バーボン、ストレート、ノーチェイサー

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A.H.ハーシュ16年は史上最高のバーボンとも言われるほど伝説のバーボンであり、世界的に価格の高騰している「ユニコーン」とか「聖杯」と呼ばれるバーボンの一つであり、殆ど神話の世界に属していると言っても過言ではありません。近年の平均的なオンライン価格に基づく最も高価なバーボンのリストで常に上位にあり、日本円で言うと20〜30万円の間くらい(或いはそれ以上)で取引されています。A.H.ハーシュの帯びる神秘性は興味深いことに、通常よくあるような販売会社のマーケティングを通じて付与されたのではなく、主にインターネット上の初期バーボン愛好家コミュニティを通じて生み出されました。神話の形成にはA.H.ハーシュの辿った複雑な歴史的背景も関係しています。バーボン・ライターのチャールズ・カウダリーは、一冊丸ごとハーシュ・リザーヴについての本を上梓することでそうした歴史を詳らかにし、45ドルのバーボンがどのようにして伝説となったかの物語を我々に教えました。間違いなく誇大宣伝されているバーボンの一つではありますが、それだけ人は伝説や神話が大好きなのです。

A.H.ハーシュを語るには雑多な説明をせねばならないので、一先ず、ざっくりと概略を示しましょう。A.H.ハーシュ・バーボンは1974年の春、アドルフ・ハーシュとの契約によりペンシルヴェニア州シェーファーズタウン近くのペンコ蒸留所(後のミクターズ蒸留所)で単一400樽(*)のバッチにて生産されました。このウィスキーは先代のチャールズ・エヴェレット・ビームのもとで学んだマスター・ディスティラーのディック・ストールがスタンダード・バーボン・レシピを使い蒸留しました。マッシュビルは75%コーン、13%ライ、12%モルテッドバーリーとされています。
1989年に蒸留所が破産に直面した時、このバーボンは既に典型的なものより遥かに長い間熟成されていました。蒸留所が倒産するまで敷地内の倉庫で眠り続け、一度も使用されることなく時を過ごしたのです。同年、バーボンは蒸留所の資産を売却する前に救出されました。ノーザン・ケンタッキーにあるコルク・アンド・ボトル(酒のセレクトショップ)のゴードン・ヒューがそれを買い上げて、ジュリアン・ヴァン・ウィンクル三世にボトリングしてもらい、A.H.ハーシュ・リザーヴというブランドにしたのです。ヒューの計画はこのバーボンを日本市場で販売することでした。当時、日本はバーボン市場として活況を呈しており、アメリカとは正反対に超長期熟成原酒をボトリングしたバーボンはかなりのプレミアム価格で取引されていました。スコッチを基準としてウィスキーを受容した日本人は、バーボンにさほど馴染みがなかったため、スコッチのような熟成年数の12年や15年、時には20年以上の熟成期間を経たバーボンを求めたのです。A.H.ハーシュ・バーボンは発売からの20年間に渡り様々なプルーフと熟成年数でゆっくりとボトリングされて行きました。熟成年数は15〜20年でリリースされましたが、最も数の多いのは16年でした。それらは全て同一のウィスキーであり、単に異なる時期に樽やタンクから引き出されボトリングされたものです。

A.H.ハーシュ・リザーヴ・ストレート・バーボン・ウィスキーは1989年に始まりました。最初に出されたのは15年熟成の物で、1989/1990年に非常に少数ボトリングされ、その殆どが日本に送られました。最も有名な16年熟成の初めてのバッチは一年後の1991年にボトリングされ、青色の封蝋を施されているので通称「ブルー・ワックス」のハーシュと知られています。この時点で大部分のバーボンはこれ以上の熟成を止めるためにステンレス・タンクに入れられました。と同時に少量のバーボンは20年まで樽に入れられたまま熟成を続け、段階的に17年、18年、19年、20年と小分けにしてボトリングされて行きます。ヒューはブランドの所有権を維持し、自分の店で少数のボトルを販売すると共に、主に日本とヨーロッパの市場へ販売しました。ちなみに「A.H. Hirsch」の文字に筆記体を使用した初期のラベルには本物の証としてウォーターマーク(透かし)が入っています。
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(画像提供GEMOR様)

その後、プライス・インポーツのヘンリー・プライスがブランドを買収し、以前までのローレンスバーグではなくフランクフォートと記載された通称「ゴールド・フォイル」と呼ばれるA.H.ハーシュを2003年にリリースします。最も多くのボトリングが行われたのは、このゴールド・フォイル・ヴァージョンでした。当時のアメリカでの小売価格は1本約45ドルだったそうです(日本では或る時点では6500〜7500円程度だった)。2006年半ばにプライスは最後の1000ケースまで減ったと報告しました。この頃にはA.H.ハーシュの伝説は広まり彼らもそれを認識していたのか、2009年には名声あるバーボンの残りは高級な手吹きクリスタル・ボトルにリボトルされ、しかも木製のヒュミドールに入った特別なパッケージにして希望小売価格1500ドルで市場に投入されました。このセットは個別に番号が付けられたちょうど1000個の限定販売でした。これがA.H.ハーシュ・リザーヴ全体の最後のリリースです。
2011年、ヘンリー・プライスは会社とハーシュのブランドをアンカーに売却しました。これにはハーシュのヒュミドール・セットの残りの在庫も含まれています。価格が高すぎたせいなのか、当初はあまり売れ行きが芳しくなく、2013年4月の情報ではアンカーにはまだ800個のヒュミドール・セットが在庫されていることが確認されたとか。つまり在庫の20%を販売するのに4年掛かった訳です。それでも2015年頃にはアンカーの在庫は捌け、流通業者と小売業者の少数の在庫を残すのみとなりました。しかし「ユニコーン」バーボンが求められる現在では定価で購入することは叶わないでしょう。セカンダリー・マーケットも含め希望小売価格の倍が相場となっています(初期のAHHはもっと高い)。
ちなみに、一連の取引を経てプライス・インポーツはアンカー・ブリュワーズ&ディスティラーズの一部となり(**)、更に現在アンカーはホタリング&カンパニーと名称を変えました。彼らはハーシュ・ブランドを維持し、「ハーシュ・セレクション」や「ハーシュ・スモールバッチ」等の名前で色々なリリースをしていましたが、それらはここで言及している伝説の“ペンシルヴェニア1974”の「A.H.ハーシュ」ではなく、その中身は異なる調達先からのジュースです。また、2020年にはパッケージをリニューアルして、新しい「ハーシュ・セレクテッド・ウィスキーズ」というシリーズになり、その第一弾として「ハーシュ・ザ・ホライゾン」が発売されました。これはMGPソースのバーボンです。すぐ上に述べたセレクションともスモールバッチとも違うシリーズなので混同しないようにしましょう。
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ではここで、ネットで画像を確認出来たA.H.ハーシュ・リザーヴの各ボトルを以下にリストしておきます。左から、名称と熟成年数、ラベル(ハーシュ名の書体と色)、プルーフもしくはABV、封、ボトル形状、ボトリング地、その他の事項です。名称の小文字や大文字の区別やプルーフおよびアルコール度数の表記は、なるべく実際のラベルに記載された文字に従ったため、不統一になっていますがご了承下さい。また、発売年代順に列挙したかったのですが、私にはその仔細が完全には判らないため、熟成年数やラベル・デザインや瓶形状の同等性で纏めてあります。なのでリリース時期の判る方、それとこれら以外にもまだあるのをご存知の方はコメントよりお知らせ頂けると助かります。

HIRSCH RESERVE 15 YEARS OLD|Van Winkle Style, Block(Red)|95.6 Proof|Gold Wax|Cognac|Lawrenceburg|September 16, 1989
HIRSCH RESERVE 15 YEARS OLD|Van Winkle Style, Block(Red)|95.6 Proof|Gold Wax|Cognac|Lawrenceburg|February 26, 1990
A.H. Hirsch RESERVE 15 YEARS OLD|Script(Red)|95.6 Proof|Gold Wax|Cognac|Lawrenceburg
A.H. Hirsch RESERVE 15 YEARS OLD|Script(Green)|95.6 Proof|Gold Wax|Cognac|Lawrenceburg
HIRSCH RESERVE 16 YEARS OLD|Van Winkle Style, Block(Red)|47.8% Vol./95.6 Proof|Gold Wax|Cognac|Lawrenceburg
A.H. Hirsch RESERVE 16 YEARS OLD|Script(Blue)|91.6 Proof|Blue Wax|Cognac|Lawrenceburg|1991
A.H. Hirsch RESERVE 16 YEARS OLD|Script(Blue)|47.8% Alc/Vol|Gold Wax|Scotch|Lawrenceburg
A.H. Hirsch RESERVE 16 YEARS OLD|Script(Blue)|91.6 Proof|Black Wax|Scotch|Lawrenceburg
A.H. Hirsch RESERVE 16 YEARS OLD|Script(Blue)|45.8% Alc/Vol|Gold Wax|Scotch|Lawrenceburg
A.H. Hirsch RESERVE 17 YEARS OLD|Script(Blue)|95.6 Proof|Gold Wax|Cognac|Lawrenceburg|1991
A.H. Hirsch RESERVE 18 YEARS OLD|Script(Blue)|46.5% Alc/Vol|Gold Wax|Cognac|Lawrenceburg|November, 1992, released 37 cases(444 bottles)
A.H. Hirsch RESERVE 19 YEARS OLD|Script(Red)|46.5% Alc/Vol|Red Wax|Cognac|Lawrenceburg|November, 1993, released 121 cases
A.H. Hirsch FINEST RESERVE 20 YEARS OLD|Script(Red)|45.8% Alc/Vol|Red Wax|Cognac|Lawrenceburg|December, 1994 - April, 1995, released 500 cases
A.H. HIRSCH RESERVE 16 Years Old|Print|45.8% Alc/Vol (91.6 Proof)|Dripped Gold Wax|Cognac|Lawrenceburg
A.H. HIRSCH RESERVE 16 Years Old|Print|45.8% Alc/Vol (91.6 Proof)|Gold Wax|Cognac|Lawrenceburg
A.H. HIRSCH RESERVE 16 Years Old|Print|45.8% ALC/VOL (91.6 PROOF)|Gold Foil|Cognac|Frankfort|2003
A.H. HIRSCH RESERVE 16 Years Old|Print|45.5% ALC/VOL (91 proof)|――――|Hand-Blown Crystal|Bardstown|Humidor Edition, 2009, 1000 bottles

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少し文章で補足しておくと、ラベル項目の「Van Winkle Style」は「ヴァン・ウィンクル・セレクション」や「ヴァン・ウィンクル・ファミリー・リザーヴ」に似た様式のラベルを指し、「script」は「A.H. Hirsch」の文字が筆記体で書かれた初期ラベルを指し、「print」は後期に定着した高級感の劣るラベルを指しています。ボトル項目の「Cognac」はなで肩シェイプのやや背の高いボトルを指し、「Scotch」はネック部分にやや膨らみがあり少しでっぷりしたボトルを指しています。
そして、A.H. ハーシュ名義以外でのペンシルヴェニア1974原酒を使ったボトリングで知られる物が幾つかありますので、それらは以下に纏めました。

Old Grommes Very Very Rare 16 YEARS OLD|101 Proof|−−−−|Square|Lawrenceburg|For Japan market
Colonel Randolph 16 YEARS OLD|116° Barrel Proof|−−−−|Squat|Lawrenceburg|released 100 cases
BOONE'S KNOLL 16 YEARS OLD|45.8% Alc/Vol|Black Wax|Scotch|Lawrenceburg|For Europe market, 256 Bottles
VAN WINKLE SELECTION 16 YEARS OLD LOT “H”|Block(Red)|47.8% VOL|Gold Wax|Cognac|Lawrenceburg
VAN WINKLE SELECTION 17 YEARS OLD LOT “H”|Block(Blue)|47.8% ALC./VOL. (95.6 PROOF)|Gold Wax|Cognac|Lawrenceburg

この中で上から3つのブランドは、ボトリングした本人のジュリアン・ヴァン・ウィンクル三世が証言してるのでペンシルヴェニア1974原酒に間違いありませんが、ヴァン・ウィンクル・セレクションの2つは海外では異なる原酒の可能性も示唆されています。レッド・ワックスの「ヴァン・ウィンクル・ファミリー・リザーヴ16年、17年」や初期の「パピー・ヴァン・ウィンクル20年」に使用されたオールド・ブーン原酒ではないかと言うのです。おそらく、そう推理する根拠は蒸留年が同じ1974年であることと、裏ラベルに「Kentucky Straight Bourbon Whiskey」と書かれていることと、ヒューが所有するペンシルヴェニア原酒にヴァン・ウィンクル名義を使う許可を与えるかどうか疑わしい、という三点でしょう。個人的見解では、わざわざ表ラベルに「Pot Stilled」とあり「Kentucky」とも名乗っておらず、更にロットが「H」、しかもプルーフだってA.H.ハーシュにあったボトリング…、これではラベルを信じる限りどう見てもペンシルヴェニア1974原酒としか思えません。裏ラベルに関しては日本のインポーターのミスだと思います。そしてヴァン・ウィンクル名義とは言え、「ファミリー・リザーヴ」と言ってしまうとヴァン・ウィンクル家の所有物になるかも知れませんが、「セレクション」ならジュリアン三世が厳選しましたくらいの意味になりギリOKだったのではないかと…。まあ、それはともかく上に挙げたブランドのうちオールド・グロームス16年とカーネル・ランドルフ16年はボトリング・プルーフが違うので別物と考えても差し支えありませんが、その他の三つはA.H.ハーシュの単なるラベル違いではないかと思うのです。皆さんはどう思われるでしょうか? ご意見をコメントよりどしどしお寄せ下さい。

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(画像提供Bar FIVE様)

さて、ここからはA.H.ハーシュ・リザーヴの来歴をもう少しだけ掘り下げてご紹介しようと思っているのですが、その前に予備知識と言うか念の為に言及しておきたいことがあります。
後にA.H.ハーシュ・リザーヴとなる原酒が生産された蒸留所は一般的にミクターズ蒸留所として知られるため、日本でA.H.ハーシュについて語られる場合、概ね「ミクターズ原酒云々」と言われます。しかし私はここまで、敢えてそう呼ばずに「ペンシルヴェニア1974原酒」と呼んで来ました。それには幾つかの理由がありますが、一つは「現代ミクターズ」との混同を避けるためでした。アメリカン・ウィスキー業界に明るい人は知っているかも知れませんが、そうでない場合、現代ミクターズとオリジナル・ミクターズに何か繋がりがあるかのように想定してしまう恐れがあると考えたのです。
ペンシルヴェニアのオリジナルのミクターズ蒸留所が閉鎖後、ミクターズの商標は放棄されました。その後、ジョセフ・マリオッコ率いるワインとスピリッツの販売を手掛けるチャタム・インポーツという会社が1997年に商標を取得し再登録、2000年代初頭にケンタッキー州のブランドとしてミクターズを復活させます。彼らは元々はNDP(非蒸留業者)、つまりバルク・ウィスキーを購入し、それをボトラーに依頼して瓶詰めしてもらい、自社ブランド名で販売するところからスタートし、後にケンタッキーの匿名の蒸留所で生産するようになり、2015年には自らの蒸留所をシャイヴリーに構えるに至りました。これが現代のミクターズです。そして現在では彼らのハイエンド・ウィスキーを造る戦略は成功を収め、人気を博しているのは周知の通り。彼らはミクターズの名前の権利を有しているため、シェーファーズタウン近くの蒸留所の長い歴史をマーケティングでは語りますが、今日店頭に並ぶミクターズのバーボンやライやその他のウィスキーはペンシルヴェニア州のミクターズ蒸留所で製造されたものではありません。上の説明で分かるように、本質的に別物なのです。まあ、これに関しては「旧ミクターズ」と「新ミクターズ(現代ミクターズ)」のように書き分ければいい話で、現にそうしている人もいるし、私もそうするでしょう(※ただし、文脈によって誤解がないならば、旧ミクターズであれ現代ミクターズであれ、どちらも単に「ミクターズ」と表記することはあります)。
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理由のもう一つは、ミクターズというブランドとミクターズとなるウィスキーを製造した蒸留所を分けて考えたかったからです。
今でこそアメリカン・ウィスキーのブランドの多くは、製造と販売の両方を行う企業によって造られていますが、昔は違いました。それらは分かたれ、どちらかと言えば販売側が支配的な力を持っている時代があったのです。南北戦争から禁酒法までは特にそうでした。その頃のビジネスでは、蒸留所はウィスキー及び他のスピリッツを造るとブローカーに一括で販売し、彼らはそれをブレンドやパッケージングやブランド化する飲料会社へと販売しました。殆どのブランド名を作成および所有したのは飲料会社もしくはブローカーであり、一般的には蒸留所ではありませんでした。アメリカン・ウィスキーのブランドが確立し、業界が発展するにつれ、中間業者は自分達の影響力に気づき始めます。最も力の強いブローカーは大都市を仕切り、その小型版のようなブローカーは地方の市場を支配しました。蒸留業は莫大なお金が掛かるため、業界は常に不安定でした。そのため蒸留所の所有権はコロコロと変わり、裕福な銀行家がオウナーとなったり、有能なビジネスマンがパートナーと共同で蒸留所を所有したり、そして大きな飲料会社やウィスキー・ブローカーが原酒の安定供給のため蒸留所を買収することも多かったのです。
ペンシルヴェニア州シェーファーズタウン近くにあり、後年ミクターズと呼ばれることになる小さな蒸留所の創業は1753年に遡ります。長い歴史の間に、この蒸留所は所有権の変更と共に様々な名前で知られていました。シェンクス蒸留所、ボンバーガーズ蒸留所、カークス・ピュア・ライ蒸留所、ペンコ蒸留所、ミクターズ蒸留所…。そしておそらく他の名前もあったと見られています。蒸留所がミクターズと名乗っていたのは、その存続期間のうち最後の15年ほどでした。それが最終的な名称であったため、またこの時期に蒸留所は観光に力を入れていたこともあり、ミクターズの名が広く知られるようになったのです。ミクターズは基本的に蒸留所ではなくブランド名でしたが、1975年以降に蒸留所に適用されました。「Michter's」という名称は1950年代初頭にブランドを作成したルイ・フォーマンが「Michael」と「Peter」という二人の息子の前半と後半の名前を繋げて名付けたものです。ミクターズ・オリジナル・サワーマッシュ・ウィスキーを販売していたマーケティング会社はミクターズ・ジャグ・ハウスと呼ばれていました。同社とシェーファーズタウンの蒸留所とは常に繋がりがあり、その蒸留所がペンコ・ディスティラーズと呼ばれていた頃も長年に渡ってミクターズ蒸留所として事業をしていたと思われます(所謂DBA)。それ故、便宜的に一律「ミクターズ蒸留所」としたり「ミクターズ原酒」としても悪くはないのですが、更に理由はもう一つありまして…。

