バーボン、ストレート、ノーチェイサー

バーボンの情報をシェアするブログ。

タグ:シングルバレル

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テネシー州の長閑で小さな町リンチバーグにあるジャック・ダニエル蒸溜所は、世界で最も売れているウィスキーの一つを生産しています。長きに渡り、その言わずと知れたジャックダニエルズ・オールド№7と一部の製品を生産するだけで満足していた同蒸溜所は、近年ではライ・ウィスキーやアメリカン・シングルモルトなど従来とは異なるマッシュの製品も開発したり、シナトラ・セレクトのような高価な限定品やテネシー・テイスターズのような蒸溜所限定の製品を発売して、新しいファンの獲得を狙っています。世界的なウィスキー人気の高まりが背景にあるとは言え、アメリカのバーボン・ブームの一翼を担う気概が感じられます。こうした様々な新表現のなかには従来品のヴァリエーション拡張も含まれ、シングルバレルのバレル・プルーフ版の発売などはその一例でしょう。アメリカのウィスキー愛好家は、日本人よりお酒に強いせいかバレル・プルーフのウィスキーを熱望します。そのため、各社の各ブランドには特別なバレル・プルーフ版が大抵の場合は提供されており、世界中のJDファンもそれを求めていました。トップ画像のジャックダニエルズ・シングルバレル・バレルストレングスは、マスターディスティラーによって厳選され、129プルーフ(または125プルーフ)で提供される、世界の一部のマーケット向けの製品です。2015年秋にアメリカで初めて発売されたジャックダニエルズ・シングルバレル・バレルプルーフの輸出市場版という認識でいいかと思います(JDSiBBPは、凡そ125〜140プルーフでのボトリング)。
ジャックダニエルズのシングルバレル・ブランドは94プルーフのウィスキーとして1997年に導入されました。名前が示すように、そのコンセプトは品質と風味を重視して厳選された個々のバレルでウィスキーを販売することでした。当時はまだ新しいウィスキーに関する情報が迅速に世間へと広まらないインターネット以前の時代。ウィスキーの新製品はなかなか売れない状況でした。オールド№7という安価で安定の選択肢があったため一般的な消費者はあまり関心を示しませんでしたし、シングルバレルと言えばブラントンズがあったものの、まだまだシングルバレルに関心を持つ愛好家が殆どいなかった時期に、ジャックダニエルズ・シングルバレル・セレクトは採算の取れる十分な支持を得ていたとされます。発売当初、蒸溜所は1日当たり僅か10バレルの生産から始めるも、需要がすぐに生産量の20倍以上にまで増加したとか…。ジャックダニエルズ・シングルバレルは現在、ラベルの色違いで整理され、ブラックの94プルーフ(または90プルーフ)、シルヴァーの100プルーフ(旧シルヴァー・セレクト)、ゴールドのバレル・プルーフ(バレル・ストレングス)、他にライ・ウィスキーのヴァージョンがあります。
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ジャック・ダニエル蒸溜所はシングルバレルの称号に値するとされるウィスキーは0.5%未満であると述べており、選ばれるバレルは通常は熟成庫の高層階から来ています。ラックハウスの最も暑い場所で熟成されるということは、高温によって蒸溜液と木材の相互作用が高まることを意味します。そうすると、比較的短期間でハイアー・プルーフになり、ウィスキーの琥珀色も濃くなり、複雑でロバストなウィスキーに仕上がる傾向にあるのです。高層階でのみバレルを熟成させると、液体が蒸発し過ぎてしまったり、オーク材の影響が強過ぎて苦くなることなどが挙げられますが、過熟成の兆候を見逃さずマチュレーション・ピークを見極めれば、最上階で熟成させたウィスキーは素晴らしいものになる、と。同蒸溜所がシングルバレル・セレクト・プログラム用のバレルを高層階から選んでいる理由はこのためです。このプログラムに使用するのに十分な熟成期間と見做されるまでに約5年、或いは4~7年熟成と噂されていますが、熟成年数が明記されていないため具体的には判りません。テネシーの暑い太陽の下、上層階で熟成するのなら十分過ぎる期間ではあるでしょう。マッシュビルはスタンダードなものと同じ80%コーン、8%ライ、12%モルテッドバーリーの伝統的なハイ・コーン・レシピです。

今回開封したこのバレル・ストレングスは、フランスの著名なウィスキー輸入業者ラ・メゾン・デュ・ウィスキー(LMDW)が選んだもので、所謂ストアピックとかプライヴェート・バレルと呼ばれるものです。JDの言い方では、シングルバレルのパーソナル・コレクションと言っています。LMDWは2021年に創業65周年を記念してジャックダニエルズのカスク・ストレングスを3つの名前で瓶詰めしました。これには「スウィート・フォワード」というニックネームが付けられており、他のものには「フル・ボディード&ロバスト」と「フレイヴァーフル&バランスド」がありました。私は甘いバーボンが好きなので、これを買ってみた次第。ちなみに、全てのシングルバレルが何処かのお店やグループによって選ばれる訳ではなく、通常の形で棚に並んでいる物もあり、そうした物はおそらくジャック・ダニエル蒸溜所のテイスターが選んだバレルなので品質にそれほどの差はないと思われます。と言うか、当該のお店やグループが選ぶものも、事前にテイスターがある程度絞って選んでいる中から更にピックしているのではないでしょうか。では、そろそろこの樽出しに近いテネシー・ウィスキーを注いでみましょう。

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JACK DANIEL'S SINGLE BARREL BARREL STRENGTH 129 Proof
Sweet Forward
RICK № R-2
BARREL № 21-08392
BOTTLING DATE 9.30.21
色はダークアンバー。黒糖→メープルシロップ、バナナパウンドケーキ、セメダイン、塩、タバコ、穀物、ミルクチョコレート、素朴なビスケット、花火の燃えカス、ピーカンナッツ、おばあちゃんのぽたぽた焼き、おしろい。時間をおくと甘い香り。オイリーな口当り。パレートではベリー系のジャムぽさも僅かにある。余韻は度数の割に短めで、どこかワイニーな穀物感、シナモンぽさも漂う。加水すると柑橘感も出た。
Rating:87.5/100

Thought:シングルバレルだから当然なのかも知れませんが、通常のオールド№7の延長線上の「濃いだけ」とは少しフレイヴァー・バランスが異なるように感じます。流石にかなりのハイ・プルーフなので、ちょっと加水した方が甘みが感じ易かったですね。具体的には6滴くらい。それ以上薄めるとせっかくのオイリーさが台無しになりますが、そのままでは感じ難かったオレンジっぽさも出ました。このシングルバレルは、私が今まで飲んで来たジャックダニエルズで最高のジャックダニエルズではないという意味に於いて、または他のバレル・プルーフ・バーボンと比べて特別複雑とも言えないと言う点に於いて、少し平凡であることを除けば、特に欠点はありません。余韻が少しドライな傾向はあるものの過度にタニックではないですし、キャラメルやヴァニラやブラウンシュガーの甘いノート、接着剤の心地良い香り、焦がしたオークの風味、スパイスに熱など汎ゆる面はレヴェルアップしており、スタンダードなオールド№7やプルーフの低いシングルバレル・セレクトよりも間違いなく豪胆な味わいを楽しめます。バレル・ストレングスのヴァージョンはバレル・プルーフを加水調整して少しだけプルーフが下げられていますが、64.5%の度数があれば物足りなさを感じることはないでしょう。ハイ・プルーフならではの滑らかな口当たりも、125プルーフを超えるウィスキーが有する凶暴性もしっかりと味わえます。

バーボン仲間のK氏からフルボディード&ロバストのサンプルを頂けたので、おまけで少し比較が出来ました。画像提供も含めいつもありがとうございます。バーボン繋がりに乾杯!

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(画像提供K氏)
JACK DANIEL'S SINGLE BARREL BARREL STRENGTH 129 Proof
Full Bodied & Robust
RICK № R-2
BARREL № 21-08387
BOTTLING DATE 9.30.21
色はダークアンバー。カラメライズドシュガー、メロン、黒胡椒、パイナップル、セメダイン、木の酸、ホットチリ、穀物、コーンパフ、ローストナッツ。こちらの方は、口の中での刺激が強く、かつ明るいフルーツが感じ易かったです。そして、全体的にスパイシーでもありました。熟成環境が似た位置にあったせいか、共に通底するものがありつつ、フルーツのキャラクターに少し違いがある感じですかね。こちらとサイド・バイ・サイドで飲み比べれたお陰で、スウィート・フォワードの甘さがより明確に分かった気がします。
Rating:87.5/100

Value:アメリカでのジャックダニエルズ・バレルプルーフは凡そ65〜70ドル程度。日本の酒屋さんでバレル・ストレングスを買おうとすると10000円は超えるようです。このLMDWのピックしたものだと、15000円を超えて来ます。これは少々お高い気もします。ですが、この製品のスペックからすると競合はブッカーズ、ブラントンズ・ストレート・フロム・ザ・バレル、スタッグ、ラッセルズ・リザーヴ・シングルバレル、フォアローゼズ・シングルバレル・バレルストレングス等になります。ラッセルズ・リザーヴはそれほど高騰してないから別として、ブッカーズやブラントンズSFTBやスタッグが20000円やら30000円やら40000円するのであれば、ジャックのバレルストレングスはかなりコスパが高いと言わざるを得ません。もし、貴方が長年のJDファンであり、そのプロファイルの最高峰を経験したいのであれば、躊躇なく購入して下さい。しかし、貴方の金銭感覚からこれが高いなと思うなら無理に買う必要はなく、個人的には価格と味わいのバランスが良いのはジャックダニエルズ・シングルバレルの中なら、シルヴァーの100プルーフだと思うので、そちらをオススメします。

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ウィレット・ポットスティル・リザーヴは名前の通り見栄えのするポットスティル型のボトルが特徴的なバーボン。ウィレット蒸溜所に設置されている銅製のポットスティルを模したデザインになっています。2008年から導入されました。同蒸溜所がリリースしているスモールバッチ・ブティック・バーボン・コレクションの四つ(ノアーズ・ミル、ローワンズ・クリーク、ピュア・ケンタッキーXO、ケンタッキー・ヴィンテージ)がジムビームのスモールバッチ・コレクション(ブッカーズ、ベイカーズ、ノブ・クリーク、ベイゼル・ヘイデン)に相当するならば、このポットスティル・リザーヴはバッファロートレース製造のブラントンズやワイルドターキーのケンタッキー・スピリットに相当すると言えるでしょうか。おそらくは現在市場に出回っているバーボンのガラス・ボトルの中で最も派手な部類に属し、酒屋の棚では一際目立つ存在です。但し、そのボトル形状のせいでグラスへ注ぎにくいとか、ボトムの面積が広いためコレクション棚への収納が難しい等の声も聞かれたります。それでもやはり、このボトル形状にはウィスキー飲みが惹かれてしまう魅力がありますね。
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この製品は元々はシングルバレルとしてリリースされていましたが、2015年からひっそりとスモールバッチに変更されました。そもそものシングルバレル版では、キャップを封するストリップにバレル番号とボトル番号が手書きで記載されていました。「Bottle No. ○○○ of ○○○ from Single Barrel ○○○」という具合で○には数字が入ります。スモールバッチになるとストリップにはボトル番号は記載されなくなり、バッチ番号のみとなりました。明確な時期を特定できませんが、帯の色は初期から現在にかけてオレンジ、黒、紺と変わって行ったと思います。ただ、画像検索で幾つかのWPSRSmBを探ってみると、より新しいバッチであっても紺ではなく黒の場合もあるように見え、輸出国の違いとかバッチの違いによってパッケージングが異なっている可能性も考えられます。ボトル前面に貼られたワックスシールのエレガントなメダリオンの文言も何時からか段階的に変化しており、「SINGLE BARREL ESTATE RESERVE」から「POT STILL RESERVE」へ、また「WILLETT」の文字はブロック・レターからスクリプトへ変更されました。
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(画像提供K氏)

おそらくはバーボン需要の高まりに応じるかたちで2015年頃からスモールバッチになったポットスティル・リザーヴですが、このブランドを際立たせていたのがバーボンの味わいではなくボトル・デザインであったせいなのか、ノアーズ・ミルやローワンズ・クリークがエイジ・ステイトメントを失いNASへと変化した時のように残念がる声を上げる消費者は殆どいませんでした。このブランドの成功の大部分はウィレット蒸溜所のポットスティルを模したガラス製デキャンターのデザインにあったに違いありません。実際、2008年のサンフランシスコ・ワールド・スピリッツ・コンペティションのパッケージング・デザイン部門でダブル・ゴールドを受賞しています。しかし、その外見の良さは諸刃の剣でもありました。外見の良さは中身を伴わないと非難と嘲笑の対象になるからです。或るリカー・ショップの商品レヴューでは、約50ドルの小売価格のうち20ドルがバーボンで30ドルがボトルだ、と言うような趣旨の皮肉めいた見出しの評がありました。とは言え、この発言はそのショップのレヴューでは少数意見ではあります。ところが、TikTok界隈ではそうではありません。バーボン系ティックトッカー達によるウィレット・ポットスティル・リザーヴのレヴューは、ライター/ジャーナリストのアーロン・ゴールドファーブによると、「一部にプロフェッショナルな者もいるが大部分はアマチュア、少数の真面目なものもあるが多くはコミカル、殆どが容赦のないもの。まるでこのウィスキーを非難することが、この人気の高いプラットフォームでバーボン・レヴュアーになるための通過儀礼であるかのようにほぼ全て否定的です」。TikTokのポットスティル・リザーヴのレヴューは殆どの場合、ボトルの形が如何にクールでどれほど見栄えがし、評者自身が気に入っていると述べるところから始まります。しかし、次にグラスに注いだ液体を口にした瞬間、様相は一変します。滑稽な調子で咳き込んで窒息しそうになってみたり、「わーーー、これはホットだ」と叫んで最終的にウィレット・ポットスティル・リザーヴを「ゴミ」と呼んだり、「今まで飲んだバーボンの中で一番不味いかも知れない」と述べる人もいたりします。このようにポットスティル・リザーヴへのバッシングの多くは、そのボトルの豪華さに比べて中身が如何に酷いものであるかを笑いものにしている訳ですが、これらはTikTok特有のユーモアを多分に含んだオーヴァー・リアクションと言うのか、短い時間内で一発芸的に笑いを取るショート動画にありがちな或る種のジョークであって真に受ける必要はないと個人的には思います。けれども気になるのは、僅かながら存在するもっと真摯なTikTokレヴュワーや他のバーボン系ウェブサイトに於いてもウィレット・ポットスティル・リザーヴがそれほど高評価を得てはいないところです。ゴールドファーブ自身も「ポットスティル・リザーヴは確かに美味しくない(私は決してこのボトルを家に置かないだろう)が、TikTokが信じ込ませているほど悪くはない」と微妙な評価。まあ、それらは全て「スモールバッチ」への言及であり、「シングルバレル」についてではありません。

ウィレット・ポットスティル・リザーヴはシングルバレルであれスモールバッチであれ、94プルーフでのボトリングとNAS(Non-Age Statement=熟成年数表記なし)での提供は共通しています。ウィレット蒸溜所は中身の原酒に関して明らかにしないことが多いので、飽くまで噂と憶測になりますが、ここからはポットスティル・リザーヴの中身の変遷について整理して行きたいと思います。と、その前に少しだけ歴史の復習を。
禁酒法撤廃後、ケンタッキー州バーズタウン郊外にランバートとトンプソンのウィレット父子によって設立されたウィレット・ディスティリング・カンパニーは、訳あって1980年代初頭に蒸溜を停止しました。1984年、会社はトンプソンの娘マーサと結婚したエヴァン・クルスヴィーンに引き継がれ、以後ケンタッキー・バーボン・ディスティラーズ(KBD)というボトラーとして活動することになります。同社は倉庫で何年ものあいだ寝ていた熟成ウィスキーをボトリングして販売を続けましたが、自社の在庫が枯渇する前に他の蒸溜所からウィスキーを購入しました。それらを効果的に使用して、オールド・バーズタウンやジョニー・ドラム、ノアーズ・ミルやローワンズ・クリーク等の自社ブランドを販売する傍ら、自らが所有していない他の多くのブランドのための契約ボトラーとしても働きました。エヴァンのKBDは蒸溜はしなかったものの、その代わりに名高いバーンハイムやスティッツェル=ウェラー、ヘヴンヒルやジムビームやフォアローゼズ等の近隣の蒸溜所から不要な在庫を調達し、それらの一部を巧みにブレンドすることで自らのフレイヴァー・プロファイルをクリエイトしました。そしてエヴァンとその息子ドリューは、現代のアメリカン・ウィスキー・ブームに先駆けて、ウィレット・ファミリー・エステートの名の下にバレルプルーフでノンチルフィルタードのシングルバレルとして最も上質のバーボンとライのストックをリリースし、好事家からの称賛を受けました。そうした全ての活動が実り、蒸溜所は復活、2012年1月21日に蒸溜を再開することが出来たのです。今、アメリカン・ウィスキー愛好家にとってウィレットの名は神聖とも言える特別な位置を占めています。
ここから分かる通り、ウィレット蒸溜所は1980年代初頭から2012年まで蒸溜を停止していたため、このポットスティル・リザーヴの発売から暫くの間は別のディスティラリーで蒸溜されたものを使用している筈です。現在ポットスティル・リザーヴと呼ばれている製品のシングルバレル(もしかすると初期の正式名称はウィレット・シングルバレル・エステート・リザーヴだったのかも知れない。上掲のワックスシールの画像参照)は、リリースされた当初は多くのウェブサイト上の情報源によると8〜10年の熟成であるとされていました。そして、ボトル内のバーボンは彼らの他の製品と同様に、すぐ隣のヘヴンヒル蒸溜所から来ていると推測されています。シングルバレルはその特性上、風味の一貫性を問われませんから、もしかすると他の蒸溜所産のバレルも使用していた可能性もありますが、こればかりは公開されてないので謎のままです。いずれにせよ、何処の蒸溜所の原酒であれ、ポットスチルを模したボトルの形状やその製品の名称にも拘らず、このバーボンは一般的なコラムスティル+ダブラーを使用して製造されているのは間違いないでしょう。ちなみにウィレット蒸溜所の自家蒸溜でも、おそらく最初の蒸溜をコラムスティル、2回目の蒸溜で銅製ポットスティルをダブラーとして使用していると見られています。

