
ティンカップ・アメリカン・ウィスキーはジェス・グレイバーによって創設され、2014年に発売されたアウトドアがコンセプトのウィスキーです。ボトルにはアメリカン・ウィスキーとだけでなくマウンテン・ウィスキーともあり、公式ウェブサイトにはコロラドの雄大な山々や自然を背景にしたウィスキーの写真が使われています。本国でのアンバサダーには登山家、スキーヤー、写真家などが起用されているそう。ブランド名はロッキー山脈の西側、コロラド州ガニソン郡にある古い鉱山の町ティンカップにちなんで名づけられました(ケヴィン・コスナー主演の1996年の映画『ティン・カップ』からではありません)。その町の名前は伝説の探鉱者の1人から由来しています。1859年10月、ジム・テイラーはウィロー・クリークで行方不明の馬を探している時に有望な砂利を見つけ、それをブリキのカップに入れてキャンプ地に持ち帰りました。砂利には金が含まれていたため彼はそこの谷を「ティン・カップ・ガルチ」と名付けました。この地域は何年もの間、季節的な砂金採掘の場所でしたが、ネイティヴ・アメリカンの敵対行為の危険性もあって通年居住するコミュニティは設立されませんでした。しかし、1878年にこの地域で大きな鉱脈が発見されると、1879年3月にヴァージニア・シティという町が定められます(1880年の国勢調査では人口は1495人)。そして、すぐ後にネヴァダ州やモンタナ州の同名のヴァージニア・シティと混同されたため住民は名前をティン・カップに変更しました。このウィスキーはこうした歴史、コロラド州で最初にウィスキーを飲んだと思われる先駆的な人々、19世紀半ばのゴールドラッシュで幸運を求め、厳しい条件下での生活や仕事をしていた鉱夫達に敬意を表しています。付属している金属のカップは野外でもそのまま使用することが出来、また深いエンボス加工が施されたロッキー山脈を思わせる無骨な六角形のボトルはバックパックなどに取り付けた際の滑り落ちや転がりを防ぐためだとされています。アメリカ市場ではこのコンセプトと味わいが高く評価され、発売以来僅か4年で販売数を5倍以上に伸ばしたのだとか。

(1906年のティンカップ。Western Mining Historyより)
ティンカップ・アメリカン・ウィスキーは初期の頃、コロラド州を象徴させるようなマーケティングにも拘らず、ベースとなるウィスキーが実際にはコロラド州で蒸溜されていないため、アメリカン・ウィスキー愛好家やコロラドの地元愛の強い民からは少なからず批判的な目で見られることもありました。ティンカップのベースは多くの非蒸溜生産者(NDP)のウィスキーの供給源であるインディアナ州ローレンスバーグのMGPで蒸溜/熟成されたウィスキーです。初期の物は、ボトルの肩シールにコロラドとありましたし、ネックに付いていたリーフレットにも大きくコロラドとあり、ストラナハンズ・コロラド・ウィスキーとジェス・グレイバーの繋がりを誇って、如何にも同州を連想させました。法律上「コロラド・ウィスキー」とは言いたくても言えないので「Colorado」と「Whiskey」を別々に多く鏤めることで消費者がそれらを一緒にしてくれることを期待しているように映ったのです。

何より、チャック・カウダリーに代表されるアメリカン・ウィスキー愛好家らに問題視されたのは、TTB規則5.36(d)で義務づけられている「distilled in Indiana」の文字がラベルになかったことでした。この規則では、ラベルの住所と蒸溜地の州が異なる場合、蒸溜地の州をラベルに明記しなければなりません。草の根の「5.36(d)運動」が功を奏したのか、私の手持ちのボトルには裏ラベルに書かれた文言に「distilled in Indiana」とあるので、どこかの段階で改訂されたのでしょう。そもそもジェスは誠実で率直な男だったのでティンカップの真実は当初から秘密にされては来ませんでした。