ミクターズと言えば有名なのは上にも書いたミクターズ・オリジナル・サワーマッシュ・ウィスキーです。そのウィスキーのマッシュビルは、50%コーン、38%ライ、12%モルテッドバーリーでした。バーボンやライウィスキーを名乗るには、それぞれの主原料が少なくとも51%なければなりません。 それ故ミクターズはバーボンでもなくライウィスキーでもなくサワーマッシュ・ウィスキーとして販売されました。しかも、その一部は使用済みの樽で熟成されていたので「ストレート」も名乗れませんでした。ストレート規格は新樽で2年以上熟成させたものを言います。ここら辺の事情は、アメリカ市場向けのアーリータイムズが中古樽熟成を含むため「バーボン」でもなく「ストレート」でもない「ケンタッキー・ウィスキー」を名乗るのと同じようなものです。「サワーマッシュ」についても、禁酒法以前であれば差別化のための用語であったかも知れませんが、近年のアメリカン・ウィスキーのほぼ全てはサワーマッシュ製法で造られているので(***)、特別な用語とは言えません。ジャックダニエルズがテネシー・サワーマッシュ・ウィスキーであるのと同じ意味しかないのです。勿論ミクターズ・オリジナル・サワーマッシュ・ウィスキーというのは悪い製品ではありませんし、造り手は常に誇りをもって生産してもいましたが、価格帯のクラスで言えばジムビームやジャックダニエルズのスタンダードと同じボトムシェルファーでした。しかし、A.H.ハーシュ・リザーヴのレシピは全くの別物です。それ故に「ミクターズ原酒」と言った時に有名なミクターズ・オリジナル・サワーマッシュ・ウィスキーを想起してしまう可能性を考慮して、別の言い方にしたかったという訳なのでした。

では、A.H.ハーシュ・リザーヴの名前の由来となっている人物の説明に移りましょう。その男はシェンリー・ディスティラーズ・コーポレーションで間違いなく重要な人物でした。ですが、どんなパーソナリティの人物なのか、なぜ1974年の春にバーボンを蒸留させたのか、なぜ10年以上もそれを放置していたのか、それらは研究者の推論に頼らなければならない不明瞭な事柄です。それでも分かる範囲で書き出して見ます。
アドルフ・H・ハーシュは1908年6月5日、ドイツ南西部のライン川沿いの都市マンハイムに生まれました。彼は17歳でUSSクリーヴランド号に乗ってアメリカに移住し、直後に米国市民になるための請願書で「Adolf」から「Adolph」に改名、1932年にアメリカ市民となりました。シカゴの著名な投資銀行であるA.G.ベッカー&カンパニーに就職して働いた後、1934年に26歳の若さでルイヴィルのバーンハイム蒸留所の副社長になったそうです。蒸留所は常に資金を必要とするので経営者が銀行家なのは珍しいことではありませんでしたが、ハーシュもバーンハイムへの出資者の一人だったのかも知れません。I.W.ハーパーで有名なバーンハイム蒸留所は禁酒法が解禁された当時、シカゴを拠点とするウィスキー・マーチャンツの二人、エミル・シュワルツハプトとレオ・ジャングロスが取得していました。ハーシュは二人とA.G.べッカー社からの資金融資を通じて知り合ったのか、もしくはユダヤ系ドイツ移民のコミュニティで知り合いだったか、或いは旧大陸で何らかのコネクションがあったのか詳細は不明ですが、とにかく後々まで続く交友関係を築き上げています。
1937年、シュワルツハプトとジャングロスはバーンハイム蒸留所をシェンリーに売却しました。彼らはシェンリーの株主になったと思われますが、得た資金で他の事業を手掛けた可能性もあります。ハーシュは暫くルイヴィルに留まり、後に当時シェンリーの本部があったニューヨークに赴任したようです。1941年12月、アメリカが第二次世界大戦に突入したのと時を同じくして、ハーシュは33歳でシェンリーを去りました。程なくしてアメリカの蒸留酒業界は「戦争努力」のための工業用アルコールの生産準備を進めます。当初、陸軍省はテキサス、ルイジアナ、および湾岸州の蒸留所で十分だと考えていましたが、もっと容量を増やす必要と、沿岸部のプラントは攻撃を受け易いことに気づきました。すると内陸のウィスキー製造業者は急務にさらされました。
大規模な蒸留所は工業用アルコールへの転換を迫られましたが、小規模な蒸留所はウィスキーの製造を続けることが出来たと言います。ハーシュはこれをビジネスの好機と捉え、すぐに動きます。1942年、彼とサミュエル・グラスともう一人のパートナーは、ペンシルヴェニア州の田舎に二つの小さな蒸留所を既に所有していたペンシルヴェニア・ディスティリング・カンパニーを買収し、会社の名前をローガンズポート・ディスティリング・カンパニーへと変更、更に三つめとしてシェファーズタウンの蒸留所をルイ・フォーマンから買収しました。ローガンズポートは戦争期間中に三つ全ての蒸留所を稼働させ、主にバーボンを造ったと見られています(それが医療用か民間市場向けかは不明)。
戦争が終わると、1946年にはハーシュとパートナー達はローガンズポートをシェンリーに売却、ハーシュは約四ヶ月間シェンリーに復帰するも、1947年3月には「慈善活動を追求する」ために引退を表明しました。けれど彼はまだ38歳であり、ビジネスを完全に終わりにした訳ではありませんでした。1956年4月、ハーシュはニューヨークに戻ってシェンリーに三度目の参加を果たし、今回は社で最高地位の一つであるエグゼクティブ・ヴァイス・プレジデントに就任したのです。翌年、シェーファーズタウンの蒸留所は、ローガンズポートで元パートナーだったサミュエル・グラスが買収し、ペンコと改名しました。おそらくこれが後にA.H.ハーシュ・リザーヴとなるバーボンが生産される遠因となります。1960年7月、ハーシュは52歳でシェンリーを退職しました。まだまだ若い彼のその後の人生についてはよく分かりませんが、慈善活動を行っていたのは知られています。ハーシュはシュワルツハプトが創設した「アメリカ市民権の確立と向上」を促進するエミル・シュワルツハプト財団のプレジデントを1958年のレオ・ジャングロスの死後に引き継ぎ、少なくとも1979年まではその地位にあったようです。そして、いつの頃かミシガン州グランド・ラピッズに移り住み、余生を過ごしました。
ところで、ネットで調べると時折、アドルフ・ハーシュの叔父がアイザック・バーンハイムであると書かれていることがあります。墓石や家系図のウェブサイトで調べても確認できなかったのですが、これは本当なのでしょうか? カウダリーの本にもその件は書かれていません。誰か真偽をご存知の方はコメントよりお知らせ下さい。では、話はペンコへと進みます。

ペンコ・ディスティラーズは、サミュエル・グラスの指揮の下、1950年代の終わりから1960年代にかけて事業は順調でした。ペンコは比較的小規模な蒸留所でしたが、1966年の地方新聞によれば、日産750ブッシェルの穀物を処理する能力があり、一日あたり60バレルのウィスキーを産出、約60000バレルを収容する倉庫を有しており、年間で約15000バレルをダンプしたと言います。ペンコは幾つかの独自のブランドを持っていたと思われますが、主な事業は契約蒸留であり、他の蒸留業者やボトラーと契約してウィスキーを製造していました。ワイルドターキーのためのライを製造したのはよく知られ、おそらく他にもナショナルやシェンリーやハイラム・ウォーカーのような大企業も利用していたのではないかと見られています。或いはブラウン=フォーマンのためのライや、なんならカナダの蒸留所にもウィスキーを売ったという話もありました。また詳細は分かりませんが、コンチネンタルとは何らかの繋がりがあったらしく、コンチネンタル製のウィスキーをペンコでボトリングすることすらあったようです。ペンコにはミクターズのような観光事業や多彩な歴史の謳い文句や目立つデカンターはありませんでしたが、素晴らしいウィスキーを造ったのは同じでした。1950年代初頭にルイ・フォーマンが蒸留所を管理していた時代にタッグを組み、その後もマスターディスティラーとして君臨していたチャールズ・エヴェレット・ビームは、ペンコの高品質な製品造りやフォーマンが販売し続けたミクターズ・オリジナル・サワーマッシュ・ウィスキーの独自の製法を非常に誇りに思っていました。
10年以上に渡り好調だったペンコのビジネスも、1960年代後半にスピリッツ市場の潮流が大きく変化すると、多くの蒸留所と同様に苦戦を強いられ売上は劇的に減少してしまいます。そして1975年頃、同社は経営破綻し管財人による管理下に置かれました。そこでフォーマンはレバノン郡の実業家達と会社を設立、差し押さえセールで蒸留所を購入し、1976年にミクターズ蒸留所として操業を再開するのでした。
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(ミクターズ蒸留所、wikipediaより)

世界的に有名なA.H.ハーシュのバーボンは、1974年の春に契約蒸留されています。契約蒸留では蒸留したてのニューメイクを購入する顧客もいますが、樽に入れて熟成させる保管サーヴィスを利用するのが一般的です。ペンコが倒産した時には、バーボンは既に倉庫に保管されていました。そして15年の長きに渡り放置されました。アドルフ・ハーシュはなぜ販売しもしないバーボンの製造を依頼したのでしょうか。実は彼の口からの直接的な証言はないので真相は判りませんが、歴史家の推論によれば、自らも昔関わった蒸留所であり友人である社長のサミュエル・グラスを助けるため、財政難に陥っていたペンコ社への資金援助的な投資をしたのではないかと見られています。
ウィスキーは長期的な投資になりがちなので、潤沢な資金が重要です。投資家は製品が販売されるまでに少なくとも数年、場合によってはもっと待たなければならないだけでなく、製品は最適な条件で保管し続けなければなりません。それは不確実性に満ちた、何年も先を見据えた予測ゲームです。当時のハーシュは66歳、大企業を引退した裕福な男とは言え、蒸留所を経営した熟練のプロフェッショナル、お金を無駄にする積りはなかったでしょう。おそらく彼には蒸留所への信頼と、長期の熟成が良いウィスキーを造る確信があった筈。しかし、初めから偉大なウィスキーを造るために長期熟成させる意図はなかったと思いますが…。
時代は移ろい1989年ついにミクターズ蒸留所も倒産となった時、ハーシュは15年間の熟成を経たバーボンの買い手を探さなければなりませんでした。そこに登場するのがゴードン・ヒューです。A.H.ハーシュ・リザーヴは、誰もが意図しない偶然が幾つも折り重なった奇跡の産物でしたが、ヒューもまた伝説のバーボン誕生に欠くことの出来ない人物でした。或いは、最も重要な人物ですらあるかも知れません。

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ケンタッキー州ケントン郡フォート・ミッチェルで育ったゴードン・ヒュー・ジュニアは、1964年にコルク・アンド・ボトル(Cork 'N Bottleと表記)を設立したゴードン・ヒューの同名の息子です。コルク・アンド・ボトルはコヴィントンにあった最高級のスピリッツやビールやワインを専門に扱う家族経営の店でした(****)。地理的にシンシナティからの客も多く取り込み、ビジネスは成功を収め、ケンタッキーでも有名な酒屋として或る種のランドマークともなりました。七人の子供のうちの一人であるゴードンことゴーディは、早くも60年代、13歳の頃から週末に家族の酒屋を手伝い始めたと言います。ゴミ出しや床の掃除から始まって、棚の品出しやカウンターの後ろで出来る仕事へと進みました。セント・ゼイヴィア高校とゼイヴィア大学時代にも働き続けていたゴーディは、既に自分の将来がハイエンドな酒類ビジネスにあることを確信していたそうです。外国産のワインのラベルに魅了されていた彼は19歳の時、初めてカリフォルニアを訪れ、幾つかのブドウ畑をじっくりと見学しました。そうした影響からか、20代前半の頃には後に自ら「バーボン・プロジェクト」と呼ぶことになる目論見を抱くようになります。それは愛好家達にアピールする芸術的なプレゼンテーションをややもすると田舎臭いバーボンに与えることで洗練させ、もっとお金を掛ける価値のある飲み物としてバーボンの評判を高めるというアイディアでした。コルク・アンド・ボトルはそのカテゴリーの上位に焦点を当て、コニャックやアルマニャックのような輸入スピリッツは勿論のこと、他ではなかなか手に入らないようなワインも豊富に取り揃えていました。 そこでゴーディは疑問に思ったのです。なぜバーボンに関してケンタッキーではスコットランド人やフランス人がやっているような良い商品の扱い方をしないのか、と。後に彼のアイディアは現実のものとなります。

