カテゴリ: ケンタッキーバーボン

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ワイルドターキー・ケンタッキー・スピリットは、アメリカの現行ワイルドターキーのラインナップの中では1942年の古典的な「101」、1991年の「レアブリード」に次ぐ、3番目に古いリリースの由緒あるブランドであり、ワイルドターキー101のシングルバレル・ヴァージョンとして1994年に作成されました。公式リリースは1995年なのかも知れませんが、最初のボトルは1994年に充填されています。おそらくは、バーボン界で初めての商業的なシングルバレル・バーボン、ブラントンズの対抗馬であったと推測され、ブラントンズの競走馬やケンタッキー・ダービーをモチーフとした華麗なボトルの向こうを張った七面鳥のファンテイル・ボトルは流麗で目を惹くものでした。またブラントンズと同じように、ラベルには手書きでボトリングされた日付やバレル・ナンバー、倉庫やリック・ナンバーが記されているのもプレミアム感をいやが上にも高めています。そして、キャップはピューター製の重厚で高級感のあるものでした。それ故ケンタッキー・スピリットの初期のものは通称ピューター・トップと呼ばれています。2002年からストッパーはピューター製からダーク・カラーの木製のものに変更されました。更に2007年もしくは2008年頃にはダークだった木材がライトな色味へと変わります。ラベルに描かれる七面鳥も、ケンタッキー・スピリットに於ける明確な変更時期は特定出来ませんが、ブランド全体に渡るラベルのリニューアルに合わせ、前向きが横向きへ、カラーがセピア調へと更新されました。と、ここまではキャップ等のマイナーチェンジとシリーズ全般の変化なので、ケンタッキー・スピリットの姿自体はそれほど変わりありませんでしたが、2019年、遂にケンタッキー・スピリットの象徴的なテイルフェザー・ボトルは廃止、レアブリードに似たデザインに置き換えられ、ラベルの七面鳥の存在感は薄くなります。
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「ケンタッキー・レジェンド」と免税店の「ヘリテッジ」といった一部の製品を除き、ケンタッキー・スピリットは2013年にラッセルズ・リザーヴ・シングルバレルが発売されるまでの20年近く、ワイルドターキーのレギュラー・リリースで孤高のシングルバレルであり続けました。アメリカの小売価格で言えば、ワイルドターキー101より2倍以上高く、ラッセルズ・リザーヴより少し安い製品です。ケンタッキー・スピリットをラッセルズ・リザーヴと比べてしまうと、ラッセルズ・リザーヴは冷却濾過されずによりバレルプルーフに近い110プルーフでボトリングされるため、スペック的にケンタッキー・スピリットを上回ります。そのせいもあってか、2014年頃から始まったプライヴェート・バレル・セレクションでもラッセルズ・リザーヴのほうが人気があります。その味わいの評価に関しては、アメリカの或る方の喩えでは「ワイルドターキー・ケンタッキー・スピリットは、天井は高いが床はラッセルズ・リザーヴ・シングルバレルよりも低い」と言っていました。ターキーマニアの代表とも言えるデイヴィッド・ジェニングス氏などは、ケンタッキー・スピリットのボトルがリニューアル(同時に値上げも)されたのには相当ガッカリし、ラッセルズ・リザーヴ・シングルバレルの方が愛好家向けにアピールする製品であり、逆にもっとライトな飲酒家向けにはラッセルズ・リザーヴ10年や「ロングブランチ」などがあるため、ケンタッキー・スピリットの立ち位置がブレて消費者への訴求力が落ちているのを危惧して、価格以外に三つの解決策を提案をしています。
第一はボトルの変更です。テイルフェザー・ボトルが高価なのなら、せめて同様の美しさをもった往年のエクスポート版のケンタッキー・レジェンド(101)や「トラディション(NAS)」のようなボトル・デザインに先祖返りするのはどうか?、と。
第二にケンタッキー・スピリットもノンチルフィルタードのバーボンにする。そうすればスタンダードなワイルドターキー101よりも優れた利点が確実に得られる、と。
第三にラベルに樽詰めされた日付も記載する。現在でもボトリングの日付はありますが、ケンタッキー・スピリットが愛好家に向けた製品を目指すのなら、より細部に拘ったほうがいい、と。
そして更には、先ずは一旦ケンタッキー・スピリットの販売を休止し、現在の115エントリー・プルーフのバレルを維持しつつ、昔のような107エントリー・プルーフのバレルも造り、二つの異なるバーボン・ウィスキーを用意、最後に理想的な熟成に達した107エントリー・プルーフのバレルからケンタッキー・スピリット101を造り上げるという提言をしています。これは謂わばジミー・ラッセルのクラシックなケンタッキー・スピリット・シングルバレル・バーボンを復活させるというアイディアです。確かにこれが実現したら素晴らしい…。
ちなみに彼は現在のケンタッキー・スピリットを扱き下ろしているのではありません。ラッセルズ・リザーヴ・シングルバレルとワイルドターキー101の中間にあっては、昔ほど誇らしげに立っていないと言っているだけです。実際、彼はここ数年のケンタッキー・スピリットの高品質なリリースを幾つか報告しています。まあ、少々否定的な物言いになってしまいましたし、今でこそケンタッキー・スピリットの特別さがやや薄れてしまったのも間違いないのですが、それでもその「魂」は眠ってはいないでしょう。ケンタッキー・スピリットはジミーラッセルの元のコンセプトに忠実であり続けるバーボンであり、殆どの場合ワイルドターキー101よりも美味しく特別なバーボンであり、またストアピックのラッセルズ・リザーヴが手に入りにくい日本の消費者にとってはワイルドターキー・シングルバレルの個性的な風味を経験するよい機会を提供し続けています。

改めてケンタッキー・スピリットの中身について触れておくと、その熟成年数はNASながら8〜10年とも8.5年〜9.5年とも言われており、とにかくワイルドターキー8年と同じ程度かもう少し長く熟成されたシングルバレルをジミー・ラッセルが選び(現在はエディ?)、冷却濾過して101プルーフでボトリングしたものです。つまり単純に言えば、冒頭に述べたようにケンタッキー・スピリットは現在でも日本で販売されているワイルドターキー8年101のシングルバレル・ヴァージョンなのです。ジミー自身はケンタッキー・スピリットについて、タキシードを着たワイルドターキー101と表現していたとか。多分、スタンダードな物より格調高く華やいでいる、といった意味でしょう。発売当初のボックスの裏には彼自身の著名でこう書かれました。
時折、完璧なものを垣間見ることがあります。私はいつもそれを上手く説明することは出来ないのですが、或る樽は熟成するにつれて並外れた味を帯びるのです。信じられないかも知れませんが、私は20年以上前の樽を今でも正確に覚えています。ワイルドターキー・ケンタッキー・スピリットは、そのような記憶に残る発見の喜びを与えてくれます。このボトルには、特別な1つの樽から直接注がれた純粋なバーボンが収められており、私はそれを皆さんにお届けすることを誇りに思います。
マスターディスティラー、ジミー・ラッセル
ついでに言っておくと、ケンタッキー・スピリットとラッセルズ・リザーヴという二つの同じシングルバレル製品の違いは、ボトリング・プルーフとチルフィルトレーションを除けば、そのフレイヴァー・プロファイルにあるとされます。現在のマスターディスティラー、エディ・ラッセルによれば、ケンタッキー・スピリットが父ジミーの好みをより代表しているのに対し、ラッセルズ・リザーヴは本質的にエディ自身の好みを代表しているそう。
ケンタッキー・スピリットの味わいについては、先に引用した「天井と床」の喩えで判る通り、アメリカでも日本でも多少のギャンブル性が指摘されています。つまり、ケンタッキー・スピリットはラッセルズ・リザーヴ・シングルバレルと同等かそれ以上に優れている場合もあれば、スタンダードなワイルドターキー101や8年101に非常に似ている可能性もあるということです。これはケンタッキー・スピリット云々というより、シングルバレルの特性上仕方のない面でもあります。通常3桁から4桁のバレルを混ぜ合わせる安価なバーボンは平均的なフレイヴァーになるのに対し、文字通り一つのバレルから造られるシングルバレル製品はフレイヴァー・バランスが異なります。具体的に例を言うと、普段飲んでいるワイルドターキー8年の味が脳にインプットされていて、さあ、いつもより上級なものを飲んでみたいと思いケンタッキー・スピリットを買いました、いざ飲んでみるといつものターキーよりスパイシーでオーキーでした、あれ? いつものほうがフルーティで美味しくない?、となったらその人にはハズレを引いたと感じられるでしょう。こればかりはその人の味覚次第だから。とは言え、本職の方が選んだバレルですから美味しいに決まってますし、それだけの価値があります。ケンタッキー・スピリットは甘くフルーティなものから、ややドライでタンニンのあるものまで様々なプロファイルを示しますが、真のワイルドターキー・ファンならば勇んで購入すればよいのです、好みのもの好みでないものどちらに転ぶにせよ。

ケンタッキー・スピリットはラベルの七面鳥やボトル・デザインの変化でなく、別の視点から概ね三つに分けて考えることが出来ます。ワイルドターキー蒸留所はフレイヴァーフルな味わいを重視し、ボトリング時の加水を最小限に抑える意図から比較的低いバレル・エントリー・プルーフで知られていますが、2000年代にそれを二回ほど変更しました。2004年に107プルーフから110プルーフ、2006年に110プルーフから115プルーフに。これは良かれ悪しかれフレイヴァー・プロファイルが変わることを意味します。また、ワイルドターキー蒸留所は旧来のブールヴァード蒸留所から2011年に新しい蒸留施設へと転換しました。これも良かれ悪しかれフレイヴァー・プロファイルが変わることを意味するでしょう。そこで、ケンタッキー・スピリットの平均的な熟成年数である8年を考慮して大雑把に分けると、

①1994〜2012年の107バレル・エントリー原酒
②2013〜18年の110/115バレル・エントリー原酒
③2019年からの新蒸留所原酒

というようになります。このうち①、特にピューター・トップのものは昔ながらのワイルドターキーの味わいであるカビっぽいコーンや埃のような土のようなオーク香があり複雑な風味があるとされます。②は①のようなファンクが消え、ライトもしくはいい意味で単純な傾向に。③は前出のDJ氏によれば、選ばれたバレルによっては「床が上がっている」そうです。そこで今回は、私の手持ちのケンタッキー・スピリットの年代が異なるもの2種類と、先日投稿したワイルドターキー8年101の推定2019年ボトルを同時に飲んで較べてみようという企画。実を言うと投稿時期が違うだけで、3本をほぼ同時期に開封しています。

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WILD TURKEY KENTUCKY SPIRIT Single Barrel 101 Proof
Bottled on 01-14-16
Barrel no. 2830
Warehouse O
Rick no. 2
2016年ボトリング。ややオレンジがかったブラウン。接着剤、香ばしい焦樽、香ばしい穀物、ローストナッツ、コーン、ライスパイス、ブラックペッパー、若いチェリー、ハニーカステラ、ナツメグ、アーモンド。口当たりはややオイリー。パレートは基本的にグレイン・フォワードで、甘みもあるが飲み込んだ直後はかなりスパイシー。余韻はミディアム・ロングで豊かな穀物と共に最後にワックスが残る。

8年101と較べて良い点は口当たりがオイリーでナッティさが強いところでした。悪い点は接着剤が強すぎるのと荒々しい「若さ」があるところ。全体的には、スパイス&グレインに振れたバーボンという印象。また、101プルーフよりも強い酒に感じるほどアルコール刺激を感じます。正直言って8年101の方がマイルドで熟したフルーツ感もあり私好みのバランスでした。
Rating:86.5/100

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WILD TURKEY KENTUCKY SPIRIT Single Barrel 101 Proof(Pewter top)
Bottled on 10-5-95
Barrel no. 63
Warehouse E
Rick no. 47
1995年ボトリング。やや赤みを帯びたブラウン。ヴァニラ、湿った木材、オールド・ファンク、ベーキングスパイス、ブラッドオレンジ、紅茶、タバコ、土、漢方薬、ドライクランベリー、鉄、バーントシュガー。アロマはスパイシーヴァニラ。口当たりは柔らか。パレートはフルーティな甘さにスパイス多め。余韻はハービーで、マスティ・オークが後々まで長く鼻腔に残る。

2016年のケンタッキー・スピリットが若さを感じさせたのに対して、こちらは寧ろ近年飲んでいたマスターズ・キープ17年のような超熟バーボンを想わせる味わいです。今回私の飲んだ8年101と較べても、90年代の8年101と比べても、ハーブぽいフレイヴァーが強く複雑ではあるのですが、あまり私の好みではありませんでした。
Rating:87.5/100

Verdict:95年ピュータートップに軍配を上げました。比較として飲んでいた8年101の方が自分好みではあったのですが、やはり特別な味わいではあると思ったし、2016年物は軽く一蹴したからです。


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先日、Kazue Asaiさんの個展が開催されている「お酒の美術館」中野店へ行ってきました。只今絶賛開催中な訳ですが、早くも行った方々はだいたい写真付きで各種SNSにて紹介されています。そこで私も、距離的時間的に行きづらい人もいるかと思いますので、こちらでイラストの紹介をしておきます。お店については以前に投稿したこちらを参照下さい。

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これらのうち何点かは既に売約済みとなっています。欲しいものがある方はなるべく早めに行って即断することをオススメします。個人的にはアーリータイムズやオールドクロウのガールなんかイチ推し。

私が行ったのが平日でないこともあったでしょうか、或いは営業時間短縮の都合で人の出入りが集約したのか、お店は思っていた以上に大盛況でした。オープンからひっきりなしにお客さんが来店して、時間帯によってはお店に入れず「待ち」の人もいるほど。駅近の繁華街ど真ん中、しかも提供価格が安価、そこに来てアーティストさん目当ての方も来るとあっては当然なのかも知れませんね。

今回、私はkazueさんご本人に同行してもらっています。そのお陰で、彼女のお祝いに駆けつけた、私個人では普段出会うことのない作家さんたちお三方と同席することにもなり、刺激的なお話しや楽しい会話を聴くことが出来ました。出会った皆さん、そしてKazueさん、ありがとうございました!

そう言えば、Kazueさんが完成したイラストを手渡しているところや、新たに似顔絵イラスト作成の依頼をされている現場を直に目の当たりにしたりもしました。お酒の美術館にちなんで、そこに飾られているような人とお酒のイラスト、具体的には依頼者本人(もしくは写真があれば他人でも可)と指定の銘柄のお酒(好きなお酒、例えばアードベッグでも山崎でも)を描いてもらえるのです。誕生日プレゼントにするという方もいました。いくつか拝見させてもらいましたが、完全にKazueさんのタッチでありながらちゃんとご本人の特徴をよく捉えたイラストになっており、これは買って嬉しいもらって嬉しいイラストだと思います。とてつもなく薄いハイボールを飲んでいる方を見かけたら、それがKazueさん本人かも知れません(作家が自らの個展に在廊するように、開催期間中はKazueさんもよくお店に出没します)。もしお店に行かれることがあり、Kazueさんを見かけたら、貴方もイラストを依頼してみるのも一興ではないでしょうか?

さて、言うまでもなくここはバーでもありますから当然お酒を注文します。私としても何かしらオールドバーボンを飲むことは目的の一つでもありました。しかし、実は当日の私は湿気にやられたのか体調が思わしくなく、残念ながら結果的に一杯しか飲めませんでした。始まりの一杯が終わりの一杯となったのです…。あとはジンジャーエールだけ飲みました。軽いものから始めようと思い選んだのは、トップ画像で分かる通りビームズ・チョイス。では、飲んだ感想を少しばかり。

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BEAM'S CHOICE Green Label 86 Proof
店員さんによると88年ボトリングとのこと。ネックに「ウイスキー特級」の表記がありますね。ラベルに「8」とありますが、「Year」はないのでNAS扱いとなります。おそらく、この頃の物は熟成年数は5年くらいなのではないでしょうか。先ず、現行ビームの特徴とされるピーナッツ(またはダンボール風味)は全く感じません。また、現在自宅で開けている90年代のブラックラベル8年と比較してもかなり異なり、熟成年数の違いにもかかわらず、こちらの方がメロウかつ濃いダークフルーツを感じました。あまり酸味もなく、好ましい要素ばかりで、86プルーフにしてはフレイヴァーも強い。ここら辺に、特級表記に拘るウィスキー通の方や、或いは88年〜92年あたりのバーボンを至高と考えるマニアの方の、好ましいと感じる点がわかり易く現れているのかも知れません。状態も良かったのだと思います。これはオススメ。
Rating:86/100

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今回はウィレット蒸留所の代表的なブランドであるオールド・バーズタウンのラインナップの一つエステート・ボトルドです。オールド・バーズタウンのブランド自体の説明は以前に投稿した現行スタンダードのレヴューを参照ください。
エステート・ボトルドの起源はよく分かりません。ネット検索で知り得る限りでは15年熟成の物が最も古いような気がするのですが、どうでしょう? 私が見たものには、年式を90年と95年としているものがありました。エステートのラベルは、80年代から日本に輸入されていた当時のスタンダードである馬の頭と首だけの描かれたブラック・ラベルと違い、初期と同じ「オールド・レッド・ホース」の佇む絵柄です。そこからすると、より上位の物にスタンダードの丸瓶や角瓶とは異なるずんぐりしたボトルを採用し、そのトップをワックスで浸し、中身は101プルーフでボトリング、そして伝統的な絵柄のラベルを貼り付けることでプレミアム感を出したのがエステート・ボトルドなのかな、と推測しています。「Estate Bottled」というのがどういった意味かはよく解りませんが、エステートは一般的に「財産、遺産、不動産、土地」などの意味なので、「Family Reserve」や「Private Stock」とほぼ同じような意味なのではないでしょうか。上の意味の他に「種馬」の意味もあると書かれた辞典もありましたから、もしかするとお酒のラベルでよく使われるファミリー・リザーヴやプライヴェート・ストックを敢えて避け、馬のラベルに関連付けてエステート・ボトルドにしたのかも知れませんね。また、常にボトリングが101プルーフであることを考えると、ボトルド・イン・ボンド規格以上ですよと云う意味合いで「Bottled」をかけているのかも。仔細ご存知の方はコメントよりご教示ください。で、その15年熟成の物は、おそらく日本向けか一部の市場のみでの販売と思います。販売された年代と熟成年数から考えると、中身は旧ウィレット原酒であってもおかしくはないでしょう。
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その後、高齢原酒の不足のためか、いつの頃からか10年熟成の物に切り替えられました。この10年表記の物はアメリカでも流通していたようなので、もしかすると切り替えと言うよりはそもそもアメリカ国内向けと輸出用を分けていたのかも知れません。例えば、15年熟成は日本へ90〜95年に少量輸出、10年熟成はアメリカ国内にて90年代後半に発売とか? ともかく、いつから販売されていたかは私には判らないです。そしてもう少し後年、おそらく2008年あたりに熟成年数を表すシールの貼られてないNASになったと思われます。これは確実に長期熟成原酒の不足が理由でしょう。緩やかにではありましたが、2000年代を通してバーボンのアメリカ国内需要は復調していったのです。10年やNASの中身は、おそらくヘヴンヒル原酒の可能性が高いと見られています。