2015年頃、前述のようにポットスティル・リザーヴはシングルバレルからスモールバッチに置き換えられました。ウィレット蒸溜所はバーボン界での世界的な人気の高まりがあっても、所謂クラフト蒸溜所に近い規模の操業を維持しています。そのため「スモールバッチ」と名付けられていなくても実際には全ての製品がスモールバッチのようです。スモールバッチという用語は政府によって規制されていないため、ただのマーケティング・フレーズに過ぎませんが、大規模蒸溜所のスモールバッチが100〜200樽、中には300樽にまで及ぶこともあるなか、ウィレットのバッチ・サイズは、おそらく2000年代は12樽程度、現在でも20樽ちょいとされていますので、ウィレット製品のスモールバッチ表現は我々消費者が抱く「スモールバッチ」のイメージと一致しているでしょう。このバッチ数量は時間の経過と共に変化する可能性はありますが、少なくとも今のところヴェリー・スモールバッチと呼んだほうが誤解がなく適切な気がします。ヴェリー・スモールバッチの弱点は、ごく少数のバレルからバッチを形成するため、バッチ毎に味わいの一貫性が低下するところです。ポットスティル・リザーヴの評価が定まらないのは、もしかするとこのせいもあるのかも。
最終的にウィレットの製品は100%自家蒸溜に移行する(した?)と思われますが、彼らは自身の蒸溜物がいつポットスティル・リザーヴに組み込まれたかについて明らかにしていません。有名なバーボン・ウェブサイトの2017年時点のレヴューでは、ケンタッキー州の他の蒸溜所から供給されたバーボンの可能性が高い、と言われていました。一説には、帯が紺色の物は新ウィレット原酒と聞いたこともあります。今回、私がおまけとして試飲できた推定2016年ボトリングのスモールバッチの帯は紺色なのですが、ボトルの裏面(メダリオンのない側)には下画像のようにプリントされています。
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(画像提供K氏)
この「Distilled, Aged and Bottled in Kentucky」という記述の仕方は、ウィレット・ファミリー・エステートのラベルでもそうなのですが、基本的に自家蒸溜原酒ではない他から調達されたウィスキーの場合の書かれ方です。しかし、旧来のボトルを使い切るか、或いはボトル会社(プリント会社?)に文言の変更を依頼するまで?は、中身がウィレット原酒であっても上のままの記述である可能性があります。逆に「Distilled, Aged, and Bottled by Willett Distillery」と記載があれば確実にウィレットの自家蒸溜原酒でしょう。私自身は直に見ていないのですが、おそらく近年のボトルにはそうプリントされていると思われます。2020年のレヴューでは、或る時点で100%自社蒸溜に移行したと考えられる、とされていました。仮にポットスティル・リザーヴ・スモールバッチのウィレット蒸溜原酒の熟成年数が4〜6年程度であるならば、2012年から蒸溜を再開したことを考慮すると、早くて2016年から新ウィレット原酒を使用することは可能です。海外のレヴューを読み漁ってみると、多くのレヴュアーが共通して指摘しているバターポップコーンやレモンや蜂蜜のヒントが感じられる場合、新ウィレット原酒である可能性は高そうです。
現在、ウィレットにはバーボン4種類とライ2種類のマッシュビルがあり、そのうちバーボンは以下のようになります。

①オリジナル・レシピ
72%コーン / 13%ライ / 15%モルテッドバーリー / 125バレルエントリープルーフ

②ハイ・コーン・レシピ
79%コーン / 7%ライ / 14%モルテッドバーリー / 103 & 125バレルエントリープルーフ

③ハイ・ライ・レシピ
52%コーン / 38%ライ / 10%モルテッドバーリー / 125バレルエントリープルーフ

④ウィーテッド・レシピ
65%コーン / 20%ウィート / 15%モルテッドバーリー / 115バレルエントリープルーフ

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(こちらはライも含むウィレットのマッシュビル表。これは私が作成したものなので、勝手にダウンロードして転載して構いません)

ポットスティル・リザーヴにどのマッシュビルが使われているかは正式には公開されていません。しかし、或る情報筋からの話によると①②③のブレンドと聞きました。ところが、2021年や2022年に執筆されたバーボン系ウェブサイトの記事ではマッシュビルは④のウィーテッド・マッシュとされています(※追記あり)。どちらかが正しいのか、或いは時代によるマッシュビルの変更があったのか? はたまた両者の情報を掛け合せて④を含むミックスなのか? 蒸溜所からの公式の発表はないので謎です。まあ、このミステリアスなところもウィレットの魅力の一つではあるのですが、真相をご存知の方は是非ともコメントよりご教示下さい。また、バッチ情報と共に味わいの感想などもコメントより共有して頂けると助かります。では、そろそろバーボンを注ぐとしましょう。

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WILLETT POT STILL RESERVE Single Barrel 94 Proof
Bottle No. 145 of 233
Barrel No. 1581
ボトリング年不明(購入は2013年頃なのでそれ以前は確実)。黒蜜、甘醤油、キャラメル、アニス、湿った木材、ドライピーチ、バナナ、ナッツ、ウッド・ニス、銅、プルーン。途轍もなく甘く、樹液のような香り。ややとろみのある口当たり。パレートでも甘く、更にハーブぽい風味が濃厚。余韻はミディアムで豊かな穀物とレザー、最後はビター。アロマがハイライト。
Rating:86.5/100

Thought:先ず、いにしえのシュガーバレルを想起させるアロマが印象的。味わいも独特で、これぞシングルバレルという感じ。口当たりや濃厚な風味は、確かに8〜10年くらいの熟成感と思いました。ボトリング年は不明ながら、シングルバレルでリリースされた時期であるところからすると、原酒はヘヴンヒルだろうと思われるのですが、いざ飲んでみると香りも味わいも一般的なヘヴンヒルとは全然違う印象を受けました。だからと言って他の蒸溜所、バートンとかワイルドターキーとかフォアローゼズに似てる訳でもなく、ウィレットの風味と言うしかないと感じます。ヘヴンヒルからの購入とするなら、ホワイトドッグを購入してウィレット蒸溜所の倉庫で熟成させてるのか、もしくはヘヴンヒルが自分たちの味ではないと判断したオフ・フレイヴァーのバレルを購入しているかのどちらかなのかな? 或いは出来損ない(笑)のブラウン=フォーマンとか? まあ、それは兎も角、ウィレットにはウィレット・ファミリー・エステートという最高峰のシングルバレル・ブランドがあるので、普通に考えて最も優れたシングルバレルはそちらにまわされるでしょう。それ故、このシングルバレルのポットスティル・リザーヴは飽くまで「次点」のシングルバレルの筈。味わいがアロマほど良くないところが、このボトルのらしさなのかも知れない。アロマをそのまま味わいにも感じれたら、もしくは微妙なオフ・フレイヴァーがなければ、点数は88点を付けてました。ぶっちゃけ、上のレーティングのうち1点はボトルに対してです。

偖て、今回は私の手持ちのシングルバレル版ポットスティル・リザーヴをメインに飲んだ訳ですが、そこに加えて先述のようにスモールバッチ版のサンプルを頂けたので、おまけで少しだけ比較が出来ます。サンプルは例によってInstagramで繋がっているバーボン仲間のKさんから。ウィレッ党のKさん、本当にいつも貴重な情報やバーボンをありがとうございます! 

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(画像提供K氏)
WILLETT POT STILL RESERVE Small Batch 94 Proof
Batch No. 16D1
推定2016年ボトリング。シングルバレルより薄いブラウン。香ばしい穀物、キャンディ、シリアル、砂糖、新鮮な木材。ウッディなスパイス香。ややとろみのある口当たりながら、尖りも感じさせるテクスチャー。口の中でもスパイシーでメタリック?でドライ。余韻はやや甘みも。

バーボンらしさを象徴する風味は全てあるのですが、それ以上に若々しく、荒く、何と言うかギラついた金属感のようなものを感じました。多分、ウィレット原酒だと思います。もしヘヴンヒルなら4年以下の熟成物でももう少しこなれた感があると思うのです。不思議なのは、新ウィレット原酒を使ったオールド・バーズタウンやケンタッキー・ヴィンテージやピュア・ケンタッキーXOの良さの片鱗を感じれなかったこと。単純に熟成年数の短さに由来するのか、それともマッシュビルに由来するのか…。いや、そもそもウィレット蒸溜ではないのか? 謎が謎を呼びますが、バーボン・ティックトッカーが怒りの声を上げているのは、おそらくこのレヴェルの物なのでしょう。そうであるならば、まあ確かに頷けるかな、と。とは言え、ウィレット自家蒸溜のスモールバッチは、これより後の物はもう少し味わいが改善している可能性はあるかも知れません。2020年以降のボトルを飲んでみたいですね(追記参照)。
Rating:81/100

Value:現行ウィレット・ポットスティル・リザーヴ・スモールバッチのアメリカでの750mlの小売価格は地域差が大きく、40ドル未満の場合もあれば60ドル近い場合もあるようです。日本でもそれに準じて5000円台後半から7500円の間が相場でしょうか。この価格には華麗なボトルの代金も含まれるので、同じウィレットのスモールバッチ・ブティック・コレクションやオールド・バーズタウンのエステート・ボトルドの価格を考えると、中身にのみお金を払っているという意識の方には少し高く感じられるかも知れません。購入検討している方は、外観を含めてお金を払う意識でいた方が良いと思います。
シングルバレル版に関しては、もし7500円程度で購入できるチャンスがあるなら、買う価値は間違いなくあると思います。たとえ当たり外れがあったとしても…。

追記:どうやら2021年か2022年のどこかの段階でポットスティル・リザーヴはウィーテッド・マッシュビルに変更されたようです。この変更移行の物は、おそらく16D1とは比較にならないくらい美味しくなっているのではないかと予想されます。

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(画像提供K氏)

ウィレット・ファミリー・エステート・シングルバレルのバーボンとライのリリースは、アメリカン・ウィスキー市場で最もカルト的な人気があり、「ユニコーン」と呼ばれるウィスキーの代名詞的存在です。パピー・ヴァン・ウィンクルやバッファロー・トレース・アンティーク・コレクションと同じか、或いはマニア筋にはそれ以上に評価されています。WFEはプライヴェート・バレル・セレクション・プログラムのラベルであるため、それぞれのストアや様々なウィスキー・ソサエティのピック、輸出のみのオファリング、チャリティー・ボトル、蒸溜所のギフト・ショップでのリリース等がありますが、当該のコミュニティに属しているか小売業者または個人とのコネがないと、法外な価格を支払わずにボトルを購入することは難しいです。一部のスモールバッチのWFEを除いて、シングル・バレルに関しては常に需要が供給を遥かに上回っており、今後もその傾向は続くと予想されます。
当のアメリカ、また世界的にそのような状況の中、日本でも一部の輸入業者や酒販店のストアピックが入荷され即完売となる現状に於いて、日本で最も数多くのウィレット・ファミリー・エステートが飲める場所と言えば、ウィレット蒸溜所と親交のある豊橋のバーボン・バー、ゲモーを措いて他にありません。ゲモーと言えばウィレット、ウィレットと言えばゲモーなのです。
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(画像提供K氏)

今回取り上げるのはお店の25周年を記念している「GEMOR 2021」です。ゲモーさんセレクトのWFEと言えば、名高いのは以前20周年記念の時にリリースした「C70A」でした。そちらはバーンハイム・ウィーターの20年熟成でしたが、こちらのバレル・ナンバー「2103」はウィレット蒸溜所の代表銘柄オールド・バーズタウンのシリーズで使用されるハイ・コーン・バーボン・マッシュビル(79%コーン、7%ライ、14%モルテッドバーリー)を使った自社蒸溜原酒となっています。バレル・エントリーは125プルーフだそう(「19xx-21xx(125p)」)。
WFEは導入された当初、全て調達されたバレルからボトリングされていました。1980〜90年代のアメリカン・ウィスキー低迷期には、オープン・マーケットへの需要は殆どなく、ハイ・クオリティなウィスキーが安く手に入りました。それらを購入するNDPは競争相手があまりいないので、基本的にどんな年数のバレルでも選ぶことが出来たと言います。このブランドの初期の評価を伝説的なものにした要因は、そうした優れたバレル(特に長熟の)を惜しげもなくバレルプルーフ、アンチルフィルタードにてボトリングしたことにあったでしょう。バーンハイム蒸溜所のウィーテッド・バーボンはそのうちの一つだった訳です。2012年からウィレット蒸溜所は再び蒸溜を再開し、彼らのオリジナル蒸溜液で満たされたバレルは熟成を続け、今日ではそれらを使った様々なレシピの4〜8年熟成のWFEシングルバレルが市場に出回って来ました。
この大変貴重なWFEを飲めるのは、例によってバーボン仲間のK氏よりサンプルを提供頂けたお陰。画像提供も含めてこの場でお礼申し上げます。こちらからは大したお返しも出来ないにも拘らず、本当にいつもありがとうございます、感謝の極みです! では、飲んだ感想を少しばかり。

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(画像提供K氏)
WILLETT FAMILY ESTATE BOTTLED SINGLE BARREL BOURBON "GEMOR 2021" 25th ANNIVERSARY 8 Years 122.6 Proof
GEMOR 零号樽
Barrel No. 2103
2021年ボトリング。ややオレンジがかったアンバー。グレープ、マヌカハニー、スウィートグレイン、蜂蜜レモン、柑橘、木質の酸、ローストコーン、バターを塗ったトーストしたパン。バレルプルーフにしては刺激が少なく滑らかな口当たり。味わいはフレッシュフルーツ。余韻は豊かな穀物とビターチョコ。

オールド・バーズタウンのスタンダードやボトルド・イン・ボンド、エステート・ボトルドと同系統の頗るフルーティなアロマや味わいを感じました。それらと較べてプルーフィングや熟成年数の違いから、こちらの方がもっとダークな味わいかと予想していたのですが、むしろ溌剌としたブライトな樽感が印象的でした。おそらく開封からさほど時間が経ってない状態での試飲なので、今後もう少しフレイヴァーに変化はありそうな気はしますね。
Rating:89/100

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周知のようにブラントンズはバッファロー・トレース蒸留所で造られています。しかし、ブラントンズのブランドを所有しているのはバッファロー・トレース蒸留所でもなければ、その親会社サゼラックでもありません。ブラントンズは、バッファロー・トレース蒸留所のマッシュビル#2と呼ばれるレシピで造られる製品、エンシェント・エイジ、ロック・ヒル・ファームス、エルマーTリー、ハンコックス・プレジデンツ・リザーヴと同様に、エイジ・インターナショナル・インコーポレイテッドのブランドです。そしてそれは、ブラントンズが日本に縁の深いバーボンであることを意味します。1984年に発売された当初、そのシングルバレルの製品はアメリカでは団塊の世代をターゲットに約25ドルで販売されましたが、彼の地では新しいバーボンの需要を喚起するには至らず、唯一のポジティブな点と言えば日本での人気だけでした。馬のボトル・トッパーという素晴らしい装飾を備えた豪奢なバーボンは、その歴史の大部分に於いてアメリカでは酒屋の棚で埃を被るみすぼらしい何かだったのです。しかし、2019年から2020年あたりに突如としてブラントンズは「ユニコーン」に変わり、アメリカでは簡単に購入出来ないバーボンの一つとなりました。今回はそんなブラントンズの始まりの物語を紹介したいと思います。

今、最盛期とも言えるほどの好況を呈しているアメリカのウィスキー業界も、1970年代の売上減少を経て迎えた1980年代は最底辺に沈んでいた時代でした。ウィスキー製造販売事業は往年の販売量の半分を失い、売上高はほぼ安定していたものの緩やかな速度でまだ減少し続け、復調の兆しは一向に見えていませんでした。生産者は衰退が一時的なものであると信じていたため、あまりにも長い間生産を続けてしまい、業界には少数の人々しか望まないウィスキーが溢れ返っていました。売り上げは減ったのに在庫が増え過ぎたことで利益が圧迫され、ウィスキーの資産は芋づる式に変化していたのです。現在バッファロー・トレース蒸留所と呼ばれている昔のジョージ・T・スタッグ蒸留所も、1950年代初頭以降、大きな変化はありませんでしたが、ウィスキーの需要が減少したにも拘らず、1970年代まで安定したペースで生産が続けられていました。1980年代初頭には、スタッグ蒸留所をはじめとする業界全体で成熟したウィスキーの大量供給があった、と。