ゴーディの父は蒸留所と協力して店舗に独自のハウス・バーボンを置いていました。ゴーディも実地に足を運ぶ優れた仲買人となり、異なる蒸留所のシングルバレルやスモールバッチのバーボンを選び出し、ラベルデザインの美学にも気を配りました。ケンタッキー州の法律では酒屋のオーナーが自分の蒸留酒を作ることは許可されていないため、ゴーディは基本的に店を経営することと、一種のフリーランスのブランド・メーカーとして別個の仕事をしています。彼がバーボンの世界に入ったのは1974年か75年のことでした。1970年代に多くの蒸留所が閉鎖されようとしていた頃、また偶然にも後にA.H.ハーシュとなるバーボンが蒸留されたのと時を同じくして、ゴーディはプレミアム・バーボンのリリースを計画します。最初の大きなプロジェクトのためにゴードン父子は、ウィレット蒸留所にて1959年2月4日に蒸留され16年間熟成した樽を調達し、1976年の独立記念日を記念して、32のバレルから107プルーフで3168本をボトリングしたバイセンテニアル・コメモレーション・バーボンをリリースしました。ラベルは地元の印刷屋で作り、自身でラベリングしたとか。当時ケンタッキー州にはまだ多くの蒸留所がありましたが、若者にはオシャレだったウォッカや、上流階級にも愛好される洗練されたスコッチと較べ、全体的に「ブルーカラーの飲み物」とのイメージを固めていたバーボンは、あまり人気がなかったので長熟バレルが倉庫に横たわっていました。しかし、ケンタッキー人にとってバーボンはライと共に、相変わらずアメリカの象徴的な飲み物だった筈です。そこで興味深く高品質な製品を追求していた彼らは、200周年記念ラベルを付けるに相応しいユニークなバーボンを探してみようと思い付いたのでした。この初めての特選バーボン・カテゴリーへの進出は成功し、気を良くしたゴーディは良質なバーボンを求めて、他の蒸留所にもコンタクトをとり今後更に購入することになります。ケンタッキーのバーボン・シーンに詳しく、優れた味覚を有し、いつも何か新しいことに挑戦するためのエネルギーも持っていた彼は、結果的に1995年まで20年以上に渡ってコルク・アンド・ボトルの経営に携わり、自然と業界のレジェンドたちと触れ合うようになりました。
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或るプロジェクトでゴーディは、オールドハウス・リザーヴ・バーボンのためのボトルを、ジュリアン・ヴァン・ウィンクル・ジュニア(二世)がボトリングしたオールドリップ・ヴァン・ウィンクル7年のスクワット・ボトルに似たものにしたいと考えました。ジュリアン・ジュニアがスティッツェル=ウェラー蒸留所を売却した際、バーボンと同様ガラス瓶も持って行っていたことを知っていたゴーディは、パピーの息子に連絡してボトルを購入することになりました。これが縁で二人は時々話をするようになります。或る特別な機会にジュリアン・ジュニアはコールマイナー・セラミック・デカンターにバーボンを容れようとしていました。それを聞いたゴーディは啞然としてジュリアン・ジュニアに尋ねます。「あなたはスティッツェル=ウェラーの驚くほど素晴らしいウィスキーを、中身はどうでもよくて装飾的なデカンターが欲しいだけの人のために入れてるんですか? 」。ジュリアン・ジュニアはこう答えました。「ああ、生活しなくちゃならんからな。君にはもっといい考えが?」。「見栄えのするボトルにウィスキーを入れて本当の金額を請求しましょう」とゴーディは言いました。フランスで酒類を調達していた時、彼はガラス製のコニャック・ボトルを購入していましたが、そのエレガントな美しさは類い稀れなスティッツェル=ウェラーのウィスキーに相応しいと感じたのです。これが伝説のヴァン・ウィンクル・ファミリーとのコラボレーションに繋がりました。1981年にジュリアン・ヴァン・ウィンクル・ジュニアが亡くなると、そのアイディアは彼の息子ジュリアン三世と共に実現して行くことになります。ゴーディは2世代のヴァン・ウィンクルズと協力することで、現代のバーボン・シーンに於いてユニコーンとされるパピー・ヴァン・ウィンクルズ・ファミリー・リザーヴのブランディングに一役買ったのです。
ジュリアン三世は1983年にローレンスバーグにあるホフマン蒸留所をボトリングと貯蔵のために購入し、コモンウェルス蒸留所(DSP-KY-112)と改名して運営し始めました。そこでゴーディは元々彼の父親との交流で浮かんでいたアイディアを持って息子にアプローチします。ゴーディは熟成したスティッツェル=ウェラーのウィスキーを購入し、プレミアム製品として販売したいと考えており、それを「ヴァン・ウィンクル・ファミリー・リザーヴ」と名付け、ラベル・デザインを彼自身に適応させ、ガラス製のコニャック・ボトルに入れるのはどうだろうか、とジュリアン三世に尋ねてみました。反応は上々でした。彼は「そのアイデアはなかなかいいね」と答えましたが、自分がバーボン史上最もアイコニックなブランドの立ち上げを承認したことに、この時はまだ気づいていません。ゴーディの考案したスタイル、ネーミングやラベルやボトルは、今でもヴァン・ウィンクル・ファミリー・リザーヴ・ライとほぼ同じものです。そしてジュリアン三世はこの後、ヴァン・ウィンクル・ブランドのウィスキーにこのボトル・デザインや要素を受け継いで発展させて行くのでした。
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ゴーディはヴァン・ウィンクル・ファミリー・リザーヴ・バーボンをコルク・アンド・ボトルで販売しつつ、ヨーロッパや日本にも輸出しました。ゴーディとジュリアン三世の間柄は正式な契約やパートナーシップを結んだ訳ではありませんでした。そのせいでもないでしょうが、ある日ゴーディはジュリアン三世から、君に売るだけの熟成バーボンの在庫がない、と告げられます。ジュリアン三世から熟成したスティッツェル=ウェラー・バーボンを購入することが出来なくなったゴーディは、それに匹敵するウィスキーの探索を始めなければなりませんでした。先ず彼はナショナル・ディスティラーズから素晴らしいオールド・グランダッド・バーボンをほぼ確保するところまで行きましたが、1987年に同社が売却された際に新しいオウナーのビーム社はその取引を取り消しました。その後、ゴーディはクリーヴランドの知人ロバート・ゴッテスマンから伝説的バーボンの誕生に繋がることになる連絡を受けます。
ゴッテスマンは元シェンリー・インダストリーズでキャリアを築いたパラマウント・ディスティラーズの共同オーナーです。彼はゴーディに、ミシガン州グランド・ラピッズに住む80代の老紳士が、熟成ウィスキーを売りに出しているのを知っていると知らせました。そう、他ならぬアドルフ・ハーシュ。おそらくゴッテスマンとハーシュはシェンリー時代に知り合ったのでしょう。ミクターズ蒸留所の破産によりウイスキーの樽が置かれていた土地は銀行に取られ、オーファン・バレルを引き払う必要がありました。約5000樽が銀行によって所有されていましたが、一部はまだハーシュの所有だったのです。
ゴッテスマンは言いました、「それはペンシルヴェニアのウィスキーだ」。「ペンシルヴェニア?」、ゴーディはがっかりして続けます。「ペンシルヴェニアのウィスキーは売れないんだ、だって皆んなケンタッキーこそベストと考えるからね」。しかし、「あぁ、オーケー、とにかくチェックしてみよう」ということになり、ゴッテスマンはサンプルを手配しました。そしてサンプルを味わったゴーディは驚きます。目を見開き、一言「わぉ…」。それはスティッツェル=ウェラーのプロダクト以来、彼が出会った絶対的に最高なものでした。彼はペンシルヴェニア・ウィスキーを売ることに何の問題もないことを確信します。

ゴーディはハーシュを訪ねるためグランド・ラピッズに行き、彼の人生で最も興味深い一日を送りました。二人は座ってウィスキーについて語り合った。
ハーシュは言います、「ウィスキーを持って行って欲しい、私はもう年寄りだし、皆んなに迷惑を掛けたくないからね」。彼らは共にそれが良いウィスキーであることを知っていたので、ハーシュには売れる確信があったのかも知れないし、ゴーディもまた端から購入する心算だったのかも知れません。実際、運命はそのように動きます。1989年(1988年の可能性も)の或る日、ハーシュ宅のリヴィング・ルームでゴーディは見事なまでの熟成を見せるペンシルヴェニア・ウイスキーを買うことに同意したのです。総額12万5000ドル、三年間での支払いでした。ゴーディはハーシュに、このウィスキーには貴方の名前を付けたいと申し出ました。アドルフ・ハーシュ、その妻、ゴードン・ヒューの三名が署名した基本合意書には、「私は、この在庫からボトリングされた製品のラベリング及びマーケティングに於いて、ヒュー氏が私の名前を使用することに同意する、もし彼がそう望むなら」、と書かれていました。ハーシュは全てをやり切ったと思ったのか、この後すぐに亡くなっています。彼はこのバーボンの高い品質と特徴を非常に誇りに思っていたので製品に自分の名前が付けられることを喜んでいたようです。
家に戻ったゴーディは厳しい現実にぶち当たりました。「なんてこった、今からどうしたらいいんだ? あの全ての樽を持って行く場所なんてないぞ!」。先ず彼はジュリアン・ヴァン・ウィンクル三世のところへ行きますが、「うちにはそんなスペースはないよ」と言われてしまいます。ゴーディは何とか約3分の1のバレルをジュリアン三世の倉庫で保管できるよう話を付け、それらは熟成を続けることになりました。その後、もともとゴーディにハーシュを紹介していた男であり、シンシナティでマイヤーズ・ワインを経営していたロバート・ゴッテスマンは、ウイスキーの保管を申し出ました。彼が謝礼として請うたのは、シェリーを熟成させるための空の樽を捨てないでおくことだけだったとか。恐らくそういった事情から、1989年5月27日にゴーディが入手した「在庫」は、すぐにハーシュ・リザーヴ15年としてボトリングされたのだと思われます。シェーファーズタウンからの最初の出荷分の樽は、1989年9月に直接ケンタッキー州ローレンスバーグにあるジュリアン三世の施設に到着し、15年熟成のバーボンは95.6プルーフで瓶詰めされました。最初のバッチは47ケース。こうして、栄えあるA.H.ハーシュ・リザーヴは正式に誕生しました。そのうち極く一部だけゴーディのコヴィントンの店舗で販売され、大部分は海外に出されます。

ゴーディはコルク・アンド・ボトルという小売業を営んでいましたが、その傍ら、1984年頃から長期熟成ウィスキーを日本やその他のインターナショナル・マーケットに輸出し、当時としては高価格で販売していました。アメリカのバーボン市場が低調だったため、ゴーディは経済が好調な場所に目を向けていたのです。彼がリリースした特別なボトリングは、もともと日本市場をターゲットにしていた、と後年のインタヴューで自ら語っています。それこそがハーシュから購入した長熟バーボンを使って彼がやろうとしていたことでした。
ゴーディは長期熟成バーボンで日本市場に参入した最初のエクスポーターではありませんでしたが、かなり早い段階から参入したと思います。それは甘いビジネスでした。 日本人は突如として長期熟成バーボンに恋に落ち、それに対して高額のドルを支払う用意がありました。しかし、長熟バーボンを所有していた殆どの人々はそれを安く売ろうと思っていました。なぜなら当時のアメリカ市場ではそんな物に誰も興味がなかったからです。そこに、仲買人が付け入るチャンスがありました。彼らは労せずして差額を手に入れることが出来ます。
日本人が求めたのはスコッチと同じくらい熟成させたバーボンでした。年数が長ければ長いほど理想的でしたが、少なくとも12〜15年は熟成させたものを望みました。往年のアメリカン・ウィスキーは一般的に4年〜8年で販売されています。なので順調に売れさえすれば、12年熟成以上のバーボンなどなくてもいい存在です。しかしアメリカのウィスキー産業は衰退の一途を辿り、実際には70年代に過剰に造られたウィスキーは80年代半ば頃にはかなりの「老齢」になっていました。それ故、バーボン全般および極端に熟成したバーボンに対し、突如として沸き起こった日本からの関心は、アメリカで苦しんでいたバーボン・メーカーが久々に聞いた朗報でした。アメリカン・カルチャーに対する日本人の評価が、彼の国の最も伝統的な製品の一つを復活させるのに役立ったのです。この件は現在のプレミアム・バーボンによるアメリカン・ウィスキー復興の源流の一つと考えられ、「バーボンの近代史」に於ける日本人が果たした功績として現代のバーボン史家から認められています。

ジュリアン・プロクター・ヴァン・ウィンクル三世はゴードン・ヒューとボトリング契約を交わし、1989年から1995年の間ローレンスバーグでブランド・オウナーのために1744ケースのA.H.ハーシュ・リザーヴを少量づつボトリングしました。 それは彼にとってただの契約ボトリングの作業に過ぎず、決してハーシュ・ブランドの共同事業という訳ではありませんでしたが、その存在は小さくはなかったでしょう。長期熟成のスペシャリストであり、何が適切かを知っている男でしたから、ウィスキーを味わい、おそらくプルーフィングなどのアドヴァイスはしたと想像します。
最初のハーシュ・リザーヴから数ヶ月後の12月には別の134ケースが同じ仕様でボトリングされました。1990年2月には340ケースが続きます。中身のウィスキーは1990年3月までに全て16年熟成となりましたが、おそらく新しいラベルの印刷を回避するため1991年4月までは引き続き15年表記のラベルが使用されました。ミクターズが閉鎖される1990年2月より前に、残っていたバレルは蒸留所のマスターディスティラーであったディック・ストールが積み込みを監督してシンシナティのワイナリーに出荷されています。 全てのバーボンが16年の熟成を迎えて間もなく、ジュリアン三世とゴーディ(或いはゴッテスマンも?)は、その状態が最良であると判断し、これ以上のエイジングを防止するため、約3000ガロンがワイナリーのステンレス・タンクに容れられました。これ以降ペンシルヴェニア・バーボンは二つの別個の流れでリリースされて行きます。一つはシンシナティにタンキングされた大部分を占める16年物。これはタンクローリーでローレンスバーグに運ばれて、定期的にボトリングされました。もう一つがジュリアン三世のローレンスバーグの倉庫で熟成され続けた250近い数とされる樽です。こちらは毎年、熟成年数を重ねてボトリングされて行きました。 
1991年4月、後にA.H.ハーシュ・リザーヴにとって象徴的な数字となる初めての16年物が瓶詰めされます。ジュリアン三世は数ヶ月ごとにゴーディからボトリングのオーダーを受けていて、4月は57ケース、11月には更に多い200ケースだったそうです。また、90年か91年あたりにはA.H.ハーシュとは違う幾つかのブランドで同じ原酒がボトリングされてもいました(前出のリスト参照)。
ジュリアン三世のローレンスバーグの倉庫に保管されていた最初のバッチの樽は、1991年と1992年11月に一部がダンプされ、それぞれ17年熟成の物が95.6プルーフ、18年熟成の物が93プルーフで少量ボトリングされました。92年12月には、タンクされた16年物を8ケース、多分91.6プルーフで。その後、16年物のバーボンは1993年7月には95.6プルーフでやや多めの300ケースが生産されました。93年の11月には今度は熟成樽の19年物が93プルーフで121ケース造られます。そして最終的に熟成樽は1994年12月から1995年4月の間にボトリングされ、91.6プルーフの20年物を500ケース産出しました。これはゴーディの最後の関与になります。

上の数字からも明らかなように、ハーシュ・リザーヴは順調に売れていたものの、飛ぶような売れ行きではありませんでした。日本の消費者は超熟バーボンが好きだったかも知れませんが、それはジムビームやアーリータイムズやI.W.ハーパーと同じ価格ではなく比較的高価でしたし、アメリカではまだバーボン・ブームは来ていません。それにゴーディはブランドの宣伝を殆どしていなかったと思われます。彼は優れた製品を持っていたとしても、小さな酒屋の経営者であり小規模なブローカーであり、大手酒類会社の幹部ではないのですから、ビジネス的にはそれが限界だったのでしょう。
A.H.ハーシュのウィスキーは大量にあったのでゴーディはどこでも積極的にボトルを売リ出していました。特に日本とヨーロッパに多く輸出されています。しかし、1990年代初頭のバブル期の終焉と共に日本経済は失速し、輸入業者は基本的にバーボンを買わなくなったか、或いは買う量を減らしました。それが理由とは思えませんが、彼は別のことに目を向けたようです。ゴーディによれば、ペンシルヴェニア1974原酒の元々の量は約10000ケース(※おそらくここでは1ケース6本で計算してると思われます)だったと言います。全ての支払いはかなり前に済んでいたので、彼はそれをゆっくりと販売することに完全に満足していました。そうしてゆっくりと価格が上がって行くのを気長に待てばいい、と。そして1995年、詳細は分かりませんが、ゴーディは家業と決別します。ウィスキーは様々な係争中の理由からコルク・アンド・ボトルに残りました。ゴーディではない他のヒュー家の人々は少しの間ブランドを運営し、最終的にA.H.ハーシュのブランドと在庫は南カリフォルニアのヘンリー・プライス率いるプライス・インポーツにまとめて売却されました。ただし、9本のA.H.ハーシュ・リザーヴや105本のヴァン・ウィンクル・ファミリー・リザーヴと14本のオールド・ハウス・バーボンは売却されず、ゴーディ言うところの彼の個人用貯蔵庫であるコルク・アンド・ボトルの地下室に保管されていました。ゴーディが関わったそれらのバーボンが地下でひっそりと息を潜めている間に、図らずも地上ではゆっくりと価格は上昇し、人知れず大金へと変化していたのが原因で(?)、後の2015年にゴーディとコルク・アンド・ボトルの間で所有権を巡る裁判になるのですが、それは別の話。
ゴーディはバーボンを試飲してどう造られているかを確認するのが好きでした。 そしてそれは彼の天職であり仕事の一部でした。少なくとも1975〜95年までは。バーボンを探す楽しみはあったけれど自分はスピリッツの大量消費者ではなかった、と彼は言います。ですが、強いて言うならメーカーズマークやバッファロートレースで製造されるW.L. ウェラーやヴァン・ウィンクルのラインナップのようなウィーテッド・マッシュビルのバーボンを好む傾向があり、彼の「生涯で今までに味わった最高のウィスキーは、1960年代から1970年代にかけてスティッツェル=ウェラーが蒸留したものでした」。現代の蒸留所であれば、特にその生産規模を考慮すると、バッファロートレースとフォアローゼズの二つが卓越していると評価しています。そんな伝説のバーボンの中心人物も、もはやスピリッツ・ビジネスに携わっていません。20年以上オハイオ・リヴァーの北側に住み、四人の子供を育てたゴーディは、近年ではシンシナティのウォルナット・ヒルズで「wineCRAFT」という高級ワインの輸入事業を営んでいます。「私は常にワイン・ビジネスに携わっていました。バーボンはちょっとした副業だったんです」。

