バーボン、ストレート、ノーチェイサー

バーボンの情報をシェアするブログ。

タグ:NDP

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リデンプション・ライは現代のライ・ウィスキー復活をリードしたブランドの一つです。英語の「Redemption」は「償還、救済、贖う、買い戻し」等の意味の言葉であり、ライ・ウィスキーを本来の場所に戻すという目的を持って創始されました。1700〜1800年代には、ライ・ウィスキーはアメリカでナンバーワンのスピリットだったとされます。その時代、ライ麦は豊富に獲れ、美味しいウィスキーが造られていました。しかし、禁酒法の制定はライ・ウィスキーを造る蒸留所を閉鎖に追い込み、禁酒法解禁後もバーボンのように復活することはなく、ライは殆ど忘れられた存在となっていました。ところが近年、クラフト・カクテルのバーテンダーやコンシューマーがその大胆でスパイシーなキャラクターを再発見するにつれて、ライ・ウィスキーは見事な復興を遂げたのです。

「リデンプション」はスピリッツ業界では比較的新しい名前です。2009年頃、蒸留酒ビジネスのヴェテランであるデイヴ・シュミエとマイケル・カンバーの二人は市場でのライ・ウィスキーへの関心の高まりに気づきました。主にカクテルに使用されるライ・ウィスキーは、殆どのバーボンではちょっと匹敵することが出来ないスパイシーな風味を提供します。そこで彼らはライ・ウィスキーやライ麦含有量の高いバーボンを製造するビジネスに参入することを決め、リデンプションは誕生しました。創設者が紡いだ伝承によると、リデンプション・ライは偶然に生まれたもので、インディアナ州ローレンスバーグの倉庫でライ・ウイスキー・バレルの貯蔵物を発見した時に、これなら古典的なアメリカン・スピリッツを完璧に表現することが出来ると確信した、と言います。シュミエとカンバーはそうしたLDI(ローレンスバーグ・ディスティラーズ・インディアナ=現在のMGPのこと)で出会った良質のウィスキーをボトリングするために、2010年にバーズタウン・バレル・セレクションズを開始、そこで数樽から始めて自身のラベルを作りました。そして、シュミエはリデンプションのためのブレンドを造り上げます。その目標は、バランスを重視し、親しみやすく、なおカクテルの中で立ち上がるのに十分に高いプルーフを持ち、勁いフレイヴァーを備えたものにすることでした。それはニートやロックでも然りです。結果、リデンプションは92プルーフに落ち着きました。
ちょっとリデンプションから話は逸れますが、ここで創始者についてもう少し。

デイヴ・シュミエはダイナミック・ビヴァレッジズの社長です。彼はリデンプション・ブランドで名を馳せた後、プルーフ・アンド・ウッド・ヴェンチャーズを設立し、現在では「ザ・アンバサダー」や「ザ・セネター」、「デッドウッド」のシリーズ、「タンブリング・ダイス・バーボン」や「ルーレット・ライ」等を発売しています。またシュミエは、2005年からニューヨークで始まり、現在では米国中の様々な都市で開催されている、マイクロ・ディスティラリー等のスモールバッチなクラフト・スピリッツだけ出展される展示会「インディ・スピリッツ・エクスポ」のディレクターでもあります。

もう1人のパートナー、マイケル・カンバーはストロング・スピリッツのオウナーです。彼の叔父は有名なスカイウォッカ(SKYY VODKA)の創業者であるモーリス・カンバー。ストロング・スピリッツは、ニューヨークはマンハッタン出身のカンバーが自分のブランドをボトリングするために2006年からスタートした、少量注文に焦点を当てたパッケージャー兼コントラクト・ボトリング会社です。彼らはパートナー・ボトラーとして他のボトラーのシャットダウンや遅延に起因するギャップを埋めたり、小ロットの生産を優先し、スケジュールから外れるような予期せぬ緊急事態に対応したりするバックアップ・ボトラーとしての役割も受け待ちます。
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カンバーはリデンプションの前に、自身のバーボンブランドである「80ストロング」の開発を試みましたが大きな成功は得れませんでした。80ストロングはブロンドヘアーのピンナップガール風のイラストが描かれたラベルが特徴のバーボン。カンバーは「これを造ろうとした時、本当にプレミアムなバーボンを、ホットな新しいパッケージに入れたかったんだ」と語っています。「私はバートンのスノーボード、ハーリー・デイヴィッドソンのモーターサイクル、フェンダーのストラトキャスターみたいに気取らずクールに見えて、しかも製造に妥協のない製品にいつも惹かれていたからね。そこで、そのコンセプトを80ストロングに応用した訳さ」と。それはケンタッキー州バーズタウンで蒸留、熟成、瓶詰めされたスモールバッチのオーセンティックなケンタッキー・ストレート・バーボン・ウィスキーでした。中身は4〜6年熟成のバーボンのブレンドだそうで、原酒はヘヴンヒルと見られています。ラベルには「プレミアム」という言葉のスタンプがデザインされていましたが、バーボンを普段飲まない人を対象としているように見えるポップなラベルであること、またスペックや80プルーフで21ドル程度だったことを考えると、実際にはプレミアム感は構築できていなかったと思います。
カンバーは叔父モーリスのスカイウォッカの成功を直に見ており、80ストロングの失敗の後もまだスピリッツ・ブランドの開発に熱心でした。けれども、過去の経験からブランドを市場に出すことがどれほど困難で費用が掛かるかも知っていました。だから、なるべく小規模なことから始めたかったのです。当時、彼はテスト・マーケットを開拓できるような20ケース(通常1ケース、750mlボトル12本)を実行してくれるボトラーを必要としていました。しかし、彼が見つけたボトラーの最小ロットは約3500ケースでした。それはカンバーにとって、その時点では考えられない投資でした。そこで、少量生産をしてくれるボトラーを見つけることが出来なかった彼は自身の製品を自らボトリングすることを決意します。
カンバーはその頃はまだニューヨークに住んでいましたが、バーズタウンを知っていました。それは80ストロングを開発しようとした時にロレット・ロードにあるケンタッキー・バーボン・ディスティラーズ(KBD=現ウィレット蒸留所)と契約していたからでした。彼はその間に業界や地域の人々と知り合いになり、バーズタウンという地名の持つ信頼性から会社をそこに置きたいと望みました。問題は政府の許可を得るために事前に機材を持っていなければならないことでした。そこで彼は、現在のバートン1792蒸留所の物流倉庫の一角を借り、40リットルのタンクと他の幾つかの寄せ集めで自作したボトリング・キットを設置しました。そして機材の写真を撮り、許可を申請したところ、驚いたことに承認されたのです。
カンバーがDSPライセンスを取得すると間もなくして、彼と同じく小規模生産を求めていた独立系ブランドから連絡を受けるようになりました。彼の運営が広まるにつれ200〜300ケースの注文が殺到したと言います。カンバーの事業は十分に成長し、2011年6月には創業時の建物の向かい側にある10万平方フィートの建物を購入しました。その契約ボトリングのための施設は、世界に冠たるバーボン首都バーズタウンのウィズロウ・コートにあります。ストロング・スピリッツの契約の多くには秘密保持が含まれているので全ては明かされていませんが、彼らがボトリングしている物には近年その名を上げているブランドが多数あります。有名なところではケンタッキー・アウルとか、昨今のアライド・ロマーのブランドもプリザヴェーション蒸留所にボトリング施設がないのなら多分ストロング・スピリッツを利用しているでしょう。あとは先述のシュミエのブランドも関係上ここでのボトリングです。

