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デイヴィッド・ニコルソン1843は現在ラクスコの所有するブランドで、古くはスティッツェル=ウェラーと繋がりのあった小麦レシピのバーボンです。セントルイスを拠点とするラクスコは、旧名をデイヴィッド・シャーマン・コーポレーションと言い、2006年に名称を変更しました。近年、新ブランドのブラッド・オースを立ち上げたり、既存のブランドの拡張と刷新をしたり、更には2018年春にラックス・ロウ蒸留所をケンタッキー州バーズタウンにオープンしたりと、バーボン好きには見逃せない会社です。彼らが展開するバーボン・ブランドにはデイヴィッド・ニコルソンとブラッド・オースの他、エズラ・ブルックス、レベル・イェール、デイヴィス・カウンティがあります。

トップ画像の物はいわゆる旧ラベルで、2015年によりシンプルなラベルにリニューアルされました。2016年には「デイヴィッド・ニコルソン・リザーヴ」という黒いラベルの仲間が増え、ラベル・デザインを揃えています。ちなみに黒い「リザーヴ」の方はウィーターではないスタンダード・ライ・レシピのバーボンです。
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(現行のDNのラベル)

さて、今回はデイヴィッド・ニコルソンとそのバーボンについてもう少し紹介してみたいと思います。日本ではあまり話題にならないバーボンですが、実はなかなか歴史のあるブランド。ラクスコが公式ホームページで言うような、世代から世代へと受け継がれるレシピの物語は額面通りには受け取れませんが、オースティン・ニコルズの「ワイルドターキー」と同じように、自分の店でしか手に入らない独自のウィスキーを常連客に提供した食料品店のオウナーの物語があります。
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セントルイスの形成を助けた一人だったデイヴィド・ニコルソンは、地元市民の胃袋を満たした食料品店オウナー、ダウンタウンの有名なビルの開発者、境界州ミズーリでの無遠慮なユニオン軍のペイトリオットでもあり、何なら詩人ですらあったようですが、その名をアメリカ大衆の記憶に残した最大の功績は、彼が店の奥の部屋で歴史的なウィスキーのレシピを作成したことでした。
デイヴィッドは1814年12月、スコットランドはパース郡のフォスター・ウェスターという村の質素な家庭で生まれました。初歩的な学校教育は受けますが、殆どは独学で物にしました。その後、グラスゴーで食料品店の見習いとなり、後にウェスト・ハイランズのオーバンでも修行を積んだようです。彼は1832年頃にはカナダに移住し、モントリオールに上陸した後、オタワに向かいました。就職がうまく行かなかったデイヴィッドは、大工の仕事を学びながらカナダのいくつかの町を巡回し、遂にはアメリカへ行くことにします。始めはペンシルバニア州エリー、次いでシカゴに移り、最終的にセントルイスで大工仕事に精を出しました。頑強な体つきと頭の回転も速かった彼は迅速で優れた仕事ぶりで知られており、セントルイスにあるセント・ゼイヴィアズ・チャーチの素晴らしい装飾用木工品の幾つかはデイヴィッドの作品だったそうです。

セントルイスでデイヴィッドは10歳年下のスコットランド移民ジェイン・マクヘンドリーと出会い、1840年頃結婚しました。彼らには三人の男の子と三人の女の子、計六人の子供が生まれています。1843年、29歳のデイヴィッドは大工職を断念し、スコットランド人でワイン・マーチャントの仲間と協力して専門食料品と酒の特約店を設立しました。商才に長けていた彼は店を繁盛させ、顧客の増加に合わせて何度も店を移転したそうです。デイヴィッドは卸売業者としても活発な取引を行い、セントルイスから西に向かうワゴン・トレインに食物や飲料を供給しました。また、ニューヨーク・シティの営業所から東部でもビジネスを行っていました。
数回の移転の後、1870年にデイヴィッド・ニコルソンはマーケットとチェスナットの間のノース・シックス・ストリート13-15番にある大きな建物に落ち着きます。その建物は彼自らの仕様で建てられ、各階の広さが50×135フィートある5階建ての構造でした。絶え間ない客の往来に対応するため50人の店員が雇われていたと言います。デイヴィッドは、時には船をチャーターして海外からの貨物を積み込み、セントルイスのグロサーで初めて外国の食料品を輸入して、周辺の市場でこれまで知られていなかった商品の消費を促進しました。

伝説によれば、デイヴィッド・ニコルソンの創業年もしくはその少し後、オウナーは自ら「43」レシピを開発したと言います。彼は食料品店の奥のプライヴェートな部屋で100回以上も実験をしてマッシュビルを考え出し、セカンド・グレインにライではなくウィートを使用することにした、と。中西部ではウィートはライより豊富に穫れ、柔らかく滑らかなテイストを気に入ったからだとか。まあ、この手の創始にまつわる伝承は本当かどうか定かではありませんが、販売されたそのウィスキーは、ミズーリ州や州境となるミシシッピ・リヴァーを渡ったイリノイ州の酒呑みにすぐに受け入れられたようです。また、彼はニューヨークの「ファーストクラス」の場所で販売するために、全国的に知られたブランドのオールド・クロウを樽買いしてボトリングしてもいました。
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おそらくデイヴィッドは蒸留業者であったことはなく、あくまでウィスキーを含む大規模な食料品卸売業者であり、ウィスキーに関してはレクティファイヤー、つまり多くの蒸留業者から購入したウィスキーをブレンドして販売する業者だったと思われます。多くのセントルイスのレクティファイヤーたちは悪名高いウィスキー・リングの犯罪に巻き込まれましたが、デイヴィッドは誠実さがモットーだったのか、業界でよく見られた悪しき取引慣行を大いに蔑み、それらの罪を犯した者を軽蔑したと言います。彼はウィスキー・リングという前代未聞のスキャンダルの後も町を離れませんでした。

