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オールド・ヒッコリーはパブリカー/コンチネンタルの主力バーボン・ブランドでした。フィラデルフィアに拠点を置くコンチネンタルは、禁酒法解禁後のアメリカで業界を牛耳ったビッグ・フォーに次ぐ地位を確立した大手酒類会社の一つ。往年、フィラデルフィア地域に住んでいた人々は、ウォルト・ウィットマン・ブリッジのすぐ傍、パッカー・アンド・デラウェア・アヴェニューにあった蒸留所からする強力な匂いを今でも思い出すと云います。橋を渡るとベーカリーのようないい匂いがしたそうな。また当時そこには、橋から見える夜にはライトアップされたオールド・ヒッコリーの大きな看板もありました。パブリカー・インダストリーズとコンチネンタル・ディスティリング・コーポレーションについては以前投稿したリッテンハウス・ライのレヴュー時に紹介してるので、詳しくはそちらを参照下さい。

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コンチネンタルにはチャーター・オーク、ハラーズ・カウンティ・フェア等のストレート・バーボン、その他に様々なブレンデッドがありましたが、オールド・ヒッコリーが最も売れ、よく知られたブランドだと思われます。「オールド・ヒッコリー」というブランド名はアメリカ合衆国の第七代大統領アンドリュー・ジャクソンのニックネームから由来しています。ラベルの肖像画の人物ですね。米英戦争(1812年戦争)の最中、ジャクソン将軍の忍耐力と力強さは、しっかりと根付いた強靭なヒッコリーの木を思わせたことで、彼は兵士たちから「オールド・ヒッコリー」というニックネームが付けられました。そして以後、友人や信奉者の間でそのニックネームは愛情を込めて呼ばれ知られるようになり、1828年の大統領選挙の成功を収めたキャンペーンでも目立つようにフィーチャーされました。ジャクソン大統領とウィスキーの関係については、それほど多く記録されていませんが、伝え聞くところでは、1799年に彼は合わせて190ガロンを生産できる二つのポットスティルで蒸留を始め、残念ながらこの蒸留所は翌年に火事で焼失し完全になくなり、数年後、今度はビジネス・パートナーとなったワトソン氏の助けを借りて再建したのだとか。それはともかく、彼は米英戦争を終わらせた決定的なニューオリンズの戦い(1815年)に於いて軍を率い、アメリカの独立を維持したことで名声を得、庶民出身の大統領として渾名通りの強情さを発揮しました。アンドリュー・ジャクソンというアイコンの発する「強さ」や「南部」や「非エリート」の香りはバーボンに相応しいものだったのでしょう。