テンプルトン・ライの二の舞いとなるのを上手く避けることが出来た要因はそこら辺にあったように思われます。ティンカップの顔であるジェスは、ブレット・ウィスキーに於けるトム・ブレットのような存在。各地でのトレード・ショーやフェスティヴァル、酒類のプレゼンテーション等でブランド代表として活躍して来ました。彼は「これはストラナハンズからの自然な派生物です」とティンカップについて語り、このようなバーボンを造ることは昔からやりたいと思っていたと言います。ストラナハンズは禁酒法以来、コロラド州で初めて合法化されたウィスキー蒸溜所でした。 そこのロッキー・マウンテン・シングル・モルトは「グレイン・トゥ・グラス」の理念で手造りされています。 先ずはティンカップ以前の物語からざっくり紹介しましょう。

(ジェス・グレイバー、三菱食品のPR TIMESより)
ジェス・グレイバーは中西部カンザス州とミズーリ州の農村で育ち、ボーイスカウト時代にキャンプをした山岳地帯に住むという夢を叶えるため1972年にコロラドに移り住みました。ボルダー郊外のネダーランドに辿り着いたジェスは、直ぐに同じ出身のラリー・ザ・ミズーリ・リヴァー・ラットという誰も本名を知らない男と出会います。ラリーは趣味でコーン・ウィスキーを蒸溜していました。しかし、故郷ミズーリに戻ることになっており、トラブルに巻き込まれるのを懸念して古い銅製の蒸溜器を持って行きたくはありませんでした。そこでラリーはジェスに15ガロンのシンプルな蒸溜器を託すことにしました。ジェスは父親が昔に自家製ビールを造っていた影響で自身もビールは造っていましたが、蒸溜に就いては何も知りませんでした。するとラリーは、簡単だよ、コーンを煮てそれをスティルに通して配れば皆が君の友達になるさ、と言ってジェスの初めての蒸溜を一緒に行い、ムーンシャインの手解きをします。これがジェスにとって、後に成功へと繋がる、ケンタッキーやテネシーのような蒸溜酒の温床ではないコロラドでのユニークな趣味の切っ掛けとなりました。
1974年になるとスキーや建築の仕事のためにアスペンに移り住み、軈て自分の住宅請負会社を立ち上げたジェスは、仕事の傍ら蒸溜に関する文献の読書を始め、何年も掛けてどんどん学び、隣人から譲り受けた小さな蒸溜器を使って実験的な蒸溜を行っていました。次第に、友人や同僚が集まるパーティーで十分な量の酒を供給したり、クリスマス・クッキーを焼く代わりに独自ブランドのムーンシャインを造ってワーカー達へのユニークなクリスマス・プレゼントとしてジャーに入れ提供し始めます。建築家、請負業者、サプライヤー、友人達など周りの人々はジェスのクリスマス・プレゼントを欲するようになりました。1989年にウッディ・クリークの自宅を購入した後には、金属加工業に携わる友人に協力を仰ぎ蒸溜器をアップグレードすらします。1990年代半ばにはジェインと結婚して家庭を持ち、馬小屋で1バッチあたり10ガロンを製造するまでになり、地元での評判は上々でした。しかし、連邦政府の酒類製造許可を得ずにウィスキーを製造することは違法なので、或る時、誰かによって全国ネットのテレビ番組『アメリカズ・モスト・ウォンテッド』に、彼がアスペン近郊で密造酒を製造していると通報されてしまいます。FBI捜査官が来ると聞いた彼は、古来のムーンシャイナー達がそうしてきたように自分のスティルを森の中へ隠しましたが、FBIは現れませんでした。結局ジェスはグレンウッド・スプリングスのFBIに自ら電話を掛けてみます。すると、FBIは周囲を調べてみたが密造は控えめで友人同士でやっているだけのものと聞いたから彼を煩わせる価値はないと判断したとの事情が分かりました。ジェスはこの件でかなり怖い思いをしましたが、ムーンシャイニングを止めるほどではなく、彼は当時それを実験的なアートだと考えていました。
