◆◆FOR BOURBON LOVERS ONLY◆◆
バーボンの製品情報、テイスティングのメモ、レーティング、思考、ブランドの歴史や背景、その他の小ネタなどを紹介するバーボン・ラヴァーによるブログ。バーボンをより知るため、より楽しむため、より好きになるための、初心者から中級者向けの記事を投稿しています。ハイプルーフかつアンフィルタードなレヴューを目指して。バーボン好きな方は是非コメント残して下さい!

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(画像提供K氏)

アメリカ国内でのバーボン需要が低かった1980年代から2000年頃まで何年にも渡って海外へ販売されたKBD(プレミアム・ブランズ、ウィレット)の数多いブランドのうちの一つがバーボンタウン・クラブです。多分、80年代後半~90年代前半にかけて日本に輸入され、比較的短期間で使われなくなったラベルかなと思います。名前の「バーボンタウン」というのは、どう考えてもバーズタウンのことを指しているでしょう。だから、バーズタウン・クラブと言ってるに等しいかと。ちょっと紛らわしいですが、実際このバーボンタウン・クラブと同時期くらいに同じくKBDのブランドで「バーズタウン・クラブ」という姉妹品?もありました。ラベルのデザインから言って、プレミアム感を構築する意図は感じられません。そのため壮大なブランド・ストーリーなどは特にないです。このブランドが昔のラベルの復刻なのか、それとも輸出専用ラベルとしてその当時に作成されたのかもよく分かりませんでした。

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(画像提供K氏)
バーボンタウン・クラブにはヴァリエーションとして、6年86プルーフ、10年86プルーフ、12年86プルーフ、スクワット・ボトルの15年101プルーフがありました。初期の丸便のラベルでは「THE WILLETT DISTILLING COMPANY」を、後の角瓶では「OLD BOURBONTOWN DISTILLERY」を、DBAの名義として使っています。どちらにしても、6年物はどうか判りませんが、10〜15年物は発売年と熟成年数を考慮すると旧ウィレット原酒の可能性が高いと思われます。今となってはオークションで高騰の一途を辿る原酒の一つな訳ですが、今回もまたInstagramで活躍中のウィレット信者K氏よりサンプルを頂きました。画像提供の件も含め、こちらで改めてお礼を言わせてもらいます。貴重なバーボンをありがとうございました。バーボン繋がりに乾杯!

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BOURBONTOWN CLUB 10 Year 86 Proof
推定1989年ボトリング。オールドボトルファンク、ヴァニラウエハース、キャラメル、クローヴ、ミント、茴香。ノーズはオールド臭の中に僅かな甘い香り。口当たりは水っぽい。味わいは漢方薬のようなハーブのような薬っぽさで苦く、甘み弱め。余韻は、口の中から香りはあっという間に消え、鼻腔と喉奥にオールド臭が長く残る。
Rating:74/100

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BOURBONTOWN CLUB 12 Year 86 Proof
推定1989年ボトリング。キャラメル、湿った地下室、焦がしたオーク、樹液、オレンジ、茴香、ミント、タバコ、土、コーン、ビターチョコ。水っぽい口当たり。アルコールのヒリヒリ感は全くない。味わいはアーシーなハーバルノート強め。余韻は86プルーフにしては長く、ビターな風味が尾を引く。
Rating:82.5/100

Thought:実は10年の方は見た目がけっこう曇っていました。おそらくボトリング時の味や香りも多少は存命しつつも、かなりオールドボトル・エフェクトが効いていて、このバーボン本来の味わいとは程遠いと思います。正直このままではキツイほど…。しょっぱいオツマミ、例えばサラミとかに合わせると幾分か飲み易くなりました。バーボンに限った話ではないかも知れませんが、直前に食べた物によって感じる風味は変化します。自分的に飲みづらいと思うバーボンに出会ったら、何かしら相性の良い食べ物とペアリングするのはオススメの手法ですね。
12年の方も少し曇りはあるのですが、10年と較べるとかなりクリアだったので、軽めのオールド臭くらいで済んでいましたし、グラスに注いで暫くするとそれも消えたので普通に飲めました。薬っぽい風味がやや少なく飲み易かったのです。ノーズでもパレートでも10年と共通する傾向は感じ、おそらく両者はかなり似ている気がします。10年がまともな状態だったら、あまり差が分からなかったのかも知れません。残念だったのは、思ったよりフルーティさを感じれなかったところです。もしかすると6年物の方が自分の好きなフルーティさが取れたのかも…。

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周知のようにブラントンズはバッファロー・トレース蒸留所で造られています。しかし、ブラントンズのブランドを所有しているのはバッファロー・トレース蒸留所でもなければ、その親会社サゼラックでもありません。ブラントンズは、バッファロー・トレース蒸留所のマッシュビル#2と呼ばれるレシピで造られる製品、エンシェント・エイジ、ロック・ヒル・ファームス、エルマーTリー、ハンコックス・プレジデンツ・リザーヴと同様に、エイジ・インターナショナル・インコーポレイテッドのブランドです。そしてそれは、ブラントンズが日本に縁の深いバーボンであることを意味します。1984年に発売された当初、そのシングルバレルの製品はアメリカでは団塊の世代をターゲットに約25ドルで販売されましたが、彼の地では新しいバーボンの需要を喚起するには至らず、唯一のポジティブな点と言えば日本での人気だけでした。馬のボトル・トッパーという素晴らしい装飾を備えた豪奢なバーボンは、その歴史の大部分に於いてアメリカでは酒屋の棚で埃を被るみすぼらしい何かだったのです。しかし、2019年から2020年あたりに突如としてブラントンズは「ユニコーン」に変わり、アメリカでは簡単に購入出来ないバーボンの一つとなりました。今回はそんなブラントンズの始まりの物語を紹介したいと思います。

今、最盛期とも言えるほどの好況を呈しているアメリカのウィスキー業界も、1970年代の売上減少を経て迎えた1980年代は最底辺に沈んでいた時代でした。ウィスキー製造販売事業は往年の販売量の半分を失い、売上高はほぼ安定していたものの緩やかな速度でまだ減少し続け、復調の兆しは一向に見えていませんでした。生産者は衰退が一時的なものであると信じていたため、あまりにも長い間生産を続けてしまい、業界には少数の人々しか望まないウィスキーが溢れ返っていました。売り上げは減ったのに在庫が増え過ぎたことで利益が圧迫され、ウィスキーの資産は芋づる式に変化していたのです。現在バッファロー・トレース蒸留所と呼ばれている昔のジョージ・T・スタッグ蒸留所も、1950年代初頭以降、大きな変化はありませんでしたが、ウィスキーの需要が減少したにも拘らず、1970年代まで安定したペースで生産が続けられていました。1980年代初頭には、スタッグ蒸留所をはじめとする業界全体で成熟したウィスキーの大量供給があった、と。

当時は今と異なり、多角的なコングロマリット(複合企業体)が大流行していました。大規模なスピリッツ生産者の殆どはもはや独立しておらず、コングロマリットの一部に属して様々な関連性のないビジネスと企業世帯を共有していました。1980年代初頭、フレデリック・ロス・ジョンソンという凄腕の最高経営責任者が率いたナビスコには、フライシュマンズ・ディスティリングを含むスタンダード・ブランズと呼ばれる子会社がありました。フライシュマンズのCEOは元々シーグラムやシェンリーに勤めていた酒類業界のエグゼクティヴであるファーディー・フォーク、そして社長がその右腕のロバート・バラナスカスでした。1983年、ジョンソンはスタンダード・ブランズをグランド・メトロポリタンに売却することを決定します(*)。グランド・メトロポリタンには既にJ&Bスコッチやスミノフ・ウォッカなどを販売する酒類部門があり繁盛していました。フォークとバラナスカスは会社が売却された後には職を失うと思っていたので、会社を辞職して自分たちで新たな酒類事業を始めることにしました。彼らは少数の個人投資家と共に、フォークが以前シェンリーの幹部だったので、当時シェンリーを所有するコングロマリットのメシュラム・リクリスにオールド・チャーター・ブランドを購入することを期待してアプローチします。しかしリクリスはオールド・チャーターの販売には興味がなく、おそらくは常に資金を必要としていたので、代わりにエンシェント・エイジのブランドと、それが製造され当時ほぼ休眠状態だったとも少々荒廃していたとも言われるジョージ・T・スタッグ蒸留所を一緒に販売することをフォークとバラナスカスに申し出ました。こうした経緯でケンタッキー州フランクフォートにある蒸留所は、1983年、新しく設立されたエイジ・インターナショナルに売却されます。この事は、当時のアメリカではまだバーボンは家庭でウィスキーの主流派ではなく、一般消費者にとってあまり重要な出来事ではありませんでした。フォークとバラナスカスが新会社に付けた名前が示すように、彼らはバーボンの未来はアメリカの外にあると信じていたのです。二人は日本の飽くなきバーボンへの渇望を感じていました。その頃の日本ではバーボンが人気を高めており、I.W.ハーパー、フォアローゼズ、アーリータイムズなどの比較的安価な銘柄は、アメリカン・スタイルのトレンディなバーで定番としてよく見かけるようになっていたそうです。しかし、日本でのバーボンの人気は、全くの偶然からそうなったのではありませんでした。

1975年から84年までシェンリー・インターナショナルの輸出部門の責任者を務めたウィリアム・G・ユラッコは、バーボンというアメリカン・ウィスキーの日本市場を開拓し、シェンリーの主要ブランドを普及させる仕事を担当していました。日本のウィスキー文化の受容はスコッチを基としています。そのため主に飲まれた製品はスコッチ・モルトをベースに造られたジャパニーズ・ウィスキーとスコットランドから輸入された本格的なスコッチ・ウィスキーです。バーボンはそれらに比べれば幾分かマイナーな存在であり、味わいの傾向もかなり異なるため、スコッチ・テイスト指向の日本市場でユラッコに任された仕事は困難な作業でした。1972年に極東への偵察旅行を開始した時、彼には日本の旧来の飲み手にバーボンに乗り換えてもらうのはほぼ不可能なことのように思われました。成功するためには強力なパートナー(販売代理店)、優れた市場計画、相当な努力、そして運が必要だったと彼は言います。幸いにも彼らは日本のウィスキー市場の70%を占める大手飲料メーカーであるサントリーとの合意に至り、流通やプロモーションを任せることが出来ました。当時シェンリーの最大のライヴァルであったブラウン=フォーマンも、サントリーと同じ取引をしていました。ユラッコは、シェンリーの経営陣が下した自社の最重要ブランドを主要な競争相手と「同じ家」に置くという決断の重要性は計り知れなかった、と言います。「これはフォードやジェネラル・モータースが日本で販売するトップモデルの全てをトヨタに提供するようなものだ」と。このことは関係者にとって大きな賭けでした。サントリーは日本のウィスキーに二度と競合相手が現れないように意図的にバーボンの販売を減らすことも出来るし、どちらかの社のブランドを優遇することも出来ます。しかし、実際のところシェンリーもブラウン=フォーマンも失うものはそれほどありませんでした。それにサントリーも単に試験的な販売をしたかった訳ではありません。ユラッコによると、サントリーは商品やサーヴィスが世の中への感度が非常に高い人だけでなく一般に広がって行く分岐点となる供給量のバーボンを求めて来たそうです。あらゆる味とプライス・レンジの製品を用意し、それぞれのブランドに独自のアイデンティティを与え、市場の隙間を埋めるために。シェンリーはエンシェントエイジ、J.W.ダント、I.W.ハーパーを、ブラウン=フォーマンはアーリータイムズ、オールドフォレスター、ジャックダニエルズをサントリーに提供しました。そして日本の消費者が従来のスコッチ・タイプのウィスキーを好む傾向から引き離す必要があります。そこで彼らはマーケティング戦略として、従来の中高年のヘヴィーユーザーを完全に見限り、コカコーラやリーヴァイスのような欧米のプロダクツやイメージに敏感で嗜好がまだ定まっていない大学卒業後の若い消費者をターゲットに注力することに決めました。日本では殆どの飲酒が自宅ではなく外出先で行われることに着目し、シェンリーとブラウン=フォーマンは協力してサントリーの6つのブランドのみを取り扱うバーボン・バーを全国に展開。そこには若者向けの、アメリカン・ミュージックが流れ、アメリカン・スタイルの料理が提供され、バーボンをサポートするイメージが伝えられました。その戦略の成果はあったようです。日本ではバーボンは売れないだろうと業界からは見られていましたが、1970年代を通じて着実に成長を遂げ、80年代半ばには軌道に乗り、1990年には200万ケース以上の規模に達しました。シェンリー社の代表的な銘柄であるI.W.ハーパーの成功は特に著しく、1969年に世界で2000ケースだったものが、サントリーの大々的な広告の効果もあってか、1991年には50万ケースを超える日本で最も売れているバーボンとなったのです。
アメリカで殆ど無視されていたバーボンが日本では、或る時点(90年前後?)でアメリカからのバーボン輸出量の51%を占め、1980年代に349%の伸びを示したと言います。日経通信社調べによる1986年の日本へのバーボンウィスキー輸入実績トップ10は…

① I.W.ハーパー
②アーリータイムズ
③フォアローゼズ
④ワイルドターキー
⑤オールドクロウ
⑥ジムビーム
⑦エンシェントエイジ
⑧J.W.ダント
⑨オールドグランダッド
⑩テンガロンハット

…でした。シェンリーやブラウン=フォーマンがサントリーと提携したように、他の大きな酒類会社のシーグラムはキリンと提携し、日本にフォアローゼズを広めました。ナショナル・ディスティラーズも同様な努力をしたのでしょう。こうした状況は程なくして他のブランドも「日本でビッグになれる」と目をつけることになリます。I.W. ハーパー、アーリータイムズ、フォアローゼズ等は日本に救われたブランドと言えますが、他にも上のリストに載っていない無数の日本向けボトルが作成されました。日本向けボトルには様々なプライス・レンジの製品がありましたが、アメリカとは正反対な特徴と言えばプレミアム感と長期熟成。今回取り上げているブラントンズは長期熟成ではないプレミアム・バーボンの代表と言え、殆ど日本のために特別に作成されたバーボンです。
一方の長熟バーボンは特に80年代後半から90年代にかけて多く発売されていました。アメリカでのバーボンは4〜8年程度、いっても12年でリリースされるのが一般的であり、それ以上熟成させるとあまりにオーキーになってしまうと当時は信じられていました。そして「高尚な」熟成年数の表示を特に気にする消費者も殆どいませんでした。しかし、スコッチタイプのウィスキーに慣れ親しんだ日本の消費者はバーボンでもスコッチと同じような12年、15年、18年、時には20年以上の熟成年数をバーボンに求めました。そのおかげで、過剰生産のため多くのバーボン蒸留所に眠る「過熟成のジャンク品」と考えられていた物を日本へは出荷することが出来ました。日本を「過剰なバーボンのゴミ捨て場」と皮肉ることも出来ましたが、アメリカのバーボン市場が冷え込んでいたため、多くのバーボン、特に超長期熟成バーボンは海を超えた地で高値で売れた訳ですし、何よりバーボン・ウィスキーのアメリカ以外での海外販売は業界を再び軌道に乗せ存続するために非常に重要で不可欠なことでした。ヘヴンヒルからはエヴァンウィリアムス23年やマーティンミルズ24年、ヘヴンヒル21年やヴァージン・バーボン21年などが日本市場向けに特別にボトリングされました。ワイルドターキーからも、バーボンを格調高い憧れの消費財と見做していた日本へは17年や15年の特別リリースがありました。もっと小規模なウィレットも然りで、独自の長熟バーボンをボトリングしました。シカゴの会社はオールドグロームスを、ゴードン・ヒューJr.はA.H.ハーシュを、マーシィ・パラテラはヴァン・ウィンクル3世やエヴァン・クルスヴィーンに協力を仰ぎヴェリー・オールド・セントニックを作成しました。長熟バーボンは現在ではアメリカでもその味わいを評価されるに至っています。と言うより、バーボン全体の人気が高まり、高価なバーボンが売れる時代になっていると言ったほうが正確かも知れない。
なぜ日本でバーボンに火が着いたのでしょうか? それには幾つかの憶測があり、バーボンが伝えるマッチョなイメージ(ハーレー乗りが好んで飲むもの的な?)だと言う人もいれば、日本は以前から長い間アメリカ製品を受け入れていた当然の帰結と言う人もいます。また或る人は世代間闘争の問題として捉え、1960年代にアメリカで起こった第二次世界大戦を知る年長世代に対してのあらゆる側面での文化的反抗のようなものと説明します。アメリカで1960〜70年代に年長世代が飲む年寄り臭いバーボンに反抗して若者がオシャレなウォッカに傾倒していったのと同じように、1980年代の日本ではオジサン世代がスコッチやジャパニーズ・ウィスキーを飲んでいたからヤング世代はバーボンを求めるようになった、という訳です。どれも、もっともらしいと言えばもっともらしい。おそらくは複数の要因によりそうなったとは思います。上に述べたシェンリーやサントリーが日本の消費者をバーボンに導いた側面もあるだろうし、現在老舗と呼ばれるバーボン・バーや今はなきバーボン中心のバーのオウナーによる普及活動の努力も一因であったに違いありません。

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(エルマー・タンディ・リー。Buffalo Trace Distilleryのポートレートより)
偖て、ここらでファーディー・フォークとボブ(ロバートの略称)・バラナスカスの話に戻りましょう。バーボンの未来はアメリカ以外にあると考えた彼らが最初に行ったのは、ブラントンズ・シングルバレル・バーボンの作成です。1983年初頭、彼らは伝説のジョージ・T・スタッグ蒸留所のオウナーになり、エイジ・インターナショナルをスタートさせました。その蒸留所自体やバレルのストックは大きな資産でしたが、より大きな財産は経験豊富なプラント・マネージャーのエルマー・T・リーとの出会いでした。二人は初対面の時から、蒸留や熟成に関する百科事典のような知識は言うに及ばず、トレードマークのフラットキャップを被った風体や、人懐っこく柔らかい物腰、気さくで紳士的な態度など、ケンタッキー・ディスティラーとしてお手本のような姿を示したリーに惹かれていたようです。取り分けリーが蒸留所内で最高のバーボン・バレルの場所を熟知していたことは、国内販売に留まらない最高峰のバーボンを求めていた新任のオウナー達に深い印象を与えました。フォークとバラナスカスは、スコットランドのシングルモルトの神話性と人気が高まっていること、アメリカ国内でのウィスキー販売の衰退と日本の経済成長を意識して、蒸留所の倉庫から完璧に熟成したバレルを探し出しプレミアム価格で売れる可能性のある新しいブランドを作ってもらいたいとリーに依頼します。長い話し合いの中でリーは二人に、師に当たる蒸留所の先達アルバート・B・ブラントンのエピソードを聴かせました。ブラントンは信頼する従業員に、自分のお気に入り倉庫だった金属貼りのウェアハウスHの上層二つの階から最低8年熟成の最高な状態にあるバレル(ハニー・バレル)を探させ、持って来てもらったサンプルを味わい納得すると、その選び出された優良バレルを後に自身の愉しみと親しい友人達のために瓶詰めしていた、と。ブラントンは常に、これらの階で熟成したウィスキーを好み、希釈されていないフルストレングスで愉しんだと言います。 オウナー達、特にバラナスカスはこのエピソードを気に入り、リーに「我々はこれにするつもりだ、ついてはこのブランドに入るバーボンを選んでもらいたい。ブランド名はブラントンにしよう」と告げました。こうしてブラントンズ・バーボンは1983年の或る日、ファーディー・フォーク、ボブ・バラナスカス、エルマー・T・リーの三人の心の中で生まれたのです。ブラントンズの物語に於いて多くの場合、エルマー・T・リーの側面が少々誇張して描かれていますが、実際のところブラントンズのリーに対するクレジットは主にマーケティングでしょう。おそらくリーはオウナーが望むに相応しいものを見つけるために蒸留所の在庫を調べ、アルバート・ブラントンのレガシーに結びつけるというアイディアに貢献しましたが、それ以外のブランディングに関してはフォークやボブや顧客の日本企業および彼らのマーケティング担当者が実行したと思われます。ファーディーの息子クリス・フォークは、1983年に父がナプキンにパッケージのアイディアを描いているのを見たのを覚えていると語っていました。シングルバレルという言葉も、味の特別性もさることながら、実際にはエイジ・インターナショナルが消費者にシングルモルト・スコッチを連想させることを期待してつけたものです。「アロマはキャラメル、ヴァニリンの丸みを帯びたブーケがたっぷり、そしてアルコールは心地よく未熟感もなく薬っぽさもない。味は仄かなキャラメルとヴァニリンのセミスイート、アルコールは尖りや苦味がなく滑らかで心地よい。後味にヒリヒリ感も残らない」。もしブラントンズ・シングルバレルに一般的なフレイヴァー・プロファイルがあるとすれば、そう表現するのが望ましいとエルマー・T・リーが述べたバーボンは、沈み行くバーボン・ビジネスを救うためのアメリカ人の巧みなマーケティング努力と閃き、日本人の受容的な味覚の複合的な産物でした。