ただし、オールド・ヒッコリーの名称をウィスキーに使い始めたのはコンチネンタルが初めではありませんでした。禁酒法以前から既にその名は見られ、ネット検索で把握できるところでは以下のような物があります。
先ずはジャグ・ボトルのオールド・ヒッコリー・ウィスキーです。ウィスキーのガラス・ボトルでの販売がまだ一般的でなかった時代と思われるそれには、ケンタッキー州マリオン郡の蒸留所から直接~、とデカデカと書かれていました。もう一つはオレゴン州ポートランドの酒類卸業者フレッケンシュタイン=メイヤー・カンパニーの販売していたオールド・ヒッコリー・ウィスキーで、ラベルにはケンタッキー州ウッドフォード・カウンティの記載が見られます。またミルウォーキーの酒類卸業者A・ブレスラワー・カンパニーが自社ブランドでオールド・ヒッコリーを販売していたようです。他にも、ニューオリンズで酒屋をやっていたジェイコブ・グロスマンが販売していたオールド・ヒッコリー・ビターズなるものもありました。なんなら禁酒法時代にはカナダのワイザーズ・ディスティラリー・リミテッドのオールド・ヒッコリー・ライもありました。
おそらくオールド・ヒッコリーという名前は、禁酒法の前後か最中にコンチネンタルが前所有者から購入し、解禁後にブランドを刷新したのだと思います(ミルウォーキーの業者から購入した可能性が高い気が…)。そもそも上記の古いオールド・ヒッコリーたちは「大統領」から来てるのか「木」から来てる名称なのかも定かではなく、コンチネンタル製のオールド・ヒッコリーにしても初期段階と思われるラベルにはジャクソン大統領の肖像画がありません。
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(1936年頃)
コンチネンタル初期のオールド・ヒッコリーにはライもありましたが、その後は造られなくなったようです。そして上画像のストレート・ウィスキーには2年熟成とありました。多分、熟成ウィスキーのストックがなかったからだろうと思います。その後は年を経るにつれて4年熟成になり、オールド・ヒッコリーがコンチネンタルの看板製品となる頃には最低6年熟成のクオリティを守ったようです。通常スタイルのボトルに紙ラベルの物には、同時期流通ではないと思いますが、熟成年数とボトリング・プルーフのヴァリエーションがありました。基本は6年熟成86プルーフとボトルド・イン・ボンドで、他に7年熟成や8年熟成の物、また80プルーフもあったかも知れません。こうした通常品の他にスタイリッシュなグラス・デカンターに容れられたオールド・ヒッコリーも幾つかありました。それらの中でも有名なのはイーグル・キャップ・デカンターとかゴールデン・トロフィーとか呼ばれるやつです。中身のバーボンは10年熟成ですね。
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そしてトップ画像のパネル・ボトルも10年熟成。多分60~70年代頃に流通していたと思います。おそらく、こうした当時としては長期熟成のバーボンを使用したリリースは、当時の多くの蒸留所と同様、需要の減少により倉庫に在庫が蓄積されたために行われたのでしょう。もともと長期熟成を意図したのではなく需要減の副産物として製品化したのが現実かと。しかし、その結果はフル・フレイヴァーをもたらし、バーボニアンの評価するところとなりました。その最たるものが特別なリミテッド・エディションの20年熟成オールド・ヒッコリーでした。発売は70年前後と見られ、逆算すると1950年前後の蒸留ですから、リンフィールドのキンジー蒸留所(PA-12)で蒸留された可能性が高いです。キンジーの元従業員によるとウェアハウスDから引き出されたバレルをボトリングしたものだとか。
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通常のオールド・ヒッコリーはキンジーではなく、サウス・フィラデルフィアのコンチネンタル・プラント(PA-1)で造られた筈です。熟成はリンフィールドでしょう。ボトリングは時代によって異なる場所でされたようで、キンジーのボトリング施設の時もあれば、イリノイ州レモントの場合もありました。もしくはフィラデルフィアのボトリング施設でなされた時期もあったかも知れません。
レシピの詳細は分かりませんが、コンチネンタルは同社のナンバーワン・バーボンであり最大の売れ筋であったオールド・ヒッコリーを造ることに重きを置いたらしく、他のバーボンとは共有されていない独自のマッシュビルを持っていたと伝えられます。先にも触れたように、オールド・ヒッコリーは少なくとも6年は熟成されており、ボトルド・イン・ボンド・ラベルのボトリングでも6年熟成でした。一般的に4年程度の熟成でボトリングされることの多いバーボンと較べ、この2年の追加こそがその滑らかさとリッチなフレイヴァーの大きな理由であると考えられています。
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さて、大きな会社であったパブリカーも、1970年代に業界で起こった変化に耐えることができませんでした。アメリカではクリア・スピリット、特にウォッカの人気が高まり、バーボンの販売量は減少したのです。「America's Most Magnificent Bourbon(アメリカの最も壮大なるバーボン)」と宣伝されたオールド・ヒッコリーではありましたが、現実にはナショナル・ディスティラーズのオールド・グランダッドやオールド・クロウやオールド・オーヴァーホルトよりは全国区ではないと言うか、ストロング・ブランドではなかったのでしょう。そしてパブリカー/コンチネンタルにとって悪いことに、長年会社を率いてきたリーダー、サイモン・"シー"・ニューマンの死が1976年にありました。サイモンの死後、外部の経営者たちが雇われ取締役会に進出すると会社の方向を変えようとし始めました。それは会社の建て直しではあったのですが、彼らはパブリカーをP&Gのような強大なホーム・ケミカル会社にしようとしました。飲料用蒸留酒の製造と販売に見切りを付けた訳です。多くの酒類ブランドやイリノイ州レモントのボトリング施設といったアルコール事業の資産は、負債の支払いとケミカル・ボトリングへの資本投資に使用するために1979年に売却されました。オールド・ヒッコリーはこのブランド売却の際、その他のブランドと共にチャールズ・メドレーに買われます。
チャールズはブランド権だけでなくストックのバレル及び既にボトルに入ったオールド・ヒッコリーも購入しました。聞くところによると「リンフィールド」が「XXX」で消され「オーウェンズボロ」と書かれたボトルがあったそうな。それらを販売し使い果たした後、オールド・ヒッコリーはメドレー蒸留所で造られたと思われます。アメリカの情報を参照するとオールド・ヒッコリーは1981年に製造中止になったとされることもあるのですが、日本で比較的見かけることの多いポッカ輸入のスタンダードな4年熟成80プルーフのオールド・ヒッコリーにはオーウェンズボロの記載があり、なんとなくもう少し後年まで製造されていたのではないかという印象があります。
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現に私の手持ちの91年発行のバーボン本には当のオールド・ヒッコリーが紹介されています。80年代後半のバーボン・ムックにも紹介されていました。これは私の推測なのですが、おそらくメドレーがグレンモアに買収され、グレンモアがユナイテッド・ディスティラーズに買収された91年までは、オールド・ヒッコリーはメドレー蒸留所で製造されて日本向けの輸出ラベルとして生き残り、UDにブランド権が移った時に製造を停止されたのではないでしょうか? ここら辺の事情に詳しい方はコメントよりお知らせ頂けると助かります。それは措いて、90年代後半には市場から完全に姿を消したオールド・ヒッコリー・バーボンは、月日の経過と共に忘れ去られた存在となりました(オールド&ヴィンテージ・バーボン愛好家は別として)。

