バーボン、ストレート、ノーチェイサー

バーボンの情報をシェアするブログ。

カテゴリ: ケンタッキーバーボン

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ミルウォーキーズ・クラブさんでの4杯目は、前から飲んでみたかったワイルドボアにしました。本当はプルーフの高い15年の方が飲んでみたかったのですが、もうなくなってしまったとのことで12年を。
このバーボンは一般的にはあまり知られていないと思いますが、バーボン・マニア(というかKBDマニア?)には人気のブランドです。90年前後から2000年に掛けてKBDが日本市場に向けてボトリングしたブランドは多数ありますが、その中でもジョン・フィッチやクラウン・ダービーやダービー・ローズ等と並んでオークションに殆ど現れず希少性が高いです。このブランドには12年80プルーフと15年101プルーフがあり、おそらく91年あたりにボトリングされたものと思われます。写真は掲載されてないのですが、世界最大級のウィスキー・データベース・サイトと言われる「Whiskybase」には6年43度のワイルドボアが登録されていました。もしかするとヨーロッパ市場向けにもボトリングされていたのかも知れません。それは兎も角、名前やラベル・デザインにインパクトのあるこのブランドは、その来歴が全く分からない。ウィレットまたはKBDが所有していたブランドなのか? 大昔に存在していたブランドなのか? それとも90年当時に作成されたラベルなのか? そうしたことが一切分からないのです。今現在、動物の「ワイルドボア(イノシシ)」ではないウィスキーのワイルドボアをネットで検索すると、出てくるのはワイルドボア・ブランドの「バーボン&コーラ」ばかりです。これはオーストラリアで流通しているRTD飲料なのですが、その使っているバーボンが「ケンタッキー・バーボン」と書かれている種類の物もあり、何だかここで取り上げているワイルドボア・バーボンと繋がりがあってもおかしくなさそうにも感じます。しかし、私がネットで調べてみてもそこに明確な繋がりがあるのかどうかは分かりませんでした。
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(Hawkesbury Brewing Co.のウェブサイトより)

ところで、このワイルドボア12年や15年と同時期にKBDがボトリングしていたウッドストックというブランドがあります。
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(画像提供バーFIVE様)
このウッドストックの販売されていたヴァリエーションが12年80プルーフ及び15年101プルーフとワイルドボアと同じであるところから、個人的には姉妹ブランドなのかしら?という印象をもっていました。で、ワイルドボアと同じように、音楽フェスティヴァルの「ウッドストック」ではないウィスキーのウッドストックをネットで検索してみると、ウッドストック・ブランドの「バーボン&コーラ」が出て来るのです。
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(Woodstock Bourbonのウェブサイトより)
これはニュージーランドのバーボン&コーラのNo.1ブランドだそう。また、こちらのウッドストック・ブランドにはRTD飲料ではないバーボン・ウィスキーも幾つかの種類がありました。それらもオーストラリアとニュージーランド市場の製品みたいです。
このように、KBDが同時期にボトリングしていた2つのブランドの名前は、現在、似たような製品かつ似たような市場でリリースされるブランドと同じ名前です。これは偶然なのでしょうか? 私には何か繋がりがあるような気がしてならないのですが…。もしかしてこれらは同じブランドであり、元々オセアニア地域向けに作られたブランドだったとか? 或いは90年代に日本向けに作られたブランドを、後年、オセアニア地域の酒類会社が買い取って現在に至るとか? まあ、これは単なる憶測です。誰か仔細ご存知の方はコメントよりご教示ください。

偖て、肝心の中身のジュースについては…、はい、これもよく分かりません。この頃のKBDのボトリングならば、旧ウィレットの蒸溜物である可能性は高いような気はしますが、どうなのでしょう? では、最後に飲んだ感想を少し。

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WILD BOAR 12 Years Old 80 Proof
推定91年ボトリング。インポーター・ラベルはほぼ剥がれていますが、残された文字からすると河内屋酒販でしょう。フルーティな香り立ちが心地良い。味わいもフルーティで、ロウ・プルーフにしてはフレイヴァーが濃ゆい。加水が功を奏したのか、オールドファンクな余韻も適度で個人的には気に入りました。で、何処の蒸溜物かですが、旧ウィレットはフルーティと聞き及びますので、その可能性は大いにありそうな…。ですが、私の舌ではちょっと確信はもてませんね。
Rating:86.5/100

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ジャズクラブはマーシィ・パラテラのアライド・ロマー(インターナショナル・ビヴァレッジ)のブランドで、おそらく80年代後半から2000年代に掛けて日本市場へ向けて輸出されていたと思われます。ジャズ・クラブというとミュージシャンの写真が色々と使われた12年、15年、20年の長熟物が知られていますが、それ以外にこのクラブハウス・スペシャルというNASの物がありました。これがどれくらいの期間販売されていたかよく判りません。画像も含め私が見たことのあるクラブハウス・スペシャルには、輸入者が河内屋酒販のもの、東亜商事のもの、インポーター・シールがないものがあります。個人的な印象としては、多分このラベルは後期にはリリースされてないような気がしています。そのせいなのか、年数表記のあるものよりオークションで見掛けることは少ないです。マーシィ自身はこのラベルを80年代にデザインしたと言っていたので、これがそもそものジャズ・クラブの姿なのかも知れませんね。販売時期などの仔細をご存知の方はコメントよりご教示ください。よく分からないことは偖て措き、上述の年数表記のあるジャズクラブのような同じブランドの名の元に異なる人物の写真を使用するコレクターズ・シリーズはアライド・ロマーの得意芸?であり、他にも西部開拓史を彩った象徴的なヒーロー達を揃えた「レジェンズ・オブ・ザ・ワイルド・ウェスト」、それらと同時代の荒くれ者やお尋ね者を揃えた「アウトロー」、それらほど熟成年数が高くない「ギャングスター」や「ブルースクラブ」、「R&B」や「ロックンロール」、「USAベースボール」等がありました。これらの中ではレジェンズとアウトローとジャズクラブの長期熟成物が頭一つ抜け出たプレミアム製品だったように思います。これらはどれもKBD(ケンタッキー・バーボン・ディスティラーズ、現ウィレット蒸溜所)がマーシィのためにボトリングしました。で、このクラブハウス・スペシャルの中身に就いてですが、例によって謎です。可能性としてマーシィが持ち込んだスティッツェル=ウェラーのバレルかも知れないし、KBDのストックからかも知れないし、異なるバレルのブレンドなのかも知れません。NASであることを考えると、年数表記のあるものよりクオリティは低いのではないでしょうか。聞いた話では、これがジャズクラブの中ではエントリー品と言うかスタンダード品と言う位置付けで値段も一番安かったらしいので。

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JAZZ CLUB Clubhouse Special 110 Proof
ハイ・プルーフから期待するほどフレイヴァー・ボムではありませんでした。と言うか、キャラクターが捉え難いところがあり、過剰にオーキーでもなく、フルーティさが全面に出るのでもなく、如何にも長熟ぽい渋さもないし、かと言って溌剌とした若いウィスキーだなぁという印象もないのです。マーシィのブランドにありがちなオールドなファンキネスはそれなりにありますが…。実際飲んでみても原酒の供給元は全く分かりません。色々なバレルのブレンドなのかしら? 飲んだことのある方はコメントから感想を教えてもらえると助かります。
Rating:83.5/100

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フォアローゼズ蒸溜所では2種類のマッシュビルと5種類のイースト・ストレインを組み合わせてそれぞれ味わいや香りの特徴が異なる10種類の原酒を造り、それらをミングリングすることで安定した品質を保つ独特のスタイルで知られています。そして、彼らは2023年に135周年を迎えるにあたりブランドの刷新を行いましたが、その際、10種類のレシピが50mlづつ入った「ザ・テン・レシピ・テイスティング・エクスペリエンス」という限定版キットをリリースしました。希望小売価格が約130ドルで、6月30日からケンタッキー州ローレンスバーグとコックス・クリークのフォアローゼズ・ヴィジター・センターで販売され、7月中旬からはジョージア州、イリノイ州、ケンタッキー州、カリフォルニア州の一部小売店でも販売されたみたいです。各レシピは同等になるように104プルーフにカットされ、熟成年数は全てほぼ同じ。それにより、酵母とマッシュビルがどのような影響を与えるかを体験できる非常に面白いキットでした。
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これはバーボン・ファンならば是非試してみたくなる代物です。しかし、ここ日本でこれを入手するのはなかなか難しいので、代わりと言っては何ですが、今回はその昔、フォアローゼズの販促品としてオマケで付いていた3種類の「心とろける香りの原酒」を開封してみました。この試供品(非売品)はネットで調べてみると2005年前後あたりのものらしいです。ラベルの細かい部分が若干異なるものや度数違いのものがあるところから、何年間かもしくは何回か提供されていたのかも知れませんが、私には詳細が分かりません。仔細ご存知の方はコメント欄よりご教示いただければ幸いです(※)。また、他にも種類があるかどうかですが、私はこの3タイプしか見たことがなく、おそらくフルーティ、スパイシー、フローラルの3つで全部と思います。ですが、本来なら5つのイーストの分だけ用意するか、フルーティを特徴とするイーストは2種類あるのでそれらは一つに纏めたとしても、もう一つハーバル・タイプはあって然るべきところでしょうから、この3つ以外にもあるのを知ってる方はコメントよりお知らせ下さい(※)。

情報を頂けましたのでコメント欄を参照下さい。また、少し追加の情報を得たので追記をご覧下さい。


注ぐ前にフォアローゼズの10レシピに就いて軽くおさらいしておきましょう。これらのレシピは4文字のアルファベットによって「O■S◆」というように表記されます。「O」と「S」は必ず付き、「O」はフォアローゼス蒸溜所で造られていることを意味し、「S」は「Straight whiskey」もしくは「distilled Spirit」を意味します。「S」の略は分かりやすいですが、なぜ「O」がフォアローゼズ蒸溜所を表すかと言うと、それは同蒸溜所が昔はオールド・プレンティス蒸溜所という名称だったからです。嘗てフォアローゼズ蒸溜所を所有していたシーグラムは、他に幾つもの蒸溜所を抱えていたため、原酒の産出される蒸溜所のバレルに各略号を与えており、その名残から「Old Prentice」の頭文字「O」でフォアローゼズ蒸溜所を指しているのです。そして「■」の部分にはマッシュビルの種類を表す「B」もしくは「E」が入ります。ライ麦の使用比率が多く、スパイシーな味わいが特徴とされるマッシュビルBは、

60%コーン、35%ライ、5%モルテッドバーリー

コーンの使用比率が多く、柔らかな甘みが特徴とされるマッシュビルEは、

75%コーン、20%ライ、5%モルテッドバーリー

となっています。末尾の「◆」には香りの個性が異なる5つの酵母の種類を表す「V・K・O・Q・F」の何れかが入ります。夫々の特徴は以下のよう。

V─デリケート・フルーツ
K─スライト・スパイシー
O─リッチ・フルーツ
Q─フローラル・エッセンス
F─ハーバル・ノーツ

これら2種類のマッシュビルと5種類のイーストによる10レシピは、日本のフォアローゼズ公式ホームページでは次のように説明されています。

OBSV
繊細な果実香とライ麦のスパイシ―さ
OBSK
ベーキングスパイス(微かなクローブ・シナモン様)とライ麦のスパイシーさ
OBSO
レッドベリー系の豊かな果実香
OBSQ
薔薇の花びらのようなフローラルさとライ麦のスパイシーさ
OBSF
繊細なハーブ香とライ麦のスパイシーさ
OESV
繊細な果実香とキャラメル様の甘く芳ばしい風味
OESK
ベーキングスパイス(微かなクローブ・シナモン様)で芳醇
OESO
レッドベリー系の果実香とバニラ
OESQ
薔薇の花びらのようなフローラルさとクッキー様のほのかに甘い芳ばしさ
OESF
繊細なハーブ香とクッキー様のほのかに甘い芳ばしさ

偖て、今回飲むフルーティ/スパイシー/フローラルの各タイプがこれらのうちどれなのかは名称からすると、フルーティ・タイプはOBSOかOESOかOBSVかOESVのどれか、スパイシー・タイプはOBSKかOESKのどちらか、フローラル・タイプはOBSQかOESQのどちらかなのではないでしょうか。え、待って、これシングルバレルって認識でいいんですよね? ラベルには取り立ててシングルバレルとは記載がないですけど…。私自身は実物を見たことがないのですが、この試供品に付いていたリーフレットには以下のようなことがタイプに拘らず共通で書かれていたようです。ネット上に引用している方がいたので孫引きさせて頂きます。
フォアローゼスの原酒のうち、フローラルなタイプのものを樽出しに近い度数でボトリングしたもので、日本国内での、フォアローゼスのおまけとして付けられた試供品(非売品)。別名、心とろける香りの原酒。
で、この後に各タイプの説明が続くのですが、それらを読む限りここで言う「原酒」は取り敢えずシングルバレルの意味と解釈しておいてよいのではないかと思います。その解釈が正しいとして、少量加水で度数を調整したほぼバレルプルーフという仕様は、先述の「ザ・テン・レシピ・テイスティング・エクスペリエンス」と殆ど同じであり、この試供品が10種類の中からかなり傾向の異なる3タイプを厳選したものなのだとしたら、物凄く贅沢な良い販促品ですよね? テン・レシピ・キットよりハイプルーフですよ? それに販売年を考えたら、もう二十年近く前な訳で、プチ・オールドボトルな価値もあって期待は膨らみます。では、そろそろ注いでみましょう。

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画像では判り難いと思われますが、ぱっと見でフルーティ・タイプが一際色濃く感じます。スパイシー・タイプとフローラル・タイプはそこまで差はありませんが、フローラル・タイプの方が僅かに薄い色に見えますね。今回はノーズ、パレート、フィニッシュの各々に順位を付けてみました。

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Fruity Type 108 Proof
少し濃いめのブラウン。林檎、キャラメル、熟したプラム、オールドオーク、ローストナッツ、シナモン、レザー。よく熟したバーボンの甘いアロマ。とろりとした口当たり。口の中では茶色いスパイスが感じ易い。余韻はミディアム・ロングで、焦がした木材のノート。残り香は僅かなベリーとブラウニー。
ノーズ─1
パレート─2
フィニッシュ─3
Rating:87.5/100

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Spicy Type 114 Proof
中庸なブラウン。青リンゴ、草、チョコレートのヒント、オレガノ、ローズマリー、メープルクッキー、炙った木材。あまり甘くない香り。とろりとしてオイリーな口当たり。ややドライな味わい。余韻は長く、甘いハーブと心地良い石鹸香。残り香はオレンジゼストとレモン、爽やかなハーブ。
ノーズ─3
パレート─1
フィニッシュ─1
Rating:90/100