デイヴィッドが歳を取るにつれ、親族が会社に加わりました。妻のジェインは役員として会社に入り、イングランドでグロサーの修行を積んだ甥のピーター・ニコルソンは1852年に渡米してすぐ雇われました。店員としてスタートしたピーターには並外れたエネルギーと商才があったようで、彼が経営責任を与えられるにつれて顧客層は大きく広がったと言われています。
デイヴィッド・ニコルソンは1880年11月に65歳で亡くなりました。彼はセントルイスのベルフォンテン・セメタリーに埋葬され、妻のジェインも31年後にそこに入ります。ピーターは食料品店とリカー・ハウスの監督を引き継ぎ、1891年にメインのビルディングが焼失した後、ノース・ブロードウェイに移転し、1920年までウィスキーの販売をしていました。そうして、おそらく禁酒法の到来とともに、ピーターはデイヴィッド・ニコルソン名の権利を同じセントルイスの有名なタバコ商ピーター・ハウプトマン・カンパニーに売却したと思われます。どの時期かは確証がありませんが、少なくとも「ドライ・エラ」の終わり直後にはハウプトマン社がラベルを所有していました。

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ピーター・ハウプトマンは祖国ドイツからアメリカに渡り、様々な卸売会社で働いた後、自分の会社を設立、主にタバコ製品の販売で知られていましたが、タバコ会社の事業を続ける一方で蒸気船事業もしていたようです。もしかするとウィスキー・ブローカーのようなこともしていたのかも知れません。ハウプトマン自身は1904年に亡くなっています。
ピーター・ハウプトマン・カンパニーはデイヴィッド・ニコルソン・ブランドのセントルイスのディストリビューターで、その最高経営責任者はロジャー・アンダーソンでした。当初、イリノイ州には別のディストリビューターがいたそうですが、ともかく、デイヴィッド・ニコルソン1843は常にセントルイス周辺の地域限定的な製品で、禁酒法の後はスティッツェル=ウェラーがピーター・ハウプトマン社のために造りました。ラクスコの公式ニュースによれば、1893年にジュリアン・"パピー"・ヴァン・ウィンクルがWLウェラー商会に加わった頃、セントルイスの卸売業者ピーター・ハウプトマン社のためにデイヴィッド・ニコルソン・ブランドはA.Ph.スティッツェル蒸留所でオリジナルの「43」レシピの蒸留と瓶詰めを開始したという記述が見られます。詳細は分かりませんが、少なくともその頃からハウプトマン社が関わっていたのは間違いなさそうです。

禁酒法後、ハウプトマン・カンパニーはマッケソン・インコーポレイテッドに所有されていました。ロジャー・アンダーソンは第二次世界大戦でアメリカ陸軍に勤務した後、マッケソンの販売部門で働き始めました。1968年、彼はセントルイスのマッケソンのピーター・ハウプトマン卸売酒類部門のゼネラル・マネージャーに就任し、1993年または1994年にその職を退き、2013年に亡くなったとのこと。
1967年までハウプトマン社はデイヴィッド・ニコルソン1843バーボンのブランドを所有していましたが、その年、フォーモスト・デリーズはマッケソン=ロビンズを買収し、ハウプトマン部門はクロスオウナーシップのルールによりニコルソン・ブランドの販売を余儀なくされ、それをヴァン・ウィンクル/マクルーア・ファミリーが取得しました。この関係はやや込み入ったものでした。ファミリーはゴールド色の「1843」の名前とスコットランドの国花アザミがデザインされたラベルを所有しつつそれをリースすることで、ハウプトマン社はプレミアムな自社ブランドの一つとして販売し続けることが出来たのです。ハウプトマンはスティッツェル=ウェラーからウィスキーを購入し、倉庫代と瓶詰めの費用を支払い、ウィスキーが出荷されるとヴァン・ウィンクル/マクルーア・ファミリーには、ケースごとにブランドを使用するためのロイヤリティが支払われました。この取り決めはヴァン・ウィンクル/マクルーア・ファミリーがスティッツェル=ウェラー蒸留所とそのブランドの殆どをノートン・サイモンに売却した1972年以降も続いたようです。

