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(画像提供K氏)

現在、絶大な人気を誇るブランドとなったブレットは、次第にそのラインナップを拡張して来ました。スタンダードなバーボンから始まり、2011年からはライ・ウィスキー、2013年からは10年熟成のバーボン、2016年からはバレル・ストレングス、2019年からはシングルバレル・バーボン、また同年には12年熟成のライ、そして2020年にはブレンダーズ・セレクトがリリースされると言った具合です。
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今回取り上げるバレル・ストレングスは、当初はディアジオ所有であるルイヴィルのスティッツェル=ウェラー蒸留所のギフト・ショップやケンタッキー州のみでの販売でしたが、その後徐々に全国的に販路を拡げて行きました。ネット上で流布している情報では、同社の他の製品と同様、ハイ・ライ・マッシュビル(コーン68%、ライ28%、モルテッドバーリー4%)を使用しているとされていますが、レシピに関しては後述します。他のスペックは、NAS(5〜8年熟成のバーボンのブレンド)、無加水、ノンチルフィルタード。スティッツェル=ウェラーの倉庫で熟成、そこの施設でのボトリングとされています。小売価格は概ね750mlのボトルで50ドル前後。バレル・ストレングスはこれまでに幾つかのバッチがリリースされており、それぞれのプルーフは120プルーフ(60%ABV)前後となっています。ネットで調べられる範囲で見つかったのには以下のようなバッチがありました。

バッチ#なし、59.5%ABV(119.0プルーフ)
バッチ#なし、59.6%ABV(119.2プルーフ)
バッチ#2、62.7%ABV(125.4プルーフ)
バッチ#3、61.7%ABV(123.4プルーフ)
バッチ#4、61.7%ABV(123.4プルーフ)
バッチ#5、62.7%ABV(125.4 プルーフ)
バッチ#6、58.3% ABV(116.6プルーフ)

基本的にブレットは販売しているウィスキーの原産地を開示していません。ブレット・フロンティア・ウィスキーの歴史は調達と契約蒸留の歴史であり、ソースが分かっている物とそうでない物がありますが、バレル・ストレングスは分からない方に属します。一応、念の為にここらでブレットの来歴をお浚いしつつ、原酒の変遷を見て行きましょう。これは以前投稿したブレット10年のレヴューで纏めたブランドの歴史を補足するものです。

ブレット・ブランドの創設者トーマス・E・ブレット・ジュニアことトム・ブレットは、ルイヴィルで生まれ育ちました。小学校は聖フランセズ・オブ・ローマ学校、高校はトリニティ・ハイスクールに通いました。いつの時代か明確ではありませんが、本人によればバーンハイム蒸留所で働いていた(バイト?)と言います。トムは1966年にケンタッキー大学を卒業した時、「第二次世界大戦の退役軍人で、非常に真面目な人」だった父親に将来マスターディスティラーになりたいと告げました。しかし父親は「いや、お前はそうじゃない、軍隊に入るんだ」と答えました。それまで「パッとしない学生」だったトムは、「軍隊は君を成熟させる」と世に言われるように、実際そこへ入ってみるとその通りになったようです。また彼の父親は「お前は弁護士になれ」とも伝えていました。今では若くとも、もっと自由に職業を選べる時代ではありますが、トムは「私の世代では父親の言うことを聞いていた」と語っています。
トムはベトナムでの兵役中、LSAT(※エルサット=「Law School Admission Test」の略。法学を専門とするロースクールに入学する際に受ける入学試験)を受験し、一回目の受験で好成績を収めました。1969年に海兵隊を名誉除隊すると、ルイヴィル大学のブランダイス・スクール・オブ・ローに入学し、その後ワシントンDCのジョージタウン大学に進学、そしてレキシントンで法律事務所を開設するまで米国財務省に勤務したそうです。しかし、法律の実務経験を積む中でもトムのバーボンを造りたいという想いは途切れることがありませんでした。最終的にスピリッツ・ビジネスの開始を決めた時には、例の父も「それはお前と銀行家との間の問題だ」と言ったとか。

1987年、ブレット・ディスティリング・カンパニーを設立することにより、トム・ブレットは蒸留酒業界へと足を踏み入れます。古い家族のレシピによるウィスキーを復活させるのが念願でした。それは1830〜1860年にかけてルイヴィルのタヴァーン店主だったという曾々祖父のオーガスタス・ブレットが造っていたとされるライ麦が高い比率を占めるウィスキーを指しています。彼は1860年頃、フラットボートに樽を一杯に載せ、ケンタッキーからニューオリンズへとオハイオ・リヴァーを下り売却に向かう輸送中、行方不明となり帰っては来ませんでした。それでもオーガスタスが造ったウィスキーのレシピはトムに伝わっていました、と。これが今日マーケティングで広く使用される創業当初の物語です。しかし、オリジナルのブレットは今のブレットとは大きく異なり、そもそも家族の歴史を殊更持ち出してはおらず、代わりに別のケンタッキーの遺産である競走馬をフィーチャーしていました。その最初のブランドは1989年に「サラブレッド・ケンタッキー・バーボン(NAS、86プルーフ)」として市場に送り出されます。このラベルはバーボンによくありがちなデザインで、ボトルにしても他のブランドにも採用される伝統的なものでした。おそらく数年(89〜92年?)しか流通しておらず、販売量も少なかったと思います。当時のアメリカ国内のバーボン需要を考慮すると、日本市場での販売を主目的としていた可能性もあるでしょう。
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ブランドは1992年に「サラブレッド」から「ブレット」に変更されました。トムの娘のホリス・B・ワース(*)によると、自分がアイディアを出したと主張しています。「彼(トム)はウィスキーを調達していたので、もう少し目印になるものを付けたいと望んでいました。そこで私は『ブレット』という名前を付けるべきだと言いました。なぜ私達(家族)にちなんで名付けないの?」と。しかし、トム自身からは全く異なる説明がなされており、彼は1992年に日本貿易振興機構の後援で日本を訪れた時、ブランド名について考え直し始めたと言います。「私はサラブレッド(バーボン)と一緒にそこに行きましたが、彼らから受けたアドヴァイスは、それがあまりにも地味過ぎ、あまりにも一般的過ぎ、高級感が足りていない、ということでした」。そこで彼はアメリカへ戻ると、当時メリディアン・コミュニケーションズにいたフラン・テイラーのもとに相談しに行きます。トムは彼女とそのデザイナーに、より良いパッケージを考え出し、彼が既に用意していたボトルに合わせてラベルをデザインするよう依頼しました。この打合せ時にフランからバーボンの名前をサラブレッドからブレットに変更する提案を受けたそうです。 フランは、「私が最初にそれを言いました。相手の気持ちを傷つけるのではないかとヒヤヒヤしましたが、ブレットは素晴らしい名前だったので、なぜブレットにしないのでしょう?って」と述べています。「そして、私が彼に会う度に大勢の人と一緒にいるような時には、私をブレット・バーボンに名前を変えるよう説得した人物だと紹介してくれます」とも。

そのブレット家の名を冠したオリジナルのバーボンは、1995年に初めてリリースされたと見られています。90プルーフのスタンダードな物と、100プルーフで「サラブレッド」の文字と馬のスケッチがラベルに含まれたより上位の物の二種類がありました(上掲画像参照)。これらはエルマー・T・リーやウェラー・センテニアルによって有名になったスクワット・ボトルに入っていました。日本にはブレット・サラブレッドの方のみが輸入されていたと思われます。ここまでのブレットの原酒はフランクフォートのエンシェント・エイジ蒸留所(現バッファロー・トレース蒸留所)が契約蒸留しているとされ、ボトリングも同所でされているでしょう。トムによると、当時の蒸留所施設内に彼のオフィスがあったそうなので、業務提携というのかベンチャー企業というのか、そういうビジネス形態だったようです。ただ、この頃のブレットを飲んだアメリカの或る方は、ダスティ・オールド・チャーター7年を想い起こさせ、おそらく同じバーボンだろうと言っていました。もしそれが正しいのであれば、樽買いの可能性もあるのかも知れません。エンシェント・エイジ蒸留所とオールド・チャーターを造っていたルイヴィルのバーンハイム蒸留所は長い間親会社がシェンリーという共通項があり一種の親戚関係のような間柄でしたから、在庫の共有のようなことをしていた可能性も考えられるのではないかと…。飲んだことのある皆さんはどう思われましたか? コメントよりお知らせ頂けると助かります。まあ、それは偖て措き話は続きます。