当時は今と異なり、多角的なコングロマリット(複合企業体)が大流行していました。大規模なスピリッツ生産者の殆どはもはや独立しておらず、コングロマリットの一部に属して様々な関連性のないビジネスと企業世帯を共有していました。1980年代初頭、フレデリック・ロス・ジョンソンという凄腕の最高経営責任者が率いたナビスコには、フライシュマンズ・ディスティリングを含むスタンダード・ブランズと呼ばれる子会社がありました。フライシュマンズのCEOは元々シーグラムやシェンリーに勤めていた酒類業界のエグゼクティヴであるファーディー・フォーク、そして社長がその右腕のロバート・バラナスカスでした。1983年、ジョンソンはスタンダード・ブランズをグランド・メトロポリタンに売却することを決定します(*)。グランド・メトロポリタンには既にJ&Bスコッチやスミノフ・ウォッカなどを販売する酒類部門があり繁盛していました。フォークとバラナスカスは会社が売却された後には職を失うと思っていたので、会社を辞職して自分たちで新たな酒類事業を始めることにしました。彼らは少数の個人投資家と共に、フォークが以前シェンリーの幹部だったので、当時シェンリーを所有するコングロマリットのメシュラム・リクリスにオールド・チャーター・ブランドを購入することを期待してアプローチします。しかしリクリスはオールド・チャーターの販売には興味がなく、おそらくは常に資金を必要としていたので、代わりにエンシェント・エイジのブランドと、それが製造され当時ほぼ休眠状態だったとも少々荒廃していたとも言われるジョージ・T・スタッグ蒸留所を一緒に販売することをフォークとバラナスカスに申し出ました。こうした経緯でケンタッキー州フランクフォートにある蒸留所は、1983年、新しく設立されたエイジ・インターナショナルに売却されます。この事は、当時のアメリカではまだバーボンは家庭でウィスキーの主流派ではなく、一般消費者にとってあまり重要な出来事ではありませんでした。フォークとバラナスカスが新会社に付けた名前が示すように、彼らはバーボンの未来はアメリカの外にあると信じていたのです。二人は日本の飽くなきバーボンへの渇望を感じていました。その頃の日本ではバーボンが人気を高めており、I.W.ハーパー、フォアローゼズ、アーリータイムズなどの比較的安価な銘柄は、アメリカン・スタイルのトレンディなバーで定番としてよく見かけるようになっていたそうです。しかし、日本でのバーボンの人気は、全くの偶然からそうなったのではありませんでした。

1975年から84年までシェンリー・インターナショナルの輸出部門の責任者を務めたウィリアム・G・ユラッコは、バーボンというアメリカン・ウィスキーの日本市場を開拓し、シェンリーの主要ブランドを普及させる仕事を担当していました。日本のウィスキー文化の受容はスコッチを基としています。そのため主に飲まれた製品はスコッチ・モルトをベースに造られたジャパニーズ・ウィスキーとスコットランドから輸入された本格的なスコッチ・ウィスキーです。バーボンはそれらに比べれば幾分かマイナーな存在であり、味わいの傾向もかなり異なるため、スコッチ・テイスト指向の日本市場でユラッコに任された仕事は困難な作業でした。1972年に極東への偵察旅行を開始した時、彼には日本の旧来の飲み手にバーボンに乗り換えてもらうのはほぼ不可能なことのように思われました。成功するためには強力なパートナー(販売代理店)、優れた市場計画、相当な努力、そして運が必要だったと彼は言います。幸いにも彼らは日本のウィスキー市場の70%を占める大手飲料メーカーであるサントリーとの合意に至り、流通やプロモーションを任せることが出来ました。当時シェンリーの最大のライヴァルであったブラウン=フォーマンも、サントリーと同じ取引をしていました。ユラッコは、シェンリーの経営陣が下した自社の最重要ブランドを主要な競争相手と「同じ家」に置くという決断の重要性は計り知れなかった、と言います。「これはフォードやジェネラル・モータースが日本で販売するトップモデルの全てをトヨタに提供するようなものだ」と。このことは関係者にとって大きな賭けでした。サントリーは日本のウィスキーに二度と競合相手が現れないように意図的にバーボンの販売を減らすことも出来るし、どちらかの社のブランドを優遇することも出来ます。しかし、実際のところシェンリーもブラウン=フォーマンも失うものはそれほどありませんでした。それにサントリーも単に試験的な販売をしたかった訳ではありません。ユラッコによると、サントリーは商品やサーヴィスが世の中への感度が非常に高い人だけでなく一般に広がって行く分岐点となる供給量のバーボンを求めて来たそうです。あらゆる味とプライス・レンジの製品を用意し、それぞれのブランドに独自のアイデンティティを与え、市場の隙間を埋めるために。シェンリーはエンシェントエイジ、J.W.ダント、I.W.ハーパーを、ブラウン=フォーマンはアーリータイムズ、オールドフォレスター、ジャックダニエルズをサントリーに提供しました。そして日本の消費者が従来のスコッチ・タイプのウィスキーを好む傾向から引き離す必要があります。そこで彼らはマーケティング戦略として、従来の中高年のヘヴィーユーザーを完全に見限り、コカコーラやリーヴァイスのような欧米のプロダクツやイメージに敏感で嗜好がまだ定まっていない大学卒業後の若い消費者をターゲットに注力することに決めました。日本では殆どの飲酒が自宅ではなく外出先で行われることに着目し、シェンリーとブラウン=フォーマンは協力してサントリーの6つのブランドのみを取り扱うバーボン・バーを全国に展開。そこには若者向けの、アメリカン・ミュージックが流れ、アメリカン・スタイルの料理が提供され、バーボンをサポートするイメージが伝えられました。その戦略の成果はあったようです。日本ではバーボンは売れないだろうと業界からは見られていましたが、1970年代を通じて着実に成長を遂げ、80年代半ばには軌道に乗り、1990年には200万ケース以上の規模に達しました。シェンリー社の代表的な銘柄であるI.W.ハーパーの成功は特に著しく、1969年に世界で2000ケースだったものが、サントリーの大々的な広告の効果もあってか、1991年には50万ケースを超える日本で最も売れているバーボンとなったのです。
アメリカで殆ど無視されていたバーボンが日本では、或る時点(90年前後?)でアメリカからのバーボン輸出量の51%を占め、1980年代に349%の伸びを示したと言います。日経通信社調べによる1986年の日本へのバーボンウィスキー輸入実績トップ10は…

① I.W.ハーパー
②アーリータイムズ
③フォアローゼズ
④ワイルドターキー
⑤オールドクロウ
⑥ジムビーム
⑦エンシェントエイジ
⑧J.W.ダント
⑨オールドグランダッド
⑩テンガロンハット

…でした。シェンリーやブラウン=フォーマンがサントリーと提携したように、他の大きな酒類会社のシーグラムはキリンと提携し、日本にフォアローゼズを広めました。ナショナル・ディスティラーズも同様な努力をしたのでしょう。こうした状況は程なくして他のブランドも「日本でビッグになれる」と目をつけることになリます。I.W. ハーパー、アーリータイムズ、フォアローゼズ等は日本に救われたブランドと言えますが、他にも上のリストに載っていない無数の日本向けボトルが作成されました。日本向けボトルには様々なプライス・レンジの製品がありましたが、アメリカとは正反対な特徴と言えばプレミアム感と長期熟成。今回取り上げているブラントンズは長期熟成ではないプレミアム・バーボンの代表と言え、殆ど日本のために特別に作成されたバーボンです。
一方の長熟バーボンは特に80年代後半から90年代にかけて多く発売されていました。アメリカでのバーボンは4〜8年程度、いっても12年でリリースされるのが一般的であり、それ以上熟成させるとあまりにオーキーになってしまうと当時は信じられていました。そして「高尚な」熟成年数の表示を特に気にする消費者も殆どいませんでした。しかし、スコッチタイプのウィスキーに慣れ親しんだ日本の消費者はバーボンでもスコッチと同じような12年、15年、18年、時には20年以上の熟成年数をバーボンに求めました。そのおかげで、過剰生産のため多くのバーボン蒸留所に眠る「過熟成のジャンク品」と考えられていた物を日本へは出荷することが出来ました。日本を「過剰なバーボンのゴミ捨て場」と皮肉ることも出来ましたが、アメリカのバーボン市場が冷え込んでいたため、多くのバーボン、特に超長期熟成バーボンは海を超えた地で高値で売れた訳ですし、何よりバーボン・ウィスキーのアメリカ以外での海外販売は業界を再び軌道に乗せ存続するために非常に重要で不可欠なことでした。ヘヴンヒルからはエヴァンウィリアムス23年やマーティンミルズ24年、ヘヴンヒル21年やヴァージン・バーボン21年などが日本市場向けに特別にボトリングされました。ワイルドターキーからも、バーボンを格調高い憧れの消費財と見做していた日本へは17年や15年の特別リリースがありました。もっと小規模なウィレットも然りで、独自の長熟バーボンをボトリングしました。シカゴの会社はオールド・グロームスを、ゴードン・ヒューJr.はA.H.ハーシュを、マーシィ・パラテラはヴァン・ウィンクル3世やエヴァン・クルスヴィーンに協力を仰ぎヴェリー・オールド・セントニックを作成しました。長熟バーボンは現在ではアメリカでもその味わいを評価されるに至っています。と言うより、バーボン全体の人気が高まり、高価なバーボンが売れる時代になっていると言ったほうが正確かも知れない。
なぜ日本でバーボンに火が着いたのでしょうか? それには幾つかの憶測があり、バーボンが伝えるマッチョなイメージ(ハーレー乗りが好んで飲むもの的な?)だと言う人もいれば、日本は以前から長い間アメリカ製品を受け入れていた当然の帰結と言う人もいます。また或る人は世代間闘争の問題として捉え、1960年代にアメリカで起こった第二次世界大戦を知る年長世代に対してのあらゆる側面での文化的反抗のようなものと説明します。アメリカで1960〜70年代に年長世代が飲む年寄り臭いバーボンに反抗して若者がオシャレなウォッカに傾倒していったのと同じように、1980年代の日本ではオジサン世代がスコッチやジャパニーズ・ウィスキーを飲んでいたからヤング世代はバーボンを求めるようになった、という訳です。どれも、もっともらしいと言えばもっともらしい。おそらくは複数の要因によりそうなったとは思います。上に述べたシェンリーやサントリーが日本の消費者をバーボンに導いた側面もあるだろうし、現在老舗と呼ばれるバーボン・バーや今はなきバーボン中心のバーのオウナーによる普及活動の努力も一因であったに違いありません。

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(エルマー・タンディ・リー。Buffalo Trace Distilleryのポートレートより)
偖て、ここらでファーディー・フォークとボブ(ロバートの略称)・バラナスカスの話に戻りましょう。バーボンの未来はアメリカ以外にあると考えた彼らが最初に行ったのは、ブラントンズ・シングルバレル・バーボンの作成です。1983年初頭、彼らは伝説のジョージ・T・スタッグ蒸留所のオウナーになり、エイジ・インターナショナルをスタートさせました。その蒸留所自体やバレルのストックは大きな資産でしたが、より大きな財産は経験豊富なプラント・マネージャーのエルマー・T・リーとの出会いでした。二人は初対面の時から、蒸留や熟成に関する百科事典のような知識は言うに及ばず、トレードマークのフラットキャップを被った風体や、人懐っこく柔らかい物腰、気さくで紳士的な態度など、ケンタッキー・ディスティラーとしてお手本のような姿を示したリーに惹かれていたようです。取り分けリーが蒸留所内で最高のバーボン・バレルの場所を熟知していたことは、国内販売に留まらない最高峰のバーボンを求めていた新任のオウナー達に深い印象を与えました。フォークとバラナスカスは、スコットランドのシングルモルトの神話性と人気が高まっていること、アメリカ国内でのウィスキー販売の衰退と日本の経済成長を意識して、蒸留所の倉庫から完璧に熟成したバレルを探し出しプレミアム価格で売れる可能性のある新しいブランドを作ってもらいたいとリーに依頼します。長い話し合いの中でリーは二人に、師に当たる蒸留所の先達アルバート・B・ブラントンのエピソードを聴かせました。ブラントンは信頼する従業員に、自分のお気に入り倉庫だった金属貼りのウェアハウスHの上層二つの階から最低8年熟成の最高な状態にあるバレル(ハニー・バレル)を探させ、持って来てもらったサンプルを味わい納得すると、その選び出された優良バレルを後に自身の愉しみと親しい友人達のために瓶詰めしていた、と。ブラントンは常に、これらの階で熟成したウィスキーを好み、希釈されていないフルストレングスで愉しんだと言います。 オウナー達、特にバラナスカスはこのエピソードを気に入り、リーに「我々はこれにするつもりだ、ついてはこのブランドに入るバーボンを選んでもらいたい。ブランド名はブラントンにしよう」と告げました。こうしてブラントンズ・バーボンは1983年の或る日、ファーディー・フォーク、ボブ・バラナスカス、エルマー・T・リーの三人の心の中で生まれたのです。ブラントンズの物語に於いて多くの場合、エルマー・T・リーの側面が少々誇張して描かれていますが、実際のところブラントンズのリーに対するクレジットは主にマーケティングでしょう。おそらくリーはオウナーが望むに相応しいものを見つけるために蒸留所の在庫を調べ、アルバート・ブラントンのレガシーに結びつけるというアイディアに貢献しましたが、それ以外のブランディングに関してはフォークやボブや顧客の日本企業および彼らのマーケティング担当者が実行したと思われます。ファーディーの息子クリス・フォークは、1983年に父がナプキンにパッケージのアイディアを描いているのを見たのを覚えていると語っていました。シングルバレルという言葉も、味の特別性もさることながら、実際にはエイジ・インターナショナルが消費者にシングルモルト・スコッチを連想させることを期待してつけたものです。「アロマはキャラメル、ヴァニリンの丸みを帯びたブーケがたっぷり、そしてアルコールは心地よく未熟感もなく薬っぽさもない。味は仄かなキャラメルとヴァニリンのセミスイート、アルコールは尖りや苦味がなく滑らかで心地よい。後味にヒリヒリ感も残らない」。もしブラントンズ・シングルバレルに一般的なフレイヴァー・プロファイルがあるとすれば、そう表現するのが望ましいとエルマー・T・リーが述べたバーボンは、沈み行くバーボン・ビジネスを救うためのアメリカ人の巧みなマーケティング努力と閃き、日本人の受容的な味覚の複合的な産物でした。

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1984年の秋、ブラントンズは約115ドル(現在の約290ドル)相当の価格で日本で発売されます(85年に初輸入という説もありました)。それまでのアメリカン・ウィスキーとは一線を画す独創的なパッケージを伴って。背が短く丸みのある手榴弾のようなボトル(**)、サラブレッドを疾走させる騎手に成形された真鍮製のトッパー、それを封するメーカーズマーク社の怒りを買ったワックス仕上げ、ネック部分に掛けられた「何故これがおそらくは今まで生産された最高のウィスキーのボトルなのか」と宣うタグ、古きを忍ばせる情景や蒸留に関わる道具の絵もなく一見すると無機質にも見えるが上質な紙ラベル、そしてそこには原酒の収納されていた倉庫名やバレルおよびボトルを識別する番号が手書きで記され「本物」の空気を醸していました。
ブラントンズは「シングルバレル」という近代的なカテゴリーを生み出したブランドではありますが、ブラントンズの前にシングルバレルのバーボンが全くなかった訳ではありません。そもそも、安価なガラス瓶が開発され普及する前の19世紀には、蒸留所は酒屋や居酒屋へ樽を販売し、そこに来たお客は持参したジャグやフラスクを満たしてウィスキーを購入していました。つまりその場合、必然的に全てのウィスキーがシングルバレルになります。禁酒法後であっても、一部のブランドにはシングルバレルがありましたが、それらはプライヴェート・ボトリングとして提供される特別な製品でした。例えば1940年代後半から販売された「オールドフォレスター・プレジデンツ・チョイス」は、その名の通りブラウン=フォーマンの社長オウズリー・ブラウンによって選ばれたシングルバレルです。そして何より、エルマー・T・リーの語るエピソードを証明するように、1940年代から1950年代に掛けてアルバート・ブラントンがピックしたとされるシングルバレル・バーボンが、かなり限られた数量であったものの実際に小売店で販売されていたという情報もあります。私が見たことのあるボトルは画像から判断するに、1952年におそらくブラントンの引退を記念してボトリングされたものですが、こうした製品が現在のブラントンズに直接的な影響を与えていた可能性もあるのかも知れません。エイジ・インターナショナルがブラントンズで行った最大の「肝」は、シングルバレルを一般的な消費者に広く販売したこと、つまりシングルバレルを商業的に大きな規模で展開したところにあります。ブラントンズはこれにより歴史に残る画期的な作品となり、その発売は世界のウィスキー事情を変え、アメリカン・ウィスキーがスコッチ・ウィスキーと同じように語られる地位への偉大なる第一歩となりました。こうしたアイディアは、他の会社へも影響を及ぼし、シングルバレルやスモールバッチ、またはブティック・バーボンというプレミアムな製品提供へと繋がって行きます。その代表的なものは、ジムビーム蒸留所のマスター・ディスティラーであるブッカー・ノーが1980年代の終わりに発表したバレルプルーフの「ブッカーズ」や、ワイルドターキー蒸留所のマスター・ディスティラーであるジミー・ラッセルが1991年に作成したバレルプルーフの「レア・ブリード」、1994年に作成したシングルバレルの「ケンタッキー・スピリット」です。

