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グリーンブライアーというブランドには歴史的にケンタッキー州のバーボンとテネシー州のウィスキーがありました。今回取り上げるグリーンブライアーは、近年復活を果たしたチャールズ・ネルソンのグリーン・ブライアー・テネシーウィスキーではなく、ケンタッキーの蒸溜所由来の方となります。と言っても、テネシーの方が復活と共にその歴史が掘り起こされているのと違い、こちらのグリーンブライアーの詳しい歴史はよく分かりません。ブランドを守る訴訟はアメリカン・ウィスキーの世界でも昔から盛んでしたが、何故だかこの両者は法廷で争う関係になったことはなく、製品の蒸溜もマーケティングも同時期に行われていたらしい。ともかく、情報が少ないので説明の大部分はサム・K・セシルの本からの引用が殆どとなります(と言うかセシルも先人の資料を参照しただけなのかも知れない)。
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(テネシーのグリーン・ブライアー)

グリーンブライアー蒸溜所は当初、後に祖父にちなんでオールド・グランダッドという有名なブランドを造ることになるレイモンド・B・ヘイデンが運営していたとされます。バーズタウンの市街から東へ5マイル半のウッドローン近く、ミル・クリークの源流付近に建てられていました。禁酒法以前のDSPナンバーは、税務区分が第5地区のRD#239です。設立年と誰が建てたのかは判りません。レイモンドの祖父ベイゼル・ヘイデン・シニアがメリーランド州からケンタッキー州バーズタウンに移住した地域がグリーンブライアーとされているのを見かけたことがあるので、ベイジルが建て息子のルイスが引き継ぎ更にレイモンドが発展させたのがこの蒸溜所なのでしょうか? 或いは、祖父や父を超えんと意気込んだレイモンドが主導して建てたのでしょうか? それはともかく、グリーンブライアーと呼ばれる小さな町はバーズタウンから南へ約6マイルのハイウェイ49沿いにありました。蒸溜所の場所とはちょっと距離が離れていますね。グリーンブライアーは嘗て密造酒の源として有名で、地元にはそれに纏わる伝承があるそうです。
レイモンドは蒸溜所をジョン・Jとチャールズのブラウン兄弟に売却し、二人は1870年代後半には「R.B.ヘイデン」のブランドを使って運営しました。1883年、ウィリアム・M・コリンズとJ・L・ハケットにより設立されたWm.コリンズ&カンパニーに売却され、蒸溜所はグリーンブライアー・ディスティリング・カンパニーを名乗るようになり、R.B.ヘイデン・ブランドを維持しつつ「グリーンブライアー」を加えました。最終的にコリンズは会社を辞め、ハケットを社長に、G・マッガーワンがセクレタリーに就任しました。1891年には蒸溜所を改修し、同年ルイヴィルにケイン・ラン・ディスティラリーを建設したとされます。1892年の保険引受人の記録によれば、グリーンブライアー蒸溜所は金属またはスレート屋根のフレーム構造で、プロパティには牛舎や三つの倉庫があったようです。
1920年、ご多分に漏れず工場は禁酒法で閉鎖されました。1922年には貯蔵されていた最後の残りのウィスキーを薬用ウィスキーとしてボトリングするためフランクフォートのジョージ・T・スタッグの集中倉庫に移したそうです。おそらくシェンリーは禁酒法期間中にグリーンブライアーのラベルを取得したと思われますが、セシルは禁酒法時代にそれが使用されることはなかったとしています。海外のウィスキー・オークションで出品されていた1913年蒸溜/1924年ボトリングの薬用パイントのグリーンブライアーの説明には「この蒸溜所は禁酒法期間中にシェンリー社によって購入された。これは同社がメディシナル・ライセンスを使用してウィスキーをボトリングするためのフル倉庫を探していた時に行われた多くの買収の一つでした。 元の蒸留所は閉鎖されましたが、禁酒法後の最大の生産者の一つである同社は新しい蒸溜所を建設し一時的に運営した」と述べられていました(参考)。
しかし、セシルの本には別の再建ストーリーが語られています。1935年頃、全ての建物が老朽化したため、プラント全体がグリーンブライアーRD No.51として再建された、地元の自動車ディーラーのジム・コンウェイとその仲間がグリグズビー・ダンズと契約し蒸溜所の建物を、レイ・パリッシュが倉庫を建設した、地元の投資家はそこを短期間保有しただけで、その後ワセン・ブラザーズに売却した、何度も所有者が変わり、1930年代後半にバード・ディスティリング・カンパニーという会社に買収されたと記憶している、と。1933年にシェンリー・ディスティラーズ・コーポレーションが組織された時、確かにその傘下の企業名にはフィンチやスタッグ、ペッパー、ジョンTバービー、A.B.ブラントン・スモール・タブ・ディスティリング・カンパニー等と並んでグリーンブライアー・ディスティリング・カンパニーが並んでいるのですが、もしかするとシェンリーはグリーンブライアーのブランドやトレーディングネームは買収していても蒸溜所自体は購入しなかったのかも? これ以上の詳細は私には分からないので、ここらへんの事情に詳しい方はコメントよりご教示頂けると助かります。
明確な時期は不明ですが(40年代?)、蒸溜所はシドニー・B・フラッシュマンが買い取り、おそらくダブル・スプリングス・ディスティラーズ・インコーポレーテッドとして、ビッグ・フォーなどに較べるとささやかな蒸溜事業(スピリッツの蒸溜、倉庫保管、瓶詰め)を営んだと思われます。彼は様々な蒸溜所で生産された投げ売りのウィスキーの購入に頼ることが多かったと思うが、かなり一貫したボトリング・オペレーションを維持していた、とセシルは書いています。ナショナル・ディスティラーズ出身のジョン・ヒューバーがマネージャー、エド・クームズがメンテナンス・エンジニア、ボブ・ブライニーがディスティラー、ヘンリー・ウェランがウェアハウス・スーパーヴァイザーだったそうです。シド・フラッシュマンは禁酒法廃止以来、様々な立場で積極的に酒類業界に携わって来た男で、他にもマサチューセッツ州ボストンでバルク・ウィスキーの倉庫証券のみ取引するボンデッド・リカー・カンパニーの個人事業主でもありました。
フラッシュマンは1960年代初頭までボトリング作業を続け、その後ルイヴィルの旧ジェネラル・ディスティラーズの施設に移しました。スタンダード・ブランズがフランクフォートの21ブランズ・ディスティラリーを手放すと、今度は全てのオペレーションをそこの場所に移しました。しかし、この事業は短命に終わります。そしてフラッシュマンはそこをエイブ・シェクターに売却し、エイブは以前に購入していたオーウェンズボロのメドレー・プラントに事業を移しました[メドレーのシェクター時代は75(または78)〜88年]。
フラッシュマンがネルソン郡の工場を閉鎖すると通告した時、非常に悲惨なことが起こりました。エド・クームズとヘンリー・ウェランは他の二人の従業員であるバーナード・クームズとウェザーズという名の仲間と一緒に通勤していました。職を失ったことに取り乱したウェザーズは荒れ、銃を抜き、エドとヘンリーを殺してしまいました。バーナードは飛び出して逃げたので助かったらしい。ウェザーズは精神異常と判断され、収容されることになったと云う…。
その後、グリーンブライアーの工場は荒廃し、軈て解体され、アメリカン・グリーティングスがこの土地を買い取り、グリーティング・カードの工場を建設しました。グーグル・マップで調べてみると、現在そこは、アメリカン・グリーティングスは立ち退き、カウンティ・ライン・ディスティリングというサゼラックの物流倉庫になっているようです。

