フォー・ザ・ローゼズ」という言葉は、後年、チャーチル・ダウンズの有名な支配人マット・ウィンの死後にプレジデントとなったスポーツ・コラムニストのビル・コラム(Bill Corum)によって1925年に初めてそう表現されました。

ちなみにバーボンとは関係がないですが、1970年代後半から1980年代前半にかけて人気を博したシンガー・ソングライター、ダン・フォーゲルバーグ(1951~2007)の1981年に発表された自身最大のヒット・アルバム『イノセント・エイジ(The Innocent Age)』 に「Run for the Roses」という曲が収録されています。シングルカットもされた代表曲の一つで、どこか郷愁を誘うような曲調と素朴なメロディ、ダンの優しげなヴォーカル、そして人間が馬へと語りかける形式で進む歌詞が肝の美しい曲です。興味があれば是非、聴いてみて下さい。


さて、我々バーボン・ファンにとって肝心な中身に関してなのですが、ラン・フォー・ザ・ローゼズはイマイチ詳細の分からない謎のバーボンです。先ず、ブランドを所有する会社が一切分からない(※追記あり)。ただし、ボトリングはKBDであろうと思われます。裏ラベルの会社名はサラブレッド・ディスティリング・カンパニーとなっていますが、これはトレーディング・ネームであり、ジムビームからリリースされるノブ・クリークのラベルにノブ・クリーク・ディスティラリーと書かれるようなもので、架空の社名(所謂DBA)なのは明らか。会社の所在地表記はレキシントンとなっています。
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レキシントンはサラブレッドの聖地なので、このバーボンに相応しい所在地ではありますが、当時そこにバーボンをメインで扱うNDPの会社があったという話は聞いたことがなく、おそらくこのバーボンは何かの企画?で海外向け(日本とヨーロッパ)に作成されたブランドではないかというのが私の推測です。ウェブ検索で見つかるネット記事の投稿日時から推測すると、おそらく2005〜2010年くらいに流通していたと思われます。継続的なリリースだったのか単発のリリースだったのかは判りません。少なくとも生産量はそれほど多くないのは間違いないと思います。ヴァリエーションには8年86プルーフ、12年86プルーフ、16年86プルーフ、16年101プルーフがネット検索で見つかりました。このうち「16年101プルーフ」はラベルのプルーフ表示に訂正のシールが貼られています。ラベル自体は86プルーフのヴァージョンしか作っていないことが窺われるでしょう。この101プルーフ版は日本では見たことがなく、ネットで見かけたのもヨーロッパのウェブサイト、そこから多分ヨーロッパのみの流通かと。
ところで、表ラベルをよく見ると「ストレート」の表記がありません。このストレート表記のないパターンはアライド・ロマーのためにKBDがボトリングするバーボンによく見られました。レジェンズ・オブ・ザ・ワイルド・ウェストやジャズ・クラブやコック・オブ・ザ・ウォークなどです。一説にはこのパターンは複数の蒸留所の原酒をブレンドする製法ではないかとされ、もしかするとラン・フォー・ザ・ローゼズもそうなのかも…と思ったら裏ラベルには「ストレート」とありますね。まあ、中身のジュースに関してはよく分からないってことです。では、最後に飲んだ感想を少し。

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Run for the Roses Thoroughbred Bourbon Aged 16 Years 86 Proof
香りはダークチョコレートやタバコの複雑さがあり悪くないのですが、味わいはウッディで、全体的にビターな印象。特に余韻には長期の樽熟成や長年ボトルに容れられ放置されていたバーボンに出やすいメディシナル・ファンクが過剰に感じられて私の好みではなかったです。頂いたのが残り数杯分の液量の物だったので、多少の酸化はあったかも知れませんが。
Rating:81.5/100


追記:やはりアライドロマーのブランドでした。

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レジェンズ・オブ・ザ・ワイルド・ウェスト・ヒストリック・バーボンはカリフォルニア州バーリンゲイムにオフィスを置くアライド・ロマー/インターナショナル・ビヴァレッジのブランドで、おそらく80年代後半もしくは90年代初頭に日本市場向けに発売されました。その流通量の少なさからすると一回限りの販売か、または継続的(或いは断続的)にリリースされていたとしても極端に小さいバッチでのボトリングかと思われます。レジェンズ・オブ・ザ・ワイルド・ウェストの名の通り、ラベルには西部開拓史を彩った象徴的なヒーロー達の肖像が使われています。画像検索で把握できる限り、ラベルの人物にはキット・カーソン、ジェネラル・カスター、ダニエル・ブーン、デイヴィ・クロケット、ワイアット・アープ、ドク・ホリデイ、ルイス&クラーク、ジェロニモ、エイブ・リンカーン、ジョージ・ワシントン、バッファロー・ビルなどの種類があるように見えました。間違っていたらすみません。あともう一人いると1ケース12ボトルでちょうどピッタリだと思うのですが、誰なのでしょう? どうしても画像検索に出て来なくて…。ご存知の方はコメントよりお知らせ頂けると助かります。それは偖て措き、こうした同じブランドの名の元に異なる人物の写真を使用するコレクターズ・シリーズ物はアライド・ロマーの得意技?であり、レジェンズ・オブ・ザ・ワイルド・ウェストと同時代の荒くれ者やお尋ね者を揃えた「アウトロー」を筆頭に、名前そのままにギャングやマフィアをフィーチャーした「ギャングスター」、黒人ミュージシャンを取り上げた「ジャズクラブ」や「ブルースクラブ」、他にも「R&B」や「ロックンロール」や「USAベースボール」などがありました。これらのブランドの中身の品質は様々でしたが、レジェンズとアウトローとジャズクラブの長期熟成物が頭一つ抜け出たプレミアム製品だったように思います。