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1984年の秋、ブラントンズは約115ドル(現在の約290ドル)相当の価格で日本で発売されます(85年に初輸入という説もありました)。それまでのアメリカン・ウィスキーとは一線を画す独創的なパッケージを伴って。背が短く丸みのある手榴弾のようなボトル、サラブレッドを疾走させる騎手に成形された真鍮製のトッパー、それを封するメーカーズマーク社の怒りを買ったワックス仕上げ、ネック部分に掛けられた「何故これがおそらくは今まで生産された最高のウィスキーのボトルなのか」と宣うタグ、古きを忍ばせる情景や蒸留に関わる道具の絵もなく一見すると無機質にも見えるが上質な紙ラベル、そしてそこには原酒の収納されていた倉庫名やバレルおよびボトルを識別する番号が手書きで記され「本物」の空気を醸していました。
ブラントンズは「シングルバレル」という近代的なカテゴリーを生み出したブランドではありますが、ブラントンズの前にシングルバレルのバーボンが全くなかった訳ではありません。そもそも、安価なガラス瓶が開発され普及する前の19世紀には、蒸留所は酒屋や居酒屋へ樽を販売し、そこに来たお客は持参したジャグやフラスクを満たしてウィスキーを購入していました。つまりその場合、必然的に全てのウィスキーがシングルバレルになります。禁酒法後であっても、一部のブランドにはシングルバレルがありましたが、それらはプライヴェート・ボトリングとして提供される特別な製品でした。例えば1940年代後半から販売された「オールドフォレスター・プレジデンツ・チョイス」は、その名の通りブラウン=フォーマンの社長オウズリー・ブラウンによって選ばれたシングルバレルです。そして何より、エルマー・T・リーの語るエピソードを証明するように、1940年代から1950年代に掛けてアルバート・ブラントンがピックしたとされるシングルバレル・バーボンが、かなり限られた数量であったものの実際に小売店で販売されていたという情報もあります。私が見たことのあるボトルは画像から判断するに、1952年におそらくブラントンの引退を記念してボトリングされたものですが、こうした製品が現在のブラントンズに直接的な影響を与えていた可能性もあるのかも知れません。エイジ・インターナショナルがブラントンズで行った最大の「肝」は、シングルバレルを一般的な消費者に広く販売したこと、つまりシングルバレルを商業的に大きな規模で展開したところにあります。ブラントンズはこれにより歴史に残る画期的な作品となり、その発売は世界のウィスキー事情を変え、アメリカン・ウィスキーがスコッチ・ウィスキーと同じように語られる地位への偉大なる第一歩となりました。こうしたアイディアは、他の会社へも影響を及ぼし、シングルバレルやスモールバッチ、またはブティック・バーボンというプレミアムな製品提供へと繋がって行きます。その代表的なものは、ジムビーム蒸留所のマスター・ディスティラーであるブッカー・ノーが1980年代の終わりに発表したバレルプルーフの「ブッカーズ」や、ワイルドターキー蒸留所のマスター・ディスティラーであるジミー・ラッセルが1991年に作成したバレルプルーフの「レア・ブリード」、1994年に作成したシングルバレルの「ケンタッキー・スピリット」です。

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(若き日のA. B.ブラントン。Buffalo Trace Distilleryより)
ブランドの名前は先述のように、禁酒法以前から1950年代初頭に引退するまで同蒸留所を経営していたアルバート・ブラントンにちなんで付けられました。ケンタッキー紳士でありバーボン貴族でもあった彼は、55年以上に渡って上質なケンタッキー・ストレート・バーボン・ウィスキーの生産、保護、普及に尽力し、バッファロー・トレース蒸留所の長き歴史の中でも取り分け傑出した重要人物でした。第一次世界大戦、禁酒法、大恐慌、大洪水、第二次世界大戦など、20世紀初頭の数々の困難を彼の指揮のもと乗り越えたからこそ蒸留所は今の成功を収めたのです。
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ベンジャミン・ハリソン・ブラントンの末っ子としてアルバート・ベイコン・ブラントンは1881年に生まれ、ケンタッキー州フランクフォートの現在の蒸留所に隣接する農場で育ちました。当時その蒸留所はO.F.C.蒸留所(オールド・ファイヤー・カッパーの略)と呼ばれていました。高校を早く終えたブラントンは、1897年に16歳でオフィスボーイとして蒸留所で働き始めます。それからの数年間、若きブラントンは倉庫、荷受け、製粉所、蒸留現場などあらゆる部署で経験を積み昇進して行きました。彼は営業所を含むビジネスの全ての部門で専門知識を習得したと言います。1904年、蒸留所の名称は「ジョージ・T・スタッグ蒸留所」に変更されました。1912年にブラントンはプラント・マネージャーに就任し、スティル・ハウス、ボトリング施設、ウェアハウスの監督を任されます。禁酒法が施工される前の不安な時期から蒸留所を率い、急速に変化する産業の解決策を探り、禁酒法の解禁後も20年間に渡り蒸留所の運営を監督したのがブラントンでした。
禁酒法が州レヴェルと国家全体で迫り来るため、蒸留所は1917年末に閉鎖され、1918年にオークションで売却されました。禁酒法の先を見据えていたブラントンは蒸留所の将来性を考えて自ら購入します。その1年後には、前オウナーだったウォルター・ダフィーの仕事仲間であるヘンリー・ネイロンに売却。その後、1921年にブラントンは蒸留所を運営する会社の社長となりました。この時、ブラントンはメディシナル・ウィスキーを販売するための特別なライセンスを政府に申請します。これによりジョージ・T・スタッグ蒸留所は集中倉庫として運営することが出来、その許可を得た六社のうちの一社となりました。1929年、政府は枯渇しそうなメディシナル・ウィスキーを補充するために、少数の蒸留所へ操業許可を出します。ネイロンには蒸留所を再稼働させるのに必要な修理に投資する意思がなかったので、ブラントンは会社と施設をシェンリー社に売却する契約を締結しました。政府からの限定的な量の蒸留許可を得ることが出来たブラントンは、1930年4月に蒸留所での生産を再開させます。ジョージ・T・スタッグ蒸留所は自らの少量の割り当て分を蒸留するだけでなく、ライセンスは持っていても生産設備を稼働できない他の会社のためにもウィスキーを生産し、1933年12月5日に禁酒法が終わるまで蒸留所は運営されました。これが、現在のバッファロー・トレース蒸留所がアメリカで「継続的に」運営されている最も古い蒸留所と自らを誇る所以です。
禁酒法が終わるとシェンリーはブラントンの監督のもと蒸留所の大規模な再建を開始します。蒸留所の今日あるような姿の基礎はブラントンの先見の明によるものでした。彼の最初の大きな決断は、古いスティルハウスを新しい発電プラントに建て替えたことです。この時、巨大な容量のボイラーを備えたのは、蒸留所が急速な成長に向けて行なった適切な処置でした。続いてマッシングやファーメンディングやディスティリングのための新しい建物も建設します。また、ブラントンはフランクフォート・アンド・シンシナティ鉄道(**)に通行権を譲渡し、蒸留所の敷地に支線を敷設することを可能にしました。生産能力の大幅な増大や輸送の利便性の向上は、新しい倉庫を必要としました。先ずは敷地内で唯一の金属被覆倉庫であるウェアハウスHが1934年に建設されます。ウェアハウスIとKは1935年に増設され、ウェアハウスLとMは1936年に続き、ウェアハウスNとOは1937年にそれぞれ追加されました。これらの六つの倉庫はそれぞれ50000バレルの収容力があるとされます。
ブラントンの不屈の精神が再び試されたのは、1937年の大洪水で工場が一時的に生産停止に追い込まれた時でした。1937年1月6日、一連の大嵐がケンタッキー州の中央部とオハイオ渓谷に停空し、3週間に渡り壊滅的な洪水を生み出しました。1月27日にはフランクフォート周辺の交通機関が全て停止し、学校や企業も閉鎖されました。この嵐は推定42兆ガロンの雨、氷、雪、霙を地域に降らせたと言います。ピーク時にはオハイオ・リヴァーの981マイルが洪水位の34フィートも上に位置し、中西部の高速道路の15000マイルが水に覆われ、200万人以上が避難するほどだったとか。この洪水により蒸留所の多くの機械やスティル、全ての建物周辺の道路も水没しました。 洪水は発電プラントから17フィート、ウェアハウスHから4フィートの高さにまで達したそう。ブラントンはこれを、疲れ知らずの48時間連続の作業と優れたリーダーシップで、たった2日で蒸留所を通常運行に戻しました(24時間でと云う説もあった)。
洪水の災難から僅か3年後の1940年、アメリカは第二次世界大戦に参戦し、連邦政府からは米軍にピュア・アルコールを供給するためにウィスキーの生産を中止するよう何度も要請されました。そこでブラントンはバーボンの生産を維持しつつ、国のニーズに応えるために蒸留所を拡大・多角化するという巧みな計画を成功させました。1942年には禁酒法以後、100万樽めのバーボンの生産を記録。
ブラントンは第二次世界大戦後も蒸留所の更なる拡張を監督し、細部にまで気を配りながら自分自身の住居や敷地内に多くの庭園も加え、在任期間中に蒸留所の美観を大きく向上させることにも貢献しています。蒸留所を見下ろしケンタッキー・リヴァーまで見渡せる丘の上に建つ邸宅は、現在ストーニー・ポイント・マンションと呼ばれています。また、社員が社交やコミュニティの場を持てるようクラブハウスも建設しました。従業員はブラントンを敬愛し、全員が一生懸命働きたいと思っていたそうです。彼は僅か14棟だった蒸留所が114棟の巨大企業に成長してもなお、謙虚で物腰の柔らかい人物でした。彼は軍隊にはいませんでしたが、ケンタッキー州では1813年に州知事が授ける公的な称号になって以来、地元に貢献した人物をケンタッキー・カーネルの尊称で呼んでいるため、日本でも有名なケンタッキー・フライドチキンのカーネル・サンダースのように、カーネル・ブラントンと呼ばれていました。ブラントンは1952年に引退し、亡くなるまで会社の顧問を務めたと云います。直後の1953年6月、ジョージ・T・スタッグ蒸留所は禁酒法解禁後から数えて、ケンタッキー州で初めて200万樽めの生産をしました。ちなみに世界で唯一の1バレル倉庫であるウェアハウスVは、これとブラントンの引退を記念して建てられています。そして、1959年にアルバート・ベイコン・ブラントンは亡くなりました。蒸留所の敷地内にはブラントンの像が立っており、そのベースには次のように書かれています。
愛され尊敬された
マスター・ディスティラーにして
真のケンタッキー・ジェントルマン。
彼は人生のうち55年を
コミュニティと会社へ捧げた。
彼の人を奮起させるリーダーシップが
彼の生きた時代の人々や
後に続く人々の心の中に残るように。
この記念碑は感謝と名誉をもって建てられた。
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カーネル・ブラントンについて見終わったところで、バーボンのブラントンズに戻ります。日本のカスタマーからの要望により造られたブラントンズ・バーボンは同じ年の84年にアメリカでも発売されました。約25ドル(現在の約60ドル)から35ドルの値が付けられ、これは一般的な銘柄のバーボンが1本7ドルから10ドルで買えた1980年代半ばの時代には破格の金額であり、当時の市場で最も高価なバーボンの一つでした。ラグジュアリーな製品との位置付けは広告が掲載される雑誌にも表れ、『ニューヨーカー』、『ウォール・ストリート・ジャーナル』、アイヴィー・リーグの同窓会誌など、少々「高級な場所」でブラントンズは宣伝されたそうです。しかし、当初のテスト市場であるアトランタとアルバカーキでは振るわず、1988年までに多くの場所でわずか19.99ドルで販売されていたとか…。バーボンの聖地ケンタッキーではヒットしたものの、殆どのアメリカ人はブラントンズを「コマーシャルな珍品」としか見ていなかったと言います。リー自身も、ブラントンズのアメリカでの初めの年の販売数について、あまり売れなかったと日記に書いた程でした。
アメリカでの販売が伸び悩む中、フォークとバラナスカスはブラントンズとメーカーズマークとの間で「ブラインド」の味覚テストを実施するよう手配しました。ブラントンズは毎年数回のブラインド・テイスティングでメーカーズマークに勝利しましたが、ブラントンズのシングルバレルがそのイベントのために特別にボトリングされたのに対し、メーカーズマークのボトルはランダムに酒屋で購入されていたため、メーカーズのビル・サミュエルズは「反則だ」と言いました。ちょっと悪どい気もしますが、フォークとバラナスカスは少なくとも一つの目標を達成したのでしょう。1990年代半ばになると、プレミアム・バーボンとその可能性についての話題が増え、メディアでもブラントンズ・シングルバレルが取り上げられるようになりました。1992年には『ニューヨーク・タイムズ』がブラントンズを含めて、「アメリカで縮小しつつあるバーボン市場を活性化させることを蒸留酒製造業者が期待するデラックスなバーボンの数が増えている」と報じています。
1990年代前半はブラントンズだけでなく、アメリカン・ウィスキー全体の販売は低迷していました。その不振を象徴するように、1991年はアメリカを原産地とするウィスキーは1560万ケースと禁酒法以来のカテゴリー別最少を記録し、バーボンの売り上げが最悪の年でした。ブラントンズの有するプレミアム感は、バーボン・ブームの到来を予感させるブランディングではありましたが、この段階では飽くまで予感に過ぎず、アメリカでの本当のブームは2010年代まで待たなくてはいけませんでした。ブラントンズ・シングルバレルは当初から国内よりも海を超えた遠い日本で好意的に受け入れられ、その売上の3分の2を占めたとされます。日本での大ヒットに気を良くしたのでしょうか、エイジ・インターナショナル社はブラントンズに続けて、シングルバレル・バーボンに対する世間の評価を高めるため、「ロック・ヒル・ファームス」、「ハンコックス・プレジデンツ・リザーヴ」、「エルマーTリー」の3種類のシングルバレル・バーボンを発売します。しかし、その売り上げはあまり芳しくはありませんでした。
バーボンの活性化を図るのにオウナー達はもう一つの方策を立てました。1990年の夏、ボブ・バラナスカスとジョー・ダーマンド(89–99年当時の蒸留所のヴァイス・プレジデント、ジェネラル・マネージャー)は或る提案をエルマー・T・リーにします。妻のリビーとの時間を大切にするため1985年に引退し、その後は顧問として会社に残っていたリーに、ブラントンズ・ブランドのプロモーション活動を依頼したのです。リーはリビーと相談して承諾しました。バラナスカスは1990年7月から、リーのコンサルタント料を月600ドルを月1000ドルに引き上げることに全面的に合意し、1990年12月に契約が成立しました。リーとエイジ・インターナショナルの間のこの取り決めは、引退していた筈の彼を北米、日本、イギリスなどの市場を訪れる10年に及ぶ旅へと駆り立てることになりました。リーはシングルバレル・バーボンについて語るために、数多くの著名な酒店、バー、クラブ、レストランに立ち寄り、作家のグループや歯科医の集まり、ワイン愛好家のグループ、大学のクラブ、雑誌や新聞のオフィス等で何百もの試飲会やディナーを主催し、見本市やバーボン・フェスティヴァル、ゴルフ・トーナメント、カントリー・ミュージック・ジャンボリー等でもボトルにサインをし、ローカルなラジオ・プログラムでは数え切れないほどのインタヴューを受け、ラスベガス、シカゴ、サンフランシスコ、ボストン、ニューヨークなど数多くの都市でバーボンのマスタークラスを開催しゲスト・バーテンダーを務めました。こうした動きは他の蒸留所(会社)でも行われ、ブッカー・ノーやジミー・ラッセルのようなカリズマ性のあるマスターディスティラーにブランド・アンバサダーとしての役割を担わせ、バーボンの普及に尽力してもらっています。リーは2013年に亡くなるまでバッファロー・トレースのアンバサダーを務め続けました。
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(E.T.リー。Blanton's公式ホームページより)

ブラントンズの一応は成功と言ってよさそうな成果(特に日本での)や、新しいシングルバレルのブランドにも拘らず、エイジ・インターナショナルは財政的に上手く行っていませんでした。最盛期には1000人いたと言われる蒸留所の従業員も、1991年の段階では殆どいなくなり、最小限の基幹要員50人にまで減少していたと言います。1991年の春、蒸留所を存続させるために、フォークとバラナスカスはエイジ・インターナショナル社の22.5%の株を日本の会社である宝酒造に売却しました。宝酒造は1842年に設立された日本酒と焼酎の大手メーカーであり、1970年代にスコッチ・ウィスキーや紹興酒の日本への輸入を始めた会社です。同社はブラントンズの日本での輸入代理店で、エイジ・インターナショナルの他のバーボン・ブランドの輸入も行っていました。この取引の際、宝酒造には会社の残りの株が売りに出された場合に30日間の購入を拒否する権利(先買権)が与えられました。1992年半ば、フォークとバラナスカスはエイジ・インターナショナル社の過半数の株をヒューブライン社(当時グランド・メトロポリタンの子会社)に売却する契約を締結します。宝酒造は、ヒューブラインへの売却が切迫していることを書面で通知されてからちょうど30日後に、拒否権を行使して会社の残りの株を購入する旨を伝えました。それは取引が成立する前日だったため、宝酒造は実際に法廷に出てヒューブラインへの売却を停止するための差し止め命令を出さなければなりませんでした。ギリギリになったのには理由があります。宝酒造はアメリカの蒸留所を経営することには関心はなく、エイジ・インターナショナルが所有するバーボン・ブランドにだけ興味があったのです。そこで彼らは30日間をかけて、蒸留所をサゼラック・カンパニーに売却し、サゼラックがジョージ・T・スタッグ蒸留所(当時の通称エンシェント・エイジ蒸留所、現在のバッファロー・トレース蒸留所)でそれらのバーボンを生産し続けるという長期契約を取りまとめました。宝酒造は先買権を行使する意向をエイジ・インターナショナルに通知したのと同じ日にサゼラックとの契約を締結し、ヒューブライン社の提示額に合わせてエイジ・インターナショナル社の残りの株に2000万ドルを支払いました。こうして宝酒造はエイジ・インターナショナルの企業構造をそのまま残しつつ自ら望むブランドの商標権を保持し、サゼラックは蒸留所とアメリカでのエイジ・インターナショナルのバーボン・ブランドの販売と流通の独占的な権利を非公開の金額で購入しました。現在でもサゼラックはバッファロー・トレース蒸留所を所有しており、同蒸留所はエンシェント・エイジやブラントンズ等のエイジ・インターナショナル・ブランドの全てのバーボンを#2マッシュビル(#1に比べてライ麦率の高いレシピのこと)を使用して製造しています。サゼラックとエイジ・インターナショナルはアメリカン・ウィスキー・ビジネスが低調な時期に生まれた変わった関係でしたが、20年以上もの間、双方のために働いて来ました。多分これからも…。
ちなみにファーディー・フォークはその後も少し業界に身を置いていましたが、最終的には引退し、ルイジアナ州とフロリダ州で不動産ビジネスを成功させることに専念、その後2000年に癌で亡くなったそうです。彼は常にアメリカでバーボンが復活する日が来ると信じ、バーボンというカテゴリーに再び脚光を浴びさせることに貢献した一人でした。今日、スーパー・プレミアム・バーボンのカテゴリーに膨大な数のブランドが存在し、成長していることを見たら、何を思うでしょうか。バラナスカスのその後はよく分かりません。ともかく二人とも裕福になって引退したビジネスマンであるのは間違いないと思います。

そろそろ話を一気に現代へ飛ばしましょう。2000年代に入り徐々に回復傾向を見せていたバーボンの売上は、2010年代に遂に爆発します。その火付け役はプレミアム・リリースのバーボンでした。先ずは「パピー・ヴァン・ウィンクル20年」や「ジョージTスタッグ」を筆頭とするバッファロートレース・アンティーク・コレクション(BTAC)などがユニコーンと祭り上げられ、酒屋の棚から即座に消えるバーボンとなりました。次に小麦バーボン人気からウェラー・ブランドも買いにくいバーボンとなりました。もっと言うとバッファロー・トレース蒸留所のバーボンは非常に人気があり、現在その殆どの製品が割り当て配給のようです。そのため「エルマーTリー」も手に入ればSNSで自慢できるだけのレアリティをいつしか帯びました。しかし、何故かブラントンズはそうなるのが少し遅かった印象があります。実際、2016年くらいまでは約50ドルで小売店で比較的簡単に見つけることが出来たと言います。ところがここ数年では、ブラントンズもアメリカのどの酒屋でも希望小売価格で見つけるのが困難になっているらしく、首尾よく見つけることが出来ても、その棚に残っている物はかなりの値上げをされているでしょう。スタンダードなボトルは概ね100ドルからMSR​​Pの約2倍くらい、プライヴェート・セレクションのボトルだと150ドルを超えて販売されます。とは言え、今のところ買い占められることはあっても、上に挙げた他のプレミアム・バーボンのように二次流通市場で高値で取引されることは殆どないようです。
とても魅力的なパッケージングを備えたブラントンズの人気の上昇が、どうしてバッファロー・トレースのプレミアム・ バーボンの中で最後だったのかは不思議です。各ボトル・トッパーは収集に適した造りですし、バレルをダンプした日がラベルに記される数少ないブランドの一つであるため、自身の誕生日や結婚記念日に合ったボトルを探す等、世のコレクター向けの材料に事欠きません。そのことに気づいたからなのか、ともかく市場全体を見ても今日のブラントンズには信じられないほどの熱狂が渦巻いています。COVID-19によるソーシャル・ディスタンシング以前の話らしいですが、ブラントンズがその日ギフトショップの棚にあるという噂で、バッファロー・トレース蒸留所に何百人もの行列が出来たとか…。そのためか分かりませんが、同蒸留所はギフトショップで運転免許証のスキャンを開始し、顧客が3ヶ月に1本しか購入できないようにしたみたいです。また、ルイヴィルの或る酒屋がアプリを介してブラントンズのストアピックの入荷を知らせたところ、あまりに多くの顧客が店舗に電話をかけたため、電話システムがクラッシュしたとか…。或いは、アメリカの空港のターミナルどこそこの免税店で購入できる事を知らせるブラントンズ・アラートがSNSで発信されたりとか…。それと、人気者は嫌われると言いますか、ブラントンズはオーバーレイテッド・ウィスキーだ、つまり過大評価されているなんて意見もかなりあったりするのですが、そう取り上げられること自体が人気の証左であり、また正反対の意見があるのは健全で、何よりバーボン界隈を活気に満ちたものにするでしょう。
こうした状況はバッファロー・トレース(サゼラック?)を動かしました。実はエイジ・インターナショナル社はオリジナルのブラントンズをリリースした後、海外市場に向けてハイアー・プルーフの「ゴールド・エディション」や、バレル・プルーフの「ストレート・フロム・ザ・バレル(SFTB)」という日本でもお馴染みの上位ラベルを追加していましたが、アメリカ国内では販売していませんでした。しかし、ブラントンズ人気および世界経済の動向はそれを変える契機となり、ゴールド・エディションは2020年の夏から約120ドル、SFTBは2020年末から約150ドルで、アメリカ市場にも年に1回だけの限定数量にてリリースされる運びとなったのです(ゴールド・エディションは毎年春のリリース)。