1970年代にバーボンの売上げが劇的に減少し、折からの石油不足が燃料用アルコールへの投資を促すと、投資家はウィレット蒸留所の飲料用アルコール生産を止め、燃料用の生産にシフトしようとしました。しかし、それは使い物にならない機器を残し失敗に終わりました。ありがたいことに、エヴァン・クルスヴィーンは平常心を保ち、一家をバーボン業界に留めるため、1984年にケンタッキー・バーポン・ティスティラーズ(KBD)というボトリング事業を始めます。エヴァンはその後の約30年間、他の蒸留所からウィスキーを購入し、オールド・バーズタウンを守り続け、新しいブランドも創り上げながら、伝統ある自身の蒸留所の再開を夢見ていました。2012年に漸く彼のその夢は叶い、蒸留所は再び蒸留を開始します。2016年になると自家蒸留されたオールド・バーズタウンの二種類(スタンダード90プルーフとボトルド・イン・ボンド)が販売され出しました。
エステート・ボトルドがいつから新原酒になったのか定かではありませんが、6年熟成とされているところからすると、早くて2018年あたりなのでしょうか? ところで、新しいスタンダード90プルーフとボトルド・イン・ボンドのラベルは、どちらもウィレット蒸留所によって蒸留および瓶詰めされていると記載されていますが、対してエステート・ボトルドの私の手持ちのボトル、またそれ以前のボトルのラベルには、蒸留はケンタッキー、ボトリングは「Old Bardstown Distilling Company」によりされたと記載されており、海外ではこれをウィレットが蒸留していないバーボンを販売するときに使用される戦術とする向きもあります。まあ、概ねそうなのかも知れませんが、旧来のラベルはなくなるまで使い続けられることもあるし、そのバーボンの名をDBAとして使用した蒸留所名だからといって全てがソーシング・バーボンとは限らない気が個人的にはしています。現に私の手持ちのボトルは確実に新ウィレット原酒です。おそらく実店舗では、現在日本で流通しているエステートの殆どは新原酒を使用している筈。とは言え、オークションや売れ残りで旧来のエステートが販売されていることも稀にはあるでしょう。そこで旧と新の目安とするならラベルよりもボトル形状に着目して下さい。最近流通しているボトルはネックにやや丸み(膨らみ)のあるものが採用されています。
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或いはボニリが正規輸入している物は新原酒と聞き及びますので、裏のラベルを目印に購入するとよいでしょう(*)。
では、そろそろバーボンを注ぐ時間です。ちなみにエステート・ボトルドは、スタンダードやBiBと共通のハイ・コーン・マッシュビル、そして上述のように6年熟成、スモールバッチ(21〜24樽)でのボトリングとされています。

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OLD BARDSTOWN ESTATE BOTTLED 101 Proof
推定2020年?ボトリング。焦げ樽、焼きトウモロコシ、プロポリス配合マヌカハニーのど飴、麦芽ゼリー、ミロ、ミルクチョコレート、熟したプラム、蜂蜜、レモン。液体はさらさらしているが、口当たりはややオイリー。パレートではモルティなグレインを強く感じる。余韻はややあっさりめと思いきや、穀物の旨味が広がり、最後にコーヒーの苦味。
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Thought:先ず、スタンダードの4年と比べて2年の熟成期間の追加でかなり印象の違うものになっているのが驚き。スタンダードはフルーティさが強かったのに対して、エステートは味わいに凄くモルティさを感じました。私はフルーツ・フォワードなバーボンが好きなので、実はスタンダードの方が美味しく感じたのですが、私のレーティングは味だけで採点していないためエステートの方を上にしています。スタンダードではあまり感じなかった甘いミルクチョコやココアのような風味は、追加の熟成期間で育まれたと思われ、やはりそこは評価すべきかと。現行のバーボンとオールドボトルの様々な違いの要因について言われていることの一つに、昔は商業用酵素剤を使わずモルトを多く使用していたと云うのがありますが、このエステートにはそういった古のバーボンらしさがあるのかも知れません。同じウィレット蒸留所の同レヴェルの製品と目されるケンタッキー・ヴィンテージやピュア・ケンタッキーXOと比べても、マッシュビルの違いからか共通なフレイヴァーもありつつグレイン感の旨味が強いように感じます。どれが好きかは貴方の味覚や感性によって決まりますが、どれもハイ・クオリティで頗る美味しいです。

Value:日本では大体3500円前後。もうね、買え、そして飲め(笑)。オールドボトルでも長熟でもないバーボンの魅力が詰まってますよ。


*誤解のないように言っておくと、これはネックに膨らみのある物やボニリの物だと新原酒である蓋然性が高いと言うことであって、ストレートネックや並行輸入が新原酒ではないと言いたいのではありません。あくまで、ぱっと見で新原酒を購入したい人へ向けたアドヴァイスに過ぎないのです。

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(画像提供K氏)

現在、絶大な人気を誇るブランドとなったブレットは、次第にそのラインナップを拡張して来ました。スタンダードなバーボンから始まり、2011年からはライ・ウィスキー、2013年からは10年熟成のバーボン、2016年からはバレル・ストレングス、2019年からはシングルバレル・バーボン、また同年には12年熟成のライ、そして2020年にはブレンダーズ・セレクトがリリースされると言った具合です。
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今回取り上げるバレル・ストレングスは、当初はディアジオ所有であるルイヴィルのスティッツェル=ウェラー蒸留所のギフト・ショップやケンタッキー州のみでの販売でしたが、その後徐々に全国的に販路を拡げて行きました。ネット上で流布している情報では、同社の他の製品と同様、ハイ・ライ・マッシュビル(コーン68%、ライ28%、モルテッドバーリー4%)を使用しているとされていますが、レシピに関しては後述します。他のスペックは、NAS(5〜8年熟成のバーボンのブレンド)、無加水、ノンチルフィルタード。スティッツェル=ウェラーの倉庫で熟成、そこの施設でのボトリングとされています。小売価格は概ね750mlのボトルで50ドル前後。バレル・ストレングスはこれまでに幾つかのバッチがリリースされており、それぞれのプルーフは120プルーフ(60%ABV)前後となっています。ネットで調べられる範囲で見つかったのには以下のようなバッチがありました。

バッチ#なし、59.5%ABV(119.0プルーフ)
バッチ#なし、59.6%ABV(119.2プルーフ)
バッチ#2、62.7%ABV(125.4プルーフ)
バッチ#3、61.7%ABV(123.4プルーフ)
バッチ#4、61.7%ABV(123.4プルーフ)
バッチ#5、62.7%ABV(125.4 プルーフ)
バッチ#6、58.3% ABV(116.6プルーフ)

基本的にブレットは販売しているウィスキーの原産地を開示していません。ブレット・フロンティア・ウィスキーの歴史は調達と契約蒸留の歴史であり、ソースが分かっている物とそうでない物がありますが、バレル・ストレングスは分からない方に属します。一応、念の為にここらでブレットの来歴をお浚いしつつ、原酒の変遷を見て行きましょう。これは以前投稿したブレット10年のレヴューで纏めたブランドの歴史を補足するものです。

ブレット・ブランドの創設者トーマス・E・ブレット・ジュニアことトム・ブレットは、ルイヴィルで生まれ育ちました。小学校は聖フランセズ・オブ・ローマ学校、高校はトリニティ・ハイスクールに通いました。いつの時代か明確ではありませんが、本人によればバーンハイム蒸留所で働いていた(バイト?)と言います。トムは1966年にケンタッキー大学を卒業した時、「第二次世界大戦の退役軍人で、非常に真面目な人」だった父親に将来マスターディスティラーになりたいと告げました。しかし父親は「いや、お前はそうじゃない、軍隊に入るんだ」と答えました。それまで「パッとしない学生」だったトムは、「軍隊は君を成熟させる」と世に言われるように、実際そこへ入ってみるとその通りになったようです。また彼の父親は「お前は弁護士になれ」とも伝えていました。今では若くとも、もっと自由に職業を選べる時代ではありますが、トムは「私の世代では父親の言うことを聞いていた」と語っています。
トムはベトナムでの兵役中、LSAT(※エルサット=「Law School Admission Test」の略。法学を専門とするロースクールに入学する際に受ける入学試験)を受験し、一回目の受験で好成績を収めました。1969年に海兵隊を名誉除隊すると、ルイヴィル大学のブランダイス・スクール・オブ・ローに入学し、その後ワシントンDCのジョージタウン大学に進学、そしてレキシントンで法律事務所を開設するまで米国財務省に勤務したそうです。しかし、法律の実務経験を積む中でもトムのバーボンを造りたいという想いは途切れることがありませんでした。最終的にスピリッツ・ビジネスの開始を決めた時には、例の父も「それはお前と銀行家との間の問題だ」と言ったとか。

1987年、ブレット・ディスティリング・カンパニーを設立することにより、トム・ブレットは蒸留酒業界へと足を踏み入れます。古い家族のレシピによるウィスキーを復活させるのが念願でした。それは1830〜1860年にかけてルイヴィルのタヴァーン店主だったという曾々祖父のオーガスタス・ブレットが造っていたとされるライ麦が高い比率を占めるウィスキーを指しています。彼は1860年頃、フラットボートに樽を一杯に載せ、ケンタッキーからニューオリンズへとオハイオ・リヴァーを下り売却に向かう輸送中、行方不明となり帰っては来ませんでした。それでもオーガスタスが造ったウィスキーのレシピはトムに伝わっていました、と。これが今日マーケティングで広く使用される創業当初の物語です。しかし、オリジナルのブレットは今のブレットとは大きく異なり、そもそも家族の歴史を殊更持ち出してはおらず、代わりに別のケンタッキーの遺産である競走馬をフィーチャーしていました。その最初のブランドは1989年に「サラブレッド・ケンタッキー・バーボン(NAS、86プルーフ)」として市場に送り出されます。このラベルはバーボンによくありがちなデザインで、ボトルにしても他のブランドにも採用される伝統的なものでした。おそらく数年(89〜92年?)しか流通しておらず、販売量も少なかったと思います。当時のアメリカ国内のバーボン需要を考慮すると、日本市場での販売を主目的としていた可能性もあるでしょう。
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ブランドは1992年に「サラブレッド」から「ブレット」に変更されました。トムの娘のホリス・B・ワース(*)によると、自分がアイディアを出したと主張しています。「彼(トム)はウィスキーを調達していたので、もう少し目印になるものを付けたいと望んでいました。そこで私は『ブレット』という名前を付けるべきだと言いました。なぜ私達(家族)にちなんで名付けないの?」と。しかし、トム自身からは全く異なる説明がなされており、彼は1992年に日本貿易振興機構の後援で日本を訪れた時、ブランド名について考え直し始めたと言います。「私はサラブレッド(バーボン)と一緒にそこに行きましたが、彼らから受けたアドヴァイスは、それがあまりにも地味過ぎ、あまりにも一般的過ぎ、高級感が足りていない、ということでした」。そこで彼はアメリカへ戻ると、当時メリディアン・コミュニケーションズにいたフラン・テイラーのもとに相談しに行きます。トムは彼女とそのデザイナーに、より良いパッケージを考え出し、彼が既に用意していたボトルに合わせてラベルをデザインするよう依頼しました。この打合せ時にフランからバーボンの名前をサラブレッドからブレットに変更する提案を受けたそうです。 フランは、「私が最初にそれを言いました。相手の気持ちを傷つけるのではないかとヒヤヒヤしましたが、ブレットは素晴らしい名前だったので、なぜブレットにしないのでしょう?って」と述べています。「そして、私が彼に会う度に大勢の人と一緒にいるような時には、私をブレット・バーボンに名前を変えるよう説得した人物だと紹介してくれます」とも。

そのブレット家の名を冠したオリジナルのバーボンは、1995年に初めてリリースされたと見られています。90プルーフのスタンダードな物と、100プルーフで「サラブレッド」の文字と馬のスケッチがラベルに含まれたより上位の物の二種類がありました(上掲画像参照)。これらはエルマー・T・リーやウェラー・センテニアルによって有名になったスクワット・ボトルに入っていました。日本にはブレット・サラブレッドの方のみが輸入されていたと思われます。ここまでのブレットの原酒はフランクフォートのエンシェント・エイジ蒸留所(現バッファロー・トレース蒸留所)が契約蒸留しているとされ、ボトリングも同所でされているでしょう。トムによると、当時の蒸留所施設内に彼のオフィスがあったそうなので、業務提携というのかベンチャー企業というのか、そういうビジネス形態だったようです。ただ、この頃のブレットを飲んだアメリカの或る方は、ダスティ・オールド・チャーター7年を想い起こさせ、おそらく同じバーボンだろうと言っていました。もしそれが正しいのであれば、樽買いの可能性もあるのかも知れません。エンシェント・エイジ蒸留所とオールド・チャーターを造っていたルイヴィルのバーンハイム蒸留所は長い間親会社がシェンリーという共通項があり一種の親戚関係のような間柄でしたから、在庫の共有のようなことをしていた可能性も考えられるのではないかと…。飲んだことのある皆さんはどう思われましたか? コメントよりお知らせ頂けると助かります。まあ、それは偖て措き話は続きます。

ブレット・バーボンがリリースされて間もなく、トム・ブレットは当時世界最大のスピリッツ会社の一つであったシーグラムからアプローチを受けます。聞くところによると、シーグラムは西部開拓時代をモチーフにしたバーボンをリリースすることを望んでおり、そのためのブランドを模索していたらしい。当初は、西部劇と言えば銃ですから弾丸を意味する「Bullet Bourbon」という名称を予定していたものの、弾薬や銃器を連想させる酒類を販売することは広報上よろしくないと判断し取り止めます。次にケンタッキー州ブリット郡にちなんで「Bullitt Bourbon」はどうかと考えていました。そこへひょっこりと現れたのが「bulleit Bourbon」で、シーグラムは小さなブランドであるブレットの存在を知ると、単純に確立された商標を購入する方が楽だと考えたと云うのです。大企業シーグラムと優秀なビジネスマンのトム、両者の思惑が一致したのでしょうか、1997年にブレット・ディスティリング・カンパニーはシーグラムに買収されました。シーグラムはトムをコンサルタントとして雇い、ブランドの顔となるアンバサダーとしての契約もオファーしたようです。ブレットというブランドにとってトムは常に重要な存在でした。彼はレシピについては生産者と、ブランドのメッセージ性や外観については広告代理店やデザイン会社と協力し、マーケティングおよびパッケージングを完成されたものにして行きます。

現在のブレット・ブランドの目覚ましい成果は、トムは勿論、後のディアジオの力が大きく与っているかも知れませんが、バーボン市場での立ち上げとポジショニングはシーグラムに関連した人々によるものでした。トムが自身の会社をシーグラムに売却した翌年、新しい親会社はブランドのニュー・コンセプトを開発するプロジェクトに着手することを決定します。シーグラムに雇われた元DDB(ドイル・デイン・バーンバック)の共同アート・ディレクターであったジャック・マリウッチとボブ・マッコールはトムと協議を繰り返しました。そこで出てきたのがトムの祖先の物語であり、それをトム自身の物語とフロンティア・ウィスキーのコンセプトに重ね合わせるという手法でした。祖先というのは前出のオーガスタス・ブレットのことです。その起源の物語はバーボンのテーマである「フロンティア・ウィスキー」をアピールするためのマーケティング上の言葉の綾、おそらくはフィクションでしょう。19世紀にブレット・バーボンが市場に出回っていたかどうかは、彼らには関係のないことでした。トムの提案は、このブランドの起源がオーガスタス・ブレットにあること、そしてブランドの信頼性が高ければこのブランドは勝者になれること、この二点です。シーグラムの上層部はそれに全面的に同意しました。バーボンは昔から「伝統」が強調されて来た商品です。そのためマーケターにはブランドのレシピが大昔に遡ると主張することで関連性と信頼性を示したいという誘惑が常にあります。多くの殆どの消費者は、ブランドの歴史や背景にはあまり関心がなく、細かいことは気にしません。耳触りの良い興味を惹くようなストーリーがちょっと聴ければ十分なのです。そこでマーケターは物語を誇張したり改竄したりと知恵を絞る訳ですが、あまりやり過ぎはよくありません。特に実在の人物についてそれをやる場合はリスクを伴います。後に、第三者による系図の調査により、オーガスタスの経歴に関する主張は、マーケティングのプロが作り出したホラ話であることがほぼ証明されました(**)。まあ、それは措いて、話は現在も維持されている新生ブレットのボトル・デザインに移ります。

シーグラムはボトルのための第一候補となるデザイナーを探す網を世界中に張っていました。ドイツでもブラジルでも、世界のあらゆる場所で探したそうです。そして最終的に、デザイナーにはオレゴン州ポートランドのサンドストロム・パートナーズのスティーヴ・サンドストロムが選ばれました。サンドストロムはジャック・マリウッチから連絡を受け、彼とそのパートナーのボブ・マッコールがフロンティア・ウイスキーを中心に考え出したコンセプトについて話されたと言います。彼らはトムの名前、彼の物語、家族の起源の物語、それら全てがフロンティア・ウィスキーのコンセプトにとてもよく合っていると思っていました。サンドストロムの仕事は、パッケージにそのストーリーを反映し、実現させることでした。彼はまた、コンサルティング業務に携わっていたトム・ブレットとも会います。サンドストロムはケンタッキーに赴くと、トムは彼をウィスキー博物館と幾つかの蒸留所を連れ回ってバーボンについて教えてくれたそう。しかし、現在生産されているブレット・バーボンの高度な様式美を誇るボトル・デザインの主なインスピレーションとなったのは、オレゴン州の骨董品店で見つけた古いボトルでした。サンドストロムはその「クレイジーで奇妙な楕円形の物」を見て、エンボス加工を施して下の方にラベルを貼ろうと思い付きました。これは本当に一風変わって見えるだろうな、と。 また、彼は当初ボトルの色をダーク・オリーヴ・グリーンにすることを想定していました。その方がユニークなオレンジ色のラベルが映えると考えたからでした。しかし、シーグラムは消費者がウィスキーの色を確認できるように考慮して透明なガラスを使用することにします。こうして、ボブ・マッコールが中心となって考えられたフロンティア・ウイスキーのコンセプトは、オールド・ウェストの薬屋やスネイク・オイル・セールスマンが薬を売るために使っていたアポセカリー・ボトルを模した形状に「ブレット・バーボン」と「フロンティア・ウィスキー」の文字をエンボス加工したボトル、わざと斜めに貼られたラベル等によって完璧に体現され、パッケージは完成しました。
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見た目を一新したブレット・バーボンは1999年にアメリカ市場に導入されました。2000年にはオーストラリア、イギリス、ドイツに導入されたそうです。中身に関しては、おそらくエンシェント・エイジ蒸留所で生産されていたバレルがなくなった後、当時シーグラムの所有していたローレンスバーグのフォアローゼズ蒸留所の原酒に切り替えらました。

それまで順調に帝国を築いて来たシーグラムも、90年代に手を染めていたエンターテイメント事業の収益が上がらず、メディア事業の拡大を進めていたフランスの企業ヴィヴェンディと合併、2000年12月、シーグラムの事業は終わりを迎えます。酒類部門の資産はイギリスのディアジオとフランスのペルノ・リカールによって分けられ、2001年にディアジオはブレットを含む有名なブランドを買収し、シーグラムからトム・ブレットのコンサルティング契約とロイヤリティ契約を継続して更新しました。 また、彼らはフォアローゼズ蒸留所との契約も延長し、ブレット・バーボンの供給元として存続させます。
オールド・ウェストなスタイルのボトルを採用していたためか、HBOで2004年3月21日から2006年8月27日にかけて放送された1870年代のデッドウッドを舞台とした人気シリーズ、その名も『デッドウッド』という西部劇TVドラマのエピソードにブレットは登場し(他にもベイゼル・ヘイデンズやオールド・ウェラー・アンティークが使われた)、知名度を高めて販売を促進したと言います。ディアジオもシーグラムに倣い、ブレットを家族経営の会社に見せるための多大な努力をして来ました。架空の起源の物語を相変わらず使用し、もしかするとより上手く誇張したかも知れません。優秀なビジネスマンのトムはアンバサダーとして精力的に各地を宣伝して回りました。バーテンダーから高い支持を得たブランドは今日、著しい成長をみせ、世界で四番目に大きいバーボン・ブランドになったとされています。

では最後にもう一度、原酒の話を。フォアローゼズ蒸留所は10年以上ブレットのソースであり続けました。ディアジオは他のブランドのために複数の蒸留所から原酒を購入していましたが、ブレット・バーボンには2013年末までフォアローゼズ蒸留所が唯一の供給元だったと推定されています(2014年3月で終了という説もあった)。フォアローゼズ蒸留所は低迷期にNDP(非蒸留業者)に相当量のバーボンを供給していたと見られ、ディアジオは最大の顧客だったのかも知れません。しかし、キリンが2002年にフォアローゼズを買収してからは自社のバーボン人気が徐々に成長し、ブレットも需要が高まったため供給が難しくなった、それがディアジオとの契約を更新しなかった理由でしょう。おそらくラベルにローレンスバーグの記載のある物は、原酒がフォアローゼズ産100%で間違いないと思います。
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現在のブレット・バーボンを誰が造っているのかは公開されていません。ブレット10年だと、熟成年数を考慮すれば単純計算で2023年まではフォアローゼズ産の確率は高い。問題はスタンダードなボトルやシングル・バレル、そして今回レヴューするバレル・ストレングスです。ディアジオはブラウン=フォーマンと長年に渡り蒸留契約を結んでいるとか、またバートンやジムビームもディアジオにバーボンを供給していると噂されています。一説にはジムビームだと言う人もいれば、一説にはジムビーム、バートン、フォアローゼズのミックスだと推測する人もいます。そこへ今後は2017年シェルビー・カウンティに設立した新しい蒸留所の原酒も加わって来るのかも知れません。何の目的か今のところよく分かりませんが、ディアジオは更にマリオン郡レバノンにもファシリティを建てています。
では、そろそろバーボンを注いでみましょう。日本では一般流通していないブレット・バレルストレングスを試飲できるのは、バーボン仲間のK氏からサンプルを提供してもらったおかげ。画像提供も含め、この場を借りてお礼を言わせてもらいます。今回もありがとうございました。バーボン繋がりに乾杯!