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Floral Type 108 Proof
明るい琥珀色。スイートピー、マッシュルーム、ホワイトチョコレートのヒント、ローズペタル、ミント、蜂蜜、白桃、プリン。フローラルで仄かに甘い香り。ややとろりとした口当たり。味わいは酸味が強め。余韻はミディアム・ロングで、ライフレイヴァーが広がる。残り香は甘い花の蜜とピーナッツシェル。
ノーズ─2
パレート─3
フィニッシュ─2
Rating:87.5/100

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Thoughts:
三者三様でどれも美味しかったです。そしてフォアローゼズは自分の好みにぴったりのバーボンだと改めて感じました。ノーズ、パレート、フィニッシュに順位を付けたものの、3位だからと言って悪い訳でもないですし、そもそも単なる私の好みに過ぎません。飲んだ感じ、マッシュビルはどれもBなのではないかなという印象を受けました。どれもが共通してフォアローゼズらしいフルーティさはありつつ、ライの穀物感が強いような気がしたのです。その上で個別に感じたことを言います。
フルーティ・タイプは最も甘くウッディ。飲む前の予想ではもっとフルーティなのかと思っていたら、寧ろ意外とオーク・フォワードなバーボンでした。色通り、最も熟成感を感じます。試飲前はOBSOかなと思っていたのですが、上記の10レシピの説明文に当て嵌めるとOESVと一致している気も…。
スパイシー・タイプは、これまた飲む前の予想に反して、私にはスパイシーと言うよりハービーに感じました。10レシピの説明文に当て嵌めるとOBSFなのではないかと思われる程です。また、前回まで開けていたフォアローゼズ産の90年代ヘンリーマッケンナにあったソーピーな風味がこれにも感じられたのですが、そちらでは過剰過ぎて嫌悪を抱いたそのフレイヴァーはこちらでは絶妙な加減だったので好印象でした。全体として自分の好みに合っていて抜群に旨いです。
フローラル・タイプは最も繊細な風味。10レシピの説明文からすると、OBSQでもOESQでもどちらでも当て嵌まりそうな感じでした。私の嗅覚や味覚は平均的な日本人より下なので、スタンダードなフォアローゼズから花の香りを感知するのは難しいのですが、これは分かり易かったです。
どれも加水したらもっとフルーティさを引き出せたのかも知れません。けれどもミニボトルは少量なので私はニートでしか飲みませんでした。これらが10レシピのどれなのか、或いはシングルバレルではなく数レシピがミックスされたスモールバッチなのかは、答えが解らないので措くとして…、これらを飲んだことのある皆さんはどう思ったでしょうか? ご意見ご感想をどしどしコメントよりお寄せ下さい。そう言えば、私は基本的にバーボンはラッパ飲みかショットグラスで飲んだ方が美味しく感じるのですが、今回の3種のフォアローゼズはどれもテイスティンググラスで飲んだ方が香りが愉しめて美味しく感じました。


追記:とあるミニチュア・ボトルのコレクター様によると、この試供品は2004~2006年に配布されたもので、 ラベルの種類としては筆記体風、活字、活字+ウイスキーの3種があり、従ってFruity、Spicy、Floralの3風味×3ラベル=9つの種類が存在するそうです。
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ルイヴィルの南東約60マイルに位置するロレットの由緒あるメーカーズマーク蒸溜所。彼らは1953年の創業以来、一部地域への限定的なハイアー・プルーフのヴァリエーションを除き、50年以上に渡って一つの製品しか造って来ませんでした。それが変わったのは2010年から。アメリカ本国でのバーボン熱がジリジリと高まりつつあった背景に後押しされたのか、スタンダードなメーカーズマークのみを提供するという長き伝統を打ち破って、インナー・ステイヴによるフィニッシングを施したメーカーズ46をリリースしたのです。その方法論は2016年の開始と同時に業界初のカスタムバレル・プログラムとなったメーカーズマーク・プライヴェート・セレクトの導入にも受け継がれ、大成功を収めました。また、2014年からのカスク・ストレングスや、2018年から旅行用免税店での販売のみとして始まり2020年に国内での発売もされたメーカーズマーク101など、より高いプルーフにてボトリングされた製品も展開するようになりました。2019年のRC6でデビューし、2020年のSE4xPR5、2021年のFAE-01とFAE-02、2022年のBRT-01とBRT-02と来て、2023年のBEPで終了したウッド・フィニッシング・シリーズや、2021年末から2022年初頭のメーカーズDNAプロジェクトなど実験的かつプレミアムな限定リリースもありました。しかし、メーカーズマークは長期熟成のハイエンドなバーボンをリリースする流行に乗ることは断固として拒否して来ました。「65年以上もの間、ウィスキーを10年以上熟成させるということは、私達が行ってきたことではありませんでした」と、メーカーズマーク創業者の孫であるロブ・サミュエルズは語っています。
ボトルのネックに滴る赤いワックスが目を惹くメーカーズマークは、マーケットで最も認知度の高いバーボンの一つであり世界的に広く親しまれた存在であるにも拘らず、これまで公式に熟成年数が明記されたものはありませんでした。それはメーカーズマークの創業者が掲げたヴィジョン、即ち常に驚くほどスムースで円やか、ソフトでクリーミーでリッチ、辛い刺激やタンニンを最小限に抑えたフレイヴァーに拘り続け、時間ではなく味わいに合わせてウィスキーを熟成させて来た結果でした。ケンタッキーの暑さはバーボンをすぐにオーヴァー・オークドなドライでタンニンが強い味わいにする傾向にあり、これは創業者ビル・サミュエルズ・シニアのフレイヴァー・ヴィジョンと真っ向から衝突するのです。 通常のリックハウスで10年以上熟成させたメーカーズマークを蒸溜所で試飲したことがある方は、彼らの懸念には真実味があり、確かにそういう味わいだったと言っていました。上に挙げた「哲学」こそメーカーズマーク蒸溜所の本質と言えましたが、愛好家はどうしてもまだ見ぬものを欲望します。メーカーズマークの長期熟成バーボンは、このブランドのファンが長年待ち望んだ製品でした(有名なウィスキー・ライターのフレッド・ミニックもその一人)。そして、遂に「セラー・エイジド」の登場によって歴史が動く時が来ます。

嘗てビル・サミュエルズ・ジュニアはステイヴ・フィニッシュド・バーボンのアイデアを持ち込み、メーカーズマークの歴史に足跡を残しました。今度はその息子ロブの番でした。9歳の時から蒸溜所で汎ゆる仕事を経験してきたというロブは、父ビル・ジュニアの後を継ぎ、2011年にメーカーズマークCOOに就任しています。ロブがセラー・エイジドを考案する際に直面した課題は、ブランドのファンが長年求めて来たウィスキーを提供すると同時に一族の伝統に忠実であることでした。彼はそれを解決しようと、46やプライヴェート・セレクトのバレルを熟成させるため2016年12月にスターヒルの丘の中腹に新設されたライムストーン・セラーを利用することを思い付きます。「外がどんなに過酷な温度になっても、石灰岩でできたセラーの内部は常に10℃前後に保たれます。この自然の恩恵を活かせば、もっと時間をかけた熟成ができるのではないかと考え、これまでは不可能だった長期熟成に挑戦することに」したと、或るインタヴューでロブは語りました。他のウィスキー・メーカーのようにマッシュビルを変更したり、全く新しい方法で造るのではなく、伝統を重んじ、創業から変わらないヴィジョンを基に新たなフィーリングの味わいを築く、それがメーカーズマークの流儀な訳です。
メーカーズマーク・セラーエイジドになるために、バレルは先ず蒸溜所の伝統的な倉庫で約6年間、ケンタッキー州の気候や季節ごとの気温の変化に耐え、「メーカーズマーク」と呼べるようになるまで熟成されます。バーボンの場合、熟成庫内のロケーションが重要な役割を果たしますが、メーカーズマークはウィスキーをリックハウスで熟成させるに際し、熟成庫の上層階と下層階でバレルをローテーションすることにより、バレル間の温度差やその他の要因を均等にしている蒸溜所です。このプロセスのお陰で、どのバレルも全体的に同じような熟成を見せ、バレル毎の味わいは比較的似たものとなるのだとか。こうして標準的なメーカーズマークとしては「完熟」と看做されたバレルは、その後、ケンタッキーの丘陵地帯にある天然の石灰岩層に造られた独自のウィスキー・セラーに移され、更に5~6年の熟成を経ることになります。メーカーズマークによれば、このセラーは常に冷涼な環境であるため、エクストラ・エイジド・バーボンによく見られる刺々しいタンニンの影響を緩やかにし、奥行きを秘めたより深みのあるダークな風味を醸し出すことを可能にするのだそう。樽保管を木造やレンガの熟成庫でするのが一般的なアメリカン・ウィスキーのメーカーに於いてセラーを使用するのはメーカーズマークのみ。最終的に味を見ながらブレンドされた後、カスク・ストレングスにてボトリングされ完成となります。

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メーカーズマーク・セラーエイジドは、本国アメリカでは2023年9月に発売され、日本では2024年3月に発売されました。メーカーズマークからのプレスリリースによると、この商品は今後も世界中の特定の市場で年1回限定リリースされる予定です。毎年同じ熟成方法で造られますが、味わいを基準とし、バーボンの熟成年数の具体的なブレンドはその年によって異なります。初リリースとなる2023年エディションは、12年熟成87%と11年熟成13%のマリアージュで、115.7プルーフでボトリングされました。225バレルのバッチで、アメリカで約20000本、その他のグローバル市場で約10000本がリリースされた模様。今後のリリースも同じような数量が予想されるでしょう。それ以外の詳細は、メーカーズマークが公表しているスタッツ・シートによれば以下のようになっています。
マッシュビルは同蒸溜所自慢の70%コーン、16%ソフト・レッド・ウィンター・ウィート、14%モルテッド・バーリー。ミリングはローラー・ミル、ファーメンテーションは3日、コラム・スティルで120プルーフを得たあとダブラーで130プルーフ、そしてバレル・エントリーは110プルーフ。バレルは、ケンタッキーの夏を含む1年間を屋外でシーズニングしたアメリカン・ホワイトオークを使用し、チャー・レヴェルは#3。12年熟成87%は10L13、11B07、11B15、11B(or C)29、11年熟成13%は12B16のコードのバレルが選ばれています。それぞれのバレルのウェアハウス・ロケーションは、10L13がウェアハウスQ、11B07がウェアハウスO、11B15がウェアハウスL、11C(or B)29がウェアハウスH、12B16がウェアハウス29からでした。バレル・コードは最初の2つの数字が年を、アルファベットが月を、最後の2つの数字が日を表しています。セラーへの移動はそれぞれ2017年10月と2018年5月に行われました。平均的なセラーの温度は47°F/8.3°C、湿度は58.1%とされます。バレルからのダンプは2023年6月3日に行われました。
では、さっそくメーカーズマーク史上最も長熟のバーボンであるセラー・エイジドを味わってみましょう。

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Maker’s Mark Cellar Aged(2023) 115.7 Proof
2023年ボトリング。色はディープアンバー。ミルクキャラメル→クレームブリュレ→黒糖、チェリー、杏仁豆腐、唐辛子、ラズベリー、パフ入りチョコ、接着剤、僅かに杉、あんずジャム。甘いお菓子にフルーティなアロマ。期待よりは緩いが、とろりとした口当り。ダークな樽感と穏やかなスパイスの中にスッキリとしたフルーティさもある味わい。ウッディなスパイスが来てからのややドライで微かに苦い余韻。アロマがハイライト。
Rating:88/100

Thought:まるでデザートのようなバーボン。特に少し空気に触れさせておくと漂う美味しそうな洋菓子の甘美な香りが心地良かったです。アロマだけなら汎ゆるメーカーズマークで一番かも知れない。口の中では意外とフレッシュなベリー感が印象的。開封したては果実味がやや鈍く感じましたが、液量が半分を下回る頃には甘酸っぱが増して頗る美味しくなりました。確かにメーカーズマークが言うように、味わいや余韻は過度にドライでもなく渋みもありません。おそらく彼らが意図的に狙った味は上手く表現出来ているのでしょう。余韻に関しては、この価格帯ならもう少し長く広がりがあって欲しいとは思いましたが…。
プルーフに違いがあり過ぎるスタンダードなメーカーズマークやステイヴの選択に様々な種類があるプライヴェート・セレクションは別として、バッチの違いにより多少異なるものの似たようなプルーフをもつカスク・ストレングスと較べると、ノーズは明らかに豊かでスウィートでテクスチャーはソフトに感じました。ただ、フルーツ・フレイヴァーの芳醇さはカスク・ストレングスも負けてない気がします。曖昧な書き方をしたのは、これがサイド・バイ・サイドではなく以前に飲んだ物と記憶で比較しているからです。まあ、その記憶が確かだったとして言えるのは、総合的に見るとセラー・エイジドはカスク・ストレングスより2倍近い熟成年数にも拘らず、変に癖のあるフレイヴァーが追加されることもなく、寧ろメーカーズマークの古典的なフレイヴァーを維持しつつソフトさとリッチさと複雑さを僅かに増幅させており、物凄く美味しくなってはいないけれども確実に少し美味しくなっている、と云うこと。これは著名なバーボン・レヴュワーの何人かと同じような感想であり、彼らは「メーカーズマーク・カスクストレングスを並べて比較すると、セラー・エイジドに軍配が上がるが、その差は圧倒的ではない(要約)」とか、セラー・エイジドを「メーカーズマーク・カスクストレングス+」だと評したりしています。彼らから指摘されているのは、熟成期間の後半をかなり涼しく、暗く、湿ったセラーで過ごしたことで、液体とバレルの相互作用はリックハウスで熟成を続けて得られるものとは異なり、このセラー・エイジドが人々が思い描くような長熟のバーボンではないという点です。セラーエイジドは本物の12年熟成製品のように扱うべきではないという指摘すらありました。個人的には長熟は苦手な風味を感じることが多いので、メーカーズマークの考えには基本的に賛同なのですが、確かに従来品と較べて「突き抜けて違うもの」を期待したせいか若干拍子抜けした感は否めません。有名な某ネット掲示板のセラー・エイジドの投稿では、木製のリックハウスで全期間熟成させた12年物のバーボンを求める声はちらほら見られました。メーカーズマーク自身は嫌うものの、実際に蒸溜所のイヴェントでそうした熟成バレルのサンプルを試飲した方で、それは格別だったと一部の人からは評価されたりもしています。私がリックハウス熟成の12年物を好むかどうかは飲む機会もないので措いておくとして、これはそもそも論なのですが、メーカーズマークに就いて海外の或る方が「床は高く、天井は低い」と言っていました。実を言うとあまりメーカーズマークに熱心でない私にとって、その意見は腑に落ちるものでした。私なりにメーカーズマークを野球で例えると、必ず二塁打か三塁打を打つが絶対に凡打もホームランも打たないバッター、というイメージがあります。安定の優等生とでも言うのでしょうか。これは良い悪いではなく、そういうキャラクターというだけなのですが、時に感情を振り回されるからこそ惹かれるファン心理というのもありますから、メーカーズマークの最大の長所であると同時にちょっとしたウィークポイントとなっているように私には感じられるのです。それが今回のセラー・エイジドにも、まんま当て嵌まると言うか…。いや、誤解のないように繰り返すと、これは瑕疵ではありません。だって素晴らしいバッターですもの。それに、この解釈は単に私がそもそもメーカーズと親和性がないためにそう思うだけで、メーカーズマークのプロファイルが好きな人にとっては毎回ホームランを打つバッターかも知れないですからね。皆さんはメーカーズマークに就いてどう思われるでしょうか? コメント欄よりどしどしご意見お寄せ下さい。