偖て、ブラントンズの歴史を見終えたところで、少々繰り返しの部分もありますが、次は製品としてのブラントンズを見て行きたいと思います。初めに言っておくと、ブラントンズの年間生産量および売上高は開示されていません。サゼラックは非公開企業であるためです。これはマッシュビルにも当て嵌まります。そのため殆どのバーボン系ウェブサイトでも推定○%というように伝えられるだけです。バッファロー・トレース蒸留所は幾つかのマッシュビルを使用してバーボンを製造しますが、主なものは3つあります。それがBTマッシュビル#1と#2とウィーテッド・マッシュビル(小麦レシピ)です。#1はライ麦率が10%もしくはそれ未満と推定されるロウ・ライ・マッシュビルで、同蒸留所の名を冠したバッファロートレース、ベンチマーク、イーグルレア、ジョージTスタッグ等に使われ、ウィーテッド・マッシュビルはウェラー・ブランドやヴァン・ウィンクルのバーボンに使われます。そして、ブラントンズをはじめとするエイジ・インターナショナルのブランドには、ライ麦が10〜12%または〜15%と推定される、#1よりも僅かに高いライ麦比率のマッシュビル#2が使われています。酵母がエイジ専用かどうかまでは分かりません。その可能性はなくはないと思いますが、何しろ公開されていないので憶測の域を出ることはないのです。
ブラントンズで明確に判っているのはウェアハウスHで熟成されていること。このバーボンを特別なものにしている理由の多くは、マッシュビルではなくバレルが保管されている倉庫にあります。これはただの倉庫ではありません。ウェアハウスHとは伝説と伝承(フォークロア)なのです。禁酒法の終了後、シェンリーは需要増を見越して傘下の蒸留所でのバーボンの生産を増やしました。新しく満たされた全てのバレルを収容するのに十分なラックハウスがないことは問題でした。この問題を解決するために、カーネル・アルバート・B・ブラントンは取り急ぎラックハウスの建設を指示しました。1934年に急いで建てられたこの倉庫は、バッファロー・トレースのプロパティのうち、他の倉庫がレンガ造りのなか唯一波形の薄いブリキで覆われた木造の構造が特徴です。約16000近い数のバレルを収容するやや小さめの4階建て。カーネル・ブラントンは後に、この新築の倉庫で熟成されたバーボンを調査し、倉庫内の温度が外気によって変動し、バーボンがオーク材とより速いペースで相互作用することに気付きました。金属製の壁にはレンガのような断熱効果がないため、他のラックハウスよりも実際の外気温に近く、内部のエイジング・バレルはケンタッキー州の温度と湿度の大幅な変化に曝されます。また金属は熱を伝導するため、ウェアハウスHの壁は増幅器のように機能し、熱と湿度の変化の影響を増大させるとも。これらはレンガ造りの倉庫よりも温度が高くなったり低くなったりするのが速いことを意味します。そのため熱気と冷気に伴う木材の膨張/収縮によりバーボンがバレルに吸い込まれたり押し出されたりし、吸収、放出、再吸収を繰り返す熟成サイクルの中でバレルの内容物はより多くの木材に触れ、バレルの奥深くまで到達することが出来る、と。これがバーボンとバレルの間の相互作用が多ければ多いほど熟成を早め、フレイヴァー・プロファイルを深めると考えられている理由です。そして、ウェアハウスHは庫内を暖める蒸気加熱装置も備えているので、冬場でもバーボンのエイジング・プロセスを促進するでしょう。
バッファロー・トレースによると、ブラントンズの全てのバレルはウェアハウスHの「センターカット」と知られる中央セクションから調達し、手作業でダンプするとされています。バーボンの殆どは複数のバレルからブレンドして目指すフレイヴァー・プロファイルを作成しますが、ブラントンズ・シングルバレル・バーボンはその名の通り、特定の一つだけを選びバッチを形成するバーボンで、他のバレルと混合されることはありません。同じ倉庫内のバレルでも非常に異なる熟成を示すことがあるため、ボトルの中身が違うバレルからのものである場合、同じブラントンズと言っても異なる味がする可能性があります。ただし、同じマッシュビル、同じようなヴァージン・オーク、同じような場所という限られた要素を考えると、フレイヴァーの範囲はそこまでワイドではなく、或る程度の安定性は確保されているでしょう。この方法でバーボンを作成するには、マスター・ディスティラーやテイスター、または熟成管理の担当者が全てのバレルを常に目を光らせてチェックしている筈なので。
ブラントンズはNAS(熟成年数表記なし)ですが、6〜8年熟成であるとされています。ところで、ブラントンズの熟成に関して、ちょっと疑問なことがあります。日本ではけっこう有名な話なのですが、例えば現在の宝酒造のブラントンズ公式ホームページでは、
ブラントンとなる原酒は4回の夏を越すまでに、マスター・ディスティラーを含む少なくとも3名の官能検査員が、味わい、深み、香りを毎年確かめて、ブラントンにふさわしい予感を秘めた樽を選び出す。彼ら全員の厳しい判定を通った樽だけが、AからZまであるウェアハウスのH倉庫に移され、再び熟成の時を待つ。ブラントンがH倉庫のみで貯蔵される理由は、「芸術はデータに置き換えられるものではなく、そしてそれは、今まさに神の手に再び委ねられているから。」原酒たちは、ここでチャコール・フレーバーに円熟味を加え、静かに呼吸を繰り返し、神にその取り分を捧げながら、さらに4回のブルーグラスサマーを経験し、ブラントンになるのである。
と、説明されています。また、2000年発行の『バーボン最新カタログ』(永岡書店)には、
各熟成庫で4年寝かされた原酒は、マスター・ディスティラーの手によってテイスティングされ、その中から特に良い物だけを、その昔、ブラントンが丘から見ていたH倉庫の場所へ移され、ていねいに再熟成される。
ここで3年から長い樽で6年程度再熟成を重ねて初めてブラントン用の原酒が出来上がる。
と、書かれています。これ本当なのでしょうか? ブラントンズは先ず初めに別の倉庫で熟成され、後にウェアハウスHで熟成される、という点が個人的には引っかかるのです。何が問題かと言うと、ラベルにもはっきりと「Stored in Warehouse H」と書かれているのに、これだと場合によっては熟成期間の半分もしくはそれ以上を別の倉庫で過ごしたことになるではないですか。ウェアハウスHで熟成されているのがブラントンズのアイデンティではなかったのでしょうか? 宝酒造の方の文章を見てみると「ブラントンとなる原酒は〜(略)〜味わい、深み、香りを毎年確かめて、ブラントンにふさわしい予感を秘めた樽を選び出」し「厳しい判定を通った樽だけが、AからZまであるウェアハウスのH倉庫に移され、再び熟成の時を待つ」と言ったそばから「ブラントンがH倉庫のみで貯蔵される理由は」云々と言っています。これはウェアハウスHに来る前のバレルはブラントンズではないと解釈しなければ意味が分かりません。確かに、そう解釈すればブラントンズは「H倉庫のみ」と言えなくはないのですが、何か釈然としないものが残ります。或るブランドにするバレルを複数の倉庫から引き出したり、途中でブランドを変更するのは構わないとしても、ウェアハウスHの伝承を売りにしたブラントンズを途中まで別の倉庫で熟成しておいて、最終的にウェアハウスHに切り替えたからラベルにはそう書きましたでは、看板に偽りありではないか、と。まあ、ラベルは必ずしも全てをさらけ出さなくてはいけない物でもありませんから、それでもいいのかも知れない。しかし、上で見てきたように、ウェアハウスHは熟成をスピーディーにする倉庫です。順当に考えたら、先ず熟成の進みやすい環境(スレート造りの倉庫や倉庫の上層階)で熟成させ、後から熟成の穏やかな環境(レンガ造りの倉庫や倉庫の下層階)へ移したほうが、マチュレーション・ピークを見極め易いのではないでしょうか? 実際、海外のバーボン系ウェブサイトでは、この件が語られているのを私は見たことがないのです。とは言え『バーボン最新カタログ』の方は明らかに現地で取材した形跡がありますから、何の根拠もないことを書いているとは思えません。もしかすると日本向けのブラントンズだけ、そうしたバレル移動をしているのでしょうか? 一説には日本向けのブラントンズは8年熟成、その他の国は6年熟成が基本とも聞いたことがあります(これについては後述します)。それが本当なら、日本向けのブラントンズが特別に育てられているなんてこともあるのかしら…。勿論、美味しければそんなことどうでもいいじゃん特別に選んでるんだから、という意見はあるでしょうけれど、皆さんはこの件に関してどう考えますか? コメントよりどしどしご意見下さい。取り敢えず分からないことは措いて、美観に関する事柄へ移りましょう。

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(Blanton's公式ホームページより)
シングルバレル・バーボンのパイオニアとして、ブラントンズの全てのボトルには、ケンタッキー州の長く続く歴史的なダービーの伝統とバーボンの深い遺産に敬意を表す象徴的なホース・ストッパーが付いています。これはコレクティブル・アイテムとして有名で、現在のストッパーには8種類のデザインがあり、ケンタッキー・ダービーを駆ける競争馬と騎手のポーズを模したそれぞれは、ゲートに立つ姿からフィニッシュ・ラインを越える瞬間までの異なるシーンが切り取られています。左下の小さな円の中に「B・L・A・N・T・O・N・S」のうちどれか一つの文字が形成され、綴り順に並べるとレースの模様が再現されるのです。この中で最後の「S」は、勝利を祝い拳を空中に挙げた騎手であることから特に人気があります。そして、綴りを見て分かる通り「N」は2種類あり、一つ目は普通のNですが、二つ目のNにはコロンが付いています。一部の人は特定の文字が他の文字よりも見つけるのが難しいと主張していますが、バッファロー・トレース蒸留所によるとそれぞれは毎年同じ数を生産しているそうです。この仕様になったのは1999年からで、それ以前の物は尾を靡かせ疾走する姿をしていました。このホース・ストッパーは時期によって造ってる会社が違うからなのか、80年代の初期物の方が鋳造が精密でした。例えば、90年代初頭の物などは馬の脚の間に金属が残っていたりします。
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8つ全てのストッパーを集めてバッファロートレースのギフトショップに郵送すると、使用済みバーボン・バレルのステイヴに順番に取り付けられ、無料で返送されるサーヴィスがあるそうです。全ての文字を集めようとすると、ある意味クジ引きのようなものでもあるので、同社ではストッパーの完全なセットも55ドルで販売しているとか。

ストッパー以外の部分については、その変遷を一時期日本に滞在していたアメリカのバーボン愛好家ジョン・ラッド氏が自身のブログでブラントンズのダンプ日以外での凡そのデイトを判別する見方を纏めていますので、それを基に書かせてもらいます。この情報はスタンダードなブラントンズ・オリジナル・シングルバレルについてであり、他のエディションに当て嵌まるかどうかは未確認だそうです。
ハングタグには1984年から1990年までは「Why this may be the finest bottle of whiskey ever produced.」というフレーズのみが書かれていました。1990から92年あたりの短期間「The Original Single Barrel Bourbon Whiskey」と書かれたものがあったようです。その後はハングタグが変更されてから現在までは、タグ上半分に「THE FINEST BOURBON IN THE WORLD COMES FROM A SINGLE BARREL(世界で最も素晴らしいバーボンはシングルバレルから生まれる)」というフレーズ、その下方に馬と騎手の絵がプリントされています。
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次はネックラベルに関して。1984年から1993年までは「Blanton Distilling Company」とプリントされていました。1993年後半に変更があった時から現在までは「Blanton's the Original Single Barrel Bourbon」となっています。これ故、スタンダードなブラントンズのことを「オリジナル」と言ったりします。日本の正規輸入品はその時から「Blanton's SINGLE BARREL BOURBON」の下に「ウイスキー」とプリントされたものになったようです。92〜93年途中の物は「Blanton Distilling Company」の下に「ウイスキー」で、それ以前の物はネックには「ウイスキー」とはプリントされてないみたい。
ストッパーをシールするワックスは、ダークブラウンに変わる前の1994年までゴールドワックスでした。日本版はずっとゴールドワックスかな?

最後にブラントンズのヴァリエーションを少しばかり紹介しておきましょう。但し、これらはそもそもシングルバレル・バーボンのためボトルによって風味に違いがありますから、ここでは味わいについての言及は基礎的な傾向以外はしません。ブラントンズはそのプロファイルに適合するものがウェアハウスHのバレルから選ばれているので、様々なボトリング・プルーフにすることでヴァリエーションが作成されていると思われます。つまり、例えばオリジナル(所謂スタンダード)とスペシャル・リザーヴとゴールド・エディションの違いはボトリング前に加えられたライムストーン・ウォーターの量であろう、と言うことです。そして、殆どのブラントンズは約6年熟成と推定されますが、日本限定の二つのリリースは約8年熟成でのボトリングと見られています。先に述べたように、アメリカでもゴールド・エディションとストレート・フロム・ザ・バレルが漸く発売になりましたが、近年まではブラントンズ・オリジナル・シングルバレルのみが流通していました。けっこう昔から日本やその他の国際市場では5、6、または7種類のブラントンズが購入できました。

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◆Blanton's Original Single Barrel
これが全ての始まりであり、スタンダードなブラントンズです。アメリカでの標準リリース。スタンダードと言う以外に、アメリカではオリジナル・シングルバレルとか、ベージュ・ラベルまたはブラウン・ラべルと呼ばれ、93プルーフでボトリングされています。NASで6〜8年熟成と噂され、昔はどうか分かりませんが、現行はおそらく概ね6年熟成。大体60ドルから80ドルがアメリカでの平均価格でしょうか。
BTマッシュビル#2は、#1と比べてライ麦率が高いことから、ハイ・ライ・マッシュビルと呼ばれもしますが、多くても15%までと推定されるので、例えばフォアローゼズのBマッシュビルのような30%を超えるものと較べると、ライ・フォワードの味わいではなく、寧ろバランス型の味わいを持ちます。ウェアハウスHの特性のためか、実際よりも成熟したバーボンのように感じる可能性があり、オーク・プロファイルの強さはブライターであるよりはダーカーな傾向があるでしょう。

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◆Blanton’s Single Barrel Bourbon(Takara)
日本で正規品と呼ばれている物がこれです。上の「オリジナル」は並行(輸入品)と呼ばれています。日本での標準リリース。「オリジナル」と較べるとラベルの色が薄めなので、アメリカではクリーム・ラベルとかアイヴォリー・ラベルと呼ばれたり、なんならレッド・ラベルとか通称タカラ・レッドと呼ばれたりします。何故レッドなのか理由が私にはよく分からないのですが、赤みを帯びたクリーム色だからなのですかね? 文字が赤色だから? 90年後半から採用されたラベルとされています。こちらもNASですが、熟成期間は平均8年とされ、ブラントンズの基本となる93プルーフでのボトリング。
先述した宝酒造がエイジ・インターナショナルの支配権を獲得し、サゼラックとの製造提携を結んだ際、宝酒造は販売規定としてこのブラントンズとブラック・ラベルを日本市場専用に作成することも義務付けました。日本人の好むフレイヴァー・プロファイルが、長く熟成されたウィスキーに傾いていたため、これらの両製品はオリジナルよりも余分に熟成されたとか。
以前ブラントンズの2017年ボトリングの正規品をレヴューした時とは状況は変わり、近年かなり値上がりし、8000〜10000円の値札が付いています。個人的には並行より正規の方が僅かに美味しく感じたことがあるので、オススメしたいところなのですが、並行が6000〜8000円程度の相場のため、価格差ほどの価値を感じれるかどうかが鍵となります。

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◆Blanton’s Single Barrel Bourbon Black Label(Takara)
日本市場に限定して94年に導入されたのがブラック・ラベルです。タカラ・ブラックと呼ばれることもあります。おそらくは日本人向けにスタンダードよりもロウワー・プルーフに仕上げただけで、バレル・セレクトの基準は同じでしょう。80プルーフのボトリング。NASで推定8年熟成と言われています。5000〜6500円の間が相場(もっと高い店もあった)。
スタンダードと較べるとプルーフ・ダウンした分、確実にライトな味わいです。既にスタンダードに慣れていれば購入する必要はないかも知れない。あくまでも入門編というか、軽やかなバーボンを好むユーザー向けの製品。下で紹介するグリーン・ラベルと較べると、同じプルーフィングでこちらの方が熟成期間が長いと想定されるため、味わいはやや重厚かと思います。

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◆Blanton’s Special Reserve Green label
スペシャル・リザーヴとして正式に知られるグリーン・ラベルは、アルコール度数が高ければ高いほど出荷時や消費時に支払う税金が高くなる市場(主にオーストラリア)向けに造られたブラントンズです。そのためスタンダードより低い80プルーフでボトリングされています。アメリカでは販売されていません。ブラック・ラベルを買い求め易い日本人にとってはスキップしてよいラベルでしょう。

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◆Blanton's Silver Edition
シルヴァー・エディションはもともと免税店向けに造られたブラントンズです。現在は廃版となり製造されていません。熟成年数は推定8〜9年程度。98プルーフでボトリング。ラベルなどの装飾の色が中身を表すように、元の希望小売価格やプルーフはスタンダードとゴールド・エディションの中間に位置しています。味わいも概ねそれに準ずるかと。2000年代は比較的タマ数が豊富だった印象がありますが(2000-2009製造)、製造中止されたことでレアリティが増し、オークションで10万を超えて落札されているのを見たことがあります。飲むためなら絶対にそんな値段を出すのは止めたほうがいいでしょう。

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◆Blanton’s Gold Edition
ゴールド・エディションはオリジナルの次に作成されたブラントンズのヴァリエーションでした。これもシルヴァー・エディションと同じくもとは免税市場向けとも言われますが、日本では92年から発売されていた模様。別個にカウントしませんでしたが、これも国際版と日本版では仕様が違うとされ、日本版は8年熟成でタカラ・ゴールドと言われたりします(ダークレッドのワックスが目印)。103プルーフでのボトリングは同じ。熟成期間を6年から10年としているウェブサイトもありました。また一説にはスタンダードよりも厳選されたバレルから造られるとされますが、真偽の程は分かりません。少なくともボトリング・プルーフはフレイヴァーの強度を変えますので、仮にスタンダードより単に濃いだけだったとしても、それはそれで格が高いことを意味するのです。
長らく国際市場向けの製品だったゴールド。ファンからは長年に渡りバッファロー・トレースに対してアメリカでもゴールド・エディションを出して欲しいという声がたくさん寄せられていました。いつになったらここで買えるようになるんだ、と。その要望に応え、2020年からアメリカでも限定数量のリリースが始まりました。

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◆Blanton’s Straight From the Barrel
その名の通り、バレルから取り出した原酒を水で薄めることなくボトリングしたブラントンズのバレル・プルーフ版。2002年にフランス市場向けに特別に製造されたのが始まりのようです。加水調整がないのでボトル毎にプルーフが異なりますが、概ね130オーヴァーが多いです。一説には6年から10年熟成としているウェブサイトもありました。そしてブラントンズのヴァリエーション中、唯一ノンチルフィルタードとされています。その仕様は紛うことなくブラントンズの最高峰です。これまたゴールド・エディションに続き、2020年からアメリカでも限定的なリリースが始まりました。

ブラントンズには上に挙げたラインナップに加えて、パリの有名なリカー・ストア、ラ・メゾン・デュ・ウィスキー(LMDW)による様々なリミテッド・エディションがあります。それらは所謂ストア・セレクションですが、スタンダードなブラントンズにはない派手で豪華なラベルが付いています。またスペシャル・リザーヴにはレッド・ラベルもしくはダークブラウン・ラベルの韓国向け製品が2000年代半ばに発売されたことがありました(ブラントンズではレアな規格の500ml版あり)。最も有名なのは、最初期の特別リリースである86年に発売されたフランクフォートの市制200周年記念ボトルでしょうか。それには通常の馬ではなく建物のストッパーが付いていました。年にちなんだのかボトリングは86プルーフです。他にも日本で2014年に発売された「30周年アニヴァーサリー」や91年の「メモリー・オブ・ユウジロウ」という石原裕次郎モデルなどの記念ボトルがあり、果てはボトルがスターリング・シルヴァー製のとんでもない代物までありました。91年にボトリングされたKirk Stieff製スターリング・シルヴァーの物は小売店での販売はなく、感謝の気持ちを込めた日本の小売店への贈り物とされ、全てに個別番号が付された100個くらいしかないらしいです。97年発行の『ザ・ベスト・バーボン』によれば100万円(!?)と書かれています。こうした記念ボトルは、バレル・セレクトが特別である可能性はありますが、基本的にブラントンズとして世に出る全ての製品はそもそも特別なものであることは留意すべきでしょう。