ブレット・バーボンがリリースされて間もなく、トム・ブレットは当時世界最大のスピリッツ会社の一つであったシーグラムからアプローチを受けます。聞くところによると、シーグラムは西部開拓時代をモチーフにしたバーボンをリリースすることを望んでおり、そのためのブランドを模索していたらしい。当初は、西部劇と言えば銃ですから弾丸を意味する「Bullet Bourbon」という名称を予定していたものの、弾薬や銃器を連想させる酒類を販売することは広報上よろしくないと判断し取り止めます。次にケンタッキー州ブリット郡にちなんで「Bullitt Bourbon」はどうかと考えていました。そこへひょっこりと現れたのが「bulleit Bourbon」で、シーグラムは小さなブランドであるブレットの存在を知ると、単純に確立された商標を購入する方が楽だと考えたと云うのです。大企業シーグラムと優秀なビジネスマンのトム、両者の思惑が一致したのでしょうか、1997年にブレット・ディスティリング・カンパニーはシーグラムに買収されました。シーグラムはトムをコンサルタントとして雇い、ブランドの顔となるアンバサダーとしての契約もオファーしたようです。ブレットというブランドにとってトムは常に重要な存在でした。彼はレシピについては生産者と、ブランドのメッセージ性や外観については広告代理店やデザイン会社と協力し、マーケティングおよびパッケージングを完成されたものにして行きます。

現在のブレット・ブランドの目覚ましい成果は、トムは勿論、後のディアジオの力が大きく与っているかも知れませんが、バーボン市場での立ち上げとポジショニングはシーグラムに関連した人々によるものでした。トムが自身の会社をシーグラムに売却した翌年、新しい親会社はブランドのニュー・コンセプトを開発するプロジェクトに着手することを決定します。シーグラムに雇われた元DDB(ドイル・デイン・バーンバック)の共同アート・ディレクターであったジャック・マリウッチとボブ・マッコールはトムと協議を繰り返しました。そこで出てきたのがトムの祖先の物語であり、それをトム自身の物語とフロンティア・ウィスキーのコンセプトに重ね合わせるという手法でした。祖先というのは前出のオーガスタス・ブレットのことです。その起源の物語はバーボンのテーマである「フロンティア・ウィスキー」をアピールするためのマーケティング上の言葉の綾、おそらくはフィクションでしょう。19世紀にブレット・バーボンが市場に出回っていたかどうかは、彼らには関係のないことでした。トムの提案は、このブランドの起源がオーガスタス・ブレットにあること、そしてブランドの信頼性が高ければこのブランドは勝者になれること、この二点です。シーグラムの上層部はそれに全面的に同意しました。バーボンは昔から「伝統」が強調されて来た商品です。そのためマーケターにはブランドのレシピが大昔に遡ると主張することで関連性と信頼性を示したいという誘惑が常にあります。多くの殆どの消費者は、ブランドの歴史や背景にはあまり関心がなく、細かいことは気にしません。耳触りの良い興味を惹くようなストーリーがちょっと聴ければ十分なのです。そこでマーケターは物語を誇張したり改竄したりと知恵を絞る訳ですが、あまりやり過ぎはよくありません。特に実在の人物についてそれをやる場合はリスクを伴います。後に、第三者による系図の調査により、オーガスタスの経歴に関する主張は、マーケティングのプロが作り出したホラ話であることがほぼ証明されました(**)。まあ、それは措いて、話は現在も維持されている新生ブレットのボトル・デザインに移ります。

シーグラムはボトルのための第一候補となるデザイナーを探す網を世界中に張っていました。ドイツでもブラジルでも、世界のあらゆる場所で探したそうです。そして最終的に、デザイナーにはオレゴン州ポートランドのサンドストロム・パートナーズのスティーヴ・サンドストロムが選ばれました。サンドストロムはジャック・マリウッチから連絡を受け、彼とそのパートナーのボブ・マッコールがフロンティア・ウイスキーを中心に考え出したコンセプトについて話されたと言います。彼らはトムの名前、彼の物語、家族の起源の物語、それら全てがフロンティア・ウィスキーのコンセプトにとてもよく合っていると思っていました。サンドストロムの仕事は、パッケージにそのストーリーを反映し、実現させることでした。彼はまた、コンサルティング業務に携わっていたトム・ブレットとも会います。サンドストロムはケンタッキーに赴くと、トムは彼をウィスキー博物館と幾つかの蒸留所を連れ回ってバーボンについて教えてくれたそう。しかし、現在生産されているブレット・バーボンの高度な様式美を誇るボトル・デザインの主なインスピレーションとなったのは、オレゴン州の骨董品店で見つけた古いボトルでした。サンドストロムはその「クレイジーで奇妙な楕円形の物」を見て、エンボス加工を施して下の方にラベルを貼ろうと思い付きました。これは本当に一風変わって見えるだろうな、と。 また、彼は当初ボトルの色をダーク・オリーヴ・グリーンにすることを想定していました。その方がユニークなオレンジ色のラベルが映えると考えたからでした。しかし、シーグラムは消費者がウィスキーの色を確認できるように考慮して透明なガラスを使用することにします。こうして、ボブ・マッコールが中心となって考えられたフロンティア・ウイスキーのコンセプトは、オールド・ウェストの薬屋やスネイク・オイル・セールスマンが薬を売るために使っていたアポセカリー・ボトルを模した形状に「ブレット・バーボン」と「フロンティア・ウィスキー」の文字をエンボス加工したボトル、わざと斜めに貼られたラベル等によって完璧に体現され、パッケージは完成しました。
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見た目を一新したブレット・バーボンは1999年にアメリカ市場に導入されました。2000年にはオーストラリア、イギリス、ドイツに導入されたそうです。中身に関しては、おそらくエンシェント・エイジ蒸留所で生産されていたバレルがなくなった後、当時シーグラムの所有していたローレンスバーグのフォアローゼズ蒸留所の原酒に切り替えらました。

それまで順調に帝国を築いて来たシーグラムも、90年代に手を染めていたエンターテイメント事業の収益が上がらず、メディア事業の拡大を進めていたフランスの企業ヴィヴェンディと合併、2000年12月、シーグラムの事業は終わりを迎えます。酒類部門の資産はイギリスのディアジオとフランスのペルノ・リカールによって分けられ、2001年にディアジオはブレットを含む有名なブランドを買収し、シーグラムからトム・ブレットのコンサルティング契約とロイヤリティ契約を継続して更新しました。 また、彼らはフォアローゼズ蒸留所との契約も延長し、ブレット・バーボンの供給元として存続させます。
オールド・ウェストなスタイルのボトルを採用していたためか、HBOで2004年3月21日から2006年8月27日にかけて放送された1870年代のデッドウッドを舞台とした人気シリーズ、その名も『デッドウッド』という西部劇TVドラマのエピソードにブレットは登場し(他にもベイゼル・ヘイデンズやオールド・ウェラー・アンティークが使われた)、知名度を高めて販売を促進したと言います。ディアジオもシーグラムに倣い、ブレットを家族経営の会社に見せるための多大な努力をして来ました。架空の起源の物語を相変わらず使用し、もしかするとより上手く誇張したかも知れません。優秀なビジネスマンのトムはアンバサダーとして精力的に各地を宣伝して回りました。バーテンダーから高い支持を得たブランドは今日、著しい成長をみせ、世界で四番目に大きいバーボン・ブランドになったとされています。

では最後にもう一度、原酒の話を。フォアローゼズ蒸留所は10年以上ブレットのソースであり続けました。ディアジオは他のブランドのために複数の蒸留所から原酒を購入していましたが、ブレット・バーボンには2013年末までフォアローゼズ蒸留所が唯一の供給元だったと推定されています(2014年3月で終了という説もあった)。フォアローゼズ蒸留所は低迷期にNDP(非蒸留業者)に相当量のバーボンを供給していたと見られ、ディアジオは最大の顧客だったのかも知れません。しかし、キリンが2002年にフォアローゼズを買収してからは自社のバーボン人気が徐々に成長し、ブレットも需要が高まったため供給が難しくなった、それがディアジオとの契約を更新しなかった理由でしょう。おそらくラベルにローレンスバーグの記載のある物は、原酒がフォアローゼズ産100%で間違いないと思います。
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現在のブレット・バーボンを誰が造っているのかは公開されていません。ブレット10年だと、熟成年数を考慮すれば単純計算で2023年まではフォアローゼズ産の確率は高い。問題はスタンダードなボトルやシングル・バレル、そして今回レヴューするバレル・ストレングスです。ディアジオはブラウン=フォーマンと長年に渡り蒸留契約を結んでいるとか、またバートンやジムビームもディアジオにバーボンを供給していると噂されています。一説にはジムビームだと言う人もいれば、一説にはジムビーム、バートン、フォアローゼズのミックスだと推測する人もいます。そこへ今後は2017年シェルビー・カウンティに設立した新しい蒸留所の原酒も加わって来るのかも知れません。何の目的か今のところよく分かりませんが、ディアジオは更にマリオン郡レバノンにもファシリティを建てています。
では、そろそろバーボンを注いでみましょう。日本では一般流通していないブレット・バレルストレングスを試飲できるのは、バーボン仲間のK氏からサンプルを提供してもらったおかげ。画像提供も含め、この場を借りてお礼を言わせてもらいます。今回もありがとうございました。バーボン繋がりに乾杯!