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推定2016年ボトリング。バレルプルーフにしては薄めの色合い。香ばしい穀物、ライスパイス、木質の酸、クッキー、白胡椒、ドライオーク、生姜、弱い柑橘類、うっすらナッツ。グレイニー&スパイシーなアロマ。口当たりはバレルプルーフに期待するオイリーさには欠け、僅かなとろみくらい。飲み口は暴れる系、液体を飲み込んだ直後もガツンと強烈。余韻はライの穀物感と木材のドライネスで、さっぱり切れ上がる。
Rating:84.5/100

Thought:かなりライ・ウィスキー寄りのバーボンという印象。まあ、それ自体はいいとしても、どうもフルーツ・フレイヴァーが弱くスパイシーな傾向に偏っていて、私の好みではありませんでした。もしかすると、もう少し時間を経過させるとアルコール感が減少してフレイヴァーを取りやすくなるのかも知れません。一応その代わりに一滴だけ水を垂らしてみたのですが、フレイヴァーに変化は感じられませんでした。本当に5〜8年も熟成してるの?と言うぐらいメロウさにも欠け、以前飲んだブレット10年の方が断然香りも味わいも芳醇です。他のバッチの海外のレヴューを読むと、これよりもう少し美味しそうに思えたのですが、このバッチは比較的低評価が多いように見えました。中には「私はこれに非常に失望しました。風味、深み、味が不足していました。これが持っていたのはハイプルーフの熱だけでした。同じ量のアルコール含有量でおそらくもっと味が良いものをより安く買うことが出来ます。これにお金を無駄にしないで下さい」と酷評されている方がいまして、私も概ね同意です。
偖て、このバレル・ストレングス、原酒はどこ産なんだ?という件ですが、推定2016年ボトリングというのか正しいのであればフォアローゼズの可能性は高いでしょう。これと同じ物と見られるバレル・ストレングスを飲んだアメリカの或る方は、その人の「味覚では間違いなくフォアローゼズ」と言っていました。ただ、個人的には私がこれまで飲んで来た旧来のフォアローゼズ産のブレットに想い描く味とは完全に別物という感想でした。まあ、私の味覚は当てにはなりませんけれども…。もしフォアローゼズならば、最もスパイシーとされるOBSKとか? そんな味わいに思います。或いは誰かが言うように他蒸留所とのミックスなのでしょうか? 少なくとも2020年の情報では、フォアローゼズはディアジオ向けの蒸留は行っていないものの、自社の施設でディアジオのバレルを熟成させていることを認めています。それはバレルではなくタンカーでブレットに送られるそうです。タンカーで送られるということは、バレルから投棄された原酒が混ざっているため、シングルバレルでないことを意味します。ならばそれはブレンド用ということになり、バレル・ストレングスにもフォアローゼズ原酒をブレンドすることは出来るでしょう。

ところで、気になるのはブレットのマッシュビルと言うかレシピ。そのヒントになるのが2019年に新しくブレット・バーボンに仲間入りしたシングルバレル(104プルーフ、希望小売価格60ドル)です。シングルバレルを購入しようとするリカー・ストアのオウナーはブレットの施設に行くか郵送でサンプルを受け取るか選べるそうです。ブレット施設へ行った方によると、10の異なるレシピから選ぶことが出来ると言われたらしい。え? まるでフォアローゼズやん? バレルのヘッドがヤスリがけされているためDSPナンバー(中身のバーボンが蒸留された場所)は確認できなかったとのこと。ブレットのスタッフは、どの樽にどのレシピが入っているかは特定できないけれど、中身の熟成年数は教えてくれるそうです。更にスタッフはバレル内の液体は「あなたが思っているようなものではない」と繰り返したと言います。これはフォアローゼズではないという意味でしょう。
実はブレットのシングル・バレル・ピックは、名称が違うだけで中身はフォアローゼズ・シングル・バレル・ピックと大体同じなのではないか?という疑いがバーボン愛好家の間で持たれていました。長らくフォアローゼズ蒸留所がブレットに供給していたのが知られ、尚且つ10のレシピがあると聞けば、そりゃあそう思いたくもなります。なるほど、そもそもフォアローゼズはブレットに10レシピ全てを提供しているのか、と。実際、ウィスキー・ニートのクリストファー・ハートはフォアローゼズ蒸留所を訪れた時にディアジオの略号「DG」とマークされたOBSVレシピのバレルの写真を撮っています(推定2018年末撮影)。そこで彼は真実を知るために、ブレットのバレル・プログラムの責任者メリッサ・リフト、同社のPR担当アリソン・フライシャー、そして、ディアジオのブランドを率いるグローバル・ブランド・ディレクターのエド・ベロらに話を聞きました。すると彼らはブレット・シングルバレルのセレクションは、パッケージの違うフォアローゼズ・シングルバレルのボトルでないことを断言しました。すぐ上にも書いたように、フォアローゼズの原酒はブレットへはタンカーで送られます。タンカーで出荷されたバーボンを再度バレリングするのはコストが掛かるし、それは「シングルバレル」とは呼べません。シングルバレル・プログラムの液体は全てバレルで到着し、その後、現地(おそらくスティッツェル=ウェラーの倉庫)で熟成されていると言います。原酒を供給している4つの蒸留所については明言を避けたものの、フォアローゼズでないことだけは強調していたそうです。また、フォアローゼズのレシピに関する質問に対しては、具体的に幾つとは言えないが、インディアナ産のライを除いて、我々は一つの蒸留所から調達している訳ではなく、常に複数の蒸留所から調達しブレンドしている、と述べています。エドによれば、彼が2014年頃にブランドに参加した時から既にこの方法でそれを行っていたらしい。そして、個人的に最も興味をそそられたのがマッシュビルです。ブレットのロウ・ライ・マッシュビルは75%コーン、21%ライ、4%モルテッドバーリー。ハイ・ライ・マッシュビルは60%コーン、36%ライ、4%モルテッドバーリーだそうです。対してフォアローゼズの「E」マッシュビルは75%コーン、20%ライ、5%モルテッドバーリー、「B」マッシュビルは60%コーン、35%ライ、5%モルテッドバーリーです。ライとモルトが1%だけ異なり、イーストもフォアローゼズとは別だと言っています。これは私の憶測ですが、この「1%」だけの違いは、従来品と同じようなフレイヴァー・プロファイルをクリエイトするために、基本的にフォアローゼズをコピーしようとしているからだと思います。それを別の蒸留所に依頼して造ってもらっていれば、イーストが違うのは当然なのでマッシュビルを微調整したのではないかと。まあ、それはいいとして、じゃあ従来からよく知られたあのマッシュビルは何なの?という疑問が生まれます。
ブレット・バーボンを検索した時にヒットするどのウェブサイトでも、大概ブレットのマッシュビルはコーン68%、ライ28%、モルテッドバーリー4%と書かれています。これはブレット側から公表された数値でしょう。私はこれを見て、フォアローゼズがそのマッシュビルでイーストはV、K、O、Q、Fのどれかを使い契約蒸留しているのだろうと思っていました。そして、フォアローゼズとの契約が終わった後は、別の蒸留所がそのマッシュビルで蒸留をしているのだろうと思っていました。ところがブレットはロウ・ライとハイ・ライを造り分けていると言います。そこで、その両マッシュビルのコーンとライのそれぞれを足して2で割ってみると、コーンは67.5、ライは28.5となり、概ね公表されたマッシュビルと近い数値が出ます。おそらく、ブレットがこれまで明かしていたマッシュビルはロウ・ライとハイ・ライを混ぜた大体の平均値だったのではないでしょうか? 従来のフォアローゼズ産の「E」と「B」のマッシュビルのライを足して2で割ると27.5です。これも28に近い数値ですからね。しかし、そうなるとモルテッドバーリーが4%の謎が残ります。
ブレットがフォアローゼズから原酒の供給を受けていた時も、彼らは4%モルテッドバーリーのマッシュ ビルと公表していました。フォアローゼズの10レシピはどれも5%のモルテッドバーリーを使用しています。そこで考えられる可能性は、フォアローゼズと他の蒸留所のジュースをブレンドした結果モルテッドバーリーが4%に下がったという事実を反映していたか、或いはフォアローゼズが自らの10レシピ以外にブレットのためだけにわざわざ1%違うレシピでウィスキーを製造していたかのどちらかでしょう。後者に関しては、先に触れたフォアローゼズの施設にあったというディアジオ向けのDG OBSVバレルの件からすると、おそらくフォアローゼズは単に自らのレシピで蒸留した原酒を供給していたように思えます。信頼できるか判りませんが、2013年頃にブレットはフォアローゼズ・イエローラベルと同じジュース/バレルだとフォアローゼズの関係者から聞いた、と言っている人がいました。イエローラベルは10レシピ全てを使います。うーん、どうでしょうね、あり得なくはないような気もしますが…。前者に関しては、フォアローゼズの5%のモルテッドバーリーの配合率を下げるためにはより低いモルテッドバーリー率の原酒が必要となります。当時からフォアローゼズ以外の原酒をブレンドしていたというのなら、それが公開されていない以上、もはや謎と言う他ありません。もしかすると我々はデタラメな情報に踊らされていた可能性だってあります。皆さんはブレットのマッシュビルについてどう思われますか? どしどしコメントお寄せ下さい。また、最新情報をお持ちの方もコメントして頂けると助かります。


*トム・ブレットの最初の結婚相手ステファニーとの唯一の娘であるホリス・B・ワースは、家族とのいざこざもあって2018年にアン・ホリスター・ブレットから合法的に名前を変更しています。ワースは2006〜2016年までの十年間、ディアジオに雇われブレットのブランド・アンバサダーとして働いていました。彼女はLGBTQコミュニティのオープン・メンバーであり、12年の間パートナーだったシェールと結婚しています。ワースは2017年頃から父親とその現在の妻ベッツィー・ブレットにキャリアを台無しにされたとソーシャル・メディアで非難し始め、また元雇用主であるディアジオには同性愛嫌悪のために解雇されたとしてその企業文化を攻撃しました。2018年1月頃、ディアジオとは和解が成立し、ワースは和解の一環として120万ドルの支払いを受け取ったと報告しました。しかし、2019年8月からは更に深刻な、子供の頃に性的虐待を受けていたという主張までし出します。「幼い頃から、私は身体を触られ、不適切に愛され、自分の意思に反して裸で写真を撮り、私とのコミュニケーションには露骨な性的表現が使われ、年齢に相応しくない性的メディアをいくつかの形で見せられました」と。当然の如くトムは断固として否定していますが、流石に性的虐待の話まで出た時には、取り敢えずトムはブランドの顔から退きました。その後どうなったかはよく分かりません。この一連のスキャンダルは、個人的にはワガママ娘のカネ目当ての行動に見えてしょうがないのですが、実の父娘同士の葛藤が何かしらあるのでしょうし、我々第三者には事の真相は知る由もなく、真実は藪の中です。たとえ何かしらの解決がなされたとしても、当人らの心に深い傷が残る出来事だったのだけは確かでしょう。

**オーガスタス・ブレットについては、時代も時代なので、情報源によって経歴の年号やエピソードに多少の違いがあります。個人的な印象としては、親族の間で語り継がれるような一家の礎を築いた人物と言うか、立身出世物語のヒーロー的な人物だったのではないかという気がしています。幾つかの情報を纏めると、オーガスタスは大体以下のような人生を送ったようです。
Augustus Boilliat(本人かその子孫か判りませんが、どこかの段階で「Bulleit」姓に改名された)は1805年もしくは1806年に生まれました。1836年(或いは1841年とも)、25歳か30歳くらいの時に、フランスからアメリカへやって来てニューオリンズに上陸し、その後ケンタッキー州ルイヴィルに短期滞在、それからインディアナ州ハリソン郡へ移りました。そこでベルギー生まれでレインズヴィルから来たMary Julia Duliuと1841年8月29日(4月29日とも)に結婚。オーガスタスが35歳、メリーは21歳でした。同じ年、彼はアメリカに帰化したそうです。二人はドッグウッド近くのバック・クリークの農場に住み着き、9人の子供を儲けました(或いは5人の息子と少なくとも2人の娘とも)。オーガスタスとメリーは国勢調査記録に現れ、それによると1850年に彼の職業は「製粉業者」、1860年には「農夫」となっているそうです。そして、バック・クリークの自宅で長年暮らした後、隣人のアイザック・メルトンと一緒にフラットボートを作り、幾つかの農産物を積んでオハイオ川からミシシッピ川を下ってニューオリンズまで出掛け、積み荷の農産物を売った後オーガスタスは消息不明となったらしい。それは何らかの凶行に遭ったからではないかとされ、1860年、54歳頃のことと見られます。
どうでしょう? ブレット・フロンティア・ウィスキーの起源の物語と殆ど同じですね。違う点はルイヴィルが殆ど出てこない点です。このオーガスタスは、フランスからアメリカへ来てから短い移行期間に立ち寄っただけでルイヴィルに住んだことはなく、ルイヴィルで蒸留したことも、ルイヴィルで居酒屋を経営したこともありません。このブレット家はインディアナ州ハリソン郡に根を張った一族でした。もう一つの違いはウィスキーの話が出てこない点です。オーガスタスが製粉業者や農夫だったということは、少なくとも小さなスティルを持っていた可能性は指摘されています。確かに、製粉業者も農夫も穀物で報酬を得ていた訳ですから、余った穀物を腐らないウィスキーに蒸留して販売していてもおかしくはありません。ただ、トム・ブレットとは別のオーガスタスの玄孫の方は「私の祖母は秘密のバーボン・レシピなど何も言っていませんでしたよ」と言っています。その方の知る家族の伝承によると、オーガスタスはかつて居酒屋を経営していた可能性もあるし、製材業も行っていた可能性もあるが、どちらも失敗に終わっただろう、とのこと。
また、インディアナ州コリドン出身のローラ・メイ・ブレット(オーガスタスの玄孫)を曾祖母にもつ方も同じような話をしています。彼女は子供の頃にオーガスタスの話を聞いて育ったそうで、家族の歴史によると、オーガスタスはインディアナ州のレインズヴィルで酒場を経営していたが失敗に終わり、バック・クリークにある農場に移って製材所を建てて成功し、当時としては多額の現金収入を得たと言います。彼はフラットボートを作り、オハイオ川やミシシッピ川で商品や生産物を販売していたが、そんな中、ルイジアナ州ニューオーリンズに向かったオーガスタスは消息不明となった、と。
更には、アミエル・L・ブレット(オーガスタスとメリーの三男で当時はインディアナ州南部とケンタッキー州北部で有名な鍛冶屋だった)の曾孫という方は、1998年、母と妹を連れてコリドンを訪れ、コリドン・カーネギー公立図書館の系図室で一日中過ごし、ブレット家に関する豊富な情報を得たと言います。その多くはブレット家のメンバーによるオーラル・ヒストリーとして提供されており、1965年にブランチ・ブレット・クリストリー(オーガスタスの孫娘とされる)のアカウントでは、オーガスタス・ブレットの生涯と1860年メンフィスへのフラットボートによる交易の途中に起きたイリノイ州メトロポリス周辺での失踪にまつわる一族の伝承の強固なヴァージョンが語られていたそう。彼はそこで土地を手に入れたが、商品と土地のために殺されたと言われており、おそらく後にその両方を手に入れた男に殺されたのだろう、と。この方は数年後にメトロポリスを訪れ、カウンティ・クラークのオフィスでマサック郡の土地記録を調べたところ、1860年12月に記された「Augustus Boilleat」への40エーカーの証書の公式記録を見つけたそうです。そしてこの方も、自分の祖先はブレットのタヴァーンやウィスキーのレシピについては何もメンションしていませんでしたと言っています。1998年にコリドンを訪れた際に紹介されたコリドン・タウンの歴史家によると、ブレット家は肥料の販売員や鍛冶屋や馬車製造業者だったと言われたとか。
トム・ブレットは2013年のインタヴューでは、レシピはオーガスタスから祖父のフランシス・エイム・ブレットに受け継がれたと語っていたので、私もここで語られているブレット家を家系図のサイトで調べてみたのですがフランシスを見つけられませんでした。勿論、家系図サイトが必ずしも正しいとは限りませんし、また上のような個人的に行われた系図調査は大きな証拠がない場合や多くの飛躍や推測が含まれている可能性があるので、話半分で聞く必要もあります。それに、流石にトムが自分の祖先の名前をでっち上げるまではしないと思います。そもそもオーガスタス・ブレットという同姓同名の人物が何人かいるのかも知れません。ただ、それにしては余りにもエピソードが似すぎていますよね。少なくとも多少盛っているのは間違いないかと…。その祖先伝来のレシピについても、私の記憶では、昔はライが3分の2とコーンが3分の1のウィスキーとされていたのが、数年前からライが3分の1のウィスキーに変更されているような気がしています。ここらあたりにも、何ともいかがわしいマーケティングの臭いが感じられるでしょう。

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オールド・ケンタッキーのシリーズは1988年に、バーボンのメッカであるネルソン郡バーズタウンのバーボン造り200周年を記念して発売されました。おそらく日本市場限定の製品だと思います。そのラインナップには、「スペシャル・リザーヴ(15年熟成101プルーフ)」を最高峰として、「No.88ブランド(13年熟成94プルーフ)」と「アンバー(10年熟成90プルーフ)」のような上位クラスの物から、「ケンタッキー・ドライ(5年熟成86プルーフのブレンデッド)」や「スピリット・オブ・トゥデイ(4年熟成80プルーフ)」といったエントリー・レヴェルまで、五つありました。90年前後に発行された幾つかのバーボン本によれば、88年2月に「スペシャル・リザーヴ」と「88」が発売され、89年に「アンバー」と「トゥデイ」がラインナップに加わったとされています。
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今となっては、このバーボンの情報をネットで検索しても殆ど出て来ません。そこで、バーボンのマーケティングに於ける常套句ばかりではあるのですが、首に掛かったタグに記載の紹介文を丸ごと訳しておきます。誤字と思われる箇所は勝手に修正して意味を通じ易くし、また概ね直訳ですが部分的に意訳もしました。