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A.H.ハーシュ・リザーヴは、ヘンリー・プライスが購入した頃には、既にアメリカのウィスキー愛好家の間で非常に優れたバーボンとして評価を得ていました。 彼は自分が素晴らしいウィスキーを手にしたことを知っていましたが、その後の大流行までは予測していませんでした。
「我々はブランドを構築しましたが、もし我々がブランドの購入を控えていたらサゼラックが購入していたでしょう」とプライスは言います。サゼラックはジュリアン・ヴァン・ウィンクル三世がこのブランドのボトリングを担当していたこともあり、A.H.ハーシュのことをよく知っていました。2002年、ジュリアン三世はバッファロートレースとの合弁事業を起こし、ローレンスバーグの作業場を閉鎖して事業をフランクフォートに移しています。この時期のどこかの段階でプライスは自らのポートフォリオにブランドを取り入れるために動きました。当時のプライス・インポーツのセールス・マネージャーのスティーヴがヒュー家に連絡を取り、A.H.ハーシュ・リザーヴの販売権を取得するようヘンリー・プライスを後押ししたのだとか。首尾よくハーシュ・ブランドを獲得したことで、シンシナティにタンクされていた残りのバーボンもまたバッファロートレースへ行きました。
2003年、ステンレス・タンクに12年間貯蔵されていたバーボンはボトルに入れられました。その数2500ケースとされ、それまでの全生産量の合計よりも多くなりました。小規模なプレミアム・ブランドを開発し、それらをアメリカのほぼ全ての市場へ戦略的に配布することで有名なヘンリー・プライスは、A.H.ハーシュでも同じようにアメリカ全土で販売し始めます。実はゴードン・ヒューが撤退した1995年からプライスが瓶詰めさせた2003年の間にA.H.ハーシュ・リザーヴが定期的に販売されていたのかよく分かりません。もし販売されていたとしても、おそらく量はあまり多くはないと思われます。それは兎も角、この時のラベルにフランクフォートとある16年熟成91.6プルーフのものが通称ゴールド・フォイルと呼ばれ、最も目にし易いA.H.ハーシュ・リザーヴとなっています。プライス・インポーツは3年間で約1500ケースを販売し、以前よりブランドの知名度は上がったことでしょう。ウィスキー業界の著名なライターが取り上げたり、愛好家コミュニティでの熱狂的な喧騒も益々広がりました。そのような雪だるま式に大きくなる評判や口コミの人気は制御できません。プライスにとっては正に夢のようなブランドでした。
残りの1000ケースの殆どが売れた2009年、プライスは最後に残った在庫を使って何か特別なことをしたいと考えました。デカンターへの再ボトリング。それが、彼がヨーロッパ式の700mlのボトルに詰められた残り僅かな在庫のために持っていたアイディアでした。「最後の在庫をヨーロッパに発送したくなかった」プライスは、バッファロートレースにお願いして最終的にボトルをダンプする同意を得、その後、全てをバーズタウンのウィレット(KBD)に運んで、自ら輸入したフランス製の手吹きクリスタル・ボトルに詰め直してもらいます。これが彼の「最後のビジョンであり、A.H.ハーシュ・リザーヴが占めていたアメリカの歴史の一断片への喝采でした」。

さて、アドルフ・ハーシュが契約蒸留したペンシルヴェニアのウィスキーは、その大きな評判の割には少量であるにも拘らず、全てを販売するのに約20年掛かっています。おそらく、これまで見てきた紆余曲折こそが、このウィスキーの最大にユニークなところだとは思いますが、勿論、中身も素晴らしかった。どのような神話や伝説でも、特別な味がしない限り、ウィスキーがこれほどまでにホットな商品になることはありません。では、何がそんなに良かったのでしょうか? 明確な答えなどないですが、判っている範囲で中身について触れておきたいと思います。
始めの概略で述べたように、A.H.ハーシュ・リザーヴとなった全てのバーボンウィスキーは1974年の春に蒸留されています。生産はエヴェレット・ビームの弟子に当たるディック・ストールによって監督されました。マッシュビルは75%コーン、13%ライ、12%モルテッドバーリーで、酵母はエヴェレットが持ち込んだビーム酵母。おそらく蒸留プルーフは115で、現代の基準よりやや低めです。これらはどれも標準的な仕様であり、大きな驚きはありません。ストール自身、ハーシュのために造ったバーボンは珍しくなかったと言っているそうです。と、なるとラベルに書かれている「Pot Stilled」こそが、その特別性の要因と思いたくなりますよね? 例えば、ほぼスコッチをメインに飲むウィスキー・ドリンカーなら、「これはアメリカン・ウィスキーに多いコラムスティルではなく、スコッチのシングルモルトのようなポットスティルを使用して製造されているからフレイヴァーフルで特別なんだ」という具合に。しかし、そうではありませんでした。
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アメリカの飲料用アルコールのラベルは全て政府機関の承認を受けなければなりませんが、規制されている言葉とそうでない言葉があります。「ウィスキー」や「バーボン」や「ストレート」という用語はどれも規制されています。一方「リザーヴ」や「サワーマッシュ」は規制の対象ではなく、そして「ポットスティル」も規制された用語ではありません。規制されていないということは、真実である必要がないことを意味します。とは言え、全くのデタラメという訳でもなく、A.H.ハーシュ・リザーヴのラベルに「ポットスティル」とあるのは、ミクターズがラベルにポットスティルをフィーチャーしてマーケティングしていたのを受け継いでいるからです。ミクターズ蒸留所では第一蒸留を比較的小さめのコラムスティルで実行した後、第二蒸留をポットスティル・ダブラーで行いました。このダブラーのことをポットスティルと呼ぶのは業界では慣行であり、決して間違いではないのですが、ミクターズはそれを強調してマーケティングに活用したのです。ダブル・ディスティレーションは殆どのアメリカン・ウィスキー蒸留所が当時および現在でも実践し、100年以上に渡ってバーボンを製造して来た方法です。つまり、ミクターズは他の蒸留所と製造面で甚だしい違いはないということ。だから、ここで言う「ポットスティル」もA.H.ハーシュ・リザーヴの卓越性を説明するものではないのです。
通常、長期熟成古酒はウッディ過ぎる嫌いがありますが、A.H.ハーシュ・リザーヴはその極端な熟成期間にも拘らず、あまりウッディではないとされます。寧ろ、力強くありながらエレガントな素晴らしいバランスと評されるほど。その要因は、一説にはペンシルヴェニアの天候だったかも知れないと言います。同地では70年代半ばに冬の寒さが長く続いたそうですし、多分ケンタッキーより基本的に涼しかった? まあ、謎は謎のまま残したほうが神話や伝説には箔が付きますが、少なくとも、ペンシルヴェニア州で製造されそこで主に熟成し、オハイオ南部またはケンタッキー州に運ばれて更なる眠りに就いたこのバーボンの旅する人生は、製品に何らかの影響を与えた可能性は十分あるでしょう。A.H.ハーシュ・リザーヴについて確かなのは、よくあるケンタッキー・バーボンとは完全に異なる独創性をもち、ウィスキー通の意見では素晴らしいバーボンだったということ、それだけです。
ちなみに、ハーシュ・リザーヴ16年のロット違いを飲み比べた人によると、後年のロットより初期のロットの方が美味しいとする意見が散見されます。これはおそらく酸化の問題だろうと考えられています。ハーシュ・リザーヴの最後のボトリングは10年以上ステンレス・タンクで保管されていたので、幾ら熟成は進まないとは言え、多少の酸化はあったのかも知れません。ジュリアン・ヴァン・ウィンクル三世は、ステンレス・タンクでの貯蔵は不活性と考えられているが、彼はそれをもっと不活性にしたいと仄めかしたとか。ウィスキーは空気に触れると常に変化する生き物ですからね…。では、最後に飲んだ感想を少しばかり。

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(画像提供Bar FIVE様)

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A.H. Hirsch Reserve 16 Years Old Blue Wax 91.6 Proof
推定1991年ボトリング。キャラメル、ナッツ、多様なハーブ、ちょっと薬っぽい味も。かなり複雑なフレイヴァー。口当たりと飲み心地はスムーズで、長熟にありがちな渋味や苦味はあまり感じない。
Rating:88/100

Value:これは「あなたの懐具合」によります。バーボンのボトル一本に対し30万円を支払えるなら、躊躇なく買うことをオススメします。また、バーで見かけたら多少高くても飲んでおいた方がいいでしょう。ですが、ぶっちゃけ普段ジムビームやジャックダニエルズやアーリータイムズしか飲まない人が飲んでも美味しいと感じられない可能性は高いです。その週に飲んだバーボンの中で最高のものでさえなかった、と言う人までいます。私にとっても最高のバーボンではありませんでした。しかし、味は関係ありません。これは物語のために買うバーボンです。ストーリーや背景や価格は味を変えることはないかも知れませんが、それらは神秘性を高めると同時に何かしらの評価軸を与えてくれます。そして経験として飲むことは悪いことではない。それがオススメする最大の理由です。とは言え、無理してえげつない身銭を切ってまで飲むことは勧めません。今、あなたが無理なく飲めるバーボンは、伝説はなくとも素晴らしいバーボンなのですから。


*この数字を倍の800樽とする情報もありました。こちらの数字を信じる場合、最終的にハーシュの所有した樽の数量は766樽となります。申し訳ないのですが、私にはどちらが信用できる数か判断できません。また、これ以降の本記事における数量に関する数値は、参考にした情報元が一つではなく複数であるため、混乱している可能性があります。そこを考慮して見て下さい。

**プライス・インポーツの名は、ヘンリー・プライスと彼の娘のニコールによって2012年11月に新たに設立されたHPSエピキュリアンが、2016年に再び所有権を取得し復活しています。

***製品意図として敢えてスウィートマッシュ製法を採用している物を除けば、無記載の場合は全てサワーマッシュと思っていいでしょう。

****財政上の問題に直面して、元々の所有権は2014年に売却されました。コヴィントンの店舗は閉鎖され、現在はクレセント・スプリングスのバターミルク・パイクで営業しています。

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今回の投稿もバー飲みなのですが、こちらは偶然か故意か居合わせたバーの常連であり、Instagramで繋がりのあるTさんより自身のボトルキープをご馳走して頂きました。私と一緒に行ったツレの分まで頂戴しまして、Tさんの太っ腹に感謝です。このお方、バーボンをビールのように飲めてしまう酒豪で、お酒に弱い私からしたらバケモンのような人です(笑)。

推定80年代後半ボトリング。2000年以降とは異なるアーシーなフィーリングとパフューミーなアロマのある時代のターキー。以前、他のバーで同じくらいの年代の物を飲みましたが、こちらのほうがカビっぽさを感じなかったですね。ボトル・コンディションの差でしょうか。どちらにせよターキー好きにとっては「間違いない」代物です。
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ジムビームのスモールバッチ・コレクションのうち筆頭とも言えるブッカーズ。その名の由来となっているのはビーム家第六世代マスターディスティラーであるフレデリック・ブッカー・ノー2世、通称ブッカー・ノーです(*)。
ブッカーは1929年12月に生まれました。ジム・ビームことジェイムス・ボーリガード・ビームの孫に当たります。母親であるジムの娘マーガレットがノー家へ嫁いでいるのでビーム姓を名乗っていません。蒸留一家の家系に生まれた常か、10代の頃から蒸留所周辺の手伝いをしていたようです。恵まれた体躯の持ち主だったブッカーはフットボールをやっていて、後にアラバマ大学で勇名を馳せるカレッジ・フットボール界の伝説的名コーチ、ベア・ブライアントがケンタッキー大学で指導していた頃の彼のチームに所属していました。しかしやがてチームを辞め、大学も中退してしまい、アンクル・ジェリー(ジムの息子ジェレマイアのこと)やカズンのカール(ジムの弟の息子)らの心配を引き起こします。彼らはブッカーが蒸留所の家族との繋がりを損なわないことを望んでいたのです。チームや大学を辞めた理由については定かではありませんが、ブッカーはワイルドな男だったので若き人生を楽しみたかったのかも知れません。
ブッカーは子供の頃から有名な祖父ジムと親密だったそうで、ジムもアンクル・ジェリーも彼のポテンシャルを認めていました。また、家族がブッカーの処遇にまごついている間に、ウィレット蒸留所のトンプソン・ウィレット氏もブッカーを狙って(スカウト?)いたなんて話もあったようです。もしブッカーがウィレット蒸留所に行っていたとしたら、ブッカー・ノーがプロデュースするノアーズミル発売!、息子のフレッド・ノーがウィレット蒸留所のマスターディスティラーを継ぐ!、なんていう歴史の書き換えが行われていたかも…と妄想するのはバーボンマニアの密やかな楽しみでもあるでしょう。しかし、歴史はそうはなりませんでした。
ブッカーの母は、息子へもっと巧くファミリービジネスの魅力を紹介するよう、アンクル・ジェリーに持ち掛けたようです。それが効を奏した分かりませんが、1950年頃にアシスタント・ディスティラーとして家業に入り、おそらく名ディスティラーだったカールに蒸留業の一から十を叩き込まれたものと想像します。ブッカーは主にケンタッキー州ボストンのジムビーム蒸留所でバーボンの製造と熟成を管理し、後に隣接するクレアモントでもそうしました。ジムビームはブリット郡クレアモントとネルソン郡ボストンに蒸留所を持ちますが(**)、そのボストンの蒸留所は五代目当主のジェレマイアが操業を停止していた古いチャーチル・ダウンズ蒸留所を買い取り、数百万ドルを投資して最先端の施設へと転換、1954年に2番目の蒸留所として開設し、通称ボストン・プラントと呼ばれていました。ブッカーはそこを長らく監督していたので、今ではジムビーム蒸留所ブッカー・ノー・プラントと命名されています。
ブッカーは1965年にマスターディスティラーに選ばれました。1960年代及び70年代、ジンや特にウォッカのような「ホワイトスピリッツ」の躍進に悩まされてきたバーボン業界にあっても、ジムビーム自体は当時から世界で最も売れ行きの良いバーボンでした。ブッカー一人の力でもなかったのでしょうが、彼が1992年に「名誉マスターディスティラー」として実務から引退するまでの在任中、ジムビーム・バーボンの生産量は12倍に増えたと言います。引退した後も会社のアンバサダーとして働き続け、ビームのバーボンを宣伝するため世界を旅したり、バーボン・テイスティング会ではホストとして家族の物語や歴史を織り混ぜた会話で観客を楽しませました。1995年に会社はジムビームのラベルに、ブッカーに先行していた5人のビーム・ディスティラー、ジェイコブ、デイヴッド、デイビッドM、ジム、Tジェレマイアの肖像画のスケッチと並べて彼を加えます。そしてブッカーは2001年にバーボンの殿堂入りを果たし、2004年に亡くなりました。
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ブッカーは愛すべきキャラクターとカリズマを備え、ロックスターのように扱われた初めてのマスターディスティラーでした。今日、伝説として扱われる彼の功績は、蒸留技師としてよりも、むしろ自身の名を冠した「ブッカーズ」と「スモールバッチ・バーボン」を広めたことに帰着するでしょう。その役割は現在、息子のフレッド・ノーがビーム家七代目マスターディスティラーとなって継承しています。