では、いよいよバーボンを注ぐ時間です。今回のレヴュー対象はかなり初期のブラントンズ。この年代の物は、おそらく現在のオークションでは30000円を超えて来ると予想されます。エルマー・T・リーは引退後もマスター・ディスティラー・エミリタス(名誉職)として90年代のある時点までブラントンズの選定をしていたと思われます。その後はゲイリー・ゲイハートが責任者になり、その彼は2005年春に引退しました。2005年から現在まではハーレン・ウィートリーがマスター・ディスティラーを努めています。マスター・ディスティラーの交代は、少なからずバーボンの味わいを変化させる可能性があります。彼らは仕込みにしろ、バレル・セレクトにしろ、最終責任を負うからです。なので、このブラントンズは年代から考えて、一貫してリーのブラントンズと言えるでしょう。今となってはそこが貴重な点です。

2020-09-20-08-22-02
Branton Distilling Company KENTUCKY STRAIGHT BOURBON WHISKEY 93 Proof
Dumped on 7-16-86
Barrel No. 571
Warehouse H on Rick No. 26
Bottle No. 230
1986年ボトリング。赤みを帯びた艷やかな濃いめのブラウン。黒糖、香ばしい焦樽、レーズン、オールドコーン、オレンジ、ハニー、花、マスティオーク、クローヴ。ブランディのような芳香。水っぽさと紙一重のとても円やかな口当たりと滑らかな喉越し。口の中では豊富なレーズン。余韻はミディアム・ロングで、スパイスとお花畑を連想させつつ最後にはタンニンの苦味とアーシーなノートが残る。
Rating:88.5/100

Thought:ウッド・ノートの厚み、ダークフルーツの濃厚さ、スパイスの複雑さを三本柱に攻めてくる印象。自分の得た感触としては、ブラントンズにしてはかなり長熟寄りの味わいに思いました。先日バーで飲んだ87年物とは、サイド・バイ・サイドではないので不確かかも知れませんが、深みのあるオークは共通していたように思います。個人的には90年代の物の方がキャラメル様の甘さが感じ易く、バランス的にそちらの方が好みでした。ただこれはボトル・コンディションによる可能性も高いし、そもそもシングルバレル故の違いかも知れず、一概に言えるかは分かりません。皆さんのご意見を伺いたいですね。
ところで、ブラントンズ・バーボンの品質が年々低下していると見る向きもあります。中には、1990年代半ばにチルフィルターが導入される前に製造されたブラントンズは現在製造されているものとは比較にならない、と言ってる海外の方がいました。日本で90年代に出版されたバーボン本には、ブラントンズはチルフィルターで仕上げられると書かれていますが…。どうなんでしょうね? こちらも詳細ご存の方はコメントお寄せ下さい。

Value:基本的にブラントンズのオールドボトルは古ければ古いほど高くなります。とは言え、ブラントンズは90年代に日本へは相当な量が輸入されていたようで、現在のオークションでもタマ数が豊富なせいか、90年代の物であれば比較的買い求め易い相場となっています。現行品が値上がっている今、90年代のブラントンズをオークションで狙うのは悪くない選択肢かと思います。80年代の物は90年代の物と較べると2倍かそれ以上になりますので、買い手を選ぶでしょう。細かいことを言うと、89年物はよく見かけるので、80年代の中では比較的高騰しにくいです。逆に84年は殆ど見かけません。86〜88年はたまに出ますが、89年より高くなります。さあ、そこで、投資目的でなく飲むためにそれだけのお金を払う価値があるのかどうかですが、個人的にはレーズン爆弾のバーボンが好きなら買いだと思います。私はどうしてもボトル一本飲みたかったので大枚叩いて購入しました。本来なら一度どこかのバーで試飲してから購入を検討するのがいいでしょうね。それから決めても遅くはないので。


*その後グランド・メトロポリタンはギネスと合併してディアジオを形成。
1979年にフライシュマンはスタンダード・ブランズに売却されました。ナビスコは元々はフォークとバラナスカスにフライシュマン・ディスティリングを売る契約を結んでいましたが、その契約は何らかの理由で実現せず、最終的には英国のビール会社ウィットブレッドに売却されました。ウィットブレッドは5年間ほどフライシュマンを所有した後、突如会社をメドレー・ディスティリングに売却しました。メドレーは1988年にグレンモアに買収され、そのグレンモアも僅か2年後の1991年にユナイテッド・ディスティラーズに買収されます。そしてユナイテッド・ディスティラーズは1994年にフライシュマンのブランドをバートンに売却し、2009年にバートンはサゼラックに買収され、現在はサゼラックがフライシュマンのブランドを所有しています。

**フランクフォート・アンド・シンシナティ・レイルロード(以下、F&C鉄道と略)と呼ばれていましたが、この路線はフランクフォートからパリスまで40マイル(64km)しか走っていない短距離鉄道で、名前に反してオハイオ州シンシナティとは何の関係もありませんでした。F&C鉄道はもともとケンタッキー・ミッドランド・レイルウェイとして知られ、ルートの建設は1888年の初めにフランクフォートで始まり、1889年6月にジョージタウン、1890年1月にパリスに到達しました。開業当初、最初のレールを敷く前から「深刻な財政難」に陥り、1894年には管財人の管理下に置かれることもあったものの、1899年にF&C鉄道と改称、1890年代にはフランクフォートの成長を刺激する大きな要因として注目されました。 ジョージタウンとパリスを結ぶ路線は、地元のバーボン・ウィスキーを市場に流通させるのに役立ったと言われています。路線の一部はバッファロートレース上に敷設されていました。
レキシントンとシンシアナの中間、またパリスとジョージタウンの中間に位置するセンターヴィルは、嘗てバーボン郡の商業の中心地として賑わっていました。センターヴィル駅舎には鉄道だけでなく、石炭や穀物や肥料などを扱うセンターヴィル・コミッション・カンパニーの事務所も入っており、駅舎の2階部分はモダン・ウッドメン・オブ・アメリカのロッジとして使用されていた時期もあったそうです。第二次世界大戦中には、戦争努力の重要な製品であったブチルゴムの製造に使用するため、アイダホで栽培されたジャガイモが貨物によってフランクフォートとスタンピング・グラウンドの蒸留所に輸送されました。
F&C鉄道は多くの蒸留所にサーヴィスを提供していたため「ザ・ウィスキー・ルート」として知られていました。1967年にF&C鉄道が全線を廃線にしようとした時、フランクフォートの蒸留所が反対し、ジョージタウンとパリス間の路線は放棄されましたが、残りの路線は存続しました。州間通商委員会はF&C鉄道が更に路線を放棄することを認め、1970年にジョージタウンとエルシノア間の最後の18.2マイルが廃線になりました。1985年に脱線事故で架橋が破損し、F&C鉄道には橋を修理する余裕がなかったため閉鎖に追い込まれ、1987年までにF&C鉄道のレールは全て撤去されたそうです。

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1986年の発売から長い間、12年熟成のエイジ・ステートメントを誇らしげに掲げて来たエライジャクレイグ(*)は、2016年1月下旬の出荷からNASヴァージョンに切り替えられました。このヴァージョンは8〜12年熟成のバーボンのブレンドとされています。なので、もし現在のエライジャクレイグに年数表記するならば8年ということになるでしょう。ボトリング・プルーフはオリジナルと同様の94プルーフですが、この頃にバッチサイズを100バレルから200バレルに増やしたとされています。ラベルとボトルデザインも同年末か翌年くらいに刷新され、棚スペースを意識した従来より背が高くのっぺりとした薄いボトルになりました。昔の物もスモールバッチでしたが、ボトルの前面にその記載があるので通称エライジャクレイグ・スモールバッチNASと呼ばれています。レシピは78%コーン、10%ライ、12%モルテッドバーリーのヘヴンヒル・スタンダード・バーボン・マッシュビル。チャーリング・レヴェルも同蒸留所のスタンダードな#3だと思います。

60〜70年代にウォッカの「攻勢」や飲酒傾向の急速なライト化を経て、80〜90年代のアメリカ市場でのバーボン需要は底辺に沈んでいましたが、2000年代には徐々に復調の兆しを見せ、2010年代になると高需要を迎えるに至りました。エライジャクレイグの12年のステートメントを削除し、バッチングに使用されるバレルの数を増やしたのは、バーボン及びアメリカンウィスキーの人気の急上昇と需要に対する供給不足が理由とされています。当時その他のバーボンも同じ問題に直面していました。こうした場合、販売会社が取る選択肢は二つあります。現状を維持するか、中身を変えるか、です。ウェラー12年のようにエイジ・ステートメントを維持したブランドは、供給量の低下に伴って店頭で見つけるのが難しくなり価格も上昇しました。ジムビーム・ブラック8年やリッジモント・リザーヴ8年などのブランドは、熟成年数表記を失う代わりに入手し易さと価格を維持し、名前やラベルのリニューアルを果たしました。エライジャクレイグの中核製品は後者の方法を選択し、従来より若い原酒をブレンドするようになった訳です。おかげでアメリカ中どこでも買い求め易く、20ドル代か、いっても30ドルのプライス・レンジを維持しています。そしてこれはグローバル・マーケットでも同じでした。

それまで市場で最も価値のあるバーボンの一つと見做されていたエライジャクレイグ12年のNAS化は、バーボンファンにとっては中々ショッキングな出来事だったと思います。NASヴァージョンが初めて世に出た時の熱烈なエライジャクレイグ・ファンの反応は、どうしても否定的なものが多い印象でした。以下に少し紹介してみましょう(どれも基本的には直訳ですが、省略と意味が通じやすいように多少の改訂を加えています)。

「NASは最悪だ!! いいとこ15ドルの価値しかない。」

「おそらく史上最も過大評価されているバーボン。もしフルに12年熟成させるつもりがないなら、ABVを少し下げることを考えるべき。」

「ヘヴンヒルが量のために質を犠牲にすることに失望した。私は確信している。全てのクレイグ・バーボンの愛飲者は、12年のスタンダードを待つことを厭わないだろう。」

「味や香り、口当たりなどの複雑さはあまりありません。また、熟成されていないテキーラか何かを思い出させます。シンプルに緑っぽい草のような香り…これはもっと長く熟成させるべき、或いは熟成させることができると思います。」

「良いバーボンですが、12年ヴァージョンの近くにはいない、残念だ。多くの蒸留所がこのように質より量へ妥協する方向に進んでいるのを見るのは本当に嫌です。これをもう一度購入するかどうかはわかりません。」

「私もEC12の最初の味を知っていて、大好きでした。新しいブレンドですぐに味の変化に気づき、まだ好きですが、以前のような美味しさはありません。」

「もう一度買わないでしょう。悪くはないけど、良くもない。」

「私にとってエライジャクレイグ12は、旧ヘヴンヒル蒸留所の焼失と、当時のバーンハイム蒸留所で蒸留されたウィスキーへの切り替えから立ち直ることはできませんでした。昔のヴァージョンを知っている人たちは、かつての高品質なバーボンの最後の死を嘆くことになるでしょう。」

「香りはまずまずでしたが、味は全くの不味さでした。甘くないし、ヴァニラもオークもない。目立つものはなく、記憶に残るものもない…二度と買わないでしょう、もっと良い選択肢がたくさんあります。」

「昔のEC12は特別でした。最近NASを飲みましたが、正直言ってかなり不味いと思いました。私が驚いたのは、新しいECの味が昔のバーボンとは全く違っていたことでした。それでもヘヴンヒルには好感を持っています。エヴァンウィリアムスと同じくらい良いものをこんなに安く売ることは、私の心を掴んで離さないでしょう。」

一方で擁護する声も聞こえ(見られ)ました。

「私がこのウィスキーをまあまあと判断した時から数週間経ち、ロックで試してみると、より美味しくいただけました。再度購入する価値があります。12年物とほぼ同じくらい良いです。ほぼ。」

「NASはゴージャスで、リッチで、フレイヴァーフルで、十分に複雑なバーボンです。荒々しさはありますが、これは熟練の技術で造られたシッピングに値するバーボンです。今まで飲んだ中で最高のものではないが、とても良い。私の評価は87点。私のボトルはセールで19.99ドルでした(30ドルは払わないけど)。」

「エンジェルズ・エンヴィを想い起させる新しいエライジャクレイグ・スモールバッチを手に入れました。私は嬉しい驚きを感じています…とても良いバーボンです。」

「新しいNASスモールバッチのボトルを手に入れました。新しい日常飲酒にもってこいだと思います。私はラッセルズ・リザーヴ10年よりも好きです。それほど良いものです。12年がどうであれ、この新バージョンは良いです。」

「問題は改訂されたブランドをオリジナルと比較していることです。このようなことは他のウィスキー・ブランドでも昔から行われてきました。オールド・オーヴァーホルト、オールド・クロウ、リッテンハウス・ライ、オールド・テイラー、アーリータイムズ等はどれもオリジナルとは似ても似つかないものとなっています。現在のECSmBが非常に良いバーボンであることに変わりありません。以前がどうであったかは問題ではなく、現在のバージョンは素晴らしい香り、フレイヴァー、そしてフィニッシュを持っています。今でも素晴らしいヘヴンヒル・ブランドです。昔のことに拘るのはやめましょう。」

「私はエヴァンウィリアムス・ブラックラベルを毎日飲むのが好きなので、エライジャクレイグ・スモールバッチNASには肯定的な見方をしています。ECNASは基本的にEWブラックをプレミアム化したものだと思います(8年から12年のストックをミックスしているというのが本当なら)。」

「NASへの変更は、個人的にはそこまで悪いとは思っていません。というのも、私は古すぎるバーボンはバランスが悪いと思っていて、異なる年数の樽をブレンドすることで、より複雑で調和のとれた味わいになると考えているからです。」

…と、まあこういう具合なのですが、流石に12年よりNASのほうが美味しいと断言する意見はかなり少数派。世界の主要なバーボン・レヴュアーは概ね12年のほうが美味しいのを認めつつNASも悪くないというスタンスの中、NASのほうが美味しいとする意見を明確にしているのはバーボン・パディ氏くらいでしょうか。彼はちょうどエライジャクレイグ12年のボトルも開けていたので、どちらが優れているかを判断するため、ちょっとしたブラインド・サイド・バイ・サイドの比較試飲を行い、その結果、NASスモールバッチの方を気に入ったと言います。

「12年の方がパレートでよりクリーミーで、コーン駆動のバタースコッチ、複雑なダークチョコレート、微かにスパイシーな焦がしたオークが感じられた。NASスモールバッチはよりスパイシーかつフルーティな存在感が現れ、トーストしたオーク、みずみずしいチェリー、若々しいバタースコッチのプロファイルを持ち、そのフレイヴァーをよりよく運んで来ました。結果として、私は実際に12年よりもNASスモールバッチを寧ろ好んだのです。それは、ほぼ一次元的なオールド・オークで駆動した12年物に比べ、風味や力強さの面でより多くのものを持っていました。このように比較してみると、なぜ私が12年物の大ファンではなかったか、その理由を思い出すことが出来ます。それは、時に特定のバッチに見られるヘヴィ・チャード・オークの存在が不快であり、全体的な楽しみを損なうと感じていたからです。二つのうち古い方が明らかに勝つだろうと思っていた私は、この結果には驚きました。私にとっては、熟成年数が必ずしも良い製品を示す指標ではないことを証明しています。寧ろより良い味の製品を作るためのブレンドが、ここでのリアルな勝利要因なのです。」

私は長熟バーボンをあまり好まない傾向にあるので、この意見はよく分かります。もしかすると私も彼と同じ意見になるのではないかと、当の記事を読んで急にNASのエライジャクレイグが気になり出しました(バーボン・パディ氏の投稿は2020年に書かれているので比較的最近のものです)。前から飲まなくちゃなと思っていたエライジャクレイグ・スモールバッチNASなのですが、これまで私は購入して来なかったのです。その理由はボトルにあります。上で引用したコメンテイターの或る方は「正直なところ、エイジ・ステートメントがなくなったことよりも、ボトルの形状が変更されたことに失望しています。ボトルの中のウィスキーがボトルそのものよりも重要であることは明らかですが、私は特定のボトルやラベルのプレゼンテーションが好きなのです。新しいボトルのデザインは私にとって非常に残念なものです」とも書いていました。これに関して私は全く同意します。バーボンの味わいは、マーケティング担当者が大袈裟に語るほどヴァラエティに富んではいません。異なる蒸留所の製品であってさえ、ボトリング・プルーフや熟成年数が同じだと似ているのに、同じ蒸留所産の物なら尚更似たような風味を持っているものです。バーボンのそうした在り方に於いて、一言で言えばブランディング、バックストーリーやボトルデザインは、非常に重要な要素となります。昔日のエライジャクレイグの重厚で他の何とも似ていないボトルは、私にとって味以上に重要でした。それ故、ボトルデザインがリニューアルされた時に買う気を失ってしまったのです。しかし、これだけ流通量の多いバーボンを無視し続けているのも良くないですから、これを機会に買ってみた、と。では、さっそく私も実飲してみましょう。

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ELIJAH CRAIG Small Batch NAS 94 Proof
ボトリング年不明、購入は2020年なので、おそらく2020年もしくは2019年あたりにボトリングと推測。プリンのカラメルソース、焦げ樽、接着剤、キャラメル、若いプラム、シナモン少々、コーン、たまごボーロ、チェリーコーク、石鹸。香りは甘いお菓子やスパイス香と僅かに古い木を思わせるトーンも。口当たりは水っぽく、味わいは甘酸っぱいフルーティさとグレイン。余韻は仄かな甘みとウッディなスパイスがありつつも、基本的にはドライであっさりしている。パレートがハイライト。
Rating:84/100

Thought:先ず飲んだ第一印象は「あれ、エライジャってこんなグレイン・フォワードだったっけ?」でした。このNASは8年〜12年のブレンドとされ、平均すると約11年という説を見かけたのですが、本当かは判りません。個人的にはもう少し若そうな印象を持ちました。でも飲みなれると悪くないと言うか、美味しく感じて来ました。開封から二ヶ月経過した頃から(しばらく放っておいた)パレートに甘酸っぱいフルーティさが出て来て好みの傾向のバーボンになりました。穀物感、フルーツ、オーキーなヴァニラ、ほんのりスパイシーとバランスがとれています。開封から三ヶ月を過ぎた頃には、もう少し長熟感のようなものが前面に出るようになり、なるほど確かに高齢バーボンが混ぜられているのだなあと感じ取れました。しかし、余韻だけは最初から最後までパッとしないと言うか、どこか平坦な印象のままでした。

実は私もこのNASと手持ちの12年のストックを同時に開封し飲み較べしていました(12年のレヴューはまたの機会に)。両者の色はそれほどは変わりませんが、12年の方が僅かに赤みが強いブラウンでしょうか。個人的には、やはり香りも味わいも余韻も12年の方が複雑で深みは感じられました。但し、その分ビター感やハーブ香や少し渋みもあって、一長一短かなとも思いました。単純な甘さやグレイニーなバランスのウィスキーを求めるならNASかも。時として重々しくオークが出過ぎる12年より、NASは多くの人の好みに合っている可能性すらあります。どちらかに軍配を上げなければならないのなら私は12年を選びますが、NASを選ぶ人がいても反対意見はありません。まあ分かるな、といったところです。多少の荒々しさと心地よい熱量がバーボンの魅力と思うならNASを、穏やかで深みのあるオーク・フレイヴァーを味わいたいなら12年を、オススメしておきます。

おそらくNASを問題にするのは昔の味わいを知っている人だけです。2016〜18年くらいの切り替えが行われた直後と比べると、現在では店頭で12年表記のあるエライジャクレイグを見かけることはまずないと思われ、12年を入手するならオークション等のセカンダリー・マーケットに頼る必要があります。よほどのマニアでない限り、一般の飲酒家は何も気にせず近所のお店でNASを購入すれば良いでしょう。また、たとえエライジャクレイグの熱烈なファンであっても、NASを12年に代わるものと見るのではなく、単にエヴァンウィリアムス・ブラックラベルの上位グレードと見做せば、それほど腹も立たないのではないでしょうか。

Value:NASの日本での小売価格は2000円代後半から3000円代前半が相場のようです。同社のエヴァンウイリアムス・ブラックラベルが1500〜2000円とすると、プライス・レンジが上昇しただけの価値はあると思います。ただ…ここ日本では、印象的な赤いラベルのエヴァンウィリアムス12年が比較的安価(3500円くらい)に入手可能です。同じ蒸留所、同じマッシュビル、似たような熟成年数で造られながらハイアープルーファーであるEW12年は、エライジャクレイグNASは言うに及ばずEC12年よりも、少なくとも私の好みでは、リッチなフレイヴァーを有する上位互換です。そうなると、エライジャクレイグNASを最高値で購入したり、オークションでプレミアムのついた近年物のEC12年を落札するのは、得策とは言い難いものがありますね。


さて、エライジャクレイグのNAS、12年と並行してバレルプルーフも試飲しましたので最後におまけで。日本ではあまり流通していないバレルプルーフも飲めたのは、例によってバーボン仲間のK氏のお力添えによるもの。バーボンを通じた繋がりに感謝です!