Value:アメリカでは150ドル、日本では17600円が希望小売価格でした。海外のセカンダリー・マーケットでは発売後、瞬く間に300〜500ドルになったことを思えば、サントリーが正規に取り扱ってくれたお陰で我々日本人はお店で予約さえすれば労せず適正な価格で買うことが出来ました。プレミアム・バーボン及びアメリカン・ウィスキーの価格設定が全体的に上昇している現状を踏まえると、このメーカーズマーク・セラーエイジドの価格は、かなり安いと言うか、少なくとも妥当な価格と思えます。例えばワイルドターキーで言うと、マスターズキープのヴォヤッジ(ボヤージュ)の30000円や、ジェネレーションズの77000円と比較すればかなり安く感じます。セラー・エイジドはメーカーズマークの哲学が詰まった製品ですから、メーカーズ・ファンならば買って失望することはないでしょう。変に割増金が乗せられた価格ではなく、希望小売価格であれば完全にオススメです。また、長熟バーボン嫌いな人でも飲み易いが故に、メーカーズのファン以外にもオススメ出来るバーボンです。但し、カスク・ストレングスの約8000円とセラー・エイジド18000円弱の価格差ほどは味わいが大きく向上した気はしないので、希望小売価格でも高過ぎると思う方へは、カスク・ストレングスを2本買うか、同じ12年熟成枠としてワイルドターキー12年かエヴァンウィリアムス12年を2本買うことをオススメします。

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ローワンズ・クリークはケンタッキー州バーズタウンのウィレット蒸留所(KBD)で製造されているスモールバッチ・ブティック・バーボン・コレクションの四つのうちの一つです。その他の三つはノアーズ・ミル、ピュア・ケンタッキーXO、ケンタッキー・ヴィンテージとなっています。価格から言うと、ローワンズ・クリークはこの中では上から二番目の位置付け。コレクションの成立は90年代半ば(一説には94年)とされます。当時の業界ではプレミアムなバーボンが胎動し始め、ジムビームもスモールバッチ・コレクションを開始するなど、そのコンセプトは軌を一にしていました。
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(画像提供K氏)
ローワンズ・クリークの名は蒸溜所の敷地内を流れる小川にちなんで付けられました。その小川は1700年代後半から1800年代前半に掛けてケンタッキー州の政治家であったジョン・ローワンにちなんで名付けられ、彼のフェデラル・ヒルの邸宅はスティーヴン・コリンズ・フォスターの歌曲「マイ・オールド・ケンタッキー・ホーム」にインスピレーションを与えたと言われています。このバーボンは、ノアーズ・ミルと手描きのようなラベルの雰囲気やワイン・タイプのボトルといった共通点があり、更に熟成年数とボトリング・プルーフが少し低く、尚且つ安い価格ということもあって、その姉妹品というか弟分のように認識されていました。「ベイビー・ノアーズ・ミル」と呼ばれているのも見かけたことがあります。もっと言うと、ローワンズ・クリークはノアーズ・ミルより一段劣る廉価版と常に考えられていた節があります。しかし、だからといって品質が劣った製品という訳ではなく、飲み易さと財布への優しさが魅力だったためか、2011年当時の情報によるとアメリカの27州で販売され、KBD(ケンタッキー・バーボン・ディスティラーズ)が生産するバーボンの中で最も売れている銘柄だったそうです。ローワンズ・クリーク・バーボンが長期に渡ってKBDのポートフォリオに於いて重要なブランドだったとされる所以でしょう。個人的に、オールド・タイミーな雰囲気の薄茶のラベルとマルーン色のワックス(及びフォイル)の組み合わせは凄く好きなデザインです。ところで、ワイルドターキーのような101ではなく100.1という小数点まで使ったボトリング・プルーフは一体何なのでしょうか? ハンドメイド感の演出? 或いは単なるユーモア? まあ、それは措いて、このローワンズ・クリーク、初登場から今に至るまで外観はそれほど大きく変化しませんでしたが、中身はかなり変化しました。ここからはその変遷を追ってみましょう。

しかし、実はこのバーボンの中身のジュースの明確な詳細は、発売当初から今に至るまで不明です。周知のように、ウィレット蒸溜所は2012年から自家蒸溜を再開しましたが、それまではKBDとして他の蒸溜所からバレルを購入していました。従ってローワンズ・クリークも他の製品も、発売からある時点までは実際には別の生産者によって蒸溜され、KBDによってブレンド及びボトリングされたものでした。彼らは、ローワンズ・クリークに限らず、自らの製品に就いて明瞭に語ることは殆どなく、どこで蒸溜されたウィスキーなのかは推測の域を出ません。軈て、自社の蒸溜原酒が熟成するにつれ、それらはボトリングされるようになり、2020年頃には殆ど全ての製品がバーズタウンにある自社製に切り替わっていると見られています。その頃からラベルに記載される事業名が、ローワンズ・クリーク・ディスティラリーからウィレット・ディスティラリーに変更されました。ここら辺の現代ローワンズ・クリークも、公式にマッシュビルや熟成年数などのスペックは公開されてはおらず、他ブランドとどういった造り分けをしているのか謎のままです。これらを念頭に置いて見て行きます。

発売された当初、ノアーズ・ミルとローワンズ・クリークにはエイジ・ステイトメントがありました。前者が15年、後者が12年です。この熟成表記は、メイン・ラベルの上に貼られた細いラベルに余り目立たない感じで記載されていました。また、この頃の物(*)はボトルの横もしくは後に貼られたバッチ・ラベルに、蒸溜年とボトリング年が手書きで記されています。
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12年表記のある初期のローワンズ・クリークは、文字通り最低でも12年熟成、もしくはもっと長い熟成バレルを使ったブレンドもあった可能性はあります。実際、今回私が開栓した12年表記のあるローワンズ・クリークは、蒸溜年とボトリング年を参照すると13年熟成となっていますし(上画像参照)、他のバッチでも12年熟成以上の物を見たことがあります。スモールバッチ・バーボンの代表的な銘柄であるブッカーズに記載される熟成年数が最も若いバレルの物であるのと同様に、ローワンズ・クリークのバッチ・ラベルに記載されている蒸溜年も最も若いバレルの物でしょう。この頃のバッチング・サイズは10樽程度と何処かで読んだ気がしますが、本当かどうかは判りません。
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おそらく発売当初は豊富にあった長期熟成バレルはバーボン需要の増加に伴って少なくなり、ノアーズ・ミルとローワンズ・クリークの両ボトルともエイジ・ステイトメントを失いました。切り替わりの正確な時期が特定できないのですが、2006年後半あたりからではないかと思われ、少なくとも2011年までには完全に切り替わっていた筈です。そして、NASとなってからは若いバレルも混和するようになり、2011年の情報では「5年から15年のバーボン樽のコレクション」とされていました。また、同情報源によれば「どの樽を使い、どの樽を使わないかという固定観念に囚われることはない」と言われていました。その言葉からすると、もう少し熟成年数の幅は前後することもあると思われます。バッチング・サイズは、おそらく当時は15バレル程度かな? このNASのローワンズ・クリークのレヴューを参照すると、やや若い味がするとか、若いアルコールのキツさがあるとの指摘が見られ、5〜15年の熟成バレルの構成は主に若い熟成のバーボンに少し長熟バーボンが混じっている配分なのではないか、と考える人もいます。
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2013年後半頃には、これまたローワンズ・クリークとノアーズ・ミルともに、ワックス・トップだったものがフォイル・トップへと変更されました。これらのワックス・トップとフォイル・トップにはテイスティング・プロファイルに違いがないと考える人もいれば、あると信じる人もいました。あると信じる人達はより若くなったと感じたようです。まあ、ワックスかフォイルの違い以前に、ローワンズ・クリークにはバッチ間の差もかなりあると言われています。その出来にはバラつきがあって素晴らしいものもあれば殆ど飲めないものまである、と言っている人も見かけました。個人的には飲めないほど酷い物はないと信じていますが、SNS等でローワンズ・クリークに限らずウィレットのスモールバッチ・バーボンを「美味しい」と投稿している方には、せめてバッチ番号を明記して欲しいとは思います。そうでないと、どの時代の物を美味しいと言っているのか判りにくいので…。それに、大規模な蒸溜所の「大きな」スモールバッチですらシングルバレルに劣らず個性的であるのに、実際にはヴェリー・スモールバッチと呼んだほうが適切な数十樽のスモールバッチは尚更そうですから。

偖て、90年代から2010年代半ばまでのローワンズ・クリークは、他のスモールバッチ・ブティック・バーボン・コレクションの面々やジョニー・ドラム及びオールド・バーズタウンといった主要なブランドと同様にソースド・バーボンでした。その大半はヘヴンヒルのバーズタウンの蒸溜所かルイヴィルのバーンハイム蒸溜所から仕入れていたのではないかと見られています。しかし一方で、KBDは長年に渡ってほぼ全ての主要な蒸溜所(メーカーズマーク以外とされる)のウィスキーを入手しており、彼らは個性的なフレイヴァー・プロファイルを得るために異なる蒸溜所のバレルを混ぜ合わせていたとも言われています。当時は多くの人がヘヴンヒルやバートンのウィスキーをボトルに入れただけと思っていましたが、2つかそれ以上(3つか4つ)の蒸溜所のウィスキーのマリッジだった、と。KBDの社長エヴァン・クルスヴィーンは手持ちのウィスキーから素晴らしい風味を生み出す達人であり、様々な業者から入手可能になる度にバレルを調達していた結果、彼とブレンディング・チームは少量のウィスキーをブレンドして各ブランドに合う風味を造り出すことに熟練するようになった、と。勿論、詳しい構成比率が明かされる訳もなく、全ては謎に包まれています。

そして、ウィレットの製品は現在では100%自家蒸溜物に移行したと考えられています。しかし、一体いつローワンズ・クリークが自身の蒸溜物に切り替わったかはよく判りません。仮に熟成年数4年程度でボトリングしているならば、2012年から蒸溜を再開したことを考慮すると、早くて2016年から新ウィレット原酒を使用することは可能ではあります。また、よく分からないのが他の蒸溜所産のウィスキー、つまり何処かから調達した旧来のストックと、自前の蒸溜所産の新しいウィスキーを混合しているのかどうかです。個人的には味わい的に混ぜてないような気がしますが、どうなのでしょう? 皆さんはどう思われますか? バッチ毎の味わいの違いに関する情報などと合わせて、仔細に精通している方は是非ともコメント欄より情報提供下さい。で、現在のウィレット蒸溜所には以下のような4つの異なるバーボン・マッシュビルがあります。

①オリジナル・マッシュビル
72%コーン/13%ライ/15%モルテッドバーリー

②ハイ・コーン・マッシュビル
79%コーン/7%ライ/14%モルテッドバーリー

③ハイ・ライ・マッシュビル
52%コーン/38%ライ/10%モルテッドバーリー

④ウィーテッド・マッシュビル
65%コーン/20%ウィート/15%モルテッドバーリー

ソーシング・ウィスキーではない現在のローワンズ・クリークのマッシュビルに就いて調べてみると、4つのマッシュビルのブレンドとしているもの、①としているもの、味わいから②と推測するもの、更にはハイ・ライ・バーボンであることは確かだとする説もあったりと、てんでバラバラで混乱するばかりです。熟成年数は、5〜7年ではないかと推測するものや、推定8年程度であると考えられているとするものがありました。孰れにせよ正確な熟成年数も不明です。バッチによって一貫性がないとされるスモールバッチ・バーボンですから、何ならマッシュビルの変更やバッチングに使用されるバレルの熟成年数の変化だってあったのかも知れない。まあ、判らないことは措いておき、そのうち何か情報が入れば追記することにしましょう(※追記あり)。

では、そろそろ注ぐ時間です。今回は自分の手持ちの12年表記のある2006年ボトリングとNASの2017年ボトリングを開封しました。この2つに加え、バーボン仲間のK氏から2つのサンプルを頂けたので、計4つの年代別バッチ別の比較が可能となりました。画像提供も含め、いつも本当にありがとうございます。バーボン繋がりに乾杯!