伝説の語り部やマーケティング部門の天才的なライターは、時に余りにもフィクショナルな言辞を誇示します。それ故、ブッカーズ誕生秘話の真相もどこまで本当かよく分かりません。一説には、ブッカーズはブッカーがシングルモルト・スコッチに匹敵するバーボンを製造するよう頼まれたのが契機となったと言います。定説では、ブッカーが時々蒸留所の倉庫から特別に選んだバレルを瓶詰めし、親しい友人や家族へのホリデーギフトとしたり、ビーム家主催のバーベキューパーティーで振る舞われたそのバーボンはやがて評判を呼び、インスピレーションとなってビームが量産を開始した時、ブッカーズは誕生したと言います。ビーム社が公式に発表しているところによれば1988年のことでした。僅かな違いですが、87年としているサイトも多いです。初め高品質のバーボンが売れるかどうかについて疑問の声は内部からもあったそう。その希望小売価格は約40ドルとも50ドルとも言われ、当時のバーボンとしては破格の値段でした。しかし、それは杞憂に終わり、ブッカーズはカルト的な人気を得、今でもビーム・バーボンの最高峰として君臨しています。

ブッカーズの品質は何千何万もの樽の中から「ハニーバレル」と呼ばれるものを見つけることによって達成されます。気温の変動や倉庫内のバレルを置く位置により、バーボンは様々な品質で熟成し、風味は一定しません。業界で育ったブッカーは最高の樽を探す方法を知っていました。
かつて一部の蒸留所のラックハウス作業員は「ミュールス」と呼ばれるプラスチック製のチューブを自分の作業着の前面に付けて持ち歩き、熟成したバレルから直接ウィスキーの味見をするために使用したそうです。 彼らはおおむね立派な体格(太ってた?)をしており、味見をするとき彼らの出っ張った腹は樽の側面を擦り、埃を取り除いてバレルを輝かせました。「バレルがより明るいと、ウィスキーはより甘い」なんて格言?を言う人もいたそうな。
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ブッカーは見習いの作業員をラックハウスへわざと送り込んでおいて、後から悠々とシャイニーバレルを見つけ出したのでしょう。そして自らの名前を付けることになるバーボンの最初の準備が出来た時、シャイニーバレルがあった場所に新しい樽を置いた、と。そこは大抵の場合、温度と湿度と日当たりがちょうど良いラックハウスの中央部分に当たりました。具体的に言うと、ジムビームの熟成倉庫は主に9階建てですが、上層階でも下層階でもない真ん中の4~6階のことです。これがブッカー自身がしばしば「センターカット」という用語を使った理由でした。ジムビームではラックハウスの中層階こそが「スイートスポット」であり「ハニーバレル」を産出する場所だという訳です。

以上のような特別な樽を一つ選ぶだけではブッカーズにはなりません。ブッカーズはシングルバレルではなくスモールバッチですから、選ばれた樽はサンプリングされて、バランスを見ながらブレンドし、一つのバッチを形成します。このプロセスをバッチングといい、バーボンの味をクリエイトする重要な要素。現在のブッカーズもバッチングに使用される樽は殆どが中層階から来ています(少しだけ2階や8階等別のフロアの樽が選ばれることもある)。バッチ・サイズは概ね350~360樽とされます。また、ブッカーズの熟成年数は常に6~8年であり、ラベル記載の熟成年数はバッチの中で最も若い原酒の物です。ラベルと言えば、あのブッカーズの象徴的な筆記体によるデザインは、自分のバーボンのストーリーを説明したブッカー・ノー本人の手書きのメモを複製したものだそう。

そして更にブッカーズをブッカーズたらしめる特徴が、アンカットとアンフィルタード。つまり水で希釈せず濾過もしないことです。加水調整しないため、アルコール度数はそのバッチ毎に異なり、およそ120~130プルーフの間を行き来する所謂バレルプルーフ・バーボンで、フィルタリングに関してはゴミ(炭化したバレルの木屑)取りレヴェルの濾過はしていると思いますが、大々的なフィルターはかけていないでしょう。ブッカー本人の台詞で言えば「バレルからストレートに、かつてのバーボンがそうだったように」。

さて、今回レヴューするブッカーズなのですが、購入した時からバッチナンバーを示すシールが欠損していました。初めから付いてなかったのか、取れちゃったのかよく判りませんが、ともかくブッカーズと言えばバッチナンバーは欠かせません。それがあるから有り難みが増し、マニア心を擽るというもの。そこで、せっかくなのでテイスティングの前にブッカーズのバッチナンバーの読み方を、この機会に紹介しておきましょう。

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ブッカーズのバッチのコードには大きく分けて3タイプあります。
発売開始から94年途中までは「バッチ」と書かれてなく「ロット」と書かれ、例を挙げると「C-B-16-79」や「B-K-28-84」のようなコーディングです。最初のアルファベットは蒸留プラントの別を表し、クレアモントの「C」かボストンの「B」です。二番目のアルファベットは月を表し、A=1月、B=2月と読み替えます。次の数字は1から31までの蒸留日、最後の数字は蒸留年に対応しています。
続いて、94年途中からフォーマットに若干の変更がなされました。例としては「C87-B-19」や「B95-C-31」のような感じです。以前と同様の方法論に従いますが、順序が違います。先頭のアルファベットは蒸留プラントの区別、そこからハイフンがなく蒸留年が来て、月を示すアルファベット、日にちの順です。
そして2014年になると、従来方式と単純化されたバッチナンバーが混在し始めます。「C07-A-12」と「2014-07」のような例です。前者は従来通りですが、後者は蒸留年ではなくバッチングされた年とリリース番号です。この混在はおそらく過渡期だからでしょう。2015年になるとアメリカ国内仕様のバッチナンバーの書かれたタグは大幅にリニューアルされたからです。2015年からのものはバッチ番号を単純化した以外に、各バッチにブッカーと関連する何かを表すシンボルと名前が付けられるようになりました。犬とか椅子とか魚とか肉とか色々なものです。ご丁寧にそれらに付随するストーリーもあります。これらは限定リリースや特別リリースではありませんが、ファンからしたら親しみやすく見ていて楽しい新機能です。

それでは、海外のバーボンマニアが作成してくれているデータをベースに、バッチの仕様を以下に纏めておきます。ブッカーズはかなりの年月継続して発売されてますし、特定の業者向けのボトリングもあり、または輸出国でその仕様も異なるかも知れず、全てを網羅するのは難易度が高いです。また私自身はコレクターでもマニアでもありません。それゆえ不完全だと思うので、ここに挙げられていないバッチをご存知の方はコメントよりお知らせ頂けると助かります。表記は左から順に、バッチ番号、名称があるものはその名称、括弧は蒸留年に熟成年数を足したことで得られる推定バッチング時期≒ボトリング時期≒リリース時期(後年の「2015-01」のような番号には付けていません)、熟成年数、プルーフ、特記事項、分かるものに関してはバレルの出自です。また、不確定要素には「?」を付しました。