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(若き日のA. B.ブラントン。Buffalo Trace Distilleryより)
ブランドの名前は先述のように、禁酒法以前から1950年代初頭に引退するまで同蒸留所を経営していたアルバート・ブラントンにちなんで付けられました。ケンタッキー紳士でありバーボン貴族でもあった彼は、55年以上に渡って上質なケンタッキー・ストレート・バーボン・ウィスキーの生産、保護、普及に尽力し、バッファロー・トレース蒸留所の長き歴史の中でも取り分け傑出した重要人物でした。第一次世界大戦、禁酒法、大恐慌、大洪水、第二次世界大戦など、20世紀初頭の数々の困難を彼の指揮のもと乗り越えたからこそ蒸留所は今の成功を収めたのです。
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ベンジャミン・ハリソン・ブラントンの末っ子としてアルバート・ベイコン・ブラントンは1881年に生まれ、ケンタッキー州フランクフォートの現在の蒸留所に隣接する農場で育ちました。当時その蒸留所はO.F.C.蒸留所(オールド・ファイヤー・カッパーの略)と呼ばれていました。高校を早く終えたブラントンは、1897年に16歳でオフィスボーイとして蒸留所で働き始めます。それからの数年間、若きブラントンは倉庫、荷受け、製粉所、蒸留現場などあらゆる部署で経験を積み昇進して行きました。彼は営業所を含むビジネスの全ての部門で専門知識を習得したと言います。1904年、蒸留所の名称は「ジョージ・T・スタッグ蒸留所」に変更されました。1912年にブラントンはプラント・マネージャーに就任し、スティル・ハウス、ボトリング施設、ウェアハウスの監督を任されます。禁酒法が施工される前の不安な時期から蒸留所を率い、急速に変化する産業の解決策を探り、禁酒法の解禁後も20年間に渡り蒸留所の運営を監督したのがブラントンでした。
禁酒法が州レヴェルと国家全体で迫り来るため、蒸留所は1917年末に閉鎖され、1918年にオークションで売却されました。禁酒法の先を見据えていたブラントンは蒸留所の将来性を考えて自ら購入します。その1年後には、前オウナーだったウォルター・ダフィーの仕事仲間であるヘンリー・ネイロンに売却。その後、1921年にブラントンは蒸留所を運営する会社の社長となりました。この時、ブラントンはメディシナル・ウィスキーを販売するための特別なライセンスを政府に申請します。これによりジョージ・T・スタッグ蒸留所は集中倉庫として運営することが出来、その許可を得た六社のうちの一社となりました。1929年、政府は枯渇しそうなメディシナル・ウィスキーを補充するために、少数の蒸留所へ操業許可を出します。ネイロンには蒸留所を再稼働させるのに必要な修理に投資する意思がなかったので、ブラントンは会社と施設をシェンリー社に売却する契約を締結しました。政府からの限定的な量の蒸留許可を得ることが出来たブラントンは、1930年4月に蒸留所での生産を再開させます。ジョージ・T・スタッグ蒸留所は自らの少量の割り当て分を蒸留するだけでなく、ライセンスは持っていても生産設備を稼働できない他の会社のためにもウィスキーを生産し、1933年12月5日に禁酒法が終わるまで蒸留所は運営されました。これが、現在のバッファロー・トレース蒸留所がアメリカで「継続的に」運営されている最も古い蒸留所と自らを誇る所以です。
禁酒法が終わるとシェンリーはブラントンの監督のもと蒸留所の大規模な再建を開始します。蒸留所の今日あるような姿の基礎はブラントンの先見の明によるものでした。彼の最初の大きな決断は、古いスティルハウスを新しい発電プラントに建て替えたことです。この時、巨大な容量のボイラーを備えたのは、蒸留所が急速な成長に向けて行なった適切な処置でした。続いてマッシングやファーメンティングやディスティリングのための新しい建物も建設します。また、ブラントンはフランクフォート・アンド・シンシナティ鉄道(***)に通行権を譲渡し、蒸留所の敷地に支線を敷設することを可能にしました。生産能力の大幅な増大や輸送の利便性の向上は、新しい倉庫を必要としました。先ずは敷地内で唯一の金属被覆倉庫であるウェアハウスHが1934年に建設されます。ウェアハウスIとKは1935年に増設され、ウェアハウスLとMは1936年に続き、ウェアハウスNとOは1937年にそれぞれ追加されました。これらの六つの倉庫はそれぞれ50000バレルの収容力があるとされます。
ブラントンの不屈の精神が再び試されたのは、1937年の大洪水で工場が一時的に生産停止に追い込まれた時でした。1937年1月6日、一連の大嵐がケンタッキー州の中央部とオハイオ渓谷に停空し、3週間に渡り壊滅的な洪水を生み出しました。1月27日にはフランクフォート周辺の交通機関が全て停止し、学校や企業も閉鎖されました。この嵐は推定42兆ガロンの雨、氷、雪、霙を地域に降らせたと言います。ピーク時にはオハイオ・リヴァーの981マイルが洪水位の34フィートも上に位置し、中西部の高速道路の15000マイルが水に覆われ、200万人以上が避難するほどだったとか。この洪水により蒸留所の多くの機械やスティル、全ての建物周辺の道路も水没しました。 洪水は発電プラントから17フィート、ウェアハウスHから4フィートの高さにまで達したそう。ブラントンはこれを、疲れ知らずの48時間連続の作業と優れたリーダーシップで、たった2日で蒸留所を通常運行に戻しました(24時間でと云う説もあった)。
洪水の災難から僅か3年後の1940年、アメリカは第二次世界大戦に参戦し、連邦政府からは米軍にピュア・アルコールを供給するためにウィスキーの生産を中止するよう何度も要請されました。そこでブラントンはバーボンの生産を維持しつつ、国のニーズに応えるために蒸留所を拡大・多角化するという巧みな計画を成功させました。1942年には禁酒法以後、100万樽めのバーボンの生産を記録。
ブラントンは第二次世界大戦後も蒸留所の更なる拡張を監督し、細部にまで気を配りながら自分自身の住居や敷地内に多くの庭園も加え、在任期間中に蒸留所の美観を大きく向上させることにも貢献しています。蒸留所を見下ろしケンタッキー・リヴァーまで見渡せる丘の上に建つ邸宅は、現在ストーニー・ポイント・マンションと呼ばれています。また、社員が社交やコミュニティの場を持てるようクラブハウスも建設しました。従業員はブラントンを敬愛し、全員が一生懸命働きたいと思っていたそうです。彼は僅か14棟だった蒸留所が114棟の巨大企業に成長してもなお、謙虚で物腰の柔らかい人物でした。彼は軍隊にはいませんでしたが、ケンタッキー州では1813年に州知事が授ける公的な称号になって以来、地元に貢献した人物をケンタッキー・カーネルの尊称で呼んでいるため、日本でも有名なケンタッキー・フライドチキンのカーネル・サンダースのように、カーネル・ブラントンと呼ばれていました。ブラントンは1952年に引退し、亡くなるまで会社の顧問を務めたと云います。直後の1953年6月、ジョージ・T・スタッグ蒸留所は禁酒法解禁後から数えて、ケンタッキー州で初めて200万樽めの生産をしました。ちなみに世界で唯一の1バレル倉庫であるウェアハウスVは、これとブラントンの引退を記念して建てられています。そして、1959年にアルバート・ベイコン・ブラントンは亡くなりました。蒸留所の敷地内にはブラントンの像が立っており、そのベースには次のように書かれています。
愛され尊敬された
マスター・ディスティラーにして
真のケンタッキー・ジェントルマン。
彼は人生のうち55年を
コミュニティと会社へ捧げた。
彼の人を奮起させるリーダーシップが
彼の生きた時代の人々や
後に続く人々の心の中に残るように。
この記念碑は感謝と名誉をもって建てられた。
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カーネル・ブラントンについて見終わったところで、バーボンのブラントンズに戻ります。日本のカスタマーからの要望により造られたブラントンズ・バーボンは同じ年の84年にアメリカでも発売されました。約25ドル(現在の約60ドル)から35ドルの値が付けられ、これは一般的な銘柄のバーボンが1本7ドルから10ドルで買えた1980年代半ばの時代には破格の金額であり、当時の市場で最も高価なバーボンの一つでした。ラグジュアリーな製品との位置付けは広告が掲載される雑誌にも表れ、『ニューヨーカー』、『ウォール・ストリート・ジャーナル』、アイヴィー・リーグの同窓会誌など、少々「高級な場所」でブラントンズは宣伝されたそうです。しかし、当初のテスト市場であるアトランタとアルバカーキでは振るわず、1988年までに多くの場所でわずか19.99ドルで販売されていたとか…。バーボンの聖地ケンタッキーではヒットしたものの、殆どのアメリカ人はブラントンズを「コマーシャルな珍品」としか見ていなかったと言います。リー自身も、ブラントンズのアメリカでの初めの年の販売数について、あまり売れなかったと日記に書いた程でした。
アメリカでの販売が伸び悩む中、フォークとバラナスカスはブラントンズとメーカーズマークとの間で「ブラインド」の味覚テストを実施するよう手配しました。ブラントンズは毎年数回のブラインド・テイスティングでメーカーズマークに勝利しましたが、ブラントンズのシングルバレルがそのイベントのために特別にボトリングされたのに対し、メーカーズマークのボトルはランダムに酒屋で購入されていたため、メーカーズのビル・サミュエルズは「反則だ」と言いました。ちょっと悪どい気もしますが、フォークとバラナスカスは少なくとも一つの目標を達成したのでしょう。1990年代半ばになると、プレミアム・バーボンとその可能性についての話題が増え、メディアでもブラントンズ・シングルバレルが取り上げられるようになりました。1992年には『ニューヨーク・タイムズ』がブラントンズを含めて、「アメリカで縮小しつつあるバーボン市場を活性化させることを蒸留酒製造業者が期待するデラックスなバーボンの数が増えている」と報じています。
1990年代前半はブラントンズだけでなく、アメリカン・ウィスキー全体の販売は低迷していました。その不振を象徴するように、1991年はアメリカを原産地とするウィスキーは1560万ケースと禁酒法以来のカテゴリー別最少を記録し、バーボンの売り上げが最悪の年でした。ブラントンズの有するプレミアム感は、バーボン・ブームの到来を予感させるブランディングではありましたが、この段階では飽くまで予感に過ぎず、アメリカでの本当のブームは2010年代まで待たなくてはいけませんでした。ブラントンズ・シングルバレルは当初から国内よりも海を超えた遠い日本で好意的に受け入れられ、その売上の3分の2を占めたとされます。日本での大ヒットに気を良くしたのでしょうか、エイジ・インターナショナル社はブラントンズに続けて、シングルバレル・バーボンに対する世間の評価を高めるため、「ロック・ヒル・ファームス」、「ハンコックス・プレジデンツ・リザーヴ」、「エルマーTリー」の3種類のシングルバレル・バーボンを発売します。しかし、その売り上げはあまり芳しくはありませんでした。
バーボンの活性化を図るのにオウナー達はもう一つの方策を立てました。1990年の夏、ボブ・バラナスカスとジョー・ダーマンド(89–99年当時の蒸留所のヴァイス・プレジデント、ジェネラル・マネージャー)は或る提案をエルマー・T・リーにします。妻のリビーとの時間を大切にするため1985年に引退し、その後は顧問として会社に残っていたリーに、ブラントンズ・ブランドのプロモーション活動を依頼したのです。リーはリビーと相談して承諾しました。バラナスカスは1990年7月から、リーのコンサルタント料を月600ドルを月1000ドルに引き上げることに全面的に合意し、1990年12月に契約が成立しました。リーとエイジ・インターナショナルの間のこの取り決めは、引退していた筈の彼を北米、日本、イギリスなどの市場を訪れる10年に及ぶ旅へと駆り立てることになりました。リーはシングルバレル・バーボンについて語るために、数多くの著名な酒店、バー、クラブ、レストランに立ち寄り、作家のグループや歯科医の集まり、ワイン愛好家のグループ、大学のクラブ、雑誌や新聞のオフィス等で何百もの試飲会やディナーを主催し、見本市やバーボン・フェスティヴァル、ゴルフ・トーナメント、カントリー・ミュージック・ジャンボリー等でもボトルにサインをし、ローカルなラジオ・プログラムでは数え切れないほどのインタヴューを受け、ラスベガス、シカゴ、サンフランシスコ、ボストン、ニューヨークなど数多くの都市でバーボンのマスタークラスを開催しゲスト・バーテンダーを務めました。こうした動きは他の蒸留所(会社)でも行われ、ブッカー・ノーやジミー・ラッセルのようなカリズマ性のあるマスターディスティラーにブランド・アンバサダーとしての役割を担わせ、バーボンの普及に尽力してもらっています。リーは2013年に亡くなるまでバッファロー・トレースのアンバサダーを務め続けました。
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(E.T.リー。Blanton's公式ホームページより)

ブラントンズの一応は成功と言ってよさそうな成果(特に日本での)や、新しいシングルバレルのブランドにも拘らず、エイジ・インターナショナルは財政的に上手く行っていませんでした。最盛期には1000人いたと言われる蒸留所の従業員も、1991年の段階では殆どいなくなり、最小限の基幹要員50人にまで減少していたと言います。1991年の春、蒸留所を存続させるために、フォークとバラナスカスはエイジ・インターナショナル社の22.5%の株を日本の会社である宝酒造に売却しました。宝酒造は1842年に設立された日本酒と焼酎の大手メーカーであり、1970年代にスコッチ・ウィスキーや紹興酒の日本への輸入を始めた会社です。同社はブラントンズの日本での輸入代理店で、エイジ・インターナショナルの他のバーボン・ブランドの輸入も行っていました。この取引の際、宝酒造には会社の残りの株が売りに出された場合に30日間の購入を拒否する権利(先買権)が与えられました。1992年半ば、フォークとバラナスカスはエイジ・インターナショナル社の過半数の株をヒューブライン社(当時グランド・メトロポリタンの子会社)に売却する契約を締結します。宝酒造は、ヒューブラインへの売却が切迫していることを書面で通知されてからちょうど30日後に、拒否権を行使して会社の残りの株を購入する旨を伝えました。それは取引が成立する前日だったため、宝酒造は実際に法廷に出てヒューブラインへの売却を停止するための差し止め命令を出さなければなりませんでした。ギリギリになったのには理由があります。宝酒造はアメリカの蒸留所を経営することには関心はなく、エイジ・インターナショナルが所有するバーボン・ブランドにだけ興味があったのです。そこで彼らは30日間をかけて、蒸留所をサゼラック・カンパニーに売却し、サゼラックがジョージ・T・スタッグ蒸留所(当時の通称エンシェント・エイジ蒸留所、現在のバッファロー・トレース蒸留所)でそれらのバーボンを生産し続けるという長期契約を取りまとめました。宝酒造は先買権を行使する意向をエイジ・インターナショナルに通知したのと同じ日にサゼラックとの契約を締結し、ヒューブライン社の提示額に合わせてエイジ・インターナショナル社の残りの株に2000万ドルを支払いました。こうして宝酒造はエイジ・インターナショナルの企業構造をそのまま残しつつ自ら望むブランドの商標権を保持し、サゼラックは蒸留所とアメリカでのエイジ・インターナショナルのバーボン・ブランドの販売と流通の独占的な権利を非公開の金額で購入しました。現在でもサゼラックはバッファロー・トレース蒸留所を所有しており、同蒸留所はエンシェント・エイジやブラントンズ等のエイジ・インターナショナル・ブランドの全てのバーボンを#2マッシュビル(#1に比べてライ麦率の高いレシピのこと)を使用して製造しています。サゼラックとエイジ・インターナショナルはアメリカン・ウィスキー・ビジネスが低調な時期に生まれた変わった関係でしたが、20年以上もの間、双方のために働いて来ました。多分これからも…。
ちなみにファーディー・フォークはその後も少し業界に身を置いていましたが、最終的には引退し、ルイジアナ州とフロリダ州で不動産ビジネスを成功させることに専念、その後2000年に癌で亡くなったそうです。彼は常にアメリカでバーボンが復活する日が来ると信じ、バーボンというカテゴリーに再び脚光を浴びさせることに貢献した一人でした。今日、スーパー・プレミアム・バーボンのカテゴリーに膨大な数のブランドが存在し、成長していることを見たら、何を思うでしょうか。バラナスカスのその後はよく分かりません。ともかく二人とも裕福になって引退したビジネスマンであるのは間違いないと思います。

そろそろ話を一気に現代へ飛ばしましょう。2000年代に入り徐々に回復傾向を見せていたバーボンの売上は、2010年代に遂に爆発します。その火付け役はプレミアム・リリースのバーボンでした。先ずは「パピー・ヴァン・ウィンクル20年」や「ジョージTスタッグ」を筆頭とするバッファロートレース・アンティーク・コレクション(BTAC)などがユニコーンと祭り上げられ、酒屋の棚から即座に消えるバーボンとなりました。次に小麦バーボン人気からウェラー・ブランドも買いにくいバーボンとなりました。もっと言うとバッファロー・トレース蒸留所のバーボンは非常に人気があり、現在その殆どの製品が割り当て配給のようです。そのため「エルマーTリー」も手に入ればSNSで自慢できるだけのレアリティをいつしか帯びました。しかし、何故かブラントンズはそうなるのが少し遅かった印象があります。実際、2016年くらいまでは約50ドルで小売店で比較的簡単に見つけることが出来たと言います。ところがここ数年では、ブラントンズもアメリカのどの酒屋でも希望小売価格で見つけるのが困難になっているらしく、首尾よく見つけることが出来ても、その棚に残っている物はかなりの値上げをされているでしょう。スタンダードなボトルは概ね100ドルからMSR​​Pの約2倍くらい、プライヴェート・セレクションのボトルだと150ドルを超えて販売されます。とは言え、今のところ買い占められることはあっても、上に挙げた他のプレミアム・バーボンのように二次流通市場で高値で取引されることは殆どないようです。
とても魅力的なパッケージングを備えたブラントンズの人気の上昇が、どうしてバッファロー・トレースのプレミアム・ バーボンの中で最後だったのかは不思議です。各ボトル・トッパーは収集に適した造りですし、バレルをダンプした日がラベルに記される数少ないブランドの一つであるため、自身の誕生日や結婚記念日に合ったボトルを探す等、世のコレクター向けの材料に事欠きません。そのことに気づいたからなのか、ともかく市場全体を見ても今日のブラントンズには信じられないほどの熱狂が渦巻いています。COVID-19によるソーシャル・ディスタンシング以前の話らしいですが、ブラントンズがその日ギフトショップの棚にあるという噂で、バッファロー・トレース蒸留所に何百人もの行列が出来たとか…。そのためか分かりませんが、同蒸留所はギフトショップで運転免許証のスキャンを開始し、顧客が3ヶ月に1本しか購入できないようにしたみたいです。また、ルイヴィルの或る酒屋がアプリを介してブラントンズのストアピックの入荷を知らせたところ、あまりに多くの顧客が店舗に電話をかけたため、電話システムがクラッシュしたとか…。或いは、アメリカの空港のターミナルどこそこの免税店で購入できる事を知らせるブラントンズ・アラートがSNSで発信されたりとか…。それと、人気者は嫌われると言いますか、ブラントンズはオーヴァーレーテッド・ウィスキーだ、つまり過大評価されているなんて意見もかなりあったりするのですが、そう取り上げられること自体が人気の証左であり、また正反対の意見があるのは健全で、何よりバーボン界隈を活気に満ちたものにするでしょう。
こうした状況はバッファロー・トレース(サゼラック?)を動かしました。実はエイジ・インターナショナル社はオリジナルのブラントンズをリリースした後、海外市場に向けてハイアー・プルーフの「ゴールド・エディション」や、バレル・プルーフの「ストレート・フロム・ザ・バレル(SFTB)」という日本でもお馴染みの上位ラベルを追加していましたが、アメリカ国内では販売していませんでした。しかし、ブラントンズ人気および世界経済の動向はそれを変える契機となり、ゴールド・エディションは2020年の夏から約120ドル、SFTBは2020年末から約150ドルで、アメリカ市場にも年に1回だけの限定数量にてリリースされる運びとなったのです(ゴールド・エディションは毎年春のリリース)。