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(画像提供K氏)

エライジャクレイグ・バレルプルーフは2013年から発売され、年に限定3回のリリースです。各ボトリング・プルーフはバッチ毎に異なり、概ね120をオーヴァーし、稀に140まで到達することもあります。2017年のボトルの再設計に伴いラベルのリニューアルが行われ、バッチ番号が書かれるようになりました。「A117」のような具合です。ABCはリリースの順番を示し、次の数字がリリース月、最後の2桁の数字が年を表します。なので、バッチ「A117」は、2017年の最初のリリースで1月に発売されたと判ります。以下に各リリースをリスティングしておきましょう。

Mar 2013 / 134.2 Proof
Jul 2013  / 137 Proof
Sep 2013 / 133.2 Proof
Mar 2014 / 132.4 Proof
May 2014 / 134.8 Proof
Sep 2014 / 140.2 Proof
Feb 2015 / 128 Proof
May 2015 / 139.8 Proof
Sep 2015 / 135.6 Proof
Jan 2016 / 138.8 Proof
May 2016 / 139.4 Proof
Sep 2016 / 136 Proof
A117(Jan 2017) / 127 Proof
B517(May 2017) / 124.2 Proof
C917(Sep 2017) / 131 Proof
A118(Jan 2018) / 130.6 Proof
B518(May 2018) / 133.4 Proof
C917(Sep 2018) / 131.4 Proof
A119(Jan 2019) / 135.2 Proof
B519(May 2019) / 122.2 Proof
C919(Sep 2019) / 136.8 Proof
A120(Jan 2020) / 136.6 Proof
B520(May 2020) / 127.2 Proof
C920(Sep 2020) / 132.8 Proof
A121(Jan 2021) / 123.6 Proof
B521(May 2021) / 118.2 Proof
C921(Sep 2021) / 120.2 Proof

ちなみにバレルプルーフのヴァージョンは12年のエイジ・ステートメントを保持しています。そしてノンチルフィルタードの仕様。では、最後に飲んだ感想を少しだけ。

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(画像提供K氏)
ELIJAH CRAIG BARREL PROOF Small Batch 12 Years 124.2 Proof
BATCH № B517
2017年ボトリング。木炭、タルト、スイートオーク、微かなチェリー、ビターチョコ、ハラペーニョ。アロマは流石に度数が強いのでツンとした刺激臭が強いものの、香ばしい焦がした樽香を主体として甘い香りも。口当たりは僅かにオイルぽいが、バレルプルーフに期待するよりサラッとしている。味わいはガツンとスパイシー。余韻はやや早めにひけて、穀物とスパイス・ノートが残る。

香りも味も余韻も加水したほうが甘く感じられましたが、それでもドライかつビターで、全体的に刺激強め。それでも12年の長熟ながらオーヴァーオークになってないのは良かったです。ただ、正直言うと、些か複雑さと深みに欠けるのも否めず、これでは現行ボトルを否定してオールドボトルを求める人がいるのも頷けるかな、とは思いました…。比較的開栓から日が浅い段階での試飲なので、もしかするともう少し伸びる可能性はあるのかも知れませんね。
Rating:85/100


*アメリカ人は「アライジャクレイグ」に近い発音をします。

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タグモノクロ

皆様、いつも閲覧ありがとうございます。特に、熱心に読んでくださる方々、またコメントをくださる方々、本当にありがとうございます。このブログはネット上に散らばっているバーボン情報を纏めただけの所謂「まとめサイト」のようなものですが、纏めるという作業にもリサーチの時間と編集の手間はかかり、その労力の割に殆どアクセスや反応のないブログをここまで続けて来れた最大の原動力は、一部の奇特な心優しい「貴方」のような方々の支えによるものでした。

さて、いよいよ暑さも本格的になり夏本番ですね。それでと言う訳でもないのですが、Tシャツを中心としたブログのオリジナルグッズを趣味で作ってみました。皆でお揃いのチームジャケットとかを着るのって男の憧れじゃないですか? 少なくとも自分は若い頃に憧れました。そんなノリで作ったものや、バーボンをモチーフにしたデザインの小物とかです。自分のブログをもっと知ってもらうため、そしてバーボンを広めるため、自ら広告塔にならねば、と(笑)。

で、これがめちゃめちゃカッコいいのですよ。 自分で着たかったり使いたかったものなので、そう思うのは当たり前ですけれど、思いの外いい感じに出来上がりまして、そこで皆様もいかがですか?という訳で販売することにしました。既にこちらではお馴染みのKazue Asaiさんとのダブルネームもあります。いや、そう表記してない物も概ね彼女に依頼してデザインしてもらっているのです。

皆様もカッコいいと思ったら是非。私の周りの友人にはけっこう評判いいですよ。またブログをサポートしてくれる方も購入を検討して頂けたらと思います。お買い求めやすいようにショップも開設しました。

とは言え、バーボン飲みの本道はバーボンの購入です。バーボンを買う以上にグッズにお金を使われては意味がありません。グッズは物凄く高い訳ではないですが、物凄く安いとも言い難いです。殆どの商品は受注生産のため、大量仕入れによるコストダウンが出来ないからです。そうそう売れるとも思えない物に対して大量の在庫を抱えるのはリスキー、そこで出てくるのが昨今増えてきたオンデマンド販売。私も流石にリスクは負えないので、ある種の折衷案としてこの販売形式になりました。だから飽くまでちょっと懐に余裕がある時に、「うん普通に気に入った」、「よしお前のブログを応援してやろうじゃないか」、「俺もバーボンの広告塔になるぜ」という心意気からお願いします。或いはバーボンとか関係なく単にKazue Asaiさんのイラストが好きだから、とか。私自身もKazueさんのイラストが好き過ぎて、彼女をもっと世に知らしめたいというのがオリジナルグッズを作り販売する理由の一つなのです。

最後に、ショップも含む私の活動している各種SNSへのリンクまとめも作成したのでご紹介を。

https://lit.link/bourbonstraightnochaser

どれも毎日とか毎週更新などはやっておりません。すいませんが、時間のある時、気の向いた時に投稿しております…。それでよければ、バーボン好きならフォローしてみて下さい。では、これにて。

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ワイルドターキー・ケンタッキー・スピリットは、アメリカの現行ワイルドターキーのラインナップの中では1942年の古典的な「101」、1991年の「レアブリード」に次ぐ、3番目に古いリリースの由緒あるブランドであり、ワイルドターキー101のシングルバレル・ヴァージョンとして1994年に作成されました。公式リリースは1995年なのかも知れませんが、最初のボトルは1994年に充填されています。おそらくは、バーボン界で初めての商業的なシングルバレル・バーボン、ブラントンズの対抗馬であったと推測され、ブラントンズの競走馬やケンタッキー・ダービーをモチーフとした華麗なボトルの向こうを張った七面鳥のファンテイル・ボトルは流麗で目を惹くものでした。またブラントンズと同じように、ラベルには手書きでボトリングされた日付やバレル・ナンバー、倉庫やリック・ナンバーが記されているのもプレミアム感をいやが上にも高めています。そして、キャップはピューター製の重厚で高級感のあるものでした。それ故ケンタッキー・スピリットの初期のものは通称ピューター・トップと呼ばれています。2002年からストッパーはピューター製からダーク・カラーの木製のものに変更されました。更に2007年もしくは2008年頃にはダークだった木材がライトな色味へと変わります。ラベルに描かれる七面鳥も、ケンタッキー・スピリットに於ける明確な変更時期は特定出来ませんが、ブランド全体に渡るラベルのリニューアルに合わせ、前向きが横向きへ、カラーがセピア調へと更新されました。と、ここまではキャップ等のマイナーチェンジとシリーズ全般の変化なので、ケンタッキー・スピリットの姿自体はそれほど変わりありませんでしたが、2019年、遂にケンタッキー・スピリットの象徴的なテイルフェザー・ボトルは廃止、レアブリードに似たデザインに置き換えられ、ラベルの七面鳥の存在感は薄くなります。
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「ケンタッキー・レジェンド」と免税店の「ヘリテッジ」といった一部の製品を除き、ケンタッキー・スピリットは2013年にラッセルズ・リザーヴ・シングルバレルが発売されるまでの20年近く、ワイルドターキーのレギュラー・リリースで孤高のシングルバレルであり続けました。アメリカの小売価格で言えば、ワイルドターキー101より2倍以上高く、ラッセルズ・リザーヴより少し安い製品です。ケンタッキー・スピリットをラッセルズ・リザーヴと比べてしまうと、ラッセルズ・リザーヴは冷却濾過されずによりバレルプルーフに近い110プルーフでボトリングされるため、スペック的にケンタッキー・スピリットを上回ります。そのせいもあってか、2014年頃から始まったプライヴェート・バレル・セレクションでもラッセルズ・リザーヴのほうが人気があります。その味わいの評価に関しては、アメリカの或る方の喩えでは「ワイルドターキー・ケンタッキー・スピリットは、天井は高いが床はラッセルズ・リザーヴ・シングルバレルよりも低い」と言っていました。ターキーマニアの代表とも言えるデイヴィッド・ジェニングス氏などは、ケンタッキー・スピリットのボトルがリニューアル(同時に値上げも)されたのには相当ガッカリし、ラッセルズ・リザーヴ・シングルバレルの方が愛好家向けにアピールする製品であり、逆にもっとライトな飲酒家向けにはラッセルズ・リザーヴ10年や「ロングブランチ」などがあるため、ケンタッキー・スピリットの立ち位置がブレて消費者への訴求力が落ちているのを危惧して、価格以外に三つの解決策を提案をしています。
第一はボトルの変更です。テイルフェザー・ボトルが高価なのなら、せめて同様の美しさをもった往年のエクスポート版のケンタッキー・レジェンド(101)や「トラディション(NAS)」のようなボトル・デザインに先祖返りするのはどうか?、と。
第二にケンタッキー・スピリットもノンチルフィルタードのバーボンにする。そうすればスタンダードなワイルドターキー101よりも優れた利点が確実に得られる、と。
第三にラベルに樽詰めされた日付も記載する。現在でもボトリングの日付はありますが、ケンタッキー・スピリットが愛好家に向けた製品を目指すのなら、より細部に拘ったほうがいい、と。
そして更には、先ずは一旦ケンタッキー・スピリットの販売を休止し、現在の115エントリー・プルーフのバレルを維持しつつ、昔のような107エントリー・プルーフのバレルも造り、二つの異なるバーボン・ウィスキーを用意、最後に理想的な熟成に達した107エントリー・プルーフのバレルからケンタッキー・スピリット101を造り上げるという提言をしています。これは謂わばジミー・ラッセルのクラシックなケンタッキー・スピリット・シングルバレル・バーボンを復活させるというアイディアです。確かにこれが実現したら素晴らしい…。
ちなみに彼は現在のケンタッキー・スピリットを扱き下ろしているのではありません。ラッセルズ・リザーヴ・シングルバレルとワイルドターキー101の中間にあっては、昔ほど誇らしげに立っていないと言っているだけです。実際、彼はここ数年のケンタッキー・スピリットの高品質なリリースを幾つか報告しています。まあ、少々否定的な物言いになってしまいましたし、今でこそケンタッキー・スピリットの特別さがやや薄れてしまったのも間違いないのですが、それでもその「魂」は眠ってはいないでしょう。ケンタッキー・スピリットはジミーラッセルの元のコンセプトに忠実であり続けるバーボンであり、殆どの場合ワイルドターキー101よりも美味しく特別なバーボンであり、またストアピックのラッセルズ・リザーヴが手に入りにくい日本の消費者にとってはワイルドターキー・シングルバレルの個性的な風味を経験するよい機会を提供し続けています。

改めてケンタッキー・スピリットの中身について触れておくと、その熟成年数はNASながら8〜10年とも8.5年〜9.5年とも言われており、とにかくワイルドターキー8年と同じ程度かもう少し長く熟成されたシングルバレルをジミー・ラッセルが選び(現在はエディ?)、冷却濾過して101プルーフでボトリングしたものです。つまり単純に言えば、冒頭に述べたようにケンタッキー・スピリットは現在でも日本で販売されているワイルドターキー8年101のシングルバレル・ヴァージョンなのです。ジミー自身はケンタッキー・スピリットについて、タキシードを着たワイルドターキー101と表現していたとか。多分、スタンダードな物より格調高く華やいでいる、といった意味でしょう。発売当初のボックスの裏には彼自身の著名でこう書かれました。
時折、完璧なものを垣間見ることがあります。私はいつもそれを上手く説明することは出来ないのですが、或る樽は熟成するにつれて並外れた味を帯びるのです。信じられないかも知れませんが、私は20年以上前の樽を今でも正確に覚えています。ワイルドターキー・ケンタッキー・スピリットは、そのような記憶に残る発見の喜びを与えてくれます。このボトルには、特別な1つの樽から直接注がれた純粋なバーボンが収められており、私はそれを皆さんにお届けすることを誇りに思います。
マスターディスティラー、ジミー・ラッセル
ついでに言っておくと、ケンタッキー・スピリットとラッセルズ・リザーヴという二つの同じシングルバレル製品の違いは、ボトリング・プルーフとチルフィルトレーションを除けば、そのフレイヴァー・プロファイルにあるとされます。現在のマスターディスティラー、エディ・ラッセルによれば、ケンタッキー・スピリットが父ジミーの好みをより代表しているのに対し、ラッセルズ・リザーヴは本質的にエディ自身の好みを代表しているそう。
ケンタッキー・スピリットの味わいについては、先に引用した「天井と床」の喩えで判る通り、アメリカでも日本でも多少のギャンブル性が指摘されています。つまり、ケンタッキー・スピリットはラッセルズ・リザーヴ・シングルバレルと同等かそれ以上に優れている場合もあれば、スタンダードなワイルドターキー101や8年101に非常に似ている可能性もあるということです。これはケンタッキー・スピリット云々というより、シングルバレルの特性上仕方のない面でもあります。通常3桁から4桁のバレルを混ぜ合わせる安価なバーボンは平均的なフレイヴァーになるのに対し、文字通り一つのバレルから造られるシングルバレル製品はフレイヴァー・バランスが異なります。具体的に例を言うと、普段飲んでいるワイルドターキー8年の味が脳にインプットされていて、さあ、いつもより上級なものを飲んでみたいと思いケンタッキー・スピリットを買いました、いざ飲んでみるといつものターキーよりスパイシーでオーキーでした、あれ? いつものほうがフルーティで美味しくない?、となったらその人にはハズレを引いたと感じられるでしょう。こればかりはその人の味覚次第だから。とは言え、本職の方が選んだバレルですから美味しいに決まってますし、それだけの価値があります。ケンタッキー・スピリットは甘くフルーティなものから、ややドライでタンニンのあるものまで様々なプロファイルを示しますが、真のワイルドターキー・ファンならば勇んで購入すればよいのです、好みのもの好みでないものどちらに転ぶにせよ。

ケンタッキー・スピリットはラベルの七面鳥やボトル・デザインの変化でなく、別の視点から概ね三つに分けて考えることが出来ます。ワイルドターキー蒸留所はフレイヴァーフルな味わいを重視し、ボトリング時の加水を最小限に抑える意図から比較的低いバレル・エントリー・プルーフで知られていますが、2000年代にそれを二回ほど変更しました。2004年に107プルーフから110プルーフ、2006年に110プルーフから115プルーフに。これは良かれ悪しかれフレイヴァー・プロファイルが変わることを意味します。また、ワイルドターキー蒸留所は旧来のブールヴァード蒸留所から2011年に新しい蒸留施設へと転換しました。これも良かれ悪しかれフレイヴァー・プロファイルが変わることを意味するでしょう。そこで、ケンタッキー・スピリットの平均的な熟成年数である8年を考慮して大雑把に分けると、

①1994〜2012年の107バレル・エントリー原酒
②2013〜18年の110/115バレル・エントリー原酒
③2019年からの新蒸留所原酒

というようになります。このうち①、特にピューター・トップのものは昔ながらのワイルドターキーの味わいであるカビっぽいコーンや埃のような土のようなオーク香があり複雑な風味があるとされます。②は①のようなファンクが消え、ライトもしくはいい意味で単純な傾向に。③は前出のDJ氏によれば、選ばれたバレルによっては「床が上がっている」そうです。そこで今回は、私の手持ちのケンタッキー・スピリットの年代が異なるもの2種類と、先日投稿したワイルドターキー8年101の推定2019年ボトルを同時に飲んで較べてみようという企画。実を言うと投稿時期が違うだけで、3本をほぼ同時期に開封しています。

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WILD TURKEY KENTUCKY SPIRIT Single Barrel 101 Proof
Bottled on 01-14-16
Barrel no. 2830
Warehouse O
Rick no. 2
2016年ボトリング。ややオレンジがかったブラウン。接着剤、香ばしい焦樽、香ばしい穀物、ローストナッツ、コーン、ライスパイス、ブラックペッパー、若いチェリー、ハニーカステラ、ナツメグ、アーモンド。口当たりはややオイリー。パレートは基本的にグレイン・フォワードで、甘みもあるが飲み込んだ直後はかなりスパイシー。余韻はミディアム・ロングで豊かな穀物と共に最後にワックスが残る。

8年101と較べて良い点は口当たりがオイリーでナッティさが強いところでした。悪い点は接着剤が強すぎるのと荒々しい「若さ」があるところ。全体的には、スパイス&グレインに振れたバーボンという印象。また、101プルーフよりも強い酒に感じるほどアルコール刺激を感じます。正直言って8年101の方がマイルドで熟したフルーツ感もあり私好みのバランスでした。
Rating:86.5/100

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WILD TURKEY KENTUCKY SPIRIT Single Barrel 101 Proof(Pewter top)
Bottled on 10-5-95
Barrel no. 63
Warehouse E
Rick no. 47
1995年ボトリング。やや赤みを帯びたブラウン。ヴァニラ、湿った木材、オールド・ファンク、ベーキングスパイス、ブラッドオレンジ、紅茶、タバコ、土、漢方薬、ドライクランベリー、鉄、バーントシュガー。アロマはスパイシーヴァニラ。口当たりは柔らか。パレートはフルーティな甘さにスパイス多め。余韻はハービーで、マスティ・オークが後々まで長く鼻腔に残る。

2016年のケンタッキー・スピリットが若さを感じさせたのに対して、こちらは寧ろ近年飲んでいたマスターズ・キープ17年のような超熟バーボンを想わせる味わいです。今回私の飲んだ8年101と較べても、90年代の8年101と比べても、ハーブぽいフレイヴァーが強く複雑ではあるのですが、あまり私の好みではありませんでした。
Rating:87.5/100

Verdict:95年ピュータートップに軍配を上げました。比較として飲んでいた8年101の方が自分好みではあったのですが、やはり特別な味わいではあると思ったし、2016年物は軽く一蹴したからです。


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先日、Kazue Asaiさんの個展が開催されている「お酒の美術館」中野店へ行ってきました。只今絶賛開催中な訳ですが、早くも行った方々はだいたい写真付きで各種SNSにて紹介されています。そこで私も、距離的時間的に行きづらい人もいるかと思いますので、こちらでイラストの紹介をしておきます。お店については以前に投稿したこちらを参照下さい。

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これらのうち何点かは既に売約済みとなっています。欲しいものがある方はなるべく早めに行って即断することをオススメします。個人的にはアーリータイムズやオールドクロウのガールなんかイチ推し。

私が行ったのが平日でないこともあったでしょうか、或いは営業時間短縮の都合で人の出入りが集約したのか、お店は思っていた以上に大盛況でした。オープンからひっきりなしにお客さんが来店して、時間帯によってはお店に入れず「待ち」の人もいるほど。駅近の繁華街ど真ん中、しかも提供価格が安価、そこに来てアーティストさん目当ての方も来るとあっては当然なのかも知れませんね。

今回、私はkazueさんご本人に同行してもらっています。そのお陰で、彼女のお祝いに駆けつけた、私個人では普段出会うことのない作家さんたちお三方と同席することにもなり、刺激的なお話しや楽しい会話を聴くことが出来ました。出会った皆さん、そしてKazueさん、ありがとうございました!

そう言えば、Kazueさんが完成したイラストを手渡しているところや、新たに似顔絵イラスト作成の依頼をされている現場を直に目の当たりにしたりもしました。お酒の美術館にちなんで、そこに飾られているような人とお酒のイラスト、具体的には依頼者本人(もしくは写真があれば他人でも可)と指定の銘柄のお酒(好きなお酒、例えばアードベッグでも山崎でも)を描いてもらえるのです。誕生日プレゼントにするという方もいました。いくつか拝見させてもらいましたが、完全にKazueさんのタッチでありながらちゃんとご本人の特徴をよく捉えたイラストになっており、これは買って嬉しいもらって嬉しいイラストだと思います。とてつもなく薄いハイボールを飲んでいる方を見かけたら、それがKazueさん本人かも知れません(作家が自らの個展に在廊するように、開催期間中はKazueさんもよくお店に出没します)。もしお店に行かれることがあり、Kazueさんを見かけたら、貴方もイラストを依頼してみるのも一興ではないでしょうか?