偖て、そろそろリデンプションの話に戻ります。NDP(非蒸留業者)のソーシング・ウィスキーには疑わしいバックストーリーも横行する中にあって、リデンプション・ブランドはそのウィスキーの出自を怪しげなマーケティングで飾りません。リデンプションは全てMGPからの調達であることを明確にしています。ブランド・アンバサダーを務めるジョー・リッグスによれば、このブランドがデイヴ・シュミエによって共同設立された時、彼は透明性を保つことによって責任のレヴェルを維持することを固く決心したそうです。MGP所有の蒸留所は、インディアナ州ローレンスバーグの川沿いの町にあり、170年以上の歴史を持ち、現在市場に出回っているライ・ウィスキー(特にNDPの製品)の推定80〜85%を生産していると目される旧シーグラムの大型蒸留所。我々消費者やバーテンダーは製品がMGPからのものであることを知れば、品質の信頼性を想像するのは難しくはないのです。
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シュミエとカンバーの事業、MGPのライ・ウィスキーをストロング・スピリッツでボトリングするビジネスは、カクテル文化の恩恵もあって、すぐに軌道に乗ります。初期の頃のリデンプションは下画像のようなラベルでした。ボトルのデザインも現行とは違い、スタンダードな物は背の高いボトルでした。ライの他にバーボンも作成されていて、語呂を合わせたのか「テンプテーション」と名付けられています。最終的にはテンプテーションは廃止され、リデンプションの名でバーボン・ヴァージョンを追加し、更に「リヴァーボート・ライ」というブランドも追加されました。
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発売以来、毎年順調に成長していたリデンプションは、ライ・ウィスキーの爆発的な需要増と相俟って寧ろ急激な成長を遂げます。「成長の方向性が見えてきたら、それに備えなければなりません」とシュミエは語ります。しかし、ウィスキーの場合、何年も先まで販売することが出来ないので、「ブランドを成長させ始める時にはかなり大きな資金協力がいります」。リデンプションの成功は良いことでしたが、バーズタウン・バレル・セレクションズのパートナー達は新しい樽に投資し続けるための資本を使い果たしました。「おかしなことに成功すればするほどお金がなくなって行くんですよ…」とシュミエ。パートナー達は出資者を探し始め、ドイチ・ファミリー・ワイン&スピリッツとの話し合いの結果、2015年にリデンプション・ブランドを含む会社全体の売却が決まります。この取引はリデンプション以外のリヴァーボート等の各ブランドに加えて、限定版のボトリング及びそれらのバレルの全在庫を対象としていました。パートナーの二人は移行を通じて暫くはドイチと協力し、その後、カンバーはバーズタウンでストロング・スピリッツを運営し続け、シュミエはエクスポを継続して新しいヴェンチャーを立ち上げて行きます。

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ドイチ・ファミリー・ワイン&スピリッツは、世界の高品質なワインを販売するために、現在の会長ビル・ドイチによって1981年に設立されました。30年以上前に二人の従業員から始まったビジネスは、今では200人を遥かに超える従業員がサーヴィスを提供する国際的な会社に成長しています。ドイチ・ファミリーのスピリッツのポートフォリオは限られていましたが、2000年代後半にスピリッツ事業に参入し、リデンプション買収の2年位前からウィスキー市場への参入を模索していたそうです。ポートフォリオにどのブランドを導入するかについては非常に厳選した、とビルの息子で同社のCEOピーター・ドイチは語っています。社長のトム・ステファンシも、リデンプションは品質、拡張性、評判、消費者にとっての価値など買収を評価する際に用いる基準を全て満たしていた、と述べています。リデンプション・ブランドの競争力は魅力だったのでしょう。同社の目標はリデンプションの主力製品の価格を個々の市場に応じてボトルあたり約28ドルに維持しつつ、最終的には全米規模のブランドとなるよう供給を拡大することでした。彼らは買収時にブランドのためのバルク・ウィスキーの長期供給契約を新たにMGPと締結しています。実際リデンプションは急速に広まり、同社のビジネスをより大きくしました。ちなみにドイチ・ファミリー・ワイン&スピリッツは、2016年にそれまでのニューヨーク州ホワイト・プレインズからコネチカット州スタンフォードに拠点を変えています(規模を大きくした)。また同社のスピリッツ部門には、リデンプションの他にビブ&タッカーやマスターソンズのブランドがあります。

ドイチ・ファミリーがリデンプションを買収してから約1年後の2016年11月から、同ブランドはボトルとラベルのデザインを一新しました。これはドイチによれば、ライの地位を固めるというブランドの使命を推進するための刷新なのだとか。社長のステファンシは「リデンプション・ウィスキーをポートフォリオに追加して以来、私たちは消費者やバーテンダーの話を聞くことに多くの時間を費やし、彼らの意見を参考にして、ライがアメリカで王様だった往年の時代からヒントを得た新しいパッケージをデザインしました。ブランドの新しい外観は、リデンプション・ウィスキーの個性をよりよく反映し、ライが持つアメリカならではの個性を表現してい」ると語っています。こうして都会的な印象を与えていたトールボトルは禁酒法以前のような伝統的なボトルに置き換えられました。ライ麦がボトルの前面にエンボス加工されており、ヒップ・フラスクのように背面が湾曲しているボトルですが、全体的にどことなく「ブレット」のボトルに似たスタイル。実際、ディアジオ(ブレットを所有している大企業)からはボトルが模倣されているとして訴訟を起こされたようです。このボトルがリリースされ続けているということはドイチは敗訴しなかったんでしょうね。
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買収された後のジュースの制作に大きな変化はないとされますが、ブレンダーは以前のデイブ・シュミエからドイチ・ファミリーのワインメーカーでもあるウェイン・ドナルドソンに代わりました。2020年頃からはデイヴ・カーペンターがマスターブレンダーの役割を担っているようです。カーペンターのウィスキーでの仕事は2012年にジムビームで始まり、2016年後半にジェプサ・クリード、そこからリデンプションに移ったみたいです。誰がブレンダーであれ、同じフレイヴァー・プロファイルの作成を目指し、ボトル(バッチ)間の一貫性は保証されているでしょう。

このブランドを有名にしたのは、おそらく、クラシックとモダン両方のカクテルに利用できる優れたベースとしての低価格なライ・ウィスキーだと思われますが、より上位のヴァリエーションやバーボンもあります。スタンダードとハイ・ライのレシピによるバーボン、限定版のウィーテッド・バーボン、毎年少量でリリースされるエイジド・バレルプルーフや流行りのフィニッシング物などです。
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更にスーパープレミアムな超長熟のライとバーボンのエンシェント・コレクションもありました。ライは1998年蒸留の18年熟成、54.95%ABV、400ドルの希望小売価格、限定600本のボトルのみ。バーボンに至っては1978年蒸留の36年熟成、94%の蒸発率で僅か18本のボトルを造るのに4バレルかかったと言われています。こちらは48.8%ABVで1200ドルの希望小売価格。まあ、手に入れるのは無理ですね…。これらは中身のジュースと同様ボトルも特別な仕様です。シルクスクリーンのライ麦のプリント、アンティーク感のあるエンブレム、革のコードで包まれたネック、そして木製のストッパーには1978年の実際のペニーが埋め込まれています。エンシェントに使用されたバレルはどちらも他のリデンプションと同じくMGPからの調達。

最後に、リデンプション・ライの中身についてもう少しだけ詳しく見ていきましょう。
リデンプション・ライは、MGPの提供するレシピの中で最も人気のある95%ライ、5%バーリーモルトのマッシュビルを使用しています。ブレットやジョージ・ディッケルのライ、その他多くのブランドに使用されているものと同じです。ボトリング・プルーフや熟成年数その他の要因によって同じマッシュビルでもブランド間で多少の違いが生じます。
ブランド・アンバサダーのリッグスへの2017年のインタヴューによれば、フラッグシップとなるスタンダードなライ・ウィスキーは、135プルーフで蒸留、バレル・エントリーは120プルーフ、ブレンドにはフレイヴァー・プロファイルに基づいて18か月から6年熟成までのウィスキーを使用し、バッチサイズは凡そ150バレルだそうです。公式の声明では平均2.5年熟成とされています。リデンプション・ライで何より特徴的なのは、明らかにMGPからもっとオールダーなジュースを購入することが出来るにも拘らず、かなりヤンガーなウィスキーを敢えて選んでいるところ。現在のマスターブレンダーであるデイヴ・カーペンターは或るインタヴューで、なぜ若い製品を選ぶのか訊ねられて、4〜7年熟成のウィスキーを出してもウィスキー文化に新しいものを加えることにはならない、我々はもっとブライトでシトラス・フォワードなものを提供するのが好ましいと思った、そしてそのような2〜3年熟成の製品はオールダー・ウィスキーが常に良いものであるという誤解を解けると考えている、というようなことを答えていました。これは個人的には好ましい考え方だと思います。
現在のリデンプションはNDP(非蒸留生産者)のソーシング・ウィスキーとしてかなり確立されたブランドであり、スタート時より資本力のある会社に所有されています。そこで我々が気になるのは自社蒸留を開始しないのか?ということですが、リッグスは上述のインタヴューで「私たちはシーグラム社で20年間働いて来た人たちよりも優れたウィスキーを造れるとは思っていません。MGPには30年来の素晴らしい蒸留チームがあります。だから、もしスティルを購入してもおそらく他の製品を造ることになるでしょう(要約)」と言っていました。これまた個人的にはベストな考えと思います。
では、飲んだ感想を少しばかり。こちらは友人からワンショット頂いての試飲となります。