偖て、ブラントンズの歴史を見終えたところで、少々繰り返しの部分もありますが、次は製品としてのブラントンズを見て行きたいと思います。初めに言っておくと、ブラントンズの年間生産量および売上高は開示されていません。サゼラックは非公開企業であるためです。これはマッシュビルにも当て嵌まります。そのため殆どのバーボン系ウェブサイトでも推定○%というように伝えられるだけです。バッファロー・トレース蒸留所は幾つかのマッシュビルを使用してバーボンを製造しますが、主なものは3つあります。それがBTマッシュビル#1と#2とウィーテッド・マッシュビル(小麦レシピ)です。#1はライ麦率が10%もしくはそれ未満と推定されるロウ・ライ・マッシュビルで、同蒸留所の名を冠したバッファロートレース、ベンチマーク、イーグルレア、ジョージTスタッグ等に使われ、ウィーテッド・マッシュビルはウェラー・ブランドやヴァン・ウィンクルのバーボンに使われます。そして、ブラントンズをはじめとするエイジ・インターナショナルのブランドには、ライ麦が10〜12%または〜15%と推定される、#1よりも僅かに高いライ麦比率のマッシュビル#2が使われています。酵母がエイジ専用かどうかまでは分かりません。その可能性はなくはないと思いますが、何しろ公開されていないので憶測の域を出ることはないのです。
ブラントンズで明確に判っているのはウェアハウスHで熟成されていること。このバーボンを特別なものにしている理由の多くは、マッシュビルではなくバレルが保管されている倉庫にあります。これはただの倉庫ではありません。ウェアハウスHとは伝説と伝承(フォークロア)なのです。禁酒法の終了後、シェンリーは需要増を見越して傘下の蒸留所でのバーボンの生産を増やしました。新しく満たされた全てのバレルを収容するのに十分なラックハウスがないことは問題でした。この問題を解決するために、カーネル・アルバート・B・ブラントンは取り急ぎラックハウスの建設を指示しました。1934年に急いで建てられたこの倉庫は、バッファロー・トレースのプロパティのうち、他の倉庫がレンガ造りのなか唯一波形の薄いブリキで覆われた木造の構造が特徴です。約16000近い数のバレルを収容するやや小さめの4階建て。カーネル・ブラントンは後に、この新築の倉庫で熟成されたバーボンを調査し、倉庫内の温度が外気によって変動し、バーボンがオーク材とより速いペースで相互作用することに気付きました。金属製の壁にはレンガのような断熱効果がないため、他のラックハウスよりも実際の外気温に近く、内部のエイジング・バレルはケンタッキー州の温度と湿度の大幅な変化に曝されます。また金属は熱を伝導するため、ウェアハウスHの壁は増幅器のように機能し、熱と湿度の変化の影響を増大させるとも。これらはレンガ造りの倉庫よりも温度が高くなったり低くなったりするのが速いことを意味します。そのため熱気と冷気に伴う木材の膨張/収縮によりバーボンがバレルに吸い込まれたり押し出されたりし、吸収、放出、再吸収を繰り返す熟成サイクルの中でバレルの内容物はより多くの木材に触れ、バレルの奥深くまで到達することが出来る、と。これがバーボンとバレルの間の相互作用が多ければ多いほど熟成を早め、フレイヴァー・プロファイルを深めると考えられている理由です。そして、ウェアハウスHは庫内を暖める蒸気加熱装置も備えているので、冬場でもバーボンのエイジング・プロセスを促進するでしょう。
バッファロー・トレースによると、ブラントンズの全てのバレルはウェアハウスHの「センターカット」と知られる中央セクションから調達し、手作業でダンプするとされています。バーボンの殆どは複数のバレルからブレンドして目指すフレイヴァー・プロファイルを作成しますが、ブラントンズ・シングルバレル・バーボンはその名の通り、特定の一つだけを選びバッチを形成するバーボンで、他のバレルと混合されることはありません。同じ倉庫内のバレルでも非常に異なる熟成を示すことがあるため、ボトルの中身が違うバレルからのものである場合、同じブラントンズと言っても異なる味がする可能性があります。ただし、同じマッシュビル、同じようなヴァージン・オーク、同じような場所という限られた要素を考えると、フレイヴァーの範囲はそこまでワイドではなく、或る程度の安定性は確保されているでしょう。この方法でバーボンを作成するには、マスター・ディスティラーやテイスター、または熟成管理の担当者が全てのバレルを常に目を光らせてチェックしている筈なので。
ブラントンズはNAS(熟成年数表記なし)ですが、6〜8年熟成であるとされています。ところで、ブラントンズの熟成に関して、ちょっと疑問なことがあります。日本ではけっこう有名な話なのですが、例えば現在の宝酒造のブラントンズ公式ホームページでは、
ブラントンとなる原酒は4回の夏を越すまでに、マスター・ディスティラーを含む少なくとも3名の官能検査員が、味わい、深み、香りを毎年確かめて、ブラントンにふさわしい予感を秘めた樽を選び出す。彼ら全員の厳しい判定を通った樽だけが、AからZまであるウェアハウスのH倉庫に移され、再び熟成の時を待つ。ブラントンがH倉庫のみで貯蔵される理由は、「芸術はデータに置き換えられるものではなく、そしてそれは、今まさに神の手に再び委ねられているから。」原酒たちは、ここでチャコール・フレーバーに円熟味を加え、静かに呼吸を繰り返し、神にその取り分を捧げながら、さらに4回のブルーグラスサマーを経験し、ブラントンになるのである。
と、説明されています。また、2000年発行の『バーボン最新カタログ』(永岡書店)には、
各熟成庫で4年寝かされた原酒は、マスター・ディスティラーの手によってテイスティングされ、その中から特に良い物だけを、その昔、ブラントンが丘から見ていたH倉庫の場所へ移され、ていねいに再熟成される。
ここで3年から長い樽で6年程度再熟成を重ねて初めてブラントン用の原酒が出来上がる。
と、書かれています。これ本当なのでしょうか? ブラントンズは先ず初めに別の倉庫で熟成され、後にウェアハウスHで熟成される、という点が個人的には引っかかるのです。何が問題かと言うと、ラベルにもはっきりと「Stored in Warehouse H」と書かれているのに、これだと場合によっては熟成期間の半分もしくはそれ以上を別の倉庫で過ごしたことになるではないですか。ウェアハウスHで熟成されているのがブラントンズのアイデンティではなかったのでしょうか? 宝酒造の方の文章を見てみると「ブラントンとなる原酒は〜(略)〜味わい、深み、香りを毎年確かめて、ブラントンにふさわしい予感を秘めた樽を選び出」し「厳しい判定を通った樽だけが、AからZまであるウェアハウスのH倉庫に移され、再び熟成の時を待つ」と言ったそばから「ブラントンがH倉庫のみで貯蔵される理由は」云々と言っています。これはウェアハウスHに来る前のバレルはブラントンズではないと解釈しなければ意味が分かりません。確かに、そう解釈すればブラントンズは「H倉庫のみ」と言えなくはないのですが、何か釈然としないものが残ります。或るブランドにするバレルを複数の倉庫から引き出したり、途中でブランドを変更するのは構わないとしても、ウェアハウスHの伝承を売りにしたブラントンズを途中まで別の倉庫で熟成しておいて、最終的にウェアハウスHに切り替えたからラベルにはそう書きましたでは、看板に偽りありではないか、と。まあ、ラベルは必ずしも全てをさらけ出さなくてはいけない物でもありませんから、それでもいいのかも知れない。しかし、上で見てきたように、ウェアハウスHは熟成をスピーディーにする倉庫です。順当に考えたら、先ず熟成の進みやすい環境(スレート造りの倉庫や倉庫の上層階)で熟成させ、後から熟成の穏やかな環境(レンガ造りの倉庫や倉庫の下層階)へ移したほうが、マチュレーション・ピークを見極め易いのではないでしょうか? 実際、海外のバーボン系ウェブサイトでは、この件が語られているのを私は見たことがないのです(※追記あり)。とは言え『バーボン最新カタログ』の方は明らかに現地で取材した形跡がありますから、何の根拠もないことを書いているとは思えません。もしかすると日本向けのブラントンズだけ、そうしたバレル移動をしているのでしょうか? 一説には日本向けのブラントンズは8年熟成、その他の国は6年熟成が基本とも聞いたことがあります(これについては後述します)。それが本当なら、日本向けのブラントンズが特別に育てられているなんてこともあるのかしら…。勿論、美味しければそんなことどうでもいいじゃん特別に選んでるんだから、という意見はあるでしょうけれど、皆さんはこの件に関してどう考えますか? コメントよりどしどしご意見下さい。取り敢えず分からないことは措いて、美観に関する事柄へ移りましょう。

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(Blanton's公式ホームページより)
シングルバレル・バーボンのパイオニアとして、ブラントンズの全てのボトルには、ケンタッキー州の長く続く歴史的なダービーの伝統とバーボンの深い遺産に敬意を表す象徴的なホース・ストッパーが付いています。これはコレクティブル・アイテムとして有名で、現在のストッパーには8種類のデザインがあり、ケンタッキー・ダービーを駆ける競争馬と騎手のポーズを模したそれぞれは、ゲートに立つ姿からフィニッシュ・ラインを越える瞬間までの異なるシーンが切り取られています。左下の小さな円の中に「B・L・A・N・T・O・N・S」のうちどれか一つの文字が形成され、綴り順に並べるとレースの模様が再現されるのです。この中で最後の「S」は、勝利を祝い拳を空中に挙げた騎手であることから特に人気があります。そして、綴りを見て分かる通り「N」は2種類あり、一つ目は普通のNですが、二つ目のNにはコロンが付いています。一部の人は特定の文字が他の文字よりも見つけるのが難しいと主張していますが、バッファロー・トレース蒸留所によるとそれぞれは毎年同じ数を生産しているそうです。この仕様になったのは1999年からで、それ以前の物は尾を靡かせ疾走する姿をしていました。このホース・ストッパーは時期によって造ってる会社が違うからなのか、80年代の初期物の方が鋳造が精密でした。例えば、90年代初頭の物などは馬の脚の間に金属が残っていたりします。
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8つ全てのストッパーを集めてバッファロートレースのギフトショップに郵送すると、使用済みバーボン・バレルのステイヴに順番に取り付けられ、無料で返送されるサーヴィスがあるそうです。全ての文字を集めようとすると、ある意味クジ引きのようなものでもあるので、同社ではストッパーの完全なセットも55ドルで販売しているとか。

ストッパー以外の部分については、その変遷を一時期日本に滞在していたアメリカのバーボン愛好家ジョン・ラッド氏が自身のブログでブラントンズのダンプ日以外での凡そのデイトを判別する見方を纏めていますので、それを基に書かせてもらいます。この情報はスタンダードなブラントンズ・オリジナル・シングルバレルについてであり、他のエディションに当て嵌まるかどうかは未確認だそうです。
ハングタグには1984年から1990年までは「Why this may be the finest bottle of whiskey ever produced.」というフレーズのみが書かれていました。1990から92年あたりの短期間「The Original Single Barrel Bourbon Whiskey」と書かれたものがあったようです。その後はハングタグが変更されてから現在までは、タグ上半分に「THE FINEST BOURBON IN THE WORLD COMES FROM A SINGLE BARREL(世界で最も素晴らしいバーボンはシングルバレルから生まれる)」というフレーズ、その下方に馬と騎手の絵がプリントされています。
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次はネックラベルに関して。1984年から1993年までは「Blanton Distilling Company」とプリントされていました。1993年後半に変更があった時から現在までは「Blanton's the Original Single Barrel Bourbon」となっています。これ故、スタンダードなブラントンズのことを「オリジナル」と言ったりします。日本の正規輸入品はその時から「Blanton's SINGLE BARREL BOURBON」の下に「ウイスキー」とプリントされたものになったようです。92〜93年途中の物は「Blanton Distilling Company」の下に「ウイスキー」で、それ以前の物はネックには「ウイスキー」とはプリントされてないみたい。
ストッパーをシールするワックスは、ダークブラウンに変わる前の1994年までゴールドワックスでした。日本版はずっとゴールドワックスかな?

最後にブラントンズのヴァリエーションを少しばかり紹介しておきましょう。但し、これらはそもそもシングルバレル・バーボンのためボトルによって風味に違いがありますから、ここでは味わいについての言及は基礎的な傾向以外はしません。ブラントンズはそのプロファイルに適合するものがウェアハウスHのバレルから選ばれているので、様々なボトリング・プルーフにすることでヴァリエーションが作成されていると思われます。つまり、例えばオリジナル(所謂スタンダード)とスペシャル・リザーヴとゴールド・エディションの違いはボトリング前に加えられたライムストーン・ウォーターの量であろう、と言うことです。そして、殆どのブラントンズは約6年熟成と推定されますが、日本限定の二つのリリースは約8年熟成でのボトリングと見られています。先に述べたように、アメリカでもゴールド・エディションとストレート・フロム・ザ・バレルが漸く発売になりましたが、近年まではブラントンズ・オリジナル・シングルバレルのみが流通していました。けっこう昔から日本やその他の国際市場では5、6、または7種類のブラントンズが購入できました。

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◆Blanton's Original Single Barrel
これが全ての始まりであり、スタンダードなブラントンズです。アメリカでの標準リリース。スタンダードと言う以外に、アメリカではオリジナル・シングルバレルとか、ベージュ・ラベルまたはブラウン・ラべルと呼ばれ、93プルーフでボトリングされています。NASで6〜8年熟成と噂され、昔はどうか分かりませんが、現行はおそらく概ね6年熟成。大体60ドルから80ドルがアメリカでの平均価格でしょうか。
BTマッシュビル#2は、#1と比べてライ麦率が高いことから、ハイ・ライ・マッシュビルと呼ばれもしますが、多くても15%までと推定されるので、例えばフォアローゼズのBマッシュビルのような30%を超えるものと較べると、ライ・フォワードの味わいではなく、寧ろバランス型の味わいを持ちます。ウェアハウスHの特性のためか、実際よりも成熟したバーボンのように感じる可能性があり、オーク・プロファイルの強さはブライターであるよりはダーカーな傾向があるでしょう。

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◆Blanton’s Single Barrel Bourbon(Takara)
日本で正規品と呼ばれている物がこれです。上の「オリジナル」は並行(輸入品)と呼ばれています。日本での標準リリース。「オリジナル」と較べるとラベルの色が薄めなので、アメリカではクリーム・ラベルとかアイヴォリー・ラベルと呼ばれたり、なんならレッド・ラベルとか通称タカラ・レッドと呼ばれたりします。何故レッドなのか理由が私にはよく分からないのですが、赤みを帯びたクリーム色だからなのですかね? 文字が赤色だから? 91年から採用されたラベルとされていますが、ブラントンズ・コレクターの方によると90年後半にボトリングされた物が初出らしい。こちらもNASですが、熟成期間は平均8年とされ、ブラントンズの基本となる93プルーフでのボトリング。
先述した宝酒造がエイジ・インターナショナルの支配権を獲得し、サゼラックとの製造提携を結んだ際、宝酒造は販売規定としてこのブラントンズとブラック・ラベルを日本市場専用に作成することも義務付けました。日本人の好むフレイヴァー・プロファイルが、長く熟成されたウィスキーに傾いていたため、これらの両製品はオリジナルよりも余分に熟成されたとか。
以前ブラントンズの2017年ボトリングの正規品をレヴューした時とは状況は変わり、近年かなり値上がりし、8000〜10000円の値札が付いています。個人的には並行より正規の方が僅かに美味しく感じたことがあるので、オススメしたいところなのですが、並行が6000〜8000円程度の相場のため、価格差ほどの価値を感じれるかどうかが鍵となります。

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◆Blanton’s Single Barrel Bourbon Black Label(Takara)
日本市場に限定して94年に導入されたのがブラック・ラベルです。タカラ・ブラックと呼ばれることもあります。おそらくは日本人向けにスタンダードよりもロウワー・プルーフに仕上げただけで、バレル・セレクトの基準は同じでしょう。80プルーフのボトリング。NASで推定8年熟成と言われています。5000〜6500円の間が相場(もっと高い店もあった)。
スタンダードと較べるとプルーフ・ダウンした分、確実にライトな味わいです。既にスタンダードに慣れていれば購入する必要はないかも知れない。あくまでも入門編というか、軽やかなバーボンを好むユーザー向けの製品。下で紹介するグリーン・ラベルと較べると、同じプルーフィングでこちらの方が熟成期間が長いと想定されるため、味わいはやや重厚かと思います。