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(画像提供Bar FIVE様)

さて、そんなレジェンズ・オブ・ザ・ワイルド・ウェストには12年熟成96プルーフと15年熟成114プルーフのヴァリエーションがありました。ボトリングはKBDが行っています。日本語でレジェンズを検索した時に出てくる情報ではヘヴンヒル原酒と言い切られている場合もありますが、基本的にKBDは秘密主義なので中身のジュースについての詳細は一般に明かされていません。一説には複数の蒸留所の原酒をブレンドする製法で造られているとされています。どこかで旧ウィレット原酒とヘヴンヒル原酒のミックスと見かけたような気もするのですがうろ覚えです…。レジェンズの発売年代が80年代後半か90年代初頭で正しいのならば、熟成年数をマイナスするとまだ旧ウィレット蒸留所が稼働していた時期に当たるので、その可能性は無きにしも非ずでしょう。何処の蒸留所の原酒であれ、KBDのストックをエヴァン・クルスヴィーンが選んでバッチングしたのは間違いないと思います。
ところで、日本人にとっては超熟バーボンの母とも言えそうな存在である伝説のエクスポーター、アライド・ロマーの社長マーシィ・パラテラがどこまで関与しているのか気になるところですよね。彼女もバレルを選んでいたのか? それともエヴァンが選び造り上げたものを単に購入しただけなのか? 或いは両者の共同作業なのか? まあ、少なくとも試飲はしてるでしょうし、プロデューサーとして最終的な決定はしてる筈。何れにせよ日本人の感覚や興味に沿ったブランドを数多く作成したマーシィには拍手しかありません。レジェンズ・オブ・ザ・ワイルド・ウェストやアウトローは、西部劇やアーリーアメリカン・カルチャーの好きな人には堪らない魅力のあるラベルです。日本人のアメリカへの憧れをダイレクトに刺激してくれます。
ではでは、ここらで飲んだ感想になるのですが…。

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LEGENDS OF THE WILD WEST HISTORIC BOURBON 15 Years Old 114 Proof
実はこれ、今回のバー遠征の最後の一杯でした。お酒に弱い私にとってバレルプルーフは少々キツいので最後に残しておいて注文したのですが、正直すでにかなり酔っており、味がよく分からなかったのです(笑)。しかし、度数の割にスムーズなのは分りました。まろやか系な印象。あと、けっこう渋みも感じました。何となくスティッツェル=ウェラーに近い味わいに思ったのですが、皆さんはどう思うでしょうか? 飲んだことのある方はどしどしコメントお寄せ下さい。
Rating:88/100


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(ジョージ・アームストロング・カスター。彼の評価はアメリカ白人の英雄とも汚点とも扱われた。しかし、彼の写真が使われたラベルのバーボンの評価は絶対的に賛美される。)

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ピュア・ケンタッキーXOはケンタッキー州バーズタウンのウィレット蒸留所(KBD)で製造されているスモールバッチ・ブティック・バーボン・コレクションの四つのうちの一つです。その他の三つはノアーズ・ミル、ローワンズ・クリーク、ケンタッキー・ヴィンテージとなっています。価格から言うと、この中でピュア・ケンタッキーXOは下から二番目の位置付け。コレクションの成立はおそらく90年代後半とみられ、その名称はジムビームのスモールバッチ・コレクションを意識したのでしょうか。しかし、同じスモールバッチでもその生産量には余りにも大きな違いがあります。スモールバッチとは一回のバッチングに使用するバレルの数が少ないことを意味する業界用語ですが、業界最大手のジムビームは300~350樽程度でのバッチング、小さなクラフト蒸留所のウィレットは概ね20樽程度のバッチングのようなので、実際のところウィレット製品はヴェリー・スモールバッチとでも言った方が分かり易い。猫も杓子もスモールバッチを名乗る昨今、スモールバッチという言葉は既に本来の意義を失って形骸化し、ただのマーケティング用語に成り下がったように見えなくもないです。大事なのはスモールバッチかどうかではなく、実際に飲んでみて美味しいと思うかどうか。
まあ、それは偖て措き、ここらでピュア・ケンタッキーXOの中身について触れたいところなのですが、実は日本でも海外でもPKXOに関する情報は少なく明確なことが分かりません。その名称のXOは通常「Xtra(Extra) Old」の略なので、おそらくケンタッキー産の長期熟成を経た格別な原酒をボトリングするイメージがブランドの根底にあると思います。ピュア・ケンタッキーXOは基本的にNASではありますが、ボトルのバックラベルには「少なくとも12年熟成、もしくはもっと」との文言がある時代がありました。
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日本では今でも多くの酒販店の商品紹介欄に「最低12年熟成」と書かれていることが多く、これはそのバックラベルを根拠としての記述でしょう。しかし、このバックラベルは2000年代流通の物には貼ってあったかも知れませんが、2010~2012年あたりに当該の文言は削除されたか、もしくはバックラベル自体が貼られなくなったのではないかと思います。熟成年数の声明(エイジ・ステイトメント)がないということは、蒸留所の都合(所有するバレルの在庫状況や市場の需要と供給のバランス等)で、ブレンドに使うバレル選択が熟成年数に縛られず自由に出来ることを意味します。それまで低迷していたアメリカにおけるバーボンの需要は2000年以降徐々に増え出し、2010年以降には爆発的な伸びを見せました。そのため旧来まであったエイジ・ステイトメントがなくなる銘柄が増えたり、もともとNASだったものは若い原酒をブレンドするようになりました。おそらくピュア・ケンタッキーXOもこうした流れと無関係ではいられなかったのだと思います。例えば、2006年頃の情報では1バッチ8~10樽ボトリングで最低11年~最高14年物の原酒をヴァッティング、2011年頃の情報では5〜12年熟成のバーボン樽のコレクション、と説明されていました。これらの説明の情報源は蒸留所の方からのものなので、当時としては正確だと思われます。また、海外のレヴュワーさんのPKXOの記事のコメント欄で、KBDは同じラベルの下で異なる市場向けに異なるブレンドをリリースしていると聞いた、と述べている方もいました(追記あり)。 その伝聞が正しいのかは判りませんが、そもそもNASであること、ヴェリー・スモールバッチであることを考慮すると、バッチ毎は言い過ぎとしても生産年の違いによる味の変動は少なからずあるのが普通でしょう。
ピュア・ケンタッキーXOは初期の頃から(多分)2000年代後半までは緑色のボトルに入れられていました。その後は透明のボトルに切り替わります。そして何年間かは上記のバックラベルは貼られていて、現在では貼られていません。個人的にはこうした外観の変更時に中身の大幅な変化があったのではと勘繰っているのですがどうでしょう? 飲み比べたことのある皆さんのご意見、コメントよりどしどしお寄せ下さい。
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ウィレット蒸留所は1980年代初頭に訳あって蒸留の停止を余儀なくされ、80年代中頃からはケンタッキー・バーボン・ディスティラーズ(KBD)というインディペンデント・ボトラーとして活動。そのため余所の蒸留所からニューメイクや熟成ウィスキーを仕入れ、同社のエイジング施設で熟成後に自ら販売したり、他のNDPのためにボトリングしたりしていました。そうした活動が実り、2012年1月、ウィレット蒸留所は再び蒸留を開始し、そして時を経た現在では自家蒸留原酒をボトリングし始めました。
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(画像提供K氏)