【Booker's Batches ~Work-in-Progress~】

C-B-16-79 (Feb. 1986?) / 7YEARS OLD / 120.9 PROOF / Brown Wax / Individually Numbered
C-B-16-79 (Feb. 1987?) / 8YEARS OLD / 121.4 PROOF / Brown Wax
C-E-19-81 (May 1988) / 7YEARS OLD / 121.6 PROOF / Brown Wax
C-B-04-82 "Booker Noe's" (Feb. 1989) / 7YEARS OLD / 125.2 PROOF / Brown Wax 
C-C-16-82 "Booker Noe's" (Mar. 1989) / 7YEARS OLD / 126.0 PROOF / Brown Wax
C-I-27-82 "Booker Noe's" (Sep. 1989) / 7YEARS OLD / 125.3 PROOF
C-K-03-82 (Nov. 1989) / 7YEARS OLD / 124.2 PROOF
B-H-01-83 "Booker Noe's" (Aug. 1991) / 8YEARS OLD / 124.6 PROOF / Brown Wax
B-H-01-83 "PRIVATE STOCK" (Aug. 1991) / 8YEARS OLD / 125.4 PROOF / For Japanese Market
C-E-15-84 (Dec. 1990) / 6YRS 7MO / 124.6 PROOF
C-E-15-84 "Booker Noe's" (???. 1991) / 6YRS ?MO / 125.2 PROOF / For Japanese Connoisseur
C-E-15-84 (Oct. 1991) / 7YRS 5MO / 124.6 PROOF / Brown Wax
B-K-28-84 "Booker Noe's" (Jan. 1993) / 8YRS 2MO / 124.6 PROOF / Brown Wax
B-K-28-84 (Jan. 1993) / 8YRS 2MO / 124.6 PROOF
C-J-06-86 "Booker Noe's" (Oct. 1993) / 7YEARS OLD / 124.9 PROOF / Brown Wax
B-C-19-87 "Booker Noe's" (Apr. 1994) / 7YRS 1MO / 126.5 PROOF
C87-B-19 "PRIVATE STOCK" (Feb. 1994?) / 7YEARS OLD / 126.5 PROOF / For Japanese Market
C87-B-19 (May 1994) / 7YRS 3MO / 126.5 PROOF
C87-D-14 (Dec. 1994) / 7YRS 8MO / 126.1 PROOF / Japan Export?
C87-D-21 (Apr. 1995) / 8YEARS OLD / 125.3 PROOF
C-E-15-89 (May 1996) / 7YEARS OLD / 124.6 PROOF / Mimi
C88-J-17 (Oct. 1996) / 8YEARS OLD / 125.5 PROOF / Booker's Club 3 Sticker on Top
C89-E-26 (Mar. 1997) / 7YRS 10MO / 125.6 PROOF
C89-L-13 (May 1996) / 6YRS 5MO / 126.6 PROOF
C90-B-8 "10th Anniversary" (Feb. 1998) /  8YRS / 126.3 PROOF / Gold Wax
C90-D-11 (Aug. 1997) / 7YRS 4MO / 126.5 PROOF
C90-E-11 (Sep. 1997) / 7YRS 4MO / 126.5 PROOF / Booker's Club 3 Sticker on Top
C90-E-14 (Feb. 1998) / 7YRS 9MO / 126.7 PROOF
C90-K-28 (Sep. 1998) / 7YRS 10MO / 126.3 PROOF
C91-L-20 (May 1999) / 7YRS 5MO / 126.6 PROOF
C92-I-15 (Dec. 1999) / 7YRS 3MO / 126.5 PROOF
C92-K-05 (Aug. 2000) / 7YRS 9MO / 125.4 PROOF
B93-L-16 (Jan. 2001) / 7YRS 1MO / 126.3 PROOF
B94-E-13 (Jun. 2001) / 7YRS 1MO / 126.0 PROOF
B94-E-13 (Jan. 2002) / 7YRS 8MO / 126.4 PROOF
B95-C-31 (Jun. 2002) / 7YRS 3MO / 126.6 PROOF
B95-C-31 (Dec. 2002) / 7YRS 9MO / 126.7 PROOF
B95-C-31 (Mar. 2003) / 8YRS 0MO / 126.7 PROOF / Japan Export?
B95-C-31 (Aug. 2003) / 8YRS 5MO / 126.8 PROOF
B95-C-31 (Dec. 2003) / 8YRS 9MO / 126 PROOF
B96-C-15 "Booker Noe 1929-2004" (Jun. 2004) / 8YRS 3MO / 125.3 PROOF / Commemorative Label, Release Size : 3000
B96-L-23 (Nov. 2004) / 7YRS 11MO / 126.8 PROOF
C97-A-31 (Mar. 2005) / 8YRS 2MO / 126.6 PROOF
C97-B-07 (Aug. 2005) / 8YRS 6MO / 126.9 PROOF
C99-B-22 (Jan. 2006) / 6YRS 11MO / 124.7 PROOF
C00-A-20 (May 2006) / 6YRS 4MO / 124 PROOF
C00-A-20 (Aug. 2006) / 6YRS 7MO / 127 PROOF
C00-A-20 (Oct. 2006) / 6YRS 9MO / 127 PROOF
C00-K-15 (Jun. 2007) / 6YRS 7MO / 126.4 PROOF
C01-A-18 (Aug. 2007) / 6YRS 7MO / 124.9 PROOF
C01-A-18 (Jan. 2008) / 7YRS 0MO / 125.7 PROOF
C01-A-18 (Apr. 2008) / 7YRS 3MO / 125.4 PROOF
C01-A-18 (Apr. 2008) / 7YRS 3MO / 125.7 PROOF
C01-K-07 (Sep. 2008) / 6YRS 10MO / 126 PROOF
C02-A-18 (Dec. 2008) / 6YRS 11MO / 126.9 PROOF
C02-A-18 (Mar. 2009) / 7YRS 2MO / 130.1 PROOF
"FRED NOE SELECT FOR SEIJO ISHII" NO. 1 / 6YRS 10MO / 125.0 PROOF / Release Size : 1000, Special Box
"FRED NOE SELECT FOR SEIJO ISHII" NO. 2 / 6YRS 10MO / 122.0 PROOF / Release Size : 700, Special Box
"FRED NOE SELECT FOR SEIJO ISHII" NO. 3 /6YRS 10MO / 122.0 PROOF / Release Size : 300, Special Box
C02-I-24 (Sep. 2009) / 7YRS 0MO / 128.4 PROOF
C03-A-29 (Jan. 2010) / 7YRS 0MO / 127.9 PROOF
C03-A-29 (May 2010) / 7YRS 4MO / 128.6 PROOF / Japan Export?
C03-I-16 (Sep. 2010) / 7YRS 0MO  / 127.4 PROOF
C03-I-17 (Jan. 2011) / 7YRS 4MO / 128.0 PROOF
C04-A-28 (May 2011) / 7YRS 4MO / 129.1 PROOF
C04-A-28 (Aug. 2011) / 7YRS 7MO / 128.6 PROOF
C04-J-19 (Nov. 2011) / 7YRS 1MO / 129.2 PROOF
C05-A-12 (Feb. 2012) / 7YRS 1MO / 130.0 PROOF
C05-A-12 (Jun. 2012) / 7YRS 5MO / 128.5 PROOF
C06-B-15 (Mar. 2013) / 7YRS 1MO / 127.1 PROOF
C06-B-15 (Mar. 2013) / 7YRS 1MO / 128.9 PROOF
C06-B-15 (May 2013) / 7YRS 3MO / 127.1 PROOF
C06-K-08 (Nov. 2012) / 6YR 0MO / 130.4 PROOF
C06-K-08 (Jan. 2013) / 6YR 2MO / 128.5 PROOF / Kentucky Derby Festival 2013
2013-06 / 7YRS 6MO / 125.9 PROOF / Roundtable Selection
2013-07 / 7YRS 0MO / 128.0 PROOF
2014-01 "25th Anniversary Edition" / 10YRS 3MO / 130.8 PROOF / Gold Wax
2014-02 / 7YRS 0MO / 126.8 PROOF / Japan Export
C07-A-12 (Jan. 2014) / 7YRS 0MO / 130.6 PROOF
C07-B-7 (Apr. 2014) / 7YRS 2MO / 130.8 PROOF / Roundtable Selection
C2014-05 / 7YRS 5MO / 127.9 PROOF
2014-06 / 7YRS 2MO 14DAYS / 127.7 PROOF / Roundtable Selection
2014-07 / 7YRS 7MO 13DAYS / 128.9 PROOF
2015-01 "Big Man, Small Batch" / 7YRS 2MO 16DAYS / 128.7 PROOF
2015-02 "Dot's Batch" / 7YRS 0MO 18DAYS / 127.9 PROOF
2015-03 “The Center Cut” / 7YRS 2MO 28DAYS / 127.2 PROOF / Roundtable Selection
2015-04 "Oven Buster Batch" / 6YRS 5MO 20DAYS / 127.0 PROOF / Roundtable Selection
2015-05 "Maw Maw's Batch" / 6YRS 7MO 3DAYS / 128 PROOF
2015-05 (No Batch Name) / 6YRS 7MO / 128.0 PROOF / Export
2015-06 "Noe Secret" / 6YRS 8MO 7DAYS / 128.1 PROOF / Roundtable Selection
2016-01 "Booker's Bluegrass" / 6YRS 11MO  0DAYS / 127.9 PROOF
The first batch of Bookers for 2016 is made up of barrels that were stored in 7 different rack houses. 61% of the barrels were stored in 9 story houses, 34% were stored in 7 story houses, and remaining 5% were stored in a 5 story rack house. The ages of the barrels in the batch range from 6 years 11 months old to 7 years 11 months old.
2016-01E (No Batch Name) / 6YRS 1MO / 127.7 PROOF / Export
2016-02 "Annis' Answer" / 6YRS 2MO 1DAYS / 126.7 PROOF
The batch is made up of barrels from four different production dates stored in 5 different storage areas. The oldest barrels in the batch were 7 years, 1 month old and the youngest barrels were 6 years, 2 month old.
2016-LE "Big Time Batch" Booker's Rye / 13YRS 1MO 12DAYS / 136.2 PROOF / Green Wax and Label
2016-03 “Toogie's Invitation” / 6YRS 4MO 4DAYS / 129.0 PROOF / Roundtable Selection
"Toogie’s Invitation" is culled from barrels located in six different rack houses.
2016-04 “Bluegill Creek” / 6YRS 5MO 28DAYS / 128 PROOF
"Bluegill Creek" is made up of barrels from four different rack houses and five different production dates.
2016-05 “Off Your Rocker” / 6YRS 7MO 23DAYS / 129.7 PROOF
"Off Your Rocker" is made up of barrels located in four different rack houses with four different production dates.
2016-06 “Noe Hard Times” / 6YRS 10MO 1DAYS / 127.8 PROOF
"Noe Hard Times" is made up of barrels from 6 different rack houses with six different production dates.
2017-01 “Tommy’s Batch” / 6YRS 4MO 6DAYS / 128.5 PROOF / Roundtable Selection
41% came from the 6th floor of 9-story warehouse E
13% came from the 6th floor of 9-story warehouse H
46% came from the 7th floor of 9-story warehouse D
2017-01E (No Batch Name) / 6YRS 1MO 0DAYS / 125.4 PROOF / Export
2017-02 "Blue Knights Batch" / 6YRS 3MO 3DAYS / 127.4 PROOF
2% came from the 4th floor of 7-story warehouse ONE 
38% came from the 7th floor of 9-story warehouse D
33% came from the 4th floor of 9-story warehouse F
27% came from the 6th floor of 9-story warehouse J
2017-03 “Front Porch Batch” / 6YRS 5MO 25DAYS / 125.9 PROOF
8% came from the 5th floor of 9-story warehouse D
14% came from the 7th floor of 9-story warehouse D
37% came from the 4th floor of 9-story warehouse E
5% came from the 5th floor of 9-story warehouse E
16% came from the 6th floor of 9-story warehouse E
20% came from the 4th floor of 9-story warehouse F
2017-04 “Sip Awhile” / 6YRS 8MO 14DAYS / 128.1 PROOF
4% came from the 6th floor of 9-story warehouse F
4% came from the 7th floor of 9-story warehouse F
8% came from the 4th floor of 9-story warehouse E
39% came from the 5th floor of 9-story warehouse E
45% came from the 7th floor of 9-story warehouse H
2018-01 “Kathleen's Batch” / 6YRS 3MO 14DAYS / 127.4 PROOF / Roundtable Selection
4% came from the 5th floor of 7-story warehouse ONE
6% came from the 4th floor of 9-story warehouse F
3% came from the 7th floor of 9-story warehouse F
19% came from the 4th floor of 9-story warehouse H
30% came from the 5th floor of 9-story warehouse H
13% came from the 6th floor of 9-story warehouse H
25% came from the 7th floor of 9-story warehouse H
2018-01E (No Batch Name) / 6YRS 3MO / 127.4 PROOF / Export
2018-02 “Backyard BBQ” / 6YRS 2MO 10DAYS / 128.8 PROOF
4% came from the 4th floor of 9-story warehouse E
29% came from the 5th floor of 9-story warehouse E
10% came from the 7th floor of 9-story warehouse E
8% came from the 5th floor of 9-story warehouse J
32% came from the 6th floor of 9-story warehouse I
17% came from the 7th floor of 9-story warehouse I
2018-03 “Kentucky Chew” / 6YRS 4MO 12DAYS / 126.7 PROOF
29% came from the 4th floor of 9-story warehouse D
42% came from the 6th floor of 9-story warehouse D
8% came from the 4th floor of 9-story warehouse I
8% came from the 7th floor of 9-story warehouse I
6% came from the 6th floor of 9-story warehouse J
2% came from the 7th floor of 9-story warehouse J
5% came from the 5th floor of 7-story warehouse N
2018-04 “Kitchen Table” / 6YRS 8MO 7DAYS / 128.0 PROOF
7% came from the 4th floor of 9-story warehouse E
14% came from the 5th floor of 9-story warehouse E
4% came from the 6th floor of 9-story warehouse E
24% came from the 5th floor of 9-story warehouse J
44% came from the 6th floor of 9-story warehouse J
7% came from the 6th floor of 9-story warehouse D
"30th Anniversary Limited Edition" / 30% 16 Year and 70% 9 Year / 125.8 PROOF / Silver Wax
2019-01 "Teresa's Batch" / 6YRS 3MO 1DAYS / 125.9 PROOF
2% came from the 2nd floor of 7-story warehouse 5
1% came from the 4th floor of 7-story warehouse 5
10% came from the 6th floor of 9-story warehouse D
3% came from the 4th floor of 9-story warehouse E
25% came from the 5th floor of 9-story warehouse E
25% came from the 6th floor of 9-story warehouse E
28% came from the 5th floor of 9-story warehouse J
3% came from the 6th floor of 9-story warehouse J
3% came from the 8th floor of 9-story warehouse J
2019-01E (No Batch Name) / 6YRS 3MO / 125.9 PROOF / Export
2019-02 "Shiny Barrel Batch" / 6YRS 5MO 1DAYS / 124.0 PROOF
18% came from the 6th floor of 9-story warehouse D
39% came from the 4th floor of 9-story warehouse E
43% came from the 4th floor of 9-story warehouse J
2019-03 "Booker's Country Ham" / 6YRS 4MO 2DAYS / 124.7 PROOF
51% came from the 7th floor of 9-story warehouse H
5% came from the 3rd floor of 7-story warehouse P
44% came from the 4th floor of 7-story warehouse P
2019-04 "Beaten Biscuits" / 6YRS 6MO 19DAYS / 126.1 PROOF
47% came from the 6th floor of 9-story warehouse H
11% came from the 4th floor of 7-story warehouse P
42% came from the 5th floor of 7-story warehouse P
2020-01 "Granny's Batch"  / 6YRS 4MO 21DAYS / 126.4 PROOF
24% came from the 6th floor of 9-story warehouse G
22% came from the 4th floor of 9-story warehouse H
16% came from the 4th floor of 7-story warehouse L
24% came from the 5th floor of 7-story warehouse L
10% came from the 6th floor of 7-story warehouse L
4% came from the 5th floor of 7-story warehouse P
2020-01E (No Batch Name) / 6YRS 4MO / 126.4 PROOF / Export
2020-02 "Boston Batch" / 6YRS 3MO 10DAYS / 126.5 PROOF
11% came from the 3rd floor of 7-story warehouse 5
33% came from the 5th floor of 9-story warehouse G
27% came from the 6th floor of 9-story warehouse H
29% came from the 5th floor of 7-story warehouse Z
2020-03 "Pigskin Batch" / 6YRS 7MO 7DAYS / 127.3 PROOF
14% came from the 6th floor of 7-story warehouse L
15% came from the 6th floor of 9-story warehouse H
27% came from the 5th floor of 7-story warehouse M
32% came from the 4th floor of 7-story warehouse X
12% came from the 5th floor of 7-story warehouse Z
2021-01 "Donohoe's Batch" / 6YRS 11MO 4DAYS / 125.3 PROOF
16% came from the 2nd floor of 9-story warehouse H
8% came from the 6th floor of 9-story warehouse H
4% came from the 6th floor of 7-story warehouse L
16% came from the 4th floor of 7-story warehouse X
9% came from the 5th floor of 7-story warehouse X
47% came from the 5th floor of 7-story warehouse Z
2021-01E (No Batch Name) / 6YRS 11MO / 125.3 PROOF / Export
2021-02 "Tagalong Batch" / 6YRS 5MO 0DAYS / 127.9 PROOF
4% came from the 3rd floor of 7-story warehouse 5
3% came from the 4th floor of 7-story warehouse X
13% came from the 5th floor of 9-story warehouse D
33% came from the 6th floor of 9-story warehouse H
40% came from the 7th floor of 9-story warehouse H
7% came from the 5th floor of 7-story warehouse Z
2021-03 "Bardstown Batch" / 6YRS 7MO 7DAYS / 127.3 PROOF
8% came from the 2nd floor of 9-story rackhouse H
27% came from the 5th floor of 9-story rackhouse H
24% came from the 6th floor of 9-story rackhouse D
11% came from the 5th floor of 7-story rackhouse Z
19% came from the 5th floor of 7-story rackhouse 1
11% came from the 8th floor of 9-story rackhouse J
2021-04 "Noe Strangers Batch" / 6YRS 6MO 12DAYS / 124.4 PROOF
3% came from the 2nd floor of 9-story warehouse H
27% came from the 5th floor of 9-story warehouse D
39% came from the 6th floor of 9-story warehouse J
31% came from the 5th floor of 7-story warehouse Q
2022-01 "Ronnie's Batch" / 6YRS 11MO 22DAYS / 124.3 PROOF
4% came from the 3rd floor of 7-story warehouse 5
7% came from the 4th floor of 9-story warehouse D
15% came from the 5th floor of 7-story warehouse 1
26% came from the 5th floor of 7-story warehouse Q
48% came from the 5th floor of 7-story warehouse Z
2022-01E (No Batch Name) / 6YRS 11MO / 124.3 PROOF / Export
2022-02 "The Lumberyard Batch" / 7YRS 1MO 7DAYS / 124.8 PROOF
2% came from the 4th floor of 7-story warehouse X
3% came from the 3rd floor of 7-story warehouse 5
3% came from the 4th floor of 9-story warehouse D
17% came from the 4th floor of 7-story warehouse Z
19% came from the 5th floor of 7-story warehouse Q
28% came from the 4th floor of 7-story warehouse 1
28% came from the 6th floor of 7-story warehouse Z
2022-03 "Kentucky Tea Batch" / 7YRS 4MO 14DAYS / 126.5 PROOF
2% came from the 3rd floor of 7-story warehouse 5
1% came from the 4th floor of 7-story warehouse X
1% came from the 4th floor of 9-story warehouse D
12% came from the 4th floor of 7-story warehouse 1
24% came from the 5th floor of 7-story warehouse Q
14% came from the 6th floor of 7-story warehouse Q
46% came from the 6th floor of 7-story warehouse Z
2022-04 "Pinkie's Batch" / 6YRS 10MO 10DAYS / 122.4 PROOF
47% came from the 3rd floor of 7-story warehouse Z
36% came from the 4th floor of 7-story warehouse 1
11% came from the 4th floor of 7-story warehouse X
6% came from the 5th floor of 7-story warehouse Q
SINGLE BARREL "Second Chance Batch" / 7yrs 6mo 17days / 123.6 PROOF / WAREHOUSE D / FLOOR 4 / Blue Label, Blue Wax, For Medicinal Whiskey Charity
2023-01 "Charlie's Batch" / 7YRS 1MO 8DAYS / 126.6 PROOF
3% came from the 5th floor of 7-story warehouse Q
17% came from the 4th floor of 7-story warehouse G
24% came from the 4th floor of 7-story warehouse Z
27% came from the 5th floor of 7-story warehouse Z
29% came from the 5th floor of 7-story warehouse 1
2023-01E (No Batch Name) / 7YRS 1MO / 126.6 PROOF / Export
2023-02 "Apprentice Batch" / 7YRS 1MO 2DAYS / 125.5 PROOF
7% came from the 7th floor of 9-story warehouse H
9% came from the 4th floor of 7-story warehouse W
11% came from the 4th floor of 7-story warehouse 1
18% came from the 4th floor of 7-story warehouse O
19% came from the 4th floor of 9-story warehouse G
36% came from the 4th floor of 7-story warehouse Z
2023-03 "Mighty Fine Batch" / 7YRS 1MO 10DAYS / 126.6 PROOF
2% came from the 5th floor of 7-story warehouse Q
3% came from the 6th floor of 7-story warehouse Z
8% came from the 5th floor of 9-story warehouse G
10% came from the 6th floor of 7-story warehouse I
10% came from the 5th floor of 9-story warehouse H
12% came from the 5th floor of 9-story warehouse G
55% came from the 5th floor of 7-story warehouse 3
2023-04 "The Storyteller Batch" / 7YRS 2MO 29DAYS / 127.8 PROOF
26% came from the 6th floor of 7-story warehouse Z
14% came from the 6th floor of 9-story warehouse H
25% came from the 5th floor of 9-story warehouse G
35% came from the 5th floor of 7-story warehouse 3
2024-01 "Springfield Batch" / 7YRS 7MO 8DAYS / 124.5 PROOF
17% came from the 5th floor of 9-story warehouse G
7% came from the 4th floor of 9-story warehouse H
31% came from the 5th floor of 7-story warehouse Z
45% came from the 4th floor of 7-story warehouse 3
2024-01E (No Batch Name) / 7YRS 1MO 12DAYS / 124.4 PROOF / Export
2024-02 “The Beam House Batch” / 7 YRS 2MO 22DAYS / 124.6 PROOF
14% came from the 5th floor of 7-story warehouse Z
28% came from the 4th floor of 7-story warehouse 3
14% came from the 4th floor of 7-story warehouse 3
19% came from the 5th floor of 7-story warehouse Q
25% came from the 7th floor of 9-story warehouse H

THE RESERVES 2024 / 8YRS 2MO 12 DAYS / 125.9 PROOF
8 Years, 2 Months, 12 Days on the 4th floor of warehouse G
8 Years, 5 Months, 19 Days on the 5th floor of warehouse I
8 Years, 5 Months, 20 Days on the 5th floor of warehouse Z
9 Years, 2 Months, 3 Days on the 5th floor of warehouse Q
9 Years, 2 Months, 4 Days on the 6th floor of warehouse J
9 Years, 5 Months, 18 Days on the 7th floor of warehouse H
10 Years, 3 Months, 2 Days on the 4th floor of warehouse X
14 Years, 4 Months, 16 Days on the 6th floor of warehouse I
2024-03 “The Master Distillers Batch” / 7YRS 8MO 7DAYS / 130.3 PROOF
10% came from the 6th floor of 7-story warehouse Z
11% came from the 6th floor of 7-story warehouse 1
42% came from the 6th floor of 7-story warehouse 3
37% came from the 3rd floor of 9-story warehouse J
2024-04 “Jimmy's Batch” / 7YRS 9MO 19DAYS / 125.8 PROOF
12% came from the 5th floor of 7-story warehouse Z
20% came from the 5th floor of 7-story warehouse 1
46% came from the 3rd floor of 7-story warehouse 3
22% came from the 4th floor of 7-story warehouse Q