ジェスは1990年代後半にはアスペン消防署のヴォランティア消防士になっていました。 1998年4月2日の夜、彼は呼び出しに応じ、ウッディ・ クリークの自宅近くの納屋火災に駆け付けます。この納屋はレナド・ロードにあるジョージ・ストラナハンのものでした。彼はフライング・ドッグ・ブリュワリーの創設者兼オウナーであり、ウィスキー愛好家でもありました。納屋を救うことは出来ませんでしたが、炎が収まった後、二人は話をしました。ジョージが造ってコロラド中に売り出したフライング・ドッグ・ビアーの成功について、ジェスが建設業で忙しくない時は30年近く蒸溜を試し馬小屋でクリスマス・プレゼント用の自家製スピリッツを造っていたことについて。ジョージはジェスの「小さな事業」については聞いたことがありませんでしたが、その会話の中で二人はコロラドのアウトドアへの愛情、ウィスキーに対する共通の理解を見出しました。ジョージは当時、ウッディ・クリークで多くの芸術形態を支援していたので、自分の納屋に蒸溜器を設置したらいいと申し出ました。その時からジェスは商業的な蒸溜所を持つとはどういうことかをずっと考えていました。90年代後半にはコロラド州全体を見回しても商業蒸溜所はありませんでした。そんな或る日、ジェスがジョージの牧場を訪れた際、フライング・ドッグのビール作業で残ったマッシュ(乃至はウォートもしくはウォッシュ)が樽に入ってるのを見掛けました。その瞬間、これを調理して液体を蒸溜すればシングルモルト・ウィスキーのベースとして使える、と彼は閃きます。樽を貰って帰り、さっそく蒸溜器に入れて試してみると、これまで自分が造ってきたものよりクリーンでピュアな蒸溜液が出来ました。自らが何をしたいのか明確となったジェスはジョージのもとへ赴き、自分のためのウィスキー・マッシュを造ってくれないかと頼みます。するとジョージは「蒸溜所なんて誰もやったことがないじゃないか」と言うので、ジェスは 「君はビール醸造所を始めたじゃないか」と言い返しました。軈てジョージはフライング・ドッグのマッシュを使ってシングルモルト・ウィスキーを造るというアイディアに賛同。二人は上質なウィスキーの具体的な特徴や好みについて話し合いました。ウィスキーの名前には「グレイバー」は相応しくないと考え、ジョージから取って「ストラナハンズ」に決まります。ジェスはオーク樽の破片を切り刻み、蒸溜酒と一緒にジャーに入れ、オーク・エキスの風味と色を吸収させたり、ストラナハンズ・コロラド・ウィスキーの完璧な風味を生み出すために、約6年に渡ってレシピの膨大な量の研究と様々な実験を重ねました。その過程には、自分達のリキッド造りを合法化するために取り組んだコロラド州の酒類免許当局からの何年ものお役所仕事も含まれます。ようやっと彼らは2002年にアルコールの蒸溜ライセンスを取得し、コロラド州初の小規模蒸溜所、禁酒法以来コロラド州で初めてとなる合法的な蒸溜所を2004年に開設、蒸溜を開始しました。最初のバッチは2006年にボトリングされ、当初は週に3バレルほどのストラナハンズを生産しました(2022年には週に60〜70バレルを生産しているとのこと)。ストラナハンズがユニークだったのはアメリカのシングル・モルトだからでした。その原料はたった4つから造られます。100%麦芽、酵母、ロッキー山脈の水、そして樽熟成の時間。100%モルテッド・バーリーから造られるのでスコッチと似ていますが、熟成のさせ方が異なるためフレイヴァー・プロファイルには違いが生じます。そのためストラナハンズはアメリカン・ストレート・コロラド・ウィスキーとかロッキー・マウンテン・シングルモルト等と呼称されています。創業以来、コロラド州のクラフト蒸溜革命を起こし、数々の賞を受けたストラナハンズは年々評価を上げていきました。そうした成功はメガ・ブランドのホセ・クエルボ・テキーラやスリー・オリーヴス・ウォッカやクラーケン・ラムなどを所有するニュージャージー/ニューヨークを拠点とした世界的な大手酒類販売会社のプロキシモ・スピリッツの目に留まり、彼らは2010年にストラナハンズを買収しました。操業はコロラド州のままです。