以前投稿したケンタッキー・ヴィンテージと同じようにウィレット原酒の物は瓶の形状が変わっています。画像をよくご確認下さい。
さて、今回も親愛なるバーボン仲間でありウィレット信者であるK氏にサンプルを提供して頂きました。お陰でバッチ違いの異なる原酒のちょっとした比較が可能となりました。この場を借りて、改めて画像や情報提供の協力にも感謝致します。ありがとうございました。
今回のレヴュー対象はウィレット原酒を使用した推定2018年ボトリングの物。おまけのサンプルはヘヴンヒル原酒と目される推定2014年ボトリングの物です。では、注いでみましょう。

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PURE KENTUCKY XO 107 Proof
Batch QBC No. 18-31
推定2018年ボトリング。熟したプラム、蜂蜜、シリアル、花、塩バター、キャラメル、ローストアーモンド、ダークチョコレート。ややオイリーな口当たり。味わいには煮たリンゴやグレープやアプリコットのようなフルーツぽさ、もしくはフルーツガムのような旨味がある。ジュースを飲み込んだ時のパンチや濃さは感じられるが、余韻は度数の割りにあっさりしていて少しドライ気味、と思いきやその後から濃厚でフルーティな戻り香がやってくる。一滴加水したほうが甘さが立った。
Rating:87.5/100

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PURE KENTUCKY XO 107 Proof
Batch QBC No. 14-12
推定2014年ボトリング。紅茶、グレイン、溶剤、ミルクチョコレート。口当たりは思うよりさらりとしている。パレートにややハーブっぽい苦味。余韻はオークのドライネスが支配的。あまりフルーツ感のないタイプで、香り以外に甘味が感じにくい。
Rating:82/100

Thought:先日飲んだ新しいケンタッキー・ヴィンテージが凄く美味しかったので、新しいピュア・ケンタッキーXOへの期待値は高まっていました。ところが107というハイ・プルーフから期待するほどのインパクトに欠ける印象でした(特に開封直後)。マッシュビルの違いなのかバレル・セレクトの違いなのか、はたまた加水具合のためなのか判りませんが、KVの方が香りと余韻により華やかさを感じたのです。それでも開封から二週間ほど経ち、残量が3分の2くらいになると徐々に旨味が増し、新ウィレット原酒らしい濃密なフルーツと豊かな穀物が感じ易くなりました。KVとの比較で言うと、PKXOの方が焦がしたオーク由来の風味が強いように感じます。
バッチ14-12は香りからして別の原酒なのは明らかでした。以前投稿したケンタッキー・ヴィンテージの味比べと同じような結果になっているのですが、どうしてもレヴェルが違い過ぎるので点数に差がつきます。通常のヘヴンヒル銘柄とは少し異なる紅茶やハーブのヒントがあるのは評価するとしても、どうも溶剤臭が強いのと甘味を欠く点が私の好みではありませんでした。
ところで、ウィレットの蒸留再開が2012年ということを勘案すると、「ヴィンテージ」や「XO」との名称が付いていても、おそらくKVやPKXOの熟成年数は4~6年程度と推測されます。この先、長期熟成樽が仕上がってくると、バッチングにそうした樽を使用し始めるのか、それとも販売価格とのバランスを考えて今のスペックをキープするのか? 成り行きを見守りつつ、続報を待つとしましょう。マッシュビルに関してもそのうち分かれば追記します(追記あり)。
ちなみに、同じウィレット蒸留所からリリースされているジョニードラム・プライヴェートストックも新原酒に切り替わっていますが、PKXOとJDPSの違いはチャコール・フィルターの有無だけで他は同じだそうです(もちろんPKXOがフィルターなし)。

Value:ピュア・ケンタッキーXOの日本での販売価格は概ね3800~4500円くらいのようです。ケンタッキー・ヴィンテージの相場が3500円程度なことを考えると、107プルーフのPKXOが最安値だとプラス300円足らずで購入出来ることになります。これはハイアー・プルーファー愛好家にとっては嬉しい選択肢でしょう。個人的には、度数が低い割りに満足感のあるケンタッキー・ヴィンテージの方を推しますが、パワーに勝るピュア・ケンタッキーも捨てがたいですね。いずれにせよ他社の同価格帯の競合製品と較べて頭ひとつ抜け出てる印象の新ウィレット原酒はオススメです。
私はピュア・ケンタッキーXOの青く縁取られたケンタッキー州の地図とブルーワックスのデザインがめちゃくちゃ好きなのですが、同じ感性の方います? これって大きな価値ですよね?