ところが、折からのアメリカのバーボン・ブームのおかげ?で、オールド・ヒッコリーは復活を遂げます。
ナッシュヴィルに拠点を置く酒類販売店で1994年設立のR. S. リップマン・カンパニー(ワイン、ビール、スピリッツ、およびミキサーを取扱う)は、2011年以降、多様な飲料アルコールのポートフォリオを構築するためのブランド作成と買収を開始しました。彼らは2013年にテネシー州市場での最初の発売のためにオールド・ヒッコリーの商標を取得します。2013年の夏、同社CEOのロバート・S・リップマンと開発チームはインディアナ州ローレンスバーグにある元シーグラムの蒸留所(MGP)で、長い間マスター・ブレンダーを務めるパム・ソウルと蒸留所のチームと連携して、オールド・ヒッコリー・ウィスキー・プロジェクト用のマッシュビルとバレルを選択しました。それらは「オールド・ヒッコリー・ブレンデッド・バーボン・ウィスキー(通称ブラック・ラベル)」として発売されました。ブラック・ラベルは4年以上熟成のウィスキーが89%、最低限2年熟成のウィスキーが11%のブレンド、80プルーフでのボトリングです。2015年春には「オールド・ヒッコリー・ストレート・バーボン・ウィスキー(通称ホワイト・ラベル)」が発売されました。こちらはMGPの標準的なエイジングである最低4年から7年熟成のバレルから造られ、歴史的にアメリカのディスティラーが好んだと云う伝統的な「パーフェクト・プルーフ」の86プルーフにて製品化されています。マッシュビルの仔細は公表されていませんが、どちらも同じでコーンとライ合わせて90%、残りがバーリーモルトのようです。ボトリングはオハイオ州シルヴァートンでされました。最近では製品レンジも拡がったようで、341ケースのみの限定リリースながら「オールド・ヒッコリー・ハーミテッジ・リザーヴ・ライ」も発売されました。これは6年熟成で、MGPの95%ライ・マッシュビルの個人選択バレルだと思います。
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では、現代版オールド・ヒッコリーの紹介が済んだところで、最後に飲んだ感想を少しばかり。今回飲んだのは、オールド・バーボン愛好家に評価の高いコンチネンタル製の10年熟成オールド・ヒッコリー。先日まで開いていたボトルが空になったとのことで、新たなストックを開封して頂きました。裏ラベルにイリノイ州レモントの記載がありません。Distilled表記しかないのです。レモントとあるのとないのどちらの方が古いのでしょうか? ご存知の方はコメントよりご教示下さい。ちなみに参考の物は70年ボトリングとされ、「DISTILLED IN PENNA」とあります。
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OLD HICKORY 10 Years 86 Proof
推定70年代ボトリング。クラシックなバーボンという印象。スムーズな飲み口。しっかりとした樽香にバランスのとれたフレイヴァー。キャラメルもスパイスもドライフルーツもハーブも感じられるが、どれも突出しない穏やかな感じ。
Rating:85.5/100

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(画像提供Bar FIVE様)