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BULLEIT BOURBON BARREL STRENGTH 119.2 Proof
推定2016年ボトリング。バレルプルーフにしては薄めの色合い。香ばしい穀物、ライスパイス、木質の酸、クッキー、白胡椒、ドライオーク、生姜、弱い柑橘類、うっすらナッツ。グレイニー&スパイシーなアロマ。口当たりはバレルプルーフに期待するオイリーさには欠け、僅かなとろみくらい。飲み口は暴れる系、液体を飲み込んだ直後もガツンと強烈。余韻はライの穀物感と木材のドライネスで、さっぱり切れ上がる。
Rating:84.5/100

Thought:かなりライ・ウィスキー寄りのバーボンという印象。まあ、それ自体はいいとしても、どうもフルーツ・フレイヴァーが弱くスパイシーな傾向に偏っていて、私の好みではありませんでした。もしかすると、もう少し時間を経過させるとアルコール感が減少してフレイヴァーを取りやすくなるのかも知れません。一応その代わりに一滴だけ水を垂らしてみたのですが、フレイヴァーに変化は感じられませんでした。本当に5〜8年も熟成してるの?と言うぐらいメロウさにも欠け、以前飲んだブレット10年の方が断然香りも味わいも芳醇です。他のバッチの海外のレヴューを読むと、これよりもう少し美味しそうに思えたのですが、このバッチは比較的低評価が多いように見えました。中には「私はこれに非常に失望しました。風味、深み、味が不足していました。これが持っていたのはハイプルーフの熱だけでした。同じ量のアルコール含有量でおそらくもっと味が良いものをより安く買うことが出来ます。これにお金を無駄にしないで下さい」と酷評されている方がいまして、私も概ね同意です。
偖て、このバレル・ストレングス、原酒はどこ産なんだ?という件ですが、推定2016年ボトリングというのか正しいのであればフォアローゼズの可能性は高いでしょう。これと同じ物と見られるバレル・ストレングスを飲んだアメリカの或る方は、その人の「味覚では間違いなくフォアローゼズ」と言っていました。ただ、個人的には私がこれまで飲んで来た旧来のフォアローゼズ産のブレットに想い描く味とは完全に別物という感想でした。まあ、私の味覚は当てにはなりませんけれども…。もしフォアローゼズならば、最もスパイシーとされるOBSKとか? そんな味わいに思います。或いは誰かが言うように他蒸留所とのミックスなのでしょうか? 少なくとも2020年の情報では、フォアローゼズはディアジオ向けの蒸留は行っていないものの、自社の施設でディアジオのバレルを熟成させていることを認めています。それはバレルではなくタンカーでブレットに送られるそうです。タンカーで送られるということは、バレルから投棄された原酒が混ざっているため、シングルバレルでないことを意味します。ならばそれはブレンド用ということになり、バレル・ストレングスにもフォアローゼズ原酒をブレンドすることは出来るでしょう。

ところで、気になるのはブレットのマッシュビルと言うかレシピ。そのヒントになるのが2019年に新しくブレット・バーボンに仲間入りしたシングルバレル(104プルーフ、希望小売価格60ドル)です。シングルバレルを購入しようとするリカー・ストアのオウナーはブレットの施設に行くか郵送でサンプルを受け取るか選べるそうです。ブレット施設へ行った方によると、10の異なるレシピから選ぶことが出来ると言われたらしい。え? まるでフォアローゼズやん? バレルのヘッドがヤスリがけされているためDSPナンバー(中身のバーボンが蒸留された場所)は確認できなかったとのこと。ブレットのスタッフは、どの樽にどのレシピが入っているかは特定できないけれど、中身の熟成年数は教えてくれるそうです。更にスタッフはバレル内の液体は「あなたが思っているようなものではない」と繰り返したと言います。これはフォアローゼズではないという意味でしょう。
実はブレットのシングル・バレル・ピックは、名称が違うだけで中身はフォアローゼズ・シングル・バレル・ピックと大体同じなのではないか?という疑いがバーボン愛好家の間で持たれていました。長らくフォアローゼズ蒸留所がブレットに供給していたのが知られ、尚且つ10のレシピがあると聞けば、そりゃあそう思いたくもなります。なるほど、そもそもフォアローゼズはブレットに10レシピ全てを提供しているのか、と。実際、ウィスキー・ニートのクリストファー・ハートはフォアローゼズ蒸留所を訪れた時にディアジオの略号「DG」とマークされたOBSVレシピのバレルの写真を撮っています(推定2018年末撮影)。そこで彼は真実を知るために、ブレットのバレル・プログラムの責任者メリッサ・リフト、同社のPR担当アリソン・フライシャー、そして、ディアジオのブランドを率いるグローバル・ブランド・ディレクターのエド・ベロらに話を聞きました。すると彼らはブレット・シングルバレルのセレクションは、パッケージの違うフォアローゼズ・シングルバレルのボトルでないことを断言しました。すぐ上にも書いたように、フォアローゼズの原酒はブレットへはタンカーで送られます。タンカーで出荷されたバーボンを再度バレリングするのはコストが掛かるし、それは「シングルバレル」とは呼べません。シングルバレル・プログラムの液体は全てバレルで到着し、その後、現地(おそらくスティッツェル=ウェラーの倉庫)で熟成されていると言います。原酒を供給している4つの蒸留所については明言を避けたものの、フォアローゼズでないことだけは強調していたそうです。また、フォアローゼズのレシピに関する質問に対しては、具体的に幾つとは言えないが、インディアナ産のライを除いて、我々は一つの蒸留所から調達している訳ではなく、常に複数の蒸留所から調達しブレンドしている、と述べています。エドによれば、彼が2014年頃にブランドに参加した時から既にこの方法でそれを行っていたらしい。そして、個人的に最も興味をそそられたのがマッシュビルです。ブレットのロウ・ライ・マッシュビルは75%コーン、21%ライ、4%モルテッドバーリー。ハイ・ライ・マッシュビルは60%コーン、36%ライ、4%モルテッドバーリーだそうです。対してフォアローゼズの「E」マッシュビルは75%コーン、20%ライ、5%モルテッドバーリー、「B」マッシュビルは60%コーン、35%ライ、5%モルテッドバーリーです。ライとモルトが1%だけ異なり、イーストもフォアローゼズとは別だと言っています。これは私の憶測ですが、この「1%」だけの違いは、従来品と同じようなフレイヴァー・プロファイルをクリエイトするために、基本的にフォアローゼズをコピーしようとしているからだと思います。それを別の蒸留所に依頼して造ってもらっていれば、イーストが違うのは当然なのでマッシュビルを微調整したのではないかと。まあ、それはいいとして、じゃあ従来からよく知られたあのマッシュビルは何なの?という疑問が生まれます。
ブレット・バーボンを検索した時にヒットするどのウェブサイトでも、大概ブレットのマッシュビルはコーン68%、ライ28%、モルテッドバーリー4%と書かれています。これはブレット側から公表された数値でしょう。私はこれを見て、フォアローゼズがそのマッシュビルでイーストはV、K、O、Q、Fのどれかを使い契約蒸留しているのだろうと思っていました。そして、フォアローゼズとの契約が終わった後は、別の蒸留所がそのマッシュビルで蒸留をしているのだろうと思っていました。ところがブレットはロウ・ライとハイ・ライを造り分けていると言います。そこで、その両マッシュビルのコーンとライのそれぞれを足して2で割ってみると、コーンは67.5、ライは28.5となり、概ね公表されたマッシュビルと近い数値が出ます。おそらく、ブレットがこれまで明かしていたマッシュビルはロウ・ライとハイ・ライを混ぜた大体の平均値だったのではないでしょうか? 従来のフォアローゼズ産の「E」と「B」のマッシュビルのライを足して2で割ると27.5です。これも28に近い数値ですからね。しかし、そうなるとモルテッドバーリーが4%の謎が残ります。
ブレットがフォアローゼズから原酒の供給を受けていた時も、彼らは4%モルテッドバーリーのマッシュ ビルと公表していました。フォアローゼズの10レシピはどれも5%のモルテッドバーリーを使用しています。そこで考えられる可能性は、フォアローゼズと他の蒸留所のジュースをブレンドした結果モルテッドバーリーが4%に下がったという事実を反映していたか、或いはフォアローゼズが自らの10レシピ以外にブレットのためだけにわざわざ1%違うレシピでウィスキーを製造していたかのどちらかでしょう。後者に関しては、先に触れたフォアローゼズの施設にあったというディアジオ向けのDG OBSVバレルの件からすると、おそらくフォアローゼズは単に自らのレシピで蒸留した原酒を供給していたように思えます。信頼できるか判りませんが、2013年頃にブレットはフォアローゼズ・イエローラベルと同じジュース/バレルだとフォアローゼズの関係者から聞いた、と言っている人がいました。イエローラベルは10レシピ全てを使います。うーん、どうでしょうね、あり得なくはないような気もしますが…。前者に関しては、フォアローゼズの5%のモルテッドバーリーの配合率を下げるためにはより低いモルテッドバーリー率の原酒が必要となります。当時からフォアローゼズ以外の原酒をブレンドしていたというのなら、それが公開されていない以上、もはや謎と言う他ありません。もしかすると我々はデタラメな情報に踊らされていた可能性だってあります。皆さんはブレットのマッシュビルについてどう思われますか? どしどしコメントお寄せ下さい。また、最新情報をお持ちの方もコメントして頂けると助かります。