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ラクスコの公式ホームページによるとデイヴィッド・ニコルソン・ブランドを買収したのは2000年としていますが、ヴァン・ウィンクル・ファミリーからの情報ではデイヴィッド・シャーマン・カンパニーにブランドを売却したのは1984年または1985年とされています。また、デイヴィッド・シャーマン社はロジャー・アンダーソンが引退した93-94年頃にハウプトマン社を買収したという話もありました。アンダーソンは死ぬまでアクティヴにビジネスを続け、J.P.ヴァン・ウィンクル&サンのセントルイスでのブローカーだったそうです。
ピーク時には年間約40000ケース売り上げたというデイヴィッド・ニコルソン1843も、デイヴィッド・シャーマン社がブランドを購入した頃には、販売量は年間約6500ケースに減少していました。こうしたバーボンにとって暗黒時代だったことが直接的、或いは間接的に影響し、デイヴィッド・ニコルソン・ブランドを長らく蒸留して来たスティッツェル=ウェラー蒸留所は、新しい所有者のユナイテッド・ディスティラーズによって1992年に生産を停止されてしまいます。

デイヴィッド・ニコルソン1843は上述のように地域の製品としてミズーリ州セントルイス、イリノイ州イースト・セントルイスやアルトン(オールトン)で人気があり、長年に渡って販売され続けました。実際、地域限定の製品としては画像検索で比較的容易に40年代から70年代のオールドボトルでも見ることが出来ます。最も多く見られるデイヴィッド・ニコルソン1843は丸瓶で7年熟成の物でしたが、6年熟成や8年熟成、またデカンターに入った物もありました。スティッツェル=ウェラーは異なるブランドで使用するためにデカンターのデザインをリサイクルすることがよくあったと言われています。高価格帯のバーボンが売れ行きを落としていた1970年代には時代の趨勢もあってか、より低価格帯の92プルーフに希釈されたブラックラベルの1843も導入されたようですが、画像は発見出来ませんでした。
デイヴィッド・ニコルソン1843はスティッツェル=ウェラー製造品としてオールド・フィッツジェラルド、WLウェラー、キャビン・スティル、レベル・イェール等と同一線上のウィーテッド・バーボンであり、バーボン・マニアからの評価は高く、S-Wを好きな人からすると限りない価値があるでしょう。概ね7年熟成のボトルド・イン・ボンド製品だったデイヴィッド・ニコルソン1843は、見方を変えれば7年間熟成させたオールド・フィッツジェラルドBIBとも、また別の見方をするなら107バレルプルーフではない100プルーフ版のオールド・ウェラー・アンティークとも言えるのですから。

さて、1992年以降再び蒸留されることはなかったスティッツェル=ウェラー蒸留所。その原酒を調達できなくなった後のデイヴィッド・ニコルソン・ブランドはどうなったのでしょうか?
ユナイテッド・ディスティラーズはS-W蒸留所を閉鎖すると、小麦バーボンの製造を彼らが新しく建てたバーンハイム蒸留所に移しました。後の1999年にはその蒸留所をヘヴンヒルに売却します。そして、ラクスコはバーボンの全てではないにしても大部分をヘヴンヒルから供給していることを開示しています。
当時のデイヴィッド・シャーマン社は、蒸留所が閉鎖された時も、まだスティッツェル=ウェラーからウィスキーを仕入れていたそうです。おそらくスティッツェル=ウェラーの原酒が枯渇した後、ある時点でヘヴンヒル・バーンハイム蒸留所の原酒に切り替わったと思われますが、その明確な時期は判りませんでした。また、いくら調べてもユナイテッド・ディスティラーズが所有していた数年の間のバーンハイム原酒が使用されたかどうかも判りません。ここら辺の詳細をご存知の方はコメントよりご教示頂けると助かります。それは偖て措き、デイヴィッド・ニコルソン1843の瓶形状がスクワット・ボトル(トップ画像参照)の場合、おそらくデイヴィッド・シャーマンが販売したもので中身はヘヴンヒルと思われるのですが、初めはあった7年熟成表記が多分2000年代半ばあたり?にNASになりました。
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スティッツェル=ウェラーからヘヴンヒルに変わっただけでも、バーボン通からの評価があまり宜しくなかったのに更にスペックが落ちた訳です。まあ、これは「時代の要請」もあるので仕方ないとは思いますが、それよりも評判が悪かったのは裏ラベルに記載されたDSPナンバーの件でした。ボトルド・イン・ボンドを名乗る場合、ラベルには当のスピリッツを生産した蒸留所を表示する必要があります。そしてそれは真実でなければならないでしょう。それなのにデイヴィッド・ニコルソン1843ブランドは、事実上スティッツェル=ウェラーからの供給が使い果たされた後もずっと、その蒸留所をDSP-16(S-Wのパーミット・ナンバー)として示し続けたのです。この件はバーボン愛好家の間で問題視されました。ラクスコはこの誤りは単純な見落としで、ラベルをそのまま再印刷し続けてしまったと主張していたそうです。
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上の画像は私の手持の推定2013年ボトリングと思われるボトルの裏ラベルです。いくらBIB法は既に廃止された法律であり、ボンデッド・バーボンが市場の僅かな部分しか占めない製品であり、そしてデイヴィッド・ニコルソン1843が地域限定の比較的小さなブランドであるとしても、長期に渡って「DSP-16」が表示されたラベルを使い続けたのはちょっと意図的な気もします。とは言え、或るバーボンマニアの方はその紛らわしいラベル付けに関する疑問を直接ラクスコにぶつけ、DSP-KY-16で蒸留されたからこそ購入したボトルが実際には別の出所からの物であることが事実なら、①あなたの虚偽の広告の結果として私が行った支出を金銭または正しくラベル付けされたボトルで補償する必要があり、②第27.1.A.§5.36に基づく連邦規制に準拠してコンテンツの真実の起源を反映するために全てのラベルを直ちに修正する必要があり、 ③他の消費者が現在市場に出回っている誤ったラベルの付いた製品に惑わされないように間違った情報について謝罪を公表する必要があると思います、というような内容のメールを送ったところ、すぐに返金する旨の回答を得たとか。本当に悪意のないミスだったのかも知れません。
こうしたエラー・ラベルの件が関係してるのか分かりませんが、冒頭に述べたようにデイヴィッド・ニコルソン1843のラベルは2015年に一新され、ボトルド・イン・ボンドを名乗らなくなりました。けれど再発進されたヴァージョンも依然100プルーフを維持するウィーターなのは同じままです。おそらく驚異的なバーボン・ブームに乗る形で、それまで95%がミズーリ州とイリノイ州での販売だった物を全国的に販路を拡げるにあたってリニューアルし、新しい市場で大きな成長を期待されるのが現行品の「1843」と黒ラベルの「リザーヴ」ということでしょう。では、そろそろテイスティングの時間です。