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I.W. HARPER 101 PROOF Gold Label
80年代後期のものかなと予想します。90年代に販売されていたグレーラベルのハーパー101の前身かと。もしかすると90年代初頭までは流通していたかも知れません。昔のバーボンの本を見てみると、スタンダードな86プルーフのゴールドメダルより熟成年数の平均値が少し長そうな記述が見られますが、あまり当てにならない情報に感じます。味は平凡と言えば平凡でした。クセのないスタンダードな旨さと言ったらいいでしょうか。これはグレーラベルを飲んだ時にも思ったことですが、特別な感じがしないのです。勿論ハイプルーフならではの満足感はありますが。
Rating:85/100

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I.W. HARPER GOLD MEDAL
こちらはラベルの腐食が進みすぎて年代の識別が困難です。60年代ぐらいですかね? もしかしたら50年代? 何プルーフなのかもよく判りません。ボトルド・イン・ボンドとは表記されていないように見えるので86プルーフでしょうか。ですが、液体の色はかなり濃いです。マスターに聴けば良かったものの、この頃には酔っぱらっていたせいか、聴きそびれました。感想は、円やかな酒質にクレームブリュレもしくはプリンの風味。これが86プルーフだったとすると、低プルーフの割りに風味の点で101プルーフに負けない豊かさがあったように思います。
Rating:85.5/100

追記:記事投稿後にバーボン・バーGのマスターより情報提供頂きました。上の腐食の進んだハーパーとほぼ同時期とみられるボトルドインボンド版の綺麗な状態の前後ラベル写真を拝見出来たのです。それは全く同一のラベルデザインに見えました。 そしてそれは53年蒸留、58年ボトリングだそうで、そうなると上に述べた推定年代は概ね間違ってなかったようです。この場を借りて改めてお礼を言わせて頂きます。ここまで劣化したラベルを一目見ただけでそれと判る慧眼、恐れ入ります、ありがとうございました。
また、コメントにも素敵なバーボンマニア様からのアドバイスがありましたのでご参照下さい。ご協力感謝です。

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オールドフォレスターは言わずと知れたブラウン=フォーマン社の看板製品。特にそのボトルド・イン・ボンド規格の物は銘酒の誉れ高くバーボンファンのお気に入りです。1920〜1933年の禁酒法の間も医薬目的のための販売を認められたブランドの1つで、1870年代に発売されてから現在まで継続している正にお手本のようなブランド。なのに日本での知名度はジムビームやファアローゼズ、アーリータイムズやIWハーパーに較べるとやや低いのが残念ですね。

オールドフォレスターは、それまで樽から直接ジャグ等の再利用容器に入れて販売されるのが一般的であったバーボンを、密封ボトルのみで販売した初めてのブランドであったと言われます。当時の多くのウィスキーは中間業者によって色々な混ぜ物が入れられていました。それを防ぐ手段としてガラス瓶(*)に入れ密封されたオールドフォレスターは当初薬局で薬品として販売されていたとか。その時代、ウィスキーは薬として認知されており、だからこそ密封された混じりっ気のないウィスキーは、品質を保証し、医師や薬剤師に好意的に迎えられたのです。これにはブラウン=フォーマン社の創業者ジョージ・ガーヴィン・ブラウンが、ウィスキービジネスを始める前の職業が薬剤販売員だったことと無関係ではないでしょう。おそらく実地に医師の意見でも聴いたのかも知れません。それをブラウンはビジネスチャンスと見、ウィスキー業界へと打って出た訳です。

もともとOld Foresterは「Old Forrester」と綴られ「r」が2つ付いたスペルでした。それはブラウンの友人である医師のウィリアム・フォレスター(William Forrester)から由来していると伝えられています。いつ「r」が1つになったのか定かではありませんが、一応ブラウン=フォーマン社が公にしているオールドフォレスターの語源は、この医師の名前説です。実はその他にオールドフォレスターの語源には二説ほど有名なのがあり、一つは南軍の騎兵隊長ネイサン・ベッドフォード・フォレスト(Nathan Bedford Forrest)に由来するというもの。ネイサンは南北戦争での残虐な戦いぶりで勇名を馳せ、しかもKKK(クー・クラックス・クラン)の設立者の一人と目される人物。このネイサン由来説は、社会史家ジェラルド・カーソンの『バーボンの社会史』に端を発するそうです。どうやらこの説は、1960年代という南北戦争から100年の節目、南部ナショナリズムが一種のブームであった時代に迎合したマーケティングのようで、今で言う黒歴史と言いますか、歴史の汚点のような説かも知れません。もう一つは森林を意味する「Forest」から来ていて、「Forester」で森の番人の意とするもの。こちらは穏やかではあるものの面白味に欠ける説ですね。