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REDEMPTION Rye 92 Proof
Batch No. 260
色はゴールド寄りのブラウン。焦がした木、ライスパイス、フローラル、ピクルス、青リンゴ、キャラメル、ミント。トーストされた木材の甘い香りもありつつのスパイシーなノーズ。少しだけとろみのある口当たり。味わいはライのスパイシーさとフレッシュなフルーツ感とグリーンリーフのタッチ。液体を飲み込んだ後はけっこう刺激的。余韻はあっさりしてるが、爽やかで悪くない。
Rating:84.5/100

Thought:以前に飲んだトールボトル(レヴューはこちら)の物と劇的な変化はないように思いました。開封直後に頂いたのですが、のっけから美味しい。相変わらず、若さはあってもフレイヴァーフルで自分の好みです。強いて言うと、こちらの方がやや甘くて円やかな印象がありました。サイド・バイ・サイドではなく記憶との比較なので不確かですが…。
ところで、私が以前飲んだトールボトルのリデンプションにはストレート表記がなかったのですが、リニューアル後のラベルにはストレート表記があります。と言うか、画像検索でリデンプションを調べると、トールボトルにもストレート表記がある物があったり、新ボトルでもストレート表記なしの物が見つかりました。裏ラベルを見ると、ストレート表記がない物は「AGED NO LESS THAN ONE YEARS」と書かれ、ストレート表記のある物は「AGED NO LESS THAN TWO YEARS」と書かれているようです。もしかすると、2年熟成未満の原酒がブレンドされているバッチと、最低2年熟成以上の原酒がブレンドされているバッチでラベルを変えているのかも知れません。まあ、これは私の憶測なので聞き流して下さい。
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Value:アメリカでは大体25〜30ドルで売られています。現在の日本では某リカーショップで購入出来ますが、値段が5000円程度です。熟成年数を考えると少しお高めな気もします。いや、かなり。ですが、個人的には何故かテンプルトンやブレットよりもリデンプションの方が美味しく感じるので、ありはありかな。もう少し安いと常備ライにベストな選択となるのですが…。

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ダコタ・マイクロ・バーボンはアライド・ロマーのブランドで、「アメリカン・カウボーイ」、「コック・オブ・ザ・ウォーク」、「プリザヴェーション」、「ピュア・アンティーク」、「レア・パーフェクション」、「ワッティ・ブーン」等とだいたい同じくらいの時期の2000年代半ば(2005年?)に発売されたと思われます。このバーボンについての情報は余りにも少なく、名前のダコタがアメリカの州から取られたのか、その由来となったインディアンのダコタ族(スー族の一部)から取られたのか定かではありません。要するにアメリカっぽさを喚起するブランディングなのは間違いないでしょうが、まさか上下に分断されたラベルがそれぞれノース・ダコタ州とサウス・ダコタ州を表しているなんてこともあるのでしょうか? ご存知の方はコメントよりお知らせ下さい。ラベルのデザインはヴェリー・オールド・セントニックと同じ会社がやっています。昔、そのデザイン会社のホームページで見たのですが、何という会社名か忘れてしまいました。すいません…。

ラベルには「純粋な穀物とケンタッキーのライムストーン・ウォーターを使用してポット・スティルで」云々と書かれていますが、ここで言うポット・スティルはアメリカの法律で規制された用語ではないマーケティングの言葉であって、旧ミクターズがポット・スティルをフィーチャーしていたのと同じ意味です。スコッチ・モルトのような意味での単式蒸留のことではないので注意して下さい。近年の本当のクラフト蒸留所の勃興以前のアメリカン・ウィスキーは、ほぼコラム・スティルで蒸留後、二度目の蒸留にダブラー(もしくはサンパー)を使い、そのダブラーのことをポット・スティルと呼び習わしていました。同じくアライド・ロマーのブランドで「ビッグ・アルズ」というバーボンがあり、そのラベルにも「ポット・スティルド」と大きく謳われていますが、それも同様です。アライド・ロマーのマーケティング手法は「マイクロ」や「スモール・バレル」や「リトル・バレル」のような「小さい」ことを強調し、「ピュア」や「レア」や「ヴェリー」を過剰に使う傾向があります。この「小さな樽」というのも、これまたポット・スティルと同じく近年のクラフト蒸留所の誕生以前に実験的な生産以外で標準より小さい樽を使った蒸留所はなかった筈で、実際にはスタンダード・アメリカン・バレルで間違いないでしょう。有り体に言うと、こうしたマーケティング手法は、法律の抜け穴を上手く利用して旧来品とあまり変わらない製品を新しいクラフト・バーボンかのように見せかける巧妙な仕掛けです。と言っても、私はアライド・ロマーを非難してる訳ではありません。誰もが消費者の心を掴むためのマーケティングは行いますし、バーボンの90%はマーケティングとも言われますからね。寧ろ、そのファンシーなボトルやラベル・デザイン等、女社長マーシィ・パラテラの独創的なブランディング手腕は評価されるべきでしょう。
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さて、ここらで肝心の中身について触れたいところなのですが、こうしたNDP(非蒸留業者)によるソーシング・ウィスキーの出処は、現在のバーボン・ブームの中では比較的明示的な物も増えているものの、これが発売された頃は原酒の調達先をラベルに明示する物は殆どありませんでした。
ダコタが初めてリリースされた時は、ボトルの形状からバッファロートレース蒸留所の製品ではないか?と推測されましたが、当時のサゼラック/バッファロートレースのブランド・マネージャー、ケン・ウェバーはバッファロートレースのものではないと言っていました。当時はまだアライド・ロマーの存在は一般に知られていなかったのです。
個人的には、冒頭に挙げたブランドと同じ流れでボトリングはKBDではないかと思っています。まだバーボンが低需要だった当時のアメリカでは流通していない日本とヨーロッパ向けの製品かな?と。ネット検索では、6年熟成86プルーフ、8年熟成86プルーフ、12年熟成86プルーフの三種が見つかりました。ところで気になるのは裏ラベル記載の所在地がルイヴィルなことですよね。大概のKBDがアライド・ロマーのためにボトリングしたものには「バーズタウン」と記されています。アライド・ロマーの本社はカリフォルニア州バーリンゲイムにあり、ラベルにその所在地が記されたことはありません。そして事務所か何かがルイヴィルにあったという話は聞いたことがなく、また2000年代初頭にルイヴィルに他のボトラーがあったという話も聞いたことがないし、ましてや12年の熟成期間をマイナスした当時にバーボンを造れたクラフト蒸留所もありませんでした。なのにルイヴィル…。これは一体どういうことなのでしょうか?
実はダコタと同時期に発売された「プリザヴェーション・バーボン12年」の裏ラベルにはフランクフォートとあります。それはこのダコタと同じく「disilled」とも「bottled」とも書かれていない単なる所在地の表記です。フランクフォートと言えばバッファロートレース蒸留所がある地であり、ジュリアン・ヴァン・ウィンクル三世のバッファロートレースとの合弁事業オールド・リップ・ヴァン・ウィンクル社の事業地でもあります。ジュリアン三世は初期アライド・ロマーのビジネス・パートナーでした。その縁から久々にジュリアンにボトリングを依頼し、所在地表記がフランクフォートになったというのなら話は分かり易いでしょう。しかし、これは憶測であって何の確証もありません。繰り返しますがラベルにはあくまで「disilled」とも「bottled」とも書かれていないのですから。
ダコタ・マイクロ・バーボンやプリザヴェーション・バーボンを日本語で検索すると出てくる情報では、一説に原酒はバッファロートレースではないかとされています。そこで一つの仮説として、アライド・ロマー製品の所在地表示がコロコロ変わるのが、原酒の調達先を仄めかすヒントになっているのだとしたら…と考えてみました。そうなると、ダコタの発売を2005年として、ヴァリエーション中最長熟成の12年をマイナスすると1993年、この時稼働していたルイヴィルの蒸留所はヘヴンヒルが購入する前のニュー・バーンハイムかアーリタイムズしかないでしょう。個人的には、この仮説が正しいのならニュー・バーンハイムかなという気がしますね。
一方で、裏ラベルの所在地は原酒のヒントでも何でもないというのも考えられます。冒頭に挙げたブランドで言うと、アメリカン・カウボーイやピュア・アンティークは明らかにKBDのボトリングながら、前者は「ネルソン・カウンティ」までしか書かれておらず、後者は「Distilled and Bottled in Kentucky」としか書かれてません。つまり、一律バーズタウンと記載される訳ではなく、表記に法則性や一貫性がないのです。前回投稿した「ラン・フォー・ザ・ローゼズ」もKBDのボトリングと思うのですが、これがもしアライド・ロマーのブランドだとしたら、所在地表記はレキシントンですから、ますます混乱するばかり。そう言えば、過去に投稿した「ドクター・ルイーズ・シュア・ポーション」というアライド・ロマーのブランドがあるのですが、このバーボンも裏ラベルの所在地はルイヴィルでダコタと同じですね。まさかKBD以外にもっと知られていないボトラーが当時からあったのでしょうか…。みなさんはどう思われます? コメントよりご意見お待ちしております。
では、最後に飲んだ感想を少しばかり。

