2018年09月

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WILD TURKEY Kentucky Legend NAS 101 Proof
Bottle No. M-5428
女体のくびれを想起させるセクシーなボトルシェイプと、飛翔するターキーが描かれた頭でっかちのコルクキャップが一際眼を惹くケンタッキーレジェンド。91年に発売された免税店向けの製品です。94年には、ボトルは同一ながら、特徴的だった大きなキャップが廃止され、名称もケンタッキー・トラディションへと変わりました(後の90年代後半にシングルバレルかつバレルプルーフで名称を同じくするケンタッキーレジェンドが発売されました)。
さて、問題の中身なのですが、その手の情報はウェブ上にも殆どなく、バックラベルによると特別に選ばれた樽である旨が軽く書かれているだけです。とりあえず判断できる範囲ではNAS(Non Age Statement=熟成年数表記なし)であること、そしてシングルバレルの記載がないことからスモールバッチではないかと予想します。では飲んでみましょう。

本ボトルは93年ボトリング。ヴァニラ、ブラックベリー、焦がした木材、干しブドウ、アプリコット、ピーナッツの殻、僅かにフローラルノートとパフューミーなムード。口中はナツメグとシナモンが感じやすく、余韻には香水とも薬品とも言えるような薬っぽいニュアンスが出た。味わいは通常の8年より12年寄りのテイストに感じる。けれどもダスティーなフィーリングはそれほどでもなく、またアルコール感のパワーも失われておらず、ある意味バランスの整った印象。
これは私の勝手な推測ですが、このレジェンドのジュースの熟成年数は、味わいから察するに、もし単一年なら9〜10年程度、複数年のブレンドならレアブリードのような12年8年6年のミングリングなのでは?  皆さんはどう思うでしょうか?  飲んだことのある方のご意見が伺いたいですね。
Rating:88.5/100

Value:昨今、ワイルドターキー12年や古めの8年はオークション市場で高騰しています。それに較べると免税店向けの商品群は比較的安価で購入できるので狙い目。中でもこのレジェンドは90年代前半のボトリングということもあり、安く買えればお買い得感が強く、個人的にはお勧めです。多少の液面低下やコルク折れは飲むのにそれほど支障ありません。現にこのボトルはそうでした。

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ここ最近、連続で投稿していたバー編は前ポストで終わりです。なので最後にバーの紹介を少しばかり。伺ったバーは千葉県大貫にありまして、その昔三軒茶屋や銀座でバーを経営していらしたマスターが、近くに海はあるものの、繁華街も何もない田舎、普通の家の一階を苦心の末に改装して2017年6月に再オープンされたお店です。その名を「幻の桜」と言います。三軒茶屋や銀座時代に伝説となった、知る人ぞ知る名店です。ここにはビールもカクテルもおつまみもなく、提供はストレートのみ、水割りもありません(チェイサーの水はあります)。はっきり言って行く人を選ぶお店ではあります。しかし、バックバーに並ぶお酒は貴重な物が多く、注いでくれる器もマスターがコレクションされているアンティークグラス、それでいて堅苦しい雰囲気でも、威圧感のあるマスターでもなく、Tシャツとサンダルで行ける正にアットホームなバーでもあります。私はバーボンしか飲んでませんが、バーボン専門店ではありません。むしろ、モルトやその他の蒸留酒のほうが多いくらいです。
どうでしょう、想像できましたか? バーの既成概念を覆す立地に、風変わりなマスター、タイムスリップしたかのような希少なお酒とグラス。長閑な住宅地の一角から、扉を開ければそこは別天地。ここに来れば「序列はなくなる」。興味を持った方は、お店のブログがありますので、下のリンクからどうぞ。営業時間が独特だし、住所も電話番号も公開していませんので、行く前にはブログのチェックが必須です。立地条件と提供物の狭さ故か、経営は厳しいに違いないでしょう。その燈火を消さないためにも、あなたがオールドリカー愛好家なら、関東住まいの方は勿論、遠方の方でも是非訪れてみて下さい。


ああ、そうだ、マスターのお人柄を語る話がひとつあった。私がこちらのバーへお邪魔する前に、昼飯を食べにレストランへ寄ったのですが、 そこに忘れ物をしてしまいました。バーへ着いて、挨拶を済ませ、席に座った時そのことに気づきました。私は飲酒する身ですから電車と徒歩でここまで来ています。歩いて10分くらいのレストランだったので、私は歩いて取りに行こうと思いました。マスターにそのことを告げると、慣れてない土地を何度も歩かせるのは忍びなかったのでしょうか、まずはレストランへ確認の電話をし、その後、マスターの奥様に取りに行くよう取り計らってくれたのです。いくらお客とはいえ、3分前に会ったばかりの者に、心のあたたまる行為でした。
「変わったとこにある店ですけど、マスターの心意気がいいっすね」(一緒に行った相棒の言葉)