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David Nicholson 1843 Brand BOTTLED-IN-BOND 100 Proof
推定2013年ボトリング。ナッツ入りキャラメル、グレイン、チェリー、洋酒を使ったチョコレート菓子、汗、ケチャップ、みかん。比較的ミューテッドなアロマ。口の中では柑橘系のテイストがあって爽やか。余韻は度数に期待するより短いが、ナッツとドライフルーツの混じったフレイヴァーは悪くない。
Rating:83.5/100

Thought:前回まで開けていた同社のレベルイェール・スモールバッチ・リザーヴと較べるとだいぶ美味しいです(現行のレベルイェール100プルーフとの比較ではありません)。単にプルーフが上がってる以上の違いを感じました。ほんのり甘くありつつ、100プルーフらしい辛味のバランスも好みです。熟成年数は、BIBなので最低4年は守りますが、確かにその程度の印象で、いっても5、6年でしょうか。
同じ小麦バーボンで有名なメーカーズマークのスタンダードと比較して言うと、良くも悪くも円やかさに欠けると言うか荒々しいのが魅力。格と言うか出来はメーカーズの方が上だとは思いますけど、個人的にはスタンダードのメーカーズより好きかも。
私は現行の新しいラベルのデイヴィッド・ニコルソン1843を飲んだことがないので本ボトルとの比較は出来ませんが、一応ほぼ同じであると仮定して言います。ヘヴンヒルが製造している小麦バーボンには少し前までオールド・フィッツジェラルドという有名な銘柄がありました。しかし、それは現在では少し上位のラーセニーに置き換えられ終売となっています。そうなると、比較的安価に買えるヘヴンヒルの小麦バーボンを探しているのなら、もっと言うとオールド・フィッツジェラルドBIBやオールド・フィッツジェラルズ1849の代替品を探しているのなら、このデイヴィッド・ニコルソン1843こそが最も近い物となるでしょう。ただし、唯一の欠点はお値段です。アメリカではヘヴンヒルのオールド・フィッツジェラルドBIBは17ドル程度だったのに対し、デイヴィッド・ニコルソン1843は地域差もありますが概ね30〜35ドル(現在はもう少し安い)。ちょっと考えちゃいますよね。

Value:上のお値段の件は、日本で購入しやすい小麦バーボンのメーカーズマークを引き合いに出すと分かり易いでしょう。現行のDN1843は現在の日本では大体3000円近くします。メーカーズのスタンダードなら2000円ちょいで買えてしまいます。そして、ぶっちゃけメーカーズマークの方が熟成感という一点に関しては上質なウィスキーだという気がします。さあ、この状況下でDN1843を購入するのは勇気のいる選択ではないでしょうか? お財布に余裕があったり、メーカーズのマイルドさと酸味が嫌いでヘヴンヒルのナッティなフレイヴァーが好みだったり、よりパンチを求める人なら購入する価値がありますが、私個人としては味わい的にDNの方が好みではあるものの、経済性の観点からメーカーズマークを選択するかも知れません。

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アーリータイムズ150周年記念ボトルは、その名の通りアーリータイムズの1860年の創業から数えて150年を迎えることを祝して2010年にリリースされました。3000ケース(各24ボトル)のみの数量限定で、375ml容量のボトルしかなく、アメリカでの当時の小売価格は約12ドルだったようです。