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特にオーキーでもなく、ちょっとフルーティ、ちょっとハービーといったバランス。すぐ前に飲んでいたラン・フォー・ザ・ローゼズ16年のような過熟感はなく断然バランス良く感じました。あまり自信はないですが、少なくとも旧ヘヴンヒルぽくはない気がします。飲んだことある皆さんはどう思われたでしょうか? コメントどしどしお寄せ下さい。
Rating:84/100

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ラン・フォー・ザ・ローゼズ・サラブレッド・バーボンは、その名とラベルの見た目通りケンタッキーに縁の深い競馬や馬をモチーフにしたバーボンです。

ケンタッキー州はバーボンのみならずサラブレッドが育つ土地としても知られ、ルイヴィルにあるチャーチル・ダウンズ競馬場で行われるケンタッキー・ダービーは夙に有名。1875年に始まったケンタッキー・ダービーはアメリカに於いて最も歴史のあるスポーツ・イヴェントの一つであり、世界大恐慌および二度の世界大戦時も中断されませんでした。競馬の最高峰なのは言うまでもなく、その競走時間から「スポーツの中で最も偉大な2分間」と形容されます。生粋の競馬ファン以外への知名度も非常に高く、華やかな帽子を被り、ミント・ジュレップを飲みながら、観客同士が一緒に「マイ・オールド・ケンタッキー・ホーム」を歌うという伝統は、単なるスポーツ・イヴェントの枠を超え、サザン・カルチャーの祝典として、またアメリカ文化の象徴として発展して来た歴史があります。そして優勝馬には400本以上の赤い薔薇を縫い合わせて作ったレイ(ブランケット)が掛けられることから「Run for the Roses(薔薇のために走れ)」の別称が与えられているのです。この伝統は1932年に勝利馬バーグー・キングに赤い薔薇のレイが贈られたことから始まりしたが、バラがケンタッキー・ダービーと関連付けられたのは1896年にベン・ブラッシュに白とピンクのバラのアレンジメントが贈呈されたことがきっかけだったとか。その後、1904年に赤いバラがケンタッキー・ダービーの公式の生花となります。「ラン・フォー・ザ・ローゼズ」という言葉は、後年、チャーチル・ダウンズの有名な支配人マット・ウィンの死後にプレジデントとなったスポーツ・コラムニストのビル・コラム(Bill Corum)によって1925年に初めてそう表現されました。

ちなみにバーボンとは関係がないですが、1970年代後半から1980年代前半にかけて人気を博したシンガー・ソングライター、ダン・フォーゲルバーグ(1951~2007)の1981年に発表された自身最大のヒット・アルバム『イノセント・エイジ(The Innocent Age)』 に「Run for the Roses」という曲が収録されています。シングルカットもされた代表曲の一つで、どこか郷愁を誘うような曲調と素朴なメロディ、ダンの優しげなヴォーカル、そして人間が馬へと語りかける形式で進む歌詞が肝の美しい曲です。興味があれば是非、聴いてみて下さい。


さて、我々バーボン・ファンにとって肝心な中身に関してなのですが、ラン・フォー・ザ・ローゼズはイマイチ詳細の分からない謎のバーボンです。先ず、ブランドを所有する会社が一切分からない(※追記あり)。ただし、ボトリングはKBDであろうと思われます。裏ラベルの会社名はサラブレッド・ディスティリング・カンパニーとなっていますが、これはトレーディング・ネームであり、ジムビームからリリースされるノブ・クリークのラベルにノブ・クリーク・ディスティラリーと書かれるようなもので、架空の社名(所謂DBA)なのは明らか。会社の所在地表記はレキシントンとなっています。
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レキシントンはサラブレッドの聖地なので、このバーボンに相応しい所在地ではありますが、当時そこにバーボンをメインで扱うNDPの会社があったという話は聞いたことがなく、おそらくこのバーボンは何かの企画?で海外向け(日本とヨーロッパ)に作成されたブランドではないかというのが私の推測です。ウェブ検索で見つかるネット記事の投稿日時から推測すると、おそらく2005〜2010年くらいに流通していたと思われます。継続的なリリースだったのか単発のリリースだったのかは判りません。少なくとも生産量はそれほど多くないのは間違いないと思います。ヴァリエーションには8年86プルーフ、12年86プルーフ、16年86プルーフ、16年101プルーフがネット検索で見つかりました。このうち「16年101プルーフ」はラベルのプルーフ表示に訂正のシールが貼られています。ラベル自体は86プルーフのヴァージョンしか作っていないことが窺われるでしょう。この101プルーフ版は日本では見たことがなく、ネットで見かけたのもヨーロッパのウェブサイト、そこから多分ヨーロッパのみの流通かと。
ところで、表ラベルをよく見ると「ストレート」の表記がありません。このストレート表記のないパターンはアライド・ロマーのためにKBDがボトリングするバーボンによく見られました。レジェンズ・オブ・ザ・ワイルド・ウェストやジャズ・クラブやコック・オブ・ザ・ウォークなどです。一説にはこのパターンは複数の蒸留所の原酒をブレンドする製法ではないかとされ、もしかするとラン・フォー・ザ・ローゼズもそうなのかも…と思ったら裏ラベルには「ストレート」とありますね。まあ、中身のジュースに関してはよく分からないってことです。では、最後に飲んだ感想を少し。

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Run for the Roses Thoroughbred Bourbon Aged 16 Years 86 Proof
香りはダークチョコレートやタバコの複雑さがあり悪くないのですが、味わいはウッディで、全体的にビターな印象。特に余韻には長期の樽熟成や長年ボトルに容れられ放置されていたバーボンに出やすいメディシナル・ファンクが過剰に感じられて私の好みではなかったです。頂いたのが残り数杯分の液量の物だったので、多少の酸化はあったかも知れませんが。
Rating:81.5/100


追記:やはりアライドロマーのブランドでした。

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(画像提供N氏)