さて、言うまでもなくここはバーでもありますから当然お酒を注文します。私としても何かしらオールドバーボンを飲むことは目的の一つでもありました。しかし、実は当日の私は湿気にやられたのか体調が思わしくなく、残念ながら結果的に一杯しか飲めませんでした。始まりの一杯が終わりの一杯となったのです…。あとはジンジャーエールだけ飲みました。軽いものから始めようと思い選んだのは、トップ画像で分かる通りビームズ・チョイス。では、飲んだ感想を少しばかり。

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BEAM'S CHOICE Green Label 86 Proof
店員さんによると88年ボトリングとのこと。ネックに「ウイスキー特級」の表記がありますね。ラベルに「8」とありますが、「Year」はないのでNAS扱いとなります。おそらく、この頃の物は熟成年数は5年くらいなのではないでしょうか。先ず、現行ビームの特徴とされるピーナッツ(またはダンボール風味)は全く感じません。また、現在自宅で開けている90年代のブラックラベル8年と比較してもかなり異なり、熟成年数の違いにもかかわらず、こちらの方がメロウかつ濃いダークフルーツを感じました。あまり酸味もなく、好ましい要素ばかりで、86プルーフにしてはフレイヴァーも強い。ここら辺に、特級表記に拘るウィスキー通の方や、或いは88年〜92年あたりのバーボンを至高と考えるマニアの方の、好ましいと感じる点がわかり易く現れているのかも知れません。状態も良かったのだと思います。これはオススメ。
Rating:86/100

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今回はウィレット蒸留所の代表的なブランドであるオールド・バーズタウンのラインナップの一つエステート・ボトルドです。オールド・バーズタウンのブランド自体の説明は以前に投稿した現行スタンダードのレヴューを参照ください。
エステート・ボトルドの起源はよく分かりません。ネット検索で知り得る限りでは15年熟成の物が最も古いような気がするのですが、どうでしょう? 私が見たものには、年式を90年と95年としているものがありました。エステートのラベルは、80年代から日本に輸入されていた当時のスタンダードである馬の頭と首だけの描かれたブラック・ラベルと違い、初期と同じ「オールド・レッド・ホース」の佇む絵柄です。そこからすると、より上位の物にスタンダードの丸瓶や角瓶とは異なるずんぐりしたボトルを採用し、そのトップをワックスで浸し、中身は101プルーフでボトリング、そして伝統的な絵柄のラベルを貼り付けることでプレミアム感を出したのがエステート・ボトルドなのかな、と推測しています。「Estate Bottled」というのがどういった意味かはよく解りませんが、エステートは一般的に「財産、遺産、不動産、土地」などの意味なので、「Family Reserve」や「Private Stock」とほぼ同じような意味なのではないでしょうか。上の意味の他に「種馬」の意味もあると書かれた辞典もありましたから、もしかするとお酒のラベルでよく使われるファミリー・リザーヴやプライヴェート・ストックを敢えて避け、馬のラベルに関連付けてエステート・ボトルドにしたのかも知れませんね。また、常にボトリングが101プルーフであることを考えると、ボトルド・イン・ボンド規格以上ですよと云う意味合いで「Bottled」をかけているのかも。仔細ご存知の方はコメントよりご教示ください。で、その15年熟成の物は、おそらく日本向けか一部の市場のみでの販売と思います。販売された年代と熟成年数から考えると、中身は旧ウィレット原酒であってもおかしくはないでしょう。
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その後、高齢原酒の不足のためか、いつの頃からか10年熟成の物に切り替えられました。この10年表記の物はアメリカでも流通していたようなので、もしかすると切り替えと言うよりはそもそもアメリカ国内向けと輸出用を分けていたのかも知れません。例えば、15年熟成は日本へ90〜95年に少量輸出、10年熟成はアメリカ国内にて90年代後半に発売とか? ともかく、いつから販売されていたかは私には判らないです。そしてもう少し後年、おそらく2008年あたりに熟成年数を表すシールの貼られてないNASになったと思われます。これは確実に長期熟成原酒の不足が理由でしょう。緩やかにではありましたが、2000年代を通してバーボンのアメリカ国内需要は復調していったのです。10年やNASの中身は、おそらくヘヴンヒル原酒の可能性が高いと見られています。

1970年代にバーボンの売上げが劇的に減少し、折からの石油不足が燃料用アルコールへの投資を促すと、投資家はウィレット蒸留所の飲料用アルコール生産を止め、燃料用の生産にシフトしようとしました。しかし、それは使い物にならない機器を残し失敗に終わりました。ありがたいことに、エヴァン・クルスヴィーンは平常心を保ち、一家をバーボン業界に留めるため、1984年にケンタッキー・バーポン・ティスティラーズ(KBD)というボトリング事業を始めます。エヴァンはその後の約30年間、他の蒸留所からウィスキーを購入し、オールド・バーズタウンを守り続け、新しいブランドも創り上げながら、伝統ある自身の蒸留所の再開を夢見ていました。2012年に漸く彼のその夢は叶い、蒸留所は再び蒸留を開始します。2016年になると自家蒸留されたオールド・バーズタウンの二種類(スタンダード90プルーフとボトルド・イン・ボンド)が販売され出しました。
エステート・ボトルドがいつから新原酒になったのか定かではありませんが、6年熟成とされているところからすると、早くて2018年あたりなのでしょうか? ところで、新しいスタンダード90プルーフとボトルド・イン・ボンドのラベルは、どちらもウィレット蒸留所によって蒸留および瓶詰めされていると記載されていますが、対してエステート・ボトルドの私の手持ちのボトル、またそれ以前のボトルのラベルには、蒸留はケンタッキー、ボトリングは「Old Bardstown Distilling Company」によりされたと記載されており、海外ではこれをウィレットが蒸留していないバーボンを販売するときに使用される戦術とする向きもあります。まあ、概ねそうなのかも知れませんが、旧来のラベルはなくなるまで使い続けられることもあるし、そのバーボンの名をDBAとして使用した蒸留所名だからといって全てがソーシング・バーボンとは限らない気が個人的にはしています。現に私の手持ちのボトルは確実に新ウィレット原酒です。おそらく実店舗では、現在日本で流通しているエステートの殆どは新原酒を使用している筈。とは言え、オークションや売れ残りで旧来のエステートが販売されていることも稀にはあるでしょう。そこで旧と新の目安とするならラベルよりもボトル形状に着目して下さい。最近流通しているボトルはネックにやや丸み(膨らみ)のあるものが採用されています。
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或いはボニリが正規輸入している物は新原酒と聞き及びますので、裏のラベルを目印に購入するとよいでしょう(*)。
では、そろそろバーボンを注ぐ時間です。ちなみにエステート・ボトルドは、スタンダードやBiBと共通のハイ・コーン・マッシュビル、そして上述のように6年熟成、スモールバッチ(21〜24樽)でのボトリングとされています。

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OLD BARDSTOWN ESTATE BOTTLED 101 Proof
推定2020年?ボトリング。焦げ樽、焼きトウモロコシ、プロポリス配合マヌカハニーのど飴、麦芽ゼリー、ミロ、ミルクチョコレート、熟したプラム、蜂蜜、レモン。液体はさらさらしているが、口当たりはややオイリー。パレートではモルティなグレインを強く感じる。余韻はややあっさりめと思いきや、穀物の旨味が広がり、最後にコーヒーの苦味。
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Thought:先ず、スタンダードの4年と比べて2年の熟成期間の追加でかなり印象の違うものになっているのが驚き。スタンダードはフルーティさが強かったのに対して、エステートは味わいに凄くモルティさを感じました。私はフルーツ・フォワードなバーボンが好きなので、実はスタンダードの方が美味しく感じたのですが、私のレーティングは味だけで採点していないためエステートの方を上にしています。スタンダードではあまり感じなかった甘いミルクチョコやココアのような風味は、追加の熟成期間で育まれたと思われ、やはりそこは評価すべきかと。現行のバーボンとオールドボトルの様々な違いの要因について言われていることの一つに、昔は商業用酵素剤を使わずモルトを多く使用していたと云うのがありますが、このエステートにはそういった古のバーボンらしさがあるのかも知れません。同じウィレット蒸留所の同レヴェルの製品と目されるケンタッキー・ヴィンテージやピュア・ケンタッキーXOと比べても、マッシュビルの違いからか共通なフレイヴァーもありつつグレイン感の旨味が強いように感じます。どれが好きかは貴方の味覚や感性によって決まりますが、どれもハイ・クオリティで頗る美味しいです。

Value:日本では大体3500円前後。もうね、買え、そして飲め(笑)。オールドボトルでも長熟でもないバーボンの魅力が詰まってますよ。


*誤解のないように言っておくと、これはネックに膨らみのある物やボニリの物だと新原酒である蓋然性が高いと言うことであって、ストレートネックや並行輸入が新原酒ではないと言いたいのではありません。あくまで、ぱっと見で新原酒を購入したい人へ向けたアドヴァイスに過ぎないのです。

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今回の投稿は告知です。

本ブログでは既にお馴染みのイラストレーターKazue Asaiさんの作品が、お酒の美術館中野店にて7月初旬から約1ヶ月間展示されます。ギリギリの告知になってしまったのには、皆様もご承知のようにコロナ禍での緊急事態宣言の影響、およびその後の動向がよく分からないためでした。また「初旬」とか「約」とか言ったりしてるのもその影響でして、細い日程は分かり次第、追記の形でお知らせ致します(※7/1〜31の展示で本決まりになりました!)。
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関西からスタートして今や全国的な展開を見せている「お酒の美術館」は、株式会社のぶちゃんマン(代表者 滝下信夫)が運営する事業の一つで、自社買取したオールドボトルを販売するビジネス以外に、希少なお酒をもっと気軽に楽しんでもらいたいとの想いから生まれたスタンディング・バーです。独自ルートでの格安仕入れをしているため、希少なお酒を1杯500円からという驚異の価格設定で提供しながらも高い利益率を確保することが出来るのが強み。店内の品揃えの大半は、現在は原酒不足で終売となった入手困難なジャパニーズ・ウィスキーも含む70年代〜バブル期の洋酒ブームに流通していたボトル群であり、それを手の届きやすい価格で提供するものだから、学生から若い女性、仕事帰りのちょい呑みサラリーマン、 訪日外国人、終売ボトルを懐かしむ中高年まで幅広い方々に支持されています。

8坪あれば開業できるお酒の美術館の加盟店舗は個々にオウナーの個性が出せるようで、オーセンティックな雰囲気のレトロ・バーと言った店舗もあれば、アンティーク感のないパブのような雰囲気の店舗、果ては大手コンビニチェーンとの提携によりイートインスペースを活用した店舗まであります。で、今回ご紹介するのがその中の一つ中野店。2019年12月14日にオープンした同店はオウナーの山田さんの奥様が絵を描かれる方だそうで、店舗には沢山の絵が飾られているのが特徴です。その時々で或る作家さんをフィーチャーするらしく、お酒の美術館であると同時に文字通り絵の美術館ともなる訳です。これはなかなかに独創的なバーと言えるのではないでしょうか。詳しくは下記の「まるっと中野」さんの記事が素晴らしいので参照して下さい。
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そしてこの度、ここに作品展示をすることになったのがKazue Asaiさん。キュートでロックでクレイジーでパンクなお洒落ガールを描かせたら天下無双、只今人気急上昇中のイラストレーターです。彼女はお酒の美術館に合わせて、美女とお酒をモチーフにした絵を大量に描きました。彼女の作品が約30枚も一度にナマで観れる機会はそうそうありません。しかも、お酒を呑みながら…。気に入ったイラストがあれば購入も出来るようですよ☆ 皆さん、是非機会があれば足を運ぶことをオススメします。勿論、私も行きます。「美女」に囲まれながらオールドバーボンを嗜む贅沢時間ですからね。おそらく例の条件付酒類提供(※同一グループの入店 2人以内、酒類提供の時間制限11時〜19時まで、利用者の滞在時間90分以内)になると思われるので、遠方よりご来訪の方は事前にお店に確認を。

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JR中野駅、北口サンモール中野、コージーコーナーを右手に曲がるとすぐのお店です。


お酒の美術館ホームページ
中野店ツイッター
中野区公式観光サイト「まるっと中野」の記事
https://www.visit.city-tokyo-nakano.jp/gourmet/cospa/204983/


Kazue AsaiさんInstagramのギャラリー
https://instagram.com/kazue696?igshid=klp7laozh3e7

Kazue Asaiさんへのお仕事依頼はこちら
audiard196@gmail.com

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(画像提供K氏)

現在、絶大な人気を誇るブランドとなったブレットは、次第にそのラインナップを拡張して来ました。スタンダードなバーボンから始まり、2011年からはライ・ウィスキー、2013年からは10年熟成のバーボン、2016年からはバレル・ストレングス、2019年からはシングルバレル・バーボン、また同年には12年熟成のライ、そして2020年にはブレンダーズ・セレクトがリリースされると言った具合です。
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今回取り上げるバレル・ストレングスは、当初はディアジオ所有であるルイヴィルのスティッツェル=ウェラー蒸留所のギフト・ショップやケンタッキー州のみでの販売でしたが、その後徐々に全国的に販路を拡げて行きました。ネット上で流布している情報では、同社の他の製品と同様、ハイ・ライ・マッシュビル(コーン68%、ライ28%、モルテッドバーリー4%)を使用しているとされていますが、レシピに関しては後述します。他のスペックは、NAS(5〜8年熟成のバーボンのブレンド)、無加水、ノンチルフィルタード。スティッツェル=ウェラーの倉庫で熟成、そこの施設でのボトリングとされています。小売価格は概ね750mlのボトルで50ドル前後。バレル・ストレングスはこれまでに幾つかのバッチがリリースされており、それぞれのプルーフは120プルーフ(60%ABV)前後となっています。ネットで調べられる範囲で見つかったのには以下のようなバッチがありました。

バッチ#なし、59.5%ABV(119.0プルーフ)
バッチ#なし、59.6%ABV(119.2プルーフ)
バッチ#2、62.7%ABV(125.4プルーフ)
バッチ#3、61.7%ABV(123.4プルーフ)
バッチ#4、61.7%ABV(123.4プルーフ)
バッチ#5、62.7%ABV(125.4 プルーフ)
バッチ#6、58.3% ABV(116.6プルーフ)

基本的にブレットは販売しているウィスキーの原産地を開示していません。ブレット・フロンティア・ウィスキーの歴史は調達と契約蒸留の歴史であり、ソースが分かっている物とそうでない物がありますが、バレル・ストレングスは分からない方に属します。一応、念の為にここらでブレットの来歴をお浚いしつつ、原酒の変遷を見て行きましょう。これは以前投稿したブレット10年のレヴューで纏めたブランドの歴史を補足するものです。

ブレット・ブランドの創設者トーマス・E・ブレット・ジュニアことトム・ブレットは、ルイヴィルで生まれ育ちました。小学校は聖フランセズ・オブ・ローマ学校、高校はトリニティ・ハイスクールに通いました。いつの時代か明確ではありませんが、本人によればバーンハイム蒸留所で働いていた(バイト?)と言います。トムは1966年にケンタッキー大学を卒業した時、「第二次世界大戦の退役軍人で、非常に真面目な人」だった父親に将来マスターディスティラーになりたいと告げました。しかし父親は「いや、お前はそうじゃない、軍隊に入るんだ」と答えました。それまで「パッとしない学生」だったトムは、「軍隊は君を成熟させる」と世に言われるように、実際そこへ入ってみるとその通りになったようです。また彼の父親は「お前は弁護士になれ」とも伝えていました。今では若くとも、もっと自由に職業を選べる時代ではありますが、トムは「私の世代では父親の言うことを聞いていた」と語っています。
トムはベトナムでの兵役中、LSAT(※エルサット=「Law School Admission Test」の略。法学を専門とするロースクールに入学する際に受ける入学試験)を受験し、一回目の受験で好成績を収めました。1969年に海兵隊を名誉除隊すると、ルイヴィル大学のブランダイス・スクール・オブ・ローに入学し、その後ワシントンDCのジョージタウン大学に進学、そしてレキシントンで法律事務所を開設するまで米国財務省に勤務したそうです。しかし、法律の実務経験を積む中でもトムのバーボンを造りたいという想いは途切れることがありませんでした。最終的にスピリッツ・ビジネスの開始を決めた時には、例の父も「それはお前と銀行家との間の問題だ」と言ったとか。

1987年、ブレット・ディスティリング・カンパニーを設立することにより、トム・ブレットは蒸留酒業界へと足を踏み入れます。古い家族のレシピによるウィスキーを復活させるのが念願でした。それは1830〜1860年にかけてルイヴィルのタヴァーン店主だったという曾々祖父のオーガスタス・ブレットが造っていたとされるライ麦が高い比率を占めるウィスキーを指しています。彼は1860年頃、フラットボートに樽を一杯に載せ、ケンタッキーからニューオリンズへとオハイオ・リヴァーを下り売却に向かう輸送中、行方不明となり帰っては来ませんでした。それでもオーガスタスが造ったウィスキーのレシピはトムに伝わっていました、と。これが今日マーケティングで広く使用される創業当初の物語です。しかし、オリジナルのブレットは今のブレットとは大きく異なり、そもそも家族の歴史を殊更持ち出してはおらず、代わりに別のケンタッキーの遺産である競走馬をフィーチャーしていました。その最初のブランドは1989年に「サラブレッド・ケンタッキー・バーボン(NAS、86プルーフ)」として市場に送り出されます。このラベルはバーボンによくありがちなデザインで、ボトルにしても他のブランドにも採用される伝統的なものでした。おそらく数年(89〜92年?)しか流通しておらず、販売量も少なかったと思います。当時のアメリカ国内のバーボン需要を考慮すると、日本市場での販売を主目的としていた可能性もあるでしょう。
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ブランドは1992年に「サラブレッド」から「ブレット」に変更されました。トムの娘のホリス・B・ワース(*)によると、自分がアイディアを出したと主張しています。「彼(トム)はウィスキーを調達していたので、もう少し目印になるものを付けたいと望んでいました。そこで私は『ブレット』という名前を付けるべきだと言いました。なぜ私達(家族)にちなんで名付けないの?」と。しかし、トム自身からは全く異なる説明がなされており、彼は1992年に日本貿易振興機構の後援で日本を訪れた時、ブランド名について考え直し始めたと言います。「私はサラブレッド(バーボン)と一緒にそこに行きましたが、彼らから受けたアドヴァイスは、それがあまりにも地味過ぎ、あまりにも一般的過ぎ、高級感が足りていない、ということでした」。そこで彼はアメリカへ戻ると、当時メリディアン・コミュニケーションズにいたフラン・テイラーのもとに相談しに行きます。トムは彼女とそのデザイナーに、より良いパッケージを考え出し、彼が既に用意していたボトルに合わせてラベルをデザインするよう依頼しました。この打合せ時にフランからバーボンの名前をサラブレッドからブレットに変更する提案を受けたそうです。 フランは、「私が最初にそれを言いました。相手の気持ちを傷つけるのではないかとヒヤヒヤしましたが、ブレットは素晴らしい名前だったので、なぜブレットにしないのでしょう?って」と述べています。「そして、私が彼に会う度に大勢の人と一緒にいるような時には、私をブレット・バーボンに名前を変えるよう説得した人物だと紹介してくれます」とも。

そのブレット家の名を冠したオリジナルのバーボンは、1995年に初めてリリースされたと見られています。90プルーフのスタンダードな物と、100プルーフで「サラブレッド」の文字と馬のスケッチがラベルに含まれたより上位の物の二種類がありました(上掲画像参照)。これらはエルマー・T・リーやウェラー・センテニアルによって有名になったスクワット・ボトルに入っていました。日本にはブレット・サラブレッドの方のみが輸入されていたと思われます。ここまでのブレットの原酒はフランクフォートのエンシェント・エイジ蒸留所(現バッファロー・トレース蒸留所)が契約蒸留しているとされ、ボトリングも同所でされているでしょう。トムによると、当時の蒸留所施設内に彼のオフィスがあったそうなので、業務提携というのかベンチャー企業というのか、そういうビジネス形態だったようです。ただ、この頃のブレットを飲んだアメリカの或る方は、ダスティ・オールド・チャーター7年を想い起こさせ、おそらく同じバーボンだろうと言っていました。もしそれが正しいのであれば、樽買いの可能性もあるのかも知れません。エンシェント・エイジ蒸留所とオールド・チャーターを造っていたルイヴィルのバーンハイム蒸留所は長い間親会社がシェンリーという共通項があり一種の親戚関係のような間柄でしたから、在庫の共有のようなことをしていた可能性も考えられるのではないかと…。飲んだことのある皆さんはどう思われましたか? コメントよりお知らせ頂けると助かります。まあ、それは偖て措き話は続きます。

ブレット・バーボンがリリースされて間もなく、トム・ブレットは当時世界最大のスピリッツ会社の一つであったシーグラムからアプローチを受けます。聞くところによると、シーグラムは西部開拓時代をモチーフにしたバーボンをリリースすることを望んでおり、そのためのブランドを模索していたらしい。当初は、西部劇と言えば銃ですから弾丸を意味する「Bullet Bourbon」という名称を予定していたものの、弾薬や銃器を連想させる酒類を販売することは広報上よろしくないと判断し取り止めます。次にケンタッキー州ブリット郡にちなんで「Bullitt Bourbon」はどうかと考えていました。そこへひょっこりと現れたのが「bulleit Bourbon」で、シーグラムは小さなブランドであるブレットの存在を知ると、単純に確立された商標を購入する方が楽だと考えたと云うのです。大企業シーグラムと優秀なビジネスマンのトム、両者の思惑が一致したのでしょうか、1997年にブレット・ディスティリング・カンパニーはシーグラムに買収されました。シーグラムはトムをコンサルタントとして雇い、ブランドの顔となるアンバサダーとしての契約もオファーしたようです。ブレットというブランドにとってトムは常に重要な存在でした。彼はレシピについては生産者と、ブランドのメッセージ性や外観については広告代理店やデザイン会社と協力し、マーケティングおよびパッケージングを完成されたものにして行きます。

現在のブレット・ブランドの目覚ましい成果は、トムは勿論、後のディアジオの力が大きく与っているかも知れませんが、バーボン市場での立ち上げとポジショニングはシーグラムに関連した人々によるものでした。トムが自身の会社をシーグラムに売却した翌年、新しい親会社はブランドのニュー・コンセプトを開発するプロジェクトに着手することを決定します。シーグラムに雇われた元DDB(ドイル・デイン・バーンバック)の共同アート・ディレクターであったジャック・マリウッチとボブ・マッコールはトムと協議を繰り返しました。そこで出てきたのがトムの祖先の物語であり、それをトム自身の物語とフロンティア・ウィスキーのコンセプトに重ね合わせるという手法でした。祖先というのは前出のオーガスタス・ブレットのことです。その起源の物語はバーボンのテーマである「フロンティア・ウィスキー」をアピールするためのマーケティング上の言葉の綾、おそらくはフィクションでしょう。19世紀にブレット・バーボンが市場に出回っていたかどうかは、彼らには関係のないことでした。トムの提案は、このブランドの起源がオーガスタス・ブレットにあること、そしてブランドの信頼性が高ければこのブランドは勝者になれること、この二点です。シーグラムの上層部はそれに全面的に同意しました。バーボンは昔から「伝統」が強調されて来た商品です。そのためマーケターにはブランドのレシピが大昔に遡ると主張することで関連性と信頼性を示したいという誘惑が常にあります。多くの殆どの消費者は、ブランドの歴史や背景にはあまり関心がなく、細かいことは気にしません。耳触りの良い興味を惹くようなストーリーがちょっと聴ければ十分なのです。そこでマーケターは物語を誇張したり改竄したりと知恵を絞る訳ですが、あまりやり過ぎはよくありません。特に実在の人物についてそれをやる場合はリスクを伴います。後に、第三者による系図の調査により、オーガスタスの経歴に関する主張は、マーケティングのプロが作り出したホラ話であることがほぼ証明されました(**)。まあ、それは措いて、話は現在も維持されている新生ブレットのボトル・デザインに移ります。