アーリータイムズは豊かな伝統とマイルドな味わいで知られるブランドです。創業当時の設立者ジャック・ビームは、業界が余りにも急速に近代化し過ぎていると考え、「古き良き時代」を捉えたブランドを求めて、その名をウィスキー造りの昔ながらの製法(アーリータイムズ・メソッド)から付けました。彼はマッシングを小さな桶で行い、ビアやウィスキーを直火式カッパー・スティルでボイリングする方法が最善と信じていたのです。アーリータイムズの伝統を匂わせるマーケティングは当り、順調に売上を伸ばしましたが、やがて禁酒法の訪れにより蒸留所は閉鎖されました。
一方でブラウン=フォーマン社の創業者ジョージ・ガーヴィン・ブラウンの跡を継いでいたオウズリー・ブラウン1世は、1920年、禁酒法下でも薬用ウィスキーをボトリングし販売するための連邦許可を取得しました。彼は既存の薬用ウィスキーの供給を拡大するために、1923年にアーリータイムズ蒸留所、ブランド、バレルの全在庫を買い取ります。1925年にオウズリーはアーリータイムズの全てのオペレーションをルイヴィルのブラウン=フォーマンの施設に移しました。禁酒法が発効すると1900年代初頭の多くの人気ブランドは姿を消しましたが、ブラウン=フォーマンによって買われていたアーリータイムズは絶滅から免れ、薬用ウィスキーとして販売され続けたことにより消費者から忘れ去られませんでした。1933年に禁酒法が終了した後、ブランドは黄金時代を迎えることになります。オウズリーのリーダーシップの下、ブラウン=フォーマンは1940年にルイヴィルの南にあったオールド・ケンタッキー蒸留所を買収し、そこをアーリータイムズの本拠地としました(DSP–354)。そして1953年頃には、アーリータイムズはアメリカで最も売れるバーボンとなりました。広告ではブランドを「ケンタッキー・ウィスキーを有名にしたウィスキー」とまでアピールしたほどです。1955年、ブラウン=フォーマンはプラントの全面的な見直しと近代化を行いました。まだまだバーボンは売れる商品だったのです。
しかし、70年代はバーボンにとって冬の時代でした。ブラウン=フォーマンは1979年になるとルイヴィルのオールド・フォレスター蒸留所(DSP-414)を閉鎖し、同バーボンの製造をアーリータイムズ・プラントに移管しました。その頃、二つのブランドの品質に影響を与える重要な決定が下されます。オールド・フォレスターは同社の看板製品なのでプレミアム・バーボンとして選ばれ、アーリータイムズは二種類の製品に分けられてしまいました。一つは輸出用の製品で「ケンタッキー・ストレート・バーボン・ウィスキー」規格を保持しましたが、もう一つのアメリカ国内流通品は80年代初頭に新樽ではない中古樽で熟成された原酒を含むため「バーボン」とも「ストレート」とも名乗れない「ケンタッキー・ウィスキー」となったのです。もしかすると、その時に熟成年数もまた短くしたかも知れません(3年熟成)。こうして、嘗て栄光を誇ったアーリータイムズはアメリカでは最高のブランドではなくなりましたが、ボトムシェルフ・カテゴリーの中では存在感は示したでしょうし、海外、特に日本ではバーボンの代名詞的存在であり続けました。
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この150周年記念ボトルは、1923年当時ブラウン=フォーマン・ディスティラーズ・コーポレーションの社長だったオウズリー・ブラウン1世が薬用ウィスキーとしてボトリングした時のアーリータイムズのフレイヴァー・プロファイルを見習って造られている、と同社の統括的なマスターディスディラーであるクリス・モリスは語っています。
禁酒法時代の薬用ウィスキーの殆どは時宜遅れのボトリングでした。それらには本来ディスティラーが意図していたより3倍長く熟成されたウィスキーが入っていたのです。1923年という初期禁酒法下で、ブラウン=フォーマンは5~6年程度の熟成のアーリータイムズを薬用ウィスキーとしてボトリングし始めました。それはライトな蜂蜜色で、メロウ・オークにブラウン・シュガーにヴァニラの香り、シンプルなスイート・コーンとヴァニラと仄かなバタースコッチの味わいをもち、過ぎ去りし最高のアーリータイムズを偲ばせると云います。つまり、そうした禁酒法の初期に販売されたであろうメディシナル・アーリータイムズ・プロファイルを模倣するために、「アーリータイムズ・ケンタッキー・ウィスキー」のプルーフを引き上げ、更に熟成年数を引き延ばすアプローチをした物が、この150周年アニヴァーサリー・エディションという訳です。また、ボトルと言うかパッケージングも禁酒法時代のウィスキーのデザインになっていますが、このデザインが実際あった物の復刻なのかどうか私には分かりません。多分それ風にデザインした物ではないかと想像しますが、実情をご存知の方はコメント頂けると助かります。それは偖て措き、2011年になるとブラウン=フォーマンはアメリカ国内で「アーリータイムズ354バーボン」なるストレート・バーボン規格の製品を発売しました(レヴューはこちら)。私には何となく、発売時期からするとこのアニヴァーサリー・エディションには、従来のボトムシェルファーとは違う少しプレミアム感のある「354」の売り上げを伸ばすための地ならしと言うか「アーリータイムズの栄光よもう一度」的な?宣言の役割があったように思えてなりません。まあ、空想ですが…。 
では、そろそろ飲んでみましょう。