*トム・ブレットの最初の結婚相手ステファニーとの唯一の娘であるホリス・B・ワースは、家族とのいざこざもあって2018年にアン・ホリスター・ブレットから合法的に名前を変更しています。ワースは2006〜2016年までの十年間、ディアジオに雇われブレットのブランド・アンバサダーとして働いていました。彼女はLGBTQコミュニティのオープン・メンバーであり、12年の間パートナーだったシェールと結婚しています。ワースは2017年頃から父親とその現在の妻ベッツィー・ブレットにキャリアを台無しにされたとソーシャル・メディアで非難し始め、また元雇用主であるディアジオには同性愛嫌悪のために解雇されたとしてその企業文化を攻撃しました。2018年1月頃、ディアジオとは和解が成立し、ワースは和解の一環として120万ドルの支払いを受け取ったと報告しました。しかし、2019年8月からは更に深刻な、子供の頃に性的虐待を受けていたという主張までし出します。「幼い頃から、私は身体を触られ、不適切に愛され、自分の意思に反して裸で写真を撮り、私とのコミュニケーションには露骨な性的表現が使われ、年齢に相応しくない性的メディアをいくつかの形で見せられました」と。当然の如くトムは断固として否定していますが、流石に性的虐待の話まで出た時には、取り敢えずトムはブランドの顔から退きました。その後どうなったかはよく分かりません。この一連のスキャンダルは、個人的にはワガママ娘のカネ目当ての行動に見えてしょうがないのですが、実の父娘同士の葛藤が何かしらあるのでしょうし、我々第三者には事の真相は知る由もなく、真実は藪の中です。たとえ何かしらの解決がなされたとしても、当人らの心に深い傷が残る出来事だったのだけは確かでしょう。

**オーガスタス・ブレットについては、時代も時代なので、情報源によって経歴の年号やエピソードに多少の違いがあります。個人的な印象としては、親族の間で語り継がれるような一家の礎を築いた人物と言うか、立身出世物語のヒーロー的な人物だったのではないかという気がしています。幾つかの情報を纏めると、オーガスタスは大体以下のような人生を送ったようです。
Augustus Boilliat(本人かその子孫か判りませんが、どこかの段階で「Bulleit」姓に改名された)は1805年もしくは1806年に生まれました。1836年(或いは1841年とも)、25歳か30歳くらいの時に、フランスからアメリカへやって来てニューオリンズに上陸し、その後ケンタッキー州ルイヴィルに短期滞在、それからインディアナ州ハリソン郡へ移りました。そこでベルギー生まれでレインズヴィルから来たMary Julia Duliuと1841年8月29日(4月29日とも)に結婚。オーガスタスが35歳、メリーは21歳でした。同じ年、彼はアメリカに帰化したそうです。二人はドッグウッド近くのバック・クリークの農場に住み着き、9人の子供を儲けました(或いは5人の息子と少なくとも2人の娘とも)。オーガスタスとメリーは国勢調査記録に現れ、それによると1850年に彼の職業は「製粉業者」、1860年には「農夫」となっているそうです。そして、バック・クリークの自宅で長年暮らした後、隣人のアイザック・メルトンと一緒にフラットボートを作り、幾つかの農産物を積んでオハイオ川からミシシッピ川を下ってニューオリンズまで出掛け、積み荷の農産物を売った後オーガスタスは消息不明となったらしい。それは何らかの凶行に遭ったからではないかとされ、1860年、54歳頃のことと見られます。
どうでしょう? ブレット・フロンティア・ウィスキーの起源の物語と殆ど同じですね。違う点はルイヴィルが殆ど出てこない点です。このオーガスタスは、フランスからアメリカへ来てから短い移行期間に立ち寄っただけでルイヴィルに住んだことはなく、ルイヴィルで蒸留したことも、ルイヴィルで居酒屋を経営したこともありません。このブレット家はインディアナ州ハリソン郡に根を張った一族でした。もう一つの違いはウィスキーの話が出てこない点です。オーガスタスが製粉業者や農夫だったということは、少なくとも小さなスティルを持っていた可能性は指摘されています。確かに、製粉業者も農夫も穀物で報酬を得ていた訳ですから、余った穀物を腐らないウィスキーに蒸留して販売していてもおかしくはありません。ただ、トム・ブレットとは別のオーガスタスの玄孫の方は「私の祖母は秘密のバーボン・レシピなど何も言っていませんでしたよ」と言っています。その方の知る家族の伝承によると、オーガスタスはかつて居酒屋を経営していた可能性もあるし、製材業も行っていた可能性もあるが、どちらも失敗に終わっただろう、とのこと。
また、インディアナ州コリドン出身のローラ・メイ・ブレット(オーガスタスの玄孫)を曾祖母にもつ方も同じような話をしています。彼女は子供の頃にオーガスタスの話を聞いて育ったそうで、家族の歴史によると、オーガスタスはインディアナ州のレインズヴィルで酒場を経営していたが失敗に終わり、バック・クリークにある農場に移って製材所を建てて成功し、当時としては多額の現金収入を得たと言います。彼はフラットボートを作り、オハイオ川やミシシッピ川で商品や生産物を販売していたが、そんな中、ルイジアナ州ニューオーリンズに向かったオーガスタスは消息不明となった、と。
更には、アミエル・L・ブレット(オーガスタスとメリーの三男で当時はインディアナ州南部とケンタッキー州北部で有名な鍛冶屋だった)の曾孫という方は、1998年、母と妹を連れてコリドンを訪れ、コリドン・カーネギー公立図書館の系図室で一日中過ごし、ブレット家に関する豊富な情報を得たと言います。その多くはブレット家のメンバーによるオーラル・ヒストリーとして提供されており、1965年にブランチ・ブレット・クリストリー(オーガスタスの孫娘とされる)のアカウントでは、オーガスタス・ブレットの生涯と1860年メンフィスへのフラットボートによる交易の途中に起きたイリノイ州メトロポリス周辺での失踪にまつわる一族の伝承の強固なヴァージョンが語られていたそう。彼はそこで土地を手に入れたが、商品と土地のために殺されたと言われており、おそらく後にその両方を手に入れた男に殺されたのだろう、と。この方は数年後にメトロポリスを訪れ、カウンティ・クラークのオフィスでマサック郡の土地記録を調べたところ、1860年12月に記された「Augustus Boilleat」への40エーカーの証書の公式記録を見つけたそうです。そしてこの方も、自分の祖先はブレットのタヴァーンやウィスキーのレシピについては何もメンションしていませんでしたと言っています。1998年にコリドンを訪れた際に紹介されたコリドン・タウンの歴史家によると、ブレット家は肥料の販売員や鍛冶屋や馬車製造業者だったと言われたとか。
トム・ブレットは2013年のインタヴューでは、レシピはオーガスタスから祖父のフランシス・エイム・ブレットに受け継がれたと語っていたので、私もここで語られているブレット家を家系図のサイトで調べてみたのですがフランシスを見つけられませんでした。勿論、家系図サイトが必ずしも正しいとは限りませんし、また上のような個人的に行われた系図調査は大きな証拠がない場合や多くの飛躍や推測が含まれている可能性があるので、話半分で聞く必要もあります。それに、流石にトムが自分の祖先の名前をでっち上げるまではしないと思います。そもそもオーガスタス・ブレットという同姓同名の人物が何人かいるのかも知れません。ただ、それにしては余りにもエピソードが似すぎていますよね。少なくとも多少盛っているのは間違いないかと…。その祖先伝来のレシピについても、私の記憶では、昔はライが3分の2とコーンが3分の1のウィスキーとされていたのが、数年前からライが3分の1のウィスキーに変更されているような気がしています。ここらあたりにも、何ともいかがわしいマーケティングの臭いが感じられるでしょう。