初期の頃のブラウン=フォーマン社は俗に言うNDP(非蒸留業者)でした。ジョージ・ガーヴィン・ブラウンが1870年にウィスキー・ロウと呼ばれるルイヴィルのメイン・ストリートでウィスキーの卸売ビジネスを開始した当時は、JMアサートン蒸留所とメルウッド蒸留所とBJマッティングリー蒸留所から購入した原酒を独自にブレンドして販売していたそうです。1902年になると主要な供給元であったマリオン郡セントメアリーのベン・マッティングリー蒸留所を購入。そこにはウェアハウスとボトリング施設がなかったので、蒸留を終えたウィスキーはルイヴィルへと運ばれました。1907年にはセントメアリーの蒸留所にもウェアハウスとボトリング施設が建てられます。禁酒法が訪れるとその蒸留所は閉鎖となり、ウィスキーのストックはルイヴィルのG・リー・レドモン社のウェアハウスに移されました。そこはホワイト・ミルズ・ディスティラリーと知られる薬用ウィスキーのための集中倉庫とボトリング施設です。ブラウン=フォーマンのウィスキー以外にも、テイラー&ウィリアムスのイエローストーンやマックス・セリガーのベルモント等のストックが保管されていました。ブラウン=フォーマン社は1924年にそこの資産と在庫を買い取り、禁酒法期間中、薬用ウィスキーのボトリングを続けます。禁酒法解禁後にその施設は再建され、ブラウン=フォーマン蒸留所として1980年頃までオールドフォレスターを生産しました。この蒸留所のプラント・ナンバーこそがオールドボトル愛好家に名高いDSP-KY-414です。1979年以降オールドフォレスターの生産はルイヴィル郊外のシャイヴリィにあるアーリータイムズ蒸留所(DSP-KY-354)へ移管されますが、バーボンマニアには#354より#414のほうが遥かに質が高いとされています。そして2018年6月には、かつてウィスキー・ロウと呼ばれたルイヴィルのダウンタウンにオールドフォレスター蒸留所がオープンしました。おそらく今後は、オールドフォレスターはこちらでも少量造られて行くことになるでしょう。

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OLD FORESTER BOTTLED IN BOND 86 PROOF?
さて、今回飲んだオールドフォレスターのボトルド・イン・ボンドですが、年代はいつ頃の物かよく判りません。マスターに質問し忘れたのか、答えを聞きそびれたのか、どうにも酔っぱらっていて記憶にないのです。見たところ50年代ぐらいでしょうか? 画像で判断できる方がいましたら教えて下さい。それよりもこのボトルで訳がわからないのは、フロントラベルにはボトルド・イン・ボンドと書かれているのに、バックラベルには86プルーフと書かれていることです。ボトルド・イン・ボンドなら100プルーフなのでは…。これはどういうことなのでしょうか? 「Bottled in Bond for Export」ともバックラベルには記載されていますが、この文言が何か関係してるのですかね? これまたご存じの方はコメントよりご教示いただければ幸いです(追記あり)。
とりあえず蒸留とボトリングは#414。この時代から現行オールドフォレスターの72%コーン/18%ライ/10%モルテッドバーリーと同じマッシュビルかどうかは判りませんが、同じである可能性は大いにあると思います。では、最後に飲んだ感想を少々。
一言、キャラメルラテ祭り。ただのキャラメルではありません、ラテです。非常にミルキーな味わいに感じました。欧米の方ならバタースコッチと表現する風味かも知れませんね。
Rating:87/100


*1800年代のガラス瓶は手吹きで造られる大変高価な物であり、下手をすると中身よりも貴重な存在でした。1903年にマイケル・ジョセフ・オーウェンズが自動製瓶機を発明したことにより、安価なガラス瓶がようやく市場へ出回り始め、後に主流となって行きます。

追記:「Bottled in Bond for Export」の件に関して、私からしたら神様のような存在のバーボン・バーGのマスターより教えを頂きました。これは本国流通品とは異なる輸出向けの低プルーフ版なのだそうです。ブラウン=フォーマンに限らず当時のボトルにはこういう物がけっこう存在するのだとか。よって、上で「?」を付けておきましたが、本ボトルは86プルーフで正解となります。

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