オールド・ケンタッキー・スペシャル・リザーヴ
ケンタッキー州は多くのことで有名です。ブルーグラス、サラブレッドの馬、そして何よりもケンタッキー・ストレート・バーボン・ウィスキー。地下の石灰岩層を通った豊富な湧き水に恵まれたネルソン郡は、古くからケンタッキー州の蒸留酒産業の中心地でした。そしてネルソン郡の中心にあるバーズタウンは1788年に設立され、「世界のバーボン首都」として広く知られています。
バーズタウンでのバーボン製造200周年(1788〜1988)の特別な記念として、オールド・ケンタッキー・ディスティラリーはオールド・ケンタッキー・スペシャル・リザーヴを提供することを誇りに思います。 間違いなく世界で最高のバーボン・ウィスキーです。
どのようにしてこのような良いバーボンを造ることが出来たのでしょうか? その答えは四つの要素から成ります。優れた原料、クラフトマンシップ、品質管理、そして時間。
我々は注意深く選び出した穀物とピュアなライムストーン・ウォーターという最高の素材から始めました。そして、同じ家系のマスターディスティラーが何世代にも渡り受け継いできたスキルとクラフツマンシップを駆使します。次に、些細な点まで細心の注意を払い、可能な限り最高の品質を提供できるよう生産量を厳しく制限するのです。そして最後に、この並々ならぬバーボンを焦がしたオークの新樽に貯蔵し、ゆっくりと完全に熟成するまで15年という長い歳月を待ちました。
そういう訳でお分かりでしょう。他に類を見ないブーケとテイストとキャラクターのバーボン、オールド・ケンタッキー・スペシャル・リザーヴの物語。
だからリラックスして、寛ぎながら、ゆっくりとこの本当に格別なウィスキーを飲んでみて下さい。オールド・ケンタッキー・スペシャル・リザーヴの楽しみは、それがケンタッキーの至高のバーボン・ウィスキーの成果、最高級の中の最高級、世界でも比類なき15年物バーボンであるという知識で更に大きくなる筈です。乾杯!
バーズタウンはまた1818年に建てられたローワン・ハウスの所在地としても有名で、ローワン家の従兄弟である著名なアメリカン・ソングライター、スティーヴン・フォスター作曲のよく知られた歌曲『ケンタッキーの我が家(My Old Kentucky Home)』で不朽の名声を与えられています。
オールド・ケンタッキー・スペシャル・リザーヴの出荷時に使用される一時的な木製ストッパーは、ウィスキーを15年間熟成する55ガロンのチャード・オーク・バレルのストッパーとして使用される種類の本物のオーク・バングと同じです。このバングは出荷中の漏れを防ぐようにバーズタウンの蒸留所でシールドされました。
ひとたびオールド・ケンタッキー・スペシャル・リザーヴが貴方の家に到着したら、バングは付属してある永続的なクリスタル・ストッパーと交換することが出来ます。その後は、液漏れを防ぐためデカンターを垂直にしておく必要があります。

オールド・ケンタッキーのシリーズで頂点となるスペシャル・リザーヴ15年は、パッケージも中身のプレミアム感を倍増させるように豪華でした。液体が入ったデカンターは重厚な造りで凄く重みがあります。上掲のハングタグにストッパーがクリスタルとあるので、本体のほうも流石にクリスタル製でしょう(※追記あり)。更に外装はオルゴール付の木箱の物と、紙箱の物の2パターンありました。
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(紙箱版。写真提供K氏)

私の手持ちの木箱のオルゴールはゼンマイが壊れてるのか錆びてるのか動きませんでした。本来はハングタグでも言及されているスティーヴン・フォスターの『マイ・オールド・ケンタッキー・ホーム』が鳴ります。皆さんにお聴かせしたかったのですが、そういう訳にもいかないので、代わりに同曲のユーチューブ・リンクを貼っておきます。このバーボンを飲むなら、今宵の一曲はこれしかありません。同曲には数多の演奏と歌唱があり、私もユーチューブで数十曲は聴いてみましたが、このヴァージョンが最も好みでした。



My Old Kentucky Home
マイ・オールド・ケンタッキー・ホーム

The sun shines bright in the old Kentucky Home
太陽は燦然と輝く古きケンタッキーの家に
'Tis summer, the darkies are gay
夏が来て、はしゃぐ黒人たち
The corn top's ripe and the meadow's in the bloom
トウモロコシの穂先は熟し、牧草は生い茂り
While the birds make music all the day
鳥たちは音楽を囀る日がな一日

The young folks roll on the little cabin floor
若者たちは小さなキャビンの床を転がる
All merry, all happy, and bright
皆んな陽気に、愉快に、活発に
By'n by hard times comes a-knocking at the door
もうすぐ辛い時がやって来てドアをノックする
Then my old Kentucky Home, good-night
そうしたら我が古きケンタッキーの家に、さよならだ

Chorus
Weep no more, my lady
もう泣かないで、愛しき人よ
Oh weep no more today
おぉ、もう泣かないで今日は
We will sing one song for the old Kentucky Home
我らは一曲歌おう懐かしきケンタッキーの家のために
For the old Kentucky Home, far away
懐かしきケンタッキーの家のために、遥か遠くの

They hunt no more for the 'possum and the coon
彼らはもう狩らないオポッサムもアライグマも
On the meadow, the hill and the shore
草っ原でも、丘でも岸辺でも
They sing no more by the glimmer of the moon
彼らはもう歌わない朧な月明かりのもとでも
On the bench by the old cabin door
古いキャビンのドアそばのベンチでも

The day goes by, like a shadow o'er the heart
一日が過ぎ行く、影が心を覆うように
With sorrow where all was delight
喜びあるところ悲しみもあった
The time has come when the darkies have to part
時は来た黒人たちが別れねばならない時が
Then my old Kentucky Home, good-night
そうしたら我が古きケンタッキーの家に、さよならだ

Chorus

The head must bow and the back will have to bend
頭を下げてお辞儀して背中を曲げなきゃならん
Wherever the darkey may go
黒人はどこへ行くにも
A few more days and the trouble all will end
何日かしたら厄介事は全て終わり
In the field where the sugar canes grow
砂糖黍の実る畑での

A few more days for to tote the weary load
何日かしたらうんざりする重荷を運ばなくては
No matter, 'twill never be light
なんて事ない、決して軽くはないけれど
A few more days till we totter on the road
何日かしたらついに我らは道路でよろよろしてる
Then my old Kentucky Home, good-night
そうしたら我が古きケンタッキーの家に、さよならだ

Chorus


『ケンタッキーの我が家』もしくは『懐かしきケンタッキーの我が家』との邦題で知られるこの曲は、日本でもどこかしらでよく流れているので、殆どの日本人がメロディだけなら確実に知っていると思います。ケンタッキー・フライド・チキンのCMで使われたりしたことで広まったでしょうか。スティーヴン・フォスター作詞作曲によるこの曲はケンタッキー州の州歌として1928年から採用され、曲のファースト・ヴァースとコーラスはアメリカで最も長く継続的に開催されているスポーツ・イベントのケンタッキー・ダービーでルイヴィル大学のマーチング・バンドの演奏に合わせて会場に集まった観客全員で斉唱する伝統があります。ルイヴィル大学マーチング・バンドは1936年以来、数年を除いてこの曲を演奏して来ました。チャーチル・ダウンズで歌っているのは主に裕福な白人の観客であり、ファースト・ヴァースとコーラスのみに限れば、古き良き南部に対するロマンチックな郷愁や家を失った悲しみの個人的な共感を喚起するのかも知れません。我々日本人にしても、カントリーのアレンジや童謡としてこの曲を聴くと、どことなく陽気な印象を受けるか、「懐かしき」のタイトルやメロディに引っ張られて郷愁や懐かしさを感じるのではないでしょうか。しかし、曲を聞き進めると歌詞は南部讃歌どころか、実は家族と強制的に引き離された奴隷の嘆きであることに気付かされます。夫と妻、親と子を遠ざけた奴隷制への非難が根底にある切ない哀歌に聴こえて来るのです。

ペンシルヴェニア生まれのスティーヴン・コリンズ・フォスター(1826年―1864年)は、曲を演奏するのではなく作曲することで生計を立てようと試み、そして暫くの間成功したアメリカで最初のプロのソングライターでした。フォスター自身はいわゆる奴隷制廃止論者ではなかったようですが、「同調者」程度には看做されていた可能性はあります。1852年の3月に出版された奴隷制廃止論者ハリエット・ビーチャー・ストウの小説『アンクル・トムの小屋』はケンタッキー州の奴隷の窮状について書かれました。フォスターはこの小説に大いに影響を受け、後の作品のトーンを変えたとされます。さっそく彼はストウの小説に触発された歌詞を書き上げました。その作品は最初「プア・オールド・アンクル・トム、グッド・ナイト!」と名付けられましたが、最終的にはストウの小説への言及を削除し、名前を「マイ・オールド・ケンタッキー・ホーム、グッド・ナイト!」に変更します。おそらくストウの小説と同年の1852年頃に作詞作曲されたと見られ、1853年1月にニューヨークのファース、ポンド&カンパニーから出版されました。「マイ・オールド・ケンタッキー・ホーム、グッド・ナイト!」は急速に人気を博し、あっという間に数千部を売り上げたと言います。曲の意味は当初から争われていたらしいですが、家を失うというノスタルジックなテーマは多くの人々の共感を呼び、奴隷制廃止運動の一部からも支持を受けました。この曲は南北戦争中も人気を保っていたとされ、同曲がアメリカ全土に普及し人気を博したのは、戦争中に兵士たちがこの曲を場所から場所へと伝えたからだと考えられています。19世紀を通して人気があったこの歌のタイトルの縮小、「グッド・ナイト!」の脱落は世紀の変わり目に起こったそうです。
20世紀に入り、フォスターが亡くなって数十年を経て奴隷制度が非合法化されてからも『マイ・オールド・ケンタッキー・ホーム』はミンストレル・ショーの白人観客の間で人気がありました。しかし、歌詞の最も悲痛な部分は省略されることが多かったと言います。或いは歌詞中のアフリカン・アメリカンへの差別用語だった「darkies」は、「everyone」や「children」や「friends」に置き換えられたようです。直にこの曲はケンタッキー州の観光の賛歌となり、1904年のセントルイス万国博覧会で1万部の楽譜が配布されました。曲が本来持っていた反奴隷制の意味合いが薄れて行くと、当然のことながら演奏に対する反対意見が出て来ました。1916年にボストンのNAACPは『マイ・オールド・ケンタッキー・ホーム』を含む「プランテーション・メロディー」を公立学校で禁止することに成功し、1921年にはケンタッキー出身の黒人詩人ジョセフ・コッターが黒人の社会的進歩を強調した新しい歌詞を提案したりもしました。いつしかこの曲はケンタッキー州のシンボルとして扱われ出します。しかし時はまだ、人種差別的なジム・クロウ法の真っ只中。白人至上主義者の力が強化された時期でもありました。この時期、ケンタッキー州の多くの著名な白人の議員やジャーナリストやビジネスマンは、歌に描かれていた動産奴隷の歴史を覆い隠し、フォスターの歌をアンテベラムに於けるケンタッキーのロマンティックなイメージの象徴として採用するようになったとされています。そして1928年、ケンタッキー州議会はこの曲を「文明社会の中でケンタッキーを不滅のものにした」として公式の州歌にするのでした。
その後、1986年に一つの変更が加えられ現在に至ります。同年3月11日、訪米中の仙台キリスト教育児院の生徒達がケンタッキー州議会を訪れ、「darkies」という言葉を使用したオリジナルの歌詞で州歌を唱し、黒人議員を驚かせました。それが原因なのでしょうか、州議会によって州歌としての『マイ・オールド・ケンタッキー・ホーム』の歌詞は「darkies 」の代わりに「people」を使う決議案が採択されました。この曲は過去1世紀を通じて少なくない改訂や更新が行われましたが、だからこそアメリカ文化に影響を与える楽曲であり続け、その文化に深く根付き、アメリカの作詞作曲の進化に於いて重要な役割を果たしたと評されるのでしょう。今日でも『マイ・オールド・ケンタッキー・ホーム』は世界中で演奏されています。そしてケンタッキアンでないバーボン飲みにとっても、この曲が特別な一曲であるのは言を俟ちません。

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ハングタグでも触れられているように、フォスターの遠い親戚でケンタッキーの政治家ジョン・ローワンの邸宅が一般的にはこの「我が家」のモデルとされています。1795年に建設され始め1818年に完成したという歴史的な7501平方フィートの邸宅と周囲1200エーカーの農場は、邸宅が建設された時分、家に名前を付けるというイギリスの習慣を受け、現在では存在しない政党である連邦党に敬意を表して元々は「フェデラル・ヒル」と名付けられました。ローワンが所有していた時代には、この邸宅は地元の政治家たちの集会場となり、何人もの来賓を迎えたと言います。アメリカ全土で楽曲の人気が高まった後、フェデラル・ヒルはケンタッキー州に購入され史跡として指定されると、1923年7月4日に「マイ・オールド・ケンタッキー・ホーム」へと改名されました。スペシャル・リザーヴ15年のラベルに描かれているのがフェデラル・ヒルと言われるジョン・ローワンのマンション、即ち「マイ・オールド・ケンタッキー・ホーム」でしょう。ちなみに同じウィレット蒸留所のリリースしているローワンズクリーク・バーボンの名前の由来の小川も彼にちなんで名付けられています。
フォスターの歌にはジョン・ローワンのプランテーションを訪れた時のケンタッキーのイメージが明確に含まれているという説があります。フォスターの兄弟モリソンは1898年の手紙の中で、スティーヴンがフェデラル・ヒルを「時々訪れていた」と述べたとか。しかし、『マイ・オールド・ケンタッキー・ホーム』が作曲された頃にフォスターがこの農園を訪れていたことを示す現代的な証拠はなく、曲中のどこにもフェデラル・ヒルを特定する目印は含まれていません。有名な曲とフェデラル・ヒルとを繋ぐ伝説にも拘らず、おそらくフォスターはこの場所を訪れたことはなく、ジョン・タスカー・ハワード、ウィリアム・オースティン、ケン・エマーソン、ジョアン・オコンネルなどの伝記作家達は曲との関係について異議を唱えているとされ、なんなら「ケンタッキー」の名称の採用は語呂の良さで選んだのではないかとする説もあるそうです。

さて、そろそろ肝心の中身について。オールド・ケンタッキー・スペシャル・リザーヴ15年はKBDによりボトリングされました。リリース時期と熟成年数から考えると、おそらくは旧ウィレット原酒で間違いないでしょう。これ以上の情報は語るほどはなく、判明しているのは最低15年熟成されチャコール・フィルターを通過した(紙箱に記載)101プルーフのバーボンということだけ。しかし、SNS上でオールド・ケンタッキーは小麦バーボンと言っている人を見かけました。小麦バーボンだとしたら、おそらくシリーズ中、このスペシャル・リザーヴ15年とNo.88ブランド13年だけではないかと思いますが、どうでしょう? まさかアンバーも? 誰か仔細ご存知の方はコメントよりご教示下さい。
また、よく分からないのがリリースされた期間です。No.88ブランドはボトル形状と色の違う物が3種類あり、ある程度の期間流通していた気がしますが、スペシャル・リザーヴは一回限り、もしくは多くて二回くらいしかリリースされていないのではないかという印象があります。つまり88年だけか、或いは88年と89年だけとか? こちらも正確に把握している方がいましたらコメントを頂けると助かります。
では、この余りにもケンタッキーの刻印が深く余りにもバーズタウンらしさに溢れるバーボンを注ぐとしましょう。

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OLD KENTUCKY SPECIAL RESERVE 15 Year 101 Proof
推定1988年ボトリング。ほぼダークレッドと言っていいようなブラウン。濃密なキャラメル、ヴァニラ→メープルシロップ、古い木箱、メロンぽい接着剤、薬用歯磨き粉、炭、お婆ちゃんのスパイスキャビネット、黒糖、栄養ドリンク、タバコ。少しカビっぽく官能的な甘いアロマ。比較的ゆるい口当たり。パレートはオレンジゼストと渋柿。液体を飲み込んだ直後はハービー。余韻はメロンクリームソーダぽい甘味が感じられるが、それは思うよりあっさりと退いて行き、長熟らしい渋味が口蓋全体に残りつつ、オールドバーボンらしいオーク香が鼻腔に長く残る。
Rating:91.5/100

Thought:長熟バーボンはバレルに入っている期間が長いためウッディさが勝ち過ぎて甘味を感じにくい弱点があります。しかし、このバーボンは強い甘味を保ちながらタンニンの渋味とギリギリのところで調和し、ハーバルな風味もする長熟バーボン好きには堪らない逸品だと思います。個人的にはバーボンに渋みを欲しないので、決して好きな傾向の味わいではないのですが、これはこれで上手く熟成しているとは思いました。特に強烈なキャラメル香はハイライトであり、ほぼ満点です。味わいも渋みはあっても鋭い苦味のない点は良かったです。
で、件の小麦バーボンかどうかですが、これ単体で飲んでいる時点では正直分かりませんでした。口当たりと穏やかなスパイス感にそれっぽさを感じたくらいです。そこで比較のため、同じくKBDがボトリングしている長熟バーボンの一つ「オールド・ディスティラーズ・スペシャル・リザーヴ15年」をサイド・バイ・サイドで試飲してみました。すると全然違いました。まず香りはオールド・ケンタッキーの方が断然スイートなアロマです。そして味わいはかなり異り、オールド・ディスティラーズにはオールド・ケンタッキーにないライ・キックや爽やかなフルーツを感じたのです。あと、オールド・ディスティラーズの方が渋みもなく余韻はスッキリしており、なんとなく熟成が少し若そうな印象を持ちました。勿論、これは飽くまで個人的な感想であって「答え」ではありません。それに、たった二種類での比較に過ぎませんし、オールドボトル故のコンディションの差もあるでしょう。けれど、それらを差し引いても、オールド・ケンタッキー・スペシャル・リザーヴ小麦バーボン説は私には信憑性が高いような気がします。また、もしやオールド・ケンタッキー・スペシャル・リザーヴには15年以上の熟成古酒が含まれてるのではないか、なんて妄想もしてみたり…。飲んだことのある皆さんはどう思われたでしょうか? どしどし感想をコメントよりお寄せ下さい。
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Value:発売当時は20000円の小売価格でしたが、現在のオークション相場は10万円を超えています。15万近くで落札されてるのも見かけました。ウィレット蒸留所の人気が上がるにつれ、旧来のKBDがボトリングして日本へ輸出していたバーボンは、二次流通市場で年々高騰しているのです。もはや一部の奇特な人以外には手が出しにくいバーボンの一つがオールド・ケンタッキー・スペシャル・リザーヴでしょう。バーで見かけたら飲んでみるのをオススメします。


追記:記事を書き上げた後にフランス製のクリスタル・デカンターと判明しました。

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ザッカリア・ハリス(*)はサゼラック・カンパニーが所有するブランドで、所謂バジェットとかヴァリュー・ブランドと呼ばれる最も低価格帯のケンタッキー・ストレート・バーボン。その名前は実在の人物に由来するのではなく、どうやらマーケターの想像力の産物のようです。確かに「Zackariah」と「Harris」 を組み合わせると響の良いサウンドであり、如何にも「オールド・バーボン・ガイ」を想わせますし、ラベルのデザインもジャック・ダニエルズやエヴァン・ウィリアムスを相当に意識しているのは一目瞭然でしょう。他の業界でもそうですが、売れてる製品が模倣されるのは常に行われること。我々はロマンを投影してバーボンを見てしまいがちですが、バーボンは先ずは「商品」なのです。その商品を売るために、ちょっとした伝承を誇大表現したり、ネーミングやラベルをパクったりは、まあ、大昔からよくあることな訳ですね。