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テネシー州タラホーマ近くのカスケイド・ホロウにあるジョージ・ディッケル蒸留所のリリースする製品には幾つかのヴァリエーションがありますが、そのうち基本的なのは昔から発売されているブラック・ラベルの「No.8」とタン・ラベルの「No.12」です。現在では無色透明アンエイジドでホワイト・ラベルの「No.1」やレッド・ラベルの「タバスコ・バレル・フィニッシュ」という珍品もあり、唯一ディッケル蒸留所で造られていないグリーン・ラベルの「ライ」もあります。2019年にはブルー・ラベルのボトルド・イン・ボンドも発売されました。その他にスモールバッチの「バレル・セレクト」や「ハンド・セレクテッド」もあります。
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ベースとなるウィスキーのレシピはどれも同じで(ライウィスキーは除く)、コーン84%/ライ8%/モルテッドバーリー8%のハイ・コーン・マッシュビル。ディッケル蒸留所では42インチのコラムスティルを用い、比較的低い約130プルーフで蒸留するそうです(*)。そして熟成前のニューメイクはテネシーウィスキーの特徴となるメロウイング(リンカーン・カウンティ・プロセス)が施されますが、テネシーウィスキーの代名詞とも言えるジャックダニエル蒸留所とは異なり、メロウイング前に原酒を0℃近く(40°F)まで冷却します。これはジョージ・ディッケルその人が冬場に造ったウィスキーのほうが滑らかで旨いという信念を持っていたからとか。また他のテネシー蒸留所のようにチャコールの敷き詰められたヴァットに、原酒を一滴一滴垂らす「濾過」というよりは約1週間ほど「浸す」のがディッケルの製法だという情報も見かけました(**)。その木炭は地元産のサトウカエデの木からディッケル蒸留所によって作られています。熟成に使われるバレルのチャーリング・レベルは#4。エイジングに関しては熟成具合のバラつきを抑えるために1階建ての倉庫で行われ、樽のローテーションを必要としません(***)。水源は近隣のカスケイド・スプリングから取っており、例によって石灰岩層を通った鉄分を含まないウィスキー造りには最適の水で、ディッケルの味の秘訣の一つとされます。

ジョージディッケルのブランドは、それまで親会社だったシェンリーが1987年にユナイテッド・ディスティラーズに買収されると、1990年代初頭、ヨーロッパとアジアでの大幅な売上成長を目標にした選ばれたウィスキー・ブランドとして、マーケティングから予想される将来の需要を満たすために生産量が増加されました。しかし、その需要は少なくとも予測された範囲では実現しませんでした。ディッケル・ブランドは特定の地域でそれなりの支持を得ていたものの、ジャックダニエルズのような世界的に「超」が付くほどの有名銘柄ではありません。当時は今ほどの知名度もなかった筈です。結果、倉庫の容量はいっぱいになってしまいました。
もし蒸留所が生産していたのがケンタッキーバーボンだったなら、これはそれほど大きな問題ではなかったでしょう。なぜなら超過分は、親会社が所有する他の売れ行きの良いブランドにブレンドすることが出来ましたし、或いはオープン・マーケットで非蒸留業者に販売することも出来たからです。しかし、ディッケルはテネシーウィスキーというユニークな製品であり、当時のユナイテッドが抱えていた多くのバーボン・ブランドとレシピは共有されていません。また当時は現在ほどのアメリカンウィスキーの需要もありませんでした。そのため過剰生産されたストックは流動しなかったのです。
より多くのディッケルを海外に販売しようとする試みは、完全な失敗とは言い切れないものの期待に応えたとは言い難いものでした。おそらく問題の一部は、新しく巨大になった親会社からしたら、必要な注意を引くにはあまりにもディッケル蒸留所が小さ過ぎたことにあったのではないでしょうか。増え続けるストックは、誰かが十分な注意を払って生産調整すれば済む話なのに、誰もそうしなかった…と。
1997年にはギネス(ユナイテッド・ディスティラーズの親会社)がグランド・メトロポリタンと合併してディアジオが形成されました。新会社は多額の借金を抱えていたため、事業の統合によるコスト削減と資産売却による現金化が必要でした。彼らは焦点をアメリカン・ウィスキーから遠ざける決断を下し、1999年の初めまでに資産の大部分を売却、ジョージディッケルとI.W.ハーパーという二つのブランドだけを手元に残します。そしてジョージディッケルは1999年2月に生産が停止され、蒸留所は2003年までの期間閉鎖、マーケティング予算はゼロになりました。マーケティング費用が掛からないぶんディッケルは収益になっていたようです。

ディッケルの主力製品であるNo.8とNo.12に熟成年数の記載はありませんが、おそらくこの時期の物にはその後の物と較べ、熟成年数の長い原酒が混和されている可能性が高いと思われます。当時のディッケルの小売価格はかなり安く、2001年頃はNo.8が13ドル、No.12が14ドルという情報がありました。おかげで数年間は信じられないほどの掘り出し物だったと言います。しかし、それは恐らく会社にとってその製品がそれほど利益がなかったことをも意味するでしょう。
製品の継続性を保証するために、1か月とか年に数週間でも蒸留所を稼働させることは理に適っているように思えます。ブレンドされる原酒の熟成期間の大きなギャップを避けるためにも。しかしディアジオは、ディッケル蒸留所は再びウィスキーを製造する前にコストのかかる修理(廃水処理と関係があるテネシーでのいくつかの環境問題)を必要としており、完全生産に戻る準備ができるまで投資をしない、と主張していました。それが本当だったのかどうか知る由もなく、もしかすると物価を吊り上げるためのツールとして不足を意図的に作り出そうとしていた疑いも拭えません。ともかくもディアジオは2002年になるとディッケルのマーケティング予算を復活させ、2003年9月には修繕と環境問題もクリアして蒸留所の操業が再開されます。