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EARLY TIMES KENTUCKY WHISKY 150TH ANNIVERSARY EDITION 100 Proof
2010年ボトリング。バターレーズンクッキー、フローラル、焦樽、焼いたコーン、ワカメ、ホワイトペッパー、微かなチェリー、藁。少しとろみのあるテクスチャー。口蓋ではアルコール刺激はまずまずありつつ、木材とスパイシーさが。余韻はミディアム・ショートで、豊かな穀物を主に感じながらビタネスとスパイスとフルーツと香ばしさがバランス良く混ざり合う。
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Thought:通常のアーリータイムズとは一線を画す現代のプレミアム・レンジのバーボンに感じやすい香水のような樽の香ばしさがあります。これの前に開けていたアーリータイムズ・プレミアム(90年代)とも全然違うフィーリングで、連続性はなく感じました。とは言え、それが件のバーボンではないケンタッキー・ウィスキーだからなのか、熟成年数の追加とプルーフィングその他によるものなのかは分かりません。少なくとも私には「これバーボンです」と提供されればバーボンと思う味わいでした。基本的には、何というかそれほどコクのない香ばし系とでも言いますか、美味しいのですが、個人的にはもう少し甘みかフルーツ感が欲しいところです。メロウネスもあまり感じないので、熟成年数はいいとこ6年くらいかなという印象です。正直、クリス・モリスには申し訳ないですが、これは禁酒法時代の風味を再現してるとは思えず、完全に現代的な樽の風味だと感じました。
それと上の点数なのですが、残量3分の1を過ぎた頃から風味がかなり変わりまして、それゆえ矢印で対応した次第です。香りは甘さが消え、口の中では酸味が少し増え、余韻はドライになり、バランス的には穀物とスパイスに偏りました。劣化した味わいではないのですが、良い変化とは言えないし、私の好みではないです。

Value:この製品は通常ボトルの凡そ半分量ということもあり、オークションでもそれほど高値にならず、70年代のイエローラベルより安価で購入出来ると思います。味わい的に物凄くオススメという訳でもないのですが、パッケージングがカッコいいのでそれなりの価値があります。デザインを含めて考えると、個人的には3000円代なら購入してもよいかと。

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オールド・ミスター・ボストンは、禁酒法の終わりに、マサチューセッツ州ボストン近隣のロクスバリーに設立されたベン・バーク・インコーポレイテッドのブランドでした。社名は創業者の二人、アーウィン・"レッド"・ベンジャミンとハイマン・C・バーコウィッツのファミリーネームの前半を繋げたものと思います。彼らはオールド・ミスター・ボストンのブランド名で、ウィスキー、ジン、ラム、ブランディ、コーディアルやリキュールまであらゆる蒸留酒のフルラインを販売していました。
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(1940 Life Magazine)

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またコレクターに知られる記念ボトルやデカンターを様々な形とサイズや素材で販売し、そのレンジにはシンプルなガラス瓶からより精巧な人形やモデルに至るまであります。それらの中でも、おそらく最も有名なのは1953年大統領就記念ボトルでしょう。ボトルの後ろには、それまでの全てのアメリカ大統領のリストがプリントされています。
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蒸留所は1010マサチューセッツ・アヴェニューにあり、1933年から1986年当時の親会社だったグレンモア・ディスティラーズが操業を停止するまでボストン地域の主な雇用主でした。オールド・ミスター・ボストンが活動していた建物は、現在ではボストン市が所有しており、1970年代にその半中毒性のフレイヴァー・ブランディで最もよく知られていたにも拘わらず、皮肉なことに、市検査サーヴィスの本部として使用されている他、ボストン公衆衛生委員会や暫定支援局などの機関が入っているようです。
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(WIKIPEDIAより)

時の流れと共に一連のオーナーシップの変更を通じ、ブランドは変化を被りました。オールド・ミスター・ボストンは1933年の創業から1970年までは独立した事業でしたが、その年にグレンモアに買収されます。当時グレンモアは米国で最大クラスの蒸留酒を製造/販売する会社の1つでした。グレンモアの所有下でも、全ての事業がルイヴィルに移された1986年までは、ボストンの本拠地は操業を続けていました。
1980年頃にグレンモアは、ブランドを現代風にするため、或いは「ボストン氏」をより若い男として描写するため、その渾名から「オールド」をなくしました。ちなみにラベルの印象的な肖像画の人物、ビーヴァー・ハットを被ったディケンジアンのような、ヴィクトリア王朝時代風の紳士に見える「ボストン氏」は架空の人物です。1987年には「ミスター」まで取り除かれ、遂にシンプルな「ボストン」となり、ロゴは飾り気のない「B」になりました。
1991年になると親会社のグレンモアはユナイテッド・ディスティラーズ(現在のディアジオの母体)に買収されます。この期間の業界統合で典型的だったのは、買収する側の企業は大抵の場合、買収した企業の資産の一部しか必要とせず、残りをすぐに売却することでした。ユナイテッドは例に漏れずそうしました。1995年にニューヨークのCanandaigua Wine Co.(後のコンステレーション)傘下のバートン・ブランズが「ボストン」を含む多数の破棄されたブランドを購入し、生産を再開、その時に名前を以前の栄光に似た「ミスター・ボストン」へと戻しました。バートンは、リキュールとコーディアルのラインにこのブランドを使用しています。その後の2009年、バートンの親会社コンステレーションもユナイテッドと同じ事をし、ミスター・ボストン・ブランドを含むバートン・ブランズをニューオーリンズのサゼラック・カンパニーに売却しました。それからはサゼラックが所有し続け現在に至ります。