おそらくザッカリア・ハリスはアメリカでは2010年か2011年頃から発売されたと思われます。日本に入って来たのはここ最近で、2019年あたりからでしょうか? 私にとってこのバーボンで最も気になったのはラベル下部に記載された下画像の文です。
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これを素直に受け取ると「蒸留、熟成および瓶詰めは、ケンタッキー州ルイヴィルのグレンモア蒸留所が行いました」と書いてあるように読めます。これ、ちょっと、いや、かなり紛らわしい。実はサゼラックが所有するバーボンを生産している蒸留所で、ルイヴィルに位置する蒸留所はありません。なぜルイヴィルなのかと思ったら、サゼラックのオフィスがそこにあるからみたいです。グレンモア蒸留所というのは歴史的な名前であり、それをDBA(Doing Business As)で使用するのは悪いことではないのですが、ロケーションはオーウェンズボロだし、そこは現在ではボトリング施設と物流倉庫(熟成倉庫も道路を挟んで向いにあるみたい)であってバーボンの蒸留はやっていません(**)。ザッカリア・ハリスは、実際にはサゼラックが所有するバートン1792蒸留所で生産されたバーボンと思われます。おそらく熟成もバートン、ボトリングのみグレンモアなのではないでしょうか?
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同社の同クラスのバーボン、ケンタッキー・タヴァーンでは、「BOTTLED BY GLENMORE DISTILLERY, LOUISVILLE, KY」と記載され、如何にもボトリングのみグレンモアでやっている感じが出ています。なのに、なにゆえザッカリア・ハリスは「DISTILLED, AGED AND BOTTLED BY〜」となっているのか? まさか、第一蒸留だけバートンで実行し、第二蒸留をグレンモアで行い、実際に熟成もグレンモアなんてこともあるのでしょうか? 一応、私の解釈としては、上の件は多分ここで言うグレンモア・ディスティラリーを「蒸留所」ではなく「事業名」と解釈し、「蒸留、熟成および瓶詰めは、ケンタッキー州ルイヴィルにオフィスを置くグレンモア・ディスティラリー社(サゼラック社)が行っています」というように読むのが正解なのかなと思います。そもそもトンプソン・ファミリーが長年経営していたグレンモア・ディスティラリーズ・カンパニーもルイヴィルにオフィスがありましたから、サゼラックとしてもグレンモアと言えばルイヴィルという感じで踏襲したかったのかも知れませんね。
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グレンモア蒸留所は1800年代後半からオーウェンズボロのコミュニティに定着しています。もともとは同地のウィスキー業界に君臨した有名なモナーク家が係わっていました。R.モナーク・ディスティラリーと呼ばれていたその蒸留所は「ケンタッキー・タヴァーン」や「グレンモア」などのブランドが成功し、一時はケンタッキー州でウィスキーを生産する最大の産出能力を持つ蒸留所とも言われました。1880年代には飛ぶ鳥を落とす勢いだったモナークスも、1890年代になると過剰生産や恐慌による影響からウィスキーの価値が下落、そこへ更に火災による損害まで発生し、彼らは経営を立て直すことが出来ず、1898年に会社は破産を宣言しました。1900年になると蒸留所を含む事業は公売で売却され、1901年にトンプソン・ブラザーズのジェイムズ・トンプソンが蒸留所を購入しました。
ジェイムズは義理の兄弟のハリー・S・バートンを蒸留所の責任者に任命すると、蒸留所はすぐに良質なバーボンを造るとの評判を得ました。蒸留所はオーウェンズボロのダウンタウンのちょっと東に位置し、オハイオ・リヴァーのほとりにありました。やがて訪れた禁酒法の時にも、そこは禁止期間中に薬用スピリッツの販売許可を取得した六社のうちの一社だったトンプソン・ブラザーズの統合倉庫の場所になります。1924年にはジェイムズ・トンプソンが亡くなり、その息子のカーネル・フランク・B・トンプソンとジェイムズ・P・トンプソン、ジョセフ・A・イングルハードらが経営を引き継ぎました。彼らは1927年にトンプソン・ブラザーズとグレンモア蒸留所を合併し、グレンモア社が設立されます。1928年、政府は医療上の必要性から減少する薬用ウィスキーの在庫を補充すること決めますが、その時、限られた規模で操業することを許可された四つの蒸留所の一つがグレンモア蒸留所でした。
1944年、同社はルイヴィルのテイラー&ウィリアムズからイエローストーンという有名なバーボンのブランドを購入し、更に飛躍します。洪水や火事などの悲劇もありましたが、なんとか乗り越えた蒸留所は1946年に200万バレルのウィスキーを満たしました。その後、彼らは他の大企業の先例に習い、ミスター・ボストン(ヴァイキング・ディスティラリーを含む)を買収して子会社化し、そこを通じて輸入ウィスキーやコーディアルを販売しました。1973年には1日540バレルを生産していたと言われますが、アメリカン・ウィスキー業界全体の低迷もあり、グレンモア蒸留所は蒸留を停止し、ウィスキーの生産をルイヴィルのイエローストーン蒸留所に移しました。オーウェンズボロの施設はボトリングと熟成倉庫に使用されることになります。売上げが再び上昇したら蒸留を再開する予定でしたが、それが実現することはありませんでした。
アメリカン・ウィスキーの低迷は、1980年代後半から90年代に行われた激動の業界再編の遠因、或いは直接的な原因となります。その期間、まるで動物界の食物連鎖のように大きな会社が小さな会社を捕食しました。1988年にグレンモアは同じオーウェンズボロのメドレー蒸留所を買収しますが、1991年にはそのグレンモアもユナイテッド・ディスティラーズに買収されます。そしてユナイテッドは1995年にあっさりと、1993年からキャナンディグア・ワイン・カンパニー(後のコンステレーション・ブランズ)に買収されていたバートン・ブランズに、グレンモアの施設やブランドを売却しました。それから時を経た2009年3月、サゼラック・カンパニーが3億3400万ドルの取引の一環として、コンステレーションの所有していたバートンの資産(蒸留所やブランド)を購入します。こうした流れでグレンモア蒸留所はサゼラックの所有となったのでした。

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地元の人々に「グレンモア」として長年知られていたイースト・フォース・ストリートの象徴的な蒸留所は、一時その名を失っていたようですが、2011年、正式に再び「The Glenmore Distillery」になりました。サゼラックは買収以来、新しい機械や貯蔵タンクを含む施設への設備投資に200万ドルを費やしたと言います。同社はグレンモアの最新のボトリング施設を利用するために、他の施設から幾つかのブランドのボトリングを移行しました。更には2016年4月28日、グレンモア蒸留所に223000平方フィートの革新的な新しい配送センターを開設します。これによりグレンモア蒸留所はASRS(オートメーテッド・ストレージ・アンド・リトリーヴァル・システム=自動保管検索機構)と呼ばれるシステムを使用する数少ないスピリッツ・サプライヤーとなりました。136836平方フィートのASRSスペースを備えた最先端の施設を設計および建設したのはグレイ・コンストラクションです。ASRSはウェストファリア・テクノロジーズ・インコーポレイテッドによってインストールされました。この4500万ドルを注ぎ込んだ設備投資は、親会社サゼラックがケンタッキー州の三つの蒸留所に対して行った7100万ドルの投資の一部です。フランクフォートのバッファロートレース蒸留所では同じくグレイ・プロジェクトによる別の新しい流通センターを、バーズタウンのバートン1792蒸留所では生産能力向上のために新しいイクイップメントを、2015年に追加しました。グレンモア蒸留所はアメリカ国内で最も大きく最も近代的なボトリング施設と流通センターの一つであることを誇り、オーウェエンズボロ地域に1780万ドルの経済的影響を与えているとされ、同地の大規模な雇用者であり続けています。今のままアメリカン・ウィスキーのブームが続くようであれば、我々愛好家としてはサゼラックがグレンモア蒸留所の敷地内に小さなクラフト蒸留所でも建設して更なる発展を遂げたら…なんて期待も。
今はグレンモアについてざっくりと振り返るに留めましたが、いづれモナークスやトンプソンズを含むもう少し詳しい歴史を纏める機会もあるでしょう。では、そろそろザッカリア・ハリスを注ぐ時間です。

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ZACKARIAH HARRIS 80 Proof
推定2020年か21年ボトリング。ややゴールド寄りのブラウン。焦がした樽、スウィートグレイン、ビール、マッチ、マジックインキ、みたらし団子、僅かな蜂蜜、強いていうと苺ジャムとバナナが少し。ややフルーティなグレインウィスキー然としたノーズ。サラサラとして滑らかな口当たり。口蓋では多少の甘さは感じるがフレイヴァーは希薄。余韻もスッキリとしていて短め、基本的にはドライ。が、一瞬石鹸のようなフローラルが香った瞬間もあった。
Rating:76/100

Thought:数年前に飲んだ同社のヴェリー・オールド・バートンNAS、ケンタッキー・ジェントルマンやケンタッキー・タヴァーンと較べると、コアなフレイヴァー・プロファイルは大体同じで、味わいはバッチ違いくらいの差に感じました。ザッカリア・ハリスとKGおよびKTは瓶の形状も同じだし、スペック(最低3年熟成80プルーフ)と価格帯も同一なので、まあ平均的な若いバートン原酒って感じです。ただし、この「バッチ違い」と云うのがなかなかクセモノでして、人によってザッカリアの方が旨いと言ったり、いやジェントルマンの方が上だ、いやタヴァーンだ、となる可能性はあり得ます。いくら何百樽でバッチングされる安価なバーボンとは言え、この世に完全同一のバレルがない以上は、どうしてもフレイヴァー・バランスや甘味などに若干の強弱の違いが生まれるからです。それを大幅な違いと捉える人もいるし、微妙な違いと捕らえる人もいる、と。私には大差は感じられませんでしたが、「あなた」はかなりの差を感じるかも知れないので、とにかく試してみるしかありません。

Value:アメリカでは約9〜12ドルで、日本でも「3桁ウイスキー」と言うのか、999〜1500円程度で購入できます。流石にもう少し上位の物と比較すると分が悪く、至福の時間を過ごすためのシッピング・ウィスキーとは言い難いです。あくまで手っ取り早くバーボンで酔いたい人向けでしょう。けれども冷静に考えてみると、1000円程度でストレート規格のバーボンが買えてしまうって凄いことですよね? GNSで割ったブレンデッドではないのですよ? これは一つの価値です。ハイボール専用にせずとも、ストレートで飲んである程度の満足は得れますから。


*実際の発音は「ザッカライア・ハリス」と表記したほうが近いです。

**グレンモア蒸留所は、2016年にラムの蒸留を再開した、と云う情報はありました。

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ジムビームのラインナップ中、長きに渡り最高の価値があると評されたブラック・ラベル。しかし、ここ十年ちょっとで最も弄くり回されたブランドかも知れません。
おそらく、もともとブラック・ラベルは101ヶ月(約8年半)熟成90プルーフで始まり、次第に8年熟成90プルーフ、7年熟成90プルーフ、8年熟成86プルーフへと時代に順応して変化したと思われます。多分、86プルーフに下がったのは90年代かと。ビームは大きな酒類会社なので、販売される国でボトリングするためにウィスキーをバルクにて輸出している可能性があり、バッチが異なるのは当然として、パッケージが少し異なったり、ボトリング・プルーフの異なるヴァージョンがあるようです。日本でも、今回レヴューするエクストラ・エイジドの前に流通していた正規輸入品は確か6年熟成80プルーフだったと思います。

基本的に2000年代のアメリカ国内流通品は8年熟成86プルーフでした。2007年から2008年頃、オーストラリアとカナダでジムビーム・ブラックは8年のエイジ・ステイトメントを失い、代わりに「AGED TO PERFECTION」と表ラベルに表記されます。ビームによれば、これは米国以外の市場でのブラック・ラベルの売上が予測を上回ったためだそうで、熟成樽の不足からラベルの変更を余儀なくされ、おそらく中身の原酒の熟成年数も変更されたのでしょう(6年へ?)。エイジド・トゥ・パーフェクションのラベルはアメリカ以外の市場(ヨーロッパとか)にも流通したと思いますが、アメリカ本国で販売された製品はラベルに年数表記があり、8年熟成は維持されました。
おそらくその後(2010年前後?)に、スタイリッシュなラベル・デザインのブラック・ラベルが登場したと思われ、ホワイト・ラベルの4年熟成に対して倍であるため「ダブル・エイジド」と表記されたアメリカ国内向けの8年熟成、ストレート・バーボン規格の最低熟成年数である2年の3倍であるため「トリプル・エイジド」と名付けられた国外向け6年熟成の物がありました。
2015年になると、アメリカ国内のブラック・ラベルからもエイジ・ステイトメントは削除され、ラベルには「XA Extra Aged」の文字が現れます。きっとこれは6年熟成なのでしょう。一般的に、生産者は以前よりも若い原酒を使用することを意図せずに、熟成年数の表示を取りやめることはありません。従来通りなら熟成年数を削除する必要がないからです。そして2016年半ば、ビーム社はジムビーム・ブランドのラベルとボトルのデザインを刷新しました。そこでブラック・ラベルは再び微調整が施され、「XA」を削除し、ハイフンを追加して「Extra-Aged」となります。これが現在販売されているブラックであり、トップ画像のデザインです。
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2000年以降、特に2010年代、アメリカのバーボン業界は劇的な変化を遂げました。あらゆるアメリカン・ウィスキーに対する記録的な需要は、新しいクラフト蒸留所の前例のない「爆誕」を齎し、また旧来の由緒正しき蒸留所からも新しい革新と実験が行われました。その他にもバーボンの高需要は、大手蒸留所が比較的「高齢」でありながらも大変お買い得だった銘柄を次々とNAS(No Age Statement)へと変更せざるを得ないか、或いはエイジ・ステイトメントを維持するなら値上げするしかない状況を与えました。ヘヴンヒルのエライジャ・クレイグ12年がNASになったのはその最たる例でしょう。以前は8年熟成だったジムビーム・ブラックがNASに切り替えられたのも、そうした一例な訳です。NASへの移行は既存のエイジ・ステイトメントを維持するのに十分な熟成原酒のストックがないのが主な理由ですが、一方でプレミアムな長熟製品のために一部の樽が抑制されているという噂は常にあり、それが真実である場合アメリカン・ウィスキーの基盤と言える「日常バーボン」の熟成年数やプルーフ(≒品質)を犠牲にしてまで金儲けに走るなよというバーボン愛好家の嘆きを生みます。まあ、それは偖て措き、現行のエクストラ・エイジドです。

この約6年熟成とされるブラックラベル・エクストラ・エイジドは、アメリカ流通の物は86プルーフ、日本市場の物は80プルーフでのボトリング。マッシュビルは77%コーン、13%ライ、10%モルテッドバーリーであろうと推定されています。ビームはクレアモントとボストンに大きな蒸留所を所有し、彼らはそこでメーカーズマークを除くあらゆるウィスキーを造ります。ボストン(通称ブッカー・ノー・プラント)は専らジムビーム・ホワイトラベルを製造し、クレアモントはホワイト・ラベルも含むその他の全てを製造するとされます。なのでブラックはクレアモント産ですかね。ビーム社の最高峰ブッカーズが中層階のバレルを主に使用するところから、ビーム倉庫のスイートスポットは中層階と考えられるので、おそらくブラック・ラベルに使用するバレルは上層階から来てるのかも知れません。上層階のバレルは他の場所のバレルよりも早く熟成することはよく知られています。そこで、若くても熟成感のある樽をピックアップすることで、8年に近いフレイヴァー・プロファイルをNASでも保つことが出来るだろうと推測している人がいました。

8年熟成のブラック・ラベルは割と長い期間販売され続け、味が良く安価、しかもどこでも労なく入手できるため非常に人気がありました。しかし、8年熟成も今は昔の話。個人的には現行のエクストラ・エイジドは飲む必要がないかなと思っていたのですが…。ジムビームが2019年に発表したPRニュースによると、アメリカン・ウィスキーを飲む人は世界で最も高価でレアなバーボンよりもジムビーム・ブラックを好むことを示す調査結果が出た、と言うのです。調査は独立した第三者機関のアルコール飲料研究会社であるビヴァレッジ・テイスティング・インスティテュート(BTI)が行いました。BTIはアメリカで最も古いアルコール飲料研究会社で、1981年以来、専門家によるテストや独自のデータや消費者調査を使用して、飲料会社が賢明な生産とマーケティング決定を下すのを支援しています。彼らはアメリカ全土の複数の市場でブラインド・テイスト・テストを実施。参加者には二つのサンプルが提供され、一つはジムビーム・ブラック(23ドル)で、もう一つは名前の伏せられた約3000ドルの限定生産の象徴的なバーボンとのこと。結果は、54%が超高額なバーボンよりもジムビーム・ブラックを好み、55%がジムビーム・ブラックの方が滑らかだと答えたそうな。ごく僅かではあってもテイスターの過半数が高価なスーパー・プレミアム・バーボンより安価なボトム・シェルファーを選んだと? おいおい、マジか…。この名前の伏せられたバーボンは価格から考えると、希望小売価格に上乗せ金が付いたパピー・ヴァン・ウィンクル20年でなければならないでしょう(ミクターズ・セレブレーション・サワーマッシュだともっと高いですし)。或いはパピーの23年の方かも知れませんが、どっちでも構いません。言うまでもなく、良いウイスキーは熟成年数が何年であろうとプルーフが幾つであろうと良いウイスキーだし、味わいの優劣なんて飲み手の好みに左右されるもの。熟成年数の長いバーボンはウッドの風味が強くなり過ぎるので、却って短熟の方が好みの人が半分近くを占めたっておかしくはない。実際、私にもその傾向はあります。…にしても、NASのジムビーム・ブラックラベルがパピーに勝った? これは是非とも確認のため現行のブラック・ラベルも飲んでみなければならない、という訳で、そろそろ注ぐ時間です。

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JIM BEAM BLACK EXTRA-AGED 80 Proof
推定2019年ボトリング。焦樽、プリンのカラメルソース、グレイン、ちょっとトロピカルフルーツ、胡椒、藁半紙。アロマは時間が経つとナッティ。水っぽい口当たり。軽くて飲み易い割に少しアルコールの刺激を感じる。余韻はあっさりして短く、穀物とスモークが主に出るが辛味もあって深みがない。
Rating:79/100

Thought:昔の6年とか8年とエイジ・ステイトメントがあったブラックと較べると、どうしても美味しくなくは感じてしまいました。なんか6年よりも熟成してなさそうな若い味わいと言うか、いや、アルコール感が目立ち過ぎると言うか。とは言え、現行ホワイト・ラベルよりは格段に甘さ、フルーツ、スパイス等の熟成感はあって悪くはなかったです。
それと、上で言及した「調査」の件ですが、そのブラインド・テストでテイスターが試したのは86プルーフであり、私が試したのは80プルーフ、この差はかなり大きいと思います。ただ、これが86プルーフだったとしても、いくら想像を膨らませてみても流石に「パピー」を打ち倒す程の物とは到底思えませんが…。

Pairing:軽めのテクスチャーにライトなフレイヴァーなので肉料理や濃厚な味付けの料理を欲しなかったです。しかし、逆にあっさりとした冷奴に合わせるとピッタリ。これは料理を引き立てる酒という視点ではなく、バーボンを引き立てる料理という視点です。

Value:アメリカでは大体18〜25ドルで販売されており、最安値なら所謂アンダー$20バーボン。日本でも1800〜2500円が相場で、概ね本場と感覚的に変わりはないでしょう。但し、上述のように日本版は80プルーフなので本国版に較べ割高ではあります。ロウワー・プルーフはコンテンツに水が多いことに他なりませんから。
ジムビーム・ブラック・エクストラ・エイジドは基本的に美味しいバーボンです。バーボンを飲むことの喜びは甘い炭の風味にありますが、これにはちゃんとそれがあります。しかし、安価なバーボンなので奇跡を期待してはいけません。3000円以上するバーボンと比べたら不味く感じるし、1000円のバーボンと較べたら遥かに美味しく感じる、ただそれだけ。ジムビームの意図通り、ホワイトには物足らず、デヴィルズ・カットやダブル・オークには少々割高さを感じる人向けには良い製品でしょう。私の個人的な嗜好では、現在のジムビームの安価なラインナップの中ならダブル・オーク一択。また、酒屋の棚で並行輸入の86プルーフ版ブラック・ラベルか熟成年数表記ありの売れ残りを発見し、それが数百円の違いしかなかったら、必ずそちらを購入するべきです。

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2016年、ビーム社は彼らのフラッグシップ・ラインであるジムビーム・ブランドを新しいラベルとボトル・デザインに変更しました。ちょうどその年から発売され始めたのがジムビーム・ダブルオーク・トゥワイス・バレルドです。
その製品名にある言葉に注目すると、先ず「トゥワイス・バレルド」と言うのはダブル・マチュアードの言い換えだと思います。ダブル・バレルドと言っても同じで、要は語義的に見て2回樽で熟成させていると言うこと。一回目の樽熟成の後に追加でもう一回樽熟成させる手順を指しています。総称として「フィニッシング」と知られるこの熟成技法は、バーボン・ウィスキーの中で近年最も成長したカテゴリーかも知れません。日本では二段熟成とか後熟とか追熟と呼ばれます。スコッチ・ウィスキーではもっと前から定着しており、ウィスキー愛好家には説明不要でしょう。このバーボンで寧ろ注目すべきは「ダブル・オーク」の方です。バーボンのフィニッシングは、一般的にスタンダードなアメリカン・オーク樽で熟成させた後に別の種類の樽、概ねシェリー、ポート、ラム、もしくはビール樽などで熟成させることで、バーボンのフレイヴァー・プロファイルに複雑なレイヤーを加える手法ですが、このダブル・オークは同じ種類の樽でもう一度熟成させることで既に在るフレイヴァーを増幅させるのです。