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ROWAN'S CREEK Twelve years 100.1 Proof
BATCH QBC No. 06-94
推定2006年ボトリング。赤みを帯びたダークブラウン。床用ワックス、フローラル、焦樽、オールドファンク、トフィ、杉、ベーキングスパイス、土、アプリコットジャム、抹茶ミルク。よく熟成したバーボンの香り。プルーフから期待するよりは緩いが、とろりとした口当り。味わいは甘く、スパイシーかつフルーティとバランスが良い。そして何より味が濃い。余韻はミディアムで、ややビター。
Rating:88/100

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ROWAN'S CREEK NAS 100.1 Proof
BATCH QBC No. 17-67
推定2017年ボトリング。パイナップル、グレイン、蜂蜜ハーブのど飴、シリアル、グレープジュース、ビール、プラム、ヨーグルト、マッチの擦ったあと。香りはフルーツの盛り合わせ。ややとろみのある口当たり。パレートはフルーティな甘みと共に穀物の旨味が凄い。余韻は最後に少し苦味。
Rating:87.5/100

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(画像提供K氏)
ROWAN'S CREEK NAS 100.1 Proof
BATCH QBC No. 12-135
推定2012年ボトリング。ワックス・トップでNASの物。ウッドニス、プリンのカラメルソース、穀物、カカオ、木の酸、ナツメグ、ヴァニラウエハース。清涼感を伴った仄かに甘いアロマ。味わいは薄っすらフルーティで穏やかなスパイス感。余韻はミディアム・ショートで、ほんのり甘みが来てから一気にドライになって切れ上がる。
Rating:83/100

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(画像提供K氏)
ROWAN'S CREEK NAS 100.1 Proof
BATCH QBC No. 21-9
推定2021年ボトリング。四つの中でこれのみラベルの記載がローワンズ・クリーク・ディスティラリー名義ではなくウィレット・ディスティラリー名義。僅かにゴールドがかったブラウン。紅茶、蜂蜜、檸檬、焦げ樽、フローラル、塩、ゴム、ピーナッツ、ジンジャー。香りは蜂蜜レモンティー。ややオイリーで滑らかな口当り。パレートではほんのり甘いオークの風味が感じ易い。余韻はミディアムでダージリン・ティー。
Rating:85.5/100

Thoughts:バッチ06-94は、明らかに長熟バーボンのオールドな風味を感じます。しかし、それは不快ではない程度に収まっており、却って心地良いくらいでした。そういったオールド感も含めてバランスの良いバーボンという印象。香りや味わいは、ヘヴンヒルぽくは感じましたが、微妙に異なる風味もあって、例えて言うとエヴァン・ウィリアムス12年をフォアローゼス・プラチナで薄めたような味わいですかね。それは兎も角、これが往時3000〜5000円程度で買えていたと思うと驚異です。今なら12000円位から、ブランディングによっては20000円を超えてリリースされそうなクオリティ。
バッチ17-67はアロマだけで新ウィレット原酒と思いました。一言でいうと穀物フルーツ系バーボンです。飲んだ印象としてはライ麦の要素があまりないように感じたので、マッシュビルは②かなと予想しますが、まあ分かりません。ミックス・マッシュビルかも知れないですし。私が以前に飲んだケンタッキー・ヴィンテージやピュア・ケンタッキーXOの特定のバッチと較べてみると、幾分か穀物感とフルーツ感で上回るように感じましたが、だからと言ってそれが取り立てて明確に上位の味わいとは思えませんでした。特にオールド・バーズタウン・エステート・ボトルドと比べるとミルキーなテイストを欠いており、価格が上がる割に良いフレイヴァーがないのは気掛かりです。とは言え、ウィレット蒸溜所が生産するウィスキーは非常に自分の好みに合っており、私は彼らの比較的若いウィスキーでも楽しめる消費者の一派に入るので、美味しいのは間違いありません。
バッチ12-135は、全体的なフレイヴァー・バランスは整っているのですが、12年物と較べるとアロマもテイストも何もかもが薄いと感じました。アルコールのピリピリ感もあって、確かに若い原酒の比率がかなり高くなった印象を受けます。サイド・バイ・サイドで12年物と較べるからスケールが小さく感じるとは言え、他のバーボンとの比較に於いても特に誉めるべき点は見つからず、逆に特に悪いところもない凡庸なバーボンという感想でした。正直言って、ローワンズ・クリークというブランドから自分が抱く勝手なイメージからすると期待外れな出来です。
バッチ21-9は紅茶でも飲んでるかのような味わい。同じ新ウィレット原酒と思われるバッチ17-67とフレイヴァー・プロファイルがかなり違うのが面白かったです。こちらはバッチ17-67と較べると、自分が今まで飲んで来た新ウィレット原酒に感じ易いと思っているハーブのど飴のような複合的なハーブとグレープを殆ど感じれず、それが点数を下げる要因となりました。それにしても、何故これ程までにプロファイルが異なるのでしょうか? もしかしてマッシュビルの変更があったのかしら? これがミックス・マッシュビルなの? それとも単にバレル・セレクトの違いなのか…。海外の有名なバーボン・レヴュワーがローワンズ・クリークに対して、本質的に悪いところはないがウィレットが蒸溜するようになったという事実以外に特筆すべき点もないとか、同価格帯のより有能な他のボトル(ブランド)には敵わないとか、評判の悪いウィレット・ポットスティル・リザーヴと同じような風味がする、と評しているのを目にするのですが、それがバッチ17-67のような味わいに言われているのか、それともバッチ21-9のような味わいに言われているのか、はたまた両方なのか、これが判らない。ウィレット蒸溜所のウィスキーを色々飲んでいる皆さんはどう思われますか? コメント欄よりご意見ご感想、お待ちしております。

Value:「12年」表記のあるローワンズ・クリークは、古い物なのでオークション等である程度の価格は覚悟しなければならないでしょう。しかし、もし貴方が古典的な熟成バーボンを好むなら素晴らしい価値のある製品です。現行のローワンズ・クリークは、アメリカでは地域差がありますが大体40〜45ドル程度、日本では大体6500円くらいで売られています。もし貴方が近年のウィレット蒸溜所のウィスキーのフレイヴァーを愛するなら、バッチ毎の違いはあるかも知れませんが、概ねオススメ出来る製品だと思います。これらの中間に当たる時代のローワンズ・クリークは、少々中途半端と言うかあまり印象に残らないバーボンで、正直それほどオススメではありません。


*初期の物でも蒸溜年が記されていないものや、「E」で始まるバッチ番号の物を見かけたことがあります。

追記:現行のマッシュビルは72%コーン、13%ライ、15%モルテッドバーリーのオリジナル・マッシュビルだそうです。

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ワイルドターキー・マスターズキープ・ワンは、基本的に年に一度、限定発売される同シリーズの第6弾で、2021年9月にリリースされました(日本では約一年遅れの2022年10月18日に発売)。マスターズキープは毎年異なるテーマを設け、マスター・ディスティラーのエディー・ラッセル自身がコンセプトに沿ってバレルを選び造り上げられます。バーボンとしては長期熟成の「17年(2015)」や「ボトルド・イン・ボンド(2020)」、過去のワイルドターキーの遺産へのオマージュとも取れる「シェリー・シグネチャー」にインスパイアされた「リヴァイヴァル(2018)」や「フォーギヴン」を強力にしたような「アンフォガトゥン(2022)」、ワイルドターキー史上初の限定版ライ・ウィスキーだった「コーナーストーン(2019)」などがあります。
この「ワン」は、二つのレガシーを「一つ」に調和させるところから名付けられました。言うまでもなく二つのレガシーとはラッセル父子を指しています。一つは有名な父ジミー・ラッセル。彼の中期熟成バーボン(具体的には8~10年熟成)好きは周知の事実として知られており、そこでエディは父の好みを反映させるために9年と10年熟成のバレルを厳選しました。もう一つはエディ・ラッセル自身。彼は長期熟成されたバーボンの複雑な特徴に対して情熱を注いでいるので、慎重に熟成させた14年熟成のバレルを少量選びました。そして、それらの原酒を巧みにブレンドし、更にそのバーボンを特別にトーストとチャーを施した新樽に入れ、エディが個人的に気に入っているタイロンのGリックハウスにて非公開の時間を掛けて二次熟成させることで、父と息子の異なる二つの個性が一つになった、と。
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トーステッド・バレル・バーボンは近年人気を高め、2020年代初頭のトレンドの一つとなっています。ここ日本でもミクターズのトーステッド・バレル・フィニッシュは比較的知られているのではないでしょうか。ヘヴンヒルのエライジャクレイグ・ブランドもこの方法で大成功を収め、このカテゴリーには大手メーカーからクラフト蒸溜所まで様々な例が散見されます。それだけにマスターズキープの2021年リリースがトーステッド・バレル・フィニッシュになると聞いて、ワイルドターキーが他のプロデューサーの後を追従しただけであるかのように思われ、「ワイルド・ターキーはアイデアを使い果たしているに違いない」などと落胆したWTファンもいたようです。確かに、過去のマスターズキープのデケイズ(ディケイド)も10年から20年の中期熟成と長期熟成ウィスキーをブレンドしたものでしたから、そのアイディアにはそれほど根本的な違いはなく、有名な親子デュオの二つのプロファイルを一つにすると云うワンの物語は、トレンドの波に乗り遅れたのを取り繕うただのマーケティングのようにも感じられます。とは言え、フィニッシングだけで全てが決まる訳ではなし、選ばれた原酒が希少そうだし、これはこれでワイルドターキーのバーボンであることに意味があるでしょう。

フィニッシングは、既に完全に熟成させたアメリカン・ウィスキーを他のスピリッツやコーヒー等を貯蔵するために使用されてきた樽や従来とは全く異なる新種の木樽などに再度入れ、数ヶ月から数年ほど追加で熟成させる手法です。トーステッド・バレルもその一つ。伝統的なチャーはバレルの内部を高温の炎で40~60秒かけて焼くのに対して、トーストは短時間で一気に熱を加えるのではなく、より低温かつより長時間、木の奥深くまで熱に曝すロー&スロー・アプローチであり、時間が掛かる分コストも掛かります。チャー工程で出来る樽内部の黒ずんだ炭化層は濾過という実用的な機能を果たします。この層自体は本質的に木炭であり、最終的な風味にはあまり影響せず、熟成中に木炭浄水フィルターと同じように機能して新しいウィスキーの望まれない異臭や風味を取り除きますが、寧ろバーボンのお馴染みの愛すべき風味はその炭化層のすぐ下にある「レッド・レイヤー」から生まれ、こちらの層がバーボンの特徴であるヴァニラやキャラメル、ナッツやスパイスなどの芳香成分やフレイヴァー、また色も齎すとされます。そこで、トースティングによって厚いレッド・レイヤーを作り出し、バーボンの特徴を更に際立たせたのがトーステッド・バレルという訳です。トースティングとチャーリングは互いに排他的な効果でありません。多くの蒸溜業者はバーボン・バレルに両方の方法を使います。トーステッド・バレルで比較的知名度があると思われるミクターズの「トーステッド・バレル・フィニッシュ」は敢えてチャーしないセカンド・バレルを使うタイプですが、エライジャクレイグの「トーステッド・バレル」ではトーストした後に表層は黒くはなるものの木材に亀裂が入らない程度の「フラッシュ・チャード」を施しています。或いは「トーステッド」とは名乗られていませんが、ウッドフォード・リザーヴの「ダブル・オークド」も二次熟成に使うバレルは深くトーストした後に軽くチャーリングしていると言います。前述のようにワンのフィニッシングに使われるバレルも「特別なトーストとチャー」を施したと謳っているのですが、何秒焼成したとかの詳細は明かされていません。エライジャクレイグ・トーステッド・バレルやウッドフォード・リザーヴ・ダブル・オークドに近しい製法なのでしょうか? まあ、分からないことは措いておきましょう。
トーステッド・バーボンはヴァニラ、仄かなカラメル、ライトなオーク、ロースト・マシュマロ、スモア、シロップ、ココナッツ等の香りが特徴とされています。但し、トーステッド・バレルを使えば「勝ち確」という訳ではなく、実際には気難しいプロセスでもあるようです。トーステッド・フィニッシュが強過ぎると、ベースとなるウィスキーが圧倒され、異質な味わいのバーボンに変貌してしまうのだとか。トースティングやチャーリングは繊細な作業であり、芸術の域に達していると言われる所以かも知れませんね。では、そろそろワンを注ぐ時間です。ちなみにマッシュビルは75%コーン、13%ライ、12%モルテッドバーリーのワイルドターキーお馴染みのもの。

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WILD TURKEY MASTER'S KEEP ONE 101 Proof
BATCH No. 0001
RICKHOUSE : G
僅かに赤みを帯びた艷やかなブラウン。クミン、香ばしい焦樽、ライスパイス、メープルシロップ、爽やかな野菜感、辛子蓮根、タバコ、スミレ、ヘーゼルナッツ、バター。ツンとした刺激的でスパイシーな香り立ち。時間を置くと甘い香りやフローラルも出た。ややとろみのある口当たり。甘さとスパイスの均整が取れ、柑橘類のアンダートーンとバターぽさもある味わい。余韻はミディアムロングで、香ばしい樽の香りとウッディなスパイスが広がる。液体を飲み込んだ直後から余韻に掛けてがハイライト。
Rating:88.5/100

Thought:凄く美味しいです。通常のワイルドターキー8年と較べると香ばしさが圧倒的でした。溌剌としていて、出て来るスパイスも少し異なりますかね。14年物が含まれてる割に渋みがないのも個人的には好印象。全体的に長熟の雰囲気はあまり感じませんでしたが、ボトルの半分以下の量まで飲み進めると、少し長熟のニュアンスが感じれるようにはなりました。無理やり同じシリーズのマスターズキープで例えるなら、デケイズをより甘くよりフレッシュにしたような味わい(但し、デケイズのほうが深みで勝る)。どこまでがトーステッド・フィニッシュの効果なのか判りませんが、何らかのフレイヴァー強度を上げつつ、他のワイルドターキーにない個性が加わっていると思います。強いて弱点を挙げるなら、殆どのワイルドターキーに感じられるチェリー・ノートがスタンダードのボトルよりも弱くなっているところでしょうか。
このワン、グレンケアンのブレンダーズ・グラスで飲んでも久々に美味しく感じるバーボンでした。今時のバーボンや若い熟成年数のバーボンはグレンケアンでなくてもテイスティング・グラスで飲むと美味しくなく感じることが多いのですが、これは旨かったです。そう言えば、ザ・ライト・スピリットのマーク・Jはワンに関して面白い感想を述べていました。彼は開封直後のワンをグレンケアンで飲んだ時は平凡でドライオークが心地良くないと思ったのに、10日後に今度はブランディ・グラスで試したところ味わいは素晴らしいものに変わっていたと言うのです。その3日後、またブランディ・グラスで飲んでみてもやはり美味しかったので、グラスのせいかも知れないと考え、グレンケアンにも注いでみると、よりドライになったように感じたがそれでも2週間前よりは良かった、と。彼はグラスのせいなのか、瓶の中で空気に触れて香りが開いたのか、科学的な根拠は何もないが、敬遠していたウィスキーを2週間後にはすっかり気に入ってしまったと言い、「ウィスキーよ、どうしてそんなにミステリアスなんだい?」と文章を締めくくりました。私はブランディ・グラスでは試してませんが、酸化による味わいの変化やグラスを変えることによる感じ方の変化を常々不思議に思っていたので、この最後の言葉には大いなる賛同しかないですね。ちなみに、有名なウィスキー・レヴュアーの一人ジョシュ・ピータースはこのワンを大絶賛していました。彼のマスターズキープ・ランキングのトップに君臨しているとして、(金銭的に)余裕があれば1ケース買い占めたいくらいだ、とまで言っています。一方、ワイルドターキーの大家デイヴィッド・ジェニングスは、ラッセルズ・リザーヴが良いという意味でワンも良いが、値段を考慮するとトーステッド・バレルの先達ほど強くはない、という趣旨の評価をしていました。

Value:アメリカでは175ドル、日本では20000円の希望小売価格でした(日本に於ける販売数量は約5000本とされる)。昨今のウィスキー全般の価格高騰からすると、下手にプレミアム価格になっていなければ、高級感のあるパッケージも含めてアリだと思います。但し、ボトル1本に20000円も掛けられないと感じる人のために言っておくと、価格と味わいのバランスを考慮するなら日本で入手し易い8年や12年、ケンタッキー・スピリットやラッセルズ・リザーヴでも十分美味しく、ワンの購入を諦めても泣く必要はありません。一部の人が言うように、通常ラインナップの拡張として「ワイルドターキー・トーステッド・バレル」なるものが70ドル程度でリリースされるのが理想なのかも知れない。しかし、それが実現したとしても、このワンとはまるっきり別物になるでしょう。おそらく、このバーボンが美味しい理由(または高い値付けの正当性)は、トーステッド・バレル云々よりは選ばれた原酒のクオリティにこそあるのではないか?、私にはそう思えます。そのことを信じる人は買えばいい、ワンはそういう製品です。