追記1:日本が誇るバーボンマニアの方から情報を頂きました。その方によると、PKXOの欧州向けと日本向けを比較したところ、バッチ違い程度の差異しかなかったとのことです。

追記2:マッシュビルはハイ・ライのレシピ(52% Corn / 38% Rye / 10% Malted barley)との情報が入りました。

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ケンタッキー・ヴィンテージはウィレット蒸留所(KBD)が現在リリースしているスモールバッチ・ブティック・バーボン・コレクションの四つのうちの一つです。そのうち最も安価なブランドで、その他のラインナップはピュア・ケンタッキーXO、ローワンズ・クリーク、ノアーズ・ミルとなっています。このコレクションの成立は、おそらく90年代後半ではないかと思いますが、ケンタッキー・ヴィンテージだけもう少し前から一部の国へ向けてボトリングされていました。その頃の物は、現在のような茶色系のラベルではなく、白地に青と赤のトリコロールが印象的なカラーリングでした。ケンタッキー・ヴィンテージの起源は明確ではないのですが、私の知っている限り最も古いのは、ラベルに艶のない「15年101プルーフ」です。これは80年代後半あたりに当時のKBD(プレミアム・ブランズLTD)の社長エヴァン・クルスヴィーンが日本向けに発売した一連のプレミアムな長期熟成原酒の一つかと思われます。多分その後に艶のあるラベルの「12年101プルーフ」と「13年94プルーフ」が90年代初頭に発売されたと推測しています。
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レギュラー製品としてケンタッキー・ヴィンテージが発売された後にも、2000年には、上記と同じ艶のある白青赤ラベルで、ネック部分には熟成年数の替わりに蒸留年ヴィンテージが示されつつ蒸留日とボトリングの日付を手書きで記したシールが貼られ、ブルゴーニュ・スタイルのワインボトルにブルーのワックスで封された「1974」が日本限定で発売されました。またその他に発売年代が判別できませんが、おそらくヨーロッパ向け?と思われる薄紫色のバッグ付きの「1973」と「1974」というヴィンテージ表記の物もありました。両者ともにワイン・タイプではないボトルですし、デザイン的に90年代初頭ぽい気が…。ここら辺までの初期ケンタッキー・ヴィンテージに精通している方は是非ともコメントより情報提供お願いします。
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ケンタッキー・ヴィンテージのそもそもの製品コンセプトは、その名前からしてケンタッキーに長い間眠っていた長期熟成原酒をボトリングすることだったのだと思います。初期の物や限定リリースの物こそその名に相応しいとは思いますが、どういう訳かスモールバッチ・コレクションに再編されました。ウィレットのスモールバッチのバッチ・サイズはせいぜい12バレル程度とされ、選択を18〜20バレルから始めて絞り込むのだとか。そして初期の物と違いレギュラーのケンタッキー・ヴィンテージはNASです。熟成年数に関しては、2011年頃の情報では5〜10年、もう少し前の情報だと6年~12年とされていました。こうした極端に少ないバレル数のバッチングであること、NASであることを考え合わせると、バッチ毎の味の変動が大きい可能性はあるでしょう。バッチ毎は言い過ぎとしても、需要と供給の変化により選択する樽の構成を調整し易いのがNASの利点ですから、少なくとも生産年度に数年の違いがあれば、味わいの変動は十分考えられます。ちょっと明確な時期が判らないのですが、コレクションに編入された時から2000年代半ば(もしくは後半?)までは、色の付いた首の長い独特な瓶にボトリングされていました。その後の物も首は長めですが、もう少し一般的な形の透明の瓶に切り替わります。こうした外見の変化、パッケージのリニューアルは中身の大幅な違いをも表しているかも知れません。
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元ウィレット蒸留所のKBDことケンタッキー・バーボン・ディスティラーズ社は、80年代初頭に訳あって蒸留を停止してから長きに渡ってボトラーとして活動して来ました。そのため原酒を他所から調達しており、その殆どはヘヴンヒル蒸留所からと目されています。それが変わったのは2012年。長年の自社蒸留復活の夢が遂に叶い、蒸留を再開したのです。そして、それから数年を経て、自社蒸留原酒をボトリングし始めた、と。そこで新しいケンタッキー・ヴィンテージの登場です。
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(写真提供K氏)
画像で判る通り、ボトル形状が少し変わりました。新しい物は首が少し短くなり、肩周辺がより丸みを帯びたシェイプになっています。おそらく2017年もしくは2016年のバッチあたりから新しい物に切り替わっているのではないかと推察していますが、皆さんのお手持ちのバッチ情報があったらコメントよりお知らせ下さい。

さて、今回は私の手持ちの推定2017年ボトリングのケンタッキー・ヴィンテージをレヴューするのですが、親愛なるバーボン仲間でありウィレット信者のK氏から二種のサンプルを頂きまして、そのお陰でサイド・バイ・サイドによるちょっとした比較が可能になりました。男気溢れるK氏には掲載画像の件も含め、改めてこの場でお礼を言わせてもらいます。ありがとうございました。
で、その二種のサンプルは、一つが推定2018年ボトリングのもの。これにより半年~一年差のバッチ違いの比較が出来ると想定しています。もう一つは推定2010年ボトリングのもの。こちらでは原酒の違いを比較できるかと思います。では、飲み比べてみましょう。