バーボンは焦がしたホワイト・オークの新しい樽で熟成することで、少なくとも50%から多ければ70%程度の風味を獲得すると見られています。熟成中のウィスキーが木材から引き出すフレイヴァーは、樽の内部をどのようにトースティングしたりチャーリングするかである程度は決まるとされ、樽の調達先であるクーパレッジではマイルドなトーストからヘヴィなチャーまで加熱具合を制御して、顧客の蒸留所の望むフレイヴァーに微調整することが出来ます。それゆえチャー・レヴェルは蒸留所の特定のフレイヴァーに於ける特徴的な要素の一つとなるでしょう(但し、殆どのバーボンは#3〜#4のチャー・レヴェルであり、それ以上は限られた実験的なバレル・エイジングでしか使用されていない)。そこで誰かが考えつきました。新しい焦がしたオーク樽での熟成を2回行うのはどうだろうか、と。これはなかなか目新しい発想だったと思われます。
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アメリカで初めて公に新樽を2回使用したのはテネシー州のプリチャーズ・ディスティラリーではないかと見られています。この小さな蒸留所はクラフト・ウィスキーのブームが沸き起こる何年も前の1997年に開業し、早くも2002年頃にはダブル・バレルド・バーボンを限定発売していたようなのです。この手法のメジャーで継続的なリリースは、10年後の2012年に発売され始めたウッドフォード・リザーヴのダブル・オークドでした。このバーボンには、通常よりも時間を掛けてトースティングし、逆にチャーリングはごく軽くした特別に準備されたバレルが使用されています。また、ウッドフォード・リザーヴは2015年から、ディスティラリー・シリーズという蒸留所のギフト・ショップとケンタッキー州の一部小売店限定のダブル・ダブル・オークドまでリリースしています。こちらは名前の通りダブル・オークドを更にもう一度ヘヴィなトーストとライトなチャーを施した新樽で仕上げる製品。2014年にはミクターズからもウッドフォード・リザーヴに似たトーステッド・バレル・フィニッシュ・バーボンがリリースされました。これは限定版で、毎年リリースされるとは限らないようです。同年には、ヴァージニア州のA.スミス・ボウマン蒸留所からも限定版のエイブラハム・ボウマン・ダブル・バレル・バーボンがリリースされていました。考えようによっては、メーカーズマーク蒸留所によって2010年から発売されているメーカーズ46もバレル全体かその一部のステイヴかの違いはあっても、使い古しではない焦がした木材でフレイヴァーをアンプリファイドするという点に於いて発想の根幹は同じでしょう。とにかくこの10年、特に2015年以降にはマイクロ・ディスティラリーからも続々とこうしたウッド・フィニッシュのバーボンが追いきれないほど多く製造されています。で、冒頭に述べたように2016年からジム・ビームもこの潮流に乗り遅れないように参入した、と。日本では殆ど話題にならないか極端に流通量の少ないマイクロ・ディスティラリーの製品や、もう少し知名度はあってもセミ・レギュラーの限定品と違い、ウッドフォード・リザーヴのダブル・オークドと同様に大会社のビームからレギュラー・リリースされるダブルオークは店頭でお目にかかり易く、尚且お手頃価格で提供されるバーボン。このことは諸手を上げて歓迎です。

ジムビーム・ダブルオーク・トゥワイス・バレルドは、焦がしたアメリカン・オークの新樽で4年間熟成させた通常のジムビーム・ケンタッキー・ストレート・バーボン・ウィスキーを取り出し、それを再び焦がしたアメリカン・オークの新樽に移して仕上げます。こうすることで液体は更に深いレヴェルのスパイスの効いたオーキネスと濃厚なキャラメルを発達させ、通常よりもリッチでウッディなフレイヴァーを生み出すとされます。二度目の樽による熟成期間は公表されていませんが、倉庫の温度や味わいの熟成度に応じて、凡そ3〜6ヶ月程度と目されています。ちなみにジムビームのマッシュビルは現在の公式ホームページにはアナウンスがなく、バーボン系ウェブサイトを調べてみるとコーン77%/ライ13%/モルテッドバーリー10%とコーン75%/ライ13%/モルテッドバーリー12%の二説が見つかります。私にはどちらが新しい情報か判断がつきません。時代による変遷が考えられるので、お詳しい方はコメントよりご一報ください。では、ダブルオークがその名の通り「二倍」良いのかどうか試してみましょう。

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JIM BEAM DOUBLE OAK TWICE BARRELED 86 Proof
推定2018年ボトリング。色は度数の割に濃いめのブラウン。炭、カラメライズドシュガー、グレイン、胡椒、あんず、シナモン、絵の具。アロマは完全に焦樽アロマが主だが、酸を伴ったビーム・ファンクも。マイルドで水っぽい口当たり。パレートは名状しがたいダークなフルーツ感と接着剤。余韻はややビターと言うかドライで、焦がしたオークの香ばしさとナッティな風味が香る。
Rating:82.5/100

Thought:名前や製法からして、もっとオーキーなバーボンかと思いきや、意外とフルーティな仕上がりで美味しかったです。ジムビームの比較的安価なラインナップの中では一番好みでした。ダブルオークで気になるのはそのラインナップとの比較、特に同じ瓶形状であり色違いラベルとなるブラック・ラベル・エクストラ・エイジドとデヴィルズ・カットと、どのように異るのかですよね。
前回まで開けていたデヴィルズ・カットと較べると、製法の違いからかダブルオークの方が焦げた風味が強いものの、シャープなウッド・フレイヴァーやスパイス感は少なく、もう少し円やかでフルーティな印象です。エクストラ・エイジドと比較すると、樽に入っていた期間の総計はエクストラ・エイジドの方が長いようですが、やはりと言うかダブルオークの方がウッド・フレイヴァーは強く、甘みも苦味もフルーツ感も増している印象。ホワイト・ラベルとは違いすぎて比較の対象にし辛いのですが、セカンダリー・マチュレーションの効果は著しく、確かに「二倍」くらいは美味しいと思います。同社の上位ブランドであるノブクリークやベイカーズと較べると、同じ位に焦げ樽風味が効きながらもプルーフィングが低い分、軽くて飲みやすいのが利点でしょうか。ダブルオークに手放しで称賛できない点があるとすれば、2回も新樽で熟成してる割にヤンガー・ウィスキーの荒々しさがかなりあるところ。昔の8年表記のあったブラック・ラベルだと、もうちょっとメロウでバランスが良かった気がします。とは言え、ダブルオークの只のギミックに終わらない面白みとビーム原酒の個性の融合は楽しめました。

Value:アメリカでは大体20〜23ドル程度、日本での小売価格は大体2500〜3000円です。上に述べたように、個人的にはジムビーム・ブランドの比較的安価なシリーズの中でダブルオークはイチ推し。同社内で比べれば、これより価格の安い物よりは確実に旨く、価格の高い物よりは満足度が低いという適正価格でしょう。素晴らしいとまでは言わないけれど、ダブルオークはグッドなバーボンであり、価格に見合う価値はあると思います。

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現在のバーボン・ブームは「プレミアム」なバーボンがその人気を助長しているように見えます。多くのブランドは長年の主力製品をプレミアム化しました。特殊な環境下で熟成させたり後熟を施したり、高価なボトルに入れたり新規のラベルを貼り付けたり、壮大なストーリーを宣伝して、数量限定や割り当て配給にすることにより、時には100ドル超の高価格帯の製品を追加しています。また、ここ10年の間に登場した多くの新しいバーボン・ブランドも、目新しいボトルや凝ったラベルを用いてプレミアム感を演出し、消費者へのアピールをしています。それらを首尾よく手に入れ、SNSで自慢気に披露するのはよく見る光景です。ワイルドターキーの製品にもプレミアムなマスターズ・キープというシリーズがあります。レアな物を手に入れたり飲むことは、我々の気分を高揚させ、魅惑的で貴重な経験をさせてくれるでしょう。しかし、バーボン愛好家はそのようなプレミアム製品だけでなく、絶対的なお気に入りの安くて旨いバーボンも同時に愛するものです。
そう、ワイルドターキー101のことを言っています。熱烈なターキー信者は、もしも貴方の残りの人生でバーボンを一種類だけしか飲めないとしたら何を選びますか?と訊ねられたら、必ずやワイルドターキー101と高らかに宣言するに違いありません。それは彼らがワイルドターキー101を否定できない価値のある素晴らしい製品であると知っており、他のアメリカン・ウィスキー製造業者には到達できない何かがあると信じているからです。60年以上前、19歳のジミー・ラッセルはケンタッキー州ローレンスバーグの蒸留所で働き始め、後にマスター・ディスティラーに昇進し、今日でも共同マスター・ディスティラーである息子のエディ・ラッセルと共にそこにいます。変転の多い世の中にあって、これは何の誇大宣伝も必要としない紛うことなき伝説と伝統です。過去にワイルドターキーの特別なボトリングは幾つか発売されていますが、バーボン・ブッダと称される男の魂を最も体現するのはワイルドターキー101に他なりません。長らく卓越性の基準であったボトルド・イン・ボンド規格を大幅に上回る熟成期間と、その法定プルーフを僅かに越える1プルーフの追加を行うことで、見た目にも美しい並びの「101」という象徴的な数字をもつバーボンは、常に信頼できる品質を誇りながら何時でも手頃な価格であり続けました。頑固だけど気さく、厳しいけど優しい、まるでジミーのように。

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(2015年の終わり頃から採用されたスケッチ・ターキー・ラベル)

日本人にとってワイルドターキーの定番中の定番と言えば今でも8年表記のある101。1992年以降、アメリカ国内の101からはエイジ・ステイトメントが削除されNASの6〜8年熟成となりましたが、輸出市場の日本では8年物が流通し続けているのです。その理由を或るインタヴューでエディは、日本の消費者は味の判る方が多いからというようなことを言っていました。本当かどうかは怪しいですが、日本向けの建前としてはそうなのでしょう。また或るバーのオウナーの方が宣伝のため来日していたエディに直接尋ねたところ、「日本人は熟成年数でボトルへの評価を変えるから」という趣旨の発言があったそうです。こちらが本音のような気がしますね。いずれにせよ、日本を特別扱いしてくれていることには感謝しかありません。

同時期のエクスポート8年とアメリカ流通NASを飲み比べた海外のターキーマニアの方によると、味わいはどちらもモダン・ワイルドターキーのコア・フレイヴァーを共有し、明確な差はそれほど感じないとのこと。エイジ・ステイトメントの有り難みは確かにありますし、熟成年数の明確な違いはフレイヴァー・バランスを変えますが、寧ろ実際にはバッチングにどのようなバレルが選択されたかの方が重要なようです。ワイルドターキーでは毎年、全てのリックハウスから均等にバレルが選ばれる訳ではありません。各バッチに「収穫」されるバレルは、その時「旬」の限定された選りすぐりのリックハウスから、成熟度と味に基づいて引き出されることが知られています。或る時はタイロンのB、D、H、K倉庫から多く引き出され、別の年はG、M、O倉庫から、また或る年はキャンプ・ネルソンのAとF倉庫から多く引き出されるという具合に。ワイルドターキーは比較的バッチやロット間の味わいの変動が大きそうな印象がありますが、もしかするとここら辺がその理由の一端なのかも知れませんね。
エディ・ラッセルの息子でブランド・アンバサダーのブルースは某掲示板で、2018年のワイルドターキー101には通常の8年より10年原酒が多く含まれていると述べ、ターキー愛好家をざわつかせました。或る著名な愛好家は機会を待ってさっそく「仕事」に取り掛かりました。彼によると、2018年前期の物は2017年の物と比較してプロファイルに大きな違いは見つからなかったらしいですが、2018年後期の物(レーザーコードがLL / GG〜LL / GJの物)はとても優れていたそうです。そして2019年ボトルも概ね良さげな評価に見えます。逆に2020年2月のハンドル付リッター・ボトルは「オフ」バッチだったという報告もネット上で話題になりましたが、これは極めて稀な例でしょう。まあ、これらはNAS101の話。今回レヴューに取り上げるのは日本向け8年101の推定2019年ボトルです。

私はここ最近、ワイルドターキーの限定版やレアブリード等は飲んでいましたが、スタンダードな8年101を飲むのは約2年ぶり。実を言うと、敢えて飲むのを避けていたのです。その理由は、以前投稿したレアブリード116.8のレヴュー時に言及した件が関係しています。
ワイルドターキー蒸留所は旧来のブールヴァード蒸留所から2011年に新しい蒸留施設へと転換しました。新しい施設の生産能力は年間1100万ガロンで、旧蒸留所の2倍以上です。新しいビア・スティルとダブラーは古い物と全く同じ大きさであり、全体的な生産容量の増加はより大きなクッカーとファーメンターから由来しています。新原酒を含むNAS101を飲み比べたアメリカの方によると、どうやら旧原酒よりもナッティな傾向が強いらしい。レアブリード116.8を飲んだ時、フレイヴァー・プロファイルがそれまでのレアブリードとはかなり違う印象を受けました。それはおそらく新しい蒸留施設の6年原酒を多く含むからなのでは?と推測し、ならば日本限定の8年101も単純計算で2019年のロットから劇的に味わいが変わるかも!と楽しみに待っていたのです。で、たまたま近所のスーパーに並んでいたワイルドターキー8年101が2019年ボトリングぽい、じゃあ買ってみるか、と。なので、さっそく注いでみましょう。

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WILD TURKEY AGED 8 YEARS 101 Proof
推定2019年ボトリング。レーザーコードはLL/HJ。スパイシーヴァニラ、香ばしい焦げ樽、クレームブリュレ、ドライアプリコット、チョコチップクッキー。口当たりはオイリーではないがゆるくもない。味わいはかなりフルーティで、僅かなレーズンと微かなチェリー。液体を飲み込んだ直後のスパイシーなキックはなかなか。余韻はややドライなウッド・ノートと穀物が主で、ほんのりナッツが香る。
Rating:86.5/100

Thought:久しぶりに飲んだせいか、あれ?こんなに旨かったっけ!?というのが正直な感想です。熟成感も丁度いいし、バーボンの美味しい基本的なフレイヴァーが各々、実にバランス良く感じられます。ブラインドで試せばもう少し格上の物と間違えそう。唯一、余韻は深みに欠けるのがウィークポイントかな。日本では、ターキーの現行ボトルとオールドボトルを比較して、薄くなったとかコクがないとか、樽のえぐみが出てるとかアルコール感が強いとかよく聞く(見る)のですが、自分にはちょっと信じられません。凄く良く出来たバーボンという印象です。まあ、オールド派の言いたいことは分かりますし、確かに私もそのようなことを言ってしまう時があります。オールドボトルの方がダークチェリーや複雑なスパイス、アーシーなフィーリングの現れが感じ易く美味しい、とか。ですが、オールドボトルはそれらに加えてオールド臭と言うのか古びた風味が強過ぎることも多いです。それに較べると現行品はフレッシュ感が美味しいので、つまりは一長一短…。どっちも愛せばいいんじゃないの?と自戒の念を込めて言っておきましょう。
そして、上述の新原酒の件ですが…、うーん、どうでしょうね、2年前に飲んだ時より美味しくは感じたのですが、それはここ最近、私が自分の苦手な長期熟成の限定版ワイルドターキーを飲み続けていて、久しぶりにスタンダードな8年を味わったからなだけなのかも知れません。ただ、フレイヴァー・プロファイルはそれほど変わったとは感じませんでした。サイド・バイ・サイドで比べてる訳でもなく、記憶と比べてるので曖昧ですが。
このボトルはおそらく2019年10月のロットと思われます。となると、このボトルにはギリギリ新原酒が混和されていない可能性もあり得るでしょう。逆にこのボトルは新原酒で構成されているが、新原酒と旧原酒はそこまでの著しい大差がない可能性もあります。ここはもう一度、2020年か2021年のボトルを飲んでみるしかなさそうです。既にそれらを飲んだことのある皆さんはワイルドターキー新施設の蒸留原酒をどう思いましたか? コメントより感想をどしどしお知らせ下さい。そう言えば、2020年11月には、アメリカの或る州では早くも新ボトル・デザイン(エンボス・ターキー)が流通し始めました。そのうち日本流通の物も切り替わって行くのでしょう。見た目が変わると味も変わったように感じ易いので、またその時に試すのもいいかも知れませんね。

Value:相場は大体2500〜3500円くらいでしょうか。間違いなく購入する価値はあると思います。と言うか、これを愛さず何を愛せと言うのか…(笑)。

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W.L.ウェラー・スペシャル・リザーヴは、現在ではサゼラック・カンパニーが所有するフランクフォートのバッファロートレース蒸留所で製造されているウィーテッド・バーボン(小麦バーボン)です。元々はスティッツェル=ウェラーによって作成されたブランドでした。ウィーテッド・バーボンと言うのは、全てのバーボンと同様に少なくとも51%のコーンを含むマッシュから蒸留されますが、フレイヴァーを担うセカンド・グレインにライ麦ではなく小麦を用いたバーボンを指します。小麦が51%以上使用されたマッシュを使うウィート・ウィスキーとは異なるので注意しましょう。近年のウェラー・ブランドには人気の高まりから複数のヴァリエーションが展開されていますが、「ウェラー・スペシャル・リザーヴ」はかねてから継続的にリリースされていた三つのうちの一つであり、ラインナップ中で最も安価なエントリー・レヴェルの製品です(他の二つは「アンティーク107」と「12年」)。ブランドの名前はウィリアム・ラルー・ウェラーにちなんで名付けられました。そこで今回は、今日でも広く販売されているバーボンにその名を冠された蒸留酒業界の巨人を振り返りつつ、スティッツェル=ウェラーと小麦バーボンおよびウェラー・ブランドについて紹介してみたいと思います。

ウィリアム・ラルー・ウェラーは、1825年、その起源をドイツに遡る家族に生まれました。蒸留に関わるウェラーの物語はウィリアムの祖父ダニエル・ウェラーから始まります。バーボンの歴史伝承によると、ウィスキー・リベリオンの際に蒸留家らは連邦税から逃れるためにペンシルヴェニア州からケンタッキー州へやって来たとされますが、それは必ずしもそうではありませんでした。独立戦争(1775年4月19日〜1783年9月3日)を戦った世代のダニエルはメリーランド州から来ました。彼の一家はメリーランド州でマッチ作りをしていたそうです。ダニエルは自分の父が他界すると入植者としてケンタッキーに移住することを決め、ネルソン・カウンティの現在はブリット・カウンティ境界線に近い土地を購入します。一家はフラットボートでオハイオ・リヴァーを下ってルイヴィルに向かい、1796年にネルソン・カウンティに来ました。共に来ていたダニエルの兄弟は後に有名なガンスミスになったそうです。
ネルソン・カウンティで彼らは農場を始め、ダニエルはファーマー・ディスティラーになりました。当時の多くの入植者がそうであったように、おそらく彼もコーンを育て現在のバーボンと近いマッシュビルで蒸留していたと見られます。しかし、言うまでもなく当時はまだ「バーボン」という呼び名ではありませんでした。ダニエルがケンタッキー州でのウィスキー・リベリオンに参加していたのかは定かではないそうですが、1800年に三週間ウィスキーを蒸留するライセンスが発行されたことは知られています。これはダニエル・ウェラーの公の記録の中で現存する最古のライセンスで、実際には隣人がウェラーのスティルでウィスキーを造るのを許可するために発行されたものだそうです。これは当時の非常に一般的な慣習とのこと。仮に私が自分で蒸留器を所有していない場合、隣人からスティルを借りて、彼らにウィスキーを作って貰い、私が政府に税金を払う訳です。ウェラーの蒸留器は90ガロンのポットスティルでした。当時の地元の収穫量から判断すると隣人は恐らくその期間に150から200ガロンのウィスキーを製造していたのではないかと歴史家のマイク・ヴィーチは推測しています。1802年にトーマス・ジェファソン大統領がウィスキー税を廃止したため、ダニエル・ウェラーの蒸留所の税務記録は残っていません。
1807年、ダニエル・ウェラーは落馬した際に受けた怪我の合併症で亡くなりました。彼の財産目録には2個のスティル、マッシュ・タブ、クーパーの道具、ジャグ等があり、212.17ドルの価値があったと言います。彼はケンタッキー州初期の典型的な農民蒸留者でした。ダニエルの息子サミュエルは、おそらくこの蒸留装置を受け継ぎ蒸留所の規模を拡大したと思われますが、連邦税がなかったために蒸留所の公式記録はなく、更なるお金を投資したかどうか判りせん。また、サミュエルはラルー・カウンティでウィスキーを造ったようですが、これまた記録がなく1850年代に亡くなった時に蒸留所がどうなったのかも不明です。ともかくウェラー家のリカー・ビジネスに携わる伝統はダニエルからサミュエル、更にその息子ウィリアムへと継承されて行ったのでしょう。