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◆Blanton’s Special Reserve Green label
スペシャル・リザーヴとして正式に知られるグリーン・ラベルは、アルコール度数が高ければ高いほど出荷時や消費時に支払う税金が高くなる市場(主にオーストラリア)向けに造られたブラントンズです。そのためスタンダードより低い80プルーフでボトリングされています。アメリカでは販売されていません。ブラック・ラベルを買い求め易い日本人にとってはスキップしてよいラベルでしょう。

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◆Blanton's Silver Edition
シルヴァー・エディションはもともと免税店向けに造られたブラントンズです。現在は廃版となり製造されていません。熟成年数は推定8〜9年程度。98プルーフでボトリング。ラベルなどの装飾の色が中身を表すように、元の希望小売価格やプルーフはスタンダードとゴールド・エディションの中間に位置しています。味わいも概ねそれに準ずるかと。2000年代は比較的タマ数が豊富だった印象がありますが(2000-2009製造)、製造中止されたことでレアリティが増し、オークションで10万を超えて落札されているのを見たことがあります。飲むためなら絶対にそんな値段を出すのは止めたほうがいいでしょう。

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◆Blanton’s Gold Edition
ゴールド・エディションはオリジナルの次に作成されたブラントンズのヴァリエーションでした。これもシルヴァー・エディションと同じくもとは免税市場向けとも言われますが、日本では92年から発売されていた模様。別個にカウントしませんでしたが、これも国際版と日本版では仕様が違うとされ、日本版は8年熟成でタカラ・ゴールドと言われたりします(ダークレッドのワックスが目印)。103プルーフでのボトリングは同じ。熟成期間を6年から10年としているウェブサイトもありました。また一説にはスタンダードよりも厳選されたバレルから造られるとされますが、真偽の程は分かりません。少なくともボトリング・プルーフはフレイヴァーの強度を変えますので、仮にスタンダードより単に濃いだけだったとしても、それはそれで格が高いことを意味するのです。
長らく国際市場向けの製品だったゴールド。ファンからは長年に渡りバッファロー・トレースに対してアメリカでもゴールド・エディションを出して欲しいという声がたくさん寄せられていました。いつになったらここで買えるようになるんだ、と。その要望に応え、2020年からアメリカでも限定数量のリリースが始まりました。

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◆Blanton’s Straight From the Barrel
その名の通り、バレルから取り出した原酒を水で薄めることなくボトリングしたブラントンズのバレル・プルーフ版。2002年にフランス市場向けに特別に製造されたのが始まりのようです。加水調整がないのでボトル毎にプルーフが異なりますが、概ね130オーヴァーが多いです。一説には6年から10年熟成としているウェブサイトもありました。そしてブラントンズのヴァリエーション中、唯一ノンチルフィルタードとされています。その仕様は紛うことなくブラントンズの最高峰です。これまたゴールド・エディションに続き、2020年からアメリカでも限定的なリリースが始まりました。

ブラントンズには上に挙げたラインナップに加えて、パリの有名なリカー・ストア、ラ・メゾン・デュ・ウィスキー(LMDW)による様々なリミテッド・エディションがあります。それらは所謂ストア・セレクションですが、スタンダードなブラントンズにはない派手で豪華なラベルが付いています。またスペシャル・リザーヴにはレッド・ラベルもしくはダークブラウン・ラベルの韓国向け製品が2000年代半ばに発売されたことがありました(ブラントンズではレアな規格の500ml版あり)。最も有名なのは、最初期の特別リリースである86年に発売されたフランクフォートの市制200周年記念ボトルでしょうか。それには通常の馬ではなく建物のストッパーが付いていました。年にちなんだのかボトリングは86プルーフです。他にも日本で2014年に発売された「30周年アニヴァーサリー」や91年の「メモリー・オブ・ユウジロウ」という石原裕次郎モデルなどの記念ボトルがあり、果てはボトルがスターリング・シルヴァー製のとんでもない代物までありました。91年にボトリングされたKirk Stieff製スターリング・シルヴァーの物は小売店での販売はなく、感謝の気持ちを込めた日本の小売店への贈り物とされ、全てに個別番号が付された100個くらいしかないらしいです。97年発行の『ザ・ベスト・バーボン』によれば100万円(!?)と書かれています。こうした記念ボトルは、バレル・セレクトが特別である可能性はありますが、基本的にブラントンズとして世に出る全ての製品はそもそも特別なものであることは留意すべきでしょう。

では、いよいよバーボンを注ぐ時間です。今回のレヴュー対象はかなり初期のブラントンズ。この年代の物は、おそらく現在のオークションでは30000円を超えて来ると予想されます。エルマー・T・リーは引退後もマスター・ディスティラー・エミリタス(名誉職)として90年代のある時点までブラントンズの選定をしていたと思われます。その後はゲイリー・ゲイハートが責任者になり、その彼は2005年春に引退しました。2005年から現在まではハーレン・ウィートリーがマスター・ディスティラーを努めています。マスター・ディスティラーの交代は、少なからずバーボンの味わいを変化させる可能性があります。彼らは仕込みにしろ、バレル・セレクトにしろ、最終責任を負うからです。なので、このブラントンズは年代から考えて、一貫してリーのブラントンズと言えるでしょう。今となってはそこが貴重な点です。

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Branton Distilling Company KENTUCKY STRAIGHT BOURBON WHISKEY 93 Proof
Dumped on 7-16-86
Barrel No. 571
Warehouse H on Rick No. 26
Bottle No. 230
1986年ボトリング。赤みを帯びた艷やかな濃いめのブラウン。黒糖、香ばしい焦樽、レーズン、オールドコーン、オレンジ、ハニー、花、マスティオーク、クローヴ。ブランディのような芳香。水っぽさと紙一重のとても円やかな口当たりと滑らかな喉越し。口の中では豊富なレーズン。余韻はミディアム・ロングで、スパイスとお花畑を連想させつつ最後にはタンニンの苦味とアーシーなノートが残る。
Rating:88.5/100

Thought:ウッド・ノートの厚み、ダークフルーツの濃厚さ、スパイスの複雑さを三本柱に攻めてくる印象。自分の得た感触としては、ブラントンズにしてはかなり長熟寄りの味わいに思いました。先日バーで飲んだ87年物とは、サイド・バイ・サイドではないので不確かかも知れませんが、深みのあるオークは共通していたように思います。個人的には90年代の物の方がキャラメル様の甘さが感じ易く、バランス的にそちらの方が好みでした。ただこれはボトル・コンディションによる可能性も高いし、そもそもシングルバレル故の違いかも知れず、一概に言えるかは分かりません。皆さんのご意見を伺いたいですね。
ところで、ブラントンズ・バーボンの品質が年々低下していると見る向きもあります。中には、1990年代半ばにチルフィルターが導入される前に製造されたブラントンズは現在製造されているものとは比較にならない、と言ってる海外の方がいました。日本で90年代に出版されたバーボン本には、ブラントンズはチルフィルターで仕上げられると書かれていますが…。どうなんでしょうね? こちらも詳細ご存の方はコメントお寄せ下さい。

Value:基本的にブラントンズのオールドボトルは古ければ古いほど高くなります。とは言え、ブラントンズは90年代に日本へは相当な量が輸入されていたようで、現在のオークションでもタマ数が豊富なせいか、90年代の物であれば比較的買い求め易い相場となっています。現行品が値上がっている今、90年代のブラントンズをオークションで狙うのは悪くない選択肢かと思います。80年代の物は90年代の物と較べると2倍かそれ以上になりますので、買い手を選ぶでしょう。細かいことを言うと、89年物はよく見かけるので、80年代の中では比較的高騰しにくいです。逆に84年は殆ど見かけません。86〜88年はたまに出ますが、89年より高くなります。さあ、そこで、投資目的でなく飲むためにそれだけのお金を払う価値があるのかどうかですが、個人的にはレーズン爆弾のバーボンが好きなら買いだと思います。私はどうしてもボトル一本飲みたかったので大枚叩いて購入しました。本来なら一度どこかのバーで試飲してから購入を検討するのがいいでしょうね。それから決めても遅くはないので。


追記:海外の某有名掲示板にて、バッファロー・トレース蒸溜所の見学ツアーとブラントンズのバレル・ピックに同行した方による、この件に関するコメントを発見しました。その人達は当然の如くウェアハウスHを訪れたそうなのですが、その際ガイドさんから、Hだけでなく他のリックハウスにもブラントンズがあると言われたそうです。投稿者は、その真偽については定かではないものの、「サンタが実在しないことを知ったようなものです」と感想を述べていました。


*その後グランド・メトロポリタンはギネスと合併してディアジオを形成。
1979年にフライシュマンはスタンダード・ブランズに売却されました。ナビスコは元々はフォークとバラナスカスにフライシュマン・ディスティリングを売る契約を結んでいましたが、その契約は何らかの理由で実現せず、最終的には英国のビール会社ウィットブレッドに売却されました。ウィットブレッドは5年間ほどフライシュマンを所有した後、突如会社をメドレー・ディスティリングに売却しました。メドレーは1988年にグレンモアに買収され、そのグレンモアも僅か2年後の1991年にユナイテッド・ディスティラーズに買収されます。そしてユナイテッド・ディスティラーズは1994年にフライシュマンのブランドをバートンに売却し、2009年にバートンはサゼラックに買収され、現在はサゼラックがフライシュマンのブランドを所有しています。

**ブラントンズのボトルは、その昔販売されていたアメリカン・ディスティリング・カンパニーの代表銘柄であるバーボン・スプリームのデカンター・ボトルにそっくりと指摘されています。もしかしてデザインをパクった?
参考

***フランクフォート・アンド・シンシナティ・レイルロード(以下、F&C鉄道と略)と呼ばれていましたが、この路線はフランクフォートからパリスまで40マイル(64km)しか走っていない短距離鉄道で、名前に反してオハイオ州シンシナティとは何の関係もありませんでした。F&C鉄道はもともとケンタッキー・ミッドランド・レイルウェイとして知られ、ルートの建設は1888年の初めにフランクフォートで始まり、1889年6月にジョージタウン、1890年1月にパリスに到達しました。開業当初、最初のレールを敷く前から「深刻な財政難」に陥り、1894年には管財人の管理下に置かれることもあったものの、1899年にF&C鉄道と改称、1890年代にはフランクフォートの成長を刺激する大きな要因として注目されました。 ジョージタウンとパリスを結ぶ路線は、地元のバーボン・ウィスキーを市場に流通させるのに役立ったと言われています。路線の一部はバッファロートレース上に敷設されていました。
レキシントンとシンシアナの中間、またパリスとジョージタウンの中間に位置するセンターヴィルは、嘗てバーボン郡の商業の中心地として賑わっていました。センターヴィル駅舎には鉄道だけでなく、石炭や穀物や肥料などを扱うセンターヴィル・コミッション・カンパニーの事務所も入っており、駅舎の2階部分はモダン・ウッドメン・オブ・アメリカのロッジとして使用されていた時期もあったそうです。第二次世界大戦中には、戦争努力の重要な製品であったブチルゴムの製造に使用するため、アイダホで栽培されたジャガイモが貨物によってフランクフォートとスタンピング・グラウンドの蒸留所に輸送されました。
F&C鉄道は多くの蒸留所にサーヴィスを提供していたため「ザ・ウィスキー・ルート」として知られていました。1967年にF&C鉄道が全線を廃線にしようとした時、フランクフォートの蒸留所が反対し、ジョージタウンとパリス間の路線は放棄されましたが、残りの路線は存続しました。州間通商委員会はF&C鉄道が更に路線を放棄することを認め、1970年にジョージタウンとエルシノア間の最後の18.2マイルが廃線になりました。1985年に脱線事故で架橋が破損し、F&C鉄道には橋を修理する余裕がなかったため閉鎖に追い込まれ、1987年までにF&C鉄道のレールは全て撤去されたそうです。

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ワイルドターキー・ケンタッキー・スピリットは、アメリカの現行ワイルドターキーのラインナップの中では1942年の古典的な「101」、1991年の「レアブリード」に次ぐ、3番目に古いリリースの由緒あるブランドであり、ワイルドターキー101のシングルバレル・ヴァージョンとして1994年に作成されました。公式リリースは1995年なのかも知れませんが、最初のボトルは1994年に充填されています。おそらくは、バーボン界で初めての商業的なシングルバレル・バーボン、ブラントンズの対抗馬であったと推測され、ブラントンズの競走馬やケンタッキー・ダービーをモチーフとした華麗なボトルの向こうを張った七面鳥のファンテイル・ボトルは流麗で目を惹くものでした。またブラントンズと同じように、ラベルには手書きでボトリングされた日付やバレル・ナンバー、倉庫やリック・ナンバーが記されているのもプレミアム感をいやが上にも高めています。そして、キャップはピューター製の重厚で高級感のあるものでした。それ故ケンタッキー・スピリットの初期のものは通称ピューター・トップと呼ばれています。2002年からストッパーはピューター製からダーク・カラーの木製のものに変更されました。更に2007年もしくは2008年頃にはダークだった木材がライトな色味へと変わります。ラベルに描かれる七面鳥も、ケンタッキー・スピリットに於ける明確な変更時期は特定出来ませんが、ブランド全体に渡るラベルのリニューアルに合わせ、前向きが横向きへ、カラーがセピア調へと更新されました。と、ここまではキャップ等のマイナーチェンジとシリーズ全般の変化なので、ケンタッキー・スピリットの姿自体はそれほど変わりありませんでしたが、2019年、遂にケンタッキー・スピリットの象徴的なテイルフェザー・ボトルは廃止、レアブリードに似たデザインに置き換えられ、ラベルの七面鳥の存在感は薄くなります。
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「ケンタッキー・レジェンド」と免税店の「ヘリテッジ」といった一部の製品を除き、ケンタッキー・スピリットは2013年にラッセルズ・リザーヴ・シングルバレルが発売されるまでの20年近く、ワイルドターキーのレギュラー・リリースで孤高のシングルバレルであり続けました。アメリカの小売価格で言えば、ワイルドターキー101より2倍以上高く、ラッセルズ・リザーヴより少し安い製品です。ケンタッキー・スピリットをラッセルズ・リザーヴと比べてしまうと、ラッセルズ・リザーヴは冷却濾過されずによりバレルプルーフに近い110プルーフでボトリングされるため、スペック的にケンタッキー・スピリットを上回ります。そのせいもあってか、2014年頃から始まったプライヴェート・バレル・セレクションでもラッセルズ・リザーヴのほうが人気があります。その味わいの評価に関しては、アメリカの或る方の喩えでは「ワイルドターキー・ケンタッキー・スピリットは、天井は高いが床はラッセルズ・リザーヴ・シングルバレルよりも低い」と言っていました。ターキーマニアの代表とも言えるデイヴィッド・ジェニングス氏などは、ケンタッキー・スピリットのボトルがリニューアル(同時に値上げも)されたのには相当ガッカリし、ラッセルズ・リザーヴ・シングルバレルの方が愛好家向けにアピールする製品であり、逆にもっとライトな飲酒家向けにはラッセルズ・リザーヴ10年や「ロングブランチ」などがあるため、ケンタッキー・スピリットの立ち位置がブレて消費者への訴求力が落ちているのを危惧して、価格以外に三つの解決策を提案をしています。
第一はボトルの変更です。テイルフェザー・ボトルが高価なのなら、せめて同様の美しさをもった往年のエクスポート版のケンタッキー・レジェンド(101)や「トラディション(NAS)」のようなボトル・デザインに先祖返りするのはどうか?、と。
第二にケンタッキー・スピリットもノンチルフィルタードのバーボンにする。そうすればスタンダードなワイルドターキー101よりも優れた利点が確実に得られる、と。
第三にラベルに樽詰めされた日付も記載する。現在でもボトリングの日付はありますが、ケンタッキー・スピリットが愛好家に向けた製品を目指すのなら、より細部に拘ったほうがいい、と。
そして更には、先ずは一旦ケンタッキー・スピリットの販売を休止し、現在の115エントリー・プルーフのバレルを維持しつつ、昔のような107エントリー・プルーフのバレルも造り、二つの異なるバーボン・ウィスキーを用意、最後に理想的な熟成に達した107エントリー・プルーフのバレルからケンタッキー・スピリット101を造り上げるという提言をしています。これは謂わばジミー・ラッセルのクラシックなケンタッキー・スピリット・シングルバレル・バーボンを復活させるというアイディアです。確かにこれが実現したら素晴らしい…。
ちなみに彼は現在のケンタッキー・スピリットを扱き下ろしているのではありません。ラッセルズ・リザーヴ・シングルバレルとワイルドターキー101の中間にあっては、昔ほど誇らしげに立っていないと言っているだけです。実際、彼はここ数年のケンタッキー・スピリットの高品質なリリースを幾つか報告しています。まあ、少々否定的な物言いになってしまいましたし、今でこそケンタッキー・スピリットの特別さがやや薄れてしまったのも間違いないのですが、それでもその「魂」は眠ってはいないでしょう。ケンタッキー・スピリットはジミーラッセルの元のコンセプトに忠実であり続けるバーボンであり、殆どの場合ワイルドターキー101よりも美味しく特別なバーボンであり、またストアピックのラッセルズ・リザーヴが手に入りにくい日本の消費者にとってはワイルドターキー・シングルバレルの個性的な風味を経験するよい機会を提供し続けています。