マーケティングが成果を上げたのか、或いはアメリカンウィスキー復活の大きな潮流に上手く乗れたためか、その後数年間でディッケルの需要は急増しました。しかし、生産に於ける4年半もの「空白の時」が会社を悩ませることになります。2007年半ばまでにNo.8の不足が明らかになり、アメリカ各地で供給が枯渇し始めたのです。日本でも2000年代には、ディッケルは時折購入できなくなる(輸入されなくなる)という発言を聞いたことがありますが、それはこれが主な原因なのでしょう。意図的にそのような状況が作り出された訳ではありませんでしたが、その種の問題に気付いた時、それを最大限に活用する戦術が採られます。一つは不足自体についての宣伝を生み出すことでした。人は手に入りにくいものこそ欲する傾向がありますから。もう一つは供給不足を解消するために、2007年後半、従来製品より短い3年熟成原酒をボトリングした「カスケイド・ホロウ」という新製品の発表でした。そのラベル・デザインはNo.8と殆ど同じで、一見すると同一商品にさえ見え、小売価格も一緒だったそうです。お馴染みのブラック・ラベルを買うつもりの客が、別の製品とは気付かず購入なんてこともあったのではないでしょうか。流石にまずいと思ったのか、2008年半ばから後半にかけてカスケイド・ホロウのラベルはブラックからレッドに切り替えられました。この変更は苦情への対応の可能性、またはNo.8が再導入された後もカスケイド・ホロウは販売されていたので混乱を避けるためと見られています。
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2008年末にはNo. 8も店頭に戻って来ましたが、約22ドルに値上がっていたそうです。カスケイド・ホロウも2013年まで継続してラインナップ中エントリー・クラスの製品として残っていました。No.12の完全な供給中断はなかったそうですが、在庫は逼迫し、2009年頃いくつかの地域では見つけるのが難しかったようです。その頃、No.12の価格は14ドルから​​24ドルに急上昇しました。店頭商品の捌け具合の差から、店舗によってはNo.12がNo.8より安い価格で販売されている場合もあったそうです。この件とは直接関係ないかも知れませんが、日本でもNo.8とNo.12の価格に殆ど差がないことがあり、No.12がやけにお買い得に見える時がありますね。

ディッケルに限らず、或るブランドを作成する時、ブレンドされる原酒の熟成年数の構成比は、蒸留所の抱える在庫により随時変動します。特にNASの製品は蒸留所の自由な裁量に委されている感が強いです。蒸留所は時に使用される原酒の熟成年数の範囲についてヒントをくれますが、ディッケルは時期によって熟成年数に殊更バラつきがある印象を受けました。2003年9月の新聞では、当時のマスター・ディスティラーであるデイヴィッド・バッカスの発言を引用して、(現在の)店頭に並ぶNo.12は実際に12年であり、(本来は)その年数の半分程度であることが好ましい、なんて記事もあったようです。2006年頃のインタビューで当時のマスター・ディスティラーのジョン・ランは、一般的にバレル・セレクトは11〜12年、No.12は10〜12年、No.8は8〜10年であると述べています。更にウェブサイト上で見つかる新しめの情報では、バレルセレクトを10~12年、No.12を6~8年、No.8を4~6年としています。
さて、話が長くなりましたが、そこで今回は現行よりちょっと古い物と更にもう少し古いディッケルNo.8の飲み較べです。

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同一プルーフでありながら、目視で液体の色の濃さの違いがはっきりと判ります。一方はオレンジがかったゴールドに近く、一方は赤みのあるブラウンに近いです。

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George Dickel CLASSIC No.8 RECIPE 80 Proof
2015年ボトリング。薄いヴァニラ、穀物臭、コーンウィスキー、杏仁豆腐、所謂溶剤臭、さつまいもの餡、チョコチップクッキー、ドクターペッパー。ウォータリーな口当たり。余韻もケミカルなテイストが強い。とにかく何もかもが薄い印象で、甘さも仄かに感じるものの、辛味が先立つ。甘くもなくフルーティでもないのが好きな人向け。
Rating:77.5/100

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George Dickel OLD No.8 BRAND 80 Proof
ボトリング年不明、推定2000年前後。干しブドウ、穀物臭、薄いヴァニラ、炭、弱い樽香、土、ブルーベリー。ウォータリーな口当たり。木質のスパイシーさとドライな傾向の味わい。余韻は穏やかなスパイス・ノートと豊かな穀物。フルーティさはこちらの方があるが、基本的にグレイン・ウィスキー然とした香味。
Rating:84/100

Verdict:見た目からしても飲んでみても、旧瓶の方が明らかに熟成年数が高いと思いました。そしてそれがそのまま味の芳醇さに繋がっているのでしょう、旧瓶の圧勝です。

Thought:近年物を初め飲んだ時は、どうしたんだディッケル!と思ったほど、全然美味しくない、と言うか好きな味ではありませんでした。とにかく若いという印象しかなく、本当に4~6年も熟成してるの?って感じです。ディッケルの熟成倉庫は1階建てと聞き及びますが、4~6年の熟成でこの味わいなら、確かにそうっぽいと思わせる穏やかな熟成感でした。残量が半分を過ぎた頃からは、甘味が少し増して美味しくなり、樽由来でない原酒本来の甘味ってこんな感じかなと思ったのが唯一の良さですかね。一方の旧瓶は、ボトリングされてからある程度の年月が経過してる風味もありつつ、ディッケルぽさもあり、海外の方が言うところのディッケルの特徴とされるミネラル感も味わえたように思います。

追記:本記事をポストした後、ジョージディッケルの1987年以前の来歴とその前身であるカスケイド・ウィスキーの歴史を纏めました。興味のある方はこちらからどうぞ。


*135プルーフで蒸留という情報も見かけました。

**逆に一滴一滴垂らすとしている情報も見ましたので、いずれが本当かよく分かりません。

***6階建ての倉庫で熟成という記述も見かけたことがありますが、新しめの記事だとこう書かれていることが多いです。

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ジャックダニエルズと並ぶテネシーウィスキーの雄ジョージディッケルのライウィスキーです。と言っても中身のジュースはテネシー州で蒸留されたものではなく、MGPの95%ライ・マッシュがソース。2012年から発売されました。熟成年数は5年程度と言われています。
当時マスター・ディスティラーだったジョン・ランによると、熟成したウィスキーはインディアナ州からシカゴ近郊のイリノイ州プレインフィールドにあるディアジオのボトリング施設に運ばれ、そこでジョージディッケルの特徴となるチルド・メイプル・メロウイング(原酒を0℃近くまで冷却してからサトウカエデの炭で濾過する方法)が施されているようです。木炭はテネシー州タラホーマ近くのディッケル蒸留所から送られ、同じ方法で行われるのだとか。ただし、テネシーウィスキーは本来熟成前にメロウイングされますが、ライはMGPから熟成後のウィスキーを調達してるためそう出来ないので、一般的なウィスキーと同様ボトリング前になされています。

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George Dickel Rye 90 Proof
推定2017年前後ボトリング、並行輸入。ラムネ菓子、香ばしい樽、キャラメル、ピクルス、ライチ、メロン、洋梨、鉄。開封直後は、口当たりは円やかと言うよりはウォータリーだったが、次第に円やかさを増した。パレートはやや単調な青リンゴ。余韻に豊かなスパイスと僅かに苦味を伴った爽やかなハーブ。液体を飲み込んだ瞬間がハイライト。
Rating:85.5/100

Thought:海外では、所有している親会社も同じ、原酒も度数も同じ、更に熟成年数まで近いブレット・ライとの比較レビューが散見されます。私も真似っこしてブレットとディッケルを同時期に開封して飲み較べました。そうすることでチルド・メイプル・メロウイングの効果のほどを知りたかったのですが、個人的な印象としてはチルフィルタード云々よりも、そもそもブレットよりディッケルのほうが熟成年数が長い味に感じます。少なくとも私の飲んだボトルに関しては、色合いもディッケルの方が濃い色でしたし。そのため、その効果のほどはよく判りませんでした。ただ、ノンチルフィルタードが持て囃される昨今、ディッケルのチルド・メイプル・メロウイングって風味を失うだけじゃね?との疑念もあったのですが、特に風味が減じている印象は受けません。やはり、ジャックダニエルズにしろジョージディッケルにしろ、チャコール・メロウイングにはウィスキーのクラスを変えるほどの力はないと私には思われます。

Value:同じ親会社ながら、今のところ日本ではディッケルよりブレットのほうが流通量が多く入手しやすいと思いますが、上に述べたように大体同じスペックの両者が、仮に同価格だとしたら私はディッケルを選びます。ただし、海外の比較レビューでは、私と逆の評価が見られました。すなわち、私にはディッケルの方がより角のとれたまろみと甘味を感じ、ブレットのほうに爽やかさを感じやすかったのですが、或る方はディッケルのほうがドライで、ブレットのほうが甘いという趣旨の発言をしていたのです。もしかするとロット間の差があるかも知れません。