シーグラムはボトルのための第一候補となるデザイナーを探す網を世界中に張っていました。ドイツでもブラジルでも、世界のあらゆる場所で探したそうです。そして最終的に、デザイナーにはオレゴン州ポートランドのサンドストロム・パートナーズのスティーヴ・サンドストロムが選ばれました。サンドストロムはジャック・マリウッチから連絡を受け、彼とそのパートナーのボブ・マッコールがフロンティア・ウイスキーを中心に考え出したコンセプトについて話されたと言います。彼らはトムの名前、彼の物語、家族の起源の物語、それら全てがフロンティア・ウィスキーのコンセプトにとてもよく合っていると思っていました。サンドストロムの仕事は、パッケージにそのストーリーを反映し、実現させることでした。彼はまた、コンサルティング業務に携わっていたトム・ブレットとも会います。サンドストロムはケンタッキーに赴くと、トムは彼をウィスキー博物館と幾つかの蒸留所を連れ回ってバーボンについて教えてくれたそう。しかし、現在生産されているブレット・バーボンの高度な様式美を誇るボトル・デザインの主なインスピレーションとなったのは、オレゴン州の骨董品店で見つけた古いボトルでした。サンドストロムはその「クレイジーで奇妙な楕円形の物」を見て、エンボス加工を施して下の方にラベルを貼ろうと思い付きました。これは本当に一風変わって見えるだろうな、と。 また、彼は当初ボトルの色をダーク・オリーヴ・グリーンにすることを想定していました。その方がユニークなオレンジ色のラベルが映えると考えたからでした。しかし、シーグラムは消費者がウィスキーの色を確認できるように考慮して透明なガラスを使用することにします。こうして、ボブ・マッコールが中心となって考えられたフロンティア・ウイスキーのコンセプトは、オールド・ウェストの薬屋やスネイク・オイル・セールスマンが薬を売るために使っていたアポセカリー・ボトルを模した形状に「ブレット・バーボン」と「フロンティア・ウィスキー」の文字をエンボス加工したボトル、わざと斜めに貼られたラベル等によって完璧に体現され、パッケージは完成しました。
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見た目を一新したブレット・バーボンは1999年にアメリカ市場に導入されました。2000年にはオーストラリア、イギリス、ドイツに導入されたそうです。中身に関しては、おそらくエンシェント・エイジ蒸留所で生産されていたバレルがなくなった後、当時シーグラムの所有していたローレンスバーグのフォアローゼズ蒸留所の原酒に切り替えらました。

それまで順調に帝国を築いて来たシーグラムも、90年代に手を染めていたエンターテイメント事業の収益が上がらず、メディア事業の拡大を進めていたフランスの企業ヴィヴェンディと合併、2000年12月、シーグラムの事業は終わりを迎えます。酒類部門の資産はイギリスのディアジオとフランスのペルノ・リカールによって分けられ、2001年にディアジオはブレットを含む有名なブランドを買収し、シーグラムからトム・ブレットのコンサルティング契約とロイヤリティ契約を継続して更新しました。 また、彼らはフォアローゼズ蒸留所との契約も延長し、ブレット・バーボンの供給元として存続させます。
オールド・ウェストなスタイルのボトルを採用していたためか、HBOで2004年3月21日から2006年8月27日にかけて放送された1870年代のデッドウッドを舞台とした人気シリーズ、その名も『デッドウッド』という西部劇TVドラマのエピソードにブレットは登場し(他にもベイゼル・ヘイデンズやオールド・ウェラー・アンティークが使われた)、知名度を高めて販売を促進したと言います。ディアジオもシーグラムに倣い、ブレットを家族経営の会社に見せるための多大な努力をして来ました。架空の起源の物語を相変わらず使用し、もしかするとより上手く誇張したかも知れません。優秀なビジネスマンのトムはアンバサダーとして精力的に各地を宣伝して回りました。バーテンダーから高い支持を得たブランドは今日、著しい成長をみせ、世界で四番目に大きいバーボン・ブランドになったとされています。

では最後にもう一度、原酒の話を。フォアローゼズ蒸留所は10年以上ブレットのソースであり続けました。ディアジオは他のブランドのために複数の蒸留所から原酒を購入していましたが、ブレット・バーボンには2013年末までフォアローゼズ蒸留所が唯一の供給元だったと推定されています(2014年3月で終了という説もあった)。フォアローゼズ蒸留所は低迷期にNDP(非蒸留業者)に相当量のバーボンを供給していたと見られ、ディアジオは最大の顧客だったのかも知れません。しかし、キリンが2002年にフォアローゼズを買収してからは自社のバーボン人気が徐々に成長し、ブレットも需要が高まったため供給が難しくなった、それがディアジオとの契約を更新しなかった理由でしょう。おそらくラベルにローレンスバーグの記載のある物は、原酒がフォアローゼズ産100%で間違いないと思います。
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現在のブレット・バーボンを誰が造っているのかは公開されていません。ブレット10年だと、熟成年数を考慮すれば単純計算で2023年まではフォアローゼズ産の確率は高い。問題はスタンダードなボトルやシングル・バレル、そして今回レヴューするバレル・ストレングスです。ディアジオはブラウン=フォーマンと長年に渡り蒸留契約を結んでいるとか、またバートンやジムビームもディアジオにバーボンを供給していると噂されています。一説にはジムビームだと言う人もいれば、一説にはジムビーム、バートン、フォアローゼズのミックスだと推測する人もいます。そこへ今後は2017年シェルビー・カウンティに設立した新しい蒸留所の原酒も加わって来るのかも知れません。何の目的か今のところよく分かりませんが、ディアジオは更にマリオン郡レバノンにもファシリティを建てています。
では、そろそろバーボンを注いでみましょう。日本では一般流通していないブレット・バレルストレングスを試飲できるのは、バーボン仲間のK氏からサンプルを提供してもらったおかげ。画像提供も含め、この場を借りてお礼を言わせてもらいます。今回もありがとうございました。バーボン繋がりに乾杯!

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BULLEIT BOURBON BARREL STRENGTH 119.2 Proof
推定2016年ボトリング。バレルプルーフにしては薄めの色合い。香ばしい穀物、ライスパイス、木質の酸、クッキー、白胡椒、ドライオーク、生姜、弱い柑橘類、うっすらナッツ。グレイニー&スパイシーなアロマ。口当たりはバレルプルーフに期待するオイリーさには欠け、僅かなとろみくらい。飲み口は暴れる系、液体を飲み込んだ直後もガツンと強烈。余韻はライの穀物感と木材のドライネスで、さっぱり切れ上がる。
Rating:84.5/100

Thought:かなりライ・ウィスキー寄りのバーボンという印象。まあ、それ自体はいいとしても、どうもフルーツ・フレイヴァーが弱くスパイシーな傾向に偏っていて、私の好みではありませんでした。もしかすると、もう少し時間を経過させるとアルコール感が減少してフレイヴァーを取りやすくなるのかも知れません。一応その代わりに一滴だけ水を垂らしてみたのですが、フレイヴァーに変化は感じられませんでした。本当に5〜8年も熟成してるの?と言うぐらいメロウさにも欠け、以前飲んだブレット10年の方が断然香りも味わいも芳醇です。他のバッチの海外のレヴューを読むと、これよりもう少し美味しそうに思えたのですが、このバッチは比較的低評価が多いように見えました。中には「私はこれに非常に失望しました。風味、深み、味が不足していました。これが持っていたのはハイプルーフの熱だけでした。同じ量のアルコール含有量でおそらくもっと味が良いものをより安く買うことが出来ます。これにお金を無駄にしないで下さい」と酷評されている方がいまして、私も概ね同意です。
偖て、このバレル・ストレングス、原酒はどこ産なんだ?という件ですが、推定2016年ボトリングというのか正しいのであればフォアローゼズの可能性は高いでしょう。これと同じ物と見られるバレル・ストレングスを飲んだアメリカの或る方は、その人の「味覚では間違いなくフォアローゼズ」と言っていました。ただ、個人的には私がこれまで飲んで来た旧来のフォアローゼズ産のブレットに想い描く味とは完全に別物という感想でした。まあ、私の味覚は当てにはなりませんけれども…。もしフォアローゼズならば、最もスパイシーとされるOBSKとか? そんな味わいに思います。或いは誰かが言うように他蒸留所とのミックスなのでしょうか? 少なくとも2020年の情報では、フォアローゼズはディアジオ向けの蒸留は行っていないものの、自社の施設でディアジオのバレルを熟成させていることを認めています。それはバレルではなくタンカーでブレットに送られるそうです。タンカーで送られるということは、バレルから投棄された原酒が混ざっているため、シングルバレルでないことを意味します。ならばそれはブレンド用ということになり、バレル・ストレングスにもフォアローゼズ原酒をブレンドすることは出来るでしょう。

ところで、気になるのはブレットのマッシュビルと言うかレシピ。そのヒントになるのが2019年に新しくブレット・バーボンに仲間入りしたシングルバレル(104プルーフ、希望小売価格60ドル)です。シングルバレルを購入しようとするリカー・ストアのオウナーはブレットの施設に行くか郵送でサンプルを受け取るか選べるそうです。ブレット施設へ行った方によると、10の異なるレシピから選ぶことが出来ると言われたらしい。え? まるでフォアローゼズやん? バレルのヘッドがヤスリがけされているためDSPナンバー(中身のバーボンが蒸留された場所)は確認できなかったとのこと。ブレットのスタッフは、どの樽にどのレシピが入っているかは特定できないけれど、中身の熟成年数は教えてくれるそうです。更にスタッフはバレル内の液体は「あなたが思っているようなものではない」と繰り返したと言います。これはフォアローゼズではないという意味でしょう。
実はブレットのシングル・バレル・ピックは、名称が違うだけで中身はフォアローゼズ・シングル・バレル・ピックと大体同じなのではないか?という疑いがバーボン愛好家の間で持たれていました。長らくフォアローゼズ蒸留所がブレットに供給していたのが知られ、尚且つ10のレシピがあると聞けば、そりゃあそう思いたくもなります。なるほど、そもそもフォアローゼズはブレットに10レシピ全てを提供しているのか、と。実際、ウィスキー・ニートのクリストファー・ハートはフォアローゼズ蒸留所を訪れた時にディアジオの略号「DG」とマークされたOBSVレシピのバレルの写真を撮っています(推定2018年末撮影)。そこで彼は真実を知るために、ブレットのバレル・プログラムの責任者メリッサ・リフト、同社のPR担当アリソン・フライシャー、そして、ディアジオのブランドを率いるグローバル・ブランド・ディレクターのエド・ベロらに話を聞きました。すると彼らはブレット・シングルバレルのセレクションは、パッケージの違うフォアローゼズ・シングルバレルのボトルでないことを断言しました。すぐ上にも書いたように、フォアローゼズの原酒はブレットへはタンカーで送られます。タンカーで出荷されたバーボンを再度バレリングするのはコストが掛かるし、それは「シングルバレル」とは呼べません。シングルバレル・プログラムの液体は全てバレルで到着し、その後、現地(おそらくスティッツェル=ウェラーの倉庫)で熟成されていると言います。原酒を供給している4つの蒸留所については明言を避けたものの、フォアローゼズでないことだけは強調していたそうです。また、フォアローゼズのレシピに関する質問に対しては、具体的に幾つとは言えないが、インディアナ産のライを除いて、我々は一つの蒸留所から調達している訳ではなく、常に複数の蒸留所から調達しブレンドしている、と述べています。エドによれば、彼が2014年頃にブランドに参加した時から既にこの方法でそれを行っていたらしい。そして、個人的に最も興味をそそられたのがマッシュビルです。ブレットのロウ・ライ・マッシュビルは75%コーン、21%ライ、4%モルテッドバーリー。ハイ・ライ・マッシュビルは60%コーン、36%ライ、4%モルテッドバーリーだそうです。対してフォアローゼズの「E」マッシュビルは75%コーン、20%ライ、5%モルテッドバーリー、「B」マッシュビルは60%コーン、35%ライ、5%モルテッドバーリーです。ライとモルトが1%だけ異なり、イーストもフォアローゼズとは別だと言っています。これは私の憶測ですが、この「1%」だけの違いは、従来品と同じようなフレイヴァー・プロファイルをクリエイトするために、基本的にフォアローゼズをコピーしようとしているからだと思います。それを別の蒸留所に依頼して造ってもらっていれば、イーストが違うのは当然なのでマッシュビルを微調整したのではないかと。まあ、それはいいとして、じゃあ従来からよく知られたあのマッシュビルは何なの?という疑問が生まれます。
ブレット・バーボンを検索した時にヒットするどのウェブサイトでも、大概ブレットのマッシュビルはコーン68%、ライ28%、モルテッドバーリー4%と書かれています。これはブレット側から公表された数値でしょう。私はこれを見て、フォアローゼズがそのマッシュビルでイーストはV、K、O、Q、Fのどれかを使い契約蒸留しているのだろうと思っていました。そして、フォアローゼズとの契約が終わった後は、別の蒸留所がそのマッシュビルで蒸留をしているのだろうと思っていました。ところがブレットはロウ・ライとハイ・ライを造り分けていると言います。そこで、その両マッシュビルのコーンとライのそれぞれを足して2で割ってみると、コーンは67.5、ライは28.5となり、概ね公表されたマッシュビルと近い数値が出ます。おそらく、ブレットがこれまで明かしていたマッシュビルはロウ・ライとハイ・ライを混ぜた大体の平均値だったのではないでしょうか? 従来のフォアローゼズ産の「E」と「B」のマッシュビルのライを足して2で割ると27.5です。これも28に近い数値ですからね。しかし、そうなるとモルテッドバーリーが4%の謎が残ります。
ブレットがフォアローゼズから原酒の供給を受けていた時も、彼らは4%モルテッドバーリーのマッシュ ビルと公表していました。フォアローゼズの10レシピはどれも5%のモルテッドバーリーを使用しています。そこで考えられる可能性は、フォアローゼズと他の蒸留所のジュースをブレンドした結果モルテッドバーリーが4%に下がったという事実を反映していたか、或いはフォアローゼズが自らの10レシピ以外にブレットのためだけにわざわざ1%違うレシピでウィスキーを製造していたかのどちらかでしょう。後者に関しては、先に触れたフォアローゼズの施設にあったというディアジオ向けのDG OBSVバレルの件からすると、おそらくフォアローゼズは単に自らのレシピで蒸留した原酒を供給していたように思えます。信頼できるか判りませんが、2013年頃にブレットはフォアローゼズ・イエローラベルと同じジュース/バレルだとフォアローゼズの関係者から聞いた、と言っている人がいました。イエローラベルは10レシピ全てを使います。うーん、どうでしょうね、あり得なくはないような気もしますが…。前者に関しては、フォアローゼズの5%のモルテッドバーリーの配合率を下げるためにはより低いモルテッドバーリー率の原酒が必要となります。当時からフォアローゼズ以外の原酒をブレンドしていたというのなら、それが公開されていない以上、もはや謎と言う他ありません。もしかすると我々はデタラメな情報に踊らされていた可能性だってあります。皆さんはブレットのマッシュビルについてどう思われますか? どしどしコメントお寄せ下さい。また、最新情報をお持ちの方もコメントして頂けると助かります。


*トム・ブレットの最初の結婚相手ステファニーとの唯一の娘であるホリス・B・ワースは、家族とのいざこざもあって2018年にアン・ホリスター・ブレットから合法的に名前を変更しています。ワースは2006〜2016年までの十年間、ディアジオに雇われブレットのブランド・アンバサダーとして働いていました。彼女はLGBTQコミュニティのオープン・メンバーであり、12年の間パートナーだったシェールと結婚しています。ワースは2017年頃から父親とその現在の妻ベッツィー・ブレットにキャリアを台無しにされたとソーシャル・メディアで非難し始め、また元雇用主であるディアジオには同性愛嫌悪のために解雇されたとしてその企業文化を攻撃しました。2018年1月頃、ディアジオとは和解が成立し、ワースは和解の一環として120万ドルの支払いを受け取ったと報告しました。しかし、2019年8月からは更に深刻な、子供の頃に性的虐待を受けていたという主張までし出します。「幼い頃から、私は身体を触られ、不適切に愛され、自分の意思に反して裸で写真を撮り、私とのコミュニケーションには露骨な性的表現が使われ、年齢に相応しくない性的メディアをいくつかの形で見せられました」と。当然の如くトムは断固として否定していますが、流石に性的虐待の話まで出た時には、取り敢えずトムはブランドの顔から退きました。その後どうなったかはよく分かりません。この一連のスキャンダルは、個人的にはワガママ娘のカネ目当ての行動に見えてしょうがないのですが、実の父娘同士の葛藤が何かしらあるのでしょうし、我々第三者には事の真相は知る由もなく、真実は藪の中です。たとえ何かしらの解決がなされたとしても、当人らの心に深い傷が残る出来事だったのだけは確かでしょう。

**オーガスタス・ブレットについては、時代も時代なので、情報源によって経歴の年号やエピソードに多少の違いがあります。個人的な印象としては、親族の間で語り継がれるような一家の礎を築いた人物と言うか、立身出世物語のヒーロー的な人物だったのではないかという気がしています。幾つかの情報を纏めると、オーガスタスは大体以下のような人生を送ったようです。
Augustus Boilliat(本人かその子孫か判りませんが、どこかの段階で「Bulleit」姓に改名された)は1805年もしくは1806年に生まれました。1836年(或いは1841年とも)、25歳か30歳くらいの時に、フランスからアメリカへやって来てニューオリンズに上陸し、その後ケンタッキー州ルイヴィルに短期滞在、それからインディアナ州ハリソン郡へ移りました。そこでベルギー生まれでレインズヴィルから来たMary Julia Duliuと1841年8月29日(4月29日とも)に結婚。オーガスタスが35歳、メリーは21歳でした。同じ年、彼はアメリカに帰化したそうです。二人はドッグウッド近くのバック・クリークの農場に住み着き、9人の子供を儲けました(或いは5人の息子と少なくとも2人の娘とも)。オーガスタスとメリーは国勢調査記録に現れ、それによると1850年に彼の職業は「製粉業者」、1860年には「農夫」となっているそうです。そして、バック・クリークの自宅で長年暮らした後、隣人のアイザック・メルトンと一緒にフラットボートを作り、幾つかの農産物を積んでオハイオ川からミシシッピ川を下ってニューオリンズまで出掛け、積み荷の農産物を売った後オーガスタスは消息不明となったらしい。それは何らかの凶行に遭ったからではないかとされ、1860年、54歳頃のことと見られます。
どうでしょう? ブレット・フロンティア・ウィスキーの起源の物語と殆ど同じですね。違う点はルイヴィルが殆ど出てこない点です。このオーガスタスは、フランスからアメリカへ来てから短い移行期間に立ち寄っただけでルイヴィルに住んだことはなく、ルイヴィルで蒸留したことも、ルイヴィルで居酒屋を経営したこともありません。このブレット家はインディアナ州ハリソン郡に根を張った一族でした。もう一つの違いはウィスキーの話が出てこない点です。オーガスタスが製粉業者や農夫だったということは、少なくとも小さなスティルを持っていた可能性は指摘されています。確かに、製粉業者も農夫も穀物で報酬を得ていた訳ですから、余った穀物を腐らないウィスキーに蒸留して販売していてもおかしくはありません。ただ、トム・ブレットとは別のオーガスタスの玄孫の方は「私の祖母は秘密のバーボン・レシピなど何も言っていませんでしたよ」と言っています。その方の知る家族の伝承によると、オーガスタスはかつて居酒屋を経営していた可能性もあるし、製材業も行っていた可能性もあるが、どちらも失敗に終わっただろう、とのこと。
また、インディアナ州コリドン出身のローラ・メイ・ブレット(オーガスタスの玄孫)を曾祖母にもつ方も同じような話をしています。彼女は子供の頃にオーガスタスの話を聞いて育ったそうで、家族の歴史によると、オーガスタスはインディアナ州のレインズヴィルで酒場を経営していたが失敗に終わり、バック・クリークにある農場に移って製材所を建てて成功し、当時としては多額の現金収入を得たと言います。彼はフラットボートを作り、オハイオ川やミシシッピ川で商品や生産物を販売していたが、そんな中、ルイジアナ州ニューオーリンズに向かったオーガスタスは消息不明となった、と。
更には、アミエル・L・ブレット(オーガスタスとメリーの三男で当時はインディアナ州南部とケンタッキー州北部で有名な鍛冶屋だった)の曾孫という方は、1998年、母と妹を連れてコリドンを訪れ、コリドン・カーネギー公立図書館の系図室で一日中過ごし、ブレット家に関する豊富な情報を得たと言います。その多くはブレット家のメンバーによるオーラル・ヒストリーとして提供されており、1965年にブランチ・ブレット・クリストリー(オーガスタスの孫娘とされる)のアカウントでは、オーガスタス・ブレットの生涯と1860年メンフィスへのフラットボートによる交易の途中に起きたイリノイ州メトロポリス周辺での失踪にまつわる一族の伝承の強固なヴァージョンが語られていたそう。彼はそこで土地を手に入れたが、商品と土地のために殺されたと言われており、おそらく後にその両方を手に入れた男に殺されたのだろう、と。この方は数年後にメトロポリスを訪れ、カウンティ・クラークのオフィスでマサック郡の土地記録を調べたところ、1860年12月に記された「Augustus Boilleat」への40エーカーの証書の公式記録を見つけたそうです。そしてこの方も、自分の祖先はブレットのタヴァーンやウィスキーのレシピについては何もメンションしていませんでしたと言っています。1998年にコリドンを訪れた際に紹介されたコリドン・タウンの歴史家によると、ブレット家は肥料の販売員や鍛冶屋や馬車製造業者だったと言われたとか。
トム・ブレットは2013年のインタヴューでは、レシピはオーガスタスから祖父のフランシス・エイム・ブレットに受け継がれたと語っていたので、私もここで語られているブレット家を家系図のサイトで調べてみたのですがフランシスを見つけられませんでした。勿論、家系図サイトが必ずしも正しいとは限りませんし、また上のような個人的に行われた系図調査は大きな証拠がない場合や多くの飛躍や推測が含まれている可能性があるので、話半分で聞く必要もあります。それに、流石にトムが自分の祖先の名前をでっち上げるまではしないと思います。そもそもオーガスタス・ブレットという同姓同名の人物が何人かいるのかも知れません。ただ、それにしては余りにもエピソードが似すぎていますよね。少なくとも多少盛っているのは間違いないかと…。その祖先伝来のレシピについても、私の記憶では、昔はライが3分の2とコーンが3分の1のウィスキーとされていたのが、数年前からライが3分の1のウィスキーに変更されているような気がしています。ここらあたりにも、何ともいかがわしいマーケティングの臭いが感じられるでしょう。