少し補足しておくと、特記事項に出てくるラウンドテーブル・セレクションというのは、円卓会議を意味する言葉です。基本的にブッカーズ・バーボンは、蒸留所で働く選ばれた人々にテイスティングしてもらい意見を伺うらしいのですが、このラウンドテーブルとしてリリースされているブッカーズは、蒸留所の関係者ではないけれどバーボンを愛するライターや著名人、所謂インフルエンサーにブッカーズのバッチ選択を手伝ってもらったものを指します。大体3つのサンプルの中からどれがブッカーズに相応しいか投票形式で決めて行くのだとか。
また、前半の方に「ブッカー・ノーズ」と名付けられたブッカーズがあります。これは聞くところによると、日本のバーボンマニアの間で「ブッカーズ/ブッカー・ノーズ問題」と呼ばれているようで、つまりはこの二つの違いは何なんだ?と云うことなのですが、日本の或る高名なウィスキーブロガーの方は他方はシングルカスク(シングルバレル)なのではないかと想像してみたり、なかなか尽きないホットなトピックみたいです。なので私もここで自分の想像を披瀝してみたいと思います。
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先ず、最初の発売時はブッカー・ノーズで、ある時からブッカーズに名称変更された、というなら話は簡単だったのですが、これは確実に違います。上のリストの始めの三つは「Booker's」だからです。次に、ブッカーズが初期の段階では国内仕様をブッカーズ、日本輸出仕様をブッカー・ノーズにしていた、これはその可能性もあるし、そうでもなさそうな気もするし、明確に判らないので取りあえず放置。続いて、一方の質が高い説、例えばブッカーズはスモールバッチでブッカー・ノーズはシングルバレルとか、他方は熟成年数が長いとか、蒸留時点で造り分けてるなど中身に明瞭なスペックの違いがあると考える説は、個人的には賛同できません。おそらくブッカーズにはシングルバレルはなく、ブッカー・ノーズも含めて常にスモールバッチだったのではないかと思います。明確な根拠がある訳ではないのですが、ブッカー・ノーはシングルバレル・バーボンのファンではなかったと聞きます。シングルバレルはその性質上、一貫性がなく、当該のブランドにシングルバレルに相応しいベスト・バレルを使用してしまうと、ブランド全体のフレイヴァー・プロファイルが弱くなることを彼は知っていました。それがスモールバッチのコンセプトに拘った所以でしょう。それに、既に84年の時点でブラントンズというシングルバレル・バーボンが発売されているのですから、もしシングルバレルのブッカーズを造ったのだったら、あれほど似たようなラベルにせず、もっと高級感を演出するとか、或いはその事をもっと押し出したのではないでしょうか?  ロット「79」までの物が極端に小さい規模のスモールバッチだった、というなら理解は出来るのですが…。また、私には当時の価格が分からないのでこれまた憶測ですが、ブッカーズとブッカー・ノーズに品質の区別があったのなら販売価格は大いに違ったのではないでしょうか? 誰か知ってる方はいらっしゃいませんか?
じゃあ一体ブッカーズとブッカー・ノーズは何が違うんだと問われたら、両者は保証される品質に違いはなく、単なるラベルのヴァリエーションに過ぎないのではないか、というのが私の意見です。仮に、初期のブッカーズとブッカー・ノーズを全部取り揃えて飲み比べをし、その結果、例えば全てのブッカー・ノーズが全てのブッカーズより美味しく感じたとしても、やはりそれらは同じものと見做せると思います。何故なら、そもそもブッカーズはバッチ毎に味の変動があるとされるバーボンですし、少なくともラベルや公表されている情報から判断するに、ブッカー・ノーズはブッカーズの定義(ブッカーズたる条件的なスペック)を満たしているからです。何よりブッカーズとブッカー・ノーズですよ? これ日本語にしたら「ブッカーの」と「ブッカー・ノーの」ですから、どちらも指し示すものが一緒じゃないですか。極端な差があったら消費者は混乱してしまいます。それに、多分海外のバーボンマニアはこの名称の違いをそれほど気にしてないような気がします。ボトルのラベルはブッカーズでありながら、紙箱にはブッカー・ノーズと書かれているパターンの販売もよくありましたが、この件に関してツッコミを入れてる海外の方を見たことがないのです。
2019-08-06-09-12-31-231x409

箱に関しては上の画像のように、ブッカーズ・トゥルーバレル・バーボンとかブッカー・ノーズ・スペシャルバレル・バーボン等と書かれており、初期ラベル同様一定の文句で統一されていません。これはどう考えても両者が認識として同じもの、同じ事柄の別表現なのを暗示しているように思えてならないのです。おそらく二種類の名称が生まれた原因はブッカー自身にあったのではないか、と私は勘繰っています。ブッカーズ誕生の場面を思いっきり妄想してみましょう。


伝説によれば、ブッカーは親しい友人や家族や蒸留所で働く人々に、特別に選んだ樽から出来たバーボンを振る舞ったと云う…

ゴクゴク

A氏「いやぁ、旨めえなぁ、このバーボン」

B氏「ほんとだ、こいつぁ旨めぇ、こりゃ明日ブッカーさんにお礼を言わなきゃだな」

翌日

A氏「なぁ、ブッカーさんよ、昨日くれたあのバーボン、すげぇ旨かったよ、ありがとうな。ありゃいったいなんてバーボンなんだい?」

B氏「そうだそうだ、俺もそれが聞きてぇ、これからも飲みてえんだよ」

ブッカー氏「名前なんてねぇよ、…そうだなぁ、強いて言うなら、俺んだ」

A氏「ブッカーズってわけかい?」

B氏「へへぇ、そいつはいいや、カッコいいじゃねーか」

と、まあこんな感じの会話があったとかなかったとか…



私の推測では、ブッカーにとっては「ブッカーズ」でも「ブッカー・ノーズ」でも、どっちでもよかったし、それらは同じ意味だった。しかし、消費者もしくはブランディングやデザインに携わる担当者には違った。「ブッカーズ」の方が断然クールな響きだった。それ故「ブッカー・ノーズ」はいつしか淘汰され、「ブッカーズ」が生き残った。或いはブッカー本人が「ブッカーズ」の方を気に入ったのかも知れない。

…えー、はい、空想話はこれくらいにして、そろそろテイスティングへ…。

先に述べたように、今回飲んだブッカーズにはバッチナンバーのシールがありません。なので熟成年数も不明、インポーターのシールも見当たらないので度数すら分からないのです。が、瓶底に辛うじて15という数字が読み取れるので、おそらく2015年のエクスポートではないかと思われます。木箱が以前のナチュラル・カラーの物から、ロッキンチェアに座るブッカーがプリントされた濃い茶色の物に代わったのも2015年だし、私の購入した時期も考え合わせると、多分間違いないかと。

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Booker's ? Proof
Batch No. ?
推定2015年ボトリング、6年7カ月熟成、128プルーフ。糖蜜とハーブ、シナモンアップルパイ、線香、僅かなカラメル、きな粉。どこか植物を思わせるアロマと木香。オイリーな口当たり。パレートはオレンジ(後にメロンに変化)を感じる。アルコール感は穏やか。余韻はややウッディなビター感が始めに来て、それが消えるとビーム・バーボンに共通するフルーツが微かに揺蕩う。ナッティさはあまり感じない。香りがハイライト。
Rating:88/100

Thought:先日まで飲んでいたノブクリークのシングルバレルとは全然キャラクターが違う仕上がりなのは流石でした。また、このブッカーズの前に飲んだブッカーズ(2012年のバッチ)が凡庸だったのに比べると、特別なフィーリングは感じました。うんうん、ブッカーズはこうでなくっちゃね、と。但し、加水し過ぎたりロックで飲むと酷く平凡なのは気になりました。加水して60度くらいに下げるなら、端からノブクリーク・シングルバレルを飲んだ方が美味しいと思います。

Value:一昔前までブッカーズは日本では5000円程度で買えていました。アメリカでも安いと40ドル~大体50ドル程度で買えていたようです。しかし、2016年になるとビームはブッカーズの価格を約二倍にする計画を立てました。ビーム広報が出した2016年暮れのアナウンスによれば、「希少性と高品質、そして生産基準を犠牲にすることなく供給を維持する必要」から価格を引き上げることにした、と言うのです。と同時に年間6〜7バッチから4バッチに減産し、バッチサイズは従来通り約350バレルのままです。それは利用可能なボトルの数が約3分の1に縮小することを意味します。これにより日本への割り当ても少なくなり、例の「終売騒動」に繋がったのでしょう。今後はどうなるか判りませんが、値上げは時間をかけて段階的に実行されるようで、今のところアメリカ国内では約70~75ドル程度、日本でも希望小売価格はその程度の値段付けとなっています。
現在の産業全体のバーボン高需要からすれば、確かにビーム広報の言葉も本当ではあるでしょう。しかし、穿った見方をすると、NDPのややもするといかがわしいバーボンがブッカーズの2倍の希望小売価格だったり、他のスーパー・プレミアム・クラス・バーボンがその価格帯で販売されている状況に、ビームの上層部はイライラしていたのではないでしょうか。言うなれば、ヴァン・ウィンクルやバッファロートレース・アンティーク・コレクションのような存在にブッカーズをするべきと考えたのではないかと。2016年発売のブッカーズ・ライが300ドルでも即座に売り切れたという事実が彼らにアイデアを与えた可能性があると、バーボン・ライターからも示唆されています。
当たり前の話、どんな企業も停滞より成長を望みます。熟成期間を経なければ販売できないウィスキービジネスにとって、急な需要増は対応に苦慮する危機であると同時にチャンスでもあり、賢明なプレイヤーなら、価格を上昇させて需要を少し抑えながらも利益を増やすことでしょう。できれば、更なる需要の成長と顧客のロイヤルティを損なわずに。それは理解できるにしても小売価格を2倍はクレイジーです…。
日本の状況を見て下さい。2019年バッチが7月に発売されると、おそらく適正価格で販売する店舗や通販サイトからは瞬く間に消えたと思われます。しかし、どうも転売ヤーなる「職業」があるらしく、オークションにはそれなりに豊富なタマ数で出品はされています。落札相場は概ね10000~12000円程度で、図らずもビームの希望通りの金額と言っていいでしょう。また、メーカー希望小売価格より強気の価格設定をする店舗も、概ね10000円程度での販売価格のようです。仮に定価が7500円とするならば、手に入りにくい物への対価としては、まあ妥当な落札価格や販売価格なのかも知れません。しかし、味や品質面から言ったらノブクリーク・シングルバレルが5000円の時、ブッカーズを倍額で買う価値があるかと問われたら、個人的には「No」ですね。私なら迷わずノブクリーク・シングルバレルを2本買います。もちろんフレイヴァー・プロファイルは違いますし、ブッカーズの方が美味しいかも知れません。いや、美味しい。それに、有り難みもある。しかし、それでも5000円VS10000円は検討に値するエコノミクスです(***)。


*日本語ではブッカー・ノーの「Noe」を「ノォ」または「ノウ」あるいは「ノエ」と表記する習慣が見られます。実際の発音は「イエス、ノー」の「No」と同じなのですが、おそらく女優のユマ・サーマンの実際の発音が「ウマ・サーマン」に近いのに、日本語で「馬」を連想させるため「ユマ」と表記するようになったのと同じ発想で、拒否の「No」を連想させないような配慮からそう表記しているのだと思われます。しかし、当ブログでは「ノー」を採用しています。これでも特に問題ないと思うので。

**他にもビームはフランクフォートにナショナル・ディスティラーズから引き継いだ元々オールドグランダッドを造っていた蒸留所を所有していますが、ここでは現在蒸留は行われていません(熟成庫とボトリング施設はあります)。またクレアモント・プラントとボストン・プラントのDSPナンバーは同じ230です。施設が違うのに同じ番号なのは、おそらくDSPナンバーは施設や土地に付けられるのではなく蒸留器に付けられる番号だからだと思います。そこから察するに、クレアモントとボストンは、規模は違ったとしてもほぼ同じ生産設備を備えている、つまり蒸留される物は同じものだと仮定されているでしょう。それでも多少の造り分けはされているようで、一説にはボストンでは殆どがジムビーム・ホワイトラベルになる物を生産し、その他のブランドの原酒はクレアモントでの生産だと言われています。ちなみにボストンにはボトリング施設はなく、そのせいかジムビーム系バーボンのラベルには大概クレアモント(もしくはフランクフォート)の記載しかありません。

***私を含む大概の消費者は、価格は品質に等しいと信じる「価格の心理学」に囚われがちです。そのことは忘れずにいたいもの。

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ワイルドターキー12年の歴史は通称「ビヨンド・デュプリケーション(BDと略)」がリリースされた1980年代初頭まで遡ります。85年頃にアメリカ市場ではラベルが通称「チーズィー・ゴールド・フォイル(CGFと略)」に変わりましたが、輸出市場の物は少なくとも4年間ほどBDラベルが継続されました。92年にはアメリカ国内用の12年ラベルはCGFから通称「スプリット・ラベル(分割ラベル)」に変更、しかし、これまた海外用ボトルは90年代半ばまでCGFラベルが継続されています。1999年になるとワイルドターキー12年はアメリカ自国での流通は停止され、輸出市場のみでリリースされることになりました。この年、ターキーが横向きの絵柄になります。輸出用ラベルは、初期の通称「スードゥ・ラベル(疑似分割ラベル)」が1999~2005年、続いて通称「ユニ・ラベル(単ラベル)」が2005~2011年です。2011年からは中核製品全体のデザインのリニューアルを受け、12年もセピア調のラベルへと変更されました。この時に8年は赤、ライは緑、12年は青という色分けに。そして2013年になると遂にワイルドターキー12年101プルーフは製造中止となり、その代替製品として13年熟成91プルーフのディスティラーズ・リザーヴが一部の国際市場のみで発売されています。
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今回のレヴューは、トップ画像と上述の駆け足で辿ったワイルドターキー12年の変遷で判る通り、今のところ12年101最後の物となっている「青12年」です。ターキー12年は今でも多くのボトルがオークションでは出品されていますが、オールドボトルを取り扱う一部の酒販店を除外すると、店頭で平常価格の12年101を見掛けることは皆無と言ってよいでしょう。日本のバーボンファンにとって長らく親しまれた最高品質のバーボンがなくなるのは悲しいことですよね。とは言え日本へ輸入された本数が大量だったのか、どの時代のラベルであれ、オークションでは今でも随時出品されています。ただし、古い時代の物はかなり高騰しており、それなりの出費を覚悟しなければなりません(落札相場は後述)。ターキーマニアによれば、その風味プロファイルは年ごと(もしくはバッチごと)に異なり、古い物ほどダスティなファンキネスが強いとされ評価が高いのですが、どの時代の物でもラベルに関係なく、ほぼ全ての12年101はグレートなクオリティだと言います。では、試してみましょう。

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WILD TURKEY 12 Years 101 Proof
推定2012年ボトリング。濃密なヴァニラ、胡桃、ワックス、干しブドウ、アンティークレザー、クレームブリュレ、鰹節。古びた木材を連想させるトーン。ややまったりした口当たり。液体を飲み込んだ後の程よいスパイス感。余韻はハーブっぽいような薬っぽいようなノートが強め。
Rating:88/100

Thought:甘味や熟したフルーツも感じるものの、ウッディな苦味や薬品のようなニュアンスがややもするとそれらを感じにくくしているような印象。もう少し古い12年に見られる私の好きなアーシーなノートも欠いているように思いました。確かに多くのターキーマニアが言うように古い物のほうが美味しくは感じます。それでも古典的なワイルドターキーのテイストは内包しており、同時期の8年やレアブリードとは比べ物にならないくらい深みのある味です。

Value:近年ワイルドターキー12年のセカンダリー・マーケットでの需要は益々高まっており、オークションを見ていると、2010年代、時々の上下動はあっても基本的には値上がりを続けていると感じます。 オークションでの落札価格には味の評価が如実に反映され、BDやCGFは最近では50000円まで行くときがあり、分割ラベルは20000~30000円程度、疑似分割と単ラベルは10000円前後します。
さて、そこで問題は、この最も「新しい」12年はどれくらいの価値があるのか、ということです。オークション相場は7500~10000円程度。結論から言うと、これはアリかも知れません。
私はバーボンは安くて旨いのが魅力と思っている人間なので、基本的に希少性への対価を支払うのが好きではないのですが、既に製造されていないバーボンに関しては当時の小売価格との比較は意味をなさないであろうことは理解できます。ですが参考までに言うと、私が今回飲んだのは、確か2013年頃に量販店の特売か何かで3500円位で買いました。まあ、そこまで安いのは稀だったかも知れませんが、当時はおよそ5000円程度では買えてたと思います。なので随分ふんだくられるなあ、とは思ってしまいますよ。しかし製造中止となれば仕方がないので、価格を較べるのであれば、現行の限定版であるマスターズキープの小売価格を基準に考えるのが筋でしょう。マスターズキープの方が全体的に12年以上の熟成年数の原酒を使ってはいますが、それらは大体15000円程度します。そこから対比して考えると7500~10000円というのは妥当な価格かなと思ったのです。そしてそれ以前の話として、今はまだオークションに豊富に出品されてるとはいえ、過去の遺産である壮大なワイルドターキー12年は減っていく一方なのですから、あるうちに買っとかなくちゃ、とも思う次第です。ただし、この青12年は流通期間が短かったため、新しめとは言っても案外オークションでのタマ数は多くありません。疑似分割や単ラベルが同程度の価格で買えるなら、敢えて青12年を買う必要はないでしょう。
また、ワイルドターキー12年のライバル?(と言っておきましょう)に、熟成年数とプルーフが同じバーボンのエヴァン・ウィリアムス赤ラベルがあります。人によってはこちらの方が美味しいと言うことはあり得ます。私としてはワイルドターキーの方が少しだけ美味しく感じますが、現行のエヴァン12年なら3500~4000円で購入できてしまいます。さて、この状況下で、なお青12年をプレミア値で買う価値があるのか自問してみると、答えはNoかも知れません。微妙なところです、迷います、迷った末にエヴァンかな…。
現行のエヴァンなら価格差があるので迷いましたが、仮に旧ボトル、つまりバーズタウン産のエヴァン赤とこのターキー青が共に10000円なのだとしたら、迷わずターキーを選びます。と言っても決して旧エヴァン赤を貶してる訳ではありません。両者ともに赤い果実感がありつつ、エヴァンの方がキャラメル香が豊富かつスパイシーで味わいに華やかなイメージがあり、一方のターキーは何と言うかもう少し枯れたような渋い味わいのイメージがあります。古典的なバーボンらしさを求める人なら旧エヴァン赤を選ぶのではないでしょうか。あくまで同じ価格という仮定の上での好みの話です。