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「オールド・ミスター・ボストン」の名は蒸留酒のブランドだけでなく、プロ/アマ問わずバーテンダーやミクソロジストに「聖書」として参照された小さな赤い本「オールド・ミスター・ボストン・オフィシャル・バーテンダーズ・ガイド」でも知られています。
禁酒法が廃止されたことでアメリカにバー・タイムとカクテル・アワーは甦りました。ウィスキー、ジン、ラム、リキュール等を取り揃えたオールド・ミスター・ボストン・スピリッツの製造元であるベン・バーク・インコーポレイテッドは、蒸留所が再び営業を開始した禁酒法廃止後の初期段階に「ガイド」を作ることを決めます。オリジナルのガイドはオールド・ミスター・ボストンの購入エージェントであるレオ・コットンによって編纂され、彼は四人の「オールド・タイム・ボストン・バーテンダーズ」と協力してそれを作成しました。ガイドは大成功を収め、初版が1935年に出版されて以降、時代に合わせて改訂と更新を繰り返し、長年に渡って発行されました。レオは本業そっちのけで改訂作業に熱を入れたなんて話もあります。そのガイド・ブックは、史上初のカクテル・ブックでもなかったし、現代的なミクソロジー・ムーヴメントを正確に反映した書物でもないでしょう。けれども伝統主義者には試金石として重要な書物であり続けたのです。
ミスター・ボストンの現所有者であるサゼラックは2016年7月に新しいウェブサイトを立ち上げました。「ミスター・ボストンの本は禁酒法以来、アメリカのカクテルの進化をカヴァーしていますが、悲しいことに何年にも渡ってほったらかしにされていました」とサゼラック・カンパニーの社長兼最高経営責任者マーク・ブラウンは語ります(以下、鉤括弧はマークの言)。サゼラックは自身のカクテル開発における役割からの帰結として、自らの会社の歴史をミスター・ボストンの歴史に統合しました。「私たちの会社とそのブランドの繋がりは、サゼラック・カクテルだけでなく、カクテル・カルチャーの代名詞であるニューオリンズの私たちの伝統とも密接に関連しています。プロフェッショナルとアマチュアのミクソロジストのための〈頼りになる〉サイトとして、少なくとも80年間はブランドの未来を確保するように全てを纏めるのは自然なことでした」。このウェブサイトではオフィシャル・バーテンダーズ・ガイドをデジタル形式で見ることが出来ます。「私たちはスピリッツ業界の人々やホーム・バーでカクテルを作る人々にとって、これが真のリソースになることを望んでいるのです」。
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さて、今回飲んだのは昔のオールド・ミスター・ボストン・ブロンズ・ラベル。ブランドのラインナップの中でもバーボンは一部に過ぎませんが、そのバーボンの中でもブロンズ・ラベルがどの程度の位置付けなのか調べてもよく分かりませんでした。一般的に「ブロンズ」と言うとトップ・クオリティとは考えにくい色と思われますがどうなのでしょう? と言うか、そもそもゴールドとシルヴァーはないみたいなので、なにゆえ敢えてブロンズなのか気になるところです。
私が飲んだボトルのバック・ラベルは、本来、熟成年数が記述されている場所にインポーター・シールが貼られ見えません。ですが、殆ど同じと思われるボトルの他の画像をネットで見てみると、どうやら6年熟成と書かれているようなのです。そしてラベルにはデカデカと「ケンタッキー・ストレート・バーボン・ウィスキー」の文字。6年熟成のKSBWならば、ほぼほぼ良質なウィスキーと言って良いかと思います。ただし、ラベルにはケンタッキー州○△□とは書かれておらず、一体どこの蒸留所産かは見当も付きませんが…。

ところで、ラベルに記載された所在地なのですが、マサチューセッツ州ボストンはオールド・ミスター・ボストンの本拠地だから分かり易いですよね。次のジョージア州オーバニーは、あの有名な未熟成コーンウィスキーのジョージアムーンを造っていたヴァイキング・ディスティラリーのことを指しているのも間違いないでしょう。オールド・ミスター・ボストンは60年代初頭にそこを買収しています。で、最後のフロリダ州レイクランド、これが分かり辛い。今でこそ(2000年以降)フロリダ州にも多くのクラフト蒸留所は設立されてますが、一昔前はおそらく一つしかありませんでした。それは1943年に設立されたフロリダ・フルーツ蒸留所です(ライセンス#1)。柑橘類を蒸留してアルコールを造っていたからその名前だったのでしょう。現在はフロリダ・カリビアン・ディスティラーズと知られ、かなり大きな規模の蒸留所らしく、毎年1000万ガロンのワイン、ビール、スピリッツを生産し、自社ブランドに加えてバルク・スピリッツを様々なボトラーや飲料会社に販売、アメリカ南東地域で最大の契約ボトリング施設の一つとして高速生産ラインは年間1500万ケースを生産する能力を持っているとか。75年以上の運営を通じて世界中のほぼ全ての主要なスピリッツ企業のためにボトリングして来たと言います。おそらく昔からスピリッツのバルク販売や契約ボトリングをしていたと思われますが、ここをオールド・ミスター・ボストンが所有していた時代があったのか? それとも単なるボトリング契約を結んだだけなのか? 或いは全く関係ないのか? 誰かご存知の方はコメントよりご教示頂けると助かります。では、最後に飲んだ感想を。