偖て、ここらでグリーンブライアーのボトルの変遷でも紹介したいところなのですが、そのラベルを用いたヴィンテージ・ボトルはネットで検索しても殆ど見つかりません。既に上で紹介した禁酒法時代の物以外では、同じく禁酒法時代なのでしょうか所在地表記がカナダの物と、他には推定30年代と思しきBIBの物くらいしかありませんでした(蒸溜およびボトリングはベルモント蒸溜所。ベルモントは禁酒法により閉鎖されましたが、廃止後はシェンリーが購入していた。参照)。多分、シェンリーはグリーンブライアーのブランドを大々的に展開しなかったのではないでしょうか。
他には、グリーンブライアーのラベルを使用していませんが、グリーンブライアー蒸溜所の原酒を使用した比較的有名な物に、20年熟成のヴェリー・レア・コレクターズ・アイテムというのがあります。これは55年蒸溜とされ、ベン・リピーのオールド・コモンウェルス蒸溜所でボトリングされたと見られています(参考)。
そして今回私が飲んだ物に関しては、画像検索してもウェブサイト上で見つけることが出来ませんでした。よって詳細は不明です。これは憶測ですが、海外で全く紹介されていないことや、他のグリーンブライアーと年代が随分と離れているところからすると、当時の輸出用ラベルとして気まぐれに?復刻された物なのではないかと…。では、最後に感想を少しだけ。

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Greenbrier Straight Bourbon Whiskey 86 Proof
推定69年ボトリング(瓶底)。私のリクエストで未開封の物を開けて頂きました。…えっ、なにこれ、バケモノ? 濃厚キャラメル、甘醤油、樹液を感じさせるクラシックなシュガーバレル・バーボンでした。フルーツとスパイスはそこまで強くないカラメル・フォワードな味わいです。マイナス要素なオールド・ボトル・エフェクトも一切なく、香りと旨味全開。裏ラベルには4年熟成とありますけど、その味は完璧に熟成された8〜10年物バーボンのよう。個人的にはオールドボトルは開封済みであれ未開封であれ、状態にかなり差があると思っているのですが、デスティニーさんで飲んだボトルはどれも状態が良く、特にこれは奇跡を見る思いでした。元々ボトリングされた原酒のレヴェルが高かったのかも知れないし、ボトリングから何十年も経過して却って風味が良くなったのかも知れないし、単に自分の好みに合っただけの話なのかもですが、とにかく最高のバーボンでした。
ボトリングはカリフォルニア州フレズノのシェンリー施設だと思われますが、中身は一体どこの原酒なのでしょう? これより旧いグリーンブライアーにはあった「ケンタッキー」の文字が表ラベルからなくなっていますし、裏ラベルにもケンタッキーと書いてないところからすると、他州のバーボンであるのは間違いないかと。そうなると、年代的にもインディアナのオールド・クェーカー蒸溜所が最有力かなぁ…。でも、他のシェンリー製品のようにはラベルにインディアナ州ローレンスバーグの記載が一切ないのも気になるところ…。飲んだことのある皆さんはどう思われました? ご意見ご感想をコメントよりどしどしお知らせ下さい。
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