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Maker's Mark Gold Wax Limited Edition 101 Proof
日本では通称ゴールドトップと呼ばれるこの限定版メーカーズマークは、元々はケンタッキー州のみで販売されていたものの、バーボンの販売において当時の日本市場がアメリカ本国よりも高い利益率を示したため、1996年頃にアメリカでの販売を停止され(83〜93年まで販売という説もある)、輸出専用となった製品と言われます。1999年頃には日本でも終売となりました。中身はスタンダードなレッドと同じジュースで、101プルーフでのボトリング。つまり単純にレッドのハイアープルーフ版と言うことです。当時のマスターディスティラー、デイヴ・ピッカレルがそう語っているらしいので間違いないでしょう。本ボトルはおそらく80年代後半から90年代初頭の物かと思われます。よく見かけるゴールドトップ101と違い、「Maker's Mark」の文字が金ではなく黒で、ラベルの質感自体も少し違うようです。ラベルに多少の違いがあっても中身はレッドのハイアープルーフ版に変わりはないとされています。
ゴールドトップはマスターのお気に入りでイチオシの銘柄だそう。そこで本品と下記のVIPを注文したところ、現行のスタンダード・レッドを味比べ用にサービスして頂きました(写真は撮ってません)。さて、飲んだ感想なのですが…、そこまでして貰いながらごめんなさい、個人的にはそれほど特別なフィーリングを感じませんでした。確かに現行レッドより柔らかいアルコール感や強めの焦樽感は感じられますし、プリンやココアぽさがこちらの方が断然あります。ただ、物凄く美味しいかと言うとそうでもなく、これなら現行のカスク・ストレングスの方がバタリーかつフルーティーで美味しく思いました。
Rating:86/100

さて、いよいよ私にとってメーカーズマーク最大の謎がやってきました。それがVIPです。以前レッドトップVIPのレヴューを投稿した時に述べた事と被るのですが、その後得た情報もあるので、ここで再度整理してみようと思います。

ゴールドトップやブラックトップに関してはある程度信じてよさそうな情報が見つかります。ゴールドトップは上記の通り。ブラックトップはスタンダードよりも2年から2年半ほど熟成期間が長いとされ、デイヴ・ピッカレルによればウッドノートの多いものを幅広いシーズンからピックしたものだとか。それをスタンダードより5プルーフ高い95プルーフにてボトリングした日本限定の製品で、94年から発売されました。それらに対して、VIPの製品情報をネットで探ってみると、何となくあやふやな情報が蔓延してる印象を受けます。
例えば日本の或るお店のレッドトップVIPの商品紹介欄には、VIP独特のボトル形状に対する言及に際し「デキャンターは1980年代に使われていたボトルを復刻したもので、オリジナルはケンタッキー・バーボン博物館に収蔵されているそうです」と書かれています。これを初めて読んだ時、へえそうなんだ、と思うと同時に、ちょっと待て、80年代と言ったらそう遠くない昔だよ? その割りにそんなボトルの写真を見たことないよ?と思いました。おそらくなのですが、この一文の元ネタは次のビル・サミュエルズJr.の言葉にあるのではないかと勘繰っています。

「This special gift bottle was styled after an original circa 1870's bottle discovered in the Kentucky Bourbon Museum.(この特別なギフトボトルは、ケンタッキー・バーボン・ミュージアムで発見された1870年頃がオリジナルのボトルを模倣しています。)」

もし私の勘繰りが正しいのなら、年代を百年以上も間違えていることになります。1870年頃の物ならば、確かに博物館にありそうではないですか。それに、容易にその画像がネットに転がっていないのも頷けます。多分なにかの勘違いで「1980年代」としてしまったのではないでしょうか。
そしてまず何よりも、マイナーなブランドならいざ知らず、メーカーズマークというトップブランドの製品なのに、VIPが初めて発売された時期が特定出来ないのです。よく見かける説明によると、ビル・サミュエルズJr.が親しい友人や来客のために用意していた物を贈答用の製品として商品化したと言われ、また当初はメーカーズのクラブ会員のみが購入できた限定ボトルだったとも言われます。ネットで調べられる限りでは、60年代後期や70年代とされるクォート表記やタックス・ストリップの付いたVIPが僅かながら見つかります。ここら辺の物がクラブ会員限定なのでしょうか。それらの裏ラベルのサインは「Bill Samuels」となっており、「Jr.(ジュニア)」の表記がありません。と言うことは「Sr.(シニア)」の方、つまりお父さんが社長の時代に既にVIPは存在していたことになります。ジュニアが会社を手伝い始めたのが67年、社長に就任したのが75年とされますので、どちらの発案でVIPが造られたかは微妙なところですが、何となくJr.のような気はしますね。