改めてケンタッキー・スピリットの中身について触れておくと、その熟成年数はNASながら8〜10年とも8.5年〜9.5年とも言われており、とにかくワイルドターキー8年と同じ程度かもう少し長く熟成されたシングルバレルをジミー・ラッセルが選び(現在はエディ?)、冷却濾過して101プルーフでボトリングしたものです。つまり単純に言えば、冒頭に述べたようにケンタッキー・スピリットは現在でも日本で販売されているワイルドターキー8年101のシングルバレル・ヴァージョンなのです。ジミー自身はケンタッキー・スピリットについて、タキシードを着たワイルドターキー101と表現していたとか。多分、スタンダードな物より格調高く華やいでいる、といった意味でしょう。発売当初のボックスの裏には彼自身の著名でこう書かれました。
時折、完璧なものを垣間見ることがあります。私はいつもそれを上手く説明することは出来ないのですが、或る樽は熟成するにつれて並外れた味を帯びるのです。信じられないかも知れませんが、私は20年以上前の樽を今でも正確に覚えています。ワイルドターキー・ケンタッキー・スピリットは、そのような記憶に残る発見の喜びを与えてくれます。このボトルには、特別な1つの樽から直接注がれた純粋なバーボンが収められており、私はそれを皆さんにお届けすることを誇りに思います。
マスターディスティラー、ジミー・ラッセル
ついでに言っておくと、ケンタッキー・スピリットとラッセルズ・リザーヴという二つの同じシングルバレル製品の違いは、ボトリング・プルーフとチルフィルトレーションを除けば、そのフレイヴァー・プロファイルにあるとされます。現在のマスターディスティラー、エディ・ラッセルによれば、ケンタッキー・スピリットが父ジミーの好みをより代表しているのに対し、ラッセルズ・リザーヴは本質的にエディ自身の好みを代表しているそう。
ケンタッキー・スピリットの味わいについては、先に引用した「天井と床」の喩えで判る通り、アメリカでも日本でも多少のギャンブル性が指摘されています。つまり、ケンタッキー・スピリットはラッセルズ・リザーヴ・シングルバレルと同等かそれ以上に優れている場合もあれば、スタンダードなワイルドターキー101や8年101に非常に似ている可能性もあるということです。これはケンタッキー・スピリット云々というより、シングルバレルの特性上仕方のない面でもあります。通常3桁から4桁のバレルを混ぜ合わせる安価なバーボンは平均的なフレイヴァーになるのに対し、文字通り一つのバレルから造られるシングルバレル製品はフレイヴァー・バランスが異なります。具体的に例を言うと、普段飲んでいるワイルドターキー8年の味が脳にインプットされていて、さあ、いつもより上級なものを飲んでみたいと思いケンタッキー・スピリットを買いました、いざ飲んでみるといつものターキーよりスパイシーでオーキーでした、あれ? いつものほうがフルーティで美味しくない?、となったらその人にはハズレを引いたと感じられるでしょう。こればかりはその人の味覚次第だから。とは言え、本職の方が選んだバレルですから美味しいに決まってますし、それだけの価値があります。ケンタッキー・スピリットは甘くフルーティなものから、ややドライでタンニンのあるものまで様々なプロファイルを示しますが、真のワイルドターキー・ファンならば勇んで購入すればよいのです、好みのもの好みでないものどちらに転ぶにせよ。

ケンタッキー・スピリットはラベルの七面鳥やボトル・デザインの変化でなく、別の視点から概ね三つに分けて考えることが出来ます。ワイルドターキー蒸留所はフレイヴァーフルな味わいを重視し、ボトリング時の加水を最小限に抑える意図から比較的低いバレル・エントリー・プルーフで知られていますが、2000年代にそれを二回ほど変更しました。2004年に107プルーフから110プルーフ、2006年に110プルーフから115プルーフに。これは良かれ悪しかれフレイヴァー・プロファイルが変わることを意味します。また、ワイルドターキー蒸留所は旧来のブールヴァード蒸留所から2011年に新しい蒸留施設へと転換しました。これも良かれ悪しかれフレイヴァー・プロファイルが変わることを意味するでしょう。そこで、ケンタッキー・スピリットの平均的な熟成年数である8年を考慮して大雑把に分けると、

①1994〜2012年の107バレル・エントリー原酒
②2013〜18年の110/115バレル・エントリー原酒
③2019年からの新蒸留所原酒

というようになります。このうち①、特にピューター・トップのものは昔ながらのワイルドターキーの味わいであるカビっぽいコーンや埃のような土のようなオーク香があり複雑な風味があるとされます。②は①のようなファンクが消え、ライトもしくはいい意味で単純な傾向に。③は前出のDJ氏によれば、選ばれたバレルによっては「床が上がっている」そうです。そこで今回は、私の手持ちのケンタッキー・スピリットの年代が異なるもの2種類と、先日投稿したワイルドターキー8年101の推定2019年ボトルを同時に飲んで較べてみようという企画。実を言うと投稿時期が違うだけで、3本をほぼ同時期に開封しています。

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2021-07-27-01-20-18
WILD TURKEY KENTUCKY SPIRIT Single Barrel 101 Proof
Bottled on 01-14-16
Barrel no. 2830
Warehouse O
Rick no. 2
2016年ボトリング。ややオレンジがかったブラウン。接着剤、香ばしい焦樽、香ばしい穀物、ローストナッツ、コーン、ライスパイス、ブラックペッパー、若いチェリー、ハニーカステラ、ナツメグ、アーモンド。口当たりはややオイリー。パレートは基本的にグレイン・フォワードで、甘みもあるが飲み込んだ直後はかなりスパイシー。余韻はミディアム・ロングで豊かな穀物と共に最後にワックスが残る。

8年101と較べて良い点は口当たりがオイリーでナッティさが強いところでした。悪い点は接着剤が強すぎるのと荒々しい「若さ」があるところ。全体的には、スパイス&グレインに振れたバーボンという印象。また、101プルーフよりも強い酒に感じるほどアルコール刺激を感じます。正直言って8年101の方がマイルドで熟したフルーツ感もあり私好みのバランスでした。
Rating:86.5/100

2020-11-29-18-33-05
WILD TURKEY KENTUCKY SPIRIT Single Barrel 101 Proof(Pewter top)
Bottled on 10-5-95
Barrel no. 63
Warehouse E
Rick no. 47
1995年ボトリング。やや赤みを帯びたブラウン。ヴァニラ、湿った木材、オールド・ファンク、ベーキングスパイス、ブラッドオレンジ、紅茶、タバコ、土、漢方薬、ドライクランベリー、鉄、バーントシュガー。アロマはスパイシーヴァニラ。口当たりは柔らか。パレートはフルーティな甘さにスパイス多め。余韻はハービーで、マスティ・オークが後々まで長く鼻腔に残る。

2016年のケンタッキー・スピリットが若さを感じさせたのに対して、こちらは寧ろ近年飲んでいたマスターズ・キープ17年のような超熟バーボンを想わせる味わいです。今回私の飲んだ8年101と較べても、90年代の8年101と比べても、ハーブぽいフレイヴァーが強く複雑ではあるのですが、あまり私の好みではありませんでした。多分なんですが、10年前に開封して飲めていたらもっともっと美味しかったのではないかなと思います。言葉を変えれば飲み頃を逃したような気がするということです(※追記あり)。
Rating:87.5/100

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Verdict:95年ピュータートップに軍配を上げました。比較として飲んでいた8年101の方が自分好みではあったのですが、やはり特別な味わいではあると思ったし、2016年物は軽く一蹴したからです。


追記:ピューター・トップのケンタッキー・スピリットの熟成年数は、もしかすると10~14年程度だった可能性が示唆されています。本文で記したように、確かに私が飲んだ印象もそんな感じでしたから、それが真実ならば、飲み頃を逃したのではなく元々そういう味わいだった可能性が高いです。

2020-11-06-22-38-58

2020-12-10-20-18-14

Branton Distilling Company KENTUCKY STRAIGHT  BOURBON WHISKEY 93 Proof
Dumped on 5/28/87
Barrel No. 639
Warehouse H on Rick No. 30
今回もバー飲み投稿。この度お邪魔したフストカーレンさんはブラントンズの年代別の取り揃えが多いのを知っていたので、87年ボトリングの物をリクエストしました。マスターが87年をお気に入りと聞いていたのです。その理由はここでは書きませんので気になる方は店に伺った際、直接訊いてみて下さい。開封済みの87年は少し前に飲み干されたそうで、新たなストックを開封して頂きました。
開栓直後のせいか、始めはアロマが立ちませんでしたけど、時間をおくと徐々に開いてきました。焦樽やキャラメルと共に湿った木材調のオールド・ファンクもあります。きっと、もう少し時間をかけると風味は濃密になるのではないかという予想。今後に期待ですね。ブラントンズは比較的液面が低下しやすいバーボンというかコルク栓という印象がありますが、このボトルもそれなりに低下していました。写真のボトルの液面はハーフショットを注いだのみです。けれど特に劣化はなく感じました。
そもそもブラントンズはシングルバレルなので味の一貫性は問われないし、オールドボトルゆえのコンディションの差もあるだろうし、なにより私自身それほどブラントンズの経験値がある訳でもないのですが、基本的に90年代の物より80年代の物の方がオーキーな傾向にあるような気がします。熟成年数が長そうな深みのある味わいと言うか…。ブラントンズのマニアの方はどう思われるでしょう? コメントよりご意見どしどしお寄せ下さい。
Rating:87/100

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メーカーズマーク・プライヴェートセレクトは、メーカーズマーク・カスクストレングスのヴァリエーションとも、メーカーズ46のアップグレード・カスタム・ヴァージョンとも言える製品です。現在、アメリカの多くの蒸留所ではプライヴェート・バレル・プログラムが実施され人気を博していますが、それらはストア・ピックやバレル・ピックとも呼ばれ、酒類販売店、バーやレストラン、或いはバーボン・ソサエティ等が蒸留所の公式リリースとは違った独自の味わいのシングルバレルを顧客に販売することを可能にします。様々な味比べが出来るこの種の試みはバーボン人気を後押しするものと言えるでしょう。メーカーズのプライヴェートセレクトもそういった試みの一つ。しかしメーカーズはシングルバレル・プログラムに関しては他の蒸留所に遅れをとっていました。なぜならメーカーズマークでは熟成中に樽のローテーションを行うため、他の蒸留所のようには熟成庫のロケーションによる味の違いが明確ではないので、単純にシングルバレルを提供するだけではちょっと面白味に欠けるから。そこでメーカーズ46で培った技法を採り入れてバイヤーへ提供することになったのがプライヴェートセレクトです(※メーカーズ46についてはこちらの過去投稿をご参照下さい)。2016年に発表されるや瞬く間に人気となり、多くの小売店が独自のボトルを販売しています。

プライヴェートセレクトのプログラムは、ビル・サミュエルズJrの息子であるロブ・サミュエルズとディレクターであるジェイン・ボウイによって実現されました。先ずはテイスティング・チームを組織すると、メーカーズマーク・カスクストレングスのフレイヴァーをマッピングし、どのフレイヴァーを強調したいのかを決め、それからインディペンデント・ステイヴ・カンパニーに行き、46のようにメーカーズマークに存在する異なったキー・フレイヴァーを増幅するステイヴ作成の協力を仰ぎました。メーカーズマーク蒸留所はメーカーズ46の開発に費やした2年間で自社製品をコントロールする方法についてはかなりの量の知識を得ています。おそらく46での経験を活かし比較的短時間で完成に漕ぎ着けたでしょう。ボウイによると、もともとは8種類の風味増強ステイヴを用意していたそうですが、フレイヴァー・プロファイルの冗長性を最小限に抑えるために、最終的にそれらを五つに戻しました。これらのステイヴは既存のフレイヴァーを増幅すると同時に新しい何かを追加することになっています。プライヴェートセレクト・バレルの購入者は、メーカーズ46に使われているものを含む5種類のステイヴを自由に10枚選択して、1,001の可能な組み合わせの中から好みのフレイヴァー・プロファイルを作成、独自に大胆な味へとカスタマイズすることが出来ます。しかし、それでもその味わいは紛れもなくメーカーズマークに他ならないのでした。

プライヴェートセレクト・バレルを購入するバイヤーは、メーカーズ46の話が説明された後、オークについて、そしてフレイヴァーが木材のどこにあるのかについてレクチャーを受けます。ステイヴに施された加熱の時間や温度に基づいて、どのフレイヴァーを放出するかの概要が示され、オークの生理学的な細胞構造と熱が加えられるとどのような化学変化が起こるのか学ぶのだそう。それが終了したらテイスティングの時間です。
参加者の目前には、ベースラインとして味わうためのスタンダードなメーカーズマーク・カスクストレングスと共に、それぞれ異なるステイヴで仕上げられた五つのサンプルが置かれます。最終製品もバレルプルーフになるので、サンプルも全てバレルプルーフです。グラスの横には「Maker's Mark Private Select」というレクチャーを纏めたような小冊子もあり、有益な情報が後からでも確認出来るのでしょう。このバレルプログラムのために特別に開発された五つのステイヴは互いに非常に異なる香りと味がするとされ、その特徴は以下のようになっています。

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P2(Baked American Pure 2の略)
ベイクド・アメリカン・ピュア2は、五つのうち唯一アメリカン・オークで造られたクラシック・カットのステイヴ。ゆっくり時間をかけて低温にてコンヴェクション・オーヴンで焼かれています。このトリートメントは甘いブラウンシュガー、ヴァニラ、キャラメルなどの甘いノートを引き出すとされ、またシナモンやクローヴなどのスパイスの風味も高め、フィニッシュにドライなオークが現れるとも言います。

Cu(Seared French Cuvéeの略)
シアード・フレンチ・キュヴェは46と同じく赤外線オーヴンで焼かれたフレンチ・オークですが、カットが異なり、ステイヴには溝が切り込まれているためクラシック・カットより22%大きい表面積を持っています。それはジュースと木材の相互作用がより多いことを意味するでしょう。また、溝があるということは、上部(表面)と下部(谷間)では同じ量の熱変換を受けないため、焦がし具合の違いから風味のブレンドが期待されています。この特別なトリートメントはバタースコッチやキャラメル、ローストナッツやバター、若干の渋みを引き出すとされます。

46(Maker's 46の略)
メーカーズ46はもはやお馴染みとなった同ブランドの製造に使用されるステイヴです。Cuと同じく赤外線オーヴンで調理されますが、こちらは更に数分間長く加熱され、溝はありません。これらの違いがCuと46の味を全く異なるものにします。Cuはスイートなのに対し46はスパイシーさを追加するよう設計されました。このトリートメントはクリーミーな感触はなく、ヴァニラやスパイス、強いオーク、ドライフルーツ、若干の苦味を引き出すとされます。

Mo(Roasted French Mochaの略)
ローステッド・フレンチ・モカは、クラシック・カットのフレンチ・オークです。P2と同じくコンヴェクション・オーヴンで調理されますが、P2のような低い温度ではなく高い温度にてトーストされます。通常、華氏500度を超える高温に曝され、クーパーの観点からすると、これはオークが燃え始める前に処理できる最高温度なのだとか。
このトリートメントはダーク・チョコレート、焙煎されたコーヒー、メープル・シロップ、重いチャー・フレイヴァーを高めるとされます。また、通常のカスクストレングスと比較してドライになるが、非常に長いフィニッシュを有し、切れ上がりの味は甘いと言います。

Sp(Toasted French Spiceの略)
トーステッド・フレンチ・スパイスは、コンヴェクション・オーブンで高温と低温の両方で調理された(*)フレンチ・オークのクラシック・カット・ステイヴ。このトリートメントは、スモーク、シナモンやナツメグ、クマリンの風味を高め、味わいはフルーティかつスパイシーで少々渋いとされます。

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バイヤーはこれら五つのサンプルを慎重に試飲して、独自のカスタム・ブレンドを作成するよう奨励されます。例えば、チョコレートの風味が目立つメーカーズを欲するならMoを多く使用するとか、焦樽感がもっと欲しくスパイシーにしたいならSpを多くを使うとか、或いはバランスよく全てのステイヴを使うのも自由自在。とは言え、ヘンテコな物が出来上がらないように?脇には担当者の方がいて、味の方向性が決まれば適切なアドヴァイスをくれるようです。
視覚的に分かり易いようにテーブルにはステイヴの記号が描かれたチップも置かれており、それを並べてどのステイヴが何枚と決めて行きます。チップは一枚につき10mlを表し、選び抜いた十枚で100mlのカスタム・ブレンドのサンプルを造ってもらいます。こうすることで最終的なプライヴェートセレクトの仕上がりと想定されるものを試すことが出来るのでした。ロブ・サミュエルズによれば「皆さんは、最終製品が実験環境で行ったのと同じような味がするかどうかを尋ねますが、それはほぼ正確」で「マウスフィールは少し異なることがあっても、風味の特性は全く同じ」だと言います。
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ステイヴの組み合わせが決まったら、次はメーカーズマークの原酒をステイヴの挿入された樽へと満たす工程です。追加される10枚のステイヴは、バーボンと接触する木材の表面積を約33%増加させるとされ、実験を通じて最適な数として決定されました。典型的なバーボン樽は概ね32のステイヴで構成されていますが、プライヴェートセレクトの追加ステイヴはバレル・ステイヴよりは短くとも両面がトーストされているため、ジムビームの「ダブルオーク(トゥワイス・バレルド)」やウッドフォード・リザーヴの「ダブル・オークド」のような新樽で二度熟成させる製品と同じ位の効果があるのかも知れません。約6年ほど熟成した原酒でいっぱいに満たされた樽は、メーカーズ46の需要増への対応とプライヴェートセレクトのバレルを熟成させるために特別に設計されたライムストーン・セラーで、およそ9週間ほど眠りにつきます。そして熟成が終わると、通常のカスクストレングスと同じように、主にバレルのチャー残渣を除去する軽い濾過を経てボトリングされ完成です。言うまでもなく、カスクストレングスでのボトリングなので樽ごとに違いが出ますが、概ね55%前後のABVになります。各バレルは750mlのボトルをおよそ240本ほど産出し、同社は一本あたり約70ドルでの小売価格を提案。プライヴェートセレクト・バレルの費用は約13000ドルだとか。