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世界で人気のブランド、ブレットのライウィスキーです。ブレット・ブランド自体の紹介はこちらを参照下さい。ブレット・ライは2011年3月から発売されました。バーテンダーからの要望が多かったため製品化されたと聞き及びます。ラベルの緑色はブレット・ディスティリング・カンパニーの創業者トム・ブレット自ら拘って選び抜いた絶妙なグリーンなのだとか。ジュースはお馴染みMGPの95%ライ。熟成年数は4~6年とも5~7年とも言われており、おそらく値段から考えて4年熟成酒をメインに使っているのではないかと想像します。

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BULLEIT RYE 90 Proof
推定2016年あたりボトリング、購入は2018年。色はやや薄めでオレンジがかったゴールデン・ブラウン。焦がした木、ライスパイス、青リンゴ→マスカット、ミント、蜂蜜、洋梨、穀物臭、竹林。爽やかなフルーツとスパイシーなアロマ。ウォータリーな口当たり。口中はマイルドな甘味と豊かなスパイスが感じられる。余韻はややハービーな苦味が強い。開封からしばらくは香りのボリュームが低く、味わいも平坦だった。残量が半分を切ってから幾分か濃密になり美味しくなった(開封から3ヶ月以上経過してやっと)。同じMGPソースで熟成年数の若いリデンプションと較べると、円やかなテクスチャー、かつ甘味を感じやすい。ブレットと同じくディアジオの所有するブランドであり、同じMGP95ライをソースとしたジョージディッケル・ライと比べると、なぜか全体的に薄口の印象だった。
Rating:85/100

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過去投稿のブレット80プルーフのレビューでブランド紹介はしていたのですが、その後明らかになった部分もあるので、ここで再度書き直したいと思います(※追記あり)。

長年法律に携わって来たトーマス・E・ブレットJr.ことトム・ブレットは、1987年にブレット・ディスティリング・カンパニーを立ち上げ、夢の実現へと踏み出しました。それはトムの曾々祖父にあたり、ルイヴィルのタヴァーン店主だったというオーガスタス・ブレットが1830年から1860年の間に造っていたウィスキーの復活です。オーガスタスはフラットボートに樽を一杯に載せ、ケンタッキーからオハイオ川を下りニューオリンズへと売却に向かう輸送中に行方不明となりました。そのレシピはライが3分の2とコーンが3分の1のライウィスキーだったと伝えられています。トムは現代のブレットバーボンを市場の殆どのバーボンより高いライ麦率にすることによってオリジナルのマッシュビルに敬意を表しました。

ブレットバーボンが初めて世に出たのは1995年(※追記あり)です。初期のブレットは現在の物とは全く異なるデザインで、マーケティングに家族の歴史を殊更持ち出さなかったし、フロンティア・ウィスキーとも名乗っていませんでした。代わりにケンタッキーの特産であるサラブレッドを全面に押し出していました。この初期ブレットはエルマー・T・リーやウェラー・センテニアルと同じスクワットボトルに入っており、90プルーフと100プルーフのヴァリエーションがありました。90プルーフの方は日本には輸入されなかったようです。
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NDPとしてスタートしているブレット・ディスティリング・カンパニーは蒸留所を持たないので、当時エンシェントエイジ蒸留所またはジョージ・T・スタッグ蒸留所とも知られていた現バッファロートレース蒸留所(DSP-KY-113)との契約蒸留で製品を生産しました(*)。多分、熟成もフランクフォートの倉庫で間違いないでしょう。私の持っている97年発行のバーボン本ではブレット・サラブレッドの紹介文にこう書かれています。
「委託蒸留した優良原酒を独自の技法で熟成、瓶詰めしているが、その熟成法が独特。通常の半分の期間での熟成を可能にした画期的な方法で~」
云々と。これはおそらく当時トムが4〜6年程度の熟成で10年熟成の味を作る新しいテクニックだとマーケティング上語ったところから来ているのだと思います。実際にはかなり古くからあるテクニックで、寒い冬の間に倉庫を加熱することを意味しました。確かバッファロートレースにはそういう装置が付いた倉庫があったと思います。あと1999年までエンシェントエイジ蒸留所で生産されたという説も見かけました。

転機は比較的早く、1997年に訪れます。当時世界に冠たるシーグラムとのパトナーシップです。おそらくスマートなビジネスマンであったトムはブレットの国際化を望んだでしょうし、シーグラムもまた競争力のあるバーボンブランドを望んだ思惑の一致ではないかと思います。しかしどうやら初めシーグラムの幹部は「Bulleit(Bullet=弾丸と同じ発音)」という名前は好きだったが、古くさいパッケージングは気に入らなかったようです。そこでシーグラムは解決策として新たなブランディングを求め、トムに有名な広告代理店DDB(ドイル・デイン・バーンバック)を辞めたばかりのボブ・マッコールとジャック・マリウッチを組ませました。これは当時の社長エドガー・ブロンフマンJr.の長年に渡る友人であり、広告とメディアのエグゼクティブであり、シーグラムのアドヴァイザーでもあるジョン・バーンバック(多分DDB創業者の1人ウィリアム・バーンバックの息子さん)からの流れではないかと推測します。ともかくボブとジャックの二人は製品コンセプトのアイデアを上手く手助けしてくれたようです。トムは8冊のバーボン図書をボブに送ると、それを読んだ彼はフロンティア・ウィスキーのコンセプトを思いつき、トムの家族の歴史に結びつけました。これは単なるバーボンではない、フロンティア・ウィスキーである、と。現在は見られませんが、強力なスローガンもあったようです。「まだ男が男で、ウィスキーがバーボンだった時代(意訳)」。実にキャッチーでカッコいいコピーですね。こうした新しい製品コンセプトはシーグラムの幹部も気に入り、エドガー・ジュニアの最終的なOKをもらいます。そして新しいブレットのパッケージはオレゴン州ポートランドのサンドストロム・パートナーズによって開発されました。現在我々が知る姿の、アンティークな薬瓶のようなボトル形状、エンボス加工された全面の文字、少し傾いたラベル等、新しいコンセプトを完璧に捉えた卓抜なデザインです。こうして新生ブレットは1999年から米国市場へ導入され、肝心の中身のジュースも、おそらくエンシェントエイジ・バレルが枯渇した後、シーグラム傘下のフォアローゼズ蒸留所産のものに切り替えられました。

2000年になると、また一つの転機が訪れます。90年代にエンターテイメント事業への傾斜を強めていたシーグラムはMCAやポリグラムを買収しますが、巨額の買収費用に対して映画部門でのヒットに恵まれず収益が上がらなかったため、一転して身売り交渉に入り、メディア事業の拡大を進めていたフランスの企業ヴィヴェンディとの合併に合意。合併後、酒類部門の資産はイギリスのディアジオとフランスのペルノ・リカールに分割して売却され、企業としてのシーグラムは終わりを迎えます。ブレット・ブランドはディアジオの元へ行きました。ディアジオはフォアローゼズとの契約をブレットのソースとして残します。
2000年以降、徐々に販売数を増やしていったブレットは今日トップブランドの地位を確立しています。アメリカ全土のバーテンダーやミクソロジストからの人気が高く、特にカリフォルニア州で絶大な人気を誇るとか。また順次世界へも販路を拡げて行きました。ブレットの目覚しい業績は、シーグラム時代のブランドのリニューアル、世界最大規模の酒類企業ディアジオの販売戦略の巧みさ、折からのバーボンブーム、またトム・ブレット本人の知的な努力と人柄の賜物でもあったでしょうが、フォアローゼズの供給するハイ・クオリティな原酒も間違いなくその要因の一つだと思います。
フォアローゼズ蒸留所は2013年までブレットの唯一の供給源だったと考えられていますが、現在の供給元が何処であるかは公開されていません。熟成年数を考慮すると(スタンダードのブレットで約6年)、現在流通しているボトルはまだ殆どがフォアローゼズ蒸留所産だとは思います。ディアジオは長年ブラウン=フォーマンと蒸留契約を結んでいるとも言われ、更にジムビームやバートンもバーボンをディアジオに提供していると噂されています。ブレット側によれば、蒸留パートナーを具体的に明かすことは出来ないが、従来のハイ・ライ・マッシュビルの高品質バーボンを提供するというコミットメントは保証するそうです。