ストラナハンズの人気が高まり「コロラドのお気に入り」になると、多くの人がモルト・ウィスキーではないアメリカン・ウィスキー、もっと言えばバーボンを造らないのかどうかに関心を抱くようになりました。しかし、ストラナハンズのようなクラフト蒸溜所は容易に限界に達してしまいます。或る時点でストラナハンズは、広めるために十分な量のウィスキーを造ることが出来ず割り当て配給になっていました。人々はそれをマーケティング戦略だと思ったようですが、実際には需要に供給が追い付かない状態だったのでしょう。となると、ストラナハンズが損なわれてしまうから、ストラナハンズ蒸溜所でバーボンは造れません。そこでジェスは、少し異なる原料を使い、少し異なる製法の別のウィスキーを造ることにしました。自分達が築き上げたストラナハンズのようなクラフト・ウィスキーではなく、もっと大衆が手に入れ易く、ライ麦含有率の高いバーボンを。インディアナから調達するウィスキーを使用する方が製品コストが抑えられる訳ですが、ジェスはそれを単純にボトリングするのではなく、少しひねりを加えたいとも思っていました。彼は先ず、3分の2がコーンで3分の1がライのバーボン・レシピをMGPにリクエストします。すると、64%コーン、32%ライ、4%モルテッドバーリーのマッシュビルのバーボンが出来上がりました。MGPのマッシュビルを暗記しているウィスキー・マニアの方はご存知のように、彼らのスタンダードなライ・バーボン・マッシュビルは以下の2つです。
75% Corn / 21% Rye / 4% Barley Malt
60% Corn / 36% Rye / 4% Barley Malt
これらとは若干異なるティンカップのマッシュビルは、おそらくこれら2種類のマッシュビルのバーボンをブレンドしたものではないかと考えられています。ブレンドに使用されているウィスキーのバレルのチャー・レヴェルは#3。熟成期間はティンカップの公式ウェブサイトによると4年と書かれていました。ストラナハンズと同様にティンカップのオウナーであるプロキシモ・スピリッツはベース・ウィスキーが造られているインディアナ州の蒸溜所のすぐ近くにボトリング工場を所有していますが、バーボンはMGPで独自に調合が行われた後、コロラド州デンヴァーにあるストラナハンズの施設に出荷され、ボトリング前に2つの作業が行われます。一つはジェスが「世界一素晴らしい水源」と自負するコロラドのロッキー・マウンテン・ウォーターでカット(希釈)すること。水はエルドラド・スプリングスから取水しているそう。ティンカップのボトルのエンボスには「BOTTLED AT ELEVATION 5,251(フィート、標高約1600m)」と印字されており、これはその水源への敬意の表れです。もう一つはインディアナ州で蒸溜/熟成されたライ・バーボンに、ストラナハンズの各ボトルに使われているのと同じコロラド産シングルモルト・ウィスキーを「食事に塩とコショウを加えるように」少量ブレンドすること。その割合は、当初は10%にしようと考えていましたが、ストラナハンズのレヴェルを変えて実験し、最終的には3〜4%になりました。この割合がバーボンの風味を損なわず、オリジナルなウィスキーの味を堪能するのに十分と判断したようです。ジェスは担当者から、バーボンにシングルモルト・ウィスキーを加えるとバーボンとは呼ぶことは出来なくなると言われました。しかしそれは望むところでした。彼は「いや、私たちはコロラド出身だから、アメリカン・ウィスキーと呼ぶことにするよ」と答えたと言います。バーボンと呼びたくない理由の一つは、市場に多く出回っている他のバーボンと真っ向から競争したくなかったからでもありました。