ブラックサドル・バーボンはカリフォルニア州フェアフィールド(旧住所はサンホゼ)の老舗ボトラー、フランク=リン・ディスティラーズ・プロダクツのブランドで、おそらく2014年頃から発売されたと思われます。同社の「バック」と同じようにカウボーイや馬をイメージ・ソースとしてバーボンと結びつけているのでしょう。フランク=リンは俗に言うNDPであり、原酒の調達元は一般公開されていませんが、日本で流布しているブラックサドルの情報ではヘヴンヒルとされています。ヘヴンヒルの12年熟成で90プルーフあるのであれば、エイジ・ステイトメントを失ったエライジャ・クレイグの代わりになれるバーボンなのかどうか?が気になるところ。ちなみに、ラベルには「ケンタッキー」も「ストレート」の文字もありませんが、フランク=リンのセールス・シートによるとケンタッキー・ストレート・バーボンと明記されています。
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今回のブラックサドルの紹介はInstagramで知り合ったバーボン仲間のNさんからサンプルを頂いたことで実現しました。何の前触れもなく送られて来たサプライズでした。Nさん、写真のお手間も含めこの場を借りて改めてお礼申し上げます。ありがとうございました! では、飲んだ感想を少し。

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(画像提供N氏)

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BLACK SADDLE 12 Years 90 Proof
ボトリング年不明(2016〜18年頃?)。チャードオーク、ヴァニラ、コーン、ベーキングスパイス、レーズン、ビターチョコ。香りは比較的「小さく」、パレートでも風味は弱め。ほんのり甘い香りと典型的なバーボン・ノートがバランスよく見つかるが、基本的に焦樽が中心のアロマとフレイヴァー。12年という熟成年数ならば、もう少しダークなフルーツ感が欲しいし、余韻に深みも欲しい。空気に触れさせたアロマがハイライト。
Rating:81.5/100

Thought:確かに近年のヘヴンヒルぽい味わいに感じました。ただ、日本語でブラックサドルを検索した時に出てくる一部の情報では、良質な樽を買い付け云々とあるのですが、ヘヴンヒルのように自社ブランドもリリースする会社がバルク・ウィスキーの販売をする場合、過剰在庫を抱えているのでなければ、それほど優良なバレルをそちらに回すとは思えず、私にはブラックサドルは平均的なバレルから造られているように感じます。現行のボトルデザインが変わった後のエライジャクレイグNASを私は飲んだことがありませんが、多分大差ないんじゃないかなという気が…。何故かこのブラックサドルにはあまり熟成感を感じにくいのです。飲み比べたことのある方はコメントよりどしどし感想をお寄せ下さい。

Value:アメリカでは4〜50ドルが相場。現在の日本ではネット通販は売り切ればかりで、安定的な輸入はされてないようです。少し前は3500円ちょいで購入出来た時もあったみたい。個人的にはその金額を出すのなら、エヴァンウィリアムス(特に赤もしくは白)かエライジャクレイグを購入したほうがいいと思います。ただし、ボトルやラベルは高級感があるので、それが気に入れば買うのはありでしょう。そこにこそ価格の違いの大部分が存するのですから。

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レジェンズ・オブ・ザ・ワイルド・ウェスト・ヒストリック・バーボンはカリフォルニア州バーリンゲイムにオフィスを置くアライド・ロマー/インターナショナル・ビヴァレッジのブランドで、おそらく80年代後半もしくは90年代初頭に日本市場向けに発売されました。その流通量の少なさからすると一回限りの販売か、または継続的(或いは断続的)にリリースされていたとしても極端に小さいバッチでのボトリングかと思われます。レジェンズ・オブ・ザ・ワイルド・ウェストの名の通り、ラベルには西部開拓史を彩った象徴的なヒーロー達の肖像が使われています。画像検索で把握できる限り、ラベルの人物にはキット・カーソン、ジェネラル・カスター、ダニエル・ブーン、デイヴィ・クロケット、ワイアット・アープ、ドク・ホリデイ、ルイス&クラーク、ジェロニモ、エイブ・リンカーン、ジョージ・ワシントン、バッファロー・ビルなどの種類があるように見えました。間違っていたらすみません。あともう一人いると1ケース12ボトルでちょうどピッタリだと思うのですが、誰なのでしょう? どうしても画像検索に出て来なくて…。ご存知の方はコメントよりお知らせ頂けると助かります。それは偖て措き、こうした同じブランドの名の元に異なる人物の写真を使用するコレクターズ・シリーズ物はアライド・ロマーの得意技?であり、レジェンズ・オブ・ザ・ワイルド・ウェストと同時代の荒くれ者やお尋ね者を揃えた「アウトロー」を筆頭に、名前そのままにギャングやマフィアをフィーチャーした「ギャングスター」、黒人ミュージシャンを取り上げた「ジャズクラブ」や「ブルースクラブ」、他にも「R&B」や「ロックンロール」や「USAベースボール」などがありました。これらのブランドの中身の品質は様々でしたが、レジェンズとアウトローとジャズクラブの長期熟成物が頭一つ抜け出たプレミアム製品だったように思います。

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(画像提供Bar FIVE様)

さて、そんなレジェンズ・オブ・ザ・ワイルド・ウェストには12年熟成96プルーフと15年熟成114プルーフのヴァリエーションがありました。ボトリングはKBDが行っています。日本語でレジェンズを検索した時に出てくる情報ではヘヴンヒル原酒と言い切られている場合もありますが、基本的にKBDは秘密主義なので中身のジュースについての詳細は一般に明かされていません。一説には複数の蒸留所の原酒をブレンドする製法で造られているとされています。どこかで旧ウィレット原酒とヘヴンヒル原酒のミックスと見かけたような気もするのですがうろ覚えです…。レジェンズの発売年代が80年代後半か90年代初頭で正しいのならば、熟成年数をマイナスするとまだ旧ウィレット蒸留所が稼働していた時期に当たるので、その可能性は無きにしも非ずでしょう。何処の蒸留所の原酒であれ、KBDのストックをエヴァン・クルスヴィーンが選んでバッチングしたのは間違いないと思います。
ところで、日本人にとっては超熟バーボンの母とも言えそうな存在である伝説のエクスポーター、アライド・ロマーの社長マーシィ・パラテラがどこまで関与しているのか気になるところですよね。彼女もバレルを選んでいたのか? それともエヴァンが選び造り上げたものを単に購入しただけなのか? 或いは両者の共同作業なのか? まあ、少なくとも試飲はしてるでしょうし、プロデューサーとして最終的な決定はしてる筈。何れにせよ日本人の感覚や興味に沿ったブランドを数多く作成したマーシィには拍手しかありません。レジェンズ・オブ・ザ・ワイルド・ウェストやアウトローは、西部劇やアーリーアメリカン・カルチャーの好きな人には堪らない魅力のあるラベルです。日本人のアメリカへの憧れをダイレクトに刺激してくれます。
ではでは、ここらで飲んだ感想になるのですが…。

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LEGENDS OF THE WILD WEST HISTORIC BOURBON 15 Years Old 114 Proof
実はこれ、今回のバー遠征の最後の一杯でした。お酒に弱い私にとってバレルプルーフは少々キツいので最後に残しておいて注文したのですが、正直すでにかなり酔っており、味がよく分からなかったのです(笑)。しかし、度数の割にスムーズなのは分りました。まろやか系な印象。あと、けっこう渋みも感じました。何となくスティッツェル=ウェラーに近い味わいに思ったのですが、皆さんはどう思うでしょうか? 飲んだことのある方はどしどしコメントお寄せ下さい。
Rating:88/100


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(ジョージ・アームストロング・カスター。彼の評価はアメリカ白人の英雄とも汚点とも扱われた。しかし、彼の写真が使われたラベルのバーボンの評価は絶対的に賛美される。)