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ラッキー・ストライク・バーボンはマーシィ・パラテラのインターナショナル・ビヴァレッジ(アライド・ロマー)のブランドで、日本向けに短期間もしくは一回限り(91年?)ボトリングされたと思われます。ヴァリエーションには12年90プルーフ、13年94プルーフ、15年101プルーフ、17年94プルーフ、ドライ86プルーフがありました。おそらくタバコの「ラッキー・ストライク」との直接的な繫がりはないと思いますが、そのタバコ銘柄の名称の由来はアメリカのゴールドラッシュ時代に金を掘り当てた者が言った「Lucky strike」と云うスラングに由来するらしいので、このバーボン・ブランドもケンタッキーのバーボン鉱脈に眠っていた金に等しい優良なバレルを引き当てた幸運というイメージで名付けられたのではないでしょうか。ボトリングはKBDがしています。
では、肝心の中身は何なのでしょうか? 可能性としては幾つか考えられます。一つは何処かしらの、例えばヘヴンヒルとか旧バーンハイムなどのKBDがストックしていた単一の蒸溜所のバレルをマーシィがピックし、使用しているというもの。或いはエヴァン・クルスヴィーンと共同でピックしたのかも知れない。もう一つはKBDの所有する複数の蒸溜所のバレルをエヴァンがブレンドして提供していたというもの。彼はそうして自らの味わいをクリエイトする達人だったと言われています。更なる一つはマーシィがユナイテッド・ディスティラーズから購入したスティッツェル=ウェラーのバレルをエヴァンがそのままボトリングしたというもの。当時は様々な熟成年数のバーボンが安く買えた時代でした。それは今や伝説となっているスティッツェル=ウェラーでさえも例外ではなかったでしょう。マーシィ自身が語るところでは、自分のプロダクトには非常に多くの様々なバレルを使ったが、2005年以前に作成したブランドにはS-Wを多く使ったそうなので、可能性は高いかと。バーボン探求者は中身を正確に知りたい欲求に駆られますが、もしかするとマーシィやエヴァン本人に中身の件を尋ねてみても、当時あまりに多くのブランドを造り過ぎて何に何を使ったか記憶しておらず、大雑把な回答しかしてくれないかも知れません。そんな訳でとにかく飲んでみるしか…。

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LUCKY STRIKE 15 Years 101 Proof
推定91年ボトリング。テクスチャーは柔らかいがパンチがある。仄かなキャラメル、高尚な木材、豊かなベーキングスパイスの香り。味わいは如何にも長熟という味わいで、タンニンが強く、レザーや土っぽさもある。ダークなフルーツは感じるが、これといった明確なフルーツは言えない。余韻は薬草感を伴ったオールドオークが恐ろしく長く続く。
Rating:87/100

別の機会に17年熟成の物を飲めたので、そちらをおまけで。これは大宮のバーFIVEさんの会員制ウィスキー倶楽部で提供されたものでした。17年は最も数量が少なかったと聞きます。

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(画像提供Bar FIVE様)
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LUCKY STRIKE 17 Years 94 Proof
推定91年ボトリング。赤みを帯びたブラウン。微粒子感のある液体。キャラメル、オールドオーク、オールスパイス、焦がし砂糖、オレンジピール、茴香、僅かに爪の垢、シナモンクッキー。甘く、かつスパイシーなノーズ。とても柔らかい口当り。パレートでは渋みが強い。余韻はスパイシーかつハービー。
Rating:88/100

Thought:長期熟成バーボンは木質な風味と木材由来のハーブ&スパイスの風味が勝ち過ぎて、表層的に似たり寄ったりの風味になると個人的には感じます。だから、正直、飲んでも何処の原酒か全く判りませんでした。ヘヴンヒルと言われればヘヴンヒルのようにも思えるし、スティッツェル=ウェラーと言われればスティッツェル=ウェラーのようにも思えてしまいます。飲んだことのある皆さんはどう思ったでしょうか? コメント欄よりどしどしご感想をお寄せ下さい。
15年と17年を比較すると、プルーフの高い15年の方が美味しいのではないかと思っていたのですが、加水量の多い17年の方が却って自分の苦手な風味が薄まったのか飲み易い上に若干フレイヴァーフルに感じました。但し、これは上に述べたように別の機会に飲んでいます。それ故にサイド・バイ・サイドでもなく、ボトルの状態や私自身の体調を考慮すると聊か信頼性に欠ける意見かも知れません。
マーシィはラッキー・ストライクを含む自分の初期のブランドのジュースに就いて、「stunning」ではなかったけれど常に「really good」だった、と語っていました。おそらく、最上級とまでは言えなくとも多くの製品はその少し下くらいの美味しさではあったという解釈でいいでしょう。これを飲んでみると、確かにそれは的確な表現のように感じられます。

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今回は日本でのバーボン輸入がまだ華やかりし頃のジムビーム・ホワイトラベルを開栓してみました。個人的には今の物より古めかしいこのラベルの方が好みです。こちらはオークションで購入したもので、液体はグラスに注ぐとクリアに見えますが、ボトルのままだとほんの少し曇りがあるように見えます。

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JIM BEAM White Label 80 Proof
推定92年ボトリング。鉛筆の削りカス、キャラメル、オールドボトルファンク、チリパウダー、フルーティな接着剤、鰹節、クエン酸、タバコ、ドライクランベリー。口当たりは円やか。余韻はミディアムでスパイシー、あとちょっと薬草感。
Rating:72→82/100

Thought:開封したては、ただただ香りも味わいも余韻も鉛筆の削りカスそのものでした。単なる木屑ではなく、鉛筆の芯の香りもするんですよね(笑)。正直、飲むのが辛かったです。そのため、極く少量づつ飲みながら様子を見ていたのですが、半年くらいしたら不快な香りは上手いこと消えてくれました。そうなってみると、味わいには僅かにオールドファンクがあるものの不愉快なほどではなく、普通に美味しいと感じられました(*)。熟したアロマと深みのあるスパイスが現れる余韻は、これがオールドボトル故の経年変化もあるのでしょうが、現行のホワイトラベルとは全く別物な印象です。オールドボトル愛好家の方が昔のビームは優れていた、という意味合いのことを言っているのを耳にしたことがあります。オークションでそれほど高値がつくバーボンでもないので、多少のギャンブル性を覚悟の上なら購入するのもまた一興かと。


*但し、グレンケアンで飲むとオールドファンクが強く感じられて、余り美味しくはありませんでした。ショットグラスだと良い感じにオールド臭が薄らいだように思いました。また、夏場より冬場のほうが美味しく感じたので、私は試していませんが、もしかするとロックで冷やして飲むとより良いのかも知れません。

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ヴァージン・バーボン7年はヘヴンヒルの所有するキャッツ・アンド・ドッグス・ラベル(ブランド)の一つで地域限定の製品です。アメリカではかなり限られた流通であり、主にノース・キャロライナ州、あとはアラバマ州など極く一部でしか販売されていません。そのため全国区のバーボン・ブランドと比べるとヴァージン・バーボンのアメリカでの知名度は低いですが、7年熟成101プルーフのスペックでありながら14 ~18ドルと安価であるところから、知っている人からはボトム・シェルファーとして非常に優れた堅実なバーボンと評価されていました。残念なことに2019年に7年熟成ではなくなり、現在ではネック・ラベルの裏に「少なくとも36ヶ月熟成」と記載されているらしいです。この変更の理由を、それまでケンタッキー州限定で販売していた6年熟成のヘヴンヒル・ボトルド・イン・ボンドが2019年にリニューアルした際、7年熟成となって価格が12〜15ドルだったのが40ドルになり、販売地域が拡がったことによって在庫の一部をそちらにまわした影響ではないかと見る向きもあります。まあ、実情は判りませんが、バーボンの全体的な値段が上昇する割に中身はどんどん若くなっている現状は時代の流れではあるでしょう。
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一方、アメリカに比べると日本でのヴァージン・バーボンの知名度は高く、少なくともバーボン・ファンの間ではよく知られていると思います。日本がバーボン・ブームに湧いた頃、数多くのブランドが我が国へやって来ました。ヴァージン・ブランドも80年代半ばか遅くとも後半には輸入されるようになっていたと思われます。ヴァリエーションにはブラック・ラベルの7年、グリーン・ラベルの10年、ゴールド・ラベルの15年、更に後には特別なボトリングとしてシルヴァー・ラベル及びワックス・シールドの21年もありました。クラシックな雰囲気のラベルも良いですし、何より全てボトリングが101プルーフに統一されているところが人気のポイントだったでしょう。しかし残念ながら、本国でのバーボン高需要の影響なのか、2013〜14年頃に輸入は停止し、多くの日本のバーボン愛好家は別れを惜しみました。
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ヴァージン・バーボンは日本では比較的長い間販売されていたので、中身に関してはどこかの段階でバーズタウンの旧ヘヴンヒル蒸溜所産とルイヴィルのバーンハイム蒸溜所産が切り替わっていると思われます。マッシュビルは多くのヘヴンヒル製品と同様のスタンダードな物の筈ですが、バーズタウン産はコーン75%/ライ13%/モルテッドバーリー12%、ルイヴィル産はコーン78%/ライ10%/モルテッドバーリー12%とされています。またヘヴンヒルは、バーズタウンの蒸溜所が消失してバーンハイム蒸溜所を購入するまでの1996年から1999年の期間、ジム・ビームとブラウン=フォーマンに蒸溜を委託していたので、それらの原酒が使われているヴァージン・バーボンのボトルもある可能性があります。それと、ラベルに大きく「チャコール・フィルタード」とあるのは、ジャックダニエルズやジョージディッケルなどのテネシー・ウィスキーのような樽入れ前に行うチャコール・メロウイング(リンカーン・カウンティ・プロセス)ではなく、ボトルに入れる前に炭で濾過する一般的な製法と思われます。ラベルと言えば、下方に書かれている「メドウローン・ディスティリング・カンパニー」というのは、現在ヘブンヒルが所有しているトレーディング・ネームですが、もともとはダント・ファミリーの一員が関わっていた会社で、嘗てメドウローンと呼ばれた地で蒸溜所を操業していました。おそらくヴァージン・ブランドもその会社が60年代に初めてリリースしたのがオリジナルではないかと推測されます。その頃はダントの蒸溜所はオールド・ブーン蒸溜所と呼ばれていました。推定60〜70年代と思われるヴァージンのラベル下部にはオールド・ブーン・ディスティラリーと記載されています。この蒸溜所の未使用ラベルは海外のオークションでよく出回っており、それらが実際に販売されていたかどうかは判りませんが、見たところ当時のヴァージンには101プルーフ7年熟成の他に107プルーフ6年熟成やウォッカがあったことが窺われます。
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そこで今回はジョン・P・ダントまたはオールド・ブーンと呼ばれた蒸溜所とそのブランドの歴史を少しばかり纏めてみたいと思います。

ダント・ファミリーはバーボンの蒸溜に於いて非常に長く豊かな歴史をもっています。現在でもバーボンの世界では「J.W.ダント」というブランドがこれまたヘヴンヒルから発売されているのでご存知の方も多いでしょう。その酒名はジョセフ・ワシントン・ダントから来ています。1836年、ジョセフ・ワシントンはポプラの木を刳り抜いてログ・スティルを拵え、ウィスキー造りを始めました。彼のウィスキーは直ぐに売れ始め、近所の人々の間で彼がこの国で最高のサワーマッシュ・ウィスキーを造っていると評判になりました。軈てログ・スティルは銅製のポット・スティルに置き換えられ、1870年にはダント・ステーションに近代的な蒸溜所を建てるまでになったと言います。彼と妻アン・バラードの間には7男3女の子供が産まれました。長男のジョセフ・バーナード・ダントは10代の頃から父のもとで働き始め、後年、ゲッセメニーに自らのコールド・スプリングス蒸溜所(第5区RD#240)を建てます。そこのウィスキーは後のテイラー&ウィリアムズ社によって販売され、現代にも名を残す有名なイエローストーン・ウィスキーを生み出しました。1871年にD.H.テイラー社のセールスマンであるチャールズ・タウンゼントが開園したばかりのイエローストーン国立公園を訪れ、その自然の驚異に対する熱狂ぶりを見て、この公園の名をウィスキーのブランドに冠することを提案したのが始まりでした。おそらくダント家で知名度が突出しているのはこの二人でしょうが、ジョセフ・ワシントンの息子達は皆、蒸溜ビジネスに携わっており、三男のジョン・プロクター・ダントもそうでした。

1855年に生まれたJ・P・ダント(シニア)は、兄のバーナードと同様に若い頃からダント・ステーションの蒸溜所で父のもと働きました。また、彼はケンタッキー州ジェファソン・カウンティのプレジャー・リッジ・パーク蒸溜所で蒸溜をしていたという話もありました。一方、私生活の面では1884年頃、ケンタッキー出身のウィリアム・ヘンリーとロゼラ・ランカスター・スミスの娘でマリオン郡生まれのアン・ジョセフィン・スミスと結婚しました。ジョセフ・ウィリアム・ダントと名付けられた長男は、悲しいことに幼児期に亡くなってしまいますが、その後2人の娘が生まれ、1890年には次男のジョン・ジュニアが生まれています。同じ1890年にジョンは独立し、当時シカゴと呼ばれていた町(*)で現在のケンタッキー州セント・フランシスにあった1855年創業と思われる蒸溜所を購入しました(**)。彼はこの蒸溜所(マリオン郡第5区RD#174)をフラッグシップ・ブランドであるオールド・ダントンにちなんでオールド・ダントン蒸溜所と呼びました。1892年の保険記録によると蒸溜所はフレーム構造で2棟のボンデッド・ウェアハウスがあり、プラントには鉄道が通っていたようです。ジョンは甥のサド・ダントをディスティラーとして雇っていました。数年間の操業後、彼はプラントを売却し、ルイヴィルに移って酒類卸売業を始めました。
ジョン・P・ダント・シニアは酒類卸売業者として大成功を収め、909ブロードウェイでパイオニア・ボトリング・ハウス(***)として営業し、主に「オールド・ダント・サワーマッシュ・ウィスキー」を販売していたと言います。彼の店の名を冠した様々な形式のジャグがありました。この会社が使ったブランド・ネームにはオールド・ダントンの他に「ジェントー・ライ」、「オールド・ファーム・スプリング」、「オールド J.P. ダント」等があったと伝えられます。また「オールド・バラード」というブランドもありました。そのショットグラスやオールド・ダントン・ウィスキーを宣伝する装飾的なカレンダーなど特別な顧客向けの景品も数多く用意していたそうです。1909年から1913年まではインディアナ州ニュー・オーバニーにも酒類販売店を構えていたとか。しかし、その事業もご多分に漏れず1919年の禁酒法の施行によって終わりを告げました。
ジョン・シニアは、禁酒法が廃止されて間もなくジェファソン・カウンティのメドウローンに新しくジョン・P・ダント蒸溜所(RD#39)を建設し、1933年に会社を組織します。メドウローンはシャイヴリーから南西に15マイルほどに位置し、現在ではヴァリー・ヴィレッジと呼ばれています。第二次世界大戦中は同じくジェファソン郡アンカレッジのグロスカース蒸溜所(RD#26)をリースして、両事業をメドウローン・ディスティラリー・カンパニーとして操業しました。グロスカース蒸溜所はジェファソンタウン近くのフロイズ・フォーク沿いのエコー・トレイルにあり、禁酒法廃止後に建設され、1968年の火災で倉庫2棟が焼失し閉鎖したそう。メドウローン・ディスティラリー・カンパニーはジョン・P・シニアが社長、息子のジョン・P・ジュニアが副社長兼財務およびディスティラーだったようです。この二つの蒸溜所の合計マッシング・キャパシティは1日471ブッシェルで、6つの倉庫には7500バレルを貯蔵することが出来たと言います。
ケンタッキー州マリオン郡で生まれ、蒸溜産業に長く携わって来たジョン・P・ダントは、1944年4月にウェスト・ブロードウェイの自宅で88歳で亡くなりました。妻のアンには16年先立たれており、葬儀の後、遺体はルイヴィルのカルヴァリー・セメタリーのアンの隣に埋葬されたそうです。亡くなる数年前に自身が設立したジョン・P・ダント・ディスティラリー・カンパニーの社長を引退し、息子のジョン・P・ダント・ジュニアが社長を引き継いでいました。彼は1913年にルイヴィルで父のウィスキー・ビジネスを手伝い始めキャリアを積んでいました。