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ウィリアム・ラルー・ウェラーは1825年7月25日に生まれました。彼の母親であり父サミュエルの再婚の妻であるフィービー・ラルー・ウェラーは、ケンタッキー州ラルー郡の創設者ジョン・ラルーの娘です。ウィリアムの幼少期についてはよく分かりませんが、名家と言って差し支えなさそうな出自からして、将来のための相応な教育を受けていたと想像されます。成長したウィリアムは1844年にルイヴィルに移りました。そこで何をしていたかも定かではありませんが、酒類ビジネスに関わっていたのでしょうか。1847年になると彼はルイヴィル・ブリゲイドに加わり、他のケンタッキアンらと共にアメリカ=メキシコ戦争(1846〜1848年)を戦い、中尉の階級に昇進したようです。戦後、ウィリアムはルイヴィルへと戻り、1849年に弟のチャールズと協力して、今日NDP(非蒸留業者)と呼ばれるウィスキーの卸売り販売やレクティファイングを手掛ける「ウィリアム・ラルー・ウェラー&ブラザー」を設立しました。店舗はジェファソン・ストリートと現在のリバティ・ストリートの間にあり、彼らは「誠実なウィスキーを誠実な価格で」というスローガンを掲げたとされます。もしかするとラルー・カウンティで父親が造ったウィスキーを販売していたのかも知れません。

1850年代にルイヴィルは活気に満ちた裕福な都市になっていました。街の成長もあってかウェラーの酒はかなりの人気があったようです。伝説によると、人気があり過ぎて顧客が本物を手に入れたことを保証するために、全ての取引書とウィスキーの樽に緑色のインクで拇印を付けなければならなかったとか。会社の設立とほぼ同じ頃、25歳になっていたウィリアムは結婚するのに十分な経済的基盤を築いており、5歳年上でシェルビー・カウンティ出身のサラ・B.ペンスと結婚しました。彼らはこれからの16年の間に7人の子供(4人の男子、3人の女子)をもうけています。また、1854年に腸チフスの流行により父親と母親が亡くなった後、ウィリアムは弟のジョンを自分の息子として育てました。
或る主張によれば、この時期までにW.L.ウェラーは小麦バーボンを発明したとされます。しかし、当時のウィリアムは自身の蒸留所を所有しておらず、先述のようにあくまでレクティファイヤー、つまり特定の蒸留所からウィスキーを買い上げるとブレンディング、フィルタリング、フレイヴァリング等の手法で仕上げ、販売のためにパッケージ化して顧客に販売する業者だったと見られるのです。当時のルイヴィル市の商工人名録には、ウェラーが国内外のウィスキー卸売り及び小売りディーラーと記載されていました。1871年以降にはウェラー社にもスティルがあり、粗悪なグレードのウィスキーを「コロン・スピリッツ」と呼ばれるニュートラル・スピリッツに再蒸留するために使用していたそうですが、同社はオリジナルの蒸留は行わず、この再蒸留のみを行っているとの声明さえ出していたとか。

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南北戦争の到来は、南寄りのウェラー家に大きな混乱を齎します。ウィリアムの兄弟のうち二人は南軍のために戦いました。弟ジョンは有名なケンタッキーの南軍オーファン・ブリゲイドに加わり、キャプテンの階級に昇進し、チカマーガの戦いで負傷したそうです。別の兄弟はジョージアの南軍にその身を捧げました。ウィリアムとチャールズはルイヴィルの家業に留まり、北と南に出来るだけ多くのウィスキーを売るために中立を保とうとしました。しかし、皮肉なことに会社のパートナーであるチャールズは、1862年、事業債務の回収のためにテネシー州フランクリンに滞在中、多額の現金を所持していたところを二人の銃を持った強盗に襲われ殺害されてしまいます。
南部の敗北の後、キャプテン・ジョンはチャールズに代わって家族の会社で働くようになりました。ウィリアムの息子達が成長するにつれて、彼らも事業に参入し始めます。1870年代に同社は、現在でもアメリカの酒類産業の中心地であるルイヴィルのメイン・ストリートに移転し、社名は「W.L.ウェラー&サン」を名乗るようになりました。ウィリアムの長男ジョージ・ペンス・ウェラーがパートナーでした。また、ウィリアム・ジュニアはクラークとして働いていました。1887年頃、他の息子達が参入した会社は「W.L.ウェラー&サンズ」になります。ウェラー社はオープン・マーケットでウイスキーを購入し、後には同じくルイヴィルのスティッツェル・ブラザーズ蒸留所やアンダーソン・カウンティのオールド・ジョー蒸留所などと大きなロットの契約を結びました。彼らの会社で使用されたブランド名には「ボス・ヒット」、「クリードモア」、「ゴールド・クラウン」、「ハーレム・クラブ」、「ケンタッキーズ・モットー」、「ラルーズ・モルト」、「オールド・クリブ」、「オールド・ポトマック」、「クォーター・センチュリー」、「ローズ・グレン」、「サイラス・B.ジョンソン」、「ストーン・ルート・ジン」、「アンクル・バック」、「アンクル・スローカム・ジン」等があり、旗艦ブランドは「マンモス・ケイヴ」と「オールド・W.L.ウェラー」と「キャビン・スティル」と伝えられます。当時の多くの競合他社とは異なりウェラー社では1905年から殆どのブランドを商標登録していたそう。彼らは宣伝にも積極的で、お得意様へ提供されるアイテムにはバック・バー用のボトルやラベルが描かれたグラス、またはエッチングされたショットグラス等があったようです。
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1893年、後に「パピー」と知られるようになり業界への影響力を持つことになる19歳の青年ジュリアン・ヴァン・ウィンクルがセールスマンとしてウェラーズに入社しました。ウィリアムはヴァン・ウィンクルに決して顧客と一緒に酒を飲まないように教えたと言われています。「もし飲みたくなったら、バッグに入ってるサンプルを部屋で飲みなさい」と。同じ頃、父と仕事を共にする息子は4人いました。ジョージとウィリアム・ジュニアはパートナー、ジョン・C.とリー・ウェラーはクラークでした。1895年に70歳を迎えたウィリアムは自分の衰えを感じ、一年後に引退します。事業は兄弟のジョンと長男のジョージに任せました。数年後の1899年3月、ウィリアムはフロリダ州オカラで亡くなります。死因は「心臓合併症を伴う慢性痙攣性喘息」だったそうです。多くの「ウィスキー・バロンズ」の眠りの場となっているルイヴィルのケイブ・ヒル・セメタリーに埋葬されました。

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今日、ウィリアム・ラルー・ウェラーの名前は小麦バーボンと結びついています。ウェラー・ブランドのラインを現在製造するバッファロー・トレース蒸留所の公式ホームページでも彼について記述されていますし、ウェラー・ブランドのラベルには「The Original Wheated Bourbon」と謳われています。しかし残念なことに、おそらくウィリアムと小麦を使用したバーボンには何の関係もありませんでした。
小麦をフレイヴァー・グレインに使用することは、18世紀後半から19世紀前半のウィスキー・レシピにも見られたようです。ライ麦と小麦のどちらを使ってマッシュを作るかは、それぞれの入手し易さに左右されたのでしょう。ライ麦がバーボンの一般的な第二穀物となって行ったのは、単純に小麦がライ麦よりも高価な穀物であり、小麦粉としての需要も高かったためだと考えられています。近年ではライ麦の代わりに小麦を使用するバーボンがクラフト蒸留所からも発売され市場に出回っていますが、伝統的なブランドとしてはオールド・フィッツジェラルドやW.L.ウェラー、キャビン・スティルにレベル・イェール、そしてメーカーズマークくらいのものでした。勿論ヴァン・ウィンクル系のバーボンも含めてよいかも知れません。歴史家のマイク・ヴィーチによれば、これらのブランドは全て歴史上共通の糸、DNAを持っており、その端緒はスティッツェル・ブラザーズであると言います。
フレデリック、フィリップ、ジェイコブのスティッツェル兄弟は、1872年、ルイヴィルのブロードウェイと26thストリートに蒸留所を建設しバーボンの製造を開始しました。この蒸留所は主要ブランドにちなんでグレンコー蒸留所としても知られ、グレンコーの他にフォートゥナ・ブランドが有名です。彼らはウィスキー造りの実験を行った革新的なファミリーでした。よく知られた話に、フレデリックが1879年にケンタッキー州の倉庫に現在まで存続するウィスキー樽を熟成させるためのラックの特許を取得していることが挙げられます。そしてまた、フレイヴァー・グレインとして小麦を使用したバーボンのレシピを実験してもいました。穀物、酵母、蒸留プルーフ、バレル・エントリー・プルーフ、それらの最良の比率が見つかるまで実験を繰り返したことでしょう。彼らはこのウィスキーを主要ブランドに使用することはありませんでしたが、フィリップの息子アーサー・フィリップ・スティッツェルが1903年にオープンしたストーリー・アヴェニューの蒸留所に、その実験の成果は伝えられていました。
A.Ph.スティッツェル蒸留所は1912年にW.L.ウェラー&サンズのためにウィスキーを製造する契約蒸留の関係にあった記録が残っています。19世紀の業界では多くの契約蒸留が行われていました。W.L.ウェラー&サンズのような会社は蒸留所を所有していなくても、特定の蒸留所と自らの仕様に合わせたウィスキーを造る契約をして、自社ブランドを販売していたのです。テネシー州の一足早い禁酒法によりタラホーマのカスケイド・ホロウ蒸留所が閉鎖された後、1911年にA.Ph.スティッツェル蒸留所はジョージディッケルのカスケイド・ウィスキーを造ることになり、テネシー・ウィスキーのためのチャコール・メロウイング・ヴァットまで設置されていたのは有名な話。契約蒸留は、蒸留所を所有することとバルク・マーケットでウィスキーを購入することのちょうど中間の妥協点でした。バルク・マーケットでウィスキーを購入する場合は売り手の売りたいバレルから選ぶことになり、そのぶん比較的安価な訳ですが、フレイヴァー・プロファイルを自分でコントロールすることは出来ません。契約蒸留ならばウィスキーのマッシュビル、蒸留プルーフ、樽の種類、バレル・エントリー・プルーフ等を契約で指定するので、ウィスキーのフレイヴァー・プロファイルをある程度はコントロールすることが出来ます。しかし、ウェラー社のそれはおそらく小麦バーボンではありませんでした。ウェラー社は大企業とは言い難く、500バレルが年間売上の大部分を占めていたので、スティッツェルが当時のウェラーのためにその量の小麦バーボンを造っていたとは到底信じられない、というようなことを或る歴史家は言っています。レシピに小麦を使用するという考えは何年にも渡る禁酒法期間を通して休眠状態にあり、小麦バーボンが花開くのは禁酒法が廃止されるのを待たねばなりませんでした。
では、話を一旦ウィリアム死後のウェラー社に戻し、続いて禁酒法期間中の事と解禁後にスティッツェル=ウェラーが形成されるまでをざっくり見て行きましょう。

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1899年、W.L.ウェラー&サンズはメイン・ストリートの北側、1stと2ndストリートの間にある大きな店舗をバーンハイム・ブラザーズから購入しました。19世紀末までにウィスキーを他州の市場へ出荷するための主要な手段は鉄道となっていたため、スティームボートに樽を積み込むことが出来るウォーターフロントに近いことは南北戦争後には重要ではなくなっていましたが、それでもこの店舗はW.L.ウェラー&サンズが以前所有していたよりも大きな建物であり、ウィスキー・ロウの中心部にオフィスを構えることには威信があったのです。同年にウィリアムが亡くなったその後、息子のジョージが会社の社長になり、ジョージの末弟ジョンは営業部長を務めました。ジュリアン・"パピー"・ヴァン・ウィンクル(シニア)や、別の会社のセールスマンから1905年にウェラー社へ加入したアレックス・T・ファーンズリーも会社を大いに盛り上げたことでしょう。パピーとファーンズリーの二人はよほど有能だったのか、1908年、共に会社の株式を買い、会社に対する支配権を取得します。ジョージ・ウェラーは1920年の禁酒法の開始時に引退するまで社長として残りました。この新しいパートナー達は元の名前を維持しましたが、新しいビジネス戦略を採用しました。彼らはウィスキー原酒のより安定的な供給を確保するために蒸留所の少なくとも一部を所有する必要性を認識し、スティッツェル蒸留所に投資します。ほどなくしてアーサー・フィリップ・スティッツェルはビジネス・パートナーになりました。禁酒法がやって来た時、スティッツェルは禁酒法期間中に薬用スピリッツを販売するライセンスを取得します。パピーはA. Ph.スティッツェル蒸留所の所有権も有していたので、この合弁事業によりW.L.ウェラー&サンズはスティッツェル社のライセンスに便乗し、スピリッツを販売することが可能となりました。こうして1920年に禁酒法が施行される頃、W.L.ウェラー&サンズはパピーが社長、アーサーが秘書兼会計を務め、逆にA.Ph.スティッツェル社はアーサーが社長、パピーが書記兼会計を務めていました。そしてファーンズリーは両社の副社長です。

禁酒法は蒸留所での生産を停止しましたが、A.Ph.スティッツェル蒸留所のサイトは統合倉庫の一つとなり、薬用スピリッツの販売を続けます。W.L.ウェラー&サンズは禁酒法の間、メイン・ストリートの建物に事務所を置いていました。ジュリアン・ヴァン・ウィンクルは、そこから営業部隊を率いて、全国で薬用スピリッツのパイントを販売しようと努めました。アレックス・ファーンズリーもそこに事務所を持っていましたが、禁酒法の期間中はフルタイムで銀行の社長を務めていたので忙しかったらしい。アーサー・フィリップ・スティッツェルの事務所はストーリー・アベニューの蒸留所にありましたが、ウェラーの事務所を頻繁に訪れていたそうです。
禁酒法下の薬用ウィスキー・ビジネスで蒸留業者は、ブランドを存続させるために他社からウィスキーを仕入れたり、統合倉庫に自らのブランドを置いている企業のためにウィスキーをボトリングし、単純に保管料や瓶詰代や少額の販売手数料を徴収していました。スティッツェル社は禁酒法期間中にヘンリー・マッケンナのブランドを販売していたそうです。彼らはブランドやウィスキー自体を所有していませんでしたが、マッケンナはスティッツェルの統合倉庫にウィスキーを置いていました。スティッツェル社とライセンスを共有していたW.L.ウェラー社は、ヘンリー・マッケンナを1ケース1ドルの手数料で販売し、樽の保管料とボトリング費用(材料費と人件費)を売上から請求したと言います。
1928年、薬用スピリッツの在庫が少なくなると、政府はライセンスを持つ蒸留所に酒類を蒸留して在庫を補充することを許可しました。許可された量はライセンスを持つ会社が保有する既存の在庫の割合に応じて決められています。A.Ph.スティッツェル蒸留所がどれ位の量を蒸留したかはよく分かりませんが、自分たちのため以外にもフランクフォート・ディスティラリーとブラウン=フォーマン社のためにバーボンを生産したそうです。これらの蒸留会社は1928年時点では稼働中の蒸留所を所有していなかったので、A.Ph.スティッツェル蒸留所が割り当てられたウィスキーの蒸留を請け負いました。1929年にブラウン=フォーマンはルイヴィルの自らの蒸留所を稼働させ蒸留を開始しましたが、フランクフォート・ディスティラリーは禁酒法が撤廃された後もA.Ph.スティッツェル蒸留所で契約蒸留を続けました。
"ドライ・エラ"に薬局に提供されたW.L.ウェラー&サンズのバーボンには、禁酒法以前から人気のあった「マンモス・ケイヴ」があります。他にどれだけの種類のラベルが制作されているのか私には把握出来ませんが、「オールド・W.L.ウェラー(白ラベル)」名義のバーボンとライをネット上で見かけました。あと禁酒法末期頃ボトリングの「オールド・フィッツジェラルド」や「オールド・W.L.ウェラー(緑ラベル)」や「オールド・モック」はよく見かけます。

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禁酒法以前からパピー・ヴァン・ウィンクルのW.L.ウェラー社はA.Ph.スティッツェル蒸留所が生産するバーボンを多く購入していた訳ですが、パピーは禁酒法期間中にその終了を見越してA.Ph.スティッツェル蒸留所を購入し、スティッツェル=ウェラーを結成します。禁酒法が廃止された後、二つの会社は正式に合併してジェファソン郡ルイヴィルのすぐ南にあるシャイヴリーに新しい蒸留所を建設しました。この蒸留所こそが小麦バーボンの本拠地となって行く1935年のダービー・デイにオープンしたスティッツェル=ウェラー蒸留所です。A.Ph.スティッツェル蒸留所は新しくスティッツェル=ウェラー蒸留所が開設された時にフランクフォート・ディスティラリーに売却されました。フランクフォート・ディスティラリーは、こことスティッツェル=ウェラー蒸留所に近いシャイヴリーのディキシー・ハイウェイに建設した別の蒸留所でフォアローゼズを製造しました。この蒸留所は1940年代にシーグラムがフランクフォート・ディスティラリーを買収した後も存続しましたが、1960年代に閉鎖されたそうです。
新しく始動した会社でパピー・ヴァン・ウィンクルは社長に就任し、セールスを担当しました。アレックス・ファーンズリーは副社長として残り財務を担当、同時にシャイヴリーのセント・ヘレンズ銀行の頭取でもありルイヴィル・ウォーター社の副社長でもありました。アーサー・スティッツェルも副社長で、製造を担当したとされます。パピーはスティッツェル=ウェラー蒸留所でウィーテッド・バーボンを造ることにしました。それはスティッツェル兄弟が何年も前から実験していたレシピでした。それを採用した理由は、会社の役員であるパピー、アーサー、ファーンズリーらは小麦レシピのバーボンを熟成が若くても口当たりが良く美味しいと考えたからだと言われています。これはウィスキーの熟成があまり進んでいない段階では重要なことでした。本来、市場に出すのに適した良質なボンデッド規格のバーボンは、熟成させるのに少なくとも4年は掛かります。禁酒法廃止後の市場のニーズに応えるのに、もっと若い熟成年数で売れる製品が必要だった訳です。彼らはまず初めに「キャロライナ・クラブ・バーボン」の1ヶ月熟成をリリースし、その後3ヶ月物、6ヶ月物、1年物と続けます。そうして主要ブランドに入れる4年熟成のバーボンが出来上がるまでこのブランドを維持しました。彼らの主要ブランドはオールド・フィッツジェラルド、W.L.ウェラー、キャビン・スティルです。後年、のちにウェラー・アンティークとなるオリジナル・バレル・プルーフというヴァリエーションや、1961年にはレベル・イェールを導入し、60年代後半にはオールド・フィッツジェラルド・プライムがポートフォリオに追加され、また他にも幾つかのプライヴェート・ラベルを個人店向けに作成しましたが、ウィーテッド・バーボンはスティッツェル=ウェラー蒸留所が造った唯一のレシピであり、それらは全て同じウィスキーであっても熟成年数やボトリング・プルーフを変えることで異なったものになりました。