で、問題はここからです。日本でもアメリカでも、VIPの中身はスタンダードなレッドと同じである、とされています。しかもその情報源は大概蒸留所で働いている人達からなのです。どうやらメーカーズが開催するセミナーで担当者の方が、メーカーズマークでは造っているバーボンは一種類であり、品質にバラつきはなく、レッドもゴールドもブラックも中身は一緒、と言って回っているようなのです。日本人の情報源の殆どはこのセミナーにあると思われます。ただし、私が参考にしたセミナー参加者のブログ記事には「VIPもスタンダードなレッドと同じ」だとは一言も書いてありません。アメリカ人の場合は有名なバーボン掲示板において、或る方が蒸留所で直に聴いたと言っていましたし、高名なライターの方もそう断言していました。それらが回り回っているのかも知れません。もしかすると日本人でもセミナーに関係なく、自分の飲んだ感想からか、またはアメリカから情報を仕入れているのかも知れません。
ともかくも、スタンダードとVIPの違いについては、いくつかの説が散見されます。整理すると、

①VIPとスタンダードの中身は全く同じであり、違いはボトルと化粧箱とオリジナルラベルが貰える仕組みだけで、価格の違いはそれらに由来する。
②スタンダードとゴールドトップVIPは違ったが、スタンダードとレッドトップVIPは同じである。
③スタンダードとVIPは確かに殆ど一緒だが、VIPには専用の樽が使われているから少し違う。
④VIPとスタンダードの中身は同じとされているが、飲んでみれば全く違うことが分かる。

以上の四つがネットで得れる主だった意見になります。私の意見は④です。だからこそVIPとは何なのかに拘っているのです。私がレッドトップVIPを飲んだ時は、スタンダードなレッドトップを飲み終えた直後にVIPを飲みました。そして断然美味しく感じたのです。勿論、私のバカ舌や腐れ鼻、また金額が高いことに因るただの思い込みの可能性は否定しません。ですが、それにしては旨すぎるように感じました。なのでVIPについて想像を交えながら少々私見を述べたいと思います(あくまで「想像」なのに注意して下さい)。

まず上の①〜④に触れる前にセミナーに関して一言。このセミナーというのは謂わばメーカーズマークの企業姿勢と製品の良さを広めるための宣伝活動であり、であればこそ伝統や歴史を語ったとしても、それはあくまで「今」を伝えるのが主目的だと思います。穿った見方をすれば、そのために過去のゴールドやブラックを良い物と思っている日本人に対して真っ向から否定をしたのではないか。スタンダードなレッドと同じですよ、と言うことによって。これは別にセミナーへの非難ではありません。マーケティングの一環としてそれは正しいでしょう。けれど、熟成年数の違うブラックまで同じだと言っている点で、その発言には信憑性がない気がします。
では①についてですが、実はこれは案外信憑性があるような気がしています。と言うのもアメリカのバーボン掲示板の2006年の投稿で、VIPは通常のレッドトップより$7ほど高い、と言っている方がいました。この程度の差額ならボトルと化粧箱しか違いはなくてもおかしくはないからです。ここで一つの可能性として、アメリカ流通品と輸出品で中身に違いがある疑いが出てきます。私には当時のゴールドトップVIPの日本での販売価格が判らないので憶測でしかありませんが、もし当時の輸入代理店が阿漕な商売をしてるのではなく、正当な価格付けをしていながらスタンダードとの差が3〜4倍もあったのなら、中身が違う可能性は十分あると思うのです。日本はブラックが限定販売されていた国であり、ゴールドトップ101のメイン購買国なのですから、特別な待遇を受けていたとしても不思議ではないでしょう。
次に②。これは私にはどうも信じがたい説です。ですが、バーボンを愛しバーボンを飲み、メーカーズを愛しメーカーズを飲む人がそう言っているのでしょうから、何か根拠があるものと思われますし、その意見は尊重すべきだと思います。
続いて③。これは正直判りません。その可能性はなくはないようにも思えますが、どちらかと言えば樽の違いよりは熟成場所の違いの方が可能性は高いような気がします。
最後に④。これが私の意見なのは前述の通りです。根拠は自分が飲んだ印象でしかないのですが、思うところもあります。
先に挙げた初期VIPと思われる60年代末と70年代とされるボトルは、実は86プルーフでボトリングされています。また、おそらくアメリカで最も有名なゴールドワックスVIPは下の画像の物と思われます。
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こちらはブラックと同じ95プルーフでのボトリングです。両者ともよくあるVIPとは度数が異なっていますね。思うにVIPとは、本来はこういった特別に造られるべきもの、或いはクラブ会員の「私」の楽しみのために個人的に選択されたもの、そういう特別性/唯一性こそが原義にあった筈です。しかし、何時しかVIPが準レギュラーのように製品ラインナップに組み込まれると、全てをそうはやっていられない。そこで出てきた代替案がスモールバッチなのではないか、というのが私の予想です。
上のVIPの裏ラベルには概ね以下のようなことが書かれています。