1940年代の経営は難しかったのか、1945年5月1日にトム・ムーアと繋がりのあったマーヴィン・パジェットがジョン・P・ダント蒸溜所の一部の支配権を買い取りました。彼はルイヴィルのメイン・ストリートでボトリング事業も行っていました。マーヴィンは1950年12月には蒸溜所の残りのインタレストを買い取ります。ジョン・ジュニアは1946年にジョン・P・ダント・ディストリビューティング・カンパニーを設立したそうなので(****)、何らかの形で会社に関わっていたと思われますが、最終的にはフロリダに引退し、1978年に亡くなりました。マーヴィンは1954年にシーグラムからオールド・ブーンの名前を買い取り、蒸溜所の名前をオールド・ブーン蒸溜所へと変更しました。マーヴィンの息子ウィリアム・"ビル"・パジェットは蒸溜所が閉鎖される1977年までプラント・マネージャーを務めました。マッシング・キャパシティは1日あたり750ブッシェル(約75バレル)で、6つの倉庫の総容量は約95000バレルだったそう。この蒸溜所の主なブランドは「オールド・ブーン」、「ディスティラーズ・チョイス」、「オールド1889」等でした。ヴァージンと同じように後にヘヴンヒルが復刻することになるオールド1889のブランドは、カンザス・シティのトム・ペンダーガストから購入したもので、主にその地域で販売され、ブランドの年間販売量は約5万ケースだったそうです。
ちなみにビル・パジェットは、1932年11月20日、マーヴィン・J・パジェットとグレース・R・パジェットの間にルイヴィルで生まれ、5人兄弟の4番目でした。1950年セント・ザヴィエル・ハイスクール卒業、1954年ザヴィエル・ユニヴァーシティ卒業。ザヴィエルでROTCを修了した後、ドイツのバウムホルダーで中尉として兵役に就きます。その後、父の足跡を継いでバーボン・ウィスキー業界に入ったビルは40年近くバーボン蒸溜所を管理しました。オールド・ブーン蒸溜所を皮切りに、ワイルドターキー蒸溜所、そしてメーカーズマーク蒸溜所で生産担当副社長としてキャリアを終えました。彼は最高級のケンタッキー・バーボンを造ることにかけては世界クラスの舌を持っていたと評されています。ウィリアム・R・"ビル"・パジェットは2016年9月10日、自宅で家族に見守られながら静かに83歳で息を引き取りました。彼はケンタッキー・カーネルではありませんでしたが、ルイヴィル・ロードであり、サラブレッド競馬を愛し、調教師だった弟のジミーと共にサラブレッドを所有していたとか。

蒸溜所の名前となった「オールド・ブーン」は、元々はブーン&ブラザーズ蒸溜所(ネルソン郡第5区RD#422)のブランドでした。チャールズ・Hとニコラス・Rのブーン兄弟は、1885年頃にR・B・ヘイデンが旧ギルキー・ラン・ロードのすぐ傍らの農場で経営していた蒸溜所を購入し、フランク・N・ブーンがディスティラーとなりました。彼らは、ダニエル・ブーンの近親者とされるウォルター・"ワティ"・ブーンの子孫でした。ワティとダニエルの関係は系図サイトを調べてもよく分かりませんでしたが、それは兎も角、ワティとその友人スティーヴン・リッチーはネルソン・カウンティの初期入植者で、1776年頃、ブーンはポッティンジャーズ・クリークに、リッチーはブーンから10マイル離れたビーチ・フォークに定住し、1780年に二人はそれぞれの地元で販売するウィスキーの製造を始めたとされます。1795年、ワティは工場を1日2ブッシェルの規模に拡張し繁盛させました。彼は息子(チャールズ・Hの祖父)をパートナーとして迎え入れ、その翌年には生前に偉大なディスティラーとしてこの地方一帯に名を馳せていた"オールド・アンクル・ジョニー・ブーン"が3分の1の権益を認められたらしい。アンクル・ジョニーは、おそらくワティの次男のジョン・ブーンのことと思われます。1830年になるとジョージ・ブーンの息子とチャールズ・Hの父が蒸溜所に入り、この国で最も優れたディスティラーの一人として認められたそう。また、ブーン兄弟の母方の祖父であるジョージ・ロビンソンも実践的なディスティラーとして50年以上に渡り上質なウィスキーを製造していたとされ、つまりブーン兄弟の先祖は父方、母方ともに実践的なディスティラーだったようです。但し、ここら辺の情報はダニエルとワティの関係と同様、系図サイトで調べてもよく分からず、多分に言い伝え的な側面があるかも知れません。
言い伝えついでに言うと、あのエイブラハム・リンカーンも少年時代にブーンズと関わりがあったようです。当時ブーンの蒸溜所から約10マイル離れたホッジェンヴィルに住んでいたエイブラハムの父トーマスは厳しい状況にあり、生活を正すため1814年にジョン・ブーンの蒸溜所での仕事に応募しました。するとブーンはトーマスに雇用を与え、彼が一流の人材であることを認めます。トーマスは妻のナンシー・ハンクスと息子のエイブら家族を蒸溜所から約1マイルの家に引っ越しさせましたが、昼飯のために家に帰るのが不便になり、時には夕食を摂るのにも不便に感じました。そこで、若いエイブラハムは食事を父のところへ運ぶようになりました。トーマスがインディアナに移る前年、エイブラハムは蒸溜所で父の手伝いを始め、ワティ・ブーンは「あの少年はどんな商売に就いても必ず立派な人物になるだろうし、もしウィスキー・ビジネスに進むならこの地で一番のディスティラーになるだろう」と言ったとか。
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ブーン&ブラザーズ蒸溜所はバーズタウンとロレットのターンパイク沿いにあり、蒸溜所へ続く道沿いの風景は美しく、プラントに近づくにつれて広がる野原は壮大な雰囲気を醸していました。蒸溜所は渓谷の突端近くにあり、敷地からは良質な湧き水が豊富に出で、上質なウィスキーを製造していたそうです。1872〜83年に掛けてニューホープ近郊のF.M.ヘッド&カンパニー(RD#405)の一部オウナーだったコヴィントンのディストリビューターであるオリーン・パーカーが同社のインタレストを購入し、卸売業者を通じて生産物を販売しました。ブランドには有名な「ブーン・ブラザーズ」や「オールド・ブーン」、パーカーのプライヴェート・ラベルの「オールド・メイド」があったと伝えられています。チャールズ・H・ブーンはその後、ウィギントン&ブーン・ハードウェア・ストアの共同経営者となりました。1903年、蒸溜所はシクストン, ミレット&カンパニーに買収されます。
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ジョン・シクストンはディスティラー、バンカー、ポリティシャンとして生涯に多大な功績を残した人物でした。彼は1834年3月、ケンタッキー州ジェファソン・カウンティで生まれました。父親も同じくジョンという名前で、メリーランド州出身でしたがケンタッキー州に来て死ぬまでそこに住み、銀行業と証券会社の経営に携わったと伝えられています。5男1女の6人兄弟の1人だったジョンは、当時としては十分な教育を受け、20歳まで学校に通い、その後は学校の教師をし、同時期に墓石も売っていたらしい。彼は21歳の時、ケンタッキー州デイヴィス・カウンティのメアリー・エレン・マーフィーと結婚しました。彼女はダニエル・マーフィーとハリエット・ケリーの娘で、夫と同い年でした。シクストンは家族のためにより良い暮らしをしようと教職を辞し、農業に就きます。10年間土地を耕した後、彼は他の仕事の方が有望であると判断し、1865年、農場を売却してオーウェンズボロに移り、ウィスキー販売に重点を置いた食料品業に従事しました。1881年1月にはウィスキー販売に専念するため食料品店を売却したとされます(或いは1889年にオーウェンズボロで父の酒類卸売業を引き継いだという説もありました)。この頃はスローターという名の共同経営者がおり、彼らはジェファソン・カウンティで最も古い卸売業を経営していたA・D・ヒル博士の後を継ぎ、その在庫を買い取って販売していたらしい。彼らは別の企業ジョン・シクストン・ディスティラリー・カンパニーを1881年2月に設立します。この蒸溜所はオーウェンズボロの裁判所から1マイルほど東に位置し、18000ドルを掛けてすべての新しい建物と設備で建てられました。マッシング・キャパシティは1日280ブッシェル、年間推定6500バレルのウィスキーを生産、シクストンがチーフ・ディスティラーを務めたそう。1902年頃、スローターは引退したのか現場から姿を消し、シクストンは新たなパートナーとして自身のオーウェンズボロの蒸溜所をグレンモアのリチャード・モナークに売却したE・P・ミレットとコンビを組むことになります。彼らはオーウェンズボロのウェスト・メイン・ストリートに卸売と蒸溜所代理店を営むシクストン, ミレット&カンパニーを設立しました。シクストンとミレットはウィスキーの供給量を確実に増やす機会を狙い、2つ目の蒸溜所としてケンタッキー州バーズタウンの東2マイルに位置するネルソン郡のブーン&ブラザーズ蒸溜所を1903年に購入しました。1892年の保険引受人の記録によると、ブーンの蒸溜所はフレーム構造で、スティルの北125フィートにアイアンクラッドのボンデッド・ウェアハウスがあり、スティル・ハウスの東50フィートには牛小屋があったとのこと。蒸溜所は納屋の延長線上のような造りだったようで、ブーン兄弟は地元の穀物を購入し、地元でのみ販売する酒を製造していました。シクストンとミレットがこの施設を購入した当時は、1日当たり約70ブッシェルのマッシング・キャパシティ、熟成倉庫は1200バレルの容量だったとされています。二人は時間を掛けずに蒸溜所を拡張し、2年も経たないうちにマッシング・キャパシティは大幅に向上、新しい熟成庫によって貯蔵能力は2600バレルに達しました。ウィスキーは大きな陶器のジャグで卸売りし、小売ではガラス・ボトルで販売したようです。このパートナーシップから生まれた最も有名なブランドは「シクストン V.O.」でした。その他のブランドには「デ・ソト」、「フィネガンズ」、「ハードル・ライ」、「アイドルブルック」、 「オールド・ワグナー」等があったと伝えられ、そして「オールド・ブーン」は取得後にフラッグシップ・ラベルとなったでしょう。シクストン, ミレット社の酒を扱う酒場に提供したサインもあり、おそらくダニエル・ブーンと思われる人物が掘っ立て小屋のような蒸溜所の前に座る姿が描かれています。この絵柄は、後のメドウローン時代のオールド・ブーンのラベルにも用いられていました。
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ジョン・シクストンはウィスキー・トレードを成長させる一方、父親から受け継いだとされる銀行業にも従事していました。また政治家としても1877年にオーウェンズボロ市長選に出馬すると当選し、その職を2年間務めたと言います。プライヴェートの面では、7人の子供の母親である妻メアリーが結婚して21年目の1876年に42歳で亡くなりました。シクストンは6年後にファニー・G・ディッキンソンと再婚。彼女はまだ21歳で、彼より38年長生きすることになります。
禁酒法が州や地方を「ドライ」にし始めた頃も、シクストンとミレットの会社は拡大を続けました。1912年、彼らはケンタッキー州マリオン郡シカゴのオールド・サクソン蒸溜所(**)を買収し、そこにグレイン・エレヴェイター、ボトリング・ハウス、クーパレッジを備えた最新鋭の施設を作り、「オールド・ブーン」の生産をこちらで続けたようです。1914年にはデトロイトにも営業所を開設。しかし同年、ジョン・シクストンは80歳で亡くなり、オーウェンズボロのローズヒル・エルムウッド・セメタリーに埋葬されました。彼が創業し全国的な名声を得るまでに成長したリカー・ビジネスは息子のチャールズに引き継がれましたが、禁酒法の到来によりシクストン, ミレット&カンパニーは1919年に事業を停止し、同社のケンタッキーの蒸溜所は閉鎖されました。ミレット氏は禁酒法施行後、暫くしてルイヴィルで製材業に参入したそうです。そして、詳しい経緯は分かりませんが、禁酒法期間中もしくは禁酒法廃止後すぐにブランドの権利はシーグラムに買収されたのでした。