そして、現代のアメリカン・ウィスキーらしくパッケージにも拘りが詰まっています。ティンカップの誕生にはプロキシモも関わっており、六角形のボトル形状は同社のマーケティング担当者が思い付いたアイディア。山でボトルを落としたり、寝袋の横に置いておいても転がらず、翌朝一番に飲むことが出来るように、と。ボトルのエンボス加工は古い時代の薬用ボトルに見られる仕様にインスパイアされたもの。そして、友人と焚き火を囲んだりする時に皆と一口づつ分かち合ったり、屋外の汎ゆるシチュエーションで飲むために使用できるカップも付属しています。最終的に、コロラド州の古い鉱山の町から着想を得、そこの鉱夫達とウィスキーを関連付けて、この製品はティンカップと名付けられました。こうしてジェスはプロキシモ傘下に新しいブランドを立ち上げ、自らのアイディアを市場に送り出したのでした。MGPのソーシング・ウィスキーを使用したお陰で、ティンカップはウィスキー愛好家向けのストラナハンズのような高級価格帯ではなく、約半額の控えめな価格の大衆的なウィスキーとして成功を収めています。

ティンカップ・ブランドには現在、幾つかの種類がありますがトップ画像のものが主力商品で、本国では「オリジナル」と呼ばれています。他のヴァリエーションには、2017年もしくは18年発売で「オリジナル」のMGP原酒を10年熟成の物に置き換えたティンカップ10年84プルーフ、2020年に発売されたMGP95ライの3年熟成を使用したティンカップ・ライ90プルーフ、2023年発売でMGPの14年熟成のハイライ・バーボンを使用したフォーティーナー84プルーフ等があります。画像を見てみると、ティンカップ10年には「アメリカン・ウィスキー」表記の物と「バーボン・ウィスキー」表記の物があり、もしかするとストラナハンズを混ぜている物と混ぜていない物とがあるのかも知れません。ちなみにこのティンカップ・アメリカン・ウィスキーは、日本では三菱食品株式会社が2022年から正規取り扱いをしています。そのお陰なのかスーパーのお酒コーナーでも見かけるアメリカン・ウィスキーだったりします。買い易いのは嬉しいことですね。では、そろそろ注ぐとしましょう。

Tincup American Whiskey 84 Proof
推定2023年ボトリング。並行輸入品。ゴールド寄りの薄いブラウン。薄いヴァニラ、グレイン、ライトなチャー、ライスパイス、オレンジピール、ホワイトペッパー、微かな蜂蜜。柑橘類の爽やかなアロマ。味わいはドライでピリリとした刺激。余韻は短めでちょっとスパイシーな穀物感が。グラスの残り香は僅かなナッツ。
Rating:79.5/100
Thought:全体的にフレイヴァーが薄く、ライト・ボディの若いウィスキーという印象。ベースがMGPのハイ・ライ・バーボンなら間違いないだろうと思って購入したのですが、自分が期待する味わいではありませんでした。個人的な好みとしては、もう少し甘さかフルーツかMGPのライに特徴的なディル・ノートが感じられたらなぁ、と。また、グラスに入れて暫く放置したり、開栓して時間が経ってもフレイヴァーに特別な変化はありませんでした。ぶっちゃけ上のレーティングは2点はパッケージングとブランディングに対してです。前回まで開けていた同じくMGP産で熟成年数が約2年とされるリデンプション・ハイライ・バーボンと較べると、リデンプションの方が絶妙な甘み、草っぽさや青リンゴなどのグリーン感があって美味しく感じました。これってブレンドされているストラナハンズのモルト成分が数パーセントであるにも拘らず、思ったより効いている結果なのでしょうか? いや、私はバーボンを中心とした市販のウィスキーを自分勝手に混ぜ合わせてオリジナルのブレンドを楽しんだりするのですが、その経験からすると3〜4%の別のウィスキーを混ぜただけでそれ以前のウィスキーのフレイヴァーが消え去ることはないと感じています。