「メーカーズマークでは、それぞれ19バレルのロットでウイスキーを造ります。1983年と1984年に、我々は16ロットを残りのウイスキーとは別にして熟成するようにしました。私たちは定期的にそれを試飲し、味が独特でフルボディであると感じた時にのみボトリングしました。だから、各ロットは熟成年数とプルーフが異なります。それぞれの味は確かに微妙な違いがありますが、それらは明らかにメーカーズマークなのです。」

ここで言うロットは、より一般的にはバッチのことだと思われます(バッチとロットという言葉はメーカーによって差異があります)。そして件のセミナーに参加された方のブログ記事によると、メーカーズマークでは1バッチ最大で150樽をボトリングする、との情報が書かれています。いくらメーカーズマークでは熟成中に樽のローテーションを行うから品質にバラつきがないと言っても、1バッチ最小19樽と1バッチ最大150樽ではクオリティの差は歴然とあるのではないでしょうか? 150樽というのはどう考えてもスタンダードなレッドトップのことでしょう。そしてメーカーズのカスク・ストレングスは19樽のスモールバッチと言われています。だったらVIPもスモールバッチだった可能性が高いのではないか、もし味が断然違うと感じるのならば…。
私の持っている2000年発行のバーボン本に拠ると、スタンダード3900円、ブラック5400円、ゴールドトップ10000円とあります(VIPは載ってません)。97年発行の本には、スタンダード5000円、ブラック7000円、ゴールドトップ12000円とあります(こちらにもVIPは載ってません)。いささかゴールドトップが高すぎませんか、単なるハイアープルーフ版の割には。いくらゴールドで豪華さを演出したからといって。熟成期間が長いブラックが随分お買い得に思えるではないですか。勿論お酒の値段などあってないようなものかも知れません。ですが、仮にメーカーと輸入代理店の良心を信じるのならば、ゴールドトップが高い理由はハイアープルーフなだけでなく、スモールバッチだからなのではないでしょうか? リミテッド・エディションと謳っているところからしても、上記の本に「生産量が極めて少ない」と書かれているところからしても。そしてVIPの正体は、そのゴールドトップの低プルーフ版(加水、希釈版)なのではないか、というのが私の想像からの大胆な仮説です(笑)。では、長い前置きを終えて、そろそろゴールドトップVIPを飲んだ感想へ。

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Maker's Mark VIP Gold Wax 90 Proof
まず一目で判るのは、よく見かける角張ったボトルのVIPと違い、通常品に近い丸みのあるボトル形状。おそらくこれは角張った物よりも古いVIPだと思います。裏ラベルのデザインも古いVIPに見られるものです。画像で判ると思いますが、ラベルの著名に「Jr.」がありません。しかし、いくらなんでもシニアが社長時代の物とも思えないので、90年代初頭ぐらいの物ではないかと推測します。インポーターラベルに「特級」の文字もありませんし。
さて、飲んだ感想なのですが…、え〜、よく判りません(汗)。いや、現行とはアルコールのムードが違いますし、酸味が少ないようにも感じ、何と言うかまったりしているのは判ります。ですが、これと同じ時期のスタンダードなレッドトップの味を覚えていないので、VIPがスタンダードと同じなのかそうではないのかが分からないのです。正直言って特別なフィーリングも感じませんでした。101と比べると、私的には101の方が好みでしたが、これは単に私がハイプルーフ志向だからかも知れません。ここまで読んで、私の断定を期待していた方がいましたら申し訳なく思います…。
Rating:85.5/100

追記:少しだけ情報を追記しておきます。記事を書き上げたあと、再度ネットで調べていたらVIPの値段に関して気になる記事を発見しました。或る方は自身のブログの2004年の投稿でゴールドトップVIPについて、「一応メーカーズ・マークの最上級品。と言っても5000円しない。ふつうのレッドトップの倍の値段だが、にしても+2000円そこそこで最上級品が買えるのなら選ばない手はない」と語っています。また他の方も2005年の記事に価格は5000円程度としていました。洋酒の値段は変動しやすいですから、一概には言えないかも知れませんが、この程度の差額ならスタンダードとVIPの中身が一緒でもおかしくないように思えます。ここで、本文に挙げておいた①〜④の意見に、もう一つ第五の仮説を加えてみたいと思います。