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Kentucky Vintage 90 Proof
BATCH QBC No. 17-62
推定2017年ボトリング。蜂蜜、熟したプラム、トーストブレッド、チャードオーク、グレープ、コーン、パイナップル、梅干。さらりとした口当たり。パレートはモルティな風味とフレッシュフルーツ。余韻は豊かな穀物と穏やかなスパイスが割りと長く続く。
Rating:87.5/100

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Kentucky Vintage 90 Proof
BATCH QBC No. 18-10
推定2018年ボトリング。バッチ17-62とほぼ同様なフレイヴァー・プロファイル。強いて言うならポップコーンぽさが強いのと、オークのバランスがやや違うような気もするが、それは酸化の進行状況の違いかも知れず、概ね同じものと見做していいと思う。
Rating:87.5/100

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Kentucky Vintage 90 Proof
BATCH QBC No. 10-174
推定2010年ボトリング。上記2つより色は濃いめ。金属、薄いキャラメル、木材、コーンブレッド、ホワイトペッパー、クローヴ。ちょっとメタリックな匂い。味はビター感が強めで甘さが足りない。余韻はスパイシーでさっぱり切れ上がる。
Rating:81.5/100

Thought:現行のケンタッキー・ヴィンテージは、渋いラベルからは想像もつかないデリケートなフルーティさに満ち、なんと言うか原酒本来の穀物感が活きたバーボンだと思いました。現在のウィレット蒸留所には6種類のマッシュビルがあるとされ、その内訳は、

①クラシック・バーボン・レシピ
(72% Corn / 13% Rye / 15% Malted barley)
②ロウ・ライ・バーボン・レシピ
(79% Corn / 7% Rye / 14% Malted barley)
③ハイ・ライ・バーボン・レシピ
(52% Corn / 38% Rye / 10% Malted barley)
④ウィーテッド・バーボン・レシピ
(65% Corn / 20% Wheat / 15% Malted barley)
⑤ハイ・コーン・ライウィスキー・レシピ
(51% Rye / 34% Corn / 15% Malted barley)
⑥ロウ・コーン・ライウィスキー・レシピ
(74% Rye / 11% Corn / 15% Malted barley)

と、なっているようです(上記のレシピ名は、分かりやすいようにセカンド・グレインの差を中心に据えて私が勝手に付けたものです)。一瞥して気付くのはモルテッドバーリーの配合率の高さですよね。これはもしかすると商業用酵素剤を使用していないのかも。それは偖て措き、ケンタッキー・ヴィンテージです。KVのマッシュビルは公表されていませんが、個人的には③一種もしくは少なくとも③を中心としたブレンドではないかと感じました。飲んだことのある皆さんはどう感じたでしょうか? どしどしコメントをお寄せ下さい。
一方のヘヴンヒル原酒と目されるバッチ10-174は、フレイヴァー・プロファイルが全く異なります。異なるだけでなく、ウィレット原酒とは正直言ってレヴェルが違うと思いました。私の好みにウィレットの方が合っていたとは言えますが、そもそもアロマの強さと余韻の広がりが段違いなのです。それとバッチ17と18を飲み比べた結果、ここまで似ているのなら、今後も安定してこの味でリリースされると予想されるでしょう。ウィレット蒸留所に拍手を、 そしてブレンダーの腕に乾杯を。

Value:ケンタッキー・ヴィンテージの現行製品の日本での販売価格はだいたい3500円前後が相場でしょうか。その価格帯の製品としては、ハイエンド感を演出するワックス・スタンプとワックス・シールドが施された外見はとても魅力的です(ただし、スクリュー・キャップとラベルの質感は安っぽい)。そして外見に劣らず中身がこれまた素晴らしいときたらオススメでない訳がありません。個人的な印象としては、焦樽感で押し通すタイプのバーボンではないので、普段スコッチやジャパニーズウィスキーを飲まれる方にも好まれるのではないかと思います。そして何より、現行製品は旧来のヘヴンヒル原酒の物とあまりにも違いがありますので、昔飲んで印象に残らなかったという方には是非とも再チャレンジして頂きたい銘柄です。


追記:ウィレット蒸留所と縁の深いバーGのマスターより情報頂けました。最近のものは21樽のバッチングだそうです。
またマッシュビルは①との情報が入りました。

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ウィレット蒸留所(KBD)がリリースするジョニードラムのブラックラベルです。その名前の由来について日本でよく語られるのは、ジョニー・ドラムは1870年にバーズタウンで酒類販売をしていた人物で、樽買いした原酒をブレンドし自分の名前をつけ売り歩いたのが始まり云々。海外では、ジョニー・ドラムという名前のティーンは家を出て南北戦争の南軍に参加、しかし彼は若すぎて武器を取ることは出来ず、1861年にドラマー・ボーイ(*)を務め、故郷のケンタッキー州に戻ってからトウモロコシを使い蒸留を始めた云々、と言われます。このジョニー・ドラムなる(愛称の?)男が実在の人物なのか分かりませんが、海外で語られている話が彼の前半生、日本で語られている話が後半生として辻褄は合っています。けれども、どうも取って付けたバックストーリーな感は否めません。ラベルのデザインからしても、ジャックダニエルズやエヴァンウィリアムス流のクラシックな人名ラベルを想起させます。ウィレットの公式ホームページによれば、60年代にカリフォルニアの卸売業者のために開発されたとの記述がありました。
ジョニードラムには現在、80プルーフのグリーンラベル、86プルーフのブラックラベル、101プルーフのプライヴェート・ストックの三つがあります。と言っても全てがいつでも利用可能な状態ではないようで、ウィレットのホームページの製品紹介欄にグリーンラベルは載ってませんし、日本でもネット酒販店では売り切ればかりです。おそらくグリーンは廃番もしくは出荷調整、または輸出国により供給に差があるのでしょう。