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偖て、オールド・ブーン蒸溜所の方へと話を戻します。1959年になるとシンシナティのブローカーであるレイモンド・ビュースの息子レイモンド・"パット"・ビュース・ジュニアが蒸溜所を購入し、数年間操業しました。ネイティヴ・シンシナティアンのパットはオハイオ州ハイド・パークで育ち、セント・ゼイヴィア・ハイスクールとジョージタウン・ユニヴァーシティを卒業し、第二次世界大戦中はUSアーミーに従軍。帰国後、ユニヴァーシティ・オブ・シンシナティのロー・スクールに1年間通った後、父親が設立したウィスキー仲介会社でカリュー・タワーに本社を構える家業のR.L.ビュース・カンパニーにフルタイムで働き出します。同家が所有するようになったメドウローンのオールド・ブーン蒸溜所で生産とブランディングを監督する彼のビジネス手腕は瞬く間に勢いを増し、同社を全米で最も成功したウィスキー・ブローカーの一つと見做されるまでに成長させました。しかしその結果、彼は生涯飛行機恐怖症であったため、ディスティラーズ・プライド、メドウ・スプリングス、ヴァージン・バーボンといったファミリー・ブランドを宣伝するために48州内の主要幹線道路ほぼ全てを走り回ることになりました。また、彼らは一貫した収益源であるカスタムメイドのラベルも多く手掛け、ケンタッキー州以外の流通向けに多くのラベルをボトリングしていました。大手のホテルやリゾートやカントリー・クラブは、自社のファサード等を描いたボトルの威信を求めていたのです。そうしたカスタム・ラベルの中で有名な物の一つがウォーターゲイト・バーボンでしょう。
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おそらく60年代後半頃、パットはワシントンのホテルのジェネラル・マネージャーを説得して、ホテルのバー用にカスタム・ラベルを作成したのだと思われます。1972〜73年に掛けてウォーターゲイト・ホテルへの不法侵入とそれに伴う隠蔽工作が全国メディアで熱を帯びた時、レジでのウォーターゲイト・バーボンの販売も同様にホットだったようです。幸運なことに、民主党はこのニッチなブランドを全米各地の民主党の集会で提供することを強く求めたらしい。しかし、この忠実な共和党員の蒸溜所オウナーには一つの後悔がありました。彼は文字通りウォーターゲイト・バーボンのボトルを十分な速さで民主党に売ることが出来なかった、と。ちなみに裏ラベルにあるメドウ・スプリングス・ディスティラリー・カンパニーの名はオールド・ブーン蒸溜所のDBAでしょう。網羅的ではないですが、取り敢えずメドウローンの所在地記載があるラベルを纏めた私のピンタレストのボードを以下に貼り付けておきます。
レイモンド・ビュース・ジュニアは、ウィスキーの世界よりも他の界隈で有名かも知れません。彼はビジネス・リーダーであり、メジャーリーグ・スポーツのオウナーであり、サラブレッド・オウナー兼ブリーダーとしても高い評価を得た人でした。スポーツは特に生涯の情熱でした。彼と弟の"バリー"は1960年代後半、2つの別々のオウナーシップ・グループに加わりました。一つはシンシナティにレッズを残すために結成されたグループ、もう一つは設立間もないAFLフランチャイズを運営するために結成されたグループです。ビュース兄弟はスポーツ界の大物で、シンシナティ・レッズのオウナーとして2度のワールド・シリーズ制覇(1975年、1976年)を含む4度のナショナル・リーグ優勝(1970年、1972年、1975年、1976年)を達成。ジョニー・ベンチ、ピート・ローズ、ジョー・モーガンといったスター選手を擁した"ビッグ・レッド・マシーン"時代のレッズは人々を熱狂させました。更に2度のスーパー・ボウル出場(1982年と1989年)に沸いたポール・ブラウン時代のシンシナティ・ベンガルズのオウナー/ディレクターを務めています。
パットはビュース家の他のメンバーに影響を受けて馬の虫に取り憑かれると、1960年代にはミルフォード郊外に100エーカーの牧場を購入し、すぐに馬に就いて研究し、繁殖を指揮して競馬場用のサラブレッドを育てました。勉強熱心な彼は、数年のうちにオハイオ・サラブレッド・ブリーダーズ・アンド・オウナーズ・アソシエーションの会長に選ばれ、生涯を通じてオハイオとケンタッキーのサラブレッド業界に影響力を持ち続けたと言います。サラブレッド繁殖のキャリアに於いてパットはオハイオ州に2つ、そしてケンタッキー州ウォルトン郊外に400エーカーのエリス牧場を所有しました。ウィスキー・ビジネスから足を洗うと、コヴィントンの歴史あるグラント・ハウスで金融コンサルティング会社のビュース・ファイナンシャル・サーヴィスを開業しました。また、ケンタッキー州ドライ・リッジで銀行を買収・経営し、コヴィントンのハンティントン・バンクとベリンガー=クロフォード博物館、フローレンスのブーン・カウンティ計画委員会などの理事を長年務め、またセント・ゼイヴィア・ハイスクール、トーマス・モア・カレッジ、ジョージタウン・ユニヴァーシティ等の理事も務めました。学者肌のビジネス・リーダー、考えるスポーツマン、紳士的な馬主など、人生とキャリアのあらゆる局面でその美徳を体現し、「ザ・セネター」と呼ばれたレイモンド・"パット"・ビュース・ジュニアは、2011年3月3日、85歳でハイドパークの自宅で亡くなっています。

パットがオールド・ブーン蒸溜所を買い取って以後、プラントには相次ぐ災難が降り掛かりました。1966年11月、ボトリング・ハウスとケース・ストレージ・ルームが火災で焼失。1971年1月にはボイラーが爆発し、その爆発でガス管が破裂して蒸溜所が燃えるという大きな被害が出ました。蒸溜所は再建され、新しいマッシングとディスティレーションの装置が設置されました。その後、蒸溜所建物の上にウォーター・タンクが設置されますが、構造的に問題があったらしく、タンクは転倒し蒸溜所と事務所の一部を突き破ったと言います。ビュースは1969〜1977年までD・W・カープからセント・フランシスのプラント(RD#21)の倉庫を借りていましたが、1977年に事業を完全に停止することを決定し、オールド・ブーンの設備を競売に掛け放棄しました。工場が閉鎖された時、ヘンリー・クーパーが会計責任者、オスカー・クレイヴンズがディスティラーでした。ダントの時代には、ジム・ダントの息子サド・ダント、ハリー・ダントの息子でありジム・ダントの孫フィル・ダントも蒸溜所で働いていたそうです。このようにダンツの長い歴史は、彼らの故郷であるマリオン・カウンティだけでなく、ネルソン・カウンティやジェファソン・カウンティにも及んでいた、とサム・セシルは自著に書いていました。

興味深いことに、オールド・ブーン蒸溜所が閉鎖された時、その在庫の殆どはオースティン・ニコルス&カンパニーによって買われました。彼らは自らのボトリングに使用する積りで購入しましたが、ワイルド・ターキー蒸溜所を所有していたためそれは使用されず、最終的にはジュリアン・ヴァン・ウィンクル3世が購入し、オリジナルの最初期のパピー・ヴァン・ウィンクル20年や23年、ヴァン・ウィンクル・ファミリー・リザーヴ16年や17年を作成するために使われました。これらの在庫がなくなるとジュリアンはスティッツェル=ウェラーのウィーテッド・バーボンに切り替えたと言われています。それは兎も角、或る時点でヘヴンヒルはヴァージン・バーボンやその他のブランドとメドウローン・ディスティリング・カンパニーの商号を取得しました。そして、ヴァージンのブランドは80年代半ばもしくは後半頃から主に日本向けに輸出されるようになり、アメリカ国内でも何時からか一部の地域で販売されるようになった、と。
ところで、「ダニエル・ブーン」というブランドの「パイオニア・ジャグ」が主に70年代に流通していました。プラット・ヴァリーのストーンジャグと似たような懐古趣味的なやつです。海外のオークションではその空ジャグが売られているのをよく見かけるのですが、77年ボトリングと推定される物は、76年までのボトリングの物と違い、所在地表記がローレンスバーグになっています。
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このローレンスバーグというのがワイルドターキー蒸溜所の所在地を表しているのなら、もしかするとオールド・ブーン蒸溜所のブランドも一旦はオースティン・ニコルスを経由してからヘヴンヒルに渡ったのかも知れません。J.T.S.ブラウン蒸溜所(現在のワイルドターキー蒸溜所)が所有していたと思われるブランド群、「J.T.S.ブラウン」、「アンダーソン・クラブ」、「オールド・ジョー」等と一緒にオールド・ブーン蒸溜所のブランドもヘヴンヒルに流れたと考えるとすっきりすると思うのですが、どうでしょう? そう言えば、ヘヴンヒルがボトリングしているオールド・ジョーの12年物の裏ラベルには、オールド・ブーン蒸溜所が蒸溜と記載されているものがあります。ブランドの購入と共に在庫のバレルも購入したのでしょう。だとすれば、ラベルに明記されていなくとも、他にも何かしらのブランドにオールド・ブーン蒸溜所の在庫のバレルが使われている可能性があってもおかしくはなさそうですね。え?、待って、初期のヘヴンヒル版ヴァージン・バーボンの日本向けエクスポートはどうなのよ? 15年物とか? 熟成年数を考えたらオールド・ブーン原酒の可能性は十分あるのでは…。飲んだことのある皆さんはどう思われたでしょうか? ご意見ご感想をコメント欄よりどしどしお寄せ下さい。
では、そろそろ私の手持ちのボトルを注いでみるとしましょう。今回開けたのは推定2010年ボトリングの物なので、多分バーンハイム産と思われます。

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VIRGIN BOURBON 7 Years Old 101 Proof
推定2010年ボトリング。色は赤みを帯びたダークブラウン。重厚な焦げ樽、ベーキングスパイス、レーズンパン、樹液、黒糖、チェリー、シリアル、オールドファンク、僅かなナッツ、マッチの擦った匂い。口当たりは円やかだが、じんわりとヒリヒリ感も。液体を飲み込んだ後にはスパイス・キックが熱い。余韻はミディアム・ロングで、グレイニーなコクとビター感、微かにハーブも出る。
Rating:86/100

おまけで年代違いも試飲できたので感想を少しばかり。これはバーFIVEさんの会員制ウィスキー倶楽部で提供されたものでした。こちらはボトリング年代からバーズタウンの旧ヘヴンヒル蒸溜所産と思われます。

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(画像提供Bar FIVE様)
VIRGIN BOURBON 7 Years Old 101 Proof
推定91年ボトリング。濃密なキャラメル、バーントオーク、ヴァニラ、オールドファンク、ベーキングスパイス、ミント。とても甘く、かつスパイシーな香り立ち。口当たりは円やかながら、飲み込むとガツンとスパイシー。パレートでも舌先で甘みを、口中全体でスパイス感を感じ易く、フルーツがあまり感じられない。余韻は長々と苦いスパイスが残る。全体的に焦がし砂糖とスパイスに振れたオーク・フレイヴァーが主。
Rating:85.5/100

Thought:近年の他の7年熟成バーボンより圧倒的に熟成感がありました。ボトリングされてからの経年でかなり円やかになったとは思いますが、オークの深みやコクは元からかと。バーンハイムだからどうなのかなと思って飲んだのですが、開けたてはバーズタウンのプリ・ファイア物とさほど変わらない印象をもちました。開封から半年くらいすると、ヘヴンヒル云々というよりオールド・バーボン全般に感じられる香味と言うのでしょうか、そちらの方が強く感じるようになりました。
両者を比較すると、91年の方が甘い香りとスパイシーさは強いのですが、2010年の方がフルーツやグレインを感じ易くバランスは良いと思いました。自分の好みでレーティングに少し差を付けましたが、どちらも甘くもあり辛くもあり、バーボンらしい魅力を湛えたバーボンです。


*イリノイ州の都市と混同されたためかどうかは判りませんが、町の人々は自分たちの教会にちなんで1938年に名前をセント・フランシスに変えたそうです。

**この蒸溜所は、J・R・スミスとJ・P・スミスが1855年以前から操業していたプラントがルーツのようです。ケンタッキー州マリオン郡シカゴ(現在のセント・フランシス)のダウンタウンにありました。 彼らのブランド、スミス&スミスはハンドメイド・サワーマッシュで、年間生産量は約100~200バレルと今日の水準からすれば極少量でした。このウィスキーは、ルイヴィルのブローカーであるテンプレット&ウォッシュバーン(またはテンプル)が販売したと言われています。或る情報源によると、1855年にジョン・プロクター・ダント・シニアが蒸溜所を購入し1879年または1891年まで操業した、とあるのですが、彼は1855年生まれとされているので、本文では1890年購入説を採用しました。
ダントが数年間運営し撤退した後は、地元の商人トーマス・ブレアが蒸溜所の経営に携わるようになりました。彼は熟練したディスティラーとして評判を得ていた地元のバラード[ジャック・サリヴァンによると、おそらくW・T・バラードとのこと]と組み、プラントを買収しました。バラードの一族はマリオン・カウンティでは名の知れた一族だったらしい。ブレア&バラード社の経営下で会社は繁栄しました。1894年には1000バレル以上のウィスキーが焼失する火災に見舞われましたが、蒸溜所はすぐに再建されウィスキー造りを再開したと言います。その後、3番目のパートナーが加わり、社名はブレア, オズボーン&バラード(またはブレア, バラード&オズボーン)に変更されました。ボトルド・イン・ボンド法により、プラントは第5区RD#11になりました。
1907年、トーマス・C・ブレアが65歳で亡くなると、会社の経営体制は刷新されました。なんと妻のメアリー・ジェイン・ブレアが夫の蒸溜所の株を相続し、パートナーらから事業を買い取り、名前をメアリー・ジェイン・ブレア蒸溜所と改めました。メアリー・ジェインは当時シカゴと呼ばれていた小さな集落の近くで1844年にハリーとアニーのピーターソン夫妻の間に生まれ、農場で育ち、生涯この地域に住みました。フレンチ・インディアン戦争と独立戦争に従軍した軍人フランシス・マリオンにちなむマリオン・カウンティの郡庁所在地レバノンから西12マイルに位置するこの町は、同じ名前のイリノイ州の大都市とは似ても似つかないものでした。19世紀初頭に入植が始まった人口約150人のシカゴの最大の財産はルイヴィル&ナッシュヴィル鉄道の駅でしたが、この付近では蒸溜酒の製造が盛んだったようです。そのため彼女は早くから蒸溜酒製造の仕事には馴染みがあったのでしょう。マリオン郡出身で1833年生まれで11歳年上の地元の蒸溜業に携わるトーマスと出会い結婚しました。トーマスとメアリー・ジェインの間には11人の子供が生まれたそうです。人生の大半を主婦として、また母親としてブレア家で過ごしていた彼女でしたが、殆ど男性が支配していた業界に於いて、1907〜1919年まで蒸溜所をマリオン・カウンティの主要なウィスキー製造施設としました。メアリー・ジェインはディスティラーに同じくマリオン・カウンティのウィスキー・マンとして知られたW・P・ノリスを雇いました。蒸溜所の日々の経営は息子のニコラス("ニック")に任されていたようです。1867年生まれのニコラスは、地元の学校で教育を受け、近くのゲッセメニー・カレッジで3年間学び、家に返ってくると父と共に雑貨商や蒸溜酒取引業で働きました。1898年、バラード家の母を持つシカゴのメアリー・エレン・ノリスと結婚。夫妻には2人の子供がいたそう。ニコラスはマリオン郡の有力な市民と見做され、地方問題や民主党の政治に積極的な関心を寄せていたと言われます。ニコラスは母の名を冠した蒸溜所の生産能力を拡大、1912年までにプラントは1日118ブッシェルのマッシング・キャパシティがあり、合計9000バレルを貯蔵できる4つの倉庫を備えていたとされます。ブレア家は幾つかのラベルを所有し、ブレアズ・オールド・クラブ・ブランドは人気だったと聞き及びますが、彼らの製品はD.サックス&サンズを通じても販売されていたようです。「ピューリタン・ウィスキー」や「ピューリタン・ライ」で名高いルイヴィルのウィスキー・ブローカーであるデイヴィッド・サックスは、広告でこの蒸溜所をオールド・サクソン蒸溜所と呼び、所有権者を主張していました。
サックスの会社は所謂レクティファイアーと思われますが、禁酒法以前の業界はブランドの管理は中間業者や流通会社が行い、このような組織が蒸溜所経営者との契約関係を通じてその施設の全生産量を一時的に買い占めていたりすると、蒸溜所の名前を流用することは一般的でした。当然のように「オールド・サクソン」というブランドもありました。 厳密な意味で蒸溜所の所有者はよく分かりませんが、メアリー・ジェイン・ブレアの名も使用されていたみたいです。1912年(または1914年とも)、プラントは事業の拡張を続けるシクストン, ミレット&カンパニーに買収され、禁酒法施行まで操業し、その後閉鎖されました。
メアリー・ジェイン・ブレアは禁酒法の廃止を見ることなく、1922年、76歳で亡くなり、セント・フランシス・セメタリーの夫の近くに埋葬されました。しかし、ブレア家は蒸溜所での仕事を諦めていませんでした。禁酒法解禁後、50代半ばになっていたニック・ブレアは1935年に蒸溜所(RD#21)を再建し、ブレア・ディスティリング・カンパニーという新会社を組織すると、シクストン, ミレットとそのブランドを買収、「カーネル・ブレア」、「ニック・ブレア」、「ブレアズ・オールド・クラブ」といったブランドを生産しました。ニック自身がディスティラーだったとされています。新しい会社は施設を拡張し、1936年までには1日500ブッシェル以上の生産能力をもち、4つの倉庫は38000バレルのウィスキーを貯蔵できたました。しかし、おそらく世界大恐慌に伴う経済的圧力のため、1930年代後半にはブレア・ディスティリング・カンパニーは売却されてしまいます。ウォルター・ブレアはブレア家の最後のメンバーで、プラントをレアーという人物に売却しました。その後D・W・カープがレアーから蒸溜所を購入します。どうやらこの頃には施設はワインのボトリングや貯蔵に使われていたらしい。
1943年、カープはシーグラム社に蒸溜所を更新可能な10年契約でリースしました。彼らは第二次世界大戦中、政府のハイプルーフ・スピリッツ・プログラムのために操業していましたが、その後は貯蔵のためだけにプラントを所有していました。1953年に10年リースを更新し、それが切れると1年ごとの更新となったそうです。シーグラムは1965年までに倉庫を空にし、敷地を明け渡しました。1970年初頭、メドウローンのオールド・ブーン蒸溜所(RD#39)は追加の倉庫が必要となり、この倉庫を借りました。そこで、ロレット蒸溜所(RD#41)の株主でレバノン出身のアーサー・ボールが倉庫管理のために雇われます。これはパット・ビュースがメドウローンでの操業を中止する1977年まで続きました。ウィスキーが撤去された後、カープは倉庫の撤去のために地元の引き揚げ業者ジェラルド・グリーンを雇い、解体された木材は販売されたようです。こうして、この蒸溜所の歴史は幕を閉じました。