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N

NAS
「No(n) Age Statement」の略。ラベル上に熟成年数の提示がないこと。熟成期間による味わいの変化が大きいウィスキーにとって熟成年数はある程度の味わいの指標となるため、誇らしげに熟成年数を掲げるブランドは多いが、逆に初めから熟成年数表記のないブランドも少なくない。これには任意の風味プロファイルになりさえすれば熟成年数に拘らないという意図がある。と同時に、バッチングのためのバレル選択に於いて熟成年数の制約がないことは即ち選択肢が多くなることを意味し、そのブランドの目指す風味プロファイルをクリエイトしやすいというメリットもある。
2010年前後からのバーボン高需要によって、従来まで6年とか12年とか明示されていた熟成年数がなくなる銘柄が増えた。それは善かれ悪しかれ、その年数以下の熟成年数の原酒をブレンドしていることが殆どだと思われる。少なくとも12年以上だったものが8年~12年のブレンドになる等。これには造り手からすると将来の安定した供給を確保する狙いがある。反面、あったものがなくなるという年数表記の欠落は、当該ブランドのファンには否定的な印象を与えかねない。また、単純に熟成年数を引き下げただけの場合もあって、その場合は劇的な風味プロファイルの変化を伴う可能性が高い。悪どいことに「aged ○ years」の数字だけをラベルに残し、あたかも熟成年数の数字であるかの如く見せ、購買者のミスリーディングを誘うブランドもある。「エイジステイトメント」の項も参照。

National Bourbon Day─ナショナルバーボンデイ
6月14日。アメリカの特産品であるバーボンを飲んで祝う日。エライジャ・クレイグ牧師が1789年6月14日に初めてバーボンを造ったという伝説からこの日になっている。ケンタッキー州では「毎日がバーボン・デイ」とも言う。

National Heritage Bourbon Month─ナショナルヘリテッジバーボンマンス
9月。2007年に米国上院によって作成されたもので、1964年に宣言された「米国特有の製品」としてのバーボンを祝うための歴史遺産月間。この法案はケンタッキー州の上院議員Jim Bunningによって提案され、全会一致で可決された。それは初期入植者やケンタッキー州の農業コミュニティ、ケンタッキー・バーボンを今日のフラッグシップカテゴリーにした多くのファミリーの貢献を認識し、伝統や歴史や文化遺産を讃え、バーボンを責任をもって適度に楽しむためのアイデア。ケンタッキー州バーズタウンで開催される国際バーボンフェスティバルは、毎年9月の3週目に開催されるため、バーボンを祝うには最適な月だった。

NCF
「Non Chill Filtered」の略。「ノンチルフィルタード」を参照のこと。

ND
「National Distillers」の略。ナショナル・ディスティラーズは複合企業体なので、バーボン用語としてはその酒類部門であり創業企業である「National Distillers Products Corporation(NDPC)」を指している。禁酒法解禁後にアメリカンウィスキー業界を支配したビッグ・フォーの一つで、何百とも言われるブランドを所有した。そうした中でもオールド・グランダッド、オールド・テイラー、オールド・クロウ、オールド・オーヴァーホルト、サニー・ブルックス、バーボンデラックス等は傑出した歴史あるブランドだが、1987年にナショナル・ディスティラーズはアメリカン・ブランズ(当時のジムビームの親会社)に売却され、それらのブランドはジムビームが製造を引き継いだ。こうした経緯によりナショナル・ディスティラーズが製造していた時代の物を欧米では「NDジュース」と呼び、バーボンマニアに珍重されている。

NDP
「Non Distilling Producer」の略。非蒸留業者と訳される。自らは蒸留施設を持たず、どこかの蒸留所からウィスキーを購入し、独自のブランドで販売する業者や会社のこと。ボトリングを専門とする所謂ボトラーも蒸留施設を所有していないという意味ではNDPと呼べる。しかし、ボトリング施設を持たず、ボトラーや蒸留所にボトリングを依頼する会社もNDPなので、ボトラーとNDPはイコールではない。供給元の選定やブランド構築の巧みさが成功の鍵。現在、大きくなっている会社でも大元を辿ればこれだったりする。

Neat─ニート
所謂ストレート。氷もいれず、水やミキサーで希釈もしないで飲む方法。語源的にはラテン語の「nitere(ニテーレ)」から由来するとされ、それは煌めく/輝かすといった意味をもち、英語に転じて綺麗(清潔)、清楚、純粋、濁りのない、混じり気のない等の意味に派生していった。ウィスキー用語としては、スコッチウィスキー界で先に使われ出したと思われるが、今ではバーボン飲みも使う。

Nest Egg─ネストエッグ
温水とドライイーストを混ぜたもの。マッシュへの添加前に酵母を活性化する「目覚め」のために使用される。

New Make─ニューメイク
蒸溜を終え、出来たばかりの無色透明の蒸溜液。これを樽で熟成することで琥珀色に色付き、ウィスキーとなる。バーボン業界ではホワイトドッグとも言う。

Non Chillfiltered─ノンチルフィルタード
冷却濾過されていないの意。ウィスキーの原材料や蒸留プロセス及び樽熟成期間に自然発生する香味成分の中には、脂肪酸・タンパク質・エステル等の低温になると析出してウイスキーを白濁させたり澱を発生させる成分が含まれており、それらの成分をボトリング前に予め-4℃~0℃に冷却しながら濾過して除去するのが冷却濾過。これによって失われる成分には、香りや風味の基となるものが含まれているとされ、より豊かな風味を求めるウィスキーマニアはノンチルチィルタードの製品を欲する傾向にある。「チルフィルトレーション」の項も参照。

Nose─ノーズ
ウィスキーの香り、匂い、アロマ。テイスティング・ノートなどでノーズとあれば、舌や口蓋を関与させず、鼻のみで感知した記述。


O

OC
「Old Charter」の略。現在ではバッファロートレース蒸留所で造られる下層バーボンとなってしまったが、一昔前はI.W.ハーパーと同じくバーンハイム蒸留所で造られていた歴史のあるブランド。「OCPR」は「Old Charter Proprietor’s Reserve」の略。
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OF
①「Old Fitzgerald」の略。小麦レシピで造られるスティッツェル=ウェラーの代表的な銘柄。同蒸留所が閉鎖後はヘヴンヒルがブランドを取得した。
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②「Old Forester」の略。ブラウン=フォーマン社の旗艦ブランド。「OFBB」は限定リリースの「Old Forester Birthday Bourbon」の略。ボンデッド規格のものは「OFBIB」と略す。
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OGD
「Old Grand-Dad」の略。現在ではジムビームで製造されるハイ・ライ・レシピのバーボン。同シリーズには、ロウワー・プルーフの物とボンデッドと114の種類がある。一昔前はナショナル・ディスティラーズを代表的する銘柄であり、その時代の物はバタースコッチ・ボムの味わいをもつとされ、オールドボトル愛好家に人気が高い。
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On the Rocks─オンザロックス
水やその他のミキサーを追加せずに、氷を入れたグラスに酒のみを注ぐ飲み方。日本では単に「ロック」と呼ばれることが多い。氷とグラスの奏でる音を愉しむことが出来る。

OO
「Old Overholt」の略。ライウィスキーの代名詞とも言えるほど古くから有名なブランド。元々はモノンガヒーラ・スタイルのライを代表したが、現在ではジムビームが製造するケンタッキー・スタイルのライとなっている。
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エイブラハム・オーヴァーホルトの肖像、WIKIMEDIAより

ORVW
「Old Rip Van Winkle」の略。2010年代になってからの急速なバーボン高需要の中、大人気のため入手困難となっている銘柄のひとつ。アメリカでも抽選に当たらないと買えなかったり、希望小売価格を大幅に上回る値段で販売されたりする。そのため現行品は日本での流通は皆無となった。
元々は禁酒法時代前後に販売されていたブランドをジュリアン・ヴァン・ウィンクル三世の父(パピー・ヴァン・ウィンクルの息子)が70年代に復活させ、イエローストーンやスティツェル=ウェラーのストックを用いて主にポーセリン・デカンター(一部はガラス瓶)に容れ販売していた。それをジュリアン三世も引き継いで販売し現在に至る。基本は10年熟成、107プルーフ(90プルーフのヴァリエーションもあった)。昔は15年熟成もあったが、現在ではパピー・ヴァン・ウィンクル・ファミリー・リザーヴ15年に置き換えられている。
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ブランドの名前とラベルは、アメリカの小説家ワシントン・アーヴィングが1820年に発表した短編集『スケッチ・ブック』中の一編「リップ・ヴァン・ウィンクル」に掛けたものとなっている。この話の筋は、アーヴィングがオランダ人移民の伝説を基にして書き上げたとされ、アメリカ版「浦島太郎」と紹介されることが多い。アメリカでは「時代遅れの人」や「眠ってばかりいる人」を意味する慣用句にもなっているのだとか。物語は大略以下のようになっている。