蒸留所では自らのプライヴェートセレクトのボトリングもしています。代表的なそれは「Bill Samuels Jr.」と呼ばれ、メーカーズ46を産み出した当の本人でありメーカーズマークの前社長にちなんで名付けられました。故にそのシグネチャー・フレイヴァーを増幅するためステイヴのセレクトは46を10枚使用しています。つまりメーカーズ46のカスクストレングス・ヴァージョンという訳です。
また、メーカーズのウッド・フィニッシュ・シリーズはプライヴェートセレクト・プログラムだけに留まりません。2018年には「Maker's Seared Bu 1-3」というより実験的な「第二世代」のステイヴを使った製品が蒸留所限定で販売されました。これは375mlボトルで約40ドル、僅か1400本だけの提供です。そのステイヴは「virgin seared & Sous-Vide French oak」だと言います。「Sous-Vide(スゥヴィド)」はフランス語で「真空」の意。近年、料理の世界で真空調理法というのが注目されているようですが、木材を真空調理?って一体どんなことをしているのか、私には想像も付きません。実験の結果、このステイヴは美味しいバーボンを産み出したものの、プライヴェートセレクト・プログラムの他のステイヴを完全には補完しないため、蒸留所はこれを生産するプランはないけれど、メーカーズのDNAから生まれた愛するウィスキーを共有したいと考えて販売したそうです。
2019年9月からは、メーカーズマーク初となるアメリカ国内で全国配給される限定リリースのウッド・フィニッシング・シリーズが発売され始めました。第一段は「ステイヴ・プロファイル RC6」となっています。RCは「Research Center」の略で、そこの6番目のステイヴという意味です。リサーチ・センターというのは、メーカーズと共同して木材の実験を執り行うインディペンデント・ステイヴ・カンパニーの研究機関?か何かだと思います。RC6は屋外で一年半ほど乾燥させたアメリカン・オークをコンヴェクション・オーヴンでトーストしたステイヴで、主にスタンダードなメーカーズマークに存在するフルーツを引き立て、ベーキングスパイスやクラシックな甘さを向上させ、ブライトなフィニッシュになるそうな。正確なカウントではないらしいですが、だいたい255樽のスモール・クオンティティでの生産だそうです。おそらくこのシリーズは今後も、ワイルドターキーのマスターズキープのように年次リリースされて行くのでしょう。小売価格は約60ドルです。
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では、そろそろ今回レヴューするプライヴェートセレクトの出番です。こちらは「うきうきワインの玉手箱」という酒販店のセレクト。「玉手箱」という響きが気に入って買ってみました。スパイシーさを強調したセレクトになっているようです。

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Maker's Mark Private Select Stave Selection by Tamatebako 111.3 Proof
46 × 2
Mo × 4
Sp × 4
香ばしい焦げ樽、オールスパイス、タバコ、ドライクランベリー、レーズン、焦がし砂糖→プリンのカラメルソースの濃ゆいやつ、コーヒー、タバコ。焦樽の香りに僅かに酸っぱい香りが混じる。ややオイリーなマウスフィール、もしくはミルキー。パレートはメーカーズらしい酸味が感じられる。飲み込んだあとのスパイシーさはかなり強め。余韻には昆布も。テイスティング・グラスよりショット・グラスで飲むほうが美味しかった。
Rating:86.25/100

Thought:通常の46やカスクストレングスと較べて、よりねっとりとした舌触りであり、フレイヴァーが濃密な印象で、取り立ててオーヴァーオークな感じもせず、香ばしさが引き立てられていると思いました。パレートで感じる香味は確実に複雑ですが、反面、全体的にドライな傾向も強いのが個人的にはマイナス。口蓋で感じる強いスパイシーさや、余韻の苦味が退けた後にほんのり甘さが現れるあたりが、「大人な」メーカーズマークを目指したであろう本品の良さと言えます。ただ、もう少し分かりやすい甘味が余韻にあるほうが自分には好みなので、この評価でした。

Value:プライヴェートセレクトと言うか、ウッド・フィニッシュ・シリーズは、メーカーズ原酒の持つフレイヴァーをアンプリファイドした製品なので、例えば通常のカスクストレングスが6500円、プライヴートセレクトが7500円とすると、1000円が増幅代(手間賃)な訳です。ここに価値を見出だすかどうかが評価の分かれ道だと思います。もっと言うと、実際に飲んでみるまで通常のカスクストレングスより美味しいのか美味しくないのかが判らないギャンブル要素があるのに、少しだけ高い値段となるのがポイントなのです。1000円のギャンブルを安いと思うか高いと思うかはその人次第。結局のところ自分で飲むしか購入価値の判断が出来ないことがプライヴェートセレクトの欠点でもあり面白味でもあるでしょう。とは言え、概ね美味しくはなっていると思いますし、また幾つかのプライヴェートセレクトを飲んでみてステイヴ・セレクションが自分の好みに合ったリカー・ストアを見つけてしまえば、1000~1500円程度でのアップグレードは安いと言わざるを得ない「大きな価値」になります。


*一部の情報では、このステイヴのみ二つのトリートメントを組み合わせており、最初に高温の赤外線オーヴンで焼き、そして次にコンヴェクション・オーヴンへ移して低い温度で調理される、と説明されていました。真偽が判らなかったので、ここではメーカーズの公式ホームページでの説明がコンヴェクション・オーヴンの高温と低温とされていたため、そちらの説を採用しています。

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ノブクリークは92年の発売以来ジムビームのスモールバッチ・コレクションの中でも人気が高く、クラフト・スピリッツ市場が大きく成長するのに適応して、現在では様々なヴァリエーションを提供しています。オリジナルのストレート・バーボン以外に、近年著しい復活を遂げたカテゴリーのライウィスキーや、フレイヴァーを加えたスモークド・メープル、その他に限定リリース等もあります。そして今回レビューするシングルバレル・リザーヴは2010年から発売されました。

シングルバレルとスタンダードとの違いはいくつかあります。先ず名前の通りシングルバレルであること。おそらくスタンダードのノブクリークはスモールバッチとは言っても、大規模蒸留所のスモールバッチなので、だいたい300バレル程度でのバッチングではないかと予想されます。対してシングルバレルは1つの樽のみですから、そもそもバレルピックの段階で多少なりともクオリティの高い樽を選択している可能性はあるでしょう。また、オリジナルのノブクリークはエイジ・ステイトメントが消えてしまいましたが、シングルバレルは今のところは9年熟成を守っています。そして個人的に一番重要と思うのは、スタンダードより10度もアルコール度数が高いことです。ジムビーム蒸留所のエントリー・プルーフは125プルーフとされていますので、シングルバレルの120プルーフというのは、限りなくバレルプルーフに近い数値です。これはハイアー・プルーフ愛好家には嬉しいスペック。その他のレシピや蒸留プルーフ、樽材やチャーリング・レヴェルなどに特別な違いはない筈です。では飲んでみましょう。

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KNOB CREEK SINGLE BARREL RESERVE 120 Proof

推定2016年ボトリング。香ばしい焦樽、スモーク、カシス、ブラックベリー、シナモンパウダー、煮詰めたリンゴジュース、僅かに焼きトウモロコシ、微かに爪の垢、ココア。思いの外キャラメル系の甘い香りがせず、焦樽フルーツ系のアロマ。オイリーな口当たり。後味にメープルシロップのような甘さが残り、余韻は豊かなナッツと絵の具。
Rating:87/100

Thought:スタンダードなノブクリークよりも度数のせいかシングルバレルだからか、少し複雑さはあります。個人的にはもう少し甘味があって欲しかったのですが、一滴加水すると甘味とフルーティさをより感じ易くなり、樽香が一瞬香水のようにも感じられました。シングルバレルゆえの個体差もあるでしょうが、もしかすると現行の買いやすいジムビーム製品では一番美味しいかも知れない。

Value:日本だと販売店によっては店頭価格にスタンダードなノブクリークとの差があまりないことがあります。その場合にはシングルバレルを選ぶほうが確実にお得でしょう。 アメリカでは40ドル前後、日本では5000円前後が相場で安いと4000円代前半。仮にスタンダードが4000円、シングルバレルが5500円としても、単体で見ると少し高い気もしますが、同じジムビームのスモールバッチの他製品と較べるとお買い得感はあり、差額1500円分の価値はあるような気がします。

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イーグルレアは現在バッファロートレース蒸留所のライ麦少なめのマッシュビル#1から造られる90プルーフ10年熟成のバーボンです。このマッシュビルは同蒸留所の名を冠したバッファロートレースの他、コロネルEHテイラー、スタッグ、ベンチマーク等にも使用されています。価格やスペックから言うとバッファロートレースより一つ上位のブランド。

イーグルレアは、元々はシーグラムが1975年に発売したシングルバレルではない101プルーフ10年熟成のバーボンでした。既に人気のあったワイルドターキー101を打ち倒すべく作成され、鳥のテーマとプルーフは偶然ではなく敢えてワイルドターキーに被せていたのです。「CARVE THE TURKEY. POUR THE EAGLE.(七面鳥を切り分け、鷲を注ぐ)」と云う如何にもな1978年の広告もありました。この頃の原酒には、当時シーグラムが所有していたオールドプレンティス蒸留所(現在のフォアローゼズ蒸留所)のマスターディスティラー、チャールズ・L・ビームが蒸留したものが使われています。
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時は流れ、サゼラック・カンパニーは1989年にシーグラムからイーグルレア・ブランドを購入しました(同時にベンチマークも購入)。その時のサゼラックはまだ蒸留所を所有していなかったので、数年間だけ原酒をヘヴンヒルから調達していたと言います(*)。しかし最終的には自らの製品を作りたかったサゼラックは1992年に、当時ジョージ・T・スタッグ蒸留所またはエンシェント・エイジ蒸留所と知られる蒸留所を買収し、後にその名称をバッファロートレース蒸留所に変更します。2005年までは発売当初と同じ熟成年数、プルーフ、ラベルデザインで販売され続けますが、この年にイーグルレアは大胆なリニューアルを施され、シングルバレル製品、90プルーフでのボトリング、そして今日我々が知るボトルデザインに変わりました。

一旦話を戻しまして、所謂旧ラベル(トップ画像左のボトル)について言及しておきましょう。イーグルレア101のラベルは、文言に多少の違いはあっても、会社の所在地表記で大きく三つに分けることが出来ます。
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先ずは左のローレンバーグ。これが書かれているものはシーグラムが販売し、現フォアローゼズ蒸留所の原酒が使われていると見られ、発売当初から89年までがこのラベルではないかと考えられます。熟成もローレンバーグで間違いないと思われますが、もしかするとボトリングはルイヴィルのプラントだった可能性もあります。次に一つ飛ばして右のフランクフォート。これが書かれているものは現バッファロートレース蒸留所の原酒が使われているでしょう。で、最後に残したのが真ん中のニューオリンズ。これが少し厄介でして、おそらくラベルの使用期間は90年から99年あたりではないかと思われますが、ニューオリンズはサゼラックの本社がある場所なので、蒸留やボトリング施設の場所を示していません。ローレンバーグやフランクフォートにしてもそうなのですが、「Bottled」と書かれてあっても「ボトリングした会社はドコドコのナニナニです」と言ってるだけです。このニューオリンズと書かれたラベルは理屈上、初期のものはフォアローゼズ産、中期のものはヘヴンヒル産、後期のものはバッファロートレース産、という可能性が考えられます。それ故、生産年別で原酒の特定をするのはかなり難しいです。これは飲んだことのある方の意見を伺いたいところ。ちなみに90年代には日本市場だけのために作られたイーグルレア15年107プルーフというのもありましたが、そのラベルの所在地はニューオリンズでした。これは一体どこの蒸留所産なのでしょうね。
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また、他にも後にバッファロートレース・アンティークコレクションの一部となるイーグルレア17年が2000年に発売されていますが、これは別物と考えここでは取り上げません。

さて、2005年にリニューアルされたイーグルレアはトップ画像右のボトルと大体同じだと思います。躍動感のある鷲がトール瓶に直接描かれるようになり、ネックに10年とあり、ちぎれた旗?のようなものにシングルバレルとあります。そしてトップ画像真ん中のボトルが2013年もしくは14年あたりにマイナーチェンジされた現行品です。おそらく段階的な変化があったと思いますが、この二者の主な相違点は、ネックにあった10年熟成のステイトメントがバックラベルに移り、シングルバレルの記述が完全に削除されたことの2点です。そうです、イーグルレアは現在ではしれっとシングルバレルではなくなっていたのでした。ただし、これには訳がありまして、バッファロートレース蒸留所に高速ボトリング・ラインが導入されたことにより、一つのバレルから次のバレルに切り替わる際、或るボトルには2つの異なるバレルのバーボンが混在してしまう可能性があり、技術上シングルバレルと名乗れなくなってしまったのだそうです。つまり現行イーグルレアはシングルバレル表記なしとは言っても、ほぼシングルバレル、準シングルバレルであり、もし味が落ちてると感じたとしても、それはシングルバレルでなくなったからではなく別の理由からだ、と言えるでしょう。そこで、今回は発売時期の異なるイーグルレア90プルーフ、シングルバレルとほぼシングルバレルの2つを飲み比べしてみようと言うわけです(旧イーグルレア101はおまけ。昔飲んだ空き瓶です)。

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目視での色はかなり違います。画像でもはっきりと確認できる筈。右シングルバレルの方はオレンジアンバーなのに対し、左ほぼシングルバレルの方はダークアンバーです。

Eagle Rare 10 Years 90 Proof
推定2015年前後ボトリング。並行輸入品。苺のショートケーキ、チャードオーク、シトラス、グレープジュース、焦がした砂糖、夏の日の花火、蜂蜜、土、麦茶。甘いアロマ。ソフトな酒質。余韻はややドライで、それほど好ましい芳香成分が来ない。
Rating:85.5/100

Eagle Rare Single Barrel 10 Years 90 Proof
推定2010年前後ボトリング。正規輸入品。ドライマンゴー、オレンジ、苺のショートケーキ、僅かに熟れたサクランボ、小枝の燃えさし、ビオフェルミン、カビ。全てにおいてフルーティ。ソフトなテクスチャー。余韻に爽やかなフルーツとアーシーなノート。
Rating:86.5/100

EAGLE RARE 101 Proof
推定2000年ボトリング。飲んだのが昔なので詳細は覚えてないが、上記二つとはまったく別物と思っていい。フルーツ感はあまりなく、もっとキャラメルの甘味と度数ゆえの辛味があって、ソフトよりストロングな味わいだった。原酒は多分バッファロートレースだと思う。ヘヴンヒルぽいテイストではなかった気がする。昔好きで飲んでいたので、俗に云う思い出補正はあるかも。
Rating:88/100

Verdict:101プルーフの物はおまけなので除外するとして、個人的にはフルーティさが強く余韻も複雑なシングルバレルの方を勝ちと判定しました。ライ麦が少なめのレシピでここまでフルーツ感が強いバーボンはやはり特別なのではないかと。ほぼシングルバレルの方も素晴らしいアロマを持っているのですが、どうも余韻が物足りなく感じまして。大抵の場合、色が濃いほうが風味が強く、美味しいことが殆どなのですが、この度の比較では逆でした。熟成は奥が深いですね。

Value:イーグルレアは、アメリカでは30ドル以下で買えるシングルバレルとして、生産量の多さ=流通量の多さ=入手の容易さも魅力であり、更にプライベート・バレル・プロジェクトもあるため、絶大な人気があります。しかし正直言って、日本では5000円近い値札が付く店もあり、その場合はかなりマイナスと言わざるを得ません。個人的には半値近い金額でバッファロートレースが買えるのなら、そちらを2本買うでしょう。けれど、たまにの贅沢でなら購入するのは悪くないと思います。また、同じバッファロートレース蒸留所産で、異なるマッシュビル(ライ麦多めの#2)を使用したシングルバレル・バーボンであるブラントンズの現行製品が5000円なら、イーグルレアを選択するのが私の好みです。


*有名なバーボン・ライターのチャック・カウダリーは、この時期はボトリングもヘヴンヒルだったのではないかと示唆しています。

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FOUR ROSES SINGLE BARREL 43%alc/vol
BARREL No. 9-26-95A
DATE 12-7-04
現行の物とはボトル形状もラベルデザインも度数も異なる昔のフォアローゼズシングルバレル。おそらく90年代終わり頃から2000年代初頭にヨーロッパに流通していたものではないかと推測します(仔細ご存じの方はコメントからお知らせ下さると嬉しいです)。首に付いている小冊子によると、最低でも7年は熟成され、スパイシーなキャラクターとフローラルなノーズと僅かにドライでデリケートなフィニッシュを有したバレルを、当時のマスター・ディスティラー ジム・ラトリッジが自らセレクトし、一樽一樽の個性や熟成年数の違いを楽しむ機会を我々に提供するのがシングルバレルの意図だという旨が書かれています。
本ボトルはDATEによると9年熟成。10種のレシピのうちの何なのかは記載されてません。せめてEかBどちらのマッシュビルかぐらいは教えて欲しかったですが、それ以前に、フォアローゼズが2マッシュビル×5イーストで作り始めたのって何時のことなんでしょうか? これまたご存じの方はコメントから教えて下さると幸いです。まあそれは措いて、レビューへ。

樽香、穀物臭、ライ由来のスパイス香、蜂蜜、軽いシトラス、僅かにビターチョコ、余韻にややミンティな気配。だいたい同じ時期のブラックラベルと較べて、どうも甘い香りが少なくスパイシーなアロマに感じる。確かに味わいもドライ。大人味のフォアローゼズと言った感じ。味わいから察するにBマッシュビルだと思う。正直、私ごときではフローラルまでは嗅ぎ取れず、個人的にはブラックの甘くフルーティなアロマの方が好み。
Rating:84/100

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