さて、ここらで古いジョニードラムについてでも語りたいところなのですが、実はその類いの情報はネットで調べてもイマイチ分かりません。80年代後半以前のオールドボトルの画像も皆無と言えます。先に述べた60年代のオリジナルと目されるジョニードラムが、特定の卸売業者のために作成されたということは、流通範囲はかなり限られていたと推察されるので、画像が見当たらないのも仕方ないでしょう。しかし、いくらウィレット蒸留所がジムビームやワイルドターキー蒸留所と較べて生産規模の小さい蒸留所とは言え、これほど過去のボトルの写真がネット上にないのは、60年代のリリース後に継続して製造されていなかったからではないでしょうか。おそらく、時を経た80年代になって主に輸出用のブランド(特に日本)として再開され、アメリカ国内では例えばケンタッキー州限定での販売だったのではないかと想像します。そして、その後全国配給になった…と。これはあくまで私の想像なので話半分で聞き流して下さい。と言うか、詳細ご存知の方はコメントよりご教示頂けると助かります。

先日オークションで丸瓶のジョニードラム12年グリーンラベルが出品されているのを見かけました(年式は不明)。それは「12年」表記の楕円形シール(**)が本体ラベルと別個で付けられていて、私としては初めて見たパターンの物でした。比較的、日本人に馴染み深い(よく見かける)オールドボトルのジョニードラムというと、80年代後半あたりから90年代にかけて流通していたと思われる日本の都光商事のアドレスがラベル正面下部に記載されたボトルかと思います。
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この頃の物はグリーンが8年熟成、ブラックが12年熟成、そして共に86プルーフでした。現行にせよこの時代の物にせよ、色で言うとブラックは常にグリーンより格上のようです。それだけに、上に述べたグリーンラベルの12年があったのに驚いたのです。その後、グリーンはいつの間にか4年熟成になり、プルーフも80に下がりました。ブラックはおそらく90年代後半か2000年代前半頃にNASとなったと思われます。NASのブラックラベルの中身に関しては、一説には4~12年の原酒を使用しているとされます。ただ、この中身の熟成年数は発売年式および生産ロットにより変動している可能性はあるでしょう。ではテイスティングの時間です。

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Johnny Drum Black Label 86 Proof
推定2008年ボトリング。杉、ナツメグ、弱いカラメル、グレープ、僅かなアーモンド、インク。あまり甘くないウッド・スパイス系のアロマ。やや酸味のある味わい。ソフトな酒質。余韻は軽めのスパイスと穀物感が主で、ビタネスを伴いすっきり切れ上がる。
Rating:81.5/100

Thought:ウィレット蒸留所が蒸留を再開したのは2012年からなので、推定ボトリング年からすると、原酒は100%ソーシング・ウィスキーとなります。概ねヘヴンヒルからの調達であるとされるので、エヴァンウィリアムス等と較べてどのくらいの違いがあるのかが気になるところでした。海外のバーボンマニアで、エヴァンウィリアムスに選ばれなかったバレルが樽売りされているのではないか、という趣旨のことを言っている方がいましたが、正直、私には調達方法の詳細は判りません。仮にそうであれ、蒸留したての原酒を購入しているのであれ、マッシュビルを共有するとしても、ウィレットの熟成倉庫でエイジングすれば風味は多少変化する筈です。更にブレンディング(バッチング)の違いも考慮すれば、どのみち異なるバーボンとは言えるでしょう。
で、私の飲んだ感想としては、通常のエヴァンウィリアムスとはかなり違うバーボンであると思いました。強いて言えば、スパイス感の方向性がエヴァンウィリアムスと言うかヘヴンヒルのフレイヴァーぽいような気もしますが、独特の木香とビター感はこのボトル特有かと。また、海外の或るバーボン飲みの方は、いつのボトリングか分かりませんが、ジョニードラム黒ラベルNASをワイルドターキーのレアブリードに似ていた、と言っていました。少なくとも私の飲んだ物や私の舌にはそうは感じられなかったです。それと、日本の酒販店の多くには、ジョニードラム黒ラベルの商品紹介に「12年原酒をメインにブレンド」と書かれています。どこまで信じてよいか判らない情報ですが、確かにタニックなビター感とソフトな酒質はそうであってもおかしくはないかなとは思わせます。飲んだことのある皆さんはどう思われるでしょうか? どしどしコメントお待ちしております。

Value:KBDのリリース中、スモールバッチの物と較べると量産型であろうジョニードラム。特にNASは凄くハイクオリティとは言い難いです。日本では概ね2500円前後の販売価格でしょうか。個人的には現行のエヴァンウィリアムス黒ラベルよりかは美味しく感じましたので、もし同じ価格ならジョニドラを選びます。ですが現行のエヴァンウィリアムス赤ラベルが3000~3500円で買えるなら、そちらを選ぶのが私の好みです。


*軍隊の中で非戦闘員として、戦場での使用のためにドラムを担当した少年のこと。
ドラムは戦場で歩調を合わせるために使われるだけでなく、指揮系統の重要な一部であり、ドラムロールを使用して士官から部隊へ様々なコマンドを通知したと言います。ドラマーには公式の年齢制限がありましたが、しばしば無視され、時として最年少の少年は成人兵士によってマスコットとして扱われました。ドラマーの少年の生活はかなり魅力的に見え、そのため、少年は時々家から抜け出して入隊したのだとか。または、同じ部隊に仕える兵士の息子や孤児であったかも知れないそうです。
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**ジョニードラム15年の昔の物や、イーグル・クエスト、バーボンスター等と共通するデザインの、KBDのバーボンによく使われている「あの」シールのことです。