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オールド・ケンタッキーのシリーズは1988年に、バーボンのメッカであるネルソン郡バーズタウンのバーボン造り200周年を記念して発売されました。おそらく日本市場限定の製品だと思います。そのラインナップには、「スペシャル・リザーヴ(15年熟成101プルーフ)」を最高峰として、「No.88ブランド(13年熟成94プルーフ)」と「アンバー(10年熟成90プルーフ)」のような上位クラスの物から、「ケンタッキー・ドライ(5年熟成86プルーフのブレンデッド)」や「スピリット・オブ・トゥデイ(4年熟成80プルーフ)」といったエントリー・レヴェルまで、五つありました。90年前後に発行された幾つかのバーボン本によれば、88年2月に「スペシャル・リザーヴ」と「88」が発売され、89年に「アンバー」と「トゥデイ」がラインナップに加わったとされています。
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今となっては、このバーボンの情報をネットで検索しても殆ど出て来ません。そこで、バーボンのマーケティングに於ける常套句ばかりではあるのですが、首に掛かったタグに記載の紹介文を丸ごと訳しておきます。誤字と思われる箇所は勝手に修正して意味を通じ易くし、また概ね直訳ですが部分的に意訳もしました。

オールド・ケンタッキー・スペシャル・リザーヴ
ケンタッキー州は多くのことで有名です。ブルーグラス、サラブレッドの馬、そして何よりもケンタッキー・ストレート・バーボン・ウィスキー。地下の石灰岩層を通った豊富な湧き水に恵まれたネルソン郡は、古くからケンタッキー州の蒸留酒産業の中心地でした。そしてネルソン郡の中心にあるバーズタウンは1788年に設立され、「世界のバーボン首都」として広く知られています。
バーズタウンでのバーボン製造200周年(1788〜1988)の特別な記念として、オールド・ケンタッキー・ディスティラリーはオールド・ケンタッキー・スペシャル・リザーヴを提供することを誇りに思います。 間違いなく世界で最高のバーボン・ウィスキーです。
どのようにしてこのような良いバーボンを造ることが出来たのでしょうか? その答えは四つの要素から成ります。優れた原料、クラフトマンシップ、品質管理、そして時間。
我々は注意深く選び出した穀物とピュアなライムストーン・ウォーターという最高の素材から始めました。そして、同じ家系のマスターディスティラーが何世代にも渡り受け継いできたスキルとクラフツマンシップを駆使します。次に、些細な点まで細心の注意を払い、可能な限り最高の品質を提供できるよう生産量を厳しく制限するのです。そして最後に、この並々ならぬバーボンを焦がしたオークの新樽に貯蔵し、ゆっくりと完全に熟成するまで15年という長い歳月を待ちました。
そういう訳でお分かりでしょう。他に類を見ないブーケとテイストとキャラクターのバーボン、オールド・ケンタッキー・スペシャル・リザーヴの物語。
だからリラックスして、寛ぎながら、ゆっくりとこの本当に格別なウィスキーを飲んでみて下さい。オールド・ケンタッキー・スペシャル・リザーヴの楽しみは、それがケンタッキーの至高のバーボン・ウィスキーの成果、最高級の中の最高級、世界でも比類なき15年物バーボンであるという知識で更に大きくなる筈です。乾杯!
バーズタウンはまた1818年に建てられたローワン・ハウスの所在地としても有名で、ローワン家の従兄弟である著名なアメリカン・ソングライター、スティーヴン・フォスター作曲のよく知られた歌曲『ケンタッキーの我が家(My Old Kentucky Home)』で不朽の名声を与えられています。
オールド・ケンタッキー・スペシャル・リザーヴの出荷時に使用される一時的な木製ストッパーは、ウィスキーを15年間熟成する55ガロンのチャード・オーク・バレルのストッパーとして使用される種類の本物のオーク・バングと同じです。このバングは出荷中の漏れを防ぐようにバーズタウンの蒸留所でシールドされました。
ひとたびオールド・ケンタッキー・スペシャル・リザーヴが貴方の家に到着したら、バングは付属してある永続的なクリスタル・ストッパーと交換することが出来ます。その後は、液漏れを防ぐためデカンターを垂直にしておく必要があります。

オールド・ケンタッキーのシリーズで頂点となるスペシャル・リザーヴ15年は、パッケージも中身のプレミアム感を倍増させるように豪華でした。液体が入ったデカンターは重厚な造りで凄く重みがあります。上掲のハングタグにストッパーがクリスタルとあるので、本体のほうも流石にクリスタル製でしょう(※追記あり)。更に外装はオルゴール付の木箱の物と、紙箱の物の2パターンありました。
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(紙箱版。写真提供K氏)

私の手持ちの木箱のオルゴールはゼンマイが壊れてるのか錆びてるのか動きませんでした。本来はハングタグでも言及されているスティーヴン・フォスターの『マイ・オールド・ケンタッキー・ホーム』が鳴ります。皆さんにお聴かせしたかったのですが、そういう訳にもいかないので、代わりに同曲のユーチューブ・リンクを貼っておきます。このバーボンを飲むなら、今宵の一曲はこれしかありません。同曲には数多の演奏と歌唱があり、私もユーチューブで数十曲は聴いてみましたが、このヴァージョンが最も好みでした。



My Old Kentucky Home
マイ・オールド・ケンタッキー・ホーム

The sun shines bright in the old Kentucky Home
太陽は燦然と輝く古きケンタッキーの家に
'Tis summer, the darkies are gay
夏が来て、はしゃぐ黒人たち
The corn top's ripe and the meadow's in the bloom
トウモロコシの穂先は熟し、牧草は生い茂り
While the birds make music all the day
鳥たちは音楽を囀る日がな一日

The young folks roll on the little cabin floor
若者たちは小さなキャビンの床を転がる
All merry, all happy, and bright
皆んな陽気に、愉快に、活発に
By'n by hard times comes a-knocking at the door
もうすぐ辛い時がやって来てドアをノックする
Then my old Kentucky Home, good-night
そうしたら我が古きケンタッキーの家に、さよならだ

Chorus
Weep no more, my lady
もう泣かないで、愛しき人よ
Oh weep no more today
おぉ、もう泣かないで今日は
We will sing one song for the old Kentucky Home
我らは一曲歌おう懐かしきケンタッキーの家のために
For the old Kentucky Home, far away
懐かしきケンタッキーの家のために、遥か遠くの

They hunt no more for the 'possum and the coon
彼らはもう狩らないオポッサムもアライグマも
On the meadow, the hill and the shore
草っ原でも、丘でも岸辺でも
They sing no more by the glimmer of the moon
彼らはもう歌わない朧な月明かりのもとでも
On the bench by the old cabin door
古いキャビンのドアそばのベンチでも

The day goes by, like a shadow o'er the heart
一日が過ぎ行く、影が心を覆うように
With sorrow where all was delight
喜びあるところ悲しみもあった
The time has come when the darkies have to part
時は来た黒人たちが別れねばならない時が
Then my old Kentucky Home, good-night
そうしたら我が古きケンタッキーの家に、さよならだ

Chorus

The head must bow and the back will have to bend
頭を下げてお辞儀して背中を曲げなきゃならん
Wherever the darkey may go
黒人はどこへ行くにも
A few more days and the trouble all will end
何日かしたら厄介事は全て終わり
In the field where the sugar canes grow
砂糖黍の実る畑での

A few more days for to tote the weary load
何日かしたらうんざりする重荷を運ばなくては
No matter, 'twill never be light
なんて事ない、決して軽くはないけれど
A few more days till we totter on the road
何日かしたらついに我らは道路でよろよろしてる
Then my old Kentucky Home, good-night
そうしたら我が古きケンタッキーの家に、さよならだ

Chorus


『ケンタッキーの我が家』もしくは『懐かしきケンタッキーの我が家』との邦題で知られるこの曲は、日本でもどこかしらでよく流れているので、殆どの日本人がメロディだけなら確実に知っていると思います。ケンタッキー・フライド・チキンのCMで使われたりしたことで広まったでしょうか。スティーヴン・フォスター作詞作曲によるこの曲はケンタッキー州の州歌として1928年から採用され、曲のファースト・ヴァースとコーラスはアメリカで最も長く継続的に開催されているスポーツ・イベントのケンタッキー・ダービーでルイヴィル大学のマーチング・バンドの演奏に合わせて会場に集まった観客全員で斉唱する伝統があります。ルイヴィル大学マーチング・バンドは1936年以来、数年を除いてこの曲を演奏して来ました。チャーチル・ダウンズで歌っているのは主に裕福な白人の観客であり、ファースト・ヴァースとコーラスのみに限れば、古き良き南部に対するロマンチックな郷愁や家を失った悲しみの個人的な共感を喚起するのかも知れません。我々日本人にしても、カントリーのアレンジや童謡としてこの曲を聴くと、どことなく陽気な印象を受けるか、「懐かしき」のタイトルやメロディに引っ張られて郷愁や懐かしさを感じるのではないでしょうか。しかし、曲を聞き進めると歌詞は南部讃歌どころか、実は家族と強制的に引き離された奴隷の嘆きであることに気付かされます。夫と妻、親と子を遠ざけた奴隷制への非難が根底にある切ない哀歌に聴こえて来るのです。

ペンシルヴェニア生まれのスティーヴン・コリンズ・フォスター(1826年―1864年)は、曲を演奏するのではなく作曲することで生計を立てようと試み、そして暫くの間成功したアメリカで最初のプロのソングライターでした。フォスター自身はいわゆる奴隷制廃止論者ではなかったようですが、「同調者」程度には看做されていた可能性はあります。1852年の3月に出版された奴隷制廃止論者ハリエット・ビーチャー・ストウの小説『アンクル・トムの小屋』はケンタッキー州の奴隷の窮状について書かれました。フォスターはこの小説に大いに影響を受け、後の作品のトーンを変えたとされます。さっそく彼はストウの小説に触発された歌詞を書き上げました。その作品は最初「プア・オールド・アンクル・トム、グッド・ナイト!」と名付けられましたが、最終的にはストウの小説への言及を削除し、名前を「マイ・オールド・ケンタッキー・ホーム、グッド・ナイト!」に変更します。おそらくストウの小説と同年の1852年頃に作詞作曲されたと見られ、1853年1月にニューヨークのファース、ポンド&カンパニーから出版されました。「マイ・オールド・ケンタッキー・ホーム、グッド・ナイト!」は急速に人気を博し、あっという間に数千部を売り上げたと言います。曲の意味は当初から争われていたらしいですが、家を失うというノスタルジックなテーマは多くの人々の共感を呼び、奴隷制廃止運動の一部からも支持を受けました。この曲は南北戦争中も人気を保っていたとされ、同曲がアメリカ全土に普及し人気を博したのは、戦争中に兵士たちがこの曲を場所から場所へと伝えたからだと考えられています。19世紀を通して人気があったこの歌のタイトルの縮小、「グッド・ナイト!」の脱落は世紀の変わり目に起こったそうです。
20世紀に入り、フォスターが亡くなって数十年を経て奴隷制度が非合法化されてからも『マイ・オールド・ケンタッキー・ホーム』はミンストレル・ショーの白人観客の間で人気がありました。しかし、歌詞の最も悲痛な部分は省略されることが多かったと言います。或いは歌詞中のアフリカン・アメリカンへの差別用語だった「darkies」は、「everyone」や「children」や「friends」に置き換えられたようです。直にこの曲はケンタッキー州の観光の賛歌となり、1904年のセントルイス万国博覧会で1万部の楽譜が配布されました。曲が本来持っていた反奴隷制の意味合いが薄れて行くと、当然のことながら演奏に対する反対意見が出て来ました。1916年にボストンのNAACPは『マイ・オールド・ケンタッキー・ホーム』を含む「プランテーション・メロディー」を公立学校で禁止することに成功し、1921年にはケンタッキー出身の黒人詩人ジョセフ・コッターが黒人の社会的進歩を強調した新しい歌詞を提案したりもしました。いつしかこの曲はケンタッキー州のシンボルとして扱われ出します。しかし時はまだ、人種差別的なジム・クロウ法の真っ只中。白人至上主義者の力が強化された時期でもありました。この時期、ケンタッキー州の多くの著名な白人の議員やジャーナリストやビジネスマンは、歌に描かれていた動産奴隷の歴史を覆い隠し、フォスターの歌をアンテベラムに於けるケンタッキーのロマンティックなイメージの象徴として採用するようになったとされています。そして1928年、ケンタッキー州議会はこの曲を「文明社会の中でケンタッキーを不滅のものにした」として公式の州歌にするのでした。
その後、1986年に一つの変更が加えられ現在に至ります。同年3月11日、訪米中の仙台キリスト教育児院の生徒達がケンタッキー州議会を訪れ、「darkies」という言葉を使用したオリジナルの歌詞で州歌を唱し、黒人議員を驚かせました。それが原因なのでしょうか、州議会によって州歌としての『マイ・オールド・ケンタッキー・ホーム』の歌詞は「darkies 」の代わりに「people」を使う決議案が採択されました。この曲は過去1世紀を通じて少なくない改訂や更新が行われましたが、だからこそアメリカ文化に影響を与える楽曲であり続け、その文化に深く根付き、アメリカの作詞作曲の進化に於いて重要な役割を果たしたと評されるのでしょう。今日でも『マイ・オールド・ケンタッキー・ホーム』は世界中で演奏されています。そしてケンタッキアンでないバーボン飲みにとっても、この曲が特別な一曲であるのは言を俟ちません。

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ハングタグでも触れられているように、フォスターの遠い親戚でケンタッキーの政治家ジョン・ローワンの邸宅が一般的にはこの「我が家」のモデルとされています。1795年に建設され始め1818年に完成したという歴史的な7501平方フィートの邸宅と周囲1200エーカーの農場は、邸宅が建設された時分、家に名前を付けるというイギリスの習慣を受け、現在では存在しない政党である連邦党に敬意を表して元々は「フェデラル・ヒル」と名付けられました。ローワンが所有していた時代には、この邸宅は地元の政治家たちの集会場となり、何人もの来賓を迎えたと言います。アメリカ全土で楽曲の人気が高まった後、フェデラル・ヒルはケンタッキー州に購入され史跡として指定されると、1923年7月4日に「マイ・オールド・ケンタッキー・ホーム」へと改名されました。スペシャル・リザーヴ15年のラベルに描かれているのがフェデラル・ヒルと言われるジョン・ローワンのマンション、即ち「マイ・オールド・ケンタッキー・ホーム」でしょう。ちなみに同じウィレット蒸留所のリリースしているローワンズクリーク・バーボンの名前の由来の小川も彼にちなんで名付けられています。
フォスターの歌にはジョン・ローワンのプランテーションを訪れた時のケンタッキーのイメージが明確に含まれているという説があります。フォスターの兄弟モリソンは1898年の手紙の中で、スティーヴンがフェデラル・ヒルを「時々訪れていた」と述べたとか。しかし、『マイ・オールド・ケンタッキー・ホーム』が作曲された頃にフォスターがこの農園を訪れていたことを示す現代的な証拠はなく、曲中のどこにもフェデラル・ヒルを特定する目印は含まれていません。有名な曲とフェデラル・ヒルとを繋ぐ伝説にも拘らず、おそらくフォスターはこの場所を訪れたことはなく、ジョン・タスカー・ハワード、ウィリアム・オースティン、ケン・エマーソン、ジョアン・オコンネルなどの伝記作家達は曲との関係について異議を唱えているとされ、なんなら「ケンタッキー」の名称の採用は語呂の良さで選んだのではないかとする説もあるそうです。

さて、そろそろ肝心の中身について。オールド・ケンタッキー・スペシャル・リザーヴ15年はKBDによりボトリングされました。リリース時期と熟成年数から考えると、おそらくは旧ウィレット原酒で間違いないでしょう。これ以上の情報は語るほどはなく、判明しているのは最低15年熟成されチャコール・フィルターを通過した(紙箱に記載)101プルーフのバーボンということだけ。しかし、SNS上でオールド・ケンタッキーは小麦バーボンと言っている人を見かけました。小麦バーボンだとしたら、おそらくシリーズ中、このスペシャル・リザーヴ15年とNo.88ブランド13年だけではないかと思いますが、どうでしょう? まさかアンバーも? 誰か仔細ご存知の方はコメントよりご教示下さい。
また、よく分からないのがリリースされた期間です。No.88ブランドはボトル形状と色の違う物が3種類あり、ある程度の期間流通していた気がしますが、スペシャル・リザーヴは一回限り、もしくは多くて二回くらいしかリリースされていないのではないかという印象があります。つまり88年だけか、或いは88年と89年だけとか? こちらも正確に把握している方がいましたらコメントを頂けると助かります。
では、この余りにもケンタッキーの刻印が深く余りにもバーズタウンらしさに溢れるバーボンを注ぐとしましょう。

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OLD KENTUCKY SPECIAL RESERVE 15 Year 101 Proof
推定1988年ボトリング。ほぼダークレッドと言っていいようなブラウン。濃密なキャラメル、ヴァニラ→メープルシロップ、古い木箱、メロンぽい接着剤、薬用歯磨き粉、炭、お婆ちゃんのスパイスキャビネット、黒糖、栄養ドリンク、タバコ。少しカビっぽく官能的な甘いアロマ。比較的ゆるい口当たり。パレートはオレンジゼストと渋柿。液体を飲み込んだ直後はハービー。余韻はメロンクリームソーダぽい甘味が感じられるが、それは思うよりあっさりと退いて行き、長熟らしい渋味が口蓋全体に残りつつ、オールドバーボンらしいオーク香が鼻腔に長く残る。
Rating:91.5/100

Thought:長熟バーボンはバレルに入っている期間が長いためウッディさが勝ち過ぎて甘味を感じにくい弱点があります。しかし、このバーボンは強い甘味を保ちながらタンニンの渋味とギリギリのところで調和し、ハーバルな風味もする長熟バーボン好きには堪らない逸品だと思います。個人的にはバーボンに渋みを欲しないので、決して好きな傾向の味わいではないのですが、これはこれで上手く熟成しているとは思いました。特に強烈なキャラメル香はハイライトであり、ほぼ満点です。味わいも渋みはあっても鋭い苦味のない点は良かったです。
で、件の小麦バーボンかどうかですが、これ単体で飲んでいる時点では正直分かりませんでした。口当たりと穏やかなスパイス感にそれっぽさを感じたくらいです。そこで比較のため、同じくKBDがボトリングしている長熟バーボンの一つ「オールド・ディスティラーズ・スペシャル・リザーヴ15年」をサイド・バイ・サイドで試飲してみました。すると全然違いました。まず香りはオールド・ケンタッキーの方が断然スイートなアロマです。そして味わいはかなり異り、オールド・ディスティラーズにはオールド・ケンタッキーにないライ・キックや爽やかなフルーツを感じたのです。あと、オールド・ディスティラーズの方が渋みもなく余韻はスッキリしており、なんとなく熟成が少し若そうな印象を持ちました。勿論、これは飽くまで個人的な感想であって「答え」ではありません。それに、たった二種類での比較に過ぎませんし、オールドボトル故のコンディションの差もあるでしょう。けれど、それらを差し引いても、オールド・ケンタッキー・スペシャル・リザーヴ小麦バーボン説は私には信憑性が高いような気がします。また、もしやオールド・ケンタッキー・スペシャル・リザーヴには15年以上の熟成古酒が含まれてるのではないか、なんて妄想もしてみたり…。飲んだことのある皆さんはどう思われたでしょうか? どしどし感想をコメントよりお寄せ下さい。
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Value:発売当時は20000円の小売価格でしたが、現在のオークション相場は10万円を超えています。15万近くで落札されてるのも見かけました。ウィレット蒸留所の人気が上がるにつれ、旧来のKBDがボトリングして日本へ輸出していたバーボンは、二次流通市場で年々高騰しているのです。もはや一部の奇特な人以外には手が出しにくいバーボンの一つがオールド・ケンタッキー・スペシャル・リザーヴでしょう。バーで見かけたら飲んでみるのをオススメします。


追記:記事を書き上げた後にフランス製のクリスタル・デカンターと判明しました。

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