時はアメリカ独立戦争前後。ニューヨークのハドソン川近く、キャッツキル山地の麓の村で暮らすオランダ系アメリカ人のリップ・ヴァン・ウィンクルは、金儲けが嫌いで、あくせく働くのをよしとせず、のんびり過ごすのがモットーで、家の仕事はしないけれど、人からの頼まれごとは何でも引き受け、皆から好かれる気のいい男。がみがみ口喧しい女房と、まだ小さい息子と娘との貧乏な生活をしている。
ある秋晴れの日、リップはいつものように口煩い妻から逃れるため、鉄砲を肩に担ぎ、ウルフという名の愛犬と一緒に猟へ出て、山々をさ迷いました。猟を楽しんだあと、小高い丘でちょっと休憩しているうちに辺りは暗くなってきます。「いかん、また妻にどやされるぞ」と、彼は急いで帰ろうとしますが、その時「おーい、リップや」と自分の名前が呼ばれたような気がして足を止めます。錯覚かなと思っていると、また声が聴こえて来ました。「リップ・ヴァン・ウィンクル…、リップ・ヴァン・ウィンクル…」。その声は、どうやら谷間から聴こえるようで、谷を見下ろしてみると、なにやら重そうな物を運んでいます。声の主は白いあごひげを蓄えた見ず知らずの老人で奇妙な古めかしい服を着ていました。老人が運んでいたのは酒樽で、見るからに大変そう。リップは老人と一緒に酒樽を運んであげることにしました。しばらくすると、あたりにゴロゴロゴロゴロと雷鳴が響き渡ります。やがて高い崖に囲まれた広場のようなところに辿り着くと、そこでは多くの小人たちがナインピンズ(9本ピンのボウリング)に興じていました。雷鳴と思われた音はボールを転がす音だったのです。小人たちは一様に厳めしい顔つきをし、奇抜で華やかだが古臭い服を着て、腰には小刀をさしていました。そして不思議なことにゲームをしていても楽しそうな様子もなく、黙ったままでした。一緒に来た老人は酒をついで回る様にとリップに合図し、酒盛りが始まりました。リップも彼らが自分に興味がないのをいいことに、こっそり御相伴に預かると、その酒の美味しい事、たちまち杯を重ね酔っぱらい、すぐに眠りに落ちてしまいます。
朝、リップが目覚めると、老人と初めてあったあの丘の上で寝ていました。「しまった、寝てしまったのか、妻になんと言い訳すればいいのだ」。足元には鉄砲が転がっていましたが、手入れの行き届いていた筈の鉄砲は錆びて腐食し、銃床は虫に食われてさえいました。また、愛犬の姿も見えませんでした。「ウルフ!ウルフ!」。犬の名を呼んでも、どこからも出て来ません。
「あのジジイどもにしてやられたか」。リップは彼らを山賊だったのだと勘繰り、もう一度あの広場へ行って犬と鉄砲を返してもらうしかないと考え、立ち上がろうとしますが、関節がこわばっていつもの調子ではありません。「うう…、山で寝るのは性に合わねえな」。難儀しながらもやっとのことで広場へ通じる場所へ辿り着くと、その通路は跡形もなく消えていました。リップは途方にくれますが、仕方がないので村へと帰ることにします。
村が近づくにつれ、行き交う人々の顔を見ると、知り合いは一人もいませんでした。「おかしいな、村人は全員知ってるはずなのに…」。それに見たこともない格好をしているし、リップを見ると皆、自分の顎をさするのでした。訝ったリップは自分の顎を触ってみます。すると髭が1フット(約30㎝)も伸びていたのでした。そして村へ入っても、自分の家がどこにあるのか皆目見当も付きません。たった一晩で町並みはすっかり様変わりしていたからです。ようやく我が家を見つけると、なんと廃屋になっているではありませんか。当然、妻も子供たちもそこにはいませんでした。リップは慌てて家を飛び出し、馴染みの宿屋へ向かいます。見慣れた筈の宿屋の見た目も名前も変わっていました。壁に掛けられたキング・ジョージ三世の肖像画もジョージ・ワシントンに取り換えられています。リップが寝てる間にアメリカは既にイギリスから独立していたからです。
折しもその日は選挙の当日でした。宿屋に集まった村人のうち国士をきどった男が、共和党と民主党どちらに投票したのかと彼にこっそり話しかけます。リップは自分の人生で投票などしたことは一度もなく、「私は国王に忠誠を誓っております、国王陛下万歳!」とキング・ジョージ3世の忠実な臣民であることを宣言したものだから、「こいつイギリスのスパイだ!」と大騒ぎになってしまいました。そこに顔役らしい男が現れて事態を収拾し、リップに「爺さん、お前は銃なんかもって何がしたいんだ? 誰を探してるんだ?」と聞いてくれました。リップは友人たちの名を次々と挙げ、彼らはどこにいるのか尋ねます。ある者はとっくの昔に亡くなり、ある者はアメリカ独立戦争で殺害されていました。「そ、そんな…、誰か、誰かリップ・ヴァン・ウィンクルを知ってる人はいませんか?」。「そいつならあそこにいるやつだよ」。見ると自分にそっくりな男が木に凭れ掛かっていました。リップは混乱していましたが、その時、赤ん坊を抱いた若い女が進み出て来ました。声の調子からして若い頃の妻にそっくりでした。「君の父親は?」。「父はリップ・ヴァン・ウィンクルと言い、二十年前、山へ行ったきり帰って来ませんでした」。「母親は?」。「母も少し前に亡くなりました。牧師相手に癇癪を起こして血管が破裂したのです」。リップは「私が君の父親だよ! 誰か、誰かこの哀れな男を知ってる人はいませんか?!」と叫びます。すると群衆の中から一人の老婦人が出で、彼の顔を覗き込み、しばらくして言いました。「間違いない、この男はリップ・ヴァン・ウィンクルだよ、お帰んなさい、しかし一体あんたはこの20年どこに行ってたんだい?」。リップは人々に昨日の出来事をあっという間に話し終えます。それを聴いた村一番の古株で物識りの長老が言いました。「お前さんが出会ったのは、昔このあたりを探検した偉大なるヘンリー・ハドソン船長(ハドソン川の名の由来)と乗組員たちの亡霊に違いない。二十年ごとに巡回に来るという言い伝えがあるんじゃ」。
その後リップは、妻の死を悲しむこともなく、立派な男と結婚していた娘に引き取られ、のんびりと余生を送る。自分の物語を近所の子供や宿屋に来た見知らぬ旅人に聞かせたりして。それを信じない者もいたが、古くからのオランダの入植者は概ねそれを信用したと云う。もしかすると恐妻家の願望かもしれないが。