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K

KBD
「Kentucky Bourbon Distillers」の略。1936年創業のウィレット蒸留所は、40年代にはオールドバーズタウン、60年代にはジョニードラムといった銘酒を産み出した名蒸留所だったが、70年代後半のエネルギー危機に際して、折からのバーボン需要低迷もあり、ガソホール燃料のための工業用エタノール製造へと同蒸留所を転換。投資家はそのような事業に投資しており、バーボンの蒸留よりも利益が上がると考えられていた。1981年から1983年まで蒸留所を 「Bardstown Fuel Alcohol Inc.」にリースしてエタノールを生産したが、禁輸措置が終わり燃料価格が落ち着くと、使い物にならない装置を残して会社は破産の憂き目にあった。
1972年にウィレット家の娘マーサと結婚していたノルウェージャンのエヴァン・クルスヴィーンは、1984年7月1日、義父のトンプソン・ウィレットから同社と不動産を購入し、蒸留所登録番号DSP-KY-78のケンタッキー・バーボン・ディスティラーズへと改称した。しばらくは蒸留を停止する前の旧ウィレット蒸留所産のバーボンをボトリングし販売していたが、在庫がなくなる前に他の蒸留所からバーボンやライウイスキーを購入しウェアハウスを補充するようになった。その大部分はヘヴンヒル蒸留所から購入していると目されるが、一部の銘柄ではスティッツェル=ウェラー蒸留所やバーンハイム蒸留所産のバーボンとされる物もあり、他にも大手のジムビーム蒸留所やフォアローゼス蒸留所のブランド的にはオフ・フレイヴァーとなった原酒も購入しているらしい。或るバーボンマニアのブログによれば、メーカーズマーク以外の原酒は取り揃っている、との話もある。そして、そういった原酒とブレンド技術を駆使してオリジナル製品のノアーズミル、ローワンズクリーク、ピュアケンタッキーXO、ケンタッキーヴィンテージなどのスモールバッチバーボンをリリースする一方、他社の契約ボトラーとしても活動し、初期のミクターズやジェファーソンズ、オールドポーグやコーナークリーク等をボトリングしていた。またブローカー的な役目も果たし、日本市場限定となるプレミアム製品も数多く手掛けた。それらの中ではヴェリーオールドセントニックやレアパーフェクション等が名高い。
こうした自ら蒸留を行わないNDPとしての活動が実り、数年を要した改装の末、2012年に約30年ぶりとなる蒸留を再開した。ちなみにKBD以外にプレミアム・ブランズLTDという名称もあった。登録上別会社なのかも知れないが私には詳細は判らない。会社の設立年は1983年とされている。

KC
「Knob Creek」の略。ジムビーム社が展開するスモールバッチバーボンコレクションの一つ。禁酒法時代にルーツをもつラベルとボトルデザインは秀逸。ライやシングルバレル、いくつかのアニヴァーサリーモデルもあり、アメリカ本国ではストアピックが人気。
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Kentucky Chew─ケンタッキーチュウ
そのコンセプトはビーム家第6代の故ブッカー・ノー氏によって考案され、7代目のフレッド・ノーが勧めているテイスティング方法。バーボンを口の中全体に行き渡らせ、少しくちゅくちゅして飲み込んだ後、ガムを噛むように「チャッ、チャッ、チャッ、チャッ」と音をたてて味わうこと。こうすることでバーボンの複雑な味を全て味わうことが出来ると云う。

◆Kentucky Hug─ケンタッキーハグ
バーボンを飲み込んだ後に食道や上半身に感じる暖かさを指す言葉。ケンタッキー・チュウと同じくブッカー・ノーからの用語と見られる。

KSBW
「Kentucky Straight Bourbon Whiskey」の略。ケンタッキー州で造られたストレート規格のバーボン。


L

L’Burg
「Lawrenceburg」の略。ワイルドターキーやフォアローゼスの蒸留所があるケンタッキー州ローレンスバーグのこと。またインディアナ州にも同名のローレンスバーグがあり、こちらはMGP(LDI)で有名。

LDI
「Lawrenceburg Distillers Indiana」の略。現在MGP(もしくはMGPI)と呼ばれるプラントの旧名。元シーグラムのメインプラントで、シーグラム解体後、様々なブランドや資産は他の企業によって取得され、ローレンスバーグ蒸留所はペルノ・リカールの所有となった。2006年には蒸留所を閉鎖するとアナウンスされたものの、2007年にトリニダード・トバゴを拠点とするCLフィナンシャル(アンゴスチュラの親会社)が購入し、その際に改称してLDIと呼ばれるようになった。CLフィナンシャルはその後崩壊し、2011年10月にMGPイングリディエンツが蒸留所を購入、それ以後はMGPとして知られるようになった。

LE
「Limited Edition」の略。限定版、つまり数に限りがあるか、継続的なリリースではないため、レアウィスキーであることを含意する。

Leaching(Charcoal Leaching)─リーチング(チャコールリーチング)
濾すこと、濾過、浸すこと、浸出を意味する言葉。テネシーウィスキーの特徴となる熟成前の原酒をサトウカエデの炭で濾過する工程。リンカーン・カウンティ・プロセス、チャコール・メロウイングとも言う。それらの項を参照。

Limestone Water─ライムストーンウォーター
バーボンを語る際かなり頻繁に耳にする用語だが、より一般的に言うと所謂「硬水」。ライムストーンは石灰岩のことで、ケンタッキー州やその周辺の州の地盤は石灰岩層があり、そこを地下水が通って湧き上がる水は、カルシウムやマグネシウムのようなミネラル含有率が高く、発酵を促進する高いpHを有し、なおかつ酒に悪い味を与え色を黒くする不純物の鉄分を濾過する。それ故、バーボン造りに欠かせない、と言われることが多いが、バーボンの製造に使わなければならないという規則はない。また、ライムストーンウォーターを使えるなら使うに越したことはないが、それは最終的なフレイヴァーの一部ではあっても不可欠の要素ではない、とされる。聞くところによると、現代では地下水が汚染され、多くの蒸留所では都市の水道水や川の水に依存し、独自にカーボンフィルターをかけたり逆浸透水を使い、ライムストーンウォーターのみを使うのは一部のメーカーだけだと言う。