***ルイヴィルで「パイオニア・ボトリング・ハウス」として事業を開始したのは1890年とする説もありました。後に「ジョン・P・ダント」と改名し、ダント&カーターというパートナーシップを組んだようです。

****「ダント」の商標を巡る「J.W.ダント」を所有していたシェンリーとジョン・P・ダント・ディスティラリー・カンパニーの裁判記録によると、ジョン・P・ダント・ジュニアは1954年2月に二人の姉妹と共にオハイオ州シンシナティのR.L.ビュース社にインタレストを売却するまで社長を務めたとされています。その裁判記録にはマーヴィン・パジェットの名は出てきませんが、ここではサム・K・セシルの著書の記述に従いました。また、以降の本文に出てくるパット・ビュースの購入年代に関してもセシルの記述を基にしています。
その裁判記録では、註**で触れたジョン・P・ダント・シニアの件については、1912〜1922年までケンタッキー州マリオン郡シカゴのスミス・ディスティラリー社の社長兼大株主だったとありました。こうした歴史を整理しようとすると、蒸溜所の名前が複数あったり、所有権の変遷が複雑過ぎたり、年号がバラバラだったりと、混乱するばかりで到底私には分からないことだらけです。なのでここに整理した歴史は、正確な歴史的事実を記している訳ではなく、飽くまで伝聞や伝承として参考程度にとどめて下さい。

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今回は、アメリカン・ブレンデッド・ウィスキーである「アーリータイムズ・ホワイト」に続き、2023年9月に新しくリリースされたケンタッキー・ストレート・バーボン規格の「アーリータイムズ・ゴールド」を飲んでみます。アーリータイムズのブランドがブラウン=フォーマンからサゼラックに移行し、ホワイト・ラベルがリリースされるまでの経緯は過去に投稿した記事を参照ください。

SNSや某社の商品レヴュー等を眺めてみると、アーリータイムズ・ホワイトは一部の人々、特にハイボールとして飲む人などからは美味しいという評価もあったものの、多くのバーボン愛好家からは少なからず不評を買ったように見えます。新しい飲酒者層は別として、流石に旧来のイエロー・ラベルを飲み、それを愛して来た人々がブレンデッド・ウィスキーに対して諸手を挙げて歓迎する筈はありませんでした。それ故にホワイトの発売直後からストレート・バーボンのアーリータイムズの復活を望む声は直ぐに上がりました。そうした声がメーカーに届いたからなのか、或いは最初からの計画通りだったのかは判りませんが、僅か一年でバーボンのアーリータイムズは販売されるようになりました。それがこのゴールドです。

では、その中身は一体なんなのでしょう? サゼラックと総代理店契約を締結している明治屋のプレス・リリースにはその中身について具体的な説明はありません。ですが、サゼラックのマスター・ブレンダーであるドリュー・メイヴィルが来日したのを機に明治屋が今年の2月28日に都内で開催した試飲セミナーのレポート記事によると、アーリータイムズのマッシュビルは従来通りコーン79%、ライ11%、モルテッドバーリー10%、そして独自酵母で発酵と書いてありました。サゼラックが2021年4月8日に発表したアーリータイムズ・ウィスキーの計画では、同年夏からケンタッキー州バーズタウンのバートン1792蒸溜所で蒸溜、熟成、ボトリングを開始、オリジナルのレシピとマッシュビルを使用して消費者に愛された同じ味わいの製品を提供し続ける、としていたので一致していますね。この独自の酵母というのが、ブラウン=フォーマンがアーリータイムズで使用していたイーストを購入しているのか、それとも単にバートン蒸溜所の他のバーボンに使用されていないイーストを指しているだけなのかは、よく判りません。まあ、そこはどちらでもいいとして、問題はゴールドに使われているバレルの熟成年数でしょう。バートンがアーリータイムズの蒸溜を始めたのが2021年夏からとすると、2023年秋にリリースされ始めたこのゴールドは、おそらく「ストレート」を名乗れる最低2年熟成と見るのが妥当だと思われます。私は上掲のホワイトに就いての記事で、2025年あたりにイエロー・ラベルのストレート・バーボンがリリースされるのではないかと「希望的観測」を書きました。そうしたら、ラベルの色が少し違ったものの、一応はストレート・バーボン規格の物がちゃんとリリースされた、と。しかし、私が希望していたのは4年熟成程度のバーボンでした。なので私としては「えっ、早いよサゼラックさん…」となりました。6年から8年、または8年から10年への熟成期間の2年間と違い、2年から4年への2年間はもっと重要な熟成期間だと個人的には思うが故に、がっかりした次第です。まあ、取り敢えず注いでみるとしましょう。

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EARLY TIMES Gold label 80 Proof
推定2023年ボトリング。ダーク・オレンジぽさのあるブラウン。清涼感を伴ったヴァニラ→キャラメル、ドライオーク、一瞬レーズン、薄っすら蜂蜜、みかん。香りはフルーティな接着剤からの洋菓子。水っぽい口当たり。味わいはグレインウィスキー然とした仄かな甘みもあるものの基本ドライで、ホワイトドッグぽさが残る。余韻はとても短くこれまたドライだが、穀物の旨味を感じる瞬間もなくはない。
Rating:74/100

Thoughts:開封直後は「なにこれ? 酷いな…」という感想でした。未熟成のスピリットにほんの少し焦げた樽の香りを付けただけのように感じたのです。もう少し時間が経つと、甘い香りも出て来てマシにはなりましたし、ホワイトドッグぼいテイストも薄らぎました。ですが、口の中や余韻では相変わらずドライな傾向が支配的で、相当注意深く探らないとフルーティさを発見することは困難でした。正直言って誉めるところが見つかりません。飲み易いと言えば飲み易いですが、それを言うなら旧来のイエローラベルはもっと飲み易かったですし、他の安いバーボンも同じくらいには飲み易いです。敢えて誉めるなら、さっぱりとした後口、すっきりとした余韻、とでもなるでしょうか。しかし、その言い方は聞こえは良いですが、換言すれば余韻に芳醇な香りが残らないと言っているに等しいです。擁護すると、最近の通常のバーボンの殆どがドライな傾向にあるとは言えますけれども。
ブラウン=フォーマン時代のアーリータイムズ・イエローラベルと比較すると、イエローの方がよりコーンの旨味とキャラメルの風味が感じられたし、もっと円やかでミルキーでした。旧来のアーリータイムズとの決定的な違いは、ブラウン=フォーマンの自社製樽由来と思われるバナナ・ノートを欠いている点かも知れません。これに関しては製造する蒸溜所が違うのですから別に文句はありませんが、問題なのは同じバートンで製造される安価なバーボンのケンタッキー・ジェントルマンやザッカリア・ハリスよりフレイヴァーの強度が劣るところです。日本人の大多数はハイボール民だからこの程度でいいだろ、とでも思われたのでしょうか? だとしたら馬鹿にし過ぎです。ホワイトがリリースされた当初、アーリータイムズを名乗るべきではない、という趣旨の意見をよく聞きました(見ました)。或るブランドのヴァリエーションにブレンデッドがあること自体は悪いことではありません。ホワイトはバーボンではないのだから、バーボンより味が劣っていて当たり前、それだけの話でしょう。しかし、この金色を使いスタイリッシュで豪華そうに見せたゴールド・ラベルは違います。曲がりなりにもストレート・バーボンですから、こんなものアーリータイムズと名乗るべきではない、と叫ぶのなら今でしょう。少なくとも私には、このゴールドが旧来のアーリータイムズ・ファンを納得させるものとは到底思えませんでした。
ゴールドの発売は、エントリー・クラスの買い求め易い価格でありながら十分に旨かった、我々日本人が長年に渡って享受して来た、あのアーリータイムズの完全な終わりを告げたのかも知れない。アメリカ国内流通のアーリータイムズで主流となっているのは、もともとブラウン=フォーマンが2017年に導入した青いラベルの「ボトルド・イン・ボンド」です。これは当初は限定生産の予定でしたが、手頃な価格(1リットル25ドル)でクラシック・バーボンの風味を味わえると評判となってすぐにヒットしてレギュラーでリリースされる人気商品となり、サゼラックも買収後にこれを継続して販売しました。これが日本で普通に買えるように正規販売されるのなら、別にゴールドはこのままで構わないのですが、そうでないなら改善を求めたいですね。
そう言えば、ホワイト・ラベルが発売された時、世界に先駆けて日本先行発売とか言われていましたが、もう1年経つというのに世界で発売されている様子はありません。一体どうなっているのでしょうか? 我々は騙されていたのですか? まさか試験的に日本に投下され、ハイボール大国ニッポンですら不評だったために世界販売が取り止めとなり、慌ててストレート・バーボンを導入したとでも? もしそうなら、このゴールドも不買運動を繰り広げれば、ワンチャン、4年熟成の物に変化することもあるのですか? ここらへんの事情をお知りの方はコメントより是非ご教示ください。

Pairing:ウィスキーは直前に食べた物で感じる味わいに違いが出ます。私はバーボンを食中酒としても飲むので、この少々イマイチなゴールドを何とか美味しく楽しめないかと色々な料理とのペアリングを探っていたら、スパイシーな味付けの唐揚げとはなかなか相性が良かったように思います。逆に最悪なのはサラダでした。まあ、これは私の味覚なので皆さんが同じように感じるかは分かりませんが…。

Value:2000円程度で購入できるため、コスパが良いと言う人もいます。コスト・パフォーマンスとは費用対効果と訳され、支払った費用(コスト)とそれにより得られた能力(パフォーマンス)を比較したもので、低い費用で高い効果が得られればコスパが「高い」とか「良い」とか「優れている」等と表現されます。ウィスキーに於いてパフォーマンスは「味わい」です。私なら3500円出して2倍旨い別のバーボン、例えばフォアローゼズ・ブラック等を買うほうがコスパが良いと信じます。どうしてもアーリータイムズ・ブランドに拘りたいのであれば、ブレンデッドであるホワイトよりゴールドは格段に美味しいのは間違いないので、ホワイトが1500円程度なら、もう500円上乗せしてゴールドを買う選択は支持できます。しかし、ただそれだけです。

…と、ここまでは、ゴールドはなかなか旨いという評判を聞いていた私の期待が大き過ぎ、それが外れたことから勢いに任せて辛辣な評価を下してしまいました。これを見てちょっとした勘違いをする方もいるかも知れないので、最後に蛇足ながら私の趣味嗜好を書いておきます。
私はウィスキー全般の愛好家ではありません。飽くまでウィスキーの中の一つのジャンルに過ぎないバーボンを愛飲する者です(より正確に言うならアメリカン・ウィスキー愛好家)。そんな私の舌と脳は基本的にバーボン特化型であって、その他のスコッチやジャパニーズ・ウィスキー、或いは蒸溜酒であれ醸造酒であれ他のアルコール飲料を美味しいとは感じません。ここで見られるゴールドに対しての少々厳しい意見は他のバーボンと較べてのことであり、例えば山崎12年と較べるなら私にとってはアーリータイムズ・ゴールドの方が遥かに飲み易いのです。つまり「山崎が買えないならアーリータイムズ・ゴールドを買えばいいじゃない」と思う程には、数あるウィスキー全体の中に於いてこのゴールドは正に光輝いています。それだけは念頭に置いてこのブログを読んで頂けると幸いです。

追記:事情通の方より製造に関して追加情報を頂けたのでコメント欄をご確認ください。

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