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「Old Scout」の略。ウェストヴァージニア州のスムーズ・アンブラー社が販売するソースドウィスキーのライン。Smooth Amblerを省略せずに「SAOS」とされることも多い。オールドスカウトの名は樽をスカウト(見出だす)することに由来する。それまでレギュラーラインナップだったオールドスカウト7年と10年は、2015年の急速な予期せぬ販売成長率のため無期限に中断されるとアナウンスされた。シングルバレルとプライベートセレクトは継続して販売されている。主にMGPから調達(60%コーン/36%ライ/4%バーリーモルトや75%コーン/21%ライ/4%バーリーモルトのバーボンなど)。
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Oscar Getz Museum of Whiskey History─オスカーゲッツミュージアムオブウィスキーヒストリー
バーズタウンのノース・フィフス・ストリートに面して建つ歴史的なスポルディング・ホールは、今日オスカー・ゲッツ・ウィスキー歴史博物館とバーズタウン歴史博物館として使われている。ホールはもともと1826年にケンタッキー州で最初のカトリック大学、セント・ジョセフ・カレッジの一部として建てられたが、長年に渡って様々な役割を果たし、南北戦争中は大学は閉鎖され一時的に南北両軍の病院として機能、その後は神学校や孤児院、1911年頃から1968年まではプレパラトリー・スクールとして使われた。名前はマーティン・ジョン・スポルディング司教にちなむらしい。現在の建物は、火事で破壊された以前の建物の代わりとして1839年に建て直されたもので、1973年に国立歴史登録財に指定された。
3階建てホールの1階大部分を占めるオスカー・ゲッツ博物館には、植民地時代から禁酒法解禁後の時代に至るアメリカン・ウイスキー業界の貴重な遺物や文書のコレクションが展示されている。蒸留と熟成に関するディスプレイから、ジョージ・ワシントンのスティル、エイブ・リンカーンの居酒屋のレプリカ、密造酒に関する物、禁酒法時代の資料やキャリー・ネイションの手斧、多くのアンティークボトルとジャグ、中身の入った薬用ウィスキー、古いサインやラベルに広告、斬新さを競ったノベルティ・デカンターまで、バーボンの豊かな歴史を物語る品々は、ジョージアン様式の風格ある建造物と相俟って愛好家必見。学識豊かなキュレーターとの出会いも楽しみの一つで、先代のフラゲット・ナリーとメアリー・ハイト、現在のメアリー・エレン・ハミルトンら博物館の維持運営を務め、バーボンの遺産を公衆に利用可能にする彼女たちは、バーボン産業の影の英雄と言ってよい。
入館見学は無料だが募金箱が設置され、寄付は大歓迎。博物館の運営費はケンタッキー・バーボン・フェスティヴァルの期間中に建物のチャペルで毎年開催されるマスターディスティラーズ・オークションによっても賄われる。オークションはヴァン・ウィンクル氏が後援し、出品されるアイテムにはバーボンのオールドボトル、歴史的なアーティファクト、特別リリースのサイン入りボトル、ギフトバスケットなどがあり、それらは地域の蒸留所からの寄付が殆ど。その他に2階3階のスペースを結婚式やレセプションに貸し出したりもするが、博物館には人件費、公共料金、セキュリティシステム費用、保険料が掛かる他、200年近い古さの建物は当然維持費が嵩むだろう。展示を楽しんだ後は寄付を弾みたいところ。
博物館の名になっているオスカー・ゲッツは1897年11月にイリノイ州シカゴで生まれた。禁酒法施行前はウィスキーの仲介業に携わっており、その多彩な性格は最高のセールスマンと評された。1920年にはエマ・エイブルソンと結婚。1933年に禁酒法が終了した後、ゲッツと義理の兄弟レスター・エイブルソンは自らの名でウィスキービジネスに取り掛かる。数年で彼の会社は成功、100人以上の従業員を雇用し、ケンタッキー州バーズタウンにあるトム・ムーア蒸留所の最大代理店となった。トム・ムーア蒸留所によって供給されるバーボンは「オールドバートン」というオリジナルのブランドで販売され、1940年までにゲッツは業界の大手プレーヤーとなる。ウィスキービジネスに変化が見え始めると、彼らは自らのブランドの安定した供給を保証するため、1944年にトムの息子のコン・ムーアからトム・ムーア蒸留所を購入し、プラントの名称をブランドの名前と同じバートン蒸留所に変更した。その名はいくつかの選択肢のうち「ハットから選んだ」名前だったと云う。オスカーは蒸留業界で大きな評判を確立し、酒類産業の「マン・オブ・ザ・イヤー」と名付けられたこともあったらしい。
またオスカーはウィスキーの蒸留プロセスと業界全体にも興味を持っており、しかも歴史の大好きなコレクターでもあった。趣味として収集し始めたアーティファクトや小さなディスプレイ、文書やラベルに広告、ボトルを含む記念品等は膨大な量で、それこそ強迫観念に憑かれたかのような集めぶりだった。彼の妻エマは「もうこれ以上、私の家に古い物は欲しくないの!」と、オスカーに収集物の片付けを要求。そこで彼は渋々、自らのコレクションを展示するため、1957年から蒸留所のオフィスで小さな博物館「バートン・ミュージアム・オブ・ウィスキー・ヒストリー」を始める。この私的博物館は一般公開され、今で言うところの蒸留所ツアーのビジターセンターの魁だった。そしてオスカー自身が学芸員であり歴史家であり講師だった。実際、1978年には彼の著書「Whiskey:American Pictorial History」が出版され、その後何十年に渡り参考ガイドとなる。
オスカーのコレクションは雪だるま式に増え続け、いつしか小さな「ビジターセンター」の枠を超えた。年代がはっきりしないが、ある時エッジウッドにあるフェデラル・スタイルの大きな家に博物館を移転したらしい。オスカーはビジネスを引退し、70年代後半もしくは80年代前半に蒸留所を売って、このコレクションを引き取る。彼は自らの収集物の適切な家を求め、新しい博物館として機能させるべく、古いカトリック神学校を修繕するためバーズタウン市にお金を支払った。残念ながら、彼のヴィジョンが現実のものとなるのを見ることなく、1983年にオスカーは亡くなる。残された妻と息子は、オスカーが過去数十年に渡って蓄積してきたコレクションをみんなに見て欲しいと思い、それを市に寄贈することにした。しかも博物館を支援するために毎年寄付をするとも言ったようだ。一年後の1984年7月、新たに復元されたスポルディング・ホールにコレクションは設置され、オスカー・ゲッツ・ウィスキー歴史博物館が生まれた。オスカーの博物館はいつもでも無料だった。 彼の情熱とコレクションに対する愛情に、全てのバーボンマニアは歓喜し感動を覚え、感謝の念を抱かずにはいられないだろう。

OT
「Old Taylor」の略。バーボン業界の発展に寄与したエドモンド・ヘインズ・テイラーJr.の名を冠したバーボン。一昔前はジムビームが、その前はナショナル・ディスティラーズが製造していた。現在ではバッファロートレースが製造し、同社のプレミアムラインの製品には「コロネル・EH・テイラー」があるため、歴史あるブランドの「オールド・テイラー」はすっかり影を潜めた。
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「Old Weller Antique」の略。昔はスティッツェル=ウェラー蒸留所、今はバッファロートレース蒸留所で造られている小麦バーボン。ハイプルーフなのが魅力。
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OWO
「Old Weller Original」の略。現在オールドウェラー・アンティークと知られるブランド名は、90年代初頭にラベルに「Antique」の文字が挿入され、そう呼ばれるようになった。それ故、OWOはそれ以前の物を指している。2018-12-22-06-51-26

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DR. LOUIE'S SURE POTION 80 Proof
アメリカの禁酒法時代、お酒は薬用としては認められており、医者の処方箋さえあればお酒は手に入ったそうです。そこで善意の医者というか悪徳な医者というべきか、とにかく処方箋を乱発したお医者様がいたそうな。このボトルのラベルデザインはそういうエピソードにちなんで造られているのでしょう。そのせいなのか中身もどこで蒸溜されたものなのか記載がなく、ただ会社はルイヴィルとあるのみです。これがdistilledやbottledを意味しているのか会社の所在地なのか定かではありません。またあまりにもチープな質感の紙ラベルです。個人的な印象としては、「MILD STRENGTH」という聞いたこともない造語や敢えて「STRAIGHT」を名乗らないあたりアライド・ロマーのブランドぽく感じますし(※追記あり)、ボトリングはKBDかなという気がしてるのですがどうでしょう?
そして味のほうもどうも怪しげでして、開封直後から梅酒の香りが支配的で、飲むとチョコレートに梅酒をかけたような味わい。更に妙に粉っぽい酒質と、今まで他では味わったことのないバーボンでした。ラベルにストレートの表記がないので、もしかするとブレンディング製法で造られているのかも知れません。或いは劣化していた可能性も考えられます。ネットで検索する限り、日本でしか販売されてないバーボンだと思うのですが、数少ないレヴューを拝見すると、それほど低い評価でもないようなのです。私の飲んだものはタンニンの渋味が出過ぎた、長熟の悪いところばかりが出たバーボンに感じました。ラベルは12年表記ながら、もっと高齢のバレルも入ってる? でなければ酸化が進み過ぎた、つまり劣化していたとしか思えませんが、一応レーティングはしておきます。
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ドクタールイーズ3

追記:その後、やはりアライド・ロマーのブランドということが判明しました。

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