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イーグルレアは現在バッファロートレース蒸留所のライ麦少なめのマッシュビル#1から造られる90プルーフ10年熟成のバーボンです。このマッシュビルは同蒸留所の名を冠したバッファロートレースの他、コロネルEHテイラー、スタッグ、ベンチマーク等にも使用されています。価格やスペックから言うとバッファロートレースより一つ上位のブランド。

イーグルレアは、元々はシーグラムが1975年に発売したシングルバレルではない101プルーフ10年熟成のバーボンでした。既に人気のあったワイルドターキー101を打ち倒すべく作成され、鳥のテーマとプルーフは偶然ではなく敢えてワイルドターキーに被せていたのです。「CARVE THE TURKEY. POUR THE EAGLE.(七面鳥を切り分け、鷲を注ぐ)」と云う如何にもな1978年の広告もありました。この頃の原酒には、当時シーグラムが所有していたオールドプレンティス蒸留所(現在のフォアローゼズ蒸留所)のマスターディスティラー、チャールズ・L・ビームが蒸留したものが使われています。
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時は流れ、サゼラック・カンパニーは1989年にシーグラムからイーグルレア・ブランドを購入しました(同時にベンチマークも購入)。その時のサゼラックはまだ蒸留所を所有していなかったので、数年間だけ原酒をヘヴンヒルから調達していたと言います(*)。しかし最終的には自らの製品を作りたかったサゼラックは1992年に、当時ジョージ・T・スタッグ蒸留所またはエンシェント・エイジ蒸留所と知られる蒸留所を買収し、後にその名称をバッファロートレース蒸留所に変更します。2005年までは発売当初と同じ熟成年数、プルーフ、ラベルデザインで販売され続けますが、この年にイーグルレアは大胆なリニューアルを施され、シングルバレル製品、90プルーフでのボトリング、そして今日我々が知るボトルデザインに変わりました。

一旦話を戻しまして、所謂旧ラベル(トップ画像左のボトル)について言及しておきましょう。イーグルレア101のラベルは、文言に多少の違いはあっても、会社の所在地表記で大きく三つに分けることが出来ます。
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先ずは左のローレンバーグ。これが書かれているものはシーグラムが販売し、現フォアローゼズ蒸留所の原酒が使われていると見られ、発売当初から89年までがこのラベルではないかと考えられます。熟成もローレンバーグで間違いないと思われますが、もしかするとボトリングはルイヴィルのプラントだった可能性もあります。次に一つ飛ばして右のフランクフォート。これが書かれているものは現バッファロートレース蒸留所の原酒が使われているでしょう。で、最後に残したのが真ん中のニューオリンズ。これが少し厄介でして、おそらくラベルの使用期間は90年から99年あたりではないかと思われますが、ニューオリンズはサゼラックの本社がある場所なので、蒸留やボトリング施設の場所を示していません。ローレンバーグやフランクフォートにしてもそうなのですが、「Bottled」と書かれてあっても「ボトリングした会社はドコドコのナニナニです」と言ってるだけです。このニューオリンズと書かれたラベルは理屈上、初期のものはフォアローゼズ産、中期のものはヘヴンヒル産、後期のものはバッファロートレース産、という可能性が考えられます。それ故、生産年別で原酒の特定をするのはかなり難しいです。これは飲んだことのある方の意見を伺いたいところ。ちなみに90年代には日本市場だけのために作られたイーグルレア15年107プルーフというのもありましたが、そのラベルの所在地はニューオリンズでした。これは一体どこの蒸留所産なのでしょうね。
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また、他にも後にバッファロートレース・アンティークコレクションの一部となるイーグルレア17年が2000年に発売されていますが、これは別物と考えここでは取り上げません。

さて、2005年にリニューアルされたイーグルレアはトップ画像右のボトルと大体同じだと思います。躍動感のある鷲がトール瓶に直接描かれるようになり、ネックに10年とあり、ちぎれた旗?のようなものにシングルバレルとあります。そしてトップ画像真ん中のボトルが2013年もしくは14年あたりにマイナーチェンジされた現行品です。おそらく段階的な変化があったと思いますが、この二者の主な相違点は、ネックにあった10年熟成のステイトメントがバックラベルに移り、シングルバレルの記述が完全に削除されたことの2点です。そうです、イーグルレアは現在ではしれっとシングルバレルではなくなっていたのでした。ただし、これには訳がありまして、バッファロートレース蒸留所に高速ボトリング・ラインが導入されたことにより、一つのバレルから次のバレルに切り替わる際、或るボトルには2つの異なるバレルのバーボンが混在してしまう可能性があり、技術上シングルバレルと名乗れなくなってしまったのだそうです。つまり現行イーグルレアはシングルバレル表記なしとは言っても、ほぼシングルバレル、準シングルバレルであり、もし味が落ちてると感じたとしても、それはシングルバレルでなくなったからではなく別の理由からだ、と言えるでしょう。そこで、今回は発売時期の異なるイーグルレア90プルーフ、シングルバレルとほぼシングルバレルの2つを飲み比べしてみようと言うわけです(旧イーグルレア101はおまけ。昔飲んだ空き瓶です)。

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目視での色はかなり違います。画像でもはっきりと確認できる筈。右シングルバレルの方はオレンジアンバーなのに対し、左ほぼシングルバレルの方はダークアンバーです。

Eagle Rare 10 Years 90 Proof
推定2015年前後ボトリング。並行輸入品。苺のショートケーキ、チャードオーク、シトラス、グレープジュース、焦がした砂糖、夏の日の花火、蜂蜜、土、麦茶。甘いアロマ。ソフトな酒質。余韻はややドライで、それほど好ましい芳香成分が来ない。
Rating:85.5/100

Eagle Rare Single Barrel 10 Years 90 Proof
推定2010年前後ボトリング。正規輸入品。ドライマンゴー、オレンジ、苺のショートケーキ、僅かに熟れたサクランボ、小枝の燃えさし、ビオフェルミン、カビ。全てにおいてフルーティ。ソフトなテクスチャー。余韻に爽やかなフルーツとアーシーなノート。
Rating:86.5/100

EAGLE RARE 101 Proof
推定2000年ボトリング。飲んだのが昔なので詳細は覚えてないが、上記二つとはまったく別物と思っていい。フルーツ感はあまりなく、もっとキャラメルの甘味と度数ゆえの辛味があって、ソフトよりストロングな味わいだった。原酒は多分バッファロートレースだと思う。ヘヴンヒルぽいテイストではなかった気がする。昔好きで飲んでいたので、俗に云う思い出補正はあるかも。
Rating:88/100

Verdict:101プルーフの物はおまけなので除外するとして、個人的にはフルーティさが強く余韻も複雑なシングルバレルの方を勝ちと判定しました。ライ麦が少なめのレシピでここまでフルーツ感が強いバーボンはやはり特別なのではないかと。ほぼシングルバレルの方も素晴らしいアロマを持っているのですが、どうも余韻が物足りなく感じまして。大抵の場合、色が濃いほうが風味が強く、美味しいことが殆どなのですが、この度の比較では逆でした。熟成は奥が深いですね。

Value:イーグルレアは、アメリカでは30ドル以下で買えるシングルバレルとして、生産量の多さ=流通量の多さ=入手の容易さも魅力であり、更にプライベート・バレル・プロジェクトもあるため、絶大な人気があります。しかし正直言って、日本では5000円近い値札が付く店もあり、その場合はかなりマイナスと言わざるを得ません。個人的には半値近い金額でバッファロートレースが買えるのなら、そちらを2本買うでしょう。けれど、たまにの贅沢でなら購入するのは悪くないと思います。また、同じバッファロートレース蒸留所産で、異なるマッシュビル(ライ麦多めの#2)を使用したシングルバレル・バーボンであるブラントンズの現行製品が5000円なら、イーグルレアを選択するのが私の好みです。


*有名なバーボン・ライターのチャック・カウダリーは、この時期はボトリングもヘヴンヒルだったのではないかと示唆しています。

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とある酒屋で半額に値下がっている古いノブクリークを発見したので即座に購入。ブランド紹介はこちらの過去投稿をご参照ください。

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KNOB CREEK 9 Years 100 Proof
推定2001年ボトリング。如何にも美味しそうな赤みがかったブラウン色。焦げ樽、ややひねた酸っぱい香り、ヴァニラ、ナツメグ、焼き過ぎて焦げたトウモロコシ、ジンジャーエール、赤ワイン、タバコ、新聞紙。甘い香りは控えめの焦樽フルーツ系アロマ。ナッティなテイストはあまり感じられない。開けたての味わいはドライだったし、余韻の苦みが強かったが、残り3分の2ぐらいになってからはチェリー系のフルーティさと甘味が増し、酸っぱい香りも減じて劇的に美味しくなった。最終的にはやや酸味に寄っているもののバランスが整った頗る上等なバーボンという印象。2010年代の物より全然美味しく感じる。「酸化の神様ありがとう」の一本なのか? 90年代やそれに近いノブクリークは質が高かったのか?
Rating:88/100

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禁酒法時代のウィスキーとしては比較的有名な銘柄ドハティーズ。そのプライヴェート・ストック名でのピュア・ライ・ウィスキー18年物です。ネットの画像検索で調べる限り、このプライヴェート・ストックのラベルの物は、他に13、14、15、17年がありました。16年もあるんですかね? それと、このドハティーズの禁酒法時代の物は大抵ボトリング名義が「Dougherty Distillery Warehouse Co.」なのですが、このボトルでは「J.A. Dougherty's Sons」という禁酒法前に近い名義になっています。なぜなんでしょうね? まあ、それは措いて、この「Dougherty Distillery Warehouse Co.」というのは、既にドハティ家の家族経営ではなくなっていて、禁酒法時代の1920年代初頭に処方箋でのみ入手可能な薬用ウィスキーのボトラーとしてライセンスを受け設立された会社です。同社はニュー・へレム蒸留所やハイスパイヤー蒸留所、それと史上名高いオーヴァーホルト蒸留所などから禁酒法以前に蒸留されたウィスキーをドハティ・ブランドでボトリングして販売していました。

さて、話は前後してしまいますが、日本語で読めるドハティ・ウィスキーの情報は殆どないので、せっかくだからその来歴を、海外の禁酒法以前のウィスキーに詳しい人のブログを基にざっくり紹介しておきましょう。

創業者ジョン・アレクサンダー・ドハティはアイルランドに1788年6月10日に生まれました。26歳の時、1814年1月ノヴァスコシア州ハリファックス経由でフィラデルフィアへやって来たそうです。アメリカでのキャリアをパン職人として始めたものの、すぐにウイスキー事業に関与するようになりました。この間、彼は英国ブリストル出身のエライザ・シャーボーンと結婚し、1825年にはウィリアム、1827年にはチャールズが産まれました。
ウィリアムは年頃になると酒の貿易で父親としばらく働いていましたが、流行しつつあった新しい技術、電信に魅了され、1847年にオペレーターとなり、後にボルティモアからワシントンに至るベイン・ケミカル・テレグラフの補佐官に就任。一方の息子チャールズは父ジョンの蒸留事業に参加します。1849年あたりに「John A. Dougherty&Son」が創設され、同社の蒸留所(ペンシルヴェニア州第1地区、蒸留所登録番号2番)は1850年に建設されました。1851年にはウィリアムもテレグラフの仕事を辞めて父と兄弟に協力することになり、会社名は「John A. Dougherty&Sons」に変更されます。
ドハティーズ・ピュア・ライ・ウィスキーはすぐに成功を収め、フィラデルフィアだけでなくその周辺の市場も獲得しました。1866年10月21日、ジョン・ドハティは78歳で死亡し、息子のウィリアムが上級管理職に就任、会社名は「J.A. Dougherty's Sons」に再度変更されましたが、数年間で3つの新しい倉庫が建設され、ビジネスは成長を続けます。
ウィリアムはビジネスマンとしてのみならず、芸術の守護者としても知られ、アートクラブのメンバーであり、芸術アカデミーと自然科学アカデミーの著名なメンバーでもありました。彼のメゾチント、エッチング、彫刻のコレクションはフィラデルフィア随一だったと言われ、更には植物学、ガーデニング、冶金学、化学、そしてラテン語、ギリシア語、フランス語、スペイン語にまで精通していたとか。その芸術感覚はドハティ・ウィスキーの洗練されたラベルデザインに活かされていたようです。ウィリアムは1892年に67歳でこの世を去り、残ったチャールズが会社の経営を引き継ぎます。
会社は更なる成功を続けましたが、1898年には母親のエライザが死亡し、同じ年チャールズも71歳で死亡。事業を継承した家族は大きな蒸留所を管理することに関心がなく、1904年頃に蒸留所を売却してしまいます。新しいオーナーは名前と伝統の効力を認識し、ドハティの名の下で業務を続けますが、オールド・オーヴァーホルト蒸留所を含む他の蒸留所からウィスキーの供給を受けました。そして1919年、会社は禁酒法によって閉鎖。この後、冒頭に述べた「Dougherty Distillery Warehouse Co.」が設立され、集中倉庫から薬用ウィスキーを販売するようになったのでした。
では、最後に飲んだ感想を少しばかり。

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Dougherty's PRIVATE STOCK PURE RYE WHISKEY 18 SUMMER YEARS OLD 100 Proof
蒸留はニュー・へレム蒸留所(ペンシルベニア州第1地区、蒸留所登録番号26番)。タックス・ストリップを撮り忘れてしまったので、蒸留年とボトリング年が定かではないのですが、ネットで同じ18年物のボトルを調べると1913年蒸留1931年ボトリングなので、多分これも同じではないかと思います。ラベル類は自然と剥離してしまったようです。
現代のライウィスキーとは異質の物という印象。強烈にミンティ。スパイシーよりハービーな感じ。例えて言うと、ウィスキーにモンダミンとリカルデントを一滴づつ垂らし、ハーブティーを混ぜてキャラメライズドシュガーを入れたような味。一瞬不味いのだが、これはこれで旨い。
ところで、このプライヴェート・ストックのラベルデザインは禁酒法時代のウィスキーで最高峰ではないでしょうか? なんというか現代のネオ・ヴィンテージに通ずるモダンな感覚があるように思えます。カッコいいですよね。
Rating:88/100

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ワイルドターキー8年とライ、ラベルを遡って一言感想を。


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WILD TURKEY 8 Years 101 Proof
モノクロ チラ見ラベル
2015年から現在。昔のものよりフルーティな味わい。
Rating:86/100

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WILD TURKEY 8 Years 101 Proof
セピアトーン 横向きラベル
2011年から2015年。現行と同じほぼ風味プロファイル。
Rating:86/100

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WILD TURKEY RYE 81 Proof
セピアトーン 横向きラベル
アルコール度数が低すぎて少々退屈な味わいに。
Rating:78.5/100

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WILD TURKEY 8 Years 101 Proof
フルカラー 横向き
1999年から2011年。最近のものよりヴァニラ・フレイヴァーが強かったような気がする。
Rating:87/100

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WILD TURKEY RYE 101 Proof
フルカラー 横向き
スパイシーでパンチも充分。旨い。けれどもライ・ウィスキー感をあまり感じない。ブラインド・テイスティングで提供されたら、当てる自信がない。
Rating:85/100

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WILD TURKEY 8 Years 101 Proof
正面ターキー
〜1999年。アロマ、フレーバー、アフター、全てストロング。味わいが現行品より立体的に感じる。
Rating:88/100

2023-06-23-17-14-18-820
WILD TURKEY RYE 101 Proof
クリスマスライ 正面ターキー
未開栓。採点なし

※レアブリードのラベルの変遷はこちらこちらをご参照下さい。

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