日本に住んでいるとブレットの存在感は、ジムビーム、ワイルドターキー、フォアローゼズ、メーカーズマーク、I.W.ハーパー、アーリータイムズ等のブランドの遥か後塵を拝してるように感じてしまいますが、世界ではそれらトップ・ブランドに肩を並べる成長率を見せています。それ故にでしょう、ディアジオのブレット・ブランドに対する信頼は絶大です。それは2014年にディアジオが所有していたスティツェル=ウェラー蒸留所(オールドフィッツジェラルド蒸留所)の一部を改装してブレット・エクスペリエンスというヴィジター・センターにしたことによく現れています。エヴァンウィリアムスのヴィジター・センターもそうなのですが、これは謂わばバーボンファン版のディズニーランド。昔から蒸留所を巡るツアーは観光ビジネスとしてありましたが、バーボンの人気がアメリカで爆発的再興をする流れの中で、各蒸留所またはその親会社は今まで以上にそこに資金を投入する価値を見出だしています。そして2017年3月には、ルイヴィルから約30マイル西にあるシェルビーヴィルに1億1500万ドルで新しいブレット蒸留所がディアジオによって建設されました。年間180万プルーフガロンを生産可能な施設だそうで、今後のブレットの生産拠点となって行くのでしょう。

さて、ブレットにはスタンダードのオレンジラベル以外にいくつか種類があります。2011年からリリースされているライウィスキーはグリーンラベル。2016年にリリースのバレル・ストレングスはブラックラベル。そして今回レヴューするブレット10年がクリーム色のラベルとなっています。
10年クリームラベルは2013年からブランド展開された数量限定の製品です。マッシュビルはスタンダードなオレンジラベルと同じコーン68%/ライ28%/モルテッドバーリー4%。10年は最も若い原酒の年数であり、11年と12年原酒もブレンドされているとの情報もありました。ラベルにローレンスバーグの記載がありますので、原酒はフォアローゼズ蒸留所産で間違いないと思います。

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BULLEIT BOURBON Aged 10 Years 45.6% alc/vol
2017年ボトリング。熟したプラム、香ばしい樽香、接着剤、タバコ、ライスパイス、ブラウンシュガー、葡萄、蜂蜜、藁半紙、パクチー。やや溶剤臭をともなった焦樽フルーツ系アロマ。口当たりはさっぱりウォータリー。口中では赤い果実感もほんの少し感じれる。余韻は苦味のあるフルーツとスパイス。些かウッディ過ぎる嫌いはあるものの、熟成感とクリアネスが同居する味わいは悪くない(フィルタリングの成果か?)。開封直後は苦味と渋味が目立ち好みのバランスではなかったが、2週間位すると甘味も感じやすくなりバランスが整った。旨味よりはフルーティな香味で攻めるキャラクター。
Rating:86.5/100

Value:スタンダードなオレンジラベルより熟成年数が増えることによって、味わいもそのまま大人になったような印象です。具体的に言うと、フレッシュフルーツだったものが完熟フルーツになり、更に接着剤の香りがつき、苦味と渋味が増したことで味に一本芯が通る感じ。ここら辺をどう評価するかで、買う価値があるかが決まります。ブレット10年は、アメリカ本国ではスタンダードの倍の値札が付き、日本でも概ね2~3倍の値段になります。率直に言うと、私だったらスタンダードの方を購入するか、フォアローゼズのスモールバッチを最安値で買う選択をします。けっして不味い訳ではなく美味しいのですが、個人的嗜好と経済性からの意見です。

追記:その後、情報が入ったので追記します。コメント欄でY.O氏が言及されている「サラブレッド」はブレットの前身でした。その筋の情報では、このサラブレッド・バーボンのラベル(ボトル)は1990年あたりと見られ、1992年に名称が「Bulleit」に変更された、とのこと。なので、私が本文で書いた年数よりもブレットの歴史は遡れるかも知れません。ラベルにはフランクフォートと記載があるので、今で言うところのバッファロートレース蒸留所の原酒を使った86プルーフのバーボンでしょう。悪いラベルではないですが、やはりその後のものよりはインパクトに欠けますね。
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(画像提供Bar FIVE様)

追記2:こちらで紹介していたブレット・バーボンの歴史について、ブレット・バレルストレングスの記事でもう少し補足を加えました。興味のある方は参考になさって下さい。


*この頃は樽買いだった可能性もありますが、真相がわからないので、とりあえず契約蒸留だったという体で書き進めています。

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BULLEIT BOURBON FRONTIER WHISKEY 80 Proof
今や世界的人気のブランドとなっているブレットバーボン。その大元のルーツは伝説によれば、1830年からオーガスタス・ブレットが造っていた、3分の2がライで3分の1がコーンのウイスキーだと言います。そのウイスキーは1860年にオーガスタスの死亡とともに生産を終了したとか。それを曾々孫のトム・ブレットが1987年に会社を設立して復活させたのが現ブレットの直接的なルーツです。その時に、ライ麦が3分の2ではバーボンにならないため、出来るだけオリジナルのレシピに近づけようと、ハイ・ライ・マッシュビルのバーボンにしたそうです。日本に紹介され初めの頃は現在のボトルデザインとは全く違う物で、フロンティア・ウィスキーと称してもなく、ケンタッキーらしい「サラブレッド」の絵と呼称が目立つラベルデザインでした。
ブレット・ディスティリング社はそもそもNDP(非蒸留業者)としてスタートしています。そのため原酒の供給元の変化を把握しにくいのですが、上に述べたサラブレッド・ラベルの物をフランクフォートで蒸留されているとしている情報を目にしました。
また、現在のように人気の出る以前については、どうも情報が少なく分かり辛いのですが、ブレットブランドは97年にシーグラムに買収され、99年にアメリカ市場に導入・紹介されたという記事を見つけました。この「アメリカに導入」というのは、おそらくアメリカ国内で一般流通されるようになった、というほどの意味でしょう。と言うのも、日本で97年に出版されたバーボンの本によると、ブレット・サラブレッドは「牧場主のプライヴェートバーボンとして親しまれ、アメリカでもなかなか手に入りにく」く「海外では、日本とフランスのコンコルドホテルでしか味わえない」と書かれているのです。これが本当なら、ブレットはブランド誕生当時は海外向け(輸出用)製品だったということになります。そして、2000年になるとシーグラムの酒類部門はディアジオとペルノ・リカールに買収され、この時ブレット・ブランドは現オーナーのディアジオの元へ移行しました。現在のボトルデザインになったのが何時なのか、明確には分かりません。ここら辺の事情に詳しい方はコメントより教えて下さい(※追記あり)。

さて、現在のブレット人気はディアジオによるマーケティングの巧みさが一因ではあるでしょうが、なによりも酒の味自体が美味しいからだと思います。開拓時代を思わせるボトルデザインからは想像もつかないほど、荒々しさとは無縁の、むしろ繊細でフルーティーな味わい。それもそのはず、今後は供給元の変更や自社蒸留の開始などでどうなるか判りませんが、このボトルのジュースはフォアローゼズ蒸留所産です。マッシュビルは68%コーン/28%ライ/4%モルテッドバーリーで、熟成年数の表記はないものの6年とされています。エイジングもボトルの表記に従えばフォアローゼズの平屋の熟成庫で間違いないでしょう。このフォアローゼズ蒸留所産がいつから始まりいつ終わったのか、これが定かではないのですが、現在では契約蒸留の期間は終わっていると聞いています。
最近の日本では90プルーフの物が流通しているようですが、本ボトルは80プルーフです。並行輸入なので、輸出国によってプルーフに違いがあるのでしょう(*)。80プルーフのせいもあると思いますが、日本ではお馴染みのフォアローゼズ・ブラックとかなり近い味わいでした。キャラメルよりは蜂蜜の風味であり、フラワー感のある華やかな香り、フルーツで言えばプラム、スパイシーではあっても甘味は強くエグみもない。とにかく出来がいいです。
Rating:85/100

追記1:ここら辺の事情について新しい情報を得たので、ブレットのブランド紹介を書き直しました。こちらをご参照下さい。

追記2:その後、ブレット・バーボンの歴史についてはブレット・バレルストレングスの記事で更に補足しました。興味のある方は参考になさって下さい。


*2008年から英国市場で販売されているブレットバーボンが40%ABVでボトリングされているそうです。2014年後半には英国市場にも45%ABVバージョンが導入されたとか。

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