⑤スタンダードとゴールドトップVIPは同じだったが、スタンダードとレッドトップVIPは違う。

つまり②の逆バージョンです。こんなどうでもいいことを言い出すのも、バーボンラヴァーの皆様が、宅飲みにしろバー飲みにしろ、なんやかんや言いながら味比べしたら面白いかなと思うからで、他意はありません。ご参考までに。

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I.W. HARPER 101 PROOF Gold Label
80年代後期のものかなと予想します。90年代に販売されていたグレーラベルのハーパー101の前身かと。もしかすると90年代初頭までは流通していたかも知れません。昔のバーボンの本を見てみると、スタンダードな86プルーフのゴールドメダルより熟成年数の平均値が少し長そうな記述が見られますが、あまり当てにならない情報に感じます。味は平凡と言えば平凡でした。クセのないスタンダードな旨さと言ったらいいでしょうか。これはグレーラベルを飲んだ時にも思ったことですが、特別な感じがしないのです。勿論ハイプルーフならではの満足感はありますが。
Rating:85/100

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I.W. HARPER GOLD MEDAL
こちらはラベルの腐食が進みすぎて年代の識別が困難です。60年代ぐらいですかね? もしかしたら50年代? 何プルーフなのかもよく判りません。ボトルド・イン・ボンドとは表記されていないように見えるので86プルーフでしょうか。ですが、液体の色はかなり濃いです。マスターに聴けば良かったものの、この頃には酔っぱらっていたせいか、聴きそびれました。感想は、円やかな酒質にクレームブリュレもしくはプリンの風味。これが86プルーフだったとすると、低プルーフの割りに風味の点で101プルーフに負けない豊かさがあったように思います。
Rating:85.5/100

追記:記事投稿後にバーボン・バーGのマスターより情報提供頂きました。上の腐食の進んだハーパーとほぼ同時期とみられるボトルドインボンド版の綺麗な状態の前後ラベル写真を拝見出来たのです。それは全く同一のラベルデザインに見えました。 そしてそれは53年蒸留、58年ボトリングだそうで、そうなると上に述べた推定年代は概ね間違ってなかったようです。この場を借りて改めてお礼を言わせて頂きます。ここまで劣化したラベルを一目見ただけでそれと判る慧眼、恐れ入ります、ありがとうございました。
また、コメントにも素敵なバーボンマニア様からのアドバイスがありましたのでご参照下さい。ご協力感謝です。

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オールドフォレスターは言わずと知れたブラウン=フォーマン社の看板製品。特にそのボトルド・イン・ボンド規格の物は銘酒の誉れ高くバーボンファンのお気に入りです。1920〜1933年の禁酒法の間も医薬目的のための販売を認められたブランドの1つで、1870年代に発売されてから現在まで継続している正にお手本のようなブランド。なのに日本での知名度はジムビームやファアローゼズ、アーリータイムズやIWハーパーに較べるとやや低いのが残念ですね。

オールドフォレスターは、それまで樽から直接ジャグ等の再利用容器に入れて販売されるのが一般的であったバーボンを、密封ボトルのみで販売した初めてのブランドであったと言われます。当時の多くのウィスキーは中間業者によって色々な混ぜ物が入れられていました。それを防ぐ手段としてガラス瓶(*)に入れ密封されたオールドフォレスターは当初薬局で薬品として販売されていたとか。その時代、ウィスキーは薬として認知されており、だからこそ密封された混じりっ気のないウィスキーは、品質を保証し、医師や薬剤師に好意的に迎えられたのです。これにはブラウン=フォーマン社の創業者ジョージ・ガーヴィン・ブラウンが、ウィスキービジネスを始める前の職業が薬剤販売員だったことと無関係ではないでしょう。おそらく実地に医師の意見でも聴いたのかも知れません。それをブラウンはビジネスチャンスと見、ウィスキー業界へと打って出た訳です。

もともとOld Foresterは「Old Forrester」と綴られ「r」が2つ付いたスペルでした。それはブラウンの友人である医師のウィリアム・フォレスター(William Forrester)から由来していると伝えられています。いつ「r」が1つになったのか定かではありませんが、一応ブラウン=フォーマン社が公にしているオールドフォレスターの語源は、この医師の名前説です。実はその他にオールドフォレスターの語源には二説ほど有名なのがあり、一つは南軍の騎兵隊長ネイサン・ベッドフォード・フォレスト(Nathan Bedford Forrest)に由来するというもの。ネイサンは南北戦争での残虐な戦いぶりで勇名を馳せ、しかもKKK(クー・クラックス・クラン)の設立者の一人と目される人物。このネイサン由来説は、社会史家ジェラルド・カーソンの『バーボンの社会史』に端を発するそうです。どうやらこの説は、1960年代という南北戦争から100年の節目、南部ナショナリズムが一種のブームであった時代に迎合したマーケティングのようで、今で言う黒歴史と言いますか、歴史の汚点のような説かも知れません。もう一つは森林を意味する「Forest」から来ていて、「Forester」で森の番人の意とするもの。こちらは穏やかではあるものの面白味に欠ける説ですね。