同じように、これがティンカップ独自のマッシュビル、つまり数パーセントのライ麦率の違いが齎した結果とも思えません。ティンカップに就いての海外のレヴューやそのコメント欄を見ていて気になったのは、甘いとしている人が結構な割合でいることです。私が飲んだところ、このボトルは甘いと言えるほど甘くはありませんでした。また、このウィスキーは全然良くないと否定的な意見もそれなりにありました。評者やコメンターの個人的な趣味嗜好はあるにしても、評価がバラけがちなのはその時々のソーシング・ウィスキーのクオリティに依存しているからではないでしょうか。実際、ベースがソースド・ウィスキーなので、自社で製造する場合ほど品質管理が出来ず、味や香りがバッチ毎にかなり変化する可能性を示唆するウィスキー・レヴュワーもいました。勿論、モルト・ウィスキーをブレンドしていること、マッシュビルの僅かな違い、カットに使用する水の違いは、最終的なフレイヴァーに少なからず影響を与えてはいる筈なので、それらが私にとってのMGPハイ・ライの良さを打ち消している可能性も否定出来ませんが…。
ところで、自分としてはどうも旨くないなぁと思い、他の皆はどう思っているのだろうとネット上で感想を探っている時に、或る日本のバーのオウナーの方が並行と正規を飲み比べしたところ正規品の方が断然美味しかったという趣旨の発言をしているのを見かけまして、マジか!?と気になってしまい、私も三菱食品の正規輸入品の小さいボトルを購入して飲み較べることにしました。

Tincup American Whiskey 84 Proof
推定2022年ボトリング。三菱食品正規輸入品、375mlボトル。液体の見た目の色、口の中ではそれほど変わらない気がしますが、こちらの方が香りはやや甘く、余韻も僅かに甘く更に穀物の風味が芳醇でした。確かにこちらの方が美味しく感じたので点数に差を付けました。とは言え、フレイヴァー・プロファイルはほぼ同じに感じるので、バッチ違い程度とは思います。上述のバー・オウナーも、おそらくバッチの問題だろうとしていましたし。もしかすると、これより更に前のバッチはもう少し美味しかったのかも…、また発売当初の2014年頃はもっと美味しかったのかも…、と思わせるポテンシャルは感じれました。初期から現在のティンカップまで飲んだことのある皆さんはどう思われますか? ご意見ご感想をコメント欄よりどしどしお寄せ下さい。
Rating:80.5/100
Value:アメリカでは約30ドル、日本では3500円前後で売られています(輸入者の三菱食品による参考小売価格は750mlが4000円+消費税、375mlが2500円+消費税)。このウィスキーのターゲットは、ハイ・プルーフやフル・フレイヴァーを求めるバーボン純粋主義者やウィスキー・コニサーではなく、飽くまでライト層向け。その割にボトリング・プルーフが最低限の80よりは高い84ですし、パッケージングやブランディングは素晴らしく、そこらが最大の魅力の製品です。側面に創業者名などのエンボス加工が施された六角形のボトルは印象的で美しく、文字通り金属のカップが付属しているのもクール。バーボンの価格が急速に上昇しつつある中、この価格帯のウィスキーとしては有り得ないほど秀逸過ぎるデザインだと思います。「素晴らしいマーケティングは悪いウィスキーを隠すためにある」と云う格言?もしくは皮肉?もあったりしますが、これをクラフト・バーボンと勘違いして飲まなければ、おそらく失望することはないでしょう。シンプルなハイライ・バーボンの味わいです。個人的には、値段が高くなってもいいからシングル・モルトの成分をより多くして個性がより一層輝くようにしてくれると面白いかなとは思うのですが、まあ、そうすると違うものになっちゃいますね。旅や登山、キャンプのお供にどうぞ。