1940年代後半頃でもスティッツェル=ウェラー蒸留所の複合施設はまだ成長していたそうです。しかし、会社の幹部は40年代に相次いでこの世を去りました。アレグザンダー・サーマン・ファーンズリーは1941年に亡くなっています。蒸留業以外でも活躍した彼は他の会社の社長も兼任し、またルイヴィルのペンデニス・クラブの会長を2期務めました。彼の名を冠したパー3のゴルフコースがシャイヴリーにあるとか。アーサー・フィリップ・スティッツェルは1947年に亡くなっています。どうやら彼の死後にスティッツェル・ファミリーで蒸留業に就いた人はいないようです。残されたジュリアン・プロクター・"パピー"・ヴァン・ウィンクルは1960年代まで生き、引き続き会社を牽引しました。
パピーは優秀なビジネスマンでありカリズマティックなリーダーでしたが、所謂マスター・ディスティラーではありませんでした。スティッツェル=ウェラーの最初のマスター・ディスティラーはウィル・マッギルです。彼はジョーことジョセフ・ロイド・ビームの義理の兄弟でした。二人はジョーよりかなり年上の兄であるマイナー・ケイス・ビームによって訓練されました。禁酒法以前の若い頃、彼らはケンタッキー州の様々な蒸留所で一緒に働いていたそうです。1929年、禁酒法以前の在庫が無くなりかけていたため政府が「ディスティリング・ホリデイ」を宣言し、薬用ウィスキーのライセンス保持者へ蒸留を許可すると、パピーはジョーと彼のクルーを呼び、A.Ph.スティッツェル蒸留所のスティルに火を入れるように依頼しました。おそらく、その頃からマッギルも何らかの関係を持っていたのでしょう。マッギルがスティッツェル=ウェラーで直面したのはタフな仕事でした。可能な限り最高のウィスキーを造るために懸命に新しい蒸留所の全ての癖を把握しなければならなかったのです。エイジングの過程も考えれば数年は掛かり、簡単な仕事ではありません。製造初年度のウィスキーをテイスティングしたことがある方によると、当時から良いものだったけれど年を重ねて更に良くなって行ったと言います。ちなみに、スティッツェル=ウェラーでマッギルは何人かのビーム家の甥っ子を雇っていたとされ、その中で最年長のエルモは後にメーカーズマークの初代マスター・ディスティラーとなっています。
マッギルは1949年頃に引退し、その座はアンディ・コクランに引き継がれました。コクランは若くして亡くなり、蒸留したのは数年だけでした。彼の後釜はロイ・ホーズ(Roy Hawes)です。ホーズはスティッツェル=ウェラーの歴史の中で最も在職期間の長いマスター・ディスティラーでした。彼は50年代前半から70年代前半までの約20年間をそこで過ごし、スティッツェル=ウェラーの全盛期を支え続けたと言っても過言ではないでしょう。亡くなる寸前までまだ技術を学んでいたという熱心なホーズは蒸留所と共に成長し、在職中に多くの優れたバーボンを造りました。
1972年に蒸留所がノートン・サイモンに売却された頃からはウッディ・ウィルソンがディスティラーです。時代の変化はバーボンのフレイヴァー・プロファイルも変えました。新しいオウナーはバレル・エントリー・プルーフを上げるなどして蒸留所の利益を上げようとします。ウィルソンは冷徹な「企業の世界」とバーボンの売上の減少に対処しなければなりませんでした。それでも彼はホーズから学んだクラフツマンシップで良質なバーボンを造りました。ウィルソンが1984年に引退するとエドウィン・フットが新しいディスティラーとして採用されます。
エド・フットは既にウィスキー業界で20年のキャリアを積み、シーグラムを辞めてスティッツェル=ウェラーに入社しました。ホーズやウィルソンに蒸留所やS-W流のやり方を教わったと言います。しかし、フットの時代もまた変化の時代でした。フットはマッシュビルに含まれるバーリーモルトを減らし、酵素剤を使って糖への変換をすることを任されます。バレル・エントリー・プルーフもこっそりと更に少しだけ高くなりました。依然として優れたウィスキーであったものの、それはホーズやウィルソンが造った製品とは異なるウィスキーになっていたのです。そして1992年に蒸留所は閉鎖され、蒸留は完全に停止。フットはスティッツェル=ウェラー最後のマスター・ディスティラーでした。スティッツェル=ウェラー蒸留所については、以前のオールド・フィッツジェラルド・プライムの投稿でも纏めてありますので参考にして下さい。
では、そろそろW.L.ウェラー・スペシャル・リザーヴに焦点を当てましょう。

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スペシャル・リザーヴは早くも1940年代初頭には発売されていました。新しいスティッツェル=ウェラー蒸留所が稼働し始めて比較的初期の蒸留物が熟成しきった時にボトリングされているのでしょう。そうした初期のスペシャル・リザーヴはボトルド・イン・ボンド表記のボトリングで、熟成年数は7年、6.5年、8年等がありました。冒頭に述べたように、現代のスペシャル・リザーヴはウェラー・ブランドの中でエントリー・レヴェルの製品であり「スペシャル」なのは名前だけとなっていますが、40〜50年代の物は旗艦ブランドのオールド・フィッツジェラルドに負けず劣らず「特別」だったと思われます。おそらくパピーの死後まで全てのスペシャル・リザーヴはボンデッド規格だったのでは? 60年代中頃になると現在と同じ90プルーフのヴァージョンが登場し、同時にBiBもありましたが、後年ウェラー・アンティークとなる「オリジナル・バレル・プルーフ」の発売もあってなのか、ブランドは徐々に差別化され、スペシャル・リザーヴと言えば7年熟成90プルーフに定着しました。そして、白ラベルに緑ネックが見た目の特徴のそれは長らく継続して行きます。

スティッツェル=ウェラー蒸留所はその歴史の中で幾つかの所有権の変遷がありました。それはブランド権の移行を伴います。1965年のパピーの死後しばらくすると、ファーンズリーとスティッツェルの相続人は蒸留所の売却を望んだため、パピーの息子ジュリアン・ジュニアは会社を維持できず、1972年にノートン・サイモンのコングロマリットへの売却を余儀なくされました。ブランドは子会社のサマセット・インポーターズのポートフォリオになります。1984年、ディスティラーズ・カンパニー・リミテッドは、サマセット・インポーターズを買収。そしてディスティラーズ・カンパニー・リミッテッドが1986年にギネスの一部になった後、ユナイテッド・ディスティラーズが設立されます。もう一方の流れとして、「ビッグ・フォー」の一つだったシェンリーを長年率いたルイス・ローゼンスティールは会社を1968年にグレン・オールデン・コーポレーションに売却しました。そのグレン・オールデンは1972年に金融業者メシュラム・リクリスのラピッド・アメリカンに買収されます。リクリスは1986年にギネスがディスティラーズ・カンパニー・リミテッドを買収した際の株価操作の申し立てに巻き込まれ、翌1987年、ギネスにシェンリーを売却しました(シェンリーは以前ギネスを米国に輸入していた)。こうしてユナイテッド・ディスティラーズはアメリカン・ウィスキーの優れた資産を手中に収めます。彼らはアメリカでの生産を集約するため、1992年にスティッツェル=ウェラー蒸留所やその他の蒸留所を閉鎖し、ルイヴィルのディキシー・ハイウェイ近くウェスト・ブレッキンリッジ・ストリートに当時最先端の製造技術を備えた近代的で大きな新しい蒸留所を建設しました。それはシェンリーが長年メインとしていた旧来のバーンハイム蒸留所とは全く異なるニュー・バーンハイム蒸留所です。以後、結果的に短期間ながら彼らの所有するブランドはそこで製造されます。ちなみにオールド・バーンハイムが稼働停止した80年代後半から新しい蒸留所が92年に出来上がるまでの数年間、ユナイテッド・ディスティラーズはエンシェント・エイジ蒸留所(現バッファロー・トレース蒸留所)に契約蒸留で小麦バーボンを造ってもらっていました(これについては後述します)。
94年頃には、ユナイテッド・ディスティラーズはバーボン・ヘリテージ・コレクションと題し、自社の所有する輝かしい5ブランドの特別なボトルを発売しました。そのうちの一つが「W.L.ウェラー・センテニアル10年」です。
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数年後、蒸留所の親会社は多くのM&Aを繰り返した末、1997年に巨大企業ディアジオを形成しました。同社はアメリカン・ウィスキーは自分たちの本分ではないと認識し、今となっては勿体ない話ですが、その資産のうちI.W.ハーパーとジョージ・ディッケル以外のブランドの売却を決定します。1999年のブランド・セールで旧スティッツェル=ウェラーの遺産(ブランド)は三者に分割されました。オールド・フィッツジェラルド・ブランドは、バーズタウンの蒸留所を火災で失い新しい蒸留施設を求めていたヘヴンヒルに、バーンハイム蒸留所と共に売却されます。レベル・イェール・ブランドはセントルイスのデイヴィッド・シャーマン社(現ラクスコ)へ行きました。そして、ウェラー・ブランドは旧シェンリーのブランドだったオールド・チャーターと共にサゼラックが購入しました。サゼラックは1992年にフランクフォートのジョージ・T.スタッグ蒸留所(=エンシェント・エイジ蒸留所、現バッファロー・トレース蒸留所)を買収していましたが、自社蒸留原酒が熟成するまでの期間、販売するのに十分な在庫のバレルも購入しています。W.L.ウェラー・スペシャル・リザーヴはサゼラックが購入してからも従来と同じラベル・デザインを使いまわし、所在地表記が変更されました。
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2001年になるとウェラー・ブランドに「W.L.ウェラー12年」が新しく導入されます。おそらく、初登場時には下の画像のような安っぽいデザインが採用されたと思います。隣の12年と同デザインの「スペシャル・リザーヴ」が付かない「W.L.ウェラー7年」は短期間だけヨーロッパ市場に流通した製品。
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それと同時期の2000年、2001年、2002年には特別な「W.L.ウェラー19年」が発売されました。これらは90プルーフにてボトリングされ、純粋なスティッツェル=ウェラー・ジュースと見られています。この特別なボトルは、2005年からは「ウィリアム・ラルー・ウェラー」と名前の表記を変え、ジョージ・T.スタッグ、イーグルレア17年、サゼラック18年、トーマス・H.ハンディと共に、ホリデイ・シーズンに年次リリースされるバッファロー・トレース・アンティーク・コレクション(BTAC)の一部になりました。こちらはバレル・プルーフでボトリングされる約12年熟成のバーボンです。BTACは現在、「パピー・ヴァン・ウィンクル」のシリーズと同じく大変な人気があり、現地アメリカでも欲しくても買えないバーボンになってしまい、日本に輸入されることはなくなりました。
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また、上記のBTACほどのプレミアム感はありませんが、ユナイテッド・ディスティラーズが「遺産」と銘打ったW.L.ウェラー・センテニアル(10年熟成100プルーフ)も継続して販売されていました。ラベルの所在地表記はUD時代のルイヴィルからバッファロー・トレース蒸留所のあるフランクフォートに変更されています。フランクフォート記載のラベルでも、キャップのラップにはUD製と同じく「Bourbon Heritage Collection」の文字とマークが付けてあり紛らわしい。フランクフォート・ラベルのセンテニアルには年代によって3種あり、ボトルの形状とキャップ・ラッパーが少しだけ違います。最終的にはラップから「BHC」がなくなり色は黒からゴールドに変更、そしてこの製品は2008年か2009年に生産を終了しました。
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ウェラー・ブランドは、どこかの段階で完全にバッファロー・トレースの蒸留物に切り替わりました。7年熟成の製品なら、単純な計算でいくと2006年くらいでしょうか? 原酒の特定が難しいのは1999〜2005年までのスタンダードな7年製品と12年熟成の物です。問題をややこしくしているのは、先述のエンシェント・エイジ蒸留所がユナイテッド・ディスティラーズのために製造していた小麦バーボンの存在。ユナイテッド・ディスティラーズは80年代後半から90年代初頭にアメリカ南部限定販売だったレベル・イェールを世界展開することに決め、10年間で100万ケースの製品にすることを目標にしていたと言います。それがエンシェント・エイジと契約蒸留を結んだ理由でしょう。しかし、10年経ってもそれは実現しませんでした。更に、ユナイテッド・ディスティラーズ管理下のニュー・バーンハイムでも小麦バーボンは造られていました(ただし、生産調整のためか、1994年半ばまでは実際にはあまり蒸留していなかった)。つまり過剰生産のため2000年頃に小麦バーボンは大量にあったのです。実際のところ、ジュリアン・ヴァン・ウィンクル3世(パピーの孫)がバッファロー・トレースとタッグを組みフランクフォートへと事業を移した理由は、大量の小麦バーボンを彼らが保有していたからかも知れません。また、この頃のバーンハイム・ウィーターの余剰在庫はおそらくバルク売りされ、後にウィレット・ファミリー・エステートを有名にしたものの一つとなったと思われます。サゼラックはウェラー・ブランドの購入時に樽のストックも購入していますから、そうなると理屈上ボトルにはスティッツェル=ウェラー、ニュー・バーンハイム、エンシェント・エイジという三つの蒸留所産の小麦バーボンを入れることが出来ました。12年の初期の物などは単純に逆算すると80年代後半蒸留、ならばスティッツェル=ウェラー産もしくはUD用に造られたエンシェント・エイジ産の可能性が高いのでは…。7年熟成のスペシャル・リザーヴやアンティーク107は概ねニュー・バーンハイム産かなとは思うのですが、真実は藪の中です。もしかするとバーンハイムを軸に他の蒸留所産のものをブレンドしているなんてこともあるのかも。それと、90年代後半までのバーボンには記載された年数より遥かに長い熟成期間を経たバレルが混和されボトリングされていたと言われます。過剰供給の時代にはよくある話。90年代初頭に造られた小麦バーボンが大量に出回っていたため、2000年代前半の7年熟成製品には実際にはもっと古い原酒が使われていた可能性があります。飲んだことのある皆さんはどう思われたでしょうか? 感想をコメントよりどしどしお寄せ下さい。

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さて、正確な年代が特定できないのですが、ウェラー・ブランドは2010年前後あたりにパッケージの再設計が行われました。紙ラベルが廃止され、ボトルが球根のような形状の物に変わります(トップ画像参照)。同じくサゼラックが所有するバートン蒸留所の代表銘柄ヴェリー・オールド・バートンの同時期の物と共通のボトルです。おそらくこの時にNAS(No Age Statement)になったかと思いますが、その当時のバッファロー・トレースのアナウンスによれば中身は7年相当と言ってました。しかし、その後の中身はもしかすると、もう少し若い原酒をブレンドしたり、熟成年数を短くしてる可能性は捨てきれません。

アメリカでのバーボン・ブームもあり、2010年代を通してバッファロー・トレース蒸留所および小麦バーボンの人気はより一層高まりました。それを受けてか、ウェラー・ブランドは2016年12月からパッケージを刷新します。従来のボトルのカーヴィなフォルムを維持しながらも背が高く、より洗練された雰囲気のラベルのデザインです。ブランド名にあったイニシャルの「W.L.」が削除され、スペシャルリザーブ(90プルーフ)を緑、アンティーク(107プルーフ)を赤、12年(90プルーフ)を黒というように、各ヴァリエーションに独自の明確な色を割り当て、全面的に押し出すようになりました。
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そして2010年代後半になってもウェラー人気は衰えることを知らず、矢継ぎ早にブランドを拡張して行きます。2018年には白ラベルの「C.Y.P.B.(Craft Your Perfect Bourbonの略。95プルーフ)」、2019年には青ラベルの「フル・プルーフ(114プルーフ)」、2020年6月からは橙ラベルの「シングル・バレル(97プルーフ)」が追加されました。これらは1年に1バッチの限定リリースとなっています。

兎にも角にもウェラー・ブランドの人気は凄まじいものがありますが、その際たるものと言うか被害者?はウェラー12年です。一昔前は20ドル程度、現在でも希望小売価格は約30ドルなのですが、150〜250ドル(或いはもっと?)で売られることもあるのです。この悲劇の遠因はパピー・ヴァン・ウィンクル・バーボンであると思われます。
もともとウェラー12年はその熟成年数の割に手頃な価格であり、市場に少ない小麦バーボンとしてバーボン・ドリンカーから支持を得ていました。某社がリリースする10年熟成のバーボンが100ドルを超える希望小売価格からすると、如何に安いかが分かるでしょう。30ドルのバーボンなら、普通は5〜6年熟成が殆どです。2000年代半ばまでにウェラー12年の人気は急上昇しましたが、それでもまだ希望小売価格または適正価格で酒屋の棚で見つけることが出来たと言います。しかし、その後の恐るべきパピー旋風がやってくると状況は変わりました。2000年代後半から2010年代初頭にかけて、著名人や有名なシェフがパピー・ヴァン・ウィンクル15年、20年、23年を貴重なコレクター・アイテムに変えてしまったのです。それらは店の棚から姿を消し、流通市場で天文学的な価格に釣り上げられ、欲しくても手に入らない、飲みたくても飲めない聖杯となりました。ブームとは「それ」に関心のなかった大多数の層が「それ」に関心を寄せることで爆発的な需要が喚起され起こる現象です。バーボン・ドリンカーと一部のウィスキー愛好家だけのものだったパピー・バーボンは、一般誌やTVでも取り上げられる関心の対象となりました。パピー・バーボンが手に入らないとなれば、次に他のヴァン・ウィンクル製品が着目されるのは自然の勢いだったでしょう。「オールド・リップ・ヴァン・ウィンクル」や「ヴァン・ウィンクル・ロットB」というパピー・バーボンより安価だったものも軒並み高騰しました。そこで更に次に目を付けられるのはヴァン・ウィンクル製品と同じ小麦レシピを使ったバッファロー・トレースの製品という訳です。実際のところウェラー・ブランドとヴァン・ウィンクル・ブランドの違いは熟成年数を別とすれば、倉庫の熟成場所とジュリアン3世が選んだ樽かバッファロー・トレースのテイスターが選んだ樽かという違いしかありません。それ故「パピーのような味わい」の代替製品としてウェラー12年が選ばれた、と。また同じ頃、パピー・バーボンを購入できない人向けに「プアマンズ・パピー」というのがバーボン系ウェブサイトやコミュニティで推奨され話題となりました。これは「高級なパピーを飲めない人(貧乏人)が飲むパピー(の代用品)」という意味です。具体的には、ウェラー・アンティーク107とウェラー12年を5:5もしくは6:4でブレンドしたもので、かなりパピー15年に近い味になるとされます。こうしたパピー・バーボンの影響をモロに受けたウェラー12年は見つけるのが難しくなっています。ただし、それは「パピー」のせいばかりではありません。低価格の優れたバーボンを見つけてバンカリングすることは、昔からバーボン・マニアがして来たことです。詰まるところそれはバーボン・ブームの影響であり、単純な需要と供給の問題…。
まあ、それは措いて、そろそろ今回のレヴュー対象W.L.ウェラー・スペシャル・リザーヴの時間です。ちなみにバッファロー・トレース蒸留所の小麦バーボンのマッシュビルは非公開となっています。

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W.L. Weller SPECIAL RESERVE NAS 90 Proof
推定2016年ボトリング(おそらくこのボトルデザイン最後のリリース)。トフィー→苺のショートケーキ、古びた木材、赤いフルーツキャンディ、穀物、僅かな蜂蜜、湿った土、少し漢方薬、一瞬メロン、カレーのスパイス。とてもスイートなアロマ。まろみと水っぽさを両立した口当たり。パレートは熟れたチェリーもしくは煮詰めたリンゴ。余韻はさっぱり切れ上がるが、アーシーなフィーリングも現れ、オールスパイスのような爽やかな苦味も。
Rating:86.5→85/100

Thought:全体的に甘さの際立ったバーボン。スティッツェル=ウェラーの良さを上手くコピー出来ていると思います。同じウィーターで度数も同じのメーカーズマークと較べると、こちらの方が甘く酸味も少ない上に複雑なフレイヴァーに感じました。比較的買い易い現行(これは一つ前のラベルですが…)のロウワー・プルーフのウィーテッド・バーボンとしては最もレヴェルが高いと思います。ただし、私が飲んだボトルは開封から半年を過ぎた頃から、やや甘い香りがなくなったように思いました。レーティングの矢印はそれを表しています。

Value:とてもよく出来たバーボンです。けれど世界的にも人気があるせいか、ウェラー・ブランドというかバッファロートレース蒸留所のバーボン全般が昔より日本での流通量が少なくなっています。価格も一昔前は2000円代で購入できてたと思いますが、現在では3000円代。それでも買う価値はあると個人的には思います。3000円代半ばを過ぎるようだとオススメはしません。あくまで安くて旨いのがウリだから。


ありがたい事にスティッツェル=ウェラー蒸留時代のスペシャル・リザーヴもサイド・バイ・サイドで飲めたので、最後におまけで。これは大宮のバーFIVEさんの会員制ウイスキークラブで提供されたもの。ワンショットでの試飲です。

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(画像提供Bar FIVE様)

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W.L. Weller SPECIAL RESERVE 7 Years Old 90 Proof
推定80年代後半ボトリング。バタースコッチ→黒糖、ナッティキャラメル、ディープ・チャード・オーク、柑橘類のトーン、煮詰めたリンゴ、ベーキングスパイス。味わいはレーズンバターサンド。余韻は穀物と同時にタンニンやスパイスが現れ、後々まで風味が長続きする。そもそも熟成感がこちらの方が断然あり、香りも余韻も複雑で強い。
Rating:87/100


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