初期の頃のブラウン=フォーマン社は俗に言うNDP(非蒸留業者)でした。ジョージ・ガーヴィン・ブラウンが1870年にウィスキー・ロウと呼ばれるルイヴィルのメイン・ストリートでウィスキーの卸売ビジネスを開始した当時は、JMアサートン蒸留所とメルウッド蒸留所とBJマッティングリー蒸留所から購入した原酒を独自にブレンドして販売していたそうです。1902年になると主要な供給元であったマリオン郡セントメアリーのベン・マッティングリー蒸留所を購入。そこにはウェアハウスとボトリング施設がなかったので、蒸留を終えたウィスキーはルイヴィルへと運ばれました。1907年にはセントメアリーの蒸留所にもウェアハウスとボトリング施設が建てられます。禁酒法が訪れるとその蒸留所は閉鎖となり、ウィスキーのストックはルイヴィルのG・リー・レドモン社のウェアハウスに移されました。そこはホワイト・ミルズ・ディスティラリーと知られる薬用ウィスキーのための集中倉庫とボトリング施設です。ブラウン=フォーマンのウィスキー以外にも、テイラー&ウィリアムスのイエローストーンやマックス・セリガーのベルモント等のストックが保管されていました。ブラウン=フォーマン社は1924年にそこの資産と在庫を買い取り、禁酒法期間中、薬用ウィスキーのボトリングを続けます。禁酒法解禁後にその施設は再建され、ブラウン=フォーマン蒸留所として1980年頃までオールドフォレスターを生産しました。この蒸留所のプラント・ナンバーこそがオールドボトル愛好家に名高いDSP-KY-414です。1979年以降オールドフォレスターの生産はルイヴィル郊外のシャイヴリィにあるアーリータイムズ蒸留所(DSP-KY-354)へ移管されますが、バーボンマニアには#354より#414のほうが遥かに質が高いとされています。そして2018年6月には、かつてウィスキー・ロウと呼ばれたルイヴィルのダウンタウンにオールドフォレスター蒸留所がオープンしました。おそらく今後は、オールドフォレスターはこちらでも少量造られて行くことになるでしょう。

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OLD FORESTER BOTTLED IN BOND 86 PROOF?
さて、今回飲んだオールドフォレスターのボトルド・イン・ボンドですが、年代はいつ頃の物かよく判りません。マスターに質問し忘れたのか、答えを聞きそびれたのか、どうにも酔っぱらっていて記憶にないのです。見たところ50年代ぐらいでしょうか? 画像で判断できる方がいましたら教えて下さい。それよりもこのボトルで訳がわからないのは、フロントラベルにはボトルド・イン・ボンドと書かれているのに、バックラベルには86プルーフと書かれていることです。ボトルド・イン・ボンドなら100プルーフなのでは…。これはどういうことなのでしょうか? 「Bottled in Bond for Export」ともバックラベルには記載されていますが、この文言が何か関係してるのですかね? これまたご存じの方はコメントよりご教示いただければ幸いです(追記あり)。
とりあえず蒸留とボトリングは#414。この時代から現行オールドフォレスターの72%コーン/18%ライ/10%モルテッドバーリーと同じマッシュビルかどうかは判りませんが、同じである可能性は大いにあると思います。では、最後に飲んだ感想を少々。
一言、キャラメルラテ祭り。ただのキャラメルではありません、ラテです。非常にミルキーな味わいに感じました。欧米の方ならバタースコッチと表現する風味かも知れませんね。
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*1800年代のガラス瓶は手吹きで造られる大変高価な物であり、下手をすると中身よりも貴重な存在でした。1903年にマイケル・ジョセフ・オーウェンズが自動製瓶機を発明したことにより、安価なガラス瓶がようやく市場へ出回り始め、後に主流となって行きます。

追記:「Bottled in Bond for Export」の件に関して、私からしたら神様のような存在のバーボン・バーGのマスターより教えを頂きました。これは本国流通品とは異なる輸出向けの低プルーフ版なのだそうです。ブラウン=フォーマンに限らず当時のボトルにはこういう物がけっこう存在するのだとか。よって、上で「?」を付けておきましたが、本ボトルは86プルーフで正解となります。