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OLD Mr. BOSTON BRONZE LABEL 86 Proof
今回はバー飲みです。せっかくバーに来たからには珍しい物を飲みたいと思い、こちらを注文したのですが、先日まではなかった液体の濁りが見られると言うことで、提供を断られてしまいました。しかし、その後マスターの一声で何とか頂くことが出来ました。なので開封したてとはその味わいに大きな変化があるかも知れません。

推定69年ボトリング。かなりフルーティなバーボンという印象。軽やかな酒質ながらしっかりとしたフレイヴァー。時間の経過でフルーツ香からキャラメル香へと変化。多少、酸化した風味に思えなくもないが全然美味しく飲めた。
Rating:83.5/100

今回は謎めいた古いウィスキーを二本まとめて。

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一方は表ラベルが完全に剥がれていて、しかも剥がれたラベルが手元にもないそうで、もはや何が何だか判らない状態なのですが、マスターによるとファイン・オールド・バーボンというありきたりの名前だったそうです。これはブランド名と言うよりは、俗にいうノーブランド、だけど「良質のバーボンですよ」くらいの意味合いだと思います。バーのブログより画像をお借りしまして、右がラベルが貼り付いてた当時の姿だそうです(左は前回ポストのドハティーズ)。
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Fine Old Bourbon?
まだ残っている裏ラベルから概ね4年熟成と推察されます。アルコール度数は50度でしょうか。ボトリングは禁酒法が終わった直後の1934年。と言うことは蒸留は禁酒法時代になされていますね。会社はマーヴィン&スニードとあります。マスターの話では、ニューヨークの42ndストリートにあったワイン商を通じて英国に輸入されたものが60年ほど経ってオークションに大量出品された時に入手したもので、表のラベルにも何処の蒸留所で蒸留された等の情報は書いてなかったそうです。
飲んでみた感想としては…、う〜ん、正直言って今回のバー遠征で飲んだなかで一番美味しくなかったです。なんというかピントのボケた味に感じました。現行製品にはない深みは感じられるものの、一言で言うと濁った味です。濁ってるのにコクがないとでも言うのでしょうか。オールドボトル愛好家ならいいのかも知れませんが、個人的にはこれだったら現代バーボンのフレッシュな味わいの方が好み。
Rating:78/100

そしてもう一方はJフライデイのライウィスキーです。こちらもネットで検索しても殆ど情報を得れないのですが、わかる範囲で書くと、ペンシルヴェニア州ピッツバーグのスミスフィールド・ストリートにあった、蒸留酒やワインまたシガーなどを取り扱うマーチャントもしくはウィスキー・ホールセラーで、当時の広告を見るとグッケンハイマーやオーヴァーホルト、ブリッジポートやマウント・ヴァーノンなど名だたる銘酒をストックしていたようですから、なかなか活気のある会社だったのかも知れません。会社の活動期間は1889ー1918とされ、自社ブランドには「1852 X X X Old Private Stock」、「Friday's」、「Gibson」、「Number 1870 Brand」、 「Number 1882 Apple Brandy」、「Old Cabinet Rye」などがあったそうです。

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WM J. FRIDAY FINE OLD RYE WHISKEY XXXX
そして本ボトルについてですが、これまた何処で蒸留されたかの記載もなく、熟成年数表記もなく、なんならプルーフ表記すらありません。逆にラベルの下の方に小さく、有害な薬物や毒を含んでいません、とは書かれています。ボトルド・イン・ボンド法(1897年)やピュア・フード&ドラッグ法(*1906年)施行後でも、まだ横行していた粗悪ウイスキーに対抗して書かれた文言なのでしょう。上に述べた会社の活動期間からするとボトリングは禁酒法以前となり、当然、蒸留もそうな訳で、おそらく同郷ペンシルヴェニアの有力なライウィスキー製造所から原酒を調達しているのではないでしょうか。画像検索でもあまりお目にかかれないラベルの物でかなりレアだと思います。
飲んでみた感想としては、かなり軽いウイスキーという印象。度数は40度くらいしかないと思います。あまりフルーティでもなく、甘み全開系でもなく、どちらかと言うとハービーで、何というか植物っぽいテイストの味わいでした。柔らかいニュアンスや風味など、現行ライウイスキーとの差は実感できましたが、正直好みではなかったです。思うに当時のエントリークラスのライウィスキーなのではないかと…。
Rating:83.5/100


*純正食品薬事法、純粋食品及び薬物法と訳される。有害または不当表示された食品や薬品を市場から排除し,州間取引される食品や薬品の製造・販売を規制することを目的とした法案で、アメリカンウィスキーの歴史にも多大な影響を与えた。


それと、今回は予算や飲酒量の都合で飲まなかったレアなバーボンを写真だけ撮らせてもらいました。やっぱりアンティークなボトルはカッコいいっすよね。
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