Lincoln County Process─リンカーンカウンティプロセス
テネシーウィスキー特有のプロセスで、樽熟成する前のニューメイク(ホワイトドッグ)をシュガーメイプルの炭を敷き詰めた桶で濾過すること。チャコールメロウイングとも知られる。2013年のテネシー州法はそのアイデンティティをさらに洗練させ、テネシーウィスキーを名乗るには熟成前にシュガーメイプルの炭を通さなければならない、とした。
リンカーン・カウンティ・プロセスという用語は、その製法自体は古くからあるものの比較的新しい造語で、1950年代あたりから使われ出したらしい(それまでは単にリーチングまたはチャコール・リーチングと呼ばれていた)。そもそもリンカーン・カウンティ・ウィスキーという言い方が先にあり、そこから派生した言葉と見られる。かつてのリンカーン郡は現在よりも大きく、ジャック・ダニエル蒸留所のあるリンチバーグが含まれていた。今日ジャック・ダニエル蒸留所があるムーア郡は、リンカーンと他の3つの郡の一部から再編され1871年に設立された。1830年代初頭からテネシー州リンカーン郡はアメリカで最も生産的なコーン栽培地区として知られ、その素晴らしいコーンの評判はウイスキーに結び付き、モノンガヒーラ・ライのように、リンカーン郡の名称を用いることはセールスポイントだった。1866年には、蒸留所やブローカーは新聞に「リンカーン・カウンティ・ウィスキー」という広告を掲載し始め、テネシー州の他のウィスキーやケンタッキーバーボン等との差別化を図った。1900年代初頭のジャックダニエルズのラベルには「Jack Daniel’s Pure Lincoln County Corn Whiskey」と記載があると言う。
その製法の創始者や起源には諸説あり、アルフレッド・イートンが1825年頃にサトウカエデの木炭濾過を独自に開発し、後にジャック・ダニエルに教えたとか売ったという説や、少年ジャック・ダニエルを雇ったダン・コールが発案したという説、または黒人奴隷たちが自分たちの飲む酒をこっそりと造るときに行っていた方法に由来しているという説もあれば、アメリカ北東部からの流れ、ひいてはヨーロッパにその源流を求める推察もある。つまりバーボンの創始者と同様に明確な資料がなく、誰がいつ始めたというはっきりした回答はない。しかしその来歴や効能についてはある程度の定見がある。
1800年代前半は殆どのウィスキーはバレルエイジングされていなかった。そのため蒸留されたてのウイスキーから粗いエッジを取り除くのにシュガーメイプルやヒッコリーの木炭で濾過することは、ケンタッキーやテネシー州だけでなく、他の場所でも多くの蒸留所で行われていたと言う。ところがリンカーン郡の蒸留所は、これを極端に行った。炭を敷き詰めた高さ10フィート(約3メートル)以上の桶で。それがリンカーン・カウンティ・プロセスが生まれた経緯であると考えられている。比較的長い時間をかけて原酒を炭に浸出させる行為は、手早く炭で濾しただけのフィルタリングに較べ、ある種の熟成プロセスの飛躍として機能した。樽熟成中に自然とバレル内側の炭化層によって除去される(または化学変化する)望ましくないコンジェナース(フーゼル油など)の一部を、蒸留直後にチャコール・リーチングで取り除き、アンエイジドウィスキーに円やかさとライトなボディを与える。それこそがリンカーン・カウンティ・ウィスキーの評判を高めた要諦だった。後にテネシーウィスキーも樽熟成を行うようになったが、熟成前のメロウイングはその特徴として残されたのだろう。

Lot─ロット
本質的に同じ条件で均一な品質を保持することを意図して製造された製品の生産上や出荷上の単位。主に製造業で使われる言葉で、その職種やその企業によって微妙に意味合いが異なり、バッチとほぼ同じ意味で使われることもあれば、違う概念として使われることもある。「ロット管理」と言うと比較的分かりやすく、商品や製品の仕入れから販売ないし出荷までを製品単位ごとに管理する方法で、簡便的な在庫管理の手法。単位ごとに「ロット番号」を付与して管理する。

Lot B
 「Van Winkle Special Reserve 12 Years Lot B」の略。ヴァン・ウィンクルの製品としては比較的買い易く、昔はそれほどレアな製品ではなかったが、パピー人気につられて入手が困難となり、日本ではすっかり見かけなくなった。バッファロートレースの小麦レシピで造られている。
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L’Ville
「Louisville」の略。多くの蒸留会社が集うバーボンの中心地であり、ケンタッキー州最大の商業都市。ルイビルのダウンタウン、メインストリートは主にオハイオ川沿岸に隣接していたため、多数の企業のオフィス、倉庫、整流施設が密集し、19世紀のケンタッキーウィスキー産業全盛期に「ウィスキーロウ」と呼ばれ、今でも観光スポットとしてバーボン好きには見逃せない。

Low Rye Mash Bill─ロウライマッシュビル
バーボンのマッシュビルで、ライ麦の配合率が低いものを指す用語。明確な規定がある訳ではないが、概ねライ麦が10%もしくは以下ならロウ、15%ならミドル、18%以上ならハイと思っておいていいだろう。

Low Wine─ロウワイン
第一蒸留で出来上がる液体の呼称。概ね25〜35%のabvだと言う。これが第二蒸留へ向かう。

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