今回は謎めいた古いウィスキーを二本まとめて。

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一方は表ラベルが完全に剥がれていて、しかも剥がれたラベルが手元にもないそうで、もはや何が何だか判らない状態なのですが、マスターによるとファイン・オールド・バーボンというありきたりの名前だったそうです。これはブランド名と言うよりは、俗にいうノーブランド、だけど「良質のバーボンですよ」くらいの意味合いだと思います。バーのブログより画像をお借りしまして、右がラベルが貼り付いてた当時の姿だそうです(左は前回ポストのドハティーズ)。
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Fine Old Bourbon?
まだ残っている裏ラベルから概ね4年熟成と推察されます。アルコール度数は50度でしょうか。ボトリングは禁酒法が終わった直後の1934年。と言うことは蒸留は禁酒法時代になされていますね。会社はマーヴィン&スニードとあります。マスターの話では、ニューヨークの42ndストリートにあったワイン商を通じて英国に輸入されたものが60年ほど経ってオークションに大量出品された時に入手したもので、表のラベルにも何処の蒸留所で蒸留された等の情報は書いてなかったそうです。
飲んでみた感想としては…、う〜ん、正直言って今回のバー遠征で飲んだなかで一番美味しくなかったです。なんというかピントのボケた味に感じました。現行製品にはない深みは感じられるものの、一言で言うと濁った味です。濁ってるのにコクがないとでも言うのでしょうか。オールドボトル愛好家ならいいのかも知れませんが、個人的にはこれだったら現代バーボンのフレッシュな味わいの方が好み。
Rating:78/100

そしてもう一方はJフライデイのライウィスキーです。こちらもネットで検索しても殆ど情報を得れないのですが、わかる範囲で書くと、ペンシルヴェニア州ピッツバーグのスミスフィールド・ストリートにあった、蒸留酒やワインまたシガーなどを取り扱うマーチャントもしくはウィスキー・ホールセラーで、当時の広告を見るとグッケンハイマーやオーヴァーホルト、ブリッジポートやマウント・ヴァーノンなど名だたる銘酒をストックしていたようですから、なかなか活気のある会社だったのかも知れません。会社の活動期間は1889ー1918とされ、自社ブランドには「1852 X X X Old Private Stock」、「Friday's」、「Gibson」、「Number 1870 Brand」、 「Number 1882 Apple Brandy」、「Old Cabinet Rye」などがあったそうです。

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そして本ボトルについてですが、これまた何処で蒸留されたかの記載もなく、熟成年数表記もなく、なんならプルーフ表記すらありません。逆にラベルの下の方に小さく、有害な薬物や毒を含んでいません、とは書かれています。ボトルド・イン・ボンド法(1897年)やピュア・フード&ドラッグ法(*1906年)施行後でも、まだ横行していた粗悪ウイスキーに対抗して書かれた文言なのでしょう。上に述べた会社の活動期間からするとボトリングは禁酒法以前となり、当然、蒸留もそうな訳で、おそらく同郷ペンシルヴェニアの有力なライウィスキー製造所から原酒を調達しているのではないでしょうか。画像検索でもあまりお目にかかれないラベルの物でかなりレアだと思います。
飲んでみた感想としては、かなり軽いウイスキーという印象。度数は40度くらいしかないと思います。あまりフルーティでもなく、甘み全開系でもなく、どちらかと言うとハービーで、何というか植物っぽいテイストの味わいでした。柔らかいニュアンスや風味など、現行ライウイスキーとの差は実感できましたが、正直好みではなかったです。思うに当時のエントリークラスのライウィスキーなのではないかと…。いや、でもXが4つ並んでるところからするとグレードが高そうなのだが…。
Rating:83.5/100


*純正食品薬事法、純粋食品及び薬物法と訳される。有害または不当表示された食品や薬品を市場から排除し,州間取引される食品や薬品の製造・販売を規制することを目的とした法案で、アメリカンウィスキーの歴史にも多大な影響を与えた。


それと、今回は予算や飲酒量の都合で飲まなかったレアなバーボンを写真だけ撮らせてもらいました。やっぱりアンティークなボトルはカッコいいっすよね。

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禁酒法時代のウィスキーとしては比較的有名な銘柄ドハティーズ。そのプライヴェート・ストック名でのピュア・ライ・ウィスキー18年物です。ネットの画像検索で調べる限り、このプライヴェート・ストックのラベルの物は、他に13、14、15、17年がありました。16年もあるんですかね? それと、このドハティーズの禁酒法時代の物は大抵ボトリング名義が「Dougherty Distillery Warehouse Co.」なのですが、このボトルでは「J.A. Dougherty's Sons」という禁酒法前に近い名義になっています。なぜなんでしょうね? まあ、それは措いて、この「Dougherty Distillery Warehouse Co.」というのは、既にドハティ家の家族経営ではなくなっていて、禁酒法時代の1920年代初頭に処方箋でのみ入手可能な薬用ウィスキーのボトラーとしてライセンスを受け設立された会社です。同社はニュー・へレム蒸留所やハイスパイヤー蒸留所、それと史上名高いオーヴァーホルト蒸留所などから禁酒法以前に蒸留されたウィスキーをドハティ・ブランドでボトリングして販売していました。

さて、話は前後してしまいますが、日本語で読めるドハティ・ウィスキーの情報は殆どないので、せっかくだからその来歴を、海外の禁酒法以前のウィスキーに詳しい人のブログを基にざっくり紹介しておきましょう。

創業者ジョン・アレクサンダー・ドハティはアイルランドに1788年6月10日に生まれました。26歳の時、1814年1月ノヴァスコシア州ハリファックス経由でフィラデルフィアへやって来たそうです。アメリカでのキャリアをパン職人として始めたものの、すぐにウイスキー事業に関与するようになりました。この間、彼は英国ブリストル出身のエライザ・シャーボーンと結婚し、1825年にはウィリアム、1827年にはチャールズが産まれました。
ウィリアムは年頃になると酒の貿易で父親としばらく働いていましたが、流行しつつあった新しい技術、電信に魅了され、1847年にオペレーターとなり、後にボルティモアからワシントンに至るベイン・ケミカル・テレグラフの補佐官に就任。一方の息子チャールズは父ジョンの蒸留事業に参加します。1849年あたりに「John A. Dougherty&Son」が創設され、同社の蒸留所(ペンシルヴェニア州第1地区、蒸留所登録番号2番)は1850年に建設されました。1851年にはウィリアムもテレグラフの仕事を辞めて父と兄弟に協力することになり、会社名は「John A. Dougherty&Sons」に変更されます。
ドハティーズ・ピュア・ライ・ウィスキーはすぐに成功を収め、フィラデルフィアだけでなくその周辺の市場も獲得しました。1866年10月21日、ジョン・ドハティは78歳で死亡し、息子のウィリアムが上級管理職に就任、会社名は「J.A. Dougherty's Sons」に再度変更されましたが、数年間で3つの新しい倉庫が建設され、ビジネスは成長を続けます。
ウィリアムはビジネスマンとしてのみならず、芸術の守護者としても知られ、アートクラブのメンバーであり、芸術アカデミーと自然科学アカデミーの著名なメンバーでもありました。彼のメゾチント、エッチング、彫刻のコレクションはフィラデルフィア随一だったと言われ、更には植物学、ガーデニング、冶金学、化学、そしてラテン語、ギリシア語、フランス語、スペイン語にまで精通していたとか。その芸術感覚はドハティ・ウィスキーの洗練されたラベルデザインに活かされていたようです。ウィリアムは1892年に67歳でこの世を去り、残ったチャールズが会社の経営を引き継ぎます。
会社は更なる成功を続けましたが、1898年には母親のエライザが死亡し、同じ年チャールズも71歳で死亡。事業を継承した家族は大きな蒸留所を管理することに関心がなく、1904年頃に蒸留所を売却してしまいます。新しいオーナーは名前と伝統の効力を認識し、ドハティの名の下で業務を続けますが、オールド・オーヴァーホルト蒸留所を含む他の蒸留所からウィスキーの供給を受けました。そして1919年、会社は禁酒法によって閉鎖。この後、冒頭に述べた「Dougherty Distillery Warehouse Co.」が設立され、集中倉庫から薬用ウィスキーを販売するようになったのでした。
では、最後に飲んだ感想を少しばかり。

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Dougherty's PRIVATE STOCK PURE RYE WHISKEY 18 SUMMER YEARS OLD 100 Proof
蒸留はニュー・へレム蒸留所(ペンシルベニア州第1地区、蒸留所登録番号26番)。タックス・ストリップを撮り忘れてしまったので、蒸留年とボトリング年が定かではないのですが、ネットで同じ18年物のボトルを調べると1913年蒸留1931年ボトリングなので、多分これも同じではないかと思います。ラベル類は自然と剥離してしまったようです。
現代のライウィスキーとは異質の物という印象。強烈にミンティ。スパイシーよりハービーな感じ。例えて言うと、ウィスキーにモンダミンとリカルデントを一滴づつ垂らし、ハーブティーを混ぜてキャラメライズドシュガーを入れたような味。一瞬不味いのだが、これはこれで旨い。
ところで、このプライヴェート・ストックのラベルデザインは禁酒法時代のウィスキーで最高峰ではないでしょうか? なんというか現代のネオ・ヴィンテージに通ずるモダンな感覚があるように思